轢殺の度に血潮が舞う。僕の鉄に紅がさす。
累積する21.3g分の荷重が一の生に罪を問う。
人の道を外れぬなら、傾けるべきは恨み節。
────あ々、無情。
慰みの怨嗟さえ、響く魔笛が貪り喰らう。
人道外れた一方通行、食物連鎖の袋小路。
罰が下るその時まで、死に背き続けよう。
生きること、それが理由になると信じて。
--・-- ・- --・-・ ・-・-- -・--・
「いっけなーい! 遅刻遅刻!」
一つのリボンでまとめられた髪が、肩先でふわふわと風に揺れている。
朝8時、制服姿の少女が通学路を全速力で駆けていく。
彼女はリボンと同じ色をした空色の瞳を輝かせながら、池袋へと向かっていた。
「ああっ! もう……楽しみすぎるよぉ~」
少女――水織姫子の向かう先は学校ではない。
彼女の目的は登校ではなく、NOVAの企画した殺戮ショーに殺人鬼として参加することだからだ。
かつてない規模になるであろう祭りが盛り上がることは間違いないが、それだけのリスクも存在する。
普段とは違って他の殺人鬼も集う性質上、姫子自身が被害者になる可能性も十分に考えられるからだ。
だがしかし、その恐怖をも上回る期待が姫子の胸を高鳴らせていた。
「今日! そろそろ出会えるよね? 運命……白馬の、王子様!!」
それは彼女が最も期待しているものは殺しの舞台ではないからだ。
姫子の持つ能力を利用した占術――出会いを暗示するカードが、姫子の手の中で光を放っている。
先行して現場に潜む殺しのアドバンテージをかなぐり捨て、彼女は出会いを優先していた。
「『あの曲がり角でぶつかった相手に食べられちゃうかも!?』――それってさ、そういうことだよねぇ!? ファーストインプレッションが最悪だった二人は戦場で再開、一時は敵対するも利害の一致で行動を共にするの! 笑いあり、涙あり、殺しありの数日間を吊橋効果にして互いを意識しだしたり、闘いの後火照った身体をお互いに慰めたりなんかしちゃったりして! 初めての共同作業はケーキ入刀じゃなくて人体入刀でしたなんて創作の中だけの話だと思ってたけど、鉄板のシチュエーションだからこそ現実でもありえるってことだよね? たまらん! ああ未来の旦那様、対戦よろしくお願いしま――――」
一人、妄想に耽っていた姫子が曲がり角から飛び出した先。
彼女の瞳に映ったのは白馬の王子様ではなく――
――純白の、大型トラックだった。
「お"、ごぇ」
姫子の身体がきりもみ宙を舞う。
その勢いはトラックの直線上にあった信号機まで粉砕するほどに凄まじく、止まる頃には人の形すら失われていた。
間違いなく、即死だった。少女は一瞬にして命を失うこととなったが、悲劇はそれだけでは終わらない。
『あれ、わたし、とけぇぅ……』
変異種である野生の暴走トラックは魂を餌として捕食する。
身体から無理矢理引き千切られた姫子の魂は、トラックの荷台の中で消化されていた。
死によって途切れた彼女が意識を取り戻すまでの一瞬。それだけで彼女の魂は既に半分以上を失っている。
それから数秒、眩しい程煌めいていた彼女の存在がこの世界から永遠に失われた後。
かちかちと満足そうにハザードランプを点滅させる暴走トラックの操縦席――当然誰も乗っていないそこには、消化されないまま残った二つの魂が存在していた。
『今! 今誰か轢いたって!』
『あは、多分燕とかッスよ』
『そんなんで騙されるかァ!!』
二人が白と名付けたこの暴走トラック本体の魂には、先程の一瞬で捕食したであろう魂の残りかすが張り付いている。
トラックにとって殺人とは食事で、運命を共にすることになった目の前の少女にとっては人の死もただのコンテンツなのであろう。
だがしかし、身体の主導権を握っていた青年は罪の意識を感じずにはいられなかった。
野生の暴走トラックとして生きていく以上、人を殺すことは避けられない。
青年は決して善人という訳ではない。必要なら、躊躇なく人を殺せる自信もあった。
