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(読者への挑戦状)
まず初めに、ここに記述されている内容は本編に直接影響のない、作者からのメッセージである。
故に、作品を一刻も早く読み進めたい方は無視していただいて構わない。
さて、読者への挑戦状という表現になじみの深い読者の方々も、ある程度いるのではないだろうか。
現代ではもはや絶滅危惧種の表現であるが、いわゆる『真相当て』だ。
では、このSSにおいて当ててもらうべき真相とは? 言うまでもないだろう。
『アンバード』、そのオリジンの正体についてである。
そのキャラが誰なのかを、真相が明かされる前に言い当てることができたなら――
読者の勝ち、ということになる。
腕に覚えのある方は、是非試してほしい。
なお、一つだけ念を押すようだが、アンバードのキャラ設定にあるように、
『オリジンの正体はプロローグの登場人物の一人である。』
この一文は忠実に守らせていただいたことを宣言する。
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都内某所、某国立大学病院――
「ねえ先生、僕あの葉っぱが散ったら死んじゃうんでしょ?」
「いやいや死なないよ、君のは軽い盲腸だから」
少年が窓の外の木を指さしながら、他愛ない問いを医師に投げかける。
どこか初々しさが抜けない医師は、マイペースな入院患者に翻弄され続けている。
「ふーん。じゃあ、お兄さんが僕の手術するの?」
「いやあ、僕はまだ研修医だからね。今回はお手伝いだけだよ」
「えー、つまんないの。お兄さん面白い人だから、お兄さんにやってほしいなー」
「ははは……大丈夫だよ、お兄さんの先生、教授がやってくれるからね。
君が寝てる間にわるーい病気はちょちょいのちょい、だよ」
頬をふくらませる少年をなだめるように、医師が笑いかける。
「まあ、僕もいつかは教授みたいな立派な外科医になるのが夢なんだけどね」
「へー……じゃあ、僕がお兄さんの夢を応援してあげるね!」
照れくさく笑う医師に、少年が屈託のない笑顔を向ける。
「外科医って、人の内臓を見て切ったり治したりするんだよね!
だから、内臓がもっともっと好きになるおまじない、かけたげるね!」
――少年は、変わらず屈託のない笑顔を向ける。
その裏で、あまりにもえげつなく、おぞましい行為をしていることに――
このときの医師が気付くことはなかった。
2020/05/12_11:15_都内某所
都内の大学病院で殺人事件が発生。
防犯カメラに、メスを大量に飲み込む被害者の姿だけが映っていたことから、
操作能力を持つ魔人の仕業と断定。
研修医1名が行方をくらましたことから、重要参考人として捜索中。
~~~
関東地方の梅雨入りから一週間ほど経った、ある土曜日の午後。
民自党事務所の一室にて。
「副幹事長、お茶を持ってまいりました」
「うむ、ご苦労」
民自党副幹事長・嘉藤は秘書の差し出した玉露を受け取り、深く息を吐く。
「……山中先生は大丈夫でしょうか」
「さあな……彼の頭脳と技術は、まだ失うわけにはいかんのだがな」
あと茶の間の人気もか、と冗談を独り言ちて茶を啜る。
山中伸彦――大学教授であり、高名にして高潔な医師として知られる人物である。
しかし、その本性と本心を知る者は少ない。
……そして、ここにいる政治家こそがそのうちの一人、ということになる。
魔人の排斥という目的を共有する同志として、嘉藤は明日の作戦の成功を祈り――湯呑を傾けた。
「地方の講演会から戻り次第、明日は直接現場入りするとのことだ。
くれぐれもバックアップを抜かるなよ」
「ええ、委細承知しております」
「何しろ目下の相手は――増殖する殺人鬼、なのだからな」
闇サイト『NOVA』が密かに開く、殺人鬼共の凶宴。
山中と嘉藤はこれを好機として、魔人の社会的抹殺と治療薬の原材料の確保に動くべく
殺し合いへの参戦を決めた。
ただし、山中伸彦は魔人ではない。ごく普通の中年男性である。
故に、強力凶悪な魔人能力に対抗するには――政治的権力を背景に用意した暴力で対抗する。
彼らのもとに、巷を騒がせる『アンバード』の参戦の一報が届いたのは、数時間前だった。
日に日に増殖する謎の存在が、魔人であることはもはや疑いようもない。
SNS上でアンバードを名乗る者だけでも、数百人。
アイデンティティを剥奪された、駒鳥の群れ。
本体を叩かねば、犠牲が出続ける。
一方で、彼らの裏の目的である「魔人の内臓の確保」において、アンバードの能力は興味深いものといえる。
もし、生きて拿捕することができれば――最悪、能力だけでも解析できれば。
人為的に魔人を生み出し、原材料の確保ができるのではないか?
ただし、そのためには検証が必要だ。
二次的にアンバードになった者、特に元・非魔人がアンバード化した者についてはどうなのか。
それを確かめようにも、アンバードは一般市民の顔をして紛れている。
いかに民自党副幹事長の権力をもってしても、一般人を勝手に解剖する暴挙はできない。
だが、殺し合いの場であれば話は別だ――そもそもが無法なのだから。
標的はアンバードだけではない。
宇宙人を狩るという触れ込みの剣使い『外宙躯助』。
不可解な事件の影に名前がちらつく『ストックホルム』。
池袋に堂々と居を構える非合法医師『Dr.Carnage』。
いずれも悪名轟く魔人である。
彼らを大手を振って処刑できる、絶好の機会。
彼らが暴れれば暴れるほど、魔人排斥の風潮も高まる――
「既にセッティングはしてあります……ですが、やはり一般人が巻き添えになることは避けがたいかと」
「構わん、むしろ多少の犠牲には目をつぶらねばなるまいよ。
そのほうが、世論も魔人の恐ろしさを思い知るだろうさ」
人の上に立つ政治家らしからぬ、人命軽視の発言を慎むことなく――嘉藤は呟く。
「人間を舐めるなよ――魔人ども」
空の湯呑を叩きつけるように置いて、嘉藤は怒りと期待と、どこか歪んだ愉悦の混じった表情を浮かべた。
~~~
同時刻。
都内某所、某国立大学の地下研究室。
主たる山中教授がいなくとも、手足たる研究員たちはせわしなく研究室内を動き回る。
彼らは一丸となって、迫りくる宴に備えていた。
「手術の経過は?」「問題ありません、もうすぐ完了です」
助手筆頭の畑中が他の研究員に問うたタイミングで、
手術室の『手術中』の文字が消灯され、中からストレッチャーが出てくる。
その上には、生気を失ったかのように眠る魔人の姿があった。
地下研究室の存在が秘されている理由は主に二つ。
表向きは、研究成果の持ち出しや盗難の防止。
実際は、生きた魔人から内臓を摘出するという非人道行為の隠蔽のためである。
「なんとか間に合った、というところか……」
「しかし、随分とハイリスクな手段を選びましたね……大丈夫でしょうか」
「何、やれる手は打っておくのが当たり前だ。
我々は、あの方を喪うわけにはいかないのだから」
畑中は、運ばれていくストレッチャーをどこか醒めた目で見ながら呟いた。
~~~
そして、血塗られた戦いが幕を開ける。
池袋最大級のショッピングモール――
地上10階、地下1階、駅や百貨店とも接続する巨大ビルが、惨劇の舞台と化す。
~~~
8階、レストランフロア。
『Dr.Carnage』こと、水崎紅人は――まだ時計が正午の鐘も告げぬうちから、
イタリアンバルで優雅な昼食をとろうとしていた。
2mに迫ろうかという長身と、その身を包む紅い服はいやでも人目を惹きつけるのか、
女性客の中には、気のありそうな視線を向けるものもいた。
「お待たせいたしました。こちらご注文のランチとワインでございます――」
ウェイターが、見るからに高級そうなワインを注ぎながら、銘柄、風味について解説する。
紅人は遮ることなく、満足そうに頷いてみせる。
「それでは、お楽しみください」
「ああ、ウェイターさん。宜しいでしょうか?」
「はい、何でございましょう?」
ウェイターが説明を終え、離れようとしたところを紅人が呼び止める。
「“樽いっぱいのワインにスプーン一杯の汚水を注げば、それは樽いっぱいの汚水になる”、という言葉をご存じでしょうか?
