『生命のありか』
魔人・夜目 利造(よめ きくぞう)は殺人鬼である。
周囲の暗さを増幅して人々の視界を奪い、自分だけが一方的に真昼のような視界を保つ『暗黒明晰夢(ダークライ)』の能力を持ち、夜に紛れて狩りを楽しんでいた。
今夜も人生の光を謳歌しているであろう、キラキラした女を闇に引き込んで楽しもうとしていたところである。
同類と鉢合わせたのは初めてのことだった。
「この女はオレが先に手ェつけたんだ。早い者勝ちだろ、横入りすんじゃねェよ」
女は能力による暗闇に囚われた状態で、脚に入れた切れ込みからの出血で動けずにいる。
普段はきらびやかな人生を送っている人間が、暗闇の中で一人、ゆっくりと衰弱し死んでいくのを眺めるのが好きだった。
こうして睨み合っている間にもお楽しみの時間が減ってしまう。
相手は丈の長い黒衣に、くちばしの張り出した仮面… あれはたしか、ペストマスクだったか。
目線も表情も隠され、こちらの牽制の言葉にも微動だにしない。
ただ同類と確信できるほどに、濃い血の匂いが漂っていた。
「趣味が合うかは知らねェが… こう堂々と見られたら、もともと逃がす選択肢もねェやなァ!!」
ナイフを半身に突き出し、夜目は倒れ込むように地面を蹴って跳びかかる。
黒ずくめのペストマスクも得物を抜いた。
ナイフよりも小ぶりながら鋭く薄い刃…… メスか。
「だが残念ッ!!」
『暗黒明晰夢(ダークライ)』発動。
ペストマスクの視界が真っ暗に染まり、ナイフの軌道が消える。
次の瞬間、黒衣の下の腿を深く、刃が通り抜けていた。
「あァ……!! たまらねェ……!!」
街灯から外れた夜闇の中、吹き出る鮮血を夜目だけがはっきりと視界に捉えていた。
一人占めだ。夜目の気分は恍惚として、その残虐性も加速的に高まっていく。
「暗いだろォ!? 見えねェだろ! そのまんま明るいところに戻れると思うなよォ!!」
辛うじて振るわれたメスの見え見えの軌道を悠々と避け、マスクのくちばしを切り落とす。
さらに刃先を立て、左の眼窩を一突き。
眼球に刃が通り、ぷちっと小気味良い手応えが伝わってくる。
夜の視界は。この光景は。オレだけのものだ。
夜目は絶頂する。
「さァまだ動けるか!? 次はそっちの足か、それとも腕の方か! もう片っぽの目玉は抉り出してやろうかァ!!」
獣じみた高揚にトーンの上がった声と共に、再び夜目が地面を蹴る。
ナイフがひるがえる。
「――――あァ?」
切り裂かれたペストマスクの顔めがけ、再度跳びかかったはずが距離が縮まらない。
それどころか視界がゆっくりと斜めにスライドし、傾いていく。
「――あ痛ッたァ!? あ…? はァ? なんだこりゃァ……!?」
90度に倒れた視界と、激しく頬を打つ硬い感触に夜目は素っ頓狂な声を上げた。
ペストマスクは… いや、切り裂かれ穴の開いたそれを外した男は、夜目の方へ見向きもせずに地面に向かって屈んでいる。
もぞもぞと蠢く何かの固まりを、さくさくと手元のメスで切り裂いていくのが見えた。
あれは――
「オレの…… 体……?」
夜闇の中でも真昼のように見渡せる、良過ぎる目が災いした。
夜目は自分の体が干物にされる魚のように腹から開かれ、内臓を一つ一つ切り取られては品定めされる光景をまざまざと見てしまった。
目を逸らすことはできなかった。
何せ夜目は首だけになっていたのだから。
「不摂生、生活習慣の乱れか… 質の悪い内臓ばかり。アテが外れてしまったな」
黒衣の男、肉丘 紡(ししおか つむぐ)は天気の感想でも漏らすように呟いた。
心臓が、肝臓が、腸が。
開きになった体の横に、雑に転がされていく。
「何やってんだお前ェ……! つーか何も痛くねェし、何なんだよこれェ…… ヒッ!?」
精一杯ドスを効かせた抗議に振り向いた顔を見て、夜目は上ずった悲鳴を漏らす。
目の下から鼻まではフサフサした体毛に覆われ、大きく前に突き出している。湿った鼻先はしきりにヒクヒクと蠢く。
さらに鼻の下から唇までの皮膚はカサカサとぎらついた鱗に覆われているのだ。
「ああ… そこまで不自由はないつもりだったけれど、これはさすがに具合が悪い。ちょっと失礼しますよ」
今しがた潰されたばかりの左の眼球が、夜目の顔を覗き込んだ。
首しかないのに不自由ない呼吸が一気に詰まる。
メスの刃先が眼前に迫り、視界が半分になった。
「これは… さすがに上等だ、素晴らしい。こんなに暗い中でもよく見える。中身の方と違って、手入れも行き届いているようだ」
ぼとり、と黒衣の足下に肉片が落ちた。
潰れた左の眼球とその周辺の肉だ。
そして異形の顔の男の左の眼窩には、夜目の自慢の眼球が収まっていた。
「お、お前それ…! 返せ! 俺の目玉! だいたいなんでお前、どうやってオレのことォ!!」
「はあ。見ての通りの能力で。医者をしていたからか、切るのもくっつけるのも自由でしてね」
魔人能力『ライフライブ・パッチワーク』。
置き替えられた鼻は警察犬にも用いられるシェパード種のもので、その嗅覚は人間の数千~1億倍とまでいわれる。
鼻下の鱗に備わっているヘビのピット器官は熱を感知し、サーモグラフィーのように周囲を知覚する。
そして今、欠けた眼球はより優れた夜目のものへアップグレードされたことになる。
