「突撃!隣の廃墟さん!
……ってコトで今回は、なんと池袋に来ております!」
副都心、池袋――その片隅。
華やかな大都市から忘れられたように、主を失った建造物が立ち並ぶエリアがあった。
人の営みがおおよそ感じられない領域に、似つかわしくない明るい弾んだ声がかすかに響く。
声の主は『ムギスケ』と呼ばれる青年――
日本各地の廃墟に侵入してのレポート企画『突撃!隣の廃墟さん!』が当たり、
チャンネル登録者5桁を超えた廃墟探訪系動画配信者である。
頑丈なリュックを背負い、自撮り棒を巧みに操りながら周囲の風景と己の姿を収めていく。
「いや~、大都市池袋にこんな廃墟群があるなんて驚きですよね。
それじゃ、さっそくおじゃましましょう!」
ムギスケが、手慣れた様子でひときわ古びた廃墟へと足を踏み入れる。
玄関に『水崎医院』と書かれた、廃病院へと。
――このときの彼は、気づいていなかった。
今撮影している動画が、彼の遺作となることを。
そしてそれが、登録者の目に触れることが、決してないということを。
「消毒液の匂いがかすかにギュンギュンします。
病院ってやっぱ特別感がありますねえ」
建物の中に踏み入り、ぐるりとインサートを撮影する。
受付を一通り撮影して回り、先に進み――
診察室と思しき、一番手前の扉に手をかけてゆっくりと開く。
「……おや、飛び込みの患者さまですか?」
扉の向こうには――真っ赤な医者がいた。
「すいません、まさか人がいたなんて……っていうか、現役の病院だったなんて」
建物の外観に反し、改装され清潔に保たれた部屋の中。
ムギスケは居心地悪そうに、患者用椅子に腰かけていた。
「いえいえ、構いませんよ。たまにいるんです、勘違いされる方が」
くすりくすりと、穏やかな笑みを浮かべる男性――
水崎紅人は、珍客に対して紅茶を差し出していた。
「なにぶん、私一人で運営している病院ですので……
建物を買い取ったのはいいんですが、なかなか改装に手が回らないんですよ」
はあと気の抜けた相槌を打ちながら、ムギスケは勧められるまま紅茶のカップに口をつける。
廃墟探訪というコンセプトである以上、今回の動画はボツになりそうだな、と内心でボヤく。
これまで、幸運にも廃墟で他者と出くわすというトラブルに見舞われなかった上に
初めてのケースがコレなので、ムギスケも困惑を隠しきれていなかった。
そんなムギスケの困惑と緊張をほぐすように、紅人は様々な話をしていく。
「なかなか患者が来ないんですよね」「場所が場所なので宣伝もしにくいですし」「もっぱら往診が主なので生計には困りませんが」などなど。
ムギスケも、次第に話に引き込まれ、気づけば時計の長針が半周していた。
「ああそうだ、これも何かの縁ですし、ちょっと診察して差し上げましょうか?」
「え、いえいえ大丈夫ですよ!お構いなく!そろそろ帰りますんで」
ムギスケが申し出を固辞しようと、椅子から立ち上がろうとした途端、前によろめく。
「あ、れ?」
足に力が入らない。妙に眠い。
床にぶつかるより先に、医者が倒れるムギスケの身体を支えた。
「……ほら、ダメじゃないですか。親御さんに習いませんでしたか?
知らない人に勧められたものを、口にするだなんて」
先程までと変わらぬ穏やかな口調で、紅人はムギスケの迂闊を責める。
その叱責とも侮蔑ともつかぬ言葉を、ムギスケは遠のく意識の中で聞くことしかできなかった。
「……え?」
ムギスケが意識を取り戻したのは、堅い医療用ベッドの上だった。
服がいつのまにか、入院患者が着るローブに替えられている。
右手首には点滴がつけられ、何らかの薬を流し込まれている。
かすかに腹部が痛んだ気がして、思わず下腹部を触ってみる。
明らかに、開腹手術を施された形跡があった。
縫合糸の感触、ふさがりきっていない傷の生々しい手触り、微かな鈍痛。
声にならぬ絶叫をあげ、ムギスケは点滴の管を引きちぎり――逃げ出した。
点滴の針と管を無理に外したせいで、右手首からぼたぼたと血が垂れ、ずきずきと痛むのもお構いなしだった。
枕元にまとめてあった私物を回収し、病室を飛び出る。
痛みと恐怖の中で、ムギスケは深く後悔した。さっさと帰るべきだった。
まともな医師であるなら、再開発が断念され続けているエリアに居を構えるわけがない。
廃墟の内部だけ改装して、最新設備が完璧に整っている病院がふつうであるわけがない。
いきなり現れた闖入者を、笑って出迎える善良な人間がこんなところにいるわけがない。
そんな当たり前の常識すら、鈍麻していた。
だが、度を超えた恐怖と混乱、己に降りかかる理不尽への怒りが、かえってムギスケの思考を冴え渡らせた。
――自分は、瘦せても枯れても動画配信者だ。
ならばせめて、この病院の闇を、あの男の悪意を衆目に晒し暴かねば。
撮影用タブレットを取り出し、電源を入れ――撮影を再開した。
病院の入り口に回れ右をして、病院の奥へと進む。
先程まで自分の腹を裂いていたであろう手術室には、まだ血腥さがあった。
吐き気を催しながら、ムギスケはさらに奥に踏み入る。
入り組んだ通路の扉の中を開き、余すところなく撮影する。
そして、冷気の漂う最奥部――『保管室』と書かれた部屋の扉を開いた。
「ひっ……!?」
漏れる悲鳴を押し殺す。
中にあったのは、簡素なベッドに横たわる多くのヒトの姿だった。
一人二人どころではない。ざっと目視しただけでも、両手両足に余る数――
どう考えても治療中には見えなかった。もれなく全員、死体であろう。
だが、これを動画に収めれば、あの医師を糾弾できる。
そう考え、死体の一体にズームアップした――次の瞬間。
被写体が、生気のない目を大きく開き、ムギスケに飛びかかった。
「う、うわああああぁぁぁ!?」
動く死体に、大きく腰を抜かし飛びずさるムギスケ。
その声に反応するかのように、次々と保管されていた者たちが動き出す。
撮影もそこそこに、ムギスケは大慌てで踵を返して逃げる。
十分に証拠は押さえた、あとは脱出するだけだ――
病院の入口、荒れ果てた玄関ホールで。
ムギスケは、全力で足踏みをしていた。
「え?あ、なんで、ああああ」
逃げ出そうとする己の意思に反して、足が前に進まない。空転する。
何が起きている?早く逃げないと、死体が追いついて――
「いけませんねえ、入院患者さん?」
聞きなれた穏やかな声に、背筋が凍り付く。
かつ、かつ、と靴音を響かせて――地獄の主治医が、ムギスケに近づく。
「本当なら、もっとじっくり治療したかったんですが……
治療の途中で逃げ出すような方は、私の患者たる資格はありません。
というか、困るのですよ。私の根城を配信などされてしまっては、ね」
振り向きたいが、身体が動かない。恐怖からではない。物理的に、動かせない。
「ああ、ご安心を。あなたの内臓は健康そのものです、何一つ欠損はございません。
念のため言っておきますが、別に臓器売買で儲けているわけではありません。
あくまで、ソレは私の趣味です。定期的に見たくなるんです、ヒトの内臓が」
紅人の言葉も、どこか上滑りするように耳に入らない。
ムギスケの顔は、絶望と恐怖に歪み、丸めたアルミホイルのようになっていった。
「逃げ出せないのはなぜか、不思議でしょう?
私の魔人能力『凶行裁血』って言うんですけどね、血液が付いたり含まれたものを自在に動かせるんです。
便利ですよ、無能な助手を雇うことなく開腹手術ができますから」
紅人がムギスケの背後から、肩に手を添える。
ムギスケの口からは、力のない笑い声が漏れ始めていた。
「う、ふっ、うふふふへへへ……」
「ああ、気づきました? 開腹手術ですからね、輸血が必要でしょう?
ほんの1リットルほど、事前に保管していた私の血液を輸血して差し上げたんです。
先程あなたが出会った方々と同じですよ」
くるり、とムギスケが紅人に向き直る。本人の意思ではない。
体内に循環する己の血液を通じて、紅人がムギスケの肉体を支配している。
「さあ、それじゃあ治療を終わらせましょうか。
手術動画、きっといい出来になるでしょうね」
片眼鏡の奥の瞳を、妖しく紅く輝かせ――水崎紅人は、最高の笑みを浮かべた。
人気動画配信者・ムギスケの最後の動画は裏サイト『NOVA』で独占配信され――
ムギスケの配信動画史上最高閲覧数を叩き出した。
本人がそれを喜ぶことは、二度となかった。