2024_06_03_00:00_池袋某所
 池袋にて大規模な破壊が多発。
 死者、行方不明者不明。

 駅直結ショッピングモール■■■および×××が周辺を含め壊滅。
 現場に夥しい死体の山。
 建物崩壊により道路を含むすべての交通機関が途絶し救急活動が難航。
 連日の大雨でヘリが出動できず。
 なおも興味本位で近づく見物客により被害拡大中。
 ネットでは池袋の悪夢の再来と呼称される。

 また総理大臣が行方不明。








 彼の正体は。
 単なる小悪党と言うのが最も正しい。

 生まれつき倫理観が欠如しており、裕福な幼少時代を過ごしながら犯罪に手を染めた。
 学のない不良仲間の輪に入 って馬鹿になるのが楽しかった。

 初めて人を殺したのは10才のとき。
 民家に押し入って、老婆を滅多打ちにし金品を奪った。
 金銭目的だったが、つい殴り殺した。

 潮騒を感じた。
 無抵抗の人間を支配する行為に途方もない愛情と興奮を覚えた。
 後にオキシトシンとテストステロンの異常分泌と知る快楽に晒され、生まれてはじめて射精した。
 精通である。

 血の海は鉄の芳香を、白濁に塗れた下半身は銀杏の芳香を漂わせた。
 崩壊し奇妙な音を漏らす被害者の顔面を愛おしげに抱き寄せる自身の脳に問いかけ、父母から学ぶべき愛情とはこれだったのだと解答を得た。

 転機が訪れたのは、更に半年後。
 そこで彼は自らをギリシア神話のキューピッドだと錯覚するに至る決定的な事件に出くわす。

 つまり【博しき狂愛】は
 ただの誇大妄想狂だった。

「あれ?」

 ……人としては最低の部類の。








「あ"っぁ"ア"ァ"あ"い"ぃ"っお"オ"ホぉ"オォオ"ォオ"」
「■■■■、■■■■■■■■」

 少年は声にならない痛みを無理矢理声に出して叫んだ。
 体は手術台のようなベッドに拘束されており、一切の身動きが取れない。

(なにこれ?え?なに?どゆこと?)
「ァ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"」

 少年は現在進行形で、解体されていた。
 その凄惨な行為をしているのが誰かはわからない。
 天井の照明の光が影を作り、少年に覆い被さる下手人のシルエットを黒く染める。

 激痛で目を覚ましたとき、四肢はすでに切断されていた。
 奇妙な浮遊感が全身を包み……手足の感覚が亡くなっていた。
 切断面に銛が打ち込まれ、さらにベルトか何かで固定されている。

 痛みだけが残されている。

 そうして声を出す以外の全ての行動を封じられたまま、腹を切り裂かれ
……大腸が引き摺り出された。

「■■■■」
「■■■■■■■■」
「ァ"ア"っ!?オレが誰れ"がっ"!?私が誰かわかって"ぇぇぇ!?」
「■■■■」
「僕は天使だ!【博する狂愛】れ"っ"!れ"がっ"やれ"がっ"れ"がっ"やっ!?」
(僕は天使だ!【博しき狂愛】って分かっててこんなことやってんの?)

 複数人の大人たちが少年を取り囲んでいる。

 口々に何かを話している様子だが、どういうわけか話している言葉を理解できな

「〜〜〜〜〜っ!!!?」

 胃が摘出された。
 その技術は卓越しており、ほとんど出血もなく、従って不幸なことにまだ言葉を発することは許されている。

「■■■■」
「【ストックホルム】!【ストックホルム】!」
「■■■■」

 少年は叫ぶ。
【禁断症情】と書いてストックホルムと読む能力は、発動しない。
 対象に恋愛感情を植え付けて人格を破壊する無敵の能力。
 発動に制約はなく、ただ念じるだけで発動する。
 名を知らぬ人間でも、噂だけ聞いた存在すら恋に落とす。
 また、恋の相手は少年が知るモノならなんでも良い。
 すなわち、無敵の能力。突破法はない。

 今は目の前の■■■■に、治療行為を好きにさせようとしたはずだ。

「■■■■■■■■■■■■」
「ごめ"ん。本当にわかんない"や!なんで?ははは、わかんないわかんない!アァ"ァァァッ!」


【禁断症情】発動。
 ■■■■は自殺を好きになる。

【禁断症情】発動。
 ■■■■は少年を好きなる。

【禁断症情】発動。
 ■■■■は少年以外の周囲の人間全員を殺すことを好きになる。


 全てが不発に終わる。


【禁断症情】は、念じることで発動する。
 それは彼自身の思考……つまり脳活動に強く依拠する。
 であれば、相貌認識と言語能力を阻害する薬品を投与して「ヒトを識別する思考群そのもの」を妨げれば、能力は発動しない。

 高度な思考を封じるだけで、【禁断症情】は無力化するのだ。

 少年は、自分を解体する存在が誰なのか、噂で聞いた存在か、特定人物か、または不特定の人外なのかすら考えられない。
 人間というものがわからなくなっていた。


 ……彼らは一体誰なのだろう?


(畜生畜生畜生!オレが誰だか分かってんのか!?オレは世間を騒がす大悪党!【ストックホルム】様だぞ!オレにこんなことをして許されると思オ"ォッ)

 右肺が取り出された。

「〜〜〜!?〜〜ッッ!◾︎×△ア"ァァァァオ"ホォォ"ォォオオ"ォッ!?イ"ゥゥゥゥ××△ゥゥ」

 投与されたのは、通常の8倍量のインフルエンザ特効薬。過剰摂取により相貌失認と一時的な言語障害を引き起こすが、発話は妨げられない。

「先生ぇ助けて!助けて!助けて!助けて助けて助けて助けて助けて!僕!オレ!私!自分!拙者!おいどん!小生!我!朕!ミー!わたくし!あたい!麻呂!オレ!オレオレ……アンバード!」

 ついに思考すらままならなくなった少年はその口から意味不明の言葉を紡ぐ。

「アンバード!アンバード!アンバード!アンバード!アンバード!アンバード!アンバード!ハハハハハハハ!!!アンバード!」

 その後、さらに少年の身に起こったことは凄惨の一言に尽きる。
 ただ言えることは、少年は報いを受けた。

 こうして少年は、
 誰よりも外道で悪辣、
 人々に恐怖を与えた殺人鬼

【ストックホルム】
 ではなく、

 取るに足らない【博しき狂愛】として、心臓を停止させた。








Q:だが、誰が天使を殺したか?








2024_06_02_13:30_ショッピングモール池袋イルミネ6F

 向かい合う建物の屋上からは警察のスナイパーがターゲットを視認している。
 それを一瞬忘れるほどの怒りが、カフェで会話する山中信彦の脳に去来した。

「娘さんを殺した魔人は見つかりましたか?」

 突っ込んだことを聞くんですけど、
 という前置きに続いて出たのは本当に不躾な質問だった。

「……」

 山中伸彦はできるだけ表情を崩さないようにしたが、しかし少し瞼を細めて目線を落とす仕草は隠しきれなかった。

 誰が天使を殺したか?
 それを考えない日はない。

「あっごめんなさい。余りにも失礼な質問でしたね。申し訳ありませんでした!」
「いや、いいんだ。好奇心というものは止められないものだ。特に若いうちはね」

 少年は……須藤久比人と名乗る少年は端正な顔に眉を寄せ、厳粛にして静かな面持ちを保っている。

 結論から言ってこいつは真っ黒。

 学会での発表に興味を持ったと言って、SNSのDMで接触してきた。
 高校の新聞部の部長を務めており、校内新聞にインタビュー記事を掲載したいとのこと。
 また、魔人細胞を用いた再生医療にも興味があるらしく、大学進学後は山中の研究室に所属して、先天的に疾患のある心臓病の移植手術の分野へ御研究に取り組みたいそうだ。

 そして、こうしてショッピングモールのカフェで会って話をしている。
 学術的な会話がある程度通じたことからも、知能は低くない。

 だが、言っていることは全て嘘だ。

「僕の友人も魔人に殺されたんです」

 少年は少し唐突に切り出す。

「彼女は鏖高校に通うごく普通の裕福な女子生徒でした。数日前に行方不明になり、水死体で発見されました」

 決意を秘めた視線が山中の心を突き刺す。
 本気で言っていると信じたくなる眼だ。

「君はそれが、魔人の仕業だと考えるかい?」
「ええ。あんな酷い事が出来るのは魔人だけだと確信します。なにより彼女が自殺なんてするはずない」

 なるほど、聞くに堪えない。

 自己顕示欲と隠蔽能力のアンバランス。
 未成年でありながら他者を操り殺人を繰り返す外道。

 自身の経験と勘、さらに警察のプロファイリングと照らし合わせた人物像。
 そして直接会話し、確信した。
 この少年こそ警察が【ストックホルム】と呼称する魔人凶悪犯だ。

「……天使だ」

 会話の中に唐突な単語を挟みながら、山中は自己に問いかける。
 敵は洗脳能力を使っているか?
 答えはノーだ。

「娘の名前だ。妻の発案でね。初めての出産で二人とも舞い上がってた。出生届を出すときに冷静になり結局別の名前にしたが……しばらくは天使と呼んだよ。誰が天使を殺したか?決着をつけられるなら私もそうしたいさ」

 思い出したくない過去を語り、心の奥底から湧き上がる憎しみの炎に一切翳りがないことに安堵する。

 少年への愛着は微塵も感じない。

 事前の打ち合わせでは、合図があれば即座にスナイパーが【ストックホルム】を狙撃する手筈となっている。

 能力はまだ行使されていない。
 山中は思考する。
 罠なら準備を整えて対応するだけのこと。
 魔人能力なら発動する契機が必ずある。観察しろ。
 それを見逃すな。

「なるほど天使……それほどかわいかったんですね。失礼ですが奥さんは?」
「……死んだよ。娘の後を追ってな」
「ああ、やはりそうでしたか」

 カツ、カツ、カツ、と
 革靴を踏み鳴らして歩み寄ってきたのは聞きなれた
 聞きなれた、だが懐かしい声だった。

「ドクター。じつは紹介したい人がいたんです」

【博しき狂愛】が悪びれもせずに言い放つ。

 いくつもの足音を伴って。
 その男はやって来た。

「彼女は……琥珀ドクターは亡くなられたのですね」

 過去が刈り取りに来たと言わんばかりに。
 長身痩躯の伊達男が、山中伸彦の目の前に立っていた。
 男は今日日珍しい片眼鏡を彫りの深い眼窩に掛けて、それでいて中性的だった。

「私がドクターのお子さんを……菖蒲ちゃんを殺したばかりに」

 血も滴る紅い白衣。
 というのも、その男が着ているのは本当に血が滴る白衣だった。
 大勢の群衆を引き連れて。

「否、奥さんだけでなく、貴方も『ドクター』でしたね。山中教授」
「……水崎……か?」

 誰が天使を殺したか?