『だけど事故はさぁーッ! せめて覚悟させてからにしてくれねーかなあ~~~ッ!!』
『これから死ぬ程殺すことになるんスから、1人ぐらいの死体は誤差ッスよ』
『0と1は誤差じゃないんだよ! 俺はこの前までゴールドだったんだからな?』
『じゃあ今日はいっぱい殺して金貰いましょうね』
こんな筈ではなかった。
青年、防鼠ウトラクは頭を抱えずにはいられなかった。
数日前まで彼は魔人ですらない常人であり、当然裏の世界とも無縁の生活を送っていた。
ああ、あの時身体が動かなければ。
ショックを受けているウトラクの脳裏には、過去の出来事が再び過っていた。
・-・・・ ・- --・-・ ・- --・-
その瞬間身体が動いたのは、理屈なんかじゃなかった。
それは良いも悪いもなく、ただ落とし物に手を伸ばしてしまうような、脊髄反射だったのかもしれない。
でも目の前で死にそうな人が居て、自分が手を伸ばせば届く──助けるのに、それ以上の理由は必要ないと思ったのは確かだ。
とにかく、俺はトラックに轢かれそうな目の前の少女を突き飛ばし、代わりに暴走するトラックの餌食になった。
不幸中の幸いか、不思議とその時の衝撃は記憶には残っていない。
もしかしたら痛みすら感じることなく、俺の意識は一瞬で刈り取られたのかもしれない。
気付けば俺の意識は既にトラックの中に囚われていて、その時にはもう助けた少女の姿もどこにも無かった。
今の自分は精神体か、あるいは魂だけの存在になっているのだろう。
仇の顔でも見てやろうと意識を移動させてみたものの、運転席には誰も乗っていなかった。
一人も生者が乗っていないにも拘わらず、トラックは今もひとりでに動き続けている。
『このトラック、何か変……?』
冷静になってみれば、この空間の異常はそれだけではなかった。
現実のトラックと重なる様にして存在している"何か"の魂。
それは、明確な敵意を持って、俺を、認識し続けている――
『うおおおおおおおおーーーーーーーーッッッ!!!!!』
暴走トラックによって殺されたことによってこの場所に閉じ込められているとするのならば。
今居るのはただのトラックの中ではなく、人間を殺すための空間なのだろう。
一刻も早くここから逃げなければならないが、それをすることは不可能だ。
ああ――この空間には、出口が無い。
『ドア無ァァァァァァァァァァァイッッッ!!!!!!!
クソがァーーーーッッッッッッッッ!!!!
ドア無えぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
折れそうな心を怒りで震え立たせ、トラックの窓を力一杯叩き続ける。
渾身の力を込めた文字通り魂の一撃も虚しく、現実にはなんの影響も与えられない。
それでも俺は、車体を叩き続けた。
魂が物質に干渉出来ないとしても、同じ魂にならばダメージを与えられるかもしれない。
藁にもすがる思いであったが、死を目前にして何もしないという選択肢は無かった。
何度も拳を振り上げる。
何度でも、何度でも。
しかし、現実は何も変わらない。
――変わったとすれば、それは自分自身だった。
命の危機を目前にして、脳が安全装置を取っ払い、身体の限界を超える事象がある。
所謂火事場の馬鹿力と呼ばれるそれは、どうやら魂だけの存在になったとしても変わらないらしい。
『……〝トラック・トリック〟』
トラックから脱出出来ないという事実は変わらない。
だがしかし、もうこの空間に捕食されることもない。
今、俺の魂はトラックに捕らわれているのではなく……憑りついている。
人としての枷を外し――魔人と呼ばれるそれに、俺はなっていた。
・・・ --- ・・・
トラック・トリック。
憑りついたものを操る能力こそが、俺が魔人になって手に入れた能力だった。
便利ではあるが、万能ではない。
憑りついた対象が死ぬ時、自分の魂も同じ様に影響を受けてしまう。
……つまり。トラックに憑りつくしかない以上、暴走トラックとして生きていくしかないということだ。
