今岡にとって組長の岩原はオヤジである以上に恩人だ。
魔人能力に覚醒したことが切っ掛けに荒れていた自分を掬い上げ、一端の極道として育て生き方を教えてくれた。
そこには打算も少なからずあっただろう。魔人能力を持つ今岡は抗争において非常に強力な駒だ。
だがそうであっても構わない。
自分は岩原の拳であり、そして彼が鉄火場に挑む際は盾として先に死ぬ。そう決めていた。
その岩原が目の前で、空から振り子のように振って来た人影に首を切り裂かれ死んだ。
「ハー! ハーハッハー!」
夕暮れの池袋。わざとらしいほどの声を挙げ、ヒョウ柄のレインコートを身に着けた殺人鬼・スパイダーマンこと尖々は岩原組組長・岩原を殺害した凶器のナイフを空中で放り捨てた。
極道の会合の情報を知り、ルートを調べ、罠を張って待ち構えた。原理は単純、ビルの屋上に鉤縄を引っ掛けて離れた地点から飛び降りる。
尖々自身を振り子として大きく半円を描き、その真下に居た岩原の首を切り裂いた。
「オヤジぃぃぃぃぃぃ!」
暴力団員たちの、そして遅れて通行人たちの悲鳴が響く。突然の奇襲に対応し切れている者は少ない。
尖々は反対側の雑居ビルの配管に掴まると、屋上に引っ掛けていた鉤縄を手の動きで外す。
そのまま、壁を蹴って飛び降りた。
「ヒャァァァ、ハァァァァ!」
空いた手で別の鉤縄を取り出す。10メートルはあった先ほどのと比べると随分と短い。
尖々はそれを投げ電線に引っ掛けた。勢いよく跳んで来た人間一人分の加重を受けた電線は、しかしそれを耐える。
『ロープガン・ジョー』。魔人・尖々の能力は鉤縄の支えとなる物体を保護する。例え老朽化してボロボロの電線であっても彼を支えられないことはない。
彼はまた別の電線に鉤縄を引っ掛けると今度はそちらへと跳び、牛丼屋の看板へと降り立った。
見下ろせば、そこには岩原組の団員たち。
殺人鬼は鉤縄をカウボーイのように頭上で回し、投げ縄の要領で投擲した。
「早撃ちだ、気分は西部劇だなァ!」
鉤縄は、拳銃の狙いを定めようとしていた団員の顔面を撃ち砕く。
隣で同僚が顔面陥没して死亡する姿に怯みながらも、別の団員もまた拳銃を構え――大縄跳びのように振り回されたロープに足をとられ転倒。頭上から飛び降りた尖々に喉を踏み抜かれ絶命した。
残り、二人。
「降りてきたな、撃てェ!」
声と共に続く銃声。それよりも速く殺人鬼は先ほど投擲した縄を引っ張り上げる。
縄の先、その鉤爪によって顔面陥没した団員の死体が釣り上げられ、即席の盾として銃弾から尖々を守った。
尖々の能力は鉤縄の鉤爪が引っ掛かった、あるいは刺さった物体に対して適用される。
鉤爪が刺さった時点で保護されその物体はそれ以上は破壊されなくなるが、先に錘をぶつけて撲殺してしまえばこの通り。
「ぁ痛って!」
……同時に言えることだが、この能力は鉤縄による荷重から保護する能力であり、能力適用中でも別の要因による破壊は発生する。
そのためこのように、鉤縄が引っ掛かった死体を銃弾が貫通して尖々に命中することまでは防げない。
(防弾着があってよかった。あまり厳重だと動きを阻害するから最低限の物だが、それでも有る無しは大きい)
冷静に考えつつ、尖々は死体から奪った拳銃で撃ち返す。
「ガンファイアァ! レッツパーリィー!」
勢いよく叫びながら連射するが、尖々は素人なので当たるはずもない。ほぼ威嚇目的だ。発砲されたなら対応せざるを得ない。
団員たちの攻撃が止んだのを確認すると拳銃と盾代わりの死体を捨てて鉤縄を電線へと投げる。腕の力を頼りに電柱の側面を駆け上がり、そこからハンバーガーショップの二階の窓ガラスを叩き割りながら突入した。
騒ぎを見たせいか既にほとんどの客は逃げた後だった。悠長にスマートフォンを構えていた若者一人だけが残っていた。
「あ、え……あ?」
現実を飲み込めていないのか唖然としている若者に、尖々はレインコートを脱ぎながら威圧するように迫る。
「バンザイ」
「へ?」
「バンザイして。殺すよ?」
鉤爪を見せながら言うと、若者は慌ててスマートフォンを放りながら言われた通りに両手を挙げた。
覆いかぶせるようにレインコートを着せる。
「じゃ出て行って。ゴー」
そう言いながら鉤爪でぶすりと若者の腕を刺した。
「痛ぁぁぁぁ!? うわあぁぁぁぁぁぁぁ!」
喚きながらレインコートを着せられた若者は一目散にショップの階段へと駆けて行く。
そうして彼の姿が見えなくなってから、銃声と断末魔。
「なんだ、コイツじゃない!? がっ!?」
階段を下りた先、銃殺した若者の顔を見て混乱していた団員の頭を鉤縄で撃ち抜く。あと一人。
死体から再度剥ぎ取ったレインコートを纏いつつ階下を確認する。ハンバーガーショップの入り口に、怒りと憎しみを携えた顔でこちらを見ている男が居た。
彼が今岡という名前であることも、組長に対し強い忠誠心を持っていたことも、そして魔人能力者であることも。尖々は知らない。
「ぶっ殺してやる!!」
咆哮と共に愚直に突っ込んで来る今岡に、尖々は今殺した団員から奪った拳銃を発砲する。
それはまるで当たりもしなかったが、そもそも今岡は回避も防御もしなかった。
「地獄で会わせてやるよォ!」
尖々もまた叫びながら、鉤縄を迫り来る今岡へと投擲する。
果たして。今岡の顔面に直撃したはずの鉤爪は、しかし鋼鉄の壁に阻まれたかのように弾かれて落ちた。
「なっ!」
『裸一貫・発気揚々』。あらゆる遠距離攻撃は彼を傷付けられない。
単純で、そして単純だからこそ強力な今岡の魔人能力である。
「どぉぉぉりゃあぁぁぁぁぁぁ!」
今岡の右拳が振りかぶられた。尖々は咄嗟に二階の吊り下げ照明に鉤縄を引っ掛けて壁を駆け上る。
紙一重の差で拳は空を切り、そして衝撃音と共に壁に突き刺さった。
(身体を強固にする能力か……!?)