 過去が刈り取りにやって来た。
 山中の前に現れたのは。
 殺人鬼。
 その名は
 血も滴る紅き白衣。
 あるいは冥たる猟血。
 あるいは猟奇なる地獄。
 あるいは免れえぬ腑分け。

 あるいは
 Dr.Carnage。

「さあ、総回診のお時間ですよ」

 それは、虐殺を意味する医療用語。








2024_06_02_13:30_ショッピングモール池袋イルミネ地下駐車場

 池袋周辺のショッピングモールは駅を取り囲むように点在し、ほとんどが地下道と繋がっている。
 外宙躯助こと雨中刃はそれらを通してショッピングモールの一つ、池袋イルミネの駐車場にたどり着いた。
 売り場面積としては池袋でも最大を誇るイルミネ池袋だが、今日はいつにも増して人気が多い。
 駐車場にも人だかりができている。


 そうではない。

 余りにも人が多すぎる。

 すでに雨中刃は、周囲をエイリアンの集団に取り囲まれていた。

「刃さん……どうして……」

 雨中刃は不定形記憶合金”カルガネ”を変形させた日本刀の刃でアンバードの左胸を貫いた。

「すみませんアンバードさん。エイリアンに改造された人間は生かしておくわけにはいきません」

 カルガネを引き抜くと、左胸を貫かれたエイリアンが、ばたりと倒れる。

 彼女は、かつて雨中刃がエイリアンの襲撃から守った高校生の少女。
 女子高生で、同じ学校の友人ととても仲が良かった。
 彼女の名前は……アンバード。
 そして少女の友人の名前もアンバードだった。

「いえ。そんな名前では無かったはず。これもエイリアンの思考汚染による作用か……?」

 今日のエイリアンとの戦闘は、いつもよりも一際違和感が強い。

 まず、アンバードという名前。
 次に、コアのある左胸を突き刺してもエイリアンが死なないこと。

 左胸を貫かれたエイリアンの少女は、何事もなかったかのように起き上がった。

「酷い……刃さんはアンバードになってくれないの?」
「エイリアンの言葉は聞き入れないようにしています」

 状況は不利。
 敵の数は不明。
 少なくとも駐車場内には60人以上のエイリアン。
 だが、姿を見せていないだけでもっと多いはず。

 そのどれもが刃の知り合い。
 知己の者。
 疎遠にしていた友人。
 かつて助けた人間。
 全員が……エイリアンに改造された。

 本来エイリアンにはコアが存在し、コアを破壊されればどんなエイリアンでも死に至る。
 アンバードと名乗るエイリアンは……左胸のコアを突き刺しても灰燼に帰さない。

 ならば、彼らはエイリアンではない?
 否。それだけは、ない。
 エイリアンである以上、必ずどこかに”コア”がある。


 そのコアが見つからないということは……


 雨中刃が早くも答えに至ろうとしたとき、彼の思考は新たな介入者の声でかき乱された。

「お前か?外宙躯助とやらは」

 アンバードの中に一人。見覚えのない女性。
 全裸の艶めかしい肢体に白衣を纏った妙齢の変態女だ。
 乳輪が頭よりデカい。
 明らかにエイリアンである。

「貴方ですか?わざわざ私に連絡して呼びつけたエイリアンは?」

「いいや?だがお前が外宙躯助というのは間違いなさそうだな」

 外宙躯助こと雨中刃は、エイリアンに呼ばれてこのショッピングモールへ来た。
 ただ呼ばれたわけではない。
 相棒の黒ヶ嶺が殺された。

 その弔い合戦として、今日ここに来たのだ。

「もう一度聞きましょう。私の相棒の黒ヶ嶺を操り……今日ここに来るよう声明文を読ませ、そののち無辜の人間を殺害させ、最後に自殺させた……その一部始終を録画した趣味の悪いスナッフビデオを送り付けてきたのはお前か?」
「だから違うと言っているだろ。はあ。話がまるで通用しないな」
「笑止。エイリアンに聞く耳など持つはずがない」

 エイリアンは雨中刃の前でこれ見よがしに嘆息すると、顔を上げた。

「まあいいか。用があるのは”カルガネ”だ。自己紹介しても?」
「ええ、エイリアンにも礼儀くらいあるでしょう。名乗りなさい」








2024_06_02_13:30_ショッピングモール池袋イルミネ6F

「Dr.Carnage。水崎紅人。貴方を手術します」

「ドクター。山中伸彦。お前たちを殺す」

「【博しき狂愛】。須藤久比人。キミたち全員愛してあげる」








2024_06_02_13:30_ショッピングモール池袋イルミネ地下駐車場

「ドクター。燕子花琥珀。君もアンバードになれ」

「外宙躯助。雨中刃。貴方を退治する」








ここから起こるのは

盤外戦術

社会戦

暴力芸術

破壊

それらの頂点にして、原点。


すなわち殺人劇である。


大規模な数の鳴動を孕みつつ、戦いは続く。








2024_06_02_13:40_ショッピングモール池袋イルミネ6F

 まず動いたのはDr.Carnage。
 紅い白衣の裏地からメスを取り出すと山中伸彦に向けて投げつけた。
 何の変哲もないメス投擲だ。

「ふんっ」

 山中は素早くメスを掴むと、Dr.Carnageに投げ返す。

「そんなメス投擲で私は殺せませんよ!」

 Dr.Carnageもまた同じくメスを掴むと、さらに紅い白衣からメスを取り出して投げつける。
 山中もメスを掴んで投げつける。

 やがて双方向からメスが雨あられと乱れ飛ぶ乱射戦へと発展した。
 周囲の客たちからどよめきが起こる。

「ま、魔人同士の喧嘩だ!避難するぞ!」

 人々はカフェから逃げようとするが、Dr.Carnageに後続する死骸の群れが襲い掛かった。

「あああああああ!」

 流血と暴力の嵐があちこちで沸き起こる。
 あっという間に建物内は阿鼻叫喚の地獄となった。

 ドクターこと山中伸彦はわざとらしく舌打ちし、水崎に声をかける。

「意外だな水崎。いや、Dr.Carnageと呼ぶべきか?お前のような人間がよもや【ストックホルム】と手を組むとは」
「意外ですか?残念ながら洗脳されているわけではありませんよ山中教授。私はいたってナチュラルです」

 水崎紅人。
 山中信彦が知る彼は大学の研究室に通う将来有望な好青年だった。
 当時纏っていた白衣もまだ紅く染まっておらず、大の手術好きという奇行奇癖こそ見られたが、決して殺人を犯すような人物ではなかった。

 いま、彼の後方には数200人はくだらないだろう血色の悪いゾンビのような集団が蠢いている。もれなく全員死体だろう。
 残念ながら、全て水崎の手にかかったものと考えざるを得ない。
 それらは水崎の能力により無理矢理動かされている。
 操作系の能力か?
 条件次第では数はさらに膨れ上がるだろう。

 現在の水崎は、大量殺人を犯した魔人。
 彼をここまで変えたのは……

 山中の視線が気になったのか、水崎が眉間にしわを寄せる。

「教授のその眼、気に入らない。何か勘違いしておいででは?私は殺人鬼に"なった"のではない。最初から……こういう人間だったのです。その証拠に、貴方の子供を殺したのは私です」
「!!」
「ああ、アレは楽しかった。溢れ出る涙。血と臓物は今でも脳裏にこびりついて離れない……!」

 彼を変えたもの。
 それはやはり、娘の死と深い関連があるのだろう。

「ちょっとちょっと山中教授!この【博しき狂愛】もちゃんと見てよッ!」

 須藤久比人こと【博しき狂愛】がパイプ椅子を山中の顔面に向け振り下ろす。

 魔人にしては動きが鈍重だ。せいぜい喧嘩慣れした一般人レベル。
 強力な精神攻撃能力を持つ魔人には往々にして良くあること。
 それゆえ、警戒を怠らず魔人能力以外の行為に熱中させておく。

 山中は腕を交差させ振り下ろされたパイプ椅子を受け止めると、【博しき狂愛】の鳩尾に前蹴りした。

「おおっぉああ……」
「何を企んでる【ストックホルム】?それとも【博しき狂愛】か?どっちでもいいがな」

 須藤久比人は吐瀉物を吐きながら床にうずくまる。
 弱い。強くも弱くもないのではなく弱い。
 自らの身を危険に晒してまで魔人を採取してきた者と経験の差が如実に出ている。

「答えろ。なぜDr.Carnageを呼んだ?」

 ドクター山中伸彦が【博しき狂愛】に近づくと、再び水崎がメスを投擲した。

 何のことはない
 このメスも、何の魔人能力も仕掛けられてい……

「!」

 山中が上体を逸らし回避行動に移るよりも一瞬早く、水崎の血が付着したメスが投擲中に急加速する。

 水崎の魔人能力。
 山中は知る由もないが、その名は
 凶行裁血(トリアージ・ブラッド)。

(血液……!水崎は研究室時代から人体に対する興味が人一倍強かった。おそらくは水崎自身の血ないしは肉体の一部が付着した物を遠隔操作する能力)

 回避が間に合わない。
 水崎の血液が付着したメスが、山中の左瞼を掠める。

(しまった!やつに体液に触れた!何らかの発動条件を満たした可能性がある!)