こんな姿になっても俺は死にたくはない。
覚悟がいる。
かつての同族を……大勢の命を奪ってでも生きる、そういう覚悟。
『切り替えろ……今、すぐに』
その決意を、決められた筈だった。
あの時の自分なら、それが出来た。
しかし、それを見た瞬間、俺の思考は止まってしまった。
数メートル先、先程助けた少女の姿と――彼女に迫る、漆黒の大型トラック。
言い訳をさせて貰えるならば。
その瞬間身体が動いたのは、理屈なんかじゃなかった。
それは良いも悪いもなく、ただ落とし物に手を伸ばしてしまうような脊髄反射だったのかもしれない。
でも目の前で死にそうな人が居て、自分が手を伸ばせば届く──助けるのに、それ以上の理由は必要ないと思ったのは確かだ。
……とにかく、俺はトラックに轢かれそうな目の前の少女を突き飛ばした。
トラックとなってしまった身体で。
『……嘘だろ?』
命と引き換えにしてまで助けた少女を、あろうことか自分の手で轢き殺してしまった。
死ぬ寸前、驚愕に見開いた少女の表情が脳にこびりついている。
まさか彼女も死因が黒と白のトラックによる十字砲火だとは想像も出来なかっただろう。
俺にとっても彼女にとっても最大級の不幸ではあるが、一刻も早く意立ち直らなければならない。
唯一の幸運は、今憑りついているのはただのトラックではなく、魂を捕食する機能を持った野生の暴走トラックだということだ。
『頼む、間に合ってくれッ……』
自分が死んだことに悔いが無かったのは、彼女の命を代わりに救えたからだ。
残るのが魂だけだったとしても、彼女だけは殺したくない。
これは好意ではなく、ただのエゴだ。
彼女の事情を無視して、自分が殺したくないというエゴを押し付ける最低の行為だ。
それでも、そうだとしても、もう俺は戻れない。
姿だけではなく、内側も立派な化物としてしか生きていけなくなったのは、何の報いだと言うのだろうか?
『あれ? 私、なんで生きてるんスか?』
『いらっしゃい、説明するよ』
俺は、トラックの中に閉じ込められた彼女の魂を笑顔で迎え入れた。
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『ほら~~、元気出してくださいッス!! これから楽しい楽しいショーの時間なんスからね!』
『……分かってる、切り替えるから』
ハンドルに突っ伏して頭を抱えているウトラクを笑いながら、月が励ましの声をかける。
自分が殺されたあの日、未だ殺しに抵抗を持っている青年の葛藤を少しでも取り除くために月はNOVAの企画する殺戮ショーへの参加を提案した。
民間人よりも戦士の方が、善人よりも悪人の方が殺しやすい筈だ。
そうして彼が殺人に慣れていくことを月は期待している。
生前の彼女はNOVAを視聴する側の人間であった。
興味と憧れから殺す側の世界に飛び込んだ月にしてみれば、この状況は垂涎もののシチュエーションだ。
『トラックとしての参加とはいえ、演出は考えたいッスね。 やっぱりハプニング系とかが受けるんじゃないッスか?』
『ハプニング?』
『皆映える殺人を魅せるために、少なからず演出をすると思うんスよ。 そこに急に大型トラックが突っ込んできて加害者も被害者も全員纏めてぶち殺したら面白く無いッスか?』
『ええ……』
少女の笑顔に青年は引いた。ドン引きした。
暴走トラックも引いていた。彼はこの殺人鬼を轢いていて良かったと再確認した。
暴走トラックが月の意見にクラクションを鳴らして反応し、それならと少女が別の悪意を語り出すのを横目に、ウトラクは一生分の後悔を行わずにはいられなかった。
『おかしいだろ……! どうして命と引き換えに救った少女が暴走トラックよりも倫理観が無いんだよ……!!』
ウトラクの呪詛に応える様に、かちかちとハザードランプが点滅していた。
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プロローグ:善行の報い
おわり