ショーペンハウアーのエントロピーの法則、の一節なのですが」
「はあ…… 申し訳ありません、ワインに何かお気に召さない点でも?」
真意をつかみ損ね、困惑したような表情を浮かべるウェイターに対し、
紅人は淡々と述べた。
「ええ。……せっかくのワインに、青酸カリを混ぜるだなんて」
「!」
ウェイターが紅人のクレームに即座に反応し、懐のナイフを抜く前に――
紅人の投げた注射器が、ウェイターの首筋に突き刺さる。
刺さると同時に中身の液体――紅人の血液がウェイターの血管へと注入されていく。
水崎紅人の魔人能力『凶行裁血』。
紅人の血液が注入されたもの、付着したものは紅人の意のままに操作できる。
慌ててウェイターが注射器を抜くが、もう遅い。
ウェイターが悶絶したのち、口から泡を吹きながら倒れた。
突然の凶行に、驚く客は一人もいない――店員でさえも、である。
こうなることを予測していたかのように、足並みをそろえて客全員が立ち上がる。
店員らも加わり、紅人を包囲し一斉に飛びかかる――!
「……やれやれ。落ち着いてワインも嗜めないとはね」
客と店員一同がびくりと身を震わせ、倒れ伏す。
眉間、首、心臓―― 真紅の液体が満ちた注射器が漏れなく全員の急所を貫いていた。
数分後、痙攣していた犠牲者の群れが、虚ろな表情で
全員店外へと出て、三々五々散っていった。
「……さて、食事が楽しめなかったのは残念ですが、私も向かいましょうか」
もはや誰が食べるでもない、毒入りランチの皿に目もくれず――
紅人は行動を開始した。
~~~
梅雨時の日曜日。
学校勤めの身の上にとって数少ない休息日であり、気晴らしの機会。
久しぶりに本を買い漁ろうと、本屋に足を運んだのはいいのだが――
同伴者が普段以上に馴れ馴れしく、パーソナルスペースを考慮しないスキンシップの図り方をすることに、私は少々辟易していた。
日曜の昼下がり、副都心のショッピングモールともなれば多少の混雑はやむを得ないが……
それにしても近すぎる。
「ふーん。先生、ミステリなんか読むんだ?」
須藤久比人。
私、新堂夢朗の家に転がり込んだ、自称天使の少年が、私の手に取った本を覗き込む。
「お前に俺の趣味を開示する必要はないだろう」
「そんなコト言わないでよ先生、僕と先生の仲じゃんか。
それに、ここは学校じゃないから……生徒と保健医、なんて言い訳はナシだよ?」
「ってことは他人同士だな。いいから腕を回すな、変な誤解を招く」
「……ふふ。意識しちゃってるんだ、先生」
「誰がするか。つーかいいのか、愛の天使様とやらが一人に執着するとか」
「いいのいいの。皆に分け与える愛は別腹なんだから」
「ダイエットできない女子校生の言い訳じゃねえか。ていうか離れろ」
「えー、いいじゃんかー。久しぶりのデートなんだしさあ」
「久しぶりも何もお前とデートをした覚えは一度たりともない。存在しない記憶だ。
俺を東堂葵みたいな変人にするな」
懐かれた親戚のお兄さんと懐いた子供、くらいに見られるならまだしも。
少年の目立つ容姿と、とろけるような声音、そして不用意な発言は周囲の奇異の目を引きつつある。
……いたたまれない。
「……せっかくだしお前も何か読むか?つーか読んどけ、スマホばっかじゃ目と指と脳が傷むぞ」
「えー、じゃあ先生のオススメの本がいいなあ」
私は医学書のコーナーまで歩き、一冊の本を取り出して雑に少年に渡す。
『虚言癖の治し方』
「……先生、それ自分用でしょ」
「お前がオススメの本を選べっつったのが悪い。
お前はもう少し『口は禍の元』って言葉の意味を学べ」
少年が不機嫌そうに本を棚に戻す。
「……つーかさ、先生。昨日どこ行ってたのさ。
学校お昼で終わった筈なのに、帰ってきたのテッペン回ってたよね」
「どこに行こうが勝手だろう。というか俺の家でずっと待ってたのか」
「そりゃあ、指名手配犯だからさ。先生のところに帰るしかないじゃ……むぐ」
指名手配犯――という言葉に、思わず少年の口を塞ぐ。
……幸いにも、周囲の客や店員は気付いていないようだった。
私たちのやり取りで、別種の誤解というか、冷たい目線を感じるような気がしないでもないが……
指名手配犯。
そう。少年の正体は、巷を賑わせる凶悪犯『ストックホルム』――本人は『博しき狂愛』と呼ばれたがっているようだが――である。
虚言と甘言を巧みに使い、魔人能力『禁断症情』で人を恋に落とす。故意に堕とす。
恋に落ちた者は、その恋心が欺瞞の産物であることに気付かぬままに狂う。
たとえば。
対向車に恋をしたドライバーはためらいなく道路を逆走し、
ミミズに恋をした少女は身体中にミミズを詰め込み窒息し、
轢死体に恋をした会社員は道路に息子を突き飛ばし殺害した。
須藤久比人の名も、偽名に過ぎない。
私も私で、彼には偽名・新堂オスロを名乗っているので、人のことは言えないかもしれないが――
ともあれ、少年が私の自宅に押し入ってから一週間強。
四六時中ほぼほぼべったりと、私の生活に付きまとっていた少年と、昨日は珍しく離れていたのだった。
わずか一週間の間に、離れるほうが『珍しい』ほどの距離感になったのは、下心からではない。
猫なら既に九度は死んでいるだろう、怖いもの見たさの好奇心からだ。
彼の凶行から、目が逸らせない。
「……そんなお前にぴったりのミステリなら、コレかな」
目の代わりに話題を逸らすように、元のミステリコーナーに戻って一冊の本を差し出す。
人の住居に侵入せずにいられない悪癖持ちの男が、ある日這入った部屋で死体を見つける。
不法侵入者である男が殺人犯人の濡れ衣を着せられ、逃亡しながら真相を追う――
そんなあらすじの一冊だった。表紙には「実写化決定!」の帯が巻かれている。
「……僕を不法侵入者扱いすんの、いい加減やめてほしいな?
一週間以上も同棲してるんだしさ」
「同棲という表現に悪意を感じる! ……俺が薦めたのは別にそこじゃねえよ」
隙を見せれば私を社会的に抹殺しかねないキラーパスを次々投げる少年に呆れつつ、説明する。
「信頼できない語り手、って知ってるか?」
「あー、アクロイド殺しね? ……っていうか、そっちもヒドいじゃん」
「知ってるようで何よりだ。自覚もあるようだしな」
「つーかそれネタバレじゃん。叙述トリックとかもそうだけどさ、バラされたら楽しめないよ」
信頼できない語り手―― 一人称の語り手自身が嘘を吐く、という掟破りの手法。
少年が口にした叙述トリックとは厳密には異なる点も多いのだが、本を薦める上で先に言及しただけで面白さが半減するという点では似たようなものだろう。
「悪い悪い。だがそれを念頭に置いて読んでも最後まで真相がわかんねえ位には
面白かったからな。今どき見ない読者への挑戦状、なんてのもあるし」
「へー。そんじゃ、お金はよろしく」
「おい待て、ハードカバーの本を平然とタカるな……ん?」
少年との掛け合い漫才に頭が痛み始めた頃――辺りがにわかに騒がしくなり始める。
「ん、何かあったのかな? ……なんだか、ステキな恋の前触れっぽいよね?」
「あ、おい! 待て!」
少年が野次馬根性全開で、騒ぎの中心地へと駆け出していくのを慌てて追いかける。
……本は乱雑に戻しておいたが、緊急事態だ。
博しき狂愛を放っておいて、碌な結果にならないことは骨身にしみている――
本屋を出ると、辺りは――バイオハザード顔負けの惨劇だった。
あちこちに血溜まりと飛沫が広がっている。
それを浴びたであろう、血染めの男性が泣き叫びながら近くにいる学生に襲い掛かる。
まるで、本人の意思ではないナニカに身体を乗っ取られたような動きだ。
そんな血染めのゾンビもどきが、ざっと視界に入るだけでも五、六名。
少年もこの光景にドン引きしているのか、先程までの軽さが嘘のようにビビっている――
ように、見せかけている。
忘れそうになるが、コイツは『博しき狂愛』――
他人を恋に狂わせる、まごうことなき凶悪犯であり、大噓吐きである。
怯えたふりをしていても、目はらんらんと輝いている――!