「それでも知覚できるだけではキミのような身のこなしに追いつけないのでね。通り道に刃を置いて待たせてもらったよ。おかげで痛い思いをした」
淡々とした状況説明に、夜目は自分こそが罠にかかった獲物だったことを理解した。
そして残された片目の視界に、切り裂いた黒衣の下の腿の傷も跡形なく塞がっているのを見てしまった。
その周辺の、色の違う皮膚が混ざりに混ざったモザイク模様をも。
今までにどれほどの生き物を端材にして、自分の体をツギハギしてきたのか。
自分もその一片になってしまったということなのか。
「わかってもらえたようで。では、もう片方も… キミの体で価値があるのは、その眼球だけのようだから」
「い… 嫌だ……!! 嫌だァァァァァーーーーッッッッ!!!!」
自慢の視界を全て奪われた夜目は絶叫したが、その声すらも。
下顎と舌を切除され、途切れさせられてしまった。
※ ※ ※
『暗黒明晰夢(ダークライ)』による闇が晴れ、出血で朦朧とする意識の中。
女は自分を見下ろす、黒衣を纏った異形の男を見た。
「辛かったね。こう見えても僕は医者だったんだ。安心していいよ」
犬の鼻にヘビの鱗がかさついて、歪んでしまっていたが、それは確かに笑顔だった。
女は思わず涙ぐんだ。
「痛くないように、丁寧に解体してあげるから」
※ ※ ※ ※ ※
生命とは、肉体のどの部分に宿っているだろうか。
個人としての人格は、その全てが脳に集約されている。
対して生命とは肉体の全てのパーツ、細胞全てに宿っているものだ。
医師として、肉丘 紡はそう考えている。
「可苗衣(かなえ)、いい子にしてたかい。取り替えの時間だよ」
12歳、いや13歳になっただろうか。
玄関まで出迎えてくれた娘の体を、紡はふわりと抱き返してから声をかける。
「今日はいい目が手に入ったんだ。片方はパパが使ってしまったから、揃いにはできなかったけどね」
手を引けばヨタヨタと頼りない足取りで、しかし素直についてくる娘の体を、紡はゆっくりと先導する。
いつものように入念な消毒の後、元はリビングのテーブルだった簡易手術台へ娘の体を横たわらせ。
そのまま淀みなく、さくさくと。
やや色の褪せてきていた左の眼球を切除。そこへ手に入れたばかりの夜目 利造の眼球を差し入れる。
『ライフライブ・パッチワーク』の能力により夜目の眼球はすぐに娘の体の支配下に入り、きゅっと紡の方を見つめ返した。
「うん、思った通り。瞳孔の動きが活発になったね」
ふい、と視線を傍らに移す。
培養液の中に、最愛の娘の脳がふわふわと浮かんでいた。
最愛の娘、肉丘 可苗衣(ししおか かなえ)は半年前、臓器移植後の拒絶反応によって命を落とした。
手術は完璧で、紡に落ち度はなかった。
同じ悲しみを分かち合った妻も、紡を責めることは一切しなかった。
それでも、紡には娘の死を受け入れることができなかった。
そうして『ライフライブ・パッチワーク』が発現した。
この力で、娘を今度こそ助けてやりなさいと。
そのために授かった力だと、紡は疑わなかった。
生命は肉体の全てに。細胞全てに宿っている。
事実、生きた肉体のパーツと無機物を接合しても、無機物部分も血が通ったように動かすことができたのだ。
つまりは。
娘の肉体を完璧に健康に、生命溢れた状態に造り直し、そこに娘の人格の全てを司る脳を戻してやれば。
肉体の生命が脳に分け与えられ、可苗衣は蘇えるに違いない。
そのためには娘の体が腐敗するよりも早く、新鮮な細胞を取り入れ、肉体に生命を巡らせていく必要がある。
だから、新鮮なパーツが必要だった。
ドナー提供される臓器などより、もっと新鮮で生命に溢れたパーツが。
そのために同僚を、患者を、道行く人を、妻すらも。
パーツの提供者とした。
「ああ、頬が少し引きつってしまっているね。マッサージしておこうか」
放っておくとふらふらと部屋中を落ち着きなく歩いてしまう娘の体を後ろから抱え、ソファに腰掛ける。
頬に手を添えるとたしかに血の巡りを感じるが、健康な肉体と比べればやや体温が低く、ひんやりとする。
頭部周りは劣化が早い。きっと頭蓋が空っぽだからだろう。
だから頭部の重量が足りず、人体としてのバランスも悪い。
しかし娘の人格の全てを集約するそこへ、一時の間に合わせとはいえ代替品を詰め込むことはできない。
それでも、きっともう少し。もう少しなのだ。
しかし。ああ、しかし。
どこかで、もう一人の自分が冷たい目で見下ろしている。
数えきれないツギハギのパーツと生命の混ざり合ったそれは、果たして愛する娘なのか。
肉体に宿る生命に連動して脳を生き返らせるなど、夢物語なのではないか。
そして同じように。
調達のために体のパーツを取り替え、攻撃的な肉体になっていく僕は。
生きた人間を部品の培養所として見るようになった僕は。
娘が復活を果たした時、かつての僕は、僕の中にどれほど残っているのだろうか。
「大丈夫だよ可苗衣。もうすぐだ。パパが完璧に元気な体を作って、すぐに戻してあげるからね」
膝の上で無邪気に脚をぶらつかせる肉体と、培養液の中の生体脳。
最愛の娘に向けた笑みには、どちらも応えてはくれなかった。