プロローグ「人生で最悪で最後のついてない一日」
「きゃあああああああ!」
暗いオフィスに悲鳴が響く。
(ああ…あれは経理課の松田さんだったかな…)
そんな事を思いながらマミヤは顔を上げた。
目の前には男。
経理部長の富田が倒れている。
左目にボールペンが突き立っていて確実に死んでいた。
「あー…松山さんでしたっけ…いや、その誤解なんです」
そう言いながらマミヤはゆっくりと歩いて行った。
実際、誤解だった。
何故か開いていた金庫から零れた札束を拾い上げたところ経理部長に凄い剣幕で捲し立てられ横領だのなんだのと言われ警察に通報しようとした瞬間。
(あ、これはマズいな)
とマミヤは思ってしまった。
自分の言い訳など通るはずもなく何らかの罪に問われるか誤解がとけてもそこまでにかかる時間は失った職と信用を保証しないだろう事を理解してしまったのだ。
「あーあ」
その時には経理部長の目にはボールペンが突き立ち。
もう横領の罪を追求する者はいなくなるはずだった。
ボールペンを掴んだハンカチをポケットに仕舞おうとして女性の悲鳴を聞くまでは。
「嫌ッ!近寄らな…」
名刺が松田か松山だかの首を綺麗に切り裂き、その声を封じていた。
「騒がれると、その」
返り血を綺麗に避けながらマミヤは崩れ落ちる死体の横を通り抜けた。
「困っちゃいますねえ」
廊下に出てハンカチでドアノブの指紋をふき取る。
なぜこんな事をスムーズにできるのか。
マミヤは要領のいい人間ではない。
しかし、この一連の行動の思考と動作はあまりにも最適で無駄がなく。
そして迷いもなかった。
「おい!そこを動くんじゃない!」
経理部長室は廊下の端に存在する。
ここから帰宅するにはエレベーターのある方向に進むしかないが。
そこに一人の警備員と最新の警備ロボットが2体行く手を塞いでいた。
「監視カメラ…ありますよねぇ」
マミヤの殺人は当然のように警備室で観測されていた。
「もう通報…しちゃってますよね」
ゆっくりとマミヤは警備員の方を向いた。
警備ロボには対魔人用のテイザーガンが装備されている。
ヘビー級ボクサーですら鎮圧できる代物だ。
警備員は拳銃をマミヤに向けた。
「大人しくしろ!」
マミヤは嘆息する。
何故こんなに体が動き。
何故こんなに思考がクリアなのか理解はできない。
ただ面倒だという思考だけが根底にあった。
「すいません、誤解なんです」
そういってマミヤは走り出した。
警備員の発砲した銃弾の軌道は慣れていない者のそれであり当たる事はない。
警備ロボのテイザーガンは発射前に警告音を発していた。
「テイコウシナイデクダサイ!危険デス!」
その音声が発せられた時ロボのカメラのターゲットに人影はなかった。
廊下の壁面を蹴っての三角ジャンプは一瞬で相手の死角を突いた。
警備員が動揺する中でも警備ロボの熱源センサーは素早くマミヤの位置を再補足する。
「すいません、修理費って保険でなんとかなりますよね」
警備ロボの頭部が引きちぎられる。
人間を超えた膂力は魔人覚醒者にはよくある現象であったが。
マミヤはその事を当然のように受け入れた。
考えても仕方ないからだ。
頭部以外にも各種センサーと対人鎮圧装置を備えるロボのスタンガンアームがバチバチと火花を散らしマミヤに向かって繰り出された。
という命令を最後に警備ロボAの電脳はシャットダウンした。
マミヤの持っていた五百円玉が正確に電源ユニットにめり込んでいたからだ。
もう一体の警備ロボBが催涙ガス発射の為の安全装置解除タスクを完了する前に。
マミヤは引きちぎったスタンガンアームをもう一体の警備ロボBに突き刺していた。
「う、うわああ…ガㇵッ!?」
恐怖で叫ぼうとした警備員の首が180度回転して後ろを向きそのまま床に倒れた。
右足を首に絡めて捻ったのだ。
警備員の手からは拳銃が奪われていた
マミヤがジャンプして着地するまで10秒もかかっていなかった。
バンバン!
着地と同時に廊下に設置されたカメラを撃ち抜かれ破壊されていた。
マミヤが銃の扱いを行ったことなどは当然今までに一度もない。
映画やTVのドキュメンタリー番組を見た記憶程度に過ぎない。
「あー…警備ロボのカメラは警備室に転送されてますよねぇ…大変だ」
警備員の持ち物から予備弾倉とスタンロッドを引き抜き。
セキュリティカードを拝借してマミヤは歩き出す。
「えーと、映像を消して、警察に誤報だと連絡して」
指を折り曲げながら自分のやるべきタスクを確認するのはマミヤの癖であった。
ふと何かに気付いたマミヤがズボンのポケットを触る。
「あれれ?どこにやってしまいましたかね」
そう呟きながらマミヤはゴソゴソとスーツの内ポケットを探る。
「あ、タバコを切らしていたのに買い忘れていました。いけません、これはいけません」
社内での禁煙はもはや待ったなしであり喫煙ルームは僅かに一か所しか残ってはいない。
煙草の値上がりも続いている。
酒は嗜むほど。
ギャンブルは僅かに競馬に手を出しているがそれも贔屓の馬を応援しているようなものだ。
それでもマミヤはタバコを止められなかった。
長年好んでいた安タバコである「わかば」や「エコー」を好んでいたが販売終了に伴いラッキーストライクを愛飲している。
「今日はついてないのもそのせいですかねえ、アンラッキーストライクなんちゃって」
そう言いながらエレベーターのスイッチを押す。
チーン。
程なくしてエレベータが到着し扉が開いた。
「え?うわああああああ!?」
たまたま乗っていた社員がマミヤの後ろに広がる惨劇を見て悲鳴を上げる。
SNSでもしていたであろうスマホのカメラがマミヤの方に向いていた。
「アンタ…それ一体な…ガブッ!?」
「あっ」
マミヤが叫ぶ社員の持っていた携帯を奪って顔面にめり込ませるのは一瞬だった。
「しまったなぁ…誤解を解けたかもしれなかったのに」
死体を引きずり出してマミヤはエレベーターに乗り込んだ。
その後。
このビルに残って残業をしていた無辜の社員と警備員が全滅したのはおよそ30分にも満たない時間であり。
ビルの外に逃げ出した最後の一人を殺すところを目撃された時点でマミヤは仕方なく逃走した。
「どうしましょう、家に帰っても仕方ないし。どこかファミレスでご飯でも食べようかな」
片手に持ったビジネスバッグには不運な被害者から拝借した無数の現金やカード類スマホなどが詰まっている。
「どうせ、死んだら使い道もないですし。まあ良いでしょう」
グリャリと踏みつぶして破損したスチール缶で今まさにマミヤを目撃した不運なデリバリー配達員を殺害し。
持っていたピザを齧りながらマミヤは街へと消えていった。
警察は強盗殺人の容疑でマミヤショウゾウを緊急指名手配した。
それは。
誰かにとっての「人生で最悪で最後のついてない一日」の幕切れの始まりだった。