安っぽい硬い椅子に腰かけ、私はスクリーンに目を向けた。
銀幕の中では、路地裏でスーツの男がアスファルトに倒れ伏している。
口元から飛び散る鮮血。
内臓が破裂したのだろうか。
もう、助からないだろう。あるいは既に絶命しているかもしれない。
暗転。
映像が切り替わる。
古い屋敷だった。
広い、広い、木と埃の匂いの沁みついた、歴史が重く伸し掛かる空間。
人の視線は感じるのに人影は見えない。
そんな中で、子どもは、本に囲まれて暮らしていた。
塀の外からは、にぎやかな幼い歓声が聞こえる。
けれど、子どもにとっては、別の世界の出来事だった。
因習。血脈。あるいは差別。
理由は今更どうでもいい。
子どもにとって、世界とは物語で、紙/塀の向こうの出来事だった。
手触りのない情報で、文字で、自分とは隔てられたものだった。
だからか。
子どもは、時間により人としては成長したが、人間には、なれなかった。
人の間に、子どもの居場所はなかったからだ。
やがて子どもは、家を出た。
力により家に縛られていたのだから、成長してそれ以上の力を得た子どもが、力によって束縛を破壊するのは、当然のことだった。
外の世界に出ても、子どもは人間にはなれなかった。
人間になる機会は期間限定で、そのタイミングを逃した子どもは、自分を、周囲の人間と同じものであるとは、感じられなくなったのだ。
すべては情報。
すべては物語。
すべては自分と隔てられた向こう側。
それでも腹は減る。
それでも命としての本能は、生存を要求する。
だから、子どもは、人を情報/物語にして売ることにした。
幸い、世の中には、人を生命でなく文字として理解したがる人間がいた。
人間であるならば、人を人間として扱えるのならば、そうすればいいのに。
子どもには理解できなかったが、それでも自分の認知が金になるのはありがたい。
いつしか子どもは、情報屋として名を馳せるようになった。
いろいろな人間と会った。
いろいろな人間を知った。
いろいろな人間を覚えた。
いろいろな人間を忘れた。
それでも。それらの人間の間に、情報屋の居場所はなかった。
人であって、人間ではない。
結局、その一点だけは、情報屋にとって変わることはなく。
それこそが、情報屋の武器となった。
空しい筋書きだ、と私は思った。
これは、空回りの物語だ。
人間でないものが人間になろうとして、なりそこねた話だ。
自分が人間たりえないと理解したのなら、動物として命を繋ぐだけならば。
人里から離れて狩猟なり採取なりをすればよかったのだ。
けれど、それでも、情報屋は一縷の望みを捨てきれなかった。
これを未練と言わずなんと表現すればいい。
ふと。
隣に、別の息遣いを感じて、私は隣の席を見た。
そこにはいつの間にか、別の観客がいた。
隣の観客は、静かに銀幕に見入っていた。
その頬を、一滴、涙とも汗ともつかぬものが伝った。
これほど熱心に観るのならば、私には退屈に見えるこの作品にも、何か魅力があるのだろうか。
改めて私は、銀幕に視線を戻した。
情報屋は、池袋に拠点を構えた。
特に意味はない。
ただ、後ろ暗い客の需要が見込めたというだけで、街に愛着もない。
いろいろな情報を売った。
警察に売った。
ヤクザに売った。
探偵に売った。
政治家に売った。
ストーカーに売った。
そして――殺人鬼に、売った。
結果として、破滅した者がいただろう。
間接的に、情報屋は多くの人生を狂わせた。
けれど、特に感慨はなかった。
世界は物語で、文字だ。
悲劇も喜劇も無数にある。
それぞれが当人にとっては掛け替えのない命を賭けた特別なのだろう。
しかし、人間になりそこねた情報屋にはそれが実感できない。
だからか。
取引先の殺人鬼たちに、情報屋はどこか親近感を覚えた。
人間にとって、人間を殺すことは、禁忌である。
同族殺しは生命の価値を軽くする。
それは個々の自衛コストを引き上げ、社会の維持コストを跳ね上げる。
それを防ぐための安全装置として、人類の歴史は、倫理・感情・宗教・教育などを構築してきた。人間であるとはつまるところ、そうした安全装置を内包した社会性を獲得できた者たちである。
殺人鬼たちは、その安全装置を、失っている。持ちえない。あるいは無視できる。
人の間からはみ出したもの。
やがて、そのうちの一人と、情報屋は幾たびか会うようになった。
これは、情報屋にとって、ひどく珍しいことだった。
理由は、曖昧だ。
ただ、その殺人鬼は、情報屋が出会った中で、一番「人の間にいない」存在だった。
「ねえ、情報屋さん。ぼくにはね、人が、物語のようにしか思えない。
それは銀幕の向こう側、見えていて、けれど手の届かないエアレンデルだ」
殺人鬼、というには、ずいぶんぼんやりとした男だった。
男の言葉は、情報屋の心に響いた。
それは、生まれてはじめての、好意だったのかもしれない。
はぐれもの同士の、交感だったのかもしれない。