そんな中、ノロノロ歩いていたコック服姿の男が――破裂した。
……北斗の拳を実写化したらこうなるんだろうな、と想像した自分は平和ボケしているに違いない。
飛び散った肉と骨片と血飛沫は容赦なく近くにいた者を直撃し、さらなる負傷者と犠牲者を生んでいた。
「……あはっ、退屈しなくて済みそうだね、先生?」
悲鳴と怒号が響く中へと、少年が平気で突き進み――
「ねえねえそこのお姉さん、お茶しない?」
――唐傘を構えた、着物美女に平然とナンパを仕掛けていた。
~~~
「……」
日本人離れした髪色の少年――というには、若干トウがたっていそうな男性に
馴れ馴れしく声をかけられ、一月記あやめは困惑していた。
彼女に与えられた『命令』は、モール内の『悪い警官役』への指令の仲介、および『良い警官役』であった。
他の仲間に一般人を襲わせ、保護した上で生存者を一か所に集めて仲間に変える。
そのための誘導役にして、マッチポンプでの救済役。
既にモール内の人間の半数以上に仲間を潜り込ませてはいるが、流石に全アンバード、約10万人を集中させることはできない。
――10万人でおしくらまんじゅうをして勝つ、という数の暴力は『見映えがしない』。
無論、いざというときのために随時近辺のアンバードは呼び寄せ続けているが……
それよりは現地調達のうえで、他の殺人鬼への対処にあたるのが得策、と『オリジン』は考えたらしい。
『オリジン』――アンバードの、最初の一人。
あやめはもちろん、あやめのパートナーであるドクターですら、顔を知らない人物。
彼、あるいは彼女の能力『同生同名殺人同盟』により、あやめたちを直接的に、あるいは間接的に生み出した人物。
オリジンの死は『アンバード』全員の死と同義である。
故に、オリジンが誰であるかを知っているのはごく少数。その中にあやめは含まれていない。
今回の殺人劇も、知能を与えられた指揮官たちにある程度自由裁量が与えられている。
そんな状況で、作戦行動を開始しようとしたあやめ達だったが――早速、想定外の事態が起きた。
8Fフロアを担当したチームが早くも標的の一人、水崎紅人と交戦し――敗北した。
ただ倒されただけならまだしも、持ち場を離れてモール内を徘徊しては同じ仲間や
一般人を見境なく襲った挙句に、自爆して肉片と化すという相手の攻撃に逆利用されてしまった。
さらには、自爆に巻き込まれて血液が付着した者まで同じようにフラフラと徘徊、暴走を始めている。
こうなれば、もはや自作自演の救出劇どころではない――本当の意味で、人々を助ける必要があった。
やむなく血塗れの仲間を特製の唐傘で撃ち抜き、動きを止める。
そんなパニックが重なる状況下で、ナンパを仕掛けてきた相手を見て――
あやめの思考はフリーズした。
人間が爆散している状況下で、お茶? 正気か?
「あっゴメン、自己紹介が遅れたね!
ボクはアルカトラズ・ラブ! 恋の天使だよ!」
「おいお前、そのへんにしとけ。完全にドン引きしてるだろうが」
へらへらと緊張感のない笑みを浮かべる少年の後ろから、こざっぱりとした印象の青年が追いかけてきて少年をたしなめた。
……兄弟にしては毛色が違いすぎるが、何者なのだろうか、とあやめは訝しむ。
「……あの、お二人はこの騒ぎに何か心当たりが?」
「ううん、ノンノン全然! ところで納豆にはネギを入れるタイプ?」
「頼むからお前もう黙れ。……私たちも何が起こっているのか……」
アルカトラズ・ラブと名乗った少年と、その連れは見たところ一般人のようだが――
ここで攻撃を仕掛けて仲間に引き込むべきか?
それとも、作戦を継続していったん信頼を得るべきか?
――その迷いの隙をついて、あやめの後方から暴走した仲間が飛びかかる。
「! 危ない――!」
新堂が咄嗟にあやめをかばおうとするが、届かない。
あやめも傘を構えなおすが、間に合わない。
至近距離で爆散されれば、あやめも血を浴びて次の人間爆弾にされかねない――!
「……哀れなエイリアンの犠牲者に、安寧を」
あやめたちが、遅れて対処に移る前に――
飛びかかったゾンビもどきの胸に、鋭く伸びた金属が突き刺さっていた。
人間には存在しえない水晶玉状の器官を貫かれた犠牲者は、爆散することなく黒い塵と化した。
「差し出がましい真似をしたかもしれませんが……お怪我はないでしょうか」
黒い外套をまとった、華やかな池袋の中心地に似合わぬ姿の男――雨中刃が、
無造作に散らかった黒髪を左手で掻きながら、右手に持っていた金属製の武器を引っ込める。
「あ、ありがとうございます……あなたは?」
「雨中刃……通りすがりのエイリアンハンターです」
雨中の名を聞いて、あやめが一瞬ぴくり、と反応する。
情報網で把握していた、参加者の一人『外宙躯助』――!
共に名乗りを聞いたアルカトラズ・ラブ――もとい、須藤久比人も
長身痩躯の男が倒すべき参加者であることに気づくが、態度には出さない。
いつもと変わらぬ軽いノリとテンションでまくしたてる。
「ありがとうねお兄さん、お姉さんを助けてくれて!
この地球上から素敵な恋の予感が一つ消えちゃうところだったよ!
ボクって恋の天使だからさ、そんなの耐えられなくて」
「……はあ」
雨中は須藤のテンションを訝しむ……が、そこで止まってしまう。
雨中もあやめも、目の前のピンク髪の少年が『ストックホルム』であることに気づいていない――
『アンバード』の情報網、エイリアンハンターのつながりをもってしても
正体がつかめない殺人鬼ゆえに、二人は疑っていない。
気づかれないと高を括っているのか、須藤は余裕を隠していない。
唯一正体を知る新堂のほうが、ヒヤヒヤしている位だ。
自分の動揺を悟られまいと、新堂が雨中に問う。
「……あー、ところで先ほどエイリアンがどうとか言ってましたが……」
「ええ。彼らは通称『アンバード』――
次々と自分たちの仲間を増殖させるタイプのエイリアンですよ」
「『アンバード』……って、テレビでもよく名前を聞きますけれど」
「そうです。彼らは堂々と名乗り、侵略の手を広げているんです」
「な、なんだってー!?」
あやめが即座に話に乗っかり、疑いを消そうとする横で須藤が大げさなリアクションを見せる。
「……何か見分ける方法はあるのでしょうか」
「『アンバード』に限らず、彼らの胸にはコアがあります。
……私と同じように、ね」
新堂の問いに、雨中が軽く服をまくって胸元を見せる。
左胸に埋め込まれた野球ボール大のコアが、不可思議な光を纏っていた。
「ああ、怖がらせてしまったかもしれません……
私も危うく彼らに改造されかけたところを、なんとか脱出してきたんです」
「へー。藤岡弘、みたいでカッコいいねお兄さん」
「本郷猛、それか仮面ライダーと言えよせめて。
……というか軽々しく人の重そうな過去を茶化すな」
「いえ、お気になさらず」
すみません、と須藤の頭を押さえつけて共に謝る新堂に、雨中は紳士的に許して返す。
「でもさ、アンバードってこんなゾンビっぽいことしてたっけ?
アナウンサーさんとかもっと人間らしく振舞ってたけど」
「……確かに言われてみれば、不自然ですね」
近づいてきたゾンビもどきを適宜排除しながら、雨中が須藤の質問に頷く。
手にした武器――『カルガネ』を自在に変形させながら、あやめたち三人をアンバードの群れから守っている。
(……仲間が削られるのは痛いけど、水崎紅人の思うつぼよりはマシかな)
あやめは内心複雑ながら、雨中に話を合わせようとしたところで――
咄嗟に傘を開き、雨中の背後から飛来した物体をはたき落とす。
血液入りの注射器が残骸となり、地面に転がった。
「……おやおや、防がれましたカ……」
雨中と対照的な、全身赤ずくめの人物が物陰から現れる。
長身のわりに肉付きの良い、どこか不自然さを孕んだ口調と動きの人物――
「ワタクシの名はドクター・カーネイジ……と申します」
男はそう名乗ると、懐からメスを数本取り出し投げつける。
雨中が無感情に『カルガネ』を向けると、壁状に変化させてメスを防ぐ。
「……あなたがこの悪趣味な騒ぎの張本人、ですか。
エイリアンの上前をはねるエイリアン、見過ごせません」
雨中が、目の前の男――『Dr.Carnage』を敵と認定する。
その瞬間、雨中の魔人能力『ノイドミューティレーション』により、水崎紅人の胸にコアが生じた。
魔人能力と身体能力の強化を与える反面、砕かれた瞬間に塵と化して滅ぶ諸刃の刃――
雨中は『カルガネ』を、そのまま長い刃に変えて男の左胸へと突き刺す。
だが――異変が起きた。
「……馬鹿な」
コアを砕く感触が、ない。コアの位置は左胸と決まっているはず――
それだけではない。『カルガネ』が男のほうに吸い込まれるように縮んでいく――!
「……ホウ。面白いモノを持っていますネ」
水崎紅人の魔人能力『凶行裁血』は、紅人の血液が付着した物質を自在に操ることができる。
その際、操作方法も理解することができる――!
胸に突き刺さったカルガネに、体内の血液が付着したために操作権を奪い取られたのであった。
「私の血液に触れたものは、私のモノ……!
折角ですから、いろいろ試しマしょうか」
男がカルガネを手にすると、形状がみるみるうちに変わり――
液体金属のごとく、男の体にまとわりついて、即席の鎧となった。
その表面は、血で紅く濡れ――さながら赤備えのようだった。
「さあ、解剖とイきましょう!」
さらには、体表から伸びるように刃が何本も生え、一同へと襲い掛かる!
攻防一体の恐るべき攻撃の前に、対抗手段を失った雨中は回避しかできない――
「下がってください、雨中さん!」
叫んだのはあやめだった。唐傘を金属鎧の男に向け、トリガーを引く。
ドクター謹製の小型兵器が雷を生み、男を貫いた。
「……やった、かな?」
しゅうしゅうと煙を吹く男だったが――倒れず、なおもこちらに向かってくる。
「そんな……!」
「……コアがない上に、雷さえ通じない……どうなっているんだ?」
雨中とあやめが狼狽える中、須藤は――何かを閃いたように、悪戯っぽく微笑んだ。
「……ゴメン先生、ちょっと俺、別行動するよ」
「は? バカを言うんじゃない、こんな状況で……」
「大丈夫だって、俺も黙って殺されるタマじゃないのは、先生も知ってるでしょ?」
そこのお二人、先生をよろしくね――
そう言い放つと、須藤久比人は一目散に駆け出した。
「おい、ちょっと!」
新堂が呼び止める間もなく、ドクター・カーネイジが再び攻撃に出る。
あやめが唐傘で攻撃をいなすが、向こうは万能に形を変幻させる金属だ。
このままではいずれ切り刻まれる――
その矢先。突如として、天井から大量の水が降り注ぐ。
どうやら、スプリンクラーが作動したようだった。
「! なるほド……考えましたネ」
男の鎧の表面が洗われ、血液が流れ落ちる――と同時に、
雨中がカルガネの表面に触れ、再び操作権を奪い手元に戻す。
「いまだ、もう一度やれ!」
雨中があやめに指示を出し、それに従って再度雷を穿つ。
スプリンクラーで濡れたドクター・カーネイジの体を、直接電流が焼き焦がし――
手足が崩れ、動かなくなった。
「……今度こそ、倒したのでしょうか」
「……そういうわけでもなさそうですね」
二人が、倒れたドクター・カーネイジの検分を行う。
――崩れた手足の付け根に、不自然な縫合の痕跡。
おそらくは――死体か何かを血液で操っていたのだろう。
「スプリンクラーで血を洗い流せば、操作能力も途切れる……
読みが当たったようで良かったですよ」
「でも、どうやってスプリンクラーを?」
「本に火をつけて、火災報知機の真下にかざしました。
……弁償はすべきでしょうが、生き残っている店員がいなさそうなので
誰に払えばいいのか、悩ましいところですね」
雨中とあやめ、そして新堂が、ようやく静かになりつつあるフロアを見回した――そのとき。
どこからか、足音と銃声が響く――上階のようだ。
「新手のようですね……」
「……アイツが心配です。俺は下へ行ってきます」
「無茶です!まだアンバードがうろついているかも……」
「ああ、それなら心配はないかと。エイリアンなら、あらかた始末していますので」
「……ありがとうございます。お二人とも、どうかお気をつけて」
新堂が意を決して、須藤の後を一人で追う。
残されたあやめと雨中が、お互いに向かい合う。
「あなたがどうしてそのような武器を持っているのか、気にはなりますが。
経緯はどうあれ、私の命と武器を救ってくれたこと、感謝します」
「……感謝します。
ひとまず、私が先行して様子を見てきますので、もし数分経っても戻らなければ
雨中さんも上階に来てください」
あやめは、雨中との対決を選ばなかった。
既に多数の仲間を失っているとわかった以上、迂闊な行動は取れない。
補充のため呼び寄せた者たちも、なぜかまだ入場できていない――
なら、手段は一つ。
上階からの侵入者を先に倒し、仲間に引き込むしかない。
これが、アンバードとしての判断。
もう一つは、あやめの中にあるわずかな自由意志が――雨中と戦うことを拒んだ。
短いながらの共闘体験故なのかどうかはわからないが、アンバードにすることで
雨中を雨中たらしめるものを失いそうな予感がしたからだ。
「……わかりました。くれぐれも、気を付けて」
雨中が、あやめの打算に気づいたかどうかは定かではない。
だが、結果として彼もあやめを見逃し――信じることにした。
あやめが再度頭を下げ、上階へと駆け出すのを雨中は見送り、後始末にかかった。
~~~
屋上――
緊急時のヘリポートには、無骨なヘリが二台停泊していた。
ヘリから降り立ったのは、重装備に身を包んだ男性――山中伸彦教授である。
その脇には、同じ装備に身を包んだ屈強な戦士たちが控えて、報告を行っている。
「ご苦労様です、教授!
戦闘態勢、完了しております……すでに一部の殺人鬼による戦闘が開始したため、
こちらも作戦行動を開始いたしました」
「うむ……モールの閉鎖はどうなっている?」
「滞りなく完了しております。入口前では『アンバード』とみられる群衆が
入場しようと詰め掛けていますが、押し返しています」
「例の物の搬入は?」
「昨夜のうちに滞りなく。……モノがモノですので、動作確認はできておりませんが」
「はは。何、使わぬに越したことはないからね。
……ところで、原料の採取はどうなっている?」
「ご安心を。既に9Fエリアを制圧、アンバードと思しき連中から採取済みです」
部隊員の一部が、巨大な冷蔵コンテナを掲げて見せる。
中に納められているのは、魔人の内臓――山中の研究材料である。
「くれぐれも慎重に扱ってくれたまえよ。鮮度の低下、細胞の死滅は質の低下に直結するからね」
「ご安心を。麻酔銃で鎮圧し、生きたまま切開していますので」
「それなら問題はないな……もっとも、アンバード自体がゾンビみたいなものだからな。
どのくらい役に立つか未知数だな……早く研究室に持って帰らないとな」
部下からの報告を聞き、愉悦に顔を歪ませながら――
山中もまた、ハンティング場と化したモール内へと侵入した。
~~~
5F、中央警備室。
モール全域の監視カメラから随時送られる画像が、所狭しと並べられた無数のモニターに
映し出されている中、明らかに警備員ではない男がいる。
紅く染まった白衣を纏った男は、床に熱く口づけていた。
その奇行を、存在を咎めるものは誰もいない。
ここにいた警備員は――もれなく全員『Dr.Carnage』の手によって死んでいる。
死体は片付けられることなく、乱雑に転がされている。
「あっはっは! 熱愛現場にお邪魔しまっす!」
そこに、さらに部外者が踏み込んでくる――須藤久比人である。
闖入者に構うことなく、紅衣の男は床に顔面をこすりつけ続けている。
その姿はまるで、神に許しを請う殉教者のようだった。
しかし、やってきたのは神ではなく、悪戯心に満ちた天使である。
血液を介してあらゆるものを操作する能力。
そんな能力があるならば、まず考えつくのは身代わり、影武者の類だ。
さらに、どこにいれば安全に、かつ離れた場所の身代わりを操縦できるのか。
答えは一つしかない。全フロアを監視できる、警備室だ。
騒ぎを起こす前に移動して、監視しながら遠隔で死体を操った――
そう当たりをつけた須藤は、新堂をあやめと雨中に託して単独行動に走ったのだった。
彼が身代わりを見抜いた理由はもう一つ。
彼の能力『禁断症情』で、紅人に「床への恋心」を芽生えさせたにも
かかわらず、男が床に臥せらなかった――能力が効かなかったからだ。
さすがの恋の天使でも、死体に恋はさせられない。
「床ってなんだか女の子の名前っぽいし、清潔第一のお医者様の恋の相手にはぴったりだよね!
なんならもっともっと熱いキスをするといいんじゃないかな!」
恋の天使が、恋する男の背中を押す――否、頭を踏む。
たとえ魔人だとしても、無抵抗の状態で同じく魔人に頭を全力で踏まれれば。
――頭蓋が潰れ、脳漿が砕けるのは必定である。
「あはっ、やりすぎちゃったかな? まあいいや、人の恋路に血飛沫ぶっかけるような
無粋な人は、天使に蹴られても仕方ないよね、ってコトで」
天使を気取る青年が、誰も見ていないのをいいことに悪魔の笑みを浮かべながら。
既に潰れた男の頭を踏み続ける。何度も、何度も。
――青年の意思に反して。
「……え、なんで」
少年は、この日初めて――あるいは生涯で初めて、明確に狼狽した。
潰した男の頭蓋骨の中身がこびりついた足が――血飛沫に染まった足が止まらない。
血液を介して他人を操る相手は、たった今頭を砕かれて死んだ筈――
「……おやおや、ダメじゃあないですか。
死者は丁重に扱わなくては、ね?」
ぞくり、と久比人の背筋に冷たいものが走る。
足を止めぬまま、止められぬまま上半身だけで声の方を向く。
死んだはずの男――水崎紅人が、血塗れの警備員服姿で、久比人の背後に立っていた。
「……こっちも身代わり……!
警備員の死体のフリ、してたのか……!」
久比人の足は、変わらず紅人を……否、紅人の服を着せられ、紅人の血液を流し込まれ、
紅人のふりをさせられていた哀れな警備員の死体の頭を、踏み潰し続けていた。
弾けた頭蓋からの血液で染まった足の操作権は、もちろん紅人にある――
逃げるも迫るもできず、ただ足踏みを繰り返す。
返り血で汚れたズボンを脱ごうにも、足踏みしながらでは無様に転ぶだけだ。
転んだ挙句に床に流れる血の海に自ら飛び込めば、全身を操作されて詰む。
……いや、既にほぼほぼ詰んでいることを少年は理解した。理解してしまった。
床への恋心を芽生えさせたはずなのに、この男は――
「“なんで床を舐めていないのか”――ですか?
確かに、先刻から床が気になって気になって仕方ありません。
それこそ、一目惚れのように恋しくて恋しくてたまりませんとも」
穏やかな口調で、医師が少年の正面に回り込みながら微笑みかける。
「でもね、よく言うでしょう?
初恋ほど燃える恋はない、と」
水崎紅人の初恋相手。
それは他ならぬ、『博しき狂愛』が結んだ縁――
悪縁よりもなお悪い、極悪縁だった。
「ヒトの内臓の艶やかさと美しさに比べれば、床の無機質さなんてカス同然です」
「あ、っ……!」
少年が、さらに表情を歪めた。
彼もまた、気付いてしまった。
目の前の紅き医師が、かつての己の玩具の一つだったことに。
今を遡ること、4年前。
内臓への恋心を植え付けた相手が、目の前の男――
若き研修医として希望に燃えていた青年、水崎紅人だった。
恋心と呼ぶにはおぞましいナニカを、己の気の赴くままにばら撒き続けた天使の失敗は二つ。
一つ目は、享楽的な性格故に、恋心を芽生えさせた相手のことをいちいち覚えてなどいなかったこと。
二つ目は、一度恋を植え付けた相手に、再度別の恋をさせることを試さなかったこと。
「思い出してくれたようで何よりです。
貴方のおかげで、私は立派な医者になりましたよ――
人の内臓に恋焦がれ、人の中身を深く深く愛する外科医にね」
平然と語る紅人を尻目に、須藤はありえない、と呟きながら叫ぶ。
「じゃ、じゃあ何で!どうして、そんなに」
「理知的でいられるか、ですか?
ロマンのない話ですが……一般的に恋心と呼ばれる心理状態は、脳内物質の過剰分泌で説明できます。
そして私は、血液を媒介にあらゆるものを“操作”できる――
自分の脳を、自分で操作することくらい、出来るに決まっているでしょう?」
「だとしても!アンタが内臓に恋焦がれてるんだったら!
見たくて見たくてたまらないはずだ!いくらなんでも」
「いやあ、だって衝動的に皆の内臓をブチ撒けたら、警察に捕まるか
下手すればその場で射殺でおしまいでしょう?
私は一分一秒でも長く、一人でも一つでも多くの内臓を眺めて撫でて愛でたいんです。
そのためなら、己の脳を常にマニュアル操作するような面倒な真似も、
湧き上がる内臓への執心を押さえつけ続ける辛苦も厭いません」
微笑みを崩すことなく、事も無げに言葉を返す。
須藤久比人には、理解できない。
恋に狂わない人間がいるということが――否、狂い方を制御できる奴がいるということが。
そんな奴がいるとしたら、ソイツは既に――
「……狂ってるよ、アンタ」
「……ふふ。よく言われますよ。
だからこそ、『Dr.Carnage』なんて二つ名を頂戴しているのですから」
引きつった笑顔を浮かべた、須藤の胸を――紅人のメスが、的確に切り開いた。
倒れる久比人をよそに、紅人は身代わり役に着せていた紅衣を回収し、再び纏い直して警備室を後にした。
~~~
嫌な予感ほどよく当たる――
少年からすれば、おそらく私を巻き込みたくなくて――いや、それは思い上がりだろう。
彼は気づいていたのだ。『アンバード』と同様に、アレが本体でないことに。
能力で恋の虜にして動きを封じたはずが、何も起きていなかったのだから。
だから、私が警備室に駆け付けた時には――遅かったのだろう。
ピンク髪の天使は、血の海に倒れ伏していた。
「……あ、 せ、んせ?」
少年が私に気づき、上体を起こそうとする。
その胸元は赤黒く染まり――もはや致命傷であることは、火を見るよりも明らかだった。
「いいから、喋るんじゃあない!
……俺のせいだ。俺が、目を離したせいで」
自分でも思わず、後悔の言葉が漏れる。
何が『彼の一挙一動から目が逸らせない』だ、笑わせる。
心のどこかで、コイツなら殺しても死なないだろうと油断していただけじゃねえか。
「せん、せ……
俺、先生に なら、 殺されても……イイ、よ……」
「バカなことを言うんじゃあない! きっと治るはずだ、だから――」
気休めにしかならないとわかっていても、嘘を吐くしかない。
……いや。少年の命を繋ぐ方法なら、ある。
だが――
その逡巡を察したのか、少年が絶え絶えな息で――聞きたくなかった言葉を、口にする。
「だって、さ。
……先生、『アンバード』……でしょ?」
「……っ!」
思わず、少年の身体を取り落としそうになり――踏み留まる。
「……お前、 なんで」
「……はは、俺、天使だから…… 空の上から、よーく見てんの、先生のこと」
死の間際になっても、真実をはぐらかす少年に……私はどこか安心していた。
須藤久比人は、死ぬまで須藤久比人なのだと感じられたから、かもしれない。
だからこそ、少年の最期の願いを――私は聞けなかった。
「だからさ、先生、が トドメ……刺して、よ」
「…… ダメだ。
それじゃあ、お前は俺の言うことを聞くだけの人形になっちまう」
それをしたら、お前が俺を許しても。
俺が俺を許せなくなる――
惚れた相手を、自分の傀儡にするなんて。
わかっている。これは、私の我儘だ。
少年のためを思うなら、迷いなくとどめを刺して仲間にするべきだ。
「…… はは、 それでこそ、 先生だよ」
ごぶ、と血の塊を口から噴き出しながら――少年が微笑んで見せる。
「! 久比人! おい! しっかりしろ!」
「はは…… やっと 名前で呼んでくれたね…… ゆめ、 を」
最期に、少年――須藤久比人は、私の名前を呼んで、力尽きた。
教えてもいない、呼ぶ気もなかったはずの、本名を。
……ああ。私は、嘘つきだ。
目の前で事切れた、愛を嘯く天使以上に。
私は、彼に恐怖する以上に――惚れていたのだろう。
『同病相憐れむ』と言われるのかもしれない。
それでも、少年は――須藤久比人は、私にとって。
初めての同類であり、同族であり、同種だった。
平気で噓を周囲に吐いて、己の魔人能力を押し付ける。
だから、離れて欲しくなかった。気を引きたかった。
仮初の同類などにしたくなかった。
これがもし何かの物語であるのなら、きっと私の独白を読む悪趣味な奴らがいるのだろう。
だから、ここで宣言しよう。
『心態検査』なる能力は、存在しない。
信頼できない語り手。それが私だ。
私の真の能力は――『同生同名殺人同盟』。
そして私は、誰からも殺されたことはない――
私の名は、新堂夢朗。
またの名を『アンバード』――
久比人の亡骸を横たえ、瞳を閉じさせる。
――ここからは弔い合戦だ。もはや、殺人鬼に振り回される保健医の役は終わりだ。
「……『アンバード』諸君に告ぐ。私だ。
水崎紅人を見つけ出せ――ただし手は出すな。私が自ら始末する。
その他の障壁となる者たちは、一人残らず蹂躙せよ。
……それと、封鎖部隊は外の待機者を招き入れろ」
スマートフォンを通じて、特殊部隊に紛れ込ませていた配下に指令を出す。
封鎖体制、そして見せかけの抗戦を停止し、モール入口に押し寄せていた仲間が一斉にモールに雪崩れ込む。
~~~
数分後――紅人はあっさりと行方を捕捉された。
3F、雑貨エリア。
エスカレーターを降りた先で、新堂が紅人に追いつく。
「……おや。かくれんぼはお仕舞いですか?」
行く手を塞ぐ大勢の患者を切り刻み、紅衣を更におどろおどろしく染め上げた医師が微笑む。
「……ええ。貴方は、私が手ずから殺さないと、気が済まない」
大勢の配下を従える、真の『アンバード』が無表情で返す。
「……意外ですね。『アンバード』が、そんな激情家だったなんて」
「……私だって人間ですから。大切なものを奪った相手を前に冷静でいるなんて、無理なんですよ」
「手ずから、という割には……徒党を組まれているようですけれど」
「今更だな――これが私の戦い方、いや――」
殺し方だ。
新堂の宣言と共に、得物を持った新堂の手足が一斉攻撃を仕掛ける!
ぶん、と野球選手が金属バットをフルスイングする。
紅人が避けた先に、ヤンキーが鉄パイプを振り下ろす。
血を吸った紅衣を操って打撃をいなすが、続けざまに主婦が砂利を詰めた靴下を振り回す。
「ぐっ……!」
鈍器中心の波状攻撃を受け、紅人がついに被弾する。
脇腹にゴルフクラブの一撃を受け、よろめきながらも中年男性の喉を裂く。
(……なるほど、私の能力に対して出血を伴わないよう鈍器で攻める。
間違ってはいない攻略方法ですね。
しかも、単に数で圧殺するのではない――厄介ですね、直接指揮とは)
新堂が数による蹂躙を選ばない理由は大きく二つ。
密集しすぎることで配下の取りうる行動の幅自体が狭まる危険性。
密集した中で紅人の姿を見失い、また血液を介した操作で軍勢が逆に敵に回る可能性。
それらを計算に入れての、波状攻撃。
ゆえに、紅人は新堂への直接攻撃を試みるしかない。
紅人がメスを投げる。小太りの男が新堂を庇い、刺し貫かれる。
紅人がメスを投げる。女子中学生が新堂を庇い、切り裂かれる。
紅人がメスを投げる。初老の紳士が新堂を庇い、切り刻まれる。
メスを投げる。阻まれる。
メスを投げる。阻まれる。
メスを投げる。阻まれる。
メスを投げる。紅人の血に濡れたメスが、物理法則を無視した軌道を描き――
新堂夢朗の腹部を引き裂く。
――その傷が、即座に治っていく。
「……随分と、健康そうですね」
紅人が押し寄せる軍勢を解体しながら、新堂を診察する。
「ええ、新しい心臓が手に入りましたから」
~~~
今からおよそ、二十四時間前――
都内某所、某国立大学の地下研究室。
主たる山中教授がいなくとも、手足たる研究員たちはせわしなく研究室内を動き回る。
彼らは一丸となって、迫りくる宴に備えていた。
「手術の経過は?」「問題ありません、もうすぐ完了です」
助手筆頭の畑中が他の研究員に問うたタイミングで、
手術室の『手術中』の文字が消灯され、中からストレッチャーが出てくる。
その上には、生気を失ったかのように眠る魔人の姿があった。
「なんとか間に合った、というところか……」
「しかし、随分とハイリスクな手段を選びましたね……大丈夫でしょうか」
「何、やれる手は打っておくのが当たり前だ。
我々は、あの方を喪うわけにはいかないのだから」
ストレッチャーは研究室を抜け……横たわっていた新堂が、身体を起こす。
その胸には、生々しい手術痕があった―― あった、そう、過去形だ。
既に傷跡はふさがっている――!
山中伸彦の研究対象であった、魔人の心臓。
無限に等しい再生能力を持つ心臓が、新堂に移植されたのだった。
培養液外では長く持たぬ細胞も、生きた魔人に移植されたなら話は別である。
本来の機能を取り戻すのみならず、その強靭な再生能力を移植先に与えていた――
~~~
フロアは既に、文字通りの屍山血河。
それでもなお尽きぬアンバードの軍勢を前に、水崎紅人が顔を歪める。
あちこちが赤紫に変色した肌が、打撃の痛々しさを物語る。
「随分としぶといですね……ですが、安心してください。
もうすぐ貴方も私たちになれるのですから」
相手の攻撃は肉の壁が防いでくれる。
稀に通る攻撃も、精密性を欠いているが故に致命傷に至らない。
負った傷は心臓が癒してくれる。
あとは、相手が精魂尽き果てるまで手数で勝負し続ければいい――
新堂が勝利を確信した、そのときだった。
「先生」
背後から、不意に呼びかけられた。
――甘ったるく、馴れ馴れしく、絡みつくような声。
この一週間余りで嫌というほど聞き慣れた、しかしもう二度と聞くはずのない声。
新堂が、思わず振り返る。
心臓を抉られ、絶命したはずの須藤久比人が――立っていた。
その瞳は生気を失い虚ろに鈍く輝く。当然だ、もう死んでいるのだから。
他ならぬ自身が最期を看取ったはずの少年が、こうして生きているなんて奇跡があるわけがない。
――間違いなく、悪魔の所業だ。
「……っ水崎紅人ぉ! 貴様あああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
――血液を媒体とした、死体操作。
切り付けた配下を操作しなかったのは、こちらに集中していたからか。
それに気付いた新堂は、怒りに身を焼かれる。
乱暴に配下から金属バットをひったくると、紅人に自ら引導を渡すべく突撃する。
目の前の男は、決して踏み込んではならない領域まで踏み躙った――
その代償の取り立てを、もはや他人任せにはできない。
心臓がバクバクと憤怒で沸き立ち、全身に力を与える。
衝動のままに、紅き殺戮医者の頭を叩き割る、渾身の一撃を振り下ろす――!
――それが、新堂夢朗の失敗だった。
「……っ…… あ……?」
振り降ろした鉄槌は空を切り、モールの大理石の床を砕いた。
そこに紅人の姿はない――すでに彼は新堂の背後にいた。
「……やはり、あなたは激情家のようですね。
見え見えの挑発に、乗ってくれるのですから……っ」
紅人はそのまま、新堂から離れるように覚束ない足取りで進む。
己の肉体を強引に凶行裁血で操作してブーストをかけた、神速の一撃。
須藤の亡骸が倒れ込むと同時に、折り重なるように、新堂が仰向けに倒れた。
その胸は、空虚に満ちていた――
紅人が、一撃をかすめるようによけながらすれ違うと同時に、
新堂の心臓をカウンターで綺麗に抉り出していたからだ。
「…… か…… い、だろ……」
再生能力の源たる心臓を失い、奇しくも看取った少年と同様の致命傷を負った青年は、
口から血の泡を噴きながら、言葉にならぬ言葉を紡ぐ。
わかってても、怒らずにいられるわけがないだろう――
大切な人を、死んでなお冒涜されて怒らない奴は、人間じゃねえよ。
声を振り絞り、人の心を平気で切開するクソ医師に思い知らせてやりたい。
そんな新堂の思いも空しく、言葉は形を成さない。
外付けのハイパワー心臓を失った反動が大きすぎたのか、少年のように満足に最期の言葉も残せない。
……ああ、くそ。予想以上に早く、お前のところに行くことになっちまったな――
その言葉は、紡ぎきられることなく、紅人の耳に届くことなく――
命の灯とともに、消えた。
『アンバード』――他人を食いつぶし、塗りつぶした人でなしの殺人鬼は。
人らしさを捨てきれなかったがために、死んでいった。
最期の最期だけ、人に戻って――死んだ。
~~~
『アンバード』の死。
それは、池袋中……否、日本中、あるいは世界中に広がっていた『アンバード』の消滅を意味していた。
「……っあーあ…… ダメだった、かあ」
都内某所、レストインピースビルの一室。
ドクターは、塵と化していく足先を眺めながら、がっくりと肩を落とした。
あの日、早地にこに語った言葉は、嘘ではなかった――
オリジンが滅べば諸共に消える、哀れな籠の鳥を救う。それは方便ではなかった。
故に『アンバード』を元の人間に戻す方策は試していた――
だが、その成果が出る前にあっけなく、終末時計のカウントゼロが来てしまった。
「……こんなことなら、昨日は楽しんでおくんだったなあ。
あやめも、消えちゃってる頃、かな」
ドクターは、傍らのエナジードリンク――人生最後の一缶のタブを開け、口をつける。
手が塵になる前に飲み切る必要があったので、とても落ち着いて飲めるものでもなかったけれど。
「にこにも、悪いことしたなあ…… せめて、試作薬の一錠でも渡すべきだったかな」
いや、彼女はそれを望むまい。少なくとも、一人だけが元に戻れたとしても、それを良しとはしないだろう。
同じ『アンバード』になったから、わかる。きっと私や、あやめ――彼女の友人や家族のことも慮って、自分は飲まない。そんな子だ。
だからこそ、自分達の死に巻き込みたくなかった。
そして自分も、研究成果を一人で抜け駆けできるほど器用ではなかった。
「……まあ、恨み言は天国でたっぷり聞こうか……地獄、かもしれないけれどね」
ドクターの脳裏に、最期に浮かんだのは――大切な一月記あやめのことだった。
~~~
時を同じくして――
8F、屋外庭園。
山中率いる直属部隊は、一月記あやめを相手に全滅寸前だった。
一方のあやめも、すでに満身創痍の有様であった。
普段であれば緑あふれるはずの庭園は、あちこち黒く焼け焦げていた。
――山中の部下の、自爆痕である。
「……これが貴方の私たち対策ですか」
あやめが苦々しく、山中伸彦を睨む。
山中は余裕を崩さず、武器を構えている。
脇では残る二名の隊員が、散開姿勢をとって同じようにあやめを牽制する。
「殺されればお仲間にされるんだ、ならその前に自爆させてあげるのっが
我々なりの慈悲だよ……薄汚い魔人の奴隷になるよりも、ずっと幸せな死に様だ。
まさか、残酷だとか卑怯だとか言うまいね?」
山中は淡々と、麻酔銃の銃口を向けながら語る。
山中達がとったアンバード対策。
それは、各人の装備に仕込まれたデス・スイッチ。
脈拍や脳波をモニタリングし、停止次第装備に仕掛けた爆薬が作動し自爆する――
殺された仲間は失うが、アンバードを生み出すこともない。
あやめ達にそれを断罪する権利は、ないのかもしれない。
殺した相手を同化させ、使い捨てるような戦い方も時に行うのだから。
それでも、ただの人間が――自分たちの命を顧みない戦い方をすることが。
一月記あやめには、空恐ろしく感じた。
「ですが、私への有効打はありませんよ、ね!」
あやめが、唐笠の引き金を引く。
唐笠に仕込まれた機構が、超高出力のマイクロ波を発し――雷撃となって山中の部下を貫く。
その直後、装備が起爆し、爆風と熱が周囲を襲う。
「くっ……!」
重装備に身を包んだ山中らに対し、着物姿――それも雨に濡れ水を含んだ状態では、回避行動を取るべくもない。
あやめは隊員だったモノの破片を傘で受けるが、熱波と衝撃はそうもいかない。
ひるむことなく、連撃で残る者たちを倒そうとした――そのときだった。
「……えっ」
手が、ぼろりと黒ずんで崩れ――傘を取り落とす。
傘の排熱に伴う熱傷は、ある意味死人であるあやめにはダメージにならない。
むろん、いくらオーバーヒートが起ころうとも手が炭化するほどではない。
ならば、答えは一つ。
――『オリジン』が、死んだ。
「……っ! そんな――」
あと少しで、目の前の男達を倒せたはずが――
無念をにじませた表情で、一月記あやめは灰と化し……雨交じりのビル風に消えていった。
彼女の得物だった唐笠だけが、その場に残され……山中が近づいて手にする。
雨に濡れ冷えたとはいえ、まだ熱を持つソレを握りしめて観察する。
「…… 『アンバード』が死んだか。
回収した内臓もこのぶんでは、期待できまいな……」
せめてもの成果として、今後の狩りのための武器を回収する。
分析し量産化できれば、失った戦力の穴埋めにはなるだろう。
「がっ……!?」
山中が思案している隙に、残った最後の隊員が胸を貫かれ、爆散した。
爆煙の向こうに金属の壁が広がり――やがて収束し、元に戻る。
黒衣に身を包んだ青年、雨中刃がエイリアンを仕留めていた。
「貴方が、武装集団の……いえ。
エイリアンに操られる、哀れな兵隊の親玉……ということで宜しいでしょうか」
「武装集団とは穏やかでないね。……まあ、私がリーダーであることは認めるよ」
余裕を崩さない山中伸彦の態度に、苛立ちを隠しきれないまま――
雨中が一つの質問をぶつける。
「――黒ヶ峰五郎という名に、聞き覚えは?」
雨中が語った名前を聞いて、山中が眉をぴくりと動かし――思い出したように告げる。
その声色には、相手を見下すような、尊大さが滲んでいた。
「そういえば、そんな名前だったな……先日手に入れた原材料は」
答えた男は、世間が知る姿とは程遠い、どこか下卑た笑みを浮かべる。
「……そうですか。やはり、貴方たちが、私の相棒を殺したのですね」
雨中は驚きもせず、冷徹に山中を睨みつける。
独自のネットワークをもってしても、尻尾をつかむことが困難だったが――
逆にその情報の隠蔽ぶりが、巨大な組織と権力の影を色濃く映し出していた。
そう気づけば、あとは正体をたどることは難しくなかった。
「だったらどうする?」
「決まっています。貴方を――殺します。
エイリアンに誑かされ、妄想に取り憑かれたことは哀れに思いますが」
「……やれやれ。妄想に取り憑かれているのは、君のほうだろう。
魔人は皆そうだ、誰もかれも救いがたい……ぐっ!?」
山中が首を振り嘆息した隙に、伸びた『カルガネ』が山中の胸に突き刺さる。
硬質の物体を砕く、いつもの感触に何の感慨も抱くことなく。
雨中は『カルガネ』を縮めて戻し、残心する――
だが、山中は崩れることなく、再び立ち上がった。
「……な……」
それは油断と呼ぶにはあまりに短い、刹那の気の緩みだった。
カルガネが伝えた手ごたえは、確かに必殺の一撃だったはず――
「他人をエイリアンと断ずるその独善。
……やはり、魔人は救いがたいな」
山中は魔人への敵意、悪意、殺意を隠すことなく――
一月記あやめから簒奪した唐傘のトリガーを引いた。
「コアを砕いたと思ったかね?
……もちろん君のことも調査済みだとも」
山中の胸元から、二つに割れた水晶玉が転げ落ちる。
9Fの占い部屋から拝借した、偽のコア――!
雨中が再度仕掛けるよりも速く、高出力マイクロ波が放たれ、雷となり――雨中を貫いた。
「が、あああああああっ!?」
コアを持つ者は、コアを砕かれぬ限りほぼ死ぬことはない――死ぬことができない。
強烈な電撃の前に、雨中の筋肉が勝手に痙攣し、軋み、煮え始める。
あがく雨中のコアに、なおも唐傘の銃口が向けられる。
既に赤熱し、常人には持てぬ程の温度に達しているにもかかわらず。
防護服が溶け、掌の皮が直に焼かれてなお、山中は手を離さない。
全ての魔人を憎む、偏執的な怒りと愉悦が、彼を突き動かす。
雨中の能力で得た胸のコアが、さらに力を与える――!
「せめて、その死体で医学に貢献したまえよ――
人間社会に巣食う魔人君?」
二発目の雷が、雨中のコアを過熱させ――砕いた。
相棒の仇を取ることなく、憎き『宇宙人』に敗れ去る無念を滲ませながら――
『外宙躯助』雨中刃は、己が手にかけた者たちと同様に塵へと帰っていった。
雨中の魔人能力『ノイドミューティレーション』で生じたコアもまた、この世界から消滅した。
あとに残されたのは、主無き万能金属だけだった。
「……むう、惜しいな。せめて死体が残っていれば」
コアを砕かれぬ限り、不死身と言って差し支えない超耐久力。
研究に加えることができれば、さらなる医療の発展、ひいてはこうした魔人狩りへの応用に
つながったのだろうが――今となっては過ぎた話だ。
手勢を失い、成果はほとんどないに等しい。
あまりの結果に、さすがに頭を抱えたくなるが……落胆している場合ではない。
ここにはもう一人、殺人鬼がいる。
それも、山中がよく知る人物が――
こつ、こつ。雨音に紛れて、足音が近づいてくる。
水崎紅人が、傘も差すことなく庭園に降り立った。
「お久しぶりです、教授」
「……水崎君か。そちらから出向いてくれるとは有り難いね」
「おや。名前を覚えていてくださったとは……」
「教え子の名は皆覚えているとも。……今は『Dr.Carnage』と呼んだほうがよいかね?」
「いえいえ、お気遣いなく。私も研修医時代に倣って教授と呼びますので」
雨が降りしきる中、二人の医師の会話は再会を祝う恩師と教え子のそれでありながら――
しかし、和やかさはどこにもなかった。
「……まさかここまで来て、積もる話がどうのとは言うまいね」
山中が、今なお放熱を続ける傘を紅人に向ける。
「ふふ、私もそこでは野暮ではありません。
……ただ、お渡ししたいものがありまして」
紅人は銃口を向けられながらも、懐から何かを取り出してみせる。
――まだ微かに脈動する、魔人の心臓だった。
それを見た瞬間、山中の表情が凍り付く。
「……貴様、どこでそれを」
「こちらの心臓ですか? ――『アンバード』さんから摘出したものです」
「な――」
山中が、絶句する。
彼の研究室に保管された、とある魔人の心臓。
主の身体を離れてなお躍動し続けるソレから採取した細胞組織こそ、山中の最大の研究成果――
あらゆる傷病の即時治療が可能な、文字通りの万能薬である。
その原材料にしてトップシークレットが、紅人の手の中に――否。
『アンバード』の心臓にあった、ということは。
「研究材料の調達にご執心だったようですが……
今すぐ、研究室に連絡されたほうが良いかと思います。
その焼け焦げた手が、治る保証はどこにもなくなったのですから」
「な、な―― ハッタリだ! おい! 畑中君!聞こえるだろう!返事をしろ!」
山中が焦燥感をにじませながら、通信を試みる。
――応答する者は、誰もいない。研究員はオリジンの死とともに、灰塵と化している。
「……ああ、もう動かなくなってきましたね。
お返ししますよ、教授」
紅人が、心臓を山中に投げ渡す。
山中の保管していた心臓は、培養液外では急速に劣化する。
細胞が完全に死滅すれば、山中の勝ちの目は――完全に潰える。
いや、勝負どころではない。研究室の同志も喪った今、この心臓まで失えば
彼の生涯をかけた研究そのものが無に帰してしまう――!
「あ、あああああぁぁあぁぁぁっ!!」
傘を投げ捨て、半狂乱になりながら。
地面に叩きつけられる前に心臓を受け止めようと、山中が手を伸ばす――
次の瞬間。
ぱん、と心臓が空中で破裂して――細切れ肉と化し、山中の頭上に降り注いだ。
「あ、は―― ははははははっ! あは、あはははははははははっ!!」
飛び散った心臓の破片と血液の雨を浴びながら、山中が零れ落ちる肉片を必死に拾い集める。
人類のために尽くす理知的な大学教授の姿は、もうどこにもなかった。
狂気に陥った恩師を前に、紅人は一瞬だけ微笑むのをやめて告げた。
「さようなら、先生」
心臓の中に溜めておいた紅人の血を浴びた傘がふわりと浮き――
ひとりでにトリガーが引かれ、哀れな男の脳を焼いた。
山中の目鼻から、血が噴き出し――そのまま、雨ざらしのテラスに倒れ込んだ。
――直後。
ショッピングモールの各地から、爆炎が噴き上がる。
山中伸彦の、非魔人の底知れぬ悪意。
自分が死んだ際、魔人を全員道連れにするべく仕掛けられたデス・スイッチ。
それは山中本人の自爆ではない。
モール各所に密かに運び込まれていた起爆装置が作動した――!
~~~
池袋最大級のショッピングモールが、瓦礫の山に化けるまで――そう時間はかからなかった。
熱風と爆炎、毒性を孕んだ煙は周辺にまで及び、二次被害・三次被害を生むまでに至った。
中にいた人間は、生存が絶望視され――捜索も早々に打ち切られた。
警察・消防の調査も空しく、原因は『ガス漏れ事故』という、ありきたりのカバーストーリーで隠された。
真実を追求する声もあったが、その多くが的外れな結論にたどり着いていた。
何より、世間はそれ以上に大騒ぎとなっていた。
一夜にしてアナウンサーからプロスポーツ選手、有名インフルエンサーに大学教授、民自党副幹事長まで――
各界の有名人が、神隠しのごとく行方をくらましたからだ。
一般人も含めると、その数およそ10万人――
彼らの失踪と共に『ある名前』が人々の記憶から消えたことを関連付けられた者も、ほとんどいなかった。
――地獄からの、生還者以外は。
~~~
惨劇の終幕から数分後――
水崎医院、診察室。
「いやー、危ない所でしたねえ先生!」
黒いフードの女が、患者用椅子に腰かけながら足をぶらつかせる。
『NOVA』のVIPの一人にして、今回の殺し合いの音頭を取る人物の一人である。
「……良いのですか?運営側が、特定の参加者に肩入れなんて」
紅人が、腕に包帯を巻きながら女に問う。
「参加者、と来ましたか。いやー、またまた悪いご冗談を。
我々運営側が用意した調整者、という役回り、忘れちゃいました?」
紅人の眉が、ぴくりと動く。
水崎紅人――彼の正体を端的に言うならば。
『NOVA』が賞金5億円と『転校生になる権利』を防衛する為に参加させた、番人である。
「……貴方方に飼いならされるつもりは毛頭ないのですがね。
あくまで――私の上得意の患者様が、貴方の『上』だというだけのことです」
「いやいや、池袋のまるごと一区画を廃虚街にしたまま買い取れるようなパトロンがいて
飼いならされるつもりはー、なんて説得力ないですよ?」
「……ふふ、確かに。流石に私も、開院資金をお膳立てしてもらった相手に噛みつくほど 狂ってはいませんからね」
「そうそう、先生にあそこで共倒れされちゃ困るんですよ。
だから私の能力で逃がしてあげたんですからね?」
ショッピングモールの爆破、そしてそれに伴う倒壊に巻き込まれる直前――
女が紅人のそばに転移し、紅人ごと再度転移して水崎医院へと舞い戻ったのだった。
あの場にいた殺人鬼が紅人以外全滅した以上、紅人を死なせる理由は『NOVA』にはない。
顧客が見たいのは刺激的な虐殺劇であって、華麗なる脱出劇ではないのだから。
「……それこそ余計なお世話ですよ。脱出手段なら、コレが使えそうでしたし」
紅人が、デスクの上に置いた金属塊を顎で指す。
――宇宙由来の特殊金属『カルガネ』を、紅人はちゃっかりと手に入れていた。
「あー、形状が思うままならヘリコプターとかグライダーとか色々できますからね。
……ま、それだと目立ちまくってこちらも手回しが大変ですから」
「商業施設が丸々一つ壊滅した時点で、手回しも何もあったものではないと思いますが……」
「平気ですよ、『我々』ならスカイツリーが倒壊しようがなかったことにできますので」
「……嘘臭いですねえ」
「やだなー、女の子に向かってクサイだなんて。
……それに、嘘つきなのは貴方もでしょ?」
女がくつくつと笑いながら、金属塊の隣に置かれたガラス瓶を見やる。
中には、弱弱しくも躍動する心臓が、何らかの液体の中に浮かんでいた。
「『ストックホルム』の心臓を、教授のものだー、だなんて言っちゃって。
オリジンから抜き取った心臓を隠し持っておくなんてね」
そう。最終局面で紅人が差し出したのは、須藤から抉り取った心臓だった。
自分の血液を内部に溜め、操作して拍動しているように見せかけ――
空中で破裂させ、動揺を誘ったのだった。
「……私としても恩師の研究に興味がありましたので、手前勝手ながら引き継いでみようかと。
もっとも、細胞の培養液は私が即席で作ったものなので、死滅せずに済むかどうかは運次第、ですかね」
心臓と金属、二つの戦利品を眺める紅人の目は、好奇心と、少しばかりの寂寥感に輝いていた。
「恩師の研究、ねえ……ホントは心臓眺めてたいだけでしょ?」
「 …………いえいえ、そんなことはありませんとも」
「今変な間空けませんでした? まあ、どーでもいいんですけどね。
そんじゃ、明日も頑張ってくださいなー。
今回みたいな露骨なレスキューはもうできませんけど」
「……ええ、せいぜい頑張らせていただきますよ。
他の方々の内臓も、観察したいですから……なんて、ね」
紅人に向けてひらひらと手を振り姿を消す黒フードの女を見送りながら、
紅人はコンビニで買った赤ワインとおつまみセットで、ようやく遅い食事にありつくのだった。