今岡の魔人能力は今岡自身も遠距離攻撃ができなくなるという制限があるが、その代わり彼の近接攻撃は全て強化されるという副次的な効果もある。
銃弾が効かず、銃弾よりも強い拳。岩原組の“鉄砲玉”、それが今岡という魔人だった。
(狭い空間ではダメだ)
尖々は急いでフロアを走り窓から飛び出した。入って来た時と同じ電柱をよじ登り、鉤縄を投げながら振り返る。
同じように窓から飛び出した今岡が、信じられない跳躍力で尖々へと飛び掛かって来るのが見えた。
「―――」
尖々はバックステップで電柱からジャンプし、短い鉤縄を電線に引っ掛けてジップラインのように空中を滑った。
今岡は一拍遅れて電柱に跳び付き、間髪置かずにジップラインを滑る尖々へと跳びかかった。――と同時に、尖々はロープから手を離し落下する。
落下する殺人鬼の頭上を飛び越える鉄砲玉。
逃すものか、と今岡は尖々が残した鉤縄を掴む。
今岡の荷重に耐え切れず電線が切れた。
「!?」
急な浮遊感に目を見開く。
手を離した瞬間に尖々の能力は解除されている。能力による保護無しではロープに跳びかった今岡の荷重を耐えられなかった。
というよりも、そのために切れやすそうな電線を選んだのだ。
「ぐあぁっ!」
今岡は十分な受け身を取れないまま歩道に叩きつけられる。強化された彼の肉体でもダメージはゼロではない――逆に言えばゼロではないだけで全く致命的ではない。
憎き殺人鬼を抹殺すべくすぐさま起き上がり。
「―――ママァァァァァァァ!!」
空から落ちてきた、小学生くらいの子供と目が合った。
尖々の魔人能力は鉤縄の荷重から物体を保護する。別の要因による破壊からは保護されない。
そして鉤縄の荷重とは即ち物体を引っ張る力であり、
鉤爪に人間を引っ掛ければ即席のハンマーが完成する。
「あれ、これは効くのか? 単なる身体強化能力じゃなさそうだな」
人間ハンマーが直撃し倒れ伏した今岡を、尖々は興味深そうに観察している。
(背中、に……背骨が……折れ……)
今岡の魔人能力はあらゆる遠距離攻撃を無効にする。
仮に尖々が大岩を結んだロープで今岡を殴打していた場合、それは今岡の認識において遠距離攻撃と見做され無効化されていただろう。
だが先ほどの攻撃は生きた人間が直接叩きつけられた。
今岡の認識においてそれは人間による体当たりと同義――近接攻撃の範疇である。
「テメェ……殺してやる、殺してやる……!」
「ならもう一回試すか」
憎悪に満ちた視線を何でもないように受け流し、尖々は恐ろしいことを何でもないように口にする。
「ハーハッハァ! 今日は大盤振る舞いだ! スパイダーマンのとびっきりの殺しを味わいな!」
そうしてパフォーマンスのような仰々しい言葉と共に、自らへと再度振り下ろされる人間ハンマーを。
「……あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
今岡は絶叫し、しかしそのまま受け入れることしかできなかった。
グシャリという音と共に、死体が二つ増えた。
「ふぅ……」
痕跡がバレないように拠点に戻るのも慣れたもの。
ひと仕事終えた後の風呂上がりに、尖々はキンキンに冷えたビールを流し込む。
「これで岩原組も壊滅。前に潰した大山組とはライバル関係だったから、これでバランス取れただろ。よし」
テレビの電源を付ける。ちょうど大河ドラマが始まるところだ。
風呂上がりにビールを飲みながら大河を観る。最高だ。
「このために夕方に殺せるところを標的にした甲斐があった」
正直なところライバル関係とかバランスとかの理由は後付けで、日曜日の夜にゆったりしたいという社会人の贅沢のためというのが大きい。
(まぁでもちゃんと防犯カメラに映るように殺したし、大々的にテレビで報道とかされないかね。……グロいから無理か)
殺人鬼・スパイダーマン。
ヒョウ柄のレインコートがトレードマーク、殺人現場では狂ったように笑い声を上げパフォーマンスのように殺す。
……というのが尖々が作ったスパイダーマンのキャラクター性だ。そういうイメージが広まるように日々努めている。
「……ん? 河内?」
テレビを見ながら、ふと鳴動したスマートフォンに目を落とす。会社の後輩からのメッセージ。日曜日の夜にすみませんという謝罪から始まり、明日の仕事について相談したいという内容。
「全く、うちはホワイトなんだからあんまり根を詰め過ぎないで欲しいんだが」
折角のドラマも気になるが、かわいい後輩の頼みだ。仕方ないと苦笑しながら、尖々は河内へと電話を掛けた。
こうして細やかな日常を交えながら、殺人鬼の夜は更けていく。