けれど。結局、情報屋は、人間ではなく、人だった。情報屋だった。
だから、その殺人鬼の情報を求める組織との取引にも、他の仕事と同様に応じた。
そして、取引の日。
顧客であるはずの組織の一員の代わりに現れたのは、丸顔の殺人鬼だった。
「ごめんね。僕も、君の話は好きだったんだけど」
自分が、男に何をされたのか、わからなかった。
「でも、君の物語のことは、忘れないから」
とにかく、そうして、情報屋――私は死んだ。
ああ、これは走馬燈だ。
死の直前に顧みる、人生の回顧録だ。
映写機が止まる。
スタッフロールが流れる。
人間になれなかった私だが、関わった人間はずいぶんと多かったらしい。
見覚えのある名前が現れては消える中で、私は隣の席の男を見た。
丸顔の殺人鬼。
私を殺した加害者だった。
「――それが、あんたの能力か」
人の走馬燈を盗み見る、覗き屋の力。
男は私の質問に答えず、代わりに感想を語りだした。
まるで、映画館から出た友人同士で感想を語り合うように。
「すばらしい。主人公はあれだけ過酷な環境で育ったのに、それでも人への希望を捨てなかった。彼女は自分を「人間ではない」と断じていたけれど、それは違う。自分の非人間性と、人の中にあろうとする心の矛盾こそ、人間という命のあり方にふさわしいものだと思う。もちろん、本人にとってそれが幸せなあり方ではないけれど、気高く、誇り高い生き方だ。なにより、公正であろうとすること、感情と行動を切り離して自らを律しようとする姿勢は、彼女が生きてきたこれまでの時間の価値を守ろうとすると同時に情報屋のプロフェッショナルな意識の発露で、結局それが彼女の物語の幕引きに繋がってしまうのだけれど、高潔さ故に彼女の破滅が不可避だったという筋書きも、ぐっとくるね」
いつにない熱のこもった語り。
それは、祝福だった。
人と触れ合っても、人の間に交わることができない。
そんな疎外感が影のように付きまとう生だった。
それを丸ごと、この男は肯定した。
その物語は、その苦しみは、よきものであったのだと。
少なくともこの男にとっては、意味があったのだと。
何か、憑き物が落ちたような気分で、私は、殺人鬼に呼びかけた。
「ねえ、オムニボア」
「なんだい?」
そして、まばたきすらせずこちらを見返す男の瞳に、私は手にしたナイフを突き立てた。
眼球を貫通し、ぶちんと弾ける感覚のまま眼窩を抉り刃を回転させる。
二度、三度と力を込めて押し倒し、馬乗りになり、今度は胸に刃を幾度も振り下ろす。
ふざけるな。
なにが祝福だ。
なにがよきものだ。
なにが意味があっただ。
おまえが、私を殺したのだ。
それだけじゃない。私の抱えてきたもの、隠してきたもの。
心の傷も。鬱屈も。絶望も。慟哭も。初恋も。
全部全部暴いて。
それを、フィクションを見るような他人事で評論して。
最悪だ。最低だ。殺人よりもなお悪い、尊厳の蹂躙だ。
許せない。許せるはずがない。
刺す。切る。抉る。千切る。引きずる。
赤く染まる刃と指。自分の指が折れるほどの力で、私はオムニボアの体をずたずたに引き裂く。呼吸が乱れる。心臓の音が聴覚を支配する。
部屋に明かりが灯りはじめる。
どうやらこれで走馬燈の上映はおしまい。
今の私が、死亡直前の魂なのか、オムニボアの能力の創り出した疑似人格なのかはわからないが、これでお役御免なのは間違いないだろう。
子どもが食べそこなったピザのような、赤い残骸を見下ろして、私は息をついた。
きっと、この八つ当たりは無意味なのだろう。私はもう、死人なのだから。
「……つまんない。気持ち悪い」
初めての人殺しの感想は、そんなものだった。
殺人鬼ってやつは、どうしてこんなことを、繰り返すのだろうか。
まあいい。
名もない被害者の物語はこれで終わり。
ここから先は、最低の、殺人鬼の話だ。
どうか、あいつが、満ち足りたりしない、最低の死に方をしますように。
魔人、オムニボアは、路地裏で、今殺したばかりの情報屋を見下ろした。
男は世界を思い込みの力、中二力によって歪める超能力者だ。
能力は『ソーマの幻灯』。
殺した相手の走馬燈を垣間見る、ただそれだけの力である。
走馬燈の共有は、実時間とは切り離された時間軸……刹那に行われる。
情報屋とオムニボアとの『劇場』での心象風景における邂逅は、ほんのまばたき程度の時間にも満たないものだ。
そして、彼は自分の能力を口外しない。
彼は、第三者からの観測において、通常の物理法則で殺人を犯すだけの「普通の殺人鬼」に過ぎない。そこにはエンターテイメント性も、見栄えのある殺し方もない。
殺人鬼ランキング最下位『オムニボア』。
殺人を嗜好するのではなく。
殺人を手段とする男。
魔人能力を用いて殺人をするのではなく。
魔人能力の行使のために殺人をする殺人鬼。
命の価値を解せず。
人の物語を蒐集する最低の異常者である。
「――うん。いい物語だった」