夜11時のファミレス。
卓の注文されたピザやハンバーグは手はつけられずに冷めて、静かに動かない時を刻んでいた。
『こうやって集まるのは初めてかしら、燐』
長い睫がくすりと笑って、伏せ瞳がちでドリンクバーのオレンジジュースとコーラを割って遊んでいる。
人形のように零れる金髪はどこまでも理知的で冷静な、自分自身を完全にコントロールしている女優のようだった。
彼らの母親、吉祥十羅である。
「この場所、前に誕生日に来た事あるけど......」
家政の長女燐(36)を進行に隣に座る長男の炕(35)。母の隣に座る次女の炯(次女)30)。
「あら忘れてた!」
彼女はホホッと、手を口に当てて笑った。
彼らはよほどの事が無い限り激昂しないが今回は違った。
「なんでいっつも勝手気儘にさーいい加減母親らしくしてよ!そのせいで煉はどっかいっちゃったんだから......ッ!」
燐が祈るように訴えた。
「そんなこと私に言われてもー」
十羅の言葉は零度を感じさせた。
燐は怒っている。炕は憤っている。炯は、哀れんでいる。
しかし、彼女には家族関係を改善する気も、バランスをとろうって気も、いや、母性そのものすらないようだ。
この女はネグレクト。悪い言葉を使えば毒親。
彼女が家にいるのは一年の内、十日に満たない。
隣でゲンナリと次女が物思いしている間にも、燐は二度ほど絶叫しているが店員すら黙殺している。
「最近この辺、ホントに物騒で路地裏の喧嘩かなんかに巻き込まれたらホントに危な」
『────ああ、それなら大丈夫。もう、居ないわ』
三人は、まじまじと母を見た。
十羅は懐からクレジットカードをテーブルの上に置いて、
『それじゃ、燐。これ、自由に使ってね』
テクテクと、彼女は店をあとにした。
■■■■■■
東京中を震撼させたある事件から一夜明け、パトカーが忙しなく動き続けている。
直立不動の警官を尻目に、市松模様の外套を纏ういかにも危うい風体した黒人が不信げな視線たちをウィンクでいなしながら規制線を通り抜けようとする。
「コラ!止まれコスプレ野郎!ここは立ち入り禁止だ!」
当然の警察官の制止。
「違う。ここは地獄への一方通行だ」
市松模様のいかにも危ない感じの黒人は警察官たちの包囲網を容易く破る。と、
「通せ、俺が呼んだ」
現場の本田刑事はうんざりしたように言って、右手を軽く振って彼を招き入れた。どうやら彼はおっとり刀で駆けつけて来たものらしい。
「すまんな、タンジェロ。サマンサとの休暇中に」
「Of course.問題ない」
彼の名はカマド・タンジェロ。またの名をデーモン・スレイヤー。
詳しくは別企画ダンゲロスSSエーデルワイスを読んで欲しい。
「現場の害者は手配中の凶悪犯たちばかりで。死んで当然だから別に気の毒にとは思わんのが......まあ、酷い!」
担架も救急車もない。サイレンも遠くへ消え果てた。あるのは死体だけ。
死屍累々の御景色にタンジェロの低い口笛の音が流れ出た。
昨夜の雨で流されても分かる程の大量の血痕の跡。
全身に無数の大小の風孔を穿たれ血流の途絶えたラバータイツの怪人。
中には出鱈目に切り刻まれてて下半身や足首だけが今なお直立不動のままのモノまである。
「Beautiful」
「どうすればこんなに綺麗に斬れると思う?」
「......さあ、俺も聞こうとしていたところだが」
「......お前でも無理か?」左瞳がぎらりと光る。
「俺じゃない────もしかして疑われてる?」
「冗談だよ」
形式的な確認を一つか二つして、本田刑事とタンジェロは大声で笑い合った。
今回のヤマは太陽剣の使い手にして、警視庁きっての斬術の専門家をもってしても首を傾げる始末である。
「タンジェロ。それと見て欲しいものがある」
現場で鑑識作業をする科捜研の技術士の操作するモニタ端末からある映像が映される。
「回収されたドローンには自爆プログラムが組み込まれていて、修復して取り出せた映像はこれだけでした。このおかしなドローンの出処も現在追っています」
「これを見つけた時はいつもの怪しいSM集会の悲劇で終わると思ってたんだけどな」
科捜研の男は一人愚痴り、動画を再生させる。
クローズ・アップ────。
ザザ、ザザ────。
神経に障るようなノイズ。
叫び声を発しているのは恐らく殺された凶悪犯たちだろう。
数秒のみの映像に、タンジェロはたちまち凍りついた。
篠突く雨の中を黒い風のようなナニカが動いている。
それはまるで数千羽の鳥のように殺人鬼たちを襲撃する。絶叫は雨の音にかき消されて聞こえなくなった。おそらくは死んだのだろう。
そのまま真っ黒な地面がモニタ画面に灼きついて────映像は途切れた。
科捜研の操作で映像は巻き戻す、すると飛び交うナニカに紛れてようやく数フレームだけ襲撃する犯人の顔が現れる。
本田警部は顬を押さえながら呻いている。
「顔の部分の映像が特に乱れていて顔認証にもかけられていない。もう少し修正できないのか?」
「それがですね......この映像、メモリードライブの損傷ではなく、光学的処理が原因なんです。おそらくこの犯人は赤外線レーザーか装置を使ってカモフラージュしているんです」
「本当にそんな事が出来るのか?」
思わず本田警部が言葉を発した。
事実昨今では、AI技術の発達により認証システムを欺く可視光線や顔検出アルゴリズムを騙す都市型迷彩などが開発され、監視カメラに映る本物の顔を隠すことに成功する事例が報告されている。
「あの殺害現場を見るかぎりとても機械に詳しそうには見えないがな、続けてくれ」
「────タンジェロ。心当たりはあるのか?」
タンジェロは胡乱気な視線を落としたまま、こう呟いた。
「NO。だけど、正体は分かります────────」
犯人のその顔は不気味に歪められている。タンジェロにとって、それはまるで泣いているようにも怒っているようにも見えていた。
「────鬼」