「お返しッ!」

 復帰した【博しき狂愛】が山中の腹を蹴る。
 直撃。だが致死に至る威力はない。

 形勢は不利。

 山中はジリジリとカフェの隅へと追い詰められる。

 客たちは避難が間に合っていない。

「おやおや、年は取りたくないですね?伸彦ドクター。研究室にいた頃が懐かしい」
「ふっ……君は研究方針で妻とよく喧嘩していたな」
「琥珀ドクターですか。そういえば、貴方も琥珀ドクターも『ドクター』としか名乗らないものだから……我々研究員は勝手に下の名前をつけて呼び始めたのでしたね」
「伸彦ドクター……その名で呼ばれるのもいつぶりかな」

 山中が懐に手を入れると、水崎はその長い脚で山中の顎を蹴った。

(リーチ!?長っ……)

「世間話に華を咲かせてはいけませんよ教授ゥ!”娘”さんの仇がこんな近くにいるのに!!」

 Dr.Carnageはカエルのようにドクターへ飛び掛かり、両拳で殴打する。

「日夜研究漬けの伸彦ドクターに、不肖ワタクシDr.Carnageが世間代表として御一講つかまつります!須藤助手も心して拝聴するように!!」
「はい!水崎先生」

 Dr.Carnageの悪趣味な冗談に【博しき狂愛】はわざとらしく敬礼した。

「我々はここへ何をしにきましたか!?殺し合いですよ!!トーナメントバトルではありません!!殺し合いです!!狩る者と狩られる者!どちらかがもう片方を蹂躙するまで終わらない殺しですよ!!」
「……っ……っ」
「もう一度言いましょう!さあ貴方の目の前に大事な大事な娘さんの仇が居ますよ!怒りなさい!怯えなさい!すべてが無意味だと悟りながら天国の菖蒲ちゃんにゥッッ!!?」

 リンチの最中、山中は水崎の頸動脈に注射器を刺した。
 くしくも水崎紅人自身が言及した通り、これは殺し合い。
 カッと眼を見開いたまま倒れ込み、水崎はのたうち回って苦しみ始めた。

「……ふぅ。何か勘違いをしているな?水崎。まず俺はお前に感傷など抱いてない。だが寄る年波には勝てないと言うのは本当でな。昔の知り合いに会って、少し懐かしんだだけだ」

 まるで嘘が下手である。
 ”俺”などという一人称を無意識に使っていることが良い証左だ。
 かなり感傷に浸っていたし、正直冷静ではなかった。
 だが、ここまでだ。

 水崎が自身の血液で操作する彼の犠牲者たちが、まるで糸の切れた操り人形のようにバタバタと倒れ始めた。
 彼の凶行裁血は彼自身の操作によって動く。
 死体を操作する余裕がないほどに、水崎は苦しんでいる。

 高度な操作能力を持つ魔人は本体の思考を掻き乱されることが弱点。
 戦いの基本だ。

「あぁっ……!!?ぐあぁぅぅ……!!?」
「安心してくれ。知人だろうが娘の仇だろうが、お前は生かしておかない。腑分けして五体全て世のために尽くし尽くさせてから、きっちり死なせてやる」

 ドクターがDr.Carnageに注射したのは、赤血球を破壊して原形質を漏出させる物質。
 すなわち溶血剤。
 溶血剤に硫酸を混ぜた特製だ。

「教授……?私の能力を事前に把握して……?」
「水崎ぃ。駄目じゃないか、自分の能力のネタを動画に撮って投稿までしちゃ」

 正確には、山中伸彦はあらゆる可能性を想定して準備をしてきた。
 その一つが功を奏したにすぎない。
 水崎は、先だって動画配信者ムギスケを自らの能力で惨殺する動画を投稿していた。
 能力の全容こそ見えなかったものの……お陰である程度のあたりはついた。
 ありがたいことこの上ない。

「血が……私の血が破壊され……」
「水崎、次は何を考えてる?血管を収縮させ薬品の巡りを滞らせるか?お前の肉体もお前の血液が付着した物体だものな。それくらいできるだろう」
「おいこっちを見ろぉ!」

【博しき狂愛】が一般人を人質にとってドクターに脅し掛ける。
 ドクターは眼もくれず、水崎の首に注射器を挿入する。
 中身は人体の許容量を超えるインスリン。
 血糖値の経過を引き起こすが、昏睡状態に陥るだけで死にはしない。
 すなわち、ここで完全に殺すつもりはない。

「それで?一般人を人質にとってなんだというんだ?そいつは私にとって何の関係もない」
「嘘をつくな!お前、無辜の民が犠牲になるのを無視できないとかそういうタイプだろ!!なぁ、お前もそう思うよな!?」
「え?わ、私ですか?」

【博しき狂愛】の問いに、人質に取られた一般人が迷惑そうな表情をする。

「須藤久比人くん。私ならその”一般人”には近づかない。位置的にも私の立っている場所が安全圏だ」
「はあ?何言って」
「そうですね……私は」

 人質の男は徐にシャツを脱ぐ。
 その体に張り付いていたのは、無数の粘土爆弾。
 C4プラスチック爆弾である。

「私は、貴方もアンバードになればいいと思いますよ」

 爆発と衝撃。

 爆風。
 振動。


 そして、
 池袋イルミネの6Fが崩れ落ちた。








2024_06_02_14:00_ショッピングモール池袋イルミネ地上階1F

 轟音が鳴り止み地響きが収まると、ドクターこと燕子花琥珀は外宙躯助に面倒そうな表情を見せた。

「こんな時にあやめはどこへ行ったのだろうな」
「この爆発は貴方が……?」

 外宙躯助は表情に疑問符を浮かべるが、その一瞬後には琥珀ドクターの視界から消える。
 0.1秒後に琥珀ドクターの背後にいたアンバード数体が崩れ落ちた。

「!!」

 網の目状に展開した"カルガネ"はアンバードの肉体を瞬時にサイコロにしたのだと琥珀ドクターは推察した。
 さらに外宙躯助は"カルガネ"を日本刀に変形させ切り掛かる。
 琥珀ドクターは、敵の間合いを見切って間一髪で躱す。

「わかりませんね。エイリアンが他人の心配ですか?」
「まずは話を聞いてくれないか」

 言葉の応酬をしながら琥珀ドクターは、今の外宙躯助の動きを目で追えた事実に内心驚愕する。

(あやめはまだしも私に戦闘能力はない。動体視力も一般人の平均以下の私が今の攻撃を"目で追った"だと?)

 すでに戦いは一進一退のまま駐車場から一階へと移行している。
 数の上で勝っているはずのアンバードは次々と肉片に分解されてゆく。
 一方で、アンバードもまた数が尽きることはない。
 なおも外宙躯助の変幻自在の猛攻を紙一重で躱す琥珀ドクターは自身の肉体に起きている違和感を拭えない。

(外宙躯助が移動したのは、人員の移動の基点となる一階を抑えて人員の移動をままならなくさせるためか……!こちらの特性を抑えられている。かなりやりづらいな)

 1階にいるアンバードは残り8000体。
 地下階のアンバード1500体はすべて細切れにされた。
 上階及びショッピングモール外では現地調達が進行中。

 琥珀ドクターは思考する。
 自分はおそらく外宙躯助の能力の見当がついていると。

 反対に、外宙躯助はアンバードの能力に見当がついている。

 アンバードが10万体に到達してから8時間。
 同姓同名の群体は既に14万人に到達していた。
 アンバードがネズミ講式に増加することを思えば、この勢いは”余りにも遅すぎる”。
 正直なところ、アンバードが本気を出せば数の力で全てを抑え込めるはず
……だが、琥珀ドクターにはそれをしたくない理由があった。


 再度上階で爆音。
 どうやらアンバード爆弾が誘爆しているようだ。


(高出力マイクロ波動砲があればカルガネの防御を突破できるんだろうが……アレは今あやめの手にある)

 琥珀ドクターは胸ポケットから手りゅう弾を取り出し、投げつける。
 先の上階の爆発を意識した外宙躯助が飛びのくが、爆発はしない。
 中身はスモークだ。

 これでいい。
 欲しいのは答え合わせの時間だ。

「アンバードの一番友好な使い方は”特攻”だ」

 煙幕に乗じて身を隠した琥珀ドクターは、エレベーターの影からわざとらしく解説を始める。
 池袋イルミネ1階は上階に比べ面積が広く、ガラス天井は声を反響する。

「アンバードに殺された者はアンバードになる。それがアンバードの能力だ。」

 答えはない。琥珀ドクターはさらにもう一方の胸ポケットからスプレーを取り出す。
 中身は催涙剤など生易しいものではない。
 VXガス。
 使えば周辺数mが汚染され、人体を即死させる毒性が一週間は残る。
 そんなことをすれば琥珀ドクターも勿論死ぬ。

 だがもし生き残れば、すなわち琥珀ドクターの抱く仮説を証明する事になる。

 答え合わせの時間だ。

「わかるか?アンバードがアンバードを殺しても、アンバードに再回生するだけだ。そういう能力なんだ。だから、体に爆弾を巻きつけ特攻を繰り返す。その方がより人数を調達できるし、効率的だ」

 厄介なのはやはり不定形記憶合金”カルガネ”だ。
 質量と体積を無視してあらゆる形状に変形するカルガネは、使い方次第ではアンバードを完封できる代物だ。

「エイリアンには全てコアがある」

 どこからか外宙躯助の声が聞こえる。
 くぐもった声が反響してよく聞き取れない。

「だが、貴方の言うアンバードたちにはコアがなかった。それはおかしい。エイリアンならコアがある。そしてあなた方はエイリアンだ」
「はっ……とんだ名推理だな」
「私は考えた。もしやあなた方は群体で一つのエイリアンでは?と」

 外宙躯助の説明に琥珀ドクターは歓喜する。
 雨中の妄言は、彼女にとって敵がべらべらと真の能力を話しているに等しい。

 彼女の目的は、徹頭徹尾初めから不定形記憶合金”カルガネ”だ。
 なにせ質量と体積の制約がない。
 これはつまり、エネルギーが実質無限大ということだ。
 魔人能力の産物なのだろうが、これはもうカルガネなどとは呼ぶべきではない。別の名で呼称すべきだろう。
 そう、例えば……賢者の石。

(アンバードになった者は魔人能力が消滅する。それはカルガネとて例外ではないと思っていた。だが、違った!)

 あるいは……それは永久機関なのでは?

「つまりアンバードには『本体』がいて、コアは『本体』にしかない」

 琥珀ドクターの目の前で突如スモークが晴れ、待ち望んだ敵が姿を現す。

(言質は取れた!もう死んでくれて良いぞ、外宙躯助!カルガネさえ手に入れば、ついにアレが……!!!!!!)

 彼女の、マッドサイエンティスト、琥珀ドクターの本質はそれだ。
 全ての動機は興味であり、常に面白そうな方に手を出す。
 目の前に興味深い研究対象があれば、実験せずにはいられない。

 煙幕を断ち切って現れた敵が姿を表す。

 待望したはずの実験対象に、しかし琥珀ドクターは驚愕する。

 外宙躯助が纏っていたのは。

 カルガネを変形させた、

 防護服。

 ガスマスクではなく、全身を包む防護服。

 琥珀ドクターは自分が外宙躯助の戦闘経験を舐め切っていたことを実感する。

 煙幕に乗じての毒攻撃など……一流のエイリアンハンターは看破していた。
 それがVXガスだとアタリまでつけていたことまでは琥珀ドクターは知らない。

「貴方が『本体』だ」

 両腕が切断される。

 返す刀でカルガネの……

(菖蒲!)


