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決勝の相手と激戦。
その過程で池袋全域が戦場となり『NOVA』のVIP含めて皆殺し。
最終的に柘榴女は致命傷を負いながらも対面を撃破。
死体の山の上で勝利を高らかに叫ぶ。
これで捧げる魂は100になる!!
■■■



「ウェヒ!ウェヒヒッヒィ!!これで!これでぇえ!」

柘榴女は相手の目玉を抉ると、大切に、愛おしそうに瓶に詰め込んだ。
そうして、心底嬉しそうに、どこまでも無邪気に瓶を天に掲げた。


「これでぇ!!100!マー君ににに捧げるよぉ~!!待たせ待たせたねぇ!御免ねえ!!!」


これで、集めに集め捧げに捧げた瓶の数は100。
柘榴女の異次元の理屈で言えば、愛息のマー君は蘇るはずであった。
しゅるしゅると、柘榴女の目前の幻覚が糸を集めるかのように現実化していく。

それは、柘榴女にしか見えない幻覚。
狂った脳髄が映し出す在りし日の幸福な面影。

「ママ…」

「ああ…!!!ああああぁぁぁ!!!マー君!マー君!」

それが幻覚であることはもはや柘榴女には関係ない。
何故ならば、柘榴女にはハッキリと愛息の姿が見えている。
鈴のような声が聞こえる。焼き立てのパンのような匂いがする。
駆けよって抱きしめてみればしっかりとした抱き心地がある。

狂った脳髄が生み出した幻覚は、柘榴女にとっては間違いなく本物なのだ。
それが幻覚であると指摘するものはもうこの池袋にはいない。
今にも死にそうな柘榴女は、最後、暖かな愛息の幻影を抱きしめて死に至ろうとしていた。


「マー君!マー君!もう離さないから!絶対に離さないからねェ!愛してるからぁ!」


血に体中を染めた柘榴女。
硬い義手による抱擁も、幻覚のマー君は優しく受け止めた。

「うん。僕も大好きだよ。ママ。」

最悪の殺人鬼は死に際、自らの狂気が作りだした優しい揺りかごに身をゆだね、意識を溶かしていった。




──愚かな、女の話をしよう。


愚か者というものは、自分が愚かだということに最後まで気が付かない。
自分は大丈夫だと本気で信じたまま崖に向かって車を飛ばして落ちていく。
目の前の地獄を楽園だと信じて笑いながら死んでいく。


しかし。嗚呼、しかし。
本当の、本当の愚か者は────


愚かであり続けることすらできない。


崖から落ちているまさにその最中に、何かを間違えたと後悔するのだ。
今進んでいる道がろくでもない道だと、引き返せなくなってから気が付くのだ。

そして…柘榴女は、悲しき母性のなれの果ては。
本当の愚か者であった。

「────違う。」


柘榴女は、無意識に口から出た言葉に、自分自身が信じられないという顔をした。

「え…そんなはず…そんなはずが!!でも!でもォ???」

狂った脳髄が仕立て上げたマー君は、寸分たがわず記憶の通りの外見をしている。
キラキラ輝く瞳も、柔らかにカールする前髪も、赤みが差す頬も、あの悲劇直前と変わらない。

「…どうしたのママ?」

自身に無限の力をくれた鈴のような声も。
父に似た優しい表情も。
何もかも変わらないはずなのに。

柘榴女の脳髄の奥で、“違う”と声がする。

「マ…マー君はぁ??チチチ血の苦手な子でぇ?痛いのが怖い子でぇ?わ、わ、私が傷を負って家に戻ると、泣きそうな顔をして隠れちゃって??」

柘榴女はバリバリと傷口を掻きむしる。
地と肉片が飛び散るがもはやそんなことはどうでもよかった。

「少ししてからオドオドと、それでもしっかり近づいてきてくれる優しい子でぇええ??だ、ダ、だから!こんな!こんな血まみれで!!変わってしまった私に!怯えないなんてありえない!!!??」

本当に愚かであった柘榴女は、自らの妄執に浸ることすらできなかった。
残酷で冷酷な…誰も救われない答えを導きだしてしまった。

「チチチチ違う!そんなはずは??足りないだけ!捧げるものが!捧げるものがぁああ!」

半狂乱で周囲を見渡す。
何かが足りないのだと言い聞かせて、捧げるべき魂を探す。

しかし、周囲には死体の山しかなかった。
彼女自身が、周辺の何もかもを皆殺しにしていた。

「誰か!誰かぁ!??殺されてよ!!マー君のために!死んでよぉ!!???」

自らの残虐の檻に囲まれ、最悪の殺人鬼は生者を求める。
しかしその声は、叫びはどこまでも虚しく響くだけであった。

ガクリと跪いた柘榴女は、大雨の水溜りに映る自身の顔を見た。
そうして、「あるじゃあないか」とにんまりと笑った。


大雨の中、柘榴女は天に吠えた。

「神様ぁ!いい今から!最後の捧げものをします!だから!だからぁ!」

そういうと、柘榴女は柘榴の傷が走る自身の右顔面に指を突っ込み、眼球を抉り始めた。

「アギギギギ!わ、私はぁ!神社で!鬼神のような達人を殺しましたぁ!立体駐車場で!鬼神すら葬りかねない武侠を殺しましたぁ!!地下鉄でぇ!誰よりも冷静冷酷な覗き魔を殺しましたぁ!池袋の!池袋のぉぉぉ…!何もかもを殺し尽くしました!私は私はぁぁぁァウヒ!ウケヒィ!!」

ぶちりと嫌な音共に柘榴女の眼球が抉りだされた。
赤黒い視神経が雨に揺れた。


「これは!この池袋でもっとも“強い魂”で!誰よりも!何よりも強い魂で!魂で…」


柘榴女は自らの抉りだした眼球を高々と掲げた。
その眼球は度重なる薬剤投与と闘争の余波でうっすらと濁っていた。

そうして、柘榴女は泣き叫んだ。



「でも…でもぉおおお!う、美しくないよぉ~~!マー君に捧げるには!相応しくないよぉ!」



自らの蛮行が、その魂を濁らせていたことは彼女自身がよく分かっていた。
嗚呼、愚かな柘榴女!
そんな一般規範など無視して、私の魂は美しいと言い切ればよいのに!

柘榴女は、死の間際、子供のように泣いていた。
泣いて泣いて泣きつくしたその顔は、深い絶望に染まっていた。

自分が死ぬのが悲しいのではなかった。
願いが叶わないのが悲しいのではなかった。
無為な殺しをしてきたことが悲しいのではなかった。

ただ、夫と息子がもうこの世にいないということが、10年経ってもまだ悲しかった。

あの日から一歩も進まないまま、最悪の殺人鬼、柘榴女は、胎児のように丸まって死んでいった。


池袋の雨は、まだやまない。

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少しだけ、未来の話。

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「お疲れっしたー!」

夜遅く。
長かった【池袋『NOVA』大量殺傷事件:死亡者リスト】の分析も終了。
軽薄な若者と陰鬱な大男が資料室を出る。

「ジャスティス先輩乙っす!これから飲みとかどーっすか!?」

軽薄な若者、刈口はどこまでも軽薄に先輩を誘った。

「…ん、ありがとう。そうだな。たまにはいいか…屋上で一服してから合流するとしよう」

陰鬱な大男の先輩は、仕事が終わったことに落ち着いたのか、彼にしては珍しく笑顔で応対し誰もいない真夜中の屋上へと向かっていった。

(おお?誘ってみるもんだなぁ。また断られると思ったのに。)

刈口は内心驚きながらもそれを口にはせず、空いている店を検索し始めた。


「お、刈口!例の仕事終わったんか!?」

髭の目立つ中年がバシンと背中を大きく叩きながら話しかけてきた。

「いっつ…何すんすかサンダーさん!」

「儂は三田だと何度も…まぁええわ。飲みに行くと聞こえての!儂も行くぞ!」

「うぃ~っす!」

豪快な先輩の参戦に一瞬驚きながらも軽薄な若者は店の予約を進める。
その作業をしながら二人は世間話を始めた。

「で、どうじゃった?資料整理は?」

「いや~全然向いてないっすよ。サボりまくったのジャスティス先輩に見逃してもらったし…つーかマジで内容頭に入ってねぇっす。明日には忘れてますよコレ!」

「気持ちは分かるけどのぉ!」

ゲラゲラと笑う後輩を、中年の先輩は複雑そうな顔で見つめる。
そして、眉を少しだけひそめて小声で問うた。

「というかお前、よくアイツをジャスティス先輩なんて呼べるのう…」

陰鬱な大男をあだ名で呼ぶ軽薄さに、中年の先輩はあきれ顔を浮かべた。



「えー。でもあの人まさにジャスティス!って感じじゃないスか。名前も正義(まさよし)だし。」



「最初、ジャスティス呼び怒られなかったんか?」

「大丈夫でしたよ!…ああ、でも初対面で『じゃあマー君先輩っすね』と言った時だけは、『お前がそう呼ぶな』ってマジにブチ切れられたっけ…」





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警察署の屋上。
かつてマー君と呼ばれていた大男は、陰鬱な表情で煙草に火をつけた。
胸元から出した年代物のライターが、“柘榴女”と呼ばれた母の形見であることを知るものはどこにもいない。

大きい溜息とともに煙を吐き出すと、ポケットから一枚の紙を取り出した。
リストの最終ページに記載されていた柘榴女のページ。
彼はこっそりとそれを持ち出していたのだ。

凄惨な母の死体写真を前に、彼はこれまでのことに想いを馳せ始めた。

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【神様、どうか今日だけは】



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神様…という存在がいるのかどうかは私にはわかりません。
ただ、私のこの懺悔を聞くことのできるものがいるとしたら、それは神様以外にあり得ないでしょう。

神様。私は罪を犯し続けてきました。
その罪の旅路が、今日遂に一つの区切りを迎えたのです。

それを今から母に…柘榴女と呼ばれたあの人に告げたく思います。

誰にも知られるわけにはいかない告白を、どうか神様。貴方の胸の内だけにお納めください。
これがただの自己満足の振り返りに過ぎないことは百も承知ではありますが。


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…母さん。貴方は覚えているでしょうか。
貴方の道を決定的に違えた男の言葉を。


「“美しい魂”、もしくは“強い魂”を!100、息子さんに捧げるのです!そうすれば息子さんは現世に蘇りましょうぞ!」


そう言って貴方を唆した教祖…彼の言うことは本当だったのです
あの教祖は、貴方が思うよりずっと有能で…貴方が思うよりもずっと悪辣な男でありました。

『不合理なるトロッコ問題(フィリッパ・クエスチョン)』

それがあの男の能力名です。
100の魂を捧げたうえで、捧げた本人が自害することで対象を蘇生させる能力。

あの教祖はその能力を用いて、誰かを蘇らせたい者に教団の邪魔者を排除させ、最後には自分自身を始末させていたのです。様々な人の愛慕を食い物にしたうえで、死者蘇生という奇跡を披露するカリスマとして上り詰めていたのです。

そんなカリスマも、貴方の狂気を読み切れず外道には生温いくらいあっさりと死にましたが。


…貴方は、早々に100人殺しましたね。
その時点で私の魂は蘇生待機状態として貴方のそばに在りました。
あとは貴方が自害すれば蘇生される…そんな状態として傍らに在ったのです。

そうです。
私は、常に貴方のそばに揺らいでおりました。
貴方の凶行を、無意味な殺戮を見続けてきたのです。

最初は訳も分からず泣き続けました。
「ママ助けて」と何度も何度も叫びました。

貴方はそんな私の叫びを全く聞かずに人を殺し続けました。
それがどれだけ私の心を傷つけたことでしょうか。

それどころか貴方は、虚空を見つめ私ではない『マー君』に語りかけていましたね。
そこに私はいないと、何度叫んでも貴方は振り向いてくれませんでした。
それがどれだけ私の心を凍らせたでしょうか。

最初の数年は何が起きているか分からず泣き叫ぶばかりでしたが、魂というものも年月で成長するのでしょうか。5~6年経つ頃には状況を理解していました。

私は何度も何度も何度も、
「私はここにいます」
「お母さん、人を殺すのはやめてください」
「お母さん、お願いだからもう静かに一人で暮らしてください」
そう語りかけました。

それでも貴方は、血にまみれながら私のために人を殺し続けました。

…そうして迎えたあの日。
貴方が自らの命を私に捧げたあの日。

───母さん。貴方は酷い人です。

私が、本当に貴方を犠牲にしてまで蘇りたいとでも思うでしょうか?
私は、貴方には静かに暮らしてほしかった。
もはや許されない罪人なれど、私のことを諦めて、たまに思い出してくれるくらいでよかった。

そんな私の願いも知らず、貴方は絶望に包まれて死んでいきました。


そうして、私は人の死に絶えた池袋で二度目の生を得たのです。
魂とは不可思議なもので、私は10年は経ったであろう14~15の肉体で蘇生しておりました。
蘇りたての弱った体で私は貴方に縋りつき、ただただ泣き続け…そのまま意識を失いました。

意識を失った私を警察は保護してくれましたが、当然私の身元は誰にも掴めませんでした。
私とあなたを結び付ける線はどこにも存在していなかったのですから。


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病院で意識を取り戻した私は、罪の意識に苛まれておりました。
それも当然です。私を蘇生させるために、貴方がしてきた所業を私は全て見ていたのです。
貴方の所業は、まさに鬼畜生とでも言うべきものでした。

遺族の皆様からすれば、貴方は百万回殺しても飽き足らない外道でしょう。
貴方の罪を明らかにし、遺族の皆様の心を癒し、最悪の殺人鬼に唾を吐くことが、人間としてあるべき姿であったのでしょう。

すぐにそうすべきであると思いました。
呪われた蘇生を成した私の使命は遺族に真実を告げることだと思いました。



────それでも、私は貴方の息子です。貴方は、私の母なのです。



かつてヒーローのように私を守ってくれた貴方が、死後も糾弾される姿は見たくなかったのです。
それが人道にもとる行為であると知りつつも、私のために必死で戦い続けた貴方が、死後も罵倒され最悪の罪人として記録されることに耐えられなかったのです。

これが許されない行いだということは理解しています。
遺族の皆様からすれば、私の行いは人間の屑と罵られても仕方のないことだと思います。


それでも私は、貴方の罪をこの世から消し去ることに決めたのです。


幸いにして、元魔人警官である貴方の犯罪は上層部の手によって隠蔽されておりました。
政府の中枢が関係していた『NOVA』の宴に関わっていたということも大きかったのでしょう。
あれだけ派手に暴れた柘榴女の情報は一般には出回っておりませんでした。

それでも上層部の判断がいつ変わるかなど分からない。
正義感に満ちたジャーナリストが真実に辿り着くかもしれない。

私は、魔人警察に入るために必死で勉強をし、成長をしました。
いつ貴方の凶行が世間の目に晒されるかと怯えながらの日々でございました。

貴方の血筋なのか、私の身体は頑強に大きく育ったため警察を目指すといってもだれも止めず、応援をしてくれました。データ管理と分析を専門でやりたいと言ったときは不思議な顔をされましたが。

そうして、池袋の事件から約10年経過してから私は魔人警察の一員となり…貴方の罪を抹消すべく奔走をしたのでした。

貴方に憑いていた私は、『NOVA』のVIPしか見ることのできない一日目の結果を知っておりました。
その知識を利用してアンバードの真実を暴いてみせることで、データ分析のスペシャリストとしての地位を確たるものとしました。

警察のデータベースに残る柘榴女の、貴方の記録を私は少しずつ消していきました。
貴方が殺した被害者は全て【殺害者:不明】と登録しなおしました。
貴方が殺した膨大な人々のデータを、痕跡残さず改ざんするのは非常に骨の折れる作業でした。

何かミスをして、貴方と私の罪が明るみに出るのではないか、そんな思いに怯える日々は私の顔を酷く陰鬱なものに変えてしまいました。しかしそれも罪人の背負うべき業と理解し、私はただただ貴方の罪を消していきました。
貴方の罪を消すことは、貴方がこの世にいた痕跡を消すことでもありました。
一つデータを消すたびに私の胸は酷く痛みましたが、それを悲しむ資格は私にはないでしょう。

長い月日を経て膨大なデータの改ざんが終わり、残すは紙の資料をどうにかするのみとなりました。
自分一人で資料室をあさっていては誰かに疑念を持たれると思い、軽率で軽薄な後輩と一緒に作業することに決めました。彼ならば作業をいくらでもサボるし、興味のない内容はすぐに忘れると確信をしていたからです。

こうして、遂に今日私は貴方の罪の痕跡を全て消すことに成功しました。
あとは貴方の死体写真を燃やすのみです。
そうすれば、柘榴女の凶行も、柘榴女がこの世にいた証も、何もかも消えてなくなります。

…この報告を、きっとあなたは地獄で聞いていることでしょう。
私の行いに対しても喜んでいるとはとても思えません。

もしかしたら怒り狂い、「そんなことを貴方にしてほしくなかった」などと泣き叫んでいるのでしょうか。
「罪人になってまで私のために尽くさないでほしかった」とでも泣き叫んでいるのでしょうか。

母さん。その言葉をそのまま貴方にお返しいたします。
おそらく私も地獄に落ちることでしょう。
お説教はそこで聞きますのでご容赦ください。

神様。
母への告白が終わりました。

長々とお時間をとらせ申し訳ありませんでした。
罪人の息子の、どうしようもない旅路の果てを見送っていただきありがとうございます。

誰にも知られるわけにはいかない旅路なれど、本当に誰にも知られずに終わるのは悲しすぎる。あまりにも愚かでちっぽけな私の我儘も、これで幕を閉じます。

嗚呼、神様。

…柘榴女は、私の母は、悲しんでやる価値もない外道でしょう。
あの人は、子を思う母を沢山殺しました。
母を思う子を山ほど殺しました。

そして、私には母の死を悲しむ資格などないのでしょう。
大勢の、母を亡くし子を亡くした遺族にとって、柘榴女の痕跡を消されるということは無念を晴らす機会を一生涯奪われるということなのですから。


────しかし私は、狂い続けたあの人が、ふとした瞬間に昔のような優しい笑顔を見せていたことを忘れられないのです。


神社で。鬼神のような強さの武侠を相手に惨めに這いずりながらも勝利を掴んだ姿を。
立体駐車場で。鬼神すら打ち倒す狩人を相手に躊躇わず火炎放射器を飲み込んだ姿を。
地下鉄で。顔のない殺人鬼相手に激情を漏らす姿を。

私のために、散々傷つきながらも戦ってくれた姿が忘れられないのです。
分かっています。分かっているのです。
あの人を哀れむべきではないと。
あの殺戮の日々を肯定してはいけないと。

ただ、今日この瞬間。
あの人の痕跡はこの世から消えます。柘榴女についての情報はすべて消え失せるのです。



───嗚呼、神様。どうか今日だけは、あの人の、お母さんのために涙を一つ流すことをお許しください。



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かつてマー君と呼ばれた大男は、柘榴女の、母の無残な死体写真をじっと見つめた。

そこに、希望はなかった。
その女は、目先の安易な偽りの希望にしがみつき、無辜の民を殺戮した故に。

そこに、夢はなかった。
その女は、自らの欲望のために、数多の美しき夢を踏みにじった故に。

そこに、奇跡はなかった。
その女は、強き願いの奇跡を理解しながらも、その価値を顧みず噛み砕いた故に。


ただ、そこに愛は────

誰も知ることが無くても、愛だけはあった。あったのだ。


それを理解しながら、かつてマー君と呼ばれた大男は、柘榴女の死体写真に火をつけた。
この世に唯一残る柘榴女の証跡が燃えていく。

こうして、最悪の殺人鬼の痕跡はこの世から残らず消える。
そうして、柘榴女が、愛息のために我が身を削り続けた10年間の記録も消える。

灰となって風に消えていく写真は、どこか火葬を思わせた。
大男は一つ涙を零した。


その涙の意味を知るものは、神以外にこの世にはいなかった。


最終更新:2024年07月21日 18:11