鮪雲鉄輪プロローグ【4番線地獄行き】




『4番線に電車が参ります。黄色い線の内側でお待ちください』

 駅に流れるアナウンスに、ボクは大喜び。

「でんしゃだ!」

 やってくる電車を近くで見ようと思って、ホームの椅子から立ち上がり、前に出る。わかってるよ。もちろん黄色い線からはみ出したりなんか

「あっ」

 つまづいた。よろけて前に2歩、3歩。黄色い線は過ぎてしまった。まだバランスは崩れてて、ボクの体はホームからはみ出して

「カナちゃん危ない!!」

 お母さんの手が、ぐいとボクをつかんで引き戻す。反対に、お母さんがバランスを崩して

「ママ!!」

 お父さんが、お母さんの手を取る。そして、お母さんとお父さんは、一緒にホームから落ちていった。

 そして、血のような赤い色の電車がやってきた。



########



 そして、ボクはごはんが食べられなくなった。食べられないし、食べても吐いてしまう。

 体にチカラが入らなくて、一日中寝てばかり。伯父さん達には申し訳ないけど、食べられないものは仕方ない。

「大丈夫だよ。そのうち食べられるようになるからね」

 伯母さんは優しい言葉をかけてくれる。今日も食卓には、ボクが食べられないはずの御飯が用意されている。でも、今日に限っては、たぶん食べることができるんじゃないかと思う。

 ごめんね。伯父さん、伯母さん、ごめんね。こんなに優しくしてくれてるのに。でも、ボクはもう、限界なんだ。

ドレミファソラシドー

 ボクの心の中の可変電圧可変周波数装置《VVVFゲージ》がファンファーレを鳴らした。ああ、もう駄目だ。だから何もしないようにしてたのに。ボクは、もう終わりだ。

「……4番線に電車が参ります」

 ボクはそう呟き、向かいに座っている伯父さんと伯母さんの席を通るように、右手の人差し指で左から右へと真っ直ぐ一本の線を描いた。

 そして、部屋の壁を突き破って、電車が現れた。



########



 夜の公園。庭園灯と月明かりが木々を照らし、光と闇の紋様を織り成す。ボクのような忍者にとって濃淡のグラデーションは、黒一色の闇夜よりも忍びやすい。

 標的は一人。拳銃と、隠しきれない殺意を携えている。危険な相手だが、いてくれて良かった。池袋に殺人鬼が集まってるという噂は本当らしい。

(電車手裏剣!)

 鋭利なフランジの付いた車輪を2枚召喚。車輪だけなら召喚で消費するゲージは微量なので投擲すれば大半を回収でき、当たればプラスだ。右と左。位置を悟られないよう、弧を描いて別方向から到達する軌道で同時射出。

 一枚目は右手の甲に命中。奴は銃を取り落とす。

 二枚目は左足の踵に命中。奴は体勢を崩して倒れる。

 闇に包まれた繁みの中から飛び出して距離を詰め、地面に落ちた拳銃を蹴り飛ばす。はい、勝負あり(ターミネート)

「おじさん、駄目じゃないですかぁ。こんな危ないモノ持ってたら、殺し合いになっちゃいますよ?」

 危険は排除した。あとは電車で轢くだけだが、話をしてみたい。殺人鬼、と呼ばれる連中だけが知っていることがあるような気がして、ボクは池袋にやって来たんだ。

「待て、話をしよう! 助けてくれ! 君に危害は加えない!」

 うん。話はしよう。助けるつもりはないけどね。おじさんだって、まだまだ危害を加える気は満点でしょ?

「だったらさ、教えて欲しいんだ。人は、どうやったら笑いながら死ねるんだろうね?」

 ニッコリと、愛想の良さげな笑顔を作って問いかける。おじさんは酷く怯えたように見える。まあ、演技がかってるのはお互い様だから仕方ない。

「……知らねえ。死体は笑わないし、ウソもつかない。だから、俺は殺すんだ。人はみんなウソつきだ。笑ってようが泣いてようが、生きてる奴の言葉はみんなウソだ。ウソをつかないのは死体だけさ」

 人はウソつきだ、と言いながらも、おじさん自身の言葉には真実の響きが含まれてるように感じた。それならボクも、本当のコトを言わなければ、と思った。

「そっか。ボクは、できれば殺したくない。でも、ボクが食べていくためには殺さなきゃいけないから……」

 そう言ってから、気付いた。言わされた。おそらくこれは、会話内容を条件とする能力発動のトリガー。

 おじさんの口角が上がり、不気味な笑顔を形作る。

「『秘密の暴露』ありがとよ! お返しにこれがおれの本当の気持ちだァーーッ! 死ねッ『散弾論法(ショットガントーク)』!」

 口の中から水平三連の銃口が生えてくる。バスン! 銃口が火を噴き散弾が放たれる。この近距離から多数の弾丸を浴びればひとたまりもない。散弾でボクの姿が砕けて吹き飛ぶ。

「ハハハハァーーッ!! 死ねッ!! 砕け散れェーーーッ!!」

 バスン! バスン! 更に2度の銃声が響く。ボクの姿は更に粉々に砕けて塵と化す。明らかにやり過ぎ(オーバーラン)だ。

 公園の草の上に、ボクの帽子がぱさりと落ちた。帽子の全面に書かれた文字は……「回送」の2文字。

「電車忍法、回送列車(うつせみ)の術」

 おじさんの背後に立ち声をかける。ショットガンで破壊されたのは、ボクの服だけ着た回送列車。

「なんだと!?」

 慌てておじさんが振り向くけど、もう遅い。一歩踏み込めば拳の届く距離。射撃戦の間合いは既になく、口から生えた三連ショットガンに残弾もない。

「ふふっ、せめて論破し損ねた時のために弾を残しとくべきだったね」

 今度は素直に笑えた。そう。笑うのは殺すほうで、笑いながら死ぬのは変なことだ。

 ボクは笑顔で身を沈めショットガンの射線の下を潜り抜け密着距離まで接近、おじさんの顎を真下から蹴り上げる。銃身を噛んだ歯が砕ける。真っ直ぐに伸びて浮いた身体に拳を叩き込む。いくつかの臓器が潰れた手応え。

 おじさんは地面をゴロゴロと回転し、倒れた。

 ボクは帽子をくるりと回して真っ直ぐにかぶり直す。

「……4番線を電車が通過します。ご注意ください」

 そう宣告し、人差し指で真っ直ぐになぞるように、おじさんが倒れている場所を通過する直線軌道を指し示す。おじさんが、ボクの帽子に書かれた文字を見て「ヒッ」と小さく呻くような声を出した。

 そう。地獄。これが、おじさんの行き先表示で、いずれはボクも行く場所だ。さあ、迎えの電車が来たよ。

 轟音を伴う眩しいヘッドライトの光が、おじさんを照らし出す。おじさんは這って逃げようとするが、電車の接近は早く、手裏剣で健を切られた足では逃げられない。

 おじさんの絶望に歪んだ表情は、電車の全面に叩きつけられ一瞬で潰れた。その体が車体の下にずるりと呑み込まれる。グモッ。車体が大きく揺れる。後続の車輪が胴体に乗り上げて両断したのだ。グモッ。グモモッ。その後も車体は何度か揺れる。とても良い。おじさんは、いくつのパーツに分割されただろうか。



 電車が通り過ぎ、公園に静けさが戻った。後に残るのは、ボクと、広範囲に散在するおじさんの二人だけ。右手と左足の先はここに。腰はあちらに。しばらく腸を引きずった跡の向こうに、胸から肩まで。頸は車輪で轢かれたのではなく、車体下部構造との衝突で千切れたようだ。一番遠くに転がってる頭部からは、ペースト状にシェイクされた内容物がこぼれだしている。顔面が潰れて表情がわからないところだけは惜しいが、総合的にかなりレベルの高い轢死体ができた。

 ぐう、と腹の音がなる。

 宵闇の中にあって尚、鮮烈な赤。鼻腔をくすぐる血なまぐさい香り。しばらくぶりに、ボクの食欲が帰ってきた。

 懐に忍ばせた携行食を取り出し、袋を破り捨てて口の中に放り込む。甘い。美味しい。全身が熱と力を帯びて行くように感じる。車輪で両断された脚の断面。太い骨がへし折れて飛び出している。水分が少なくてモソモソした食感すらも心地よい。じわじわと広がって地面に染み込んで行く赤い血。ボクの身体の中に染み入るカロリー。ああ、ボクは今、生きている。

 ダァーン!

 その時、銃声が響いた。先程蹴り飛ばした銃を拾った別の殺人鬼が、食事中のボクを狙って撃った音だ。

 まったく、轢死体を見なければ食事ができないボクの稀少な食事タイムを邪魔しないでほしい。

 蹴った時に銃口へ詰め込んだ泥による暴発で指を吹き飛ばされた乱入殺人者の顔面に電車手裏剣を4枚叩き込み絶命させる。こいつも、笑顔ではなかったな。

 今後の食事の友とするためにデジカメで撮影しながら、今夜殺した連中が最後の瞬間を迎えたときの表情を思い起こす。殺人鬼なら少しは違ったものを見せてくれるかと思ったけど、普通の人間と変わらない、死の恐怖にまみれた、醜い顔だった。普通は誰でも、死ぬ時はそんな顔をするものだ。

 でも、あの日。電車に轢かれてバラバラになって死んだ父さんと母さんが、ボクに見せた最後の表情は笑顔だった。

 あの笑顔はなんだったのだろう。どうやったら、笑って死ぬことができるのだろう。ボクは、ずっと考えている。

 4番線。電車はぜんぶ地獄行き。いずれはきっと、ボクにもその日がやってくる。できることなら、笑顔で旅立ちたい。ボクは、ずっとそう思っている。
最終更新:2024年05月19日 17:27