 その時、1階の天井ガラスが砕け散り、折り重なる2つの影が墜落してきた。

 満身創痍のそれらは……

「あ~!エイリアンハンターじゃん!やっと見つけた」

 外宙躯助の頭上にDr.Carnageを背負った【博しき狂愛】が降り注いだ。








いくつもの運命を飲み込んで

数多の命は無数に散り往く

破滅の時を待ちながら

殺人者たちの狂宴はまだ欠けぬ








2019_06_02_14:10_東京某所

「ドクター。先日の学会の資料にいくつか質問がある」
「何だドクター。今は実験中だ。質問は後にしてくれないか」

 その人たちは夫婦で、だから苗字は同じで、そして奇妙なことにお互いをドクターと呼び合っていた。
 おまけに話し方までそっくりだったから、僕たち研究員は困っていた。

「伸彦ドクター。琥珀ドクター。メンドクサイからいい加減その呼び方変えてくださいよ」

「「断る。なぜこんな奴におもねらななければならないんだ」」
「止めとけ水崎。この二人はこれで仲がいいんだ」
「畑中さんも言ってやってくだいよ~!」

 二人には当時5歳になる子供さんがいた。
 夫婦ともに研究室にこもることも多く、代わりに当時まだ研修生だった僕はよく子供さんの遊び相手をしていた。

 山中菖蒲ちゃん。
 いつも和服を着せられて窮屈そうにしていた。

「水崎お前、課題もあるのによく他人の子供の面倒なんて見れるよな。しかもあの二人だぞ」
「大丈夫ですよ。体の丈夫さには自信がありますし、なによりあの二人に取り入ると、こっそり検体を解剖させてくれるんですよ」
「????将来殺人鬼になるなよ?」
「はい!」

 なにがどうして運命の歯車は狂ったのだろうか。
 やはりそれはあの日の出来事が原因だろう。

 僕は、琥珀ドクターと言い争っていた。
 内容は菖蒲ちゃんに和服を着せるべきではないという、いつもの話題。

「服装は本人の自由だ。家庭の問題には口を挟まないで貰おう」
「だから、和服なんてのは本人の自認の話云々では無くてですね……」

 菖蒲ちゃんを一人にしてでも、僕は琥珀ドクターに言いたかったのだ。
 所詮、私は独りよがり。
 二人に取り入ったのも死体を触らせてもらえるからだし、し菖蒲ちゃんも生きたまま
 嗚呼。


 アレは愉しかった。



「ドクター!大変です!医大に”生きたまま内臓を抜き去られた子供”が……ドクターの娘です!」

 菖蒲ちゃんの内臓を生きたまま

「馬鹿な!?伸彦は何してる」
「共に襲われて重傷です!!!!」

 血がドバドバと
 嗚呼

「琥珀ドクター、僕がやります!菖蒲ちゃんの手術は僕がやります!出来るはずです!!」

 とても愉しかったナぁ
 ことの経緯はどうであれ、研究室に遵法精神が元々あまりなかったとはいえ。
 他の研修医とは違い、僕はもう手術の経験があった。
 もちろんそれは公には秘密にしておかないといけない犯罪なのだけど。
 ご夫婦もそのことはよくご存じだった。
 そして、あの時あの場に菖蒲ちゃんを延命出来る人間は僕以外にいなかった。


 あの時、まちがいなく全ての運命は僕が握っていた。


 カワイイ

 カワイイ

 菖蒲ちゃん。

 まだ5歳だったのにねぇ

「落ち着け水崎。執刀は任せる。助手に就こう。家族の手術だ、動揺が隠せん」

 生きたままお腹を開いて

「な、なんで大腸が全部ないんだ。どういうことをすればこうなるんだ」
な、
  なんで
    大腸が全部ないんだ。
  どういう

 ことをす れば

   こうな る      ん  だ


 内臓を元に戻してあげないと。
 元に戻して、もう一度お腹を縫ってあげないと。
 でも内臓を持ってかれたねぇ
 だからもう

「水崎!水崎落ち着け!止血に集中するんだ」

 もとに
 戻してあげられなかったね

 ごめんね。

 血が

 血が止まらないんだ。

「血が……ヒヒ……ヒヒヒヒヒ!とまらない!血が!!ヒヒヒイヒヒヒッヒヒ!!!!血が!!血が止まらないよぉ~~~~~~!!なぁんで!?どぉして~~~~~~!!」
「水崎!!」
「だって内臓が無いんだも~~~~~~ん!!!」

 愉しかったねぇ


 溢れ出る涙。
 血と臓物
 今でも脳裏にこびりついて離れない……



 死んだ。



 極め付きは
 手術後の二人だ。

 おかしくって涙が止まらない私に、ドクターは声をかけてくれた。
「決してお前のせいじゃない」「あやめはお前のことが好きだった」
 じゃあだったらなんで菖蒲ちゃんの名前を一回も言わなかったんですか。
 あんたらそれでも親ですか。

 やはり菖蒲ちゃんは私が殺したのです。
 殺人に理由などあってはならないのです。
 ただ殺したいから殺すのです。
 復讐のためだったら、人を殺してもいいと?
 死んだ娘を生き返らせるためなら、他のすべてを犠牲にしてもいいと?
 殺しに大義があれば……菖蒲ちゃんの死は正当化されると?
 違う。違うナンセンス!

 殺したいから、殺すのです!

 外に理由なんか介在してはいけません!!

 アンタらのしてきたことは、これはいわば大義の名のもとに行われる虐殺ですよ。
 だから菖蒲ちゃんは私なんかに殺されたのです。
 いいえ、すべて私が悪いんですよ。

 ゆえに虐殺!

 私自身が、その大義を……Dr.Carnageを背負いましょう!!

「次は■■■■■がいいな」

 アンバードクターの言葉を聞いて、私は引き攣り笑いが止まらなかった。








2024_06_02_14:00_ショッピングモール池袋イルミネ6F跡

 Dr.Carnageと【博しき狂愛】だが、実のところ二人は殆ど面識がない。

 2年前に【博しき狂愛】が水崎医院に患者として訪れたことがある。
 その程度の関係である。

「ッカッはァ!」

 崩壊した建物の壁の隙間から強風が舞い込む。

 水崎紅人は喉の奥から血の塊を吐き出しながら眼を覚ました。
 彼の肌着は爆風で吹き飛んでおり、心臓のある位置には【博しき狂愛】の右手が置かれている。
 少年の左腕は損している。

「心臓マッサージ……」

 水崎は独り言を呟くように少年に問いかける。

「貴方が私を蘇生してくれたのですか?」
「ん?」
「冷酷非道な【博しき狂愛】が何故?貴方は【ストックホルム】なのでしょう?」 

 問いかけに、少年は微妙そうな表情を隠さない。
 彼自身、感情の正体がわかっていないかのように。

 周囲には肉片と化した客たちの死体が二人を守るように折り重なっている。
 爆発の刹那、アンバードを含む一般客たちは”自発的に”Dr.Carnageと【博しき狂愛】を守る意思に目覚め、C4を体中に張り付けたアンバード爆弾に覆いかぶさったのだ。

 驚嘆すべきは【禁断症情(ストックホルム)】。

 水崎が操る死体には作用せず、しかしアンバードを含む一般客全てを瞬時に「Dr.Carnageと【博しき狂愛】への愛情」に目覚めさせた。
 人とは緊急時のとっさの行動ほどその本質をあらわにする。
 それすら壊して問答無用で盾にするまさに神のごとき能力。

 それでも爆発の威力は常軌を逸していた。
【博しき狂愛】は左腕が欠損。全身に爆風による傷。
 Dr.Carnageは右腕と右太腿から先にかけてが欠損。
 伸彦ドクターから注射された薬品は凶行裁血を全集中することでようやく体外に排出した。

「んー、『誰かを本気で助けたい』って気持ちを、どうしても知りたかったから!」

 そのまま、少年は床に倒れ込む。

「あ、あれ……?」
「須藤久比人くん。貴方の感情の名前を私は知ってますよ」
「ええっ!?なになに?」

 水崎はゆっくりと目を閉じて、全身を脱力させる。
 二人とももう永くはない。

 瓦礫の山からは爆発で吹き飛んだはずのアンバードたちが再生し、起き上がりつつある。

「それは『愛』ですよ」
「そっか成程ね~!流石先生!」

 床に倒れ込む二人を再回生したアンバードの集団が取り囲む。
 中には爆発に巻き込まれた一般客たちも……水崎が既に殺した人間は回生しないようだが。
 それでも数は1000人はいるか?

 水崎はアンバードの存在を知っている。
 その情報は須藤久比人からもたらされた。


 まあ一言でいうなら、彼らは相性の悪すぎる相手に少々目立ちすぎたのだ。


「御安心なさい、須藤くん。貴方は最期にちゃぁんと解体してあげますよ。生きたままね」
「うん!水崎先生。他の奴らを全員ぶっ殺して……最期に二人っきりで殺しあおうね!」
「ええ。さて、最期の悪あがきをしましょうか」

 アンバードの集団に紛れてドクター……山中伸彦が姿を現す。
 彼自身も傷を負っているようだが、比較的軽傷だ。
 アンバードの集団が伸彦ドクターに攻撃する気配はない。

「二人ともこの場では死なせん。延命処置を施してから、然るべき場所で被害者遺族の前でしっかり分解してやる」

【博しき狂愛】がDr.Carnageを守るように、その身に覆いかぶさる。
 建物の壁は吹き飛び、強風が舞い込む。

「犯罪者が友愛にでも目覚めたか?そんなはずはない。お前たちはこれからすべての人権を剥奪されるのだからな。人権のない奴に愛などあるはずがない」


【博しき狂愛】の全身から血が噴き出す。


 凶行裁血。トリアージ・ブラッド。
 それは、水崎紅人の血が付着した物を操作する能力。
 水崎の血が付着すれば、他人の血液だろうと、肉体だろうと操れる。

 そう、例えば死にゆく少年でも。

「……ん?」

 Dr.Carnageが抱きついたまま、【博しき狂愛】が立ち上がる。
 遠隔操作系能力は本体の戦闘力がネックだが、ドッキングすることで肉体の限界を超えたまま本体ごと移動させられる。

 爆発のような轟音が周囲の瓦礫を吹き飛ばし、
【博しき狂愛】の背中に流血の大翼が形成される。
 頭部には血の冠。

 次の瞬間、【博しき狂愛】は指で銃を撃つジェスチャーをする。

「アンバードのみんな、そいつ殺して」
「『すこし動かないでください、伸彦ドクター』」

【禁断症情】、凶行裁血。

「Dr.Carnageと【博しき狂愛】への愛情」を植え付けられていたアンバードたちは、さらに「山中伸彦への愛情」を植え付けられ、発狂。
 愛を植え付ける【禁断症情】は人でなしにも良く効く。当然、アンバードにも有効に作用する。
 その効果範囲は能力者本人が指定しなければならないため、「目の前のアンバードたち」に能力を意識すれば、14万人すべてには作用しない。

 一方で凶行裁血はすでに山中伸彦の左まぶたより侵入しており、彼の身体を一時硬直させた。

 アンバードは親しい人間を優先的に殺害する殺人鬼集団。
 1000人いた彼らは半分が山中伸彦に襲い掛かり、残りはDr.Carnageと【博しき狂愛】へと襲い掛かる。

 Dr.Carnageと【博しき狂愛】は満身創痍だが、お互い手を取り合うことで最期の力を振り絞れる。
 凶行裁血の悪あがきにより血の天使のごとき様相を呈した【博しき狂愛】は、満身創痍のDr.Carnageを背に乗せ、



 ショッピングモールから転落した。



 唖然とする表情の伸彦ドクターを置き去りにして、水崎は空を転落する浮遊感を満喫する。
 二人の全身の血液を噴出させているのだ。数十秒と保つまい。
 そもそも、いくら血液を操作できるからと言って、人間二人を飛翔させる程の力など凶行裁血にはない。

 そのまま落下。

 血の天使はそのまま1Fのガラス天井を突き破り、今まさに地面に激突しようとする。

 その時、1Fで琥珀ドクターと交戦していた
 外宙躯助と視線が合う。

「あ~!エイリアンハンターじゃん!やっと見つけた」

 水崎紅人は【博しき狂愛】の狂的な思考に内心恐怖する。
 外宙躯助の魔人能力ノイドミューティレーションは雨中刃と敵対する存在に弱点となるコアを埋め込み、身体強化と魔人能力強化との引き換えにエイリアンに仕立て上げる能力。

 当人含め誰もそのことは知らないが、雨中刃の相棒である黒ヶ嶺はある程度その全貌を把握していたし……その黒ヶ嶺を壊しつくして自殺させた【博しき狂愛】は彼の情報すべてを握っていた。
 NOVAの情報もそこで掴んでいる。








2024_06_02_14:15_ショッピングモール池袋イルミネ1F

 雨中刃は過去に3回自殺経験がある。
 彼がいまだに生きて外宙躯助としてエイリアンを退治できているのはたまたまだし、それほどまでに彼の精神は薄く脆い。
 だが、現在ショッピングモールにいる殺人鬼の中で彼ほど卓越した使い手は他にいない。

 戦闘経験はドクター山中伸彦を遥かに超え、無制限の増殖能力を持つ90000体のエイリアンを単独で殺し切ったこともある。
 それは外界と隔絶された異空間での出来事で、今このショッピングモールとはまるで状況が違うのだが、コンディションさえ整えば、14万体のアンバードも鏖殺できるだろう。
 それが実現できてないのはアンバードが戦力を小出しにし間断なく襲い掛かるからであり、またそのため外宙躯助自身が敵の総数を把握できていないからだ。

 兎に角、戦闘能力において彼は熟達しきっている。

 いきなり目の前に落下してきた【博しき狂愛】とDr.Carnageを『敵』だと認識するのに時間など必要なかった。
 そして逆位置の天使のような少年が、相棒を惨殺した残酷なエイリアンであることも、即座に理解した。
 否。
 敵の計算により、そう誘導されたと言った方が正しい。

「来た、キタ来たキタキタキタ~~~~~~~!!」

 頭から地面に激突する直前。
 逆位置の天使は血の大翼を大きく羽搏かせ、5月の燕のように反転急上昇した。

 ノイドミューティレーションにより即座にエイリアンとなった須藤久比人と水崎紅人は身体強化と魔人能力強化に伴い、飛行能力を獲得した。
 さらにエイリアンはコアを破壊されない限り死なない。能力の過剰行使による死はあり得ない。

 どれだけ虫の息だろうが、コアが破壊されない限りは死なない。

【禁断症情】に制約などないため、これ以上の強化はありえないが、凶行裁血は無制限の残弾を有することとなった。
 飛翔と同時に【博しき狂愛】にしがみつくDr.Carnageは血液の散弾を周辺500mに発射。

 これにより1階にいたアンバード8000体が全滅した。
 全滅?
 この能力の前に穏やかな死などない。

 8000体のアンバードは全てがDr.Carnageの尖兵となったのだ。
 凶行裁血はアンバード8000体を操作下に置いたのである。

「琥珀ドクター!!やはりご存命でしたか!!あのC4爆弾の量は伸彦ドクターではないと思ってましたよ」

 天高く急上昇しながら、Dr.Carnageは【博しき狂愛】にしがみついたまま叫ぶ。
「ヒヒヒイヒヒヒッヒヒ!!!血が!!!!!!止まりませんよ!!!!さあこのショッピングモールにすべてのアンバードを御投入なさい!!10万ですか?100万ですか?全ての行為が無駄だと悟りながら、天国の菖蒲ちゃんに泣いて縋るのです!!!」
「あーっはっっはは!!ありがとうエイリアンハンター!!お陰でこの【博しき狂愛】の考えてることがすべてうまくいきそうだよ」

 二人は空を昇り、外宙躯助と琥珀ドクターの視界から消えていく。

「一月記あやめは!!私が殺します!!!!」








2024_06_02_14:20_ショッピングモール池袋イェソラ屋上(狙撃地点)

 警視庁暗殺部隊、スナイパーの撃岡は狙撃のプロである。
 狙撃ヶ丘高校出身。曲芸変態狙撃部の全国大会非魔人部門で優勝経験あり。
 初体験は5km離れた距離からの遠隔精密射撃で見事に現在の妻を妊娠させた。
 煙幕の中にいるターゲットを発信機一つでスナイパー射撃して無力化したこともある。

(クソっ!ドクターからの合図はどうなっている!?だから魔人なんかとの共闘なんて嫌だったんだ)

『ドクター、山中伸彦は』
『ドクター、燕子花琥珀および10万人のアンバードと共闘する。』

 国会議員であり、民自党副幹事長の嘉藤から命令されたのは、そういう滅茶苦茶な話だった。

 アンバードと言う名前は聞き覚えこそあれど、まさかそれが「殺した人間をアンバードにする」魔人だとは夢にも思ってなかったし、そんな奴らと手を組むことになるなんて身の毛もよだつ話だ。

 だが、総理大臣と国会議員の過半数が既にアンバードという名前にすげ変わっていることを知った時、政治に疎い撃岡もようやく事態の深刻さを理解した。
 国会で審議されているのはアンバード保護法。それすら省令により議会を飛び越え成立する可能性もある。

 嘉藤議員がまだアンバードではないのも計算づくだろう。
 下手に切り捨てていい存在ではない以上、政治家連中が全員敵に回るよりもよほど厄介だ。

 リミットは議会議員の3分の2、そして日本全国民の過半数。
 それをアンバードが抑えれば、国民投票により憲法が改正され、日本はアンバードの手に落ちる。
 アンバード自身が望んでなくても、この国の仕組みは半自動的にそうなるようになっている。政治の流れは激流であり誰も止められない。

 対処するタイミングは今しかなく、嘉藤はNOVAを介してアンバードの『本体』をショッピングモール池袋イルミネに封じ込めることには成功させてくれた。

 アンバードたちと協力してショッピングモール内の魔人を全て殺し、そののち共闘関係を解消してアンバード『本体』を殺害すること。
 それが山中伸彦と彼の協力者たちに課せられた使命だった。
 なお、既に研究室と警視庁にも相当数のアンバードが紛れ込んでいるが、それは全員が織り込み済みである。

 と、山中ドクターの安否確認をしていた撃岡に、1階で外宙躯助との交錯によりエイリアンとなった【博しき狂愛】がDr.Carnageを伴い急接近する。

「うおおおおおっ!?」
「いたいた~。スナイパーさんこんちは」

 撃岡は拳銃を抜きざまに撃つが、二人のエイリアンは意に介さない。
 敵が接近。
 撃岡はナイフを抜き、敵の頸動脈を狙うが、それが彼の最期に見た景色になった。

「須藤くん、このスナイパーさんは殺しても構いませんね?」
「うん、彼の恋愛事情には今のところ興味ないや」

 散布される血に触れ、敵の血液型B型の血が脳内に達して、A型の撃岡はあっという間に死亡した。








2024_06_02_14:30_ショッピングモール池袋イルミネ1F

 Dr.Carnageに操作された8000人のエイリアンは外宙躯助に襲い掛かり、
 そして瞬く間に処理された。
 だが、討伐したのは2000体。
 残り6000は上階へと逃げて行った。

 さらに吹き飛んだショッピングモールからアンバードたちがなおも降り注ぎ、雨とともに血と臓物を周囲にぶちまける。

 琥珀ドクターは心の中で歯噛みした。
 アンバードの強みは集団という一点だが、同時に膨大な数を抱えることで弱みを露呈している。

 なおもショッピングモールになだれ込むアンバードたちは、外宙躯助により次々と処理されていく。
 外宙躯助についてはジリ貧で体力を削り続ければ勝てる。
 だが問題は……

「アンバードの総数14万」
「……?」

 外宙躯助は事態についていけてないのか、しばし思案する。
 琥珀ドクターを襲う気配もない。
 優先目標が【博しき狂愛】たちに変わったのか。
 今は、琥珀ドクターの話に耳を傾ける。
……外宙躯助が思考のために立ち止まるなどありえるのか?

「アンバードの総数10万。それは8時間前の話だ。ネズミ講式に数を増やす彼らは既に14万人規模の大集団に膨れ上がっている。明日には東京中を飲み込み、明後日には関東全野、明々後日は日本中がアンバードになるだろう」
「ちょっと待ちなさい、10万人のエイリアンだと?」

 とはいえ、"諸々の事情"を鑑みてショッピングモールに投入可能な最大数は2万。実際はそれよりもっと少ないかもしれない。
 まず、8時間前に10万人なら、今頃とっくに100万人を超えているはずだ。
 それが14万という”とても規模の小さい集団”に収まってるのは、アンバードが増えるよりも速い速度で、アンバードが減らされていってるからだ。

「……そんなもの、エイリアンに『本体』がいたとして、制御可能ですか?」
「……」

 答えは否。
 だが、琥珀ドクターは沈黙する。
 相手に伝わる情報は少ない方が良い。

「我々とて想定外の事態が多すぎるんだ。君さえアンバードになってくれればこちらも楽なのだが」
「笑止。だがもうひとつ質問がある」
「なんだ?ドクターに素人質問とはいい度胸だ」

 アンバードに『本体』は確かにいるが、その『本体』とて集団を正確に統率する能力などない。
 彼らは『本体』の命令には忠実だが、命令以外には忠実ではない。
 そして、全てのアンバードたちは『本体』が誰かを、誰も知らない。

 それこそ、琥珀ドクターが全員に隠しておきたかったことであり、アンバードの最大の問題点だった。

 思念を通して情報を共有できるならやってる。
 すべての命令は口頭伝達かSNSでの連絡を介して伝えられる。

「先ほど天使型エイリアンに操作された8000人のエイリアン。なぜ彼らは、ショッピングモールの外に出ていかないのです?」
「……?」
「殺した人間をエイリアンにするエイリアンなら、それが一番数を増やすのに効率的でしょう」

 その指摘はもっともだ。
 ショッピングモールにいる人間よりも、外にいる人間の方が圧倒的に多い。
 にもかかわらず、Dr.Carnageに操作されたアンバードたちが誰一人としてショッピングモールから出ていかないのは……

「……なんでだ?」
「隙ありっ」

 外宙躯助からの存外重要な指摘に気を散らされている間に、
【博しき狂愛】の飛翔ドロップキックが琥珀ドクターに炸裂した。

 すでに水崎紅人と物理的に離れており、凶行裁血の飛行能力は喪失したが、
 須藤久比人はノイドミューティレーションにより戦闘能力を著しく向上させている。








2024_06_02_14:20_ショッピングモール池袋イルミネ6F跡

 1000体のアンバードのうち500体はDr.Carnage達を追ってショッピングモールから落下した。残りは全てドクターこと山中信彦に襲い掛かる。

 あらかじめ持ち込んでいた起動阻止システム(MOBILITY DENIAL SYSTEM)を散布することで死体であるアンバード達にも有効に対処できる。
 水95%に陰イオン界面活性剤とポリアクリルアミドを5%加えて攪拌して乳化させたゲル状の液体は摩擦係数を0.01以下に低下させる。
 つまり滑る。

「ああ山中教授!貴方を愛してます!」
「山中教授!」
「大好き!」
「貴方もアンバードに……!」
「♡」「♡」「♡」

 あとは集団の行動しづらい、狭い瓦礫の間を位置取りつつ、崩壊した壁からアンバードたちを滑り落とす。

「「「「「「ああああああああ!」」」」」」

『本体』の命令を受けたアンバードは山中伸彦を攻撃できない。
 事前に協定を結ぶ際に伸彦が琥珀に対して要求した条件である。
 だが、それは事前に命令を受けていないアンバードだけだ。
 いま、山中伸彦を襲ったのは全て今日ここでアンバードになった人たち。
 アンバード爆弾に巻き込まれてアンバードに回生した……巻き込まれた被害者たちだ。

 自分からDr.Carnageを追って落下した最初の500体とは違い、彼らは伸彦ドクターに落とされたのだから回生しないだろう。

「おやおやかわいそうに。殺人鬼に殺されたりしなければあの人たちは死ななかったのに」

 血の羽を生やしたDr.Carnageが飛翔しながら姿を現した。
 スナイパー、撃岡を惨殺したDr.Carnageと【博しき狂愛】はそこで袂を分かった。
【博しき狂愛】は外宙躯助に、Dr.Carnageは伸彦ドクターに用があって会いに来たのだ。

「第二ラウンドですよ?教授」

 残された被害者遺族たちのため、目指すのは最低でも殺人鬼全員の”生け捕り”。
 そこは何があろうと揺るがない。
 山中伸彦は一切揺るがない。

 そもそもDr.Carnageは勘違いしているようだが、山中伸彦はアンバードには回生していない。人間のままだ。
 人間のまま、全ての魔人を殺す。
 アンバードとはあくまで半強制的な協力関係。
 魔人になることは自分自身が許さない。

 Dr.Carnage

 外宙躯助

【ストックホルム】

 アンバード

 全員を生きたまま捕らえ、生きたまま解体する。
 それが最低条件。
 1ミリたりとも誰にも譲れない、ドクター山中伸彦の信念。

「山中教授、ちょっと邪魔」

 そんな懐かしい声が聞こえると、

 爆ぜるような轟音と共に強烈なフラッシュが閃く。

 直後、高出力マイクロ波の弾丸が高速射出される。

 迸る電流の束が雷となり、500体のアンバードを全て、一瞬にして焼き尽くした。

 マイクロ波は電子レンジとかに使われるので、指向性兵器として運用するにしても普通に考えたらもっと目に見えない感じの奴になる気がするが、琥珀ドクターの発明品なので仕方がない。
 彼女の発明は大概が滅茶苦茶だ。

 そういう滅茶苦茶な発明品……魔人能力ではない。この場合は唐傘を構えた和装の少女が、山中伸彦の背後に立っていた。

「お前は……」

 一月記あやめが、そこに立っていた。

「ドクター、どいて。そいつ殺せない」
「一月記あやめ!!」

 羽をバタつかせ空を舞うDr.Carnageが、哄笑のように叫んだ。








理想郷には
理想以外を通らねば辿り着けない

数は力であり
人は一つになった試しがない

宴もたけなわ
死ぬぞ

人も
天使も
ハンターも

みんなあの世の仲間入りだ








2023_12_07_11:20_東京某所

 目を覚ましたのは暗褐色の液体の中。

 それは一般に言う揺籃あるいは子宮の記憶ではない。
 試験管内に満たされた培養液で私は発生した。

「……アンバード。あやめじゃない。お前はアンバードだ」

 白衣を着た何者かが私に語りかける。
 私は人工生命体として始まった。

 奇妙な感覚だが、人工生命体にも母の記憶はある。
 それは胎児が脳に刻みつけた愛などではなく、連綿と紡がれた哺乳類の生命本能。

 人工生命に赤子としての本能があることは即ち、培養液に満たされた状態は死と同義だったが、彼女が取り合うことはなかった。
 いつ廃棄されるかも分からず漂うことは黒い感情を私に齎したが、当時はそれを苦痛と呼ぶと知る術すらなかった。

 ドクターの態度は、私が試験管から出た後も変わらなかった。

「一号機」 
「いち…げっ……き?」
「ふむ、発話能力に難ありか」

 ある日、ドクターは私に本をくれた。
 それを読んで知能発達の経過を見るとのこと。

「これはドクターの好きな本?」
「いいや?」

 言葉を覚えたのは成長ではなく恐怖からだ。
 タイトルは『この闇と光』。
 難しくて前半までしか読めなかったけど、私はドクターにもらった本で人と関わる方法を覚えた。

 人となるべくして私は必死にドクターに縋った。
 今にして思えば。
 あるいはその姿すら、彼女の眼には「失敗作」に見えたのかもしれない。








2024_06_02_14:45_ショッピングモール池袋イルミネ1F

 外宙躯助こと雨中刃にとって、”カルガネ”は単なる武器に留まらない。
 それは先輩エイリアンハンターから譲り受けたものだ。

 彼女の名前は雁金アサヒ。
 自身の肉体を不定形記憶合金に変換出来る『アサヒ雁金属』という能力を持っていた。
 彼女もまた雨中刃と同じくエイリアンに改造された過去があるらしく、彼女からはエイリアンのことについて多くのことを学んだ。

 コロナワクチンはエイリアンが地球侵略のために流通させており、注射を受けると5Gに接続されること。
 連日TV報道されている人工細胞の権威の教授は実は魔人排斥派の議員と手を組んで日夜魔人狩りをしていること。それがエイリアンの陰謀であること。
 マイクロ波を高出力すれば雷を射出できるので、電子レンジを改造して傘にすれば兵器転用できること。
 池袋には密かに殺人行為を行っている医院が2つくらいあり、殺人医師は4~5人くらいいること。
 真夜中に二人でホラー映画を見ると寂しくないこと。

 だが、彼女は次第にエイリアンに精神を蝕まれ、やがてエイリアンになってしまった。
 死を懇願する彼女を外宙躯助は討伐し、最期の力を振り絞って彼女は不定形記憶合金”カルガネ”となった。

 それゆえ、カルガネは雨中刃の精神を敏感に察知するし、変形も自在だ。
 最も、質量操作と体積変化はノイドミューティレーションによる強化の結果だが、いずれにせよ、この世に唯一無二の武器であり、永久機関という琥珀ドクターの推察もあながち誤りではない。



 つまり、カルガネには心があり、それを理解して動く能力がある。
 この事実を、拷問の末惨殺した黒ヶ嶺から【博しき狂愛】は聞いていた。



【博しき狂愛】が右手を銃のジェスチャーにして雨中刃に……否、不定形記憶合金”カルガネ”に向ける。

 少年は自身の興味の対象にしか能力を行使しない。
 自己利益のために使うことがあれば、それは興味の対象へ近づくための行動でしかない。
 彼の興味は今この瞬間に注がれていた。

「【禁断症情】」

 戦闘のために能力を使うつもりは毛頭ない。
 逃走のために使うつもりもない。
 先の6Fでアンバード爆弾に対し民間人に能力を行使して盾にしたのも、緊急時の人間の咄嗟の行動に興味を示したからに過ぎない。興味を持たなければその場で【博しき狂愛】は爆死していた。

 そして、今から行うことも、彼は結果を予想していない。
【禁断症情】は人を壊す能力だが、直接には狂わせない。
 あくまで彼の興味本位の結果として狂わされる人間が跡を絶たないだけだ。
 自分のことを好きにさせたら刺されたことだってある。
 反対に、どんな命令も聞いてくれるようになったこともある。

 今からするのも、それと全く同じだ。

 カルガネに「【博しき狂愛】への愛情」を植え付ける。

「……カルガネ?」

 存在を知っていれば発動できる【禁断症情】だが、わざわざ外宙躯助の前で見せつけるようにやるのも、単なる興味本位。
 外宙躯助に「池袋イルミネ1階への愛着」を植え付け、本人の気付かないうちに足止めしていたのも、今この場でそれを行うための興味本位。
「あれっ?随分抵抗するなぁ~」

【博しき狂愛】がわざとらしく手を翳すと、
 外宙躯助が日本刀にして握っていたカルガネは、まるで猫のようにするりとその手をすり抜け

 球状となり、新たな主人、【博しき狂愛】の手に収まった。

「カルガネッ!!?」
「ヒヒっ!これも一つの愛の形だよね~~~~~~!!」

 カルガネは【博しき狂愛】の掌の上で鳴動し、ビクンと撥ねると直径5m大に拡大。
 しかし、まぶたを閉じるより先に直径0.1mm程の球へと収縮した。

「オレがこの子の使い方教えてあげる~~~~~~!!」
「止めろ!!!」

 カルガネの精神感応性の危険さは、雨中刃が最も知っている。
 悪意のある人間が使うほど、それは



 ざん、と
 過圧縮されたカルガネはウォータージェットのようにビーム上に高速射出され、
 重さ1トンを超える液体金属の直線が、ショッピングモールごと雨中刃の胴体を切り裂いた。



 これにより建物の7階以上が倒落。
 7階以上に避難していたアンバードを含む一般客5000人が死亡した。

「あっ……」
「あ~やっぱ胴体切断じゃ死なないか。エイリアンハンターさぁ、もしかして”自殺しようとしたこと”ある?」
「……?」

 ノイドミューティレーションは雨中刃に敵対する者を問答無用でエイリアンにする。
 そして雨中刃ほど自罰的な者は居らず、彼はエイリアンに改造された過去を持つ。

 切断された彼の胴から上に、丸い球状のコアが見えていた。

「あ……ああああああああああ!」
「ウケる~!でもさぁ」

【博しき狂愛】は雨中刃に銃を向けるジェスチャーをする。

「アンタも、オレの事が好きになる」
「……?……??あっうっ」
「思いついちゃったんだ。愛し合う2人が離れ離れになった後また一つになると、それはどれだけ幸福かなって」

 降り注ぐ雨と瓦礫と人間の中、
 不定形記憶合金カルガネが、切断された雨中刃の下半身を飲み込み、ゆっくりと彼の上半身に近づく。

 雨中刃はソレをカルガネの最終奥義と呼称している。
 余りにも負担が強すぎるため、本当にピンチの時しか使わない。
 だが、【博しき狂愛】がしようとしていることは少し違う。

「『蒸着』」

 改めて【博しき狂愛】は確信する。
 愛こそが最強だと。
 愛は、カルガネで外宙躯助の肉体を包み込み、全身に浸透させた。

 そこに現れたのは体躯3mを超える銀色の巨人。
 無機生命体のごとき、泥人形のごとき、
 エイリアンのごとく。








2024_06_02_12:00_ショッピングモール池袋イルミネ1F入口前

『もしも~し!!ハロハロこんばんわ!恋する瞳に恋してる。あなたの心の天使、【博する狂愛】こと須藤久比人でっす!』

『今から初めての配信をしていきたいと思います!拍手!』

『えーと、ねぇ君、カメラ合ってる?もうちょい上?』

『僕は今からNOVAっていうの?それに参加してみようと思います。なんか殺人鬼たちの殺し愛らしいです。怖いね~!!僕も殺人鬼だから参加資格したい!ということで、では今から僕の能力をNOVA会員の皆様に僕の能力を紹介しながら直談判したいと思いまっす!』

『NOVA会員でワープ能力持ちの人~~~~~~!!これ見てたら今すぐここにきて~~~~~~!!』








2024_06_02_14:50_ショッピングモール池袋イルミネ全体

「AAAAAAAAAAGHHHHHHHHHHHVVVVVVVVVVVVVVVVFFFFFFFFHHHHHHHHHHH」

 カルガネと同化した外宙躯助は唸るような咆哮を上げ、背から天使の翼を生やして高く飛翔した。
 その頭部には天使を思わせる輪が高速回転している。

 弾丸のごとき速さで射出されたソレは【博しき狂愛】の完全な精神操作下にある。
 なお、飛翔の際の圧倒的なGにより内部骨格の役割を果たしていた外宙躯助こと雨中刃はコアごと破壊され既に銀色の巨人の内側で灰となっている。

「凄い!すごいや凄い!イケイケ~!」

【博しき狂愛】が新たにホルムノイドと名付けた巨人は空中を高速回転しながら窓を突き破りショッピングモール2階へと突入。
 竜巻の如く建物を破壊しながら、駆け上がり、瞬く間にアンバードを含む一般客1万人をミンチにするに至った。

 なおもショッピングモールには数多のアンバードたちが流入する。

 建物は高速回転するホルムノイドにより削り取られていく真っ最中であり、倒壊すら許されない。

「AAAAGGGGGHHHHHHHHHHHHHVVVVVVVVVVVVVVV!!!!!!!!!!!!」
「いけませんねぇ、いけませんよ。このままじゃお二人が死んでしまうじゃないですか」

 かッッと光が閃くと、銀色の巨人に雷が落下した。

 高出力マイクロ波。
 一月記あやめの傘が射出した空想化学兵器は巨人の胴を貫いた。

 ホルムノイドに眼はないが、ソレは見た。
 その背に和服を纏った少女と、白衣をまとった医者を乗せて血の羽で飛行するDr.Carnageを。

「お二人を殺すのは私です。私でなくてはならない。協定解消ですか?【博しき狂愛】」
「問答無用。Dr.Carnageも山中ドクターも一時共闘して」
「AAAAAAAAGHHHHHHHHHHHHHHVVVVVVVVVVVV!!!!!!!!」

 Dr.Carnageは空中で両手を合わせ、体内の血液を圧縮させる。
 彼のポテンシャルを最大限に引き出したノイドミューティレーションの効果は能力者である雨中刃の死後も機能していた。

 過圧縮されたDr.Carnageの血液がウォーターカッターとなりホルムノイドに向け放たれる。
 対するホルムノイドも液体金属を過圧縮して撃ち出す。

 血と金属が直線となって空中で激突した。



 当然だが勝ったのは液体金属。比重すら自由に変えられる高速射出は何者でも止められない。
 だが、Dr.Carnageとしては直撃を避けられれば十分。

 目標よりも上方に逸らされた液体金属はあてもなく周辺を切断した。

「凶行裁血」

 Dr.Carnageとしては血が一滴でもホルムノイドに触れれば良い。
 凶行裁血は血が触れた対象を操作できる。
 中でも水崎紅人にとって金属操作は得意中の得意。
 ノイドミューティレーションにより魔人能力を限界まで引き出された凶行裁血は一滴の血液で300秒間の対象完全支配を確立する。

 魔人能力によりホルムノイドを操作出来……!?

「こ、これは……」

 Dr.Carnageが感じたのはまるで壁でも押すような”重さ”。

【博しき狂愛】の【禁断症情】に曝されたホルムノイドは理屈を超え力を発揮する。
 愛する者を守るため、咄嗟に体が動くのと原理は同じである。

「VAAAAAAAAAAGGGHHHHHHHHAAAAAAAAAAVVVVVVV」
「ぐっっっ!!!???おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!???」

 接近するホルムノイドのパンチを避けきれず、直撃を受け下半身を吹き飛ばされる。

「!!!!!!????!?!?!?!?!?」

 ノイドミューティレーションで強化された肉体と言えども、痛覚まで消えるわけではない。
 痛みは鈍化するが、それでいて尚正体を見失うほどの激痛……金的により、Dr.Carnageの胴から下は粉々になった。

 飛翔のバランスを失い、山中伸彦、一月記あやめごとショッピングモールの地面に墜落する。

 この時点で高出力マイクロ波発生装置は粉々になり大破している。

「AAAAAAAAGHHHHHHHHHHHHHHVVVVVVVVVVVVAAAA」

 Dr.Carnageがクッションとなり一命を取り留めた山中伸彦が最後の手段……小型核爆弾の使用を決断する。

 それすら許さぬホルムノイドがついにショッピングモールを鏖殺すべく、2階から上の建物そのものを”カルガネ”で満たしてゆく。

 その光景はコップに水が満ちるようでもあり、ある種幻想的な光景だった。

「VVVVVV……」
「がっぅっ!!?」

 と、そこでホルムノイドの起動が突然に停止し、地面に落下する。
 池袋イルミネは倒壊を免れ、2~9階にかけてが完全に消滅。
 液体金属に満たされた10階と新たに11~17階分の高さを残した。

 投入したアンバード2万人、一般客4万人全滅という結果を残して。








2024_06_02_15:30_ショッピングモール池袋イルミネ1F跡

 エントランスだった場所の瓦礫の山で、【博しき狂愛】はのたうち回って苦しんでいた。

「!!!!!!????!!?ああああああ!!!!!?!?!?」

 かつて経験したことがない程の前後不覚。
 当然だ。
 精神感応で動くカルガネを操作することはそれほど使い手の脳に極度の負担を与える。

 カルガネの使用が外宙躯助の心の脆さの一端を担っていたことなど、【博しき狂愛】は知る由もない。
 脳の構造が元々戦闘魔人でない【博しき狂愛】なら余計に、使えば使うほど、絶え間ない頭痛と発狂するほどの苦しみに曝される。

「頭あ!!!!!!???割れるう!!!!???!!!!」

 そこで首に注射を打たれ、【博しき狂愛】こと須藤久比人は完全に意識を喪った。








2024_06_02_15:31_ショッピングモール池袋イルミネ1F跡

 琥珀ドクターは睡眠薬で眠った【博しき狂愛】を抱え上げると、
 そこで、地上階に降りてきた伸彦ドクターと視線を合わせた。

「ドクターか。今しがた【博しき狂愛】の捕獲に成功した」

 琥珀ドクターがこともなげに言う。

 実質的にアンバードを統べる燕子花琥珀、離婚前は山中琥珀という名前であり、山中伸彦とは仕事でもプライベートでもパートナーだった。

 伸彦ドクターは、気絶したDr.Carnageを背負っていた。

「こちらもDr.Carnageの捕獲に成功したぞ、ドクター」

 なおもアンバードらの流入は続く。

「ここなら君がいると思った」
「奇遇だな、こちらも来てくれると思ってたよ」

 外宙躯助は死んだが、ここまでは概ね伸彦ドクターとの契約通り。

【博しき狂愛】
 Dr.Carnage

 二体の魔人の生け捕りに成功した。

「あとは……『本体』の私を殺すだけだなぁ?ドクター」
「ああ。だがその前にこの二人を解体する必要がある。被害者遺族のアンバードたちを呼んでくれ。いるんだろ?こっちはもう人間側の被害者遺族も、手術室も全部用意してるんだ」








おまえどうして

この人数に勝てると思ったんだ








2024_06_02_23:00_ショッピングモール池袋イェソラ地下シェルター

 池袋には駅を中心にショッピングモールが複数ある。
 崩壊した池袋イルミネのはす向かいには、スナイパー撃岡もらしが待機していた池袋イェソラというショッピングモールがある。
 事前に一般人は避難済みであり、ここがドクター山中信彦陣営の一時的な拠点となっていた。

「ぐ、ぐぅぅ……」

【博しき狂愛】が呻き声ともつかない断末魔のような苦しみを漏らす。

 地下には簡易的なシェルターが用意され、中ではDr.Carnageおよび【博しき狂愛】の遺族が集められた。
 両者ともに犠牲者の特定が難しい以上、集まったのは合わせて20人程度の小さな集団だが、それでも多すぎることは否めない。
 アンバードの中にも遺族はいるはずだが、なぜか立合いを拒否して、アンバードは琥珀ドクターしかいない。乳輪がデカい。

 まず【博しき狂愛】が解体され、途中から続いてDr.Carnageが解体されている真っ最中だ。

「ハッハッハッ!最高ですよ教授ゥゥ!この痛み!!」

 山中伸彦は焦っていた。
 まず二人の移送に時間をかけすぎてしまった。
 さらには、外宙躯助の能力により身体強化を施された二人は中々死なない。
 Dr.Carnageに至っては胸部から得体の知れないガラス球体のようなものまで摘出される始末。

 状況からみて琥珀ドクターの体にも同様の処置が施されている可能性が高いが……彼女は何も言わない。

 NOVAが指定する「殺人時間」は1日であり、あと1時間以内にDr.Carnageを心停止させ、燕子花琥珀を解体する必要がある。

 かつての配偶者だからと言って、先に死なせてから解体することは山中信彦にとって流儀に反する。アンバードの被害者遺族(アンバード)も、おあつらえ向きにショッピングモールにいる。
 とはいえ、余りにも時間がない。

 ドクターとして、山中伸彦は決断(トリアージ)を求められていた。


 というよりも、ここまで彼女の計算だったのかもしれない。
 山中伸彦の知る限り、燕子花琥珀ほどの外道はいない。
 すべてが興味本位。
 そのために倫理を無視した研究を過去から幾度も繰り返してきた。
 アンバードも彼女の実験の成果だろう。

「ドクター、そろそろ私を殺すのだろう?その前に言っておくことがある」

 そう言うと、琥珀ドクターは自らの首筋に注射をする。

「目を背けていたな。私はアンバードではない」

 VXガス。
 生物だろうが物体だろうが、エイリアンの内部のコアだろうが、全てを汚染する現代最悪の兵器の一つ。

「あの子が……あやめが『本体』だ」








2023_12_07_11:20_東京某所

 ドクターは私に着物を着せた。
 私は、愛玩人形に等しかった。

「お前にはあやめと私の細胞が使用されている。遺伝上は馬鹿ではないはずだが……」

「二号機には別の細胞を使うべきか?しかしあやめは私と伸彦の子だ。他のを使えば……この際伸彦を……」

「お前、二号機以降を勝手に廃棄したな?アレ等は確かにお前にも満たない失敗作だったが……生む側の身にもなってくれ」

 やがて研究室の隅にうずくまる女の子の幻覚が見えるようになってきたころ。
 0才7カ月の私の記憶は壊れ始めた。

「やはりクローンベースではテロメアが短すぎるか」

 もうすぐ私は死ぬ。

 記憶がバラバラになって衰弱していくらしい。

 ドクターはアルツハイマーと言ってた。

 だけど死ぬ前に私は私であった意味を知りたかった。

 自分の名前の意味をドクターのPCで検索したとき、

 一番初めに出てくる情報を見た。

 私は、自分が生まれた意味を知った。

 やっぱり私はあやめなんかじゃない。

 あやめじゃないなら、私はアンバードだ。

「お前が勝手に廃棄した二号機たちだが……どういうわけかまだ死んでない。お前、何をした?」

「あやめ、お前ちょっとコイツを殺してみてくれないか。ああ、道具は用意してやる」








2024_06_02_23:20_ショッピングモール池袋イルミネ1F跡

 アンバード、一月記あやめには自身が『本体』である自覚がない。
 山中菖蒲の培養細胞をベースに、燕子花琥珀のDNAを掛け合わされた彼はクローン体である因果から生前にアルツハイマーを引き起こしている。
 自害したことでアンバードとなった後は記憶の崩壊が停滞したが、知能の低下と自身が『本体』である自覚が欠落した。

 自己再生能力を持つ少年、山中菖蒲とまったく異なる魔人能力に覚醒した時点で彼は一月記あやめでありアイデンティティは確立しているのだが、深層心理ではなおも自己の存在意義を強く否定する。
 その保管のために彼は自らと同じアンバードを増やし続けているのだが……自覚がない以上、一切そのことには思い至らない。

 その彼は今、自らが増やした犠牲者たち……アンバードを使って、崩壊した池袋イルミネからホルムノイド……すなわち不定形記憶合金”カルガネ”の持ち出し作業に躍起になっていた。

「何故私がこんなことを」

 3mを超える巨人の姿で瓦礫の中から発見されたカルガネは推定重量90tという慮外の重みにより運び出しを極めて困難なものにしていた。
 周辺の被害が大きく、クレーン作業はできない。
 すべてをアンバードたちの力で行う必要がある。

 そのアンバードたちは一切の間断なく、ショッピングモール周辺に集結しつつある。

 実際のところ、
 ショッピングモールの戦闘が始まる5時間前より、アンバードたちは既に【博しき狂愛】の興味本位によりその数を大幅に減らしていた。
 本来なら既に1000万人を超える大群に変貌しててもおかしくはない。
 ホルムノイドとの交戦で2万人減らされたが、なんだかんだで14万人規模に復帰している。それでも14万と1000万では桁が違う。


 一月記あやめが知る由もないが、黒ヶ嶺からNOVA参加者の情報を得た【博しき狂愛】は近頃よく聞くようになったその名前と結びつけ、アンバードが複数人いることに事前に思い至っていた。
 まず【博しき狂愛】が池袋を除く東京中の人間に与えたのは「アンバードという名前の存在を殺害することへの愛」である。
 これによりアンバードは池袋を除く東京中の人間に追われる立場となり……当然、数の上でも大きく負けて、
 否応なく、池袋に追い立てられたのだ。

 自分たちが追い詰められていることはなるべく伏せたい。
 それが一月記あやめがドクターから聞いた意向だった。

「何かがおかしい……」

 ふと、瓦礫片の中で目についたのは、球状の金属だ。
 まるでなにかを守るようにそこに鎮座しているが、色艶はカルガネと同様である。

「何……これ……」
「あ、ちょっとごめんよ」

 金属球を拾おうとした一月記あやめは、唐突に後ろから何者かに抱きしめられる。
 白衣を着た男性だ。
 伸彦ドクターではない。
 もっと若い。

 誰だ!?
 誰なんだ、コイツ!!?

「ああ、動くな動くな」

 突然現れた変質者は、着物のスキマに徐に手を突っ込むと、一月記あやめの股間をまさぐり始めた。

「は?ちょっ」
「あったあった。よっと」

 ゴリゴリ



 メキメキぃ



 と、いう睾丸の潰れるとても嫌な音がして、一月記あやめは崩れ落ちた。

「~~~~~~~~~~~ッッ!!!!!!???」
「もういっちょ、ほっ」



 ブチブチ



 ミチミチィ



 ばちい

 もう片方の睾丸もひねりつぶされた。

「!?、!?、!!?」
「アイツの、久比人の言う通りか」
「!?アッ!!?【博しき狂愛】のsふぁgkh!!???」
「こんな可愛い子に、キンタマがついてないわけないよな」
「お前っっあcgh!!、!?!?アッアッアッ!!!新堂夢朗!!!!」

 白衣の男は金属球を拾うと、反転して逃げ出した。

「殺す!!!!!ア”””””””ッ!!!!!!!」

 一月記あやめは股間を押さえてうずくまると、痛みで動けなくなった。
 アンバードに命令すらできない。

 そうしているうちに空間上に異空間ゲートのような真っ黒いポータルが開いて、【博しき狂愛】の協力者、新堂夢朗はどこかへと転送された。








2024_06_02_23:30_ショッピングモール池袋イェソラ地下シェルター

「ドクターお前、最期まで私を魔人だと思っていただろう。最期まであやめが『本体』のはずはないと、深層心理で考えていたろう?」

「………………」

「あやめが本体なんだよ。お前は人間の私を殺害した殺人鬼だ。さあ、これから、自分の娘を殺しに行くがいい」

「……ドクター」

「菖蒲だって、自己再生能力を持つ魔人だった。もう菖蒲がいないからって、お前なんかが、魔人排斥論者になって良いはずがないんだよ。私たちはただの、人殺しだ……」

「違うな。魔人は必ず殺す。全員殺す。ショッピングモールにいるのがあやめの似姿だろうが、必ず殺す」

「……次はおんなのこがいいな…………」

 燕子花琥珀は崩れ去る。
 だが、その直前。

 彼女は自身の復讐計画がすべて破綻していたことを悟る。

 崩壊する彼女が最後に見たのは、


 助手の畑中が培養液に漬けて持ってきた、魔人の心臓。
 愛した我が子の、愛玩人形の心臓。

「なんで……」

 ノイドミューティレーションによりエイリアンと化した燕子花琥珀は死体一つ残さず、そして絶望しながら死んだ。

「ドクター……」
「山中教授。心臓を持ってきました」

 感傷に浸っていた山中伸彦は、ようやく事態の異常性に気が付く。



……なぜ、助手の畑中が菖蒲の心臓を持ってきてるのだ???


 それは、研究室から少しでも持ち出せば数時間後に崩壊する。
 こんな場所にもってきていい代物ではない。

「畑中……?それはあやめの……」
「『あやめ』ちゃんではありません。ちゃんと『しょうぶ』ちゃんと……本当の名前で呼んであげてください!!」
「それは、持ち出せば喪われるんだぞ?????正気か?」
「確かに……なぜ私はこんなことをしているのでしょう」

 愛は
 時として
 最悪の事態を引き起こす。

 轟音が鳴り響いた。








2024_06_02_23:35_ショッピングモール池袋イルミネ1F跡

 明らかに何かがおかしい。ショッピングモールにいるアンバードの数が多すぎる。
 総勢14万。
 おそらくそのすべてが周辺に集まっている。

 まるで、アンバードすべてに「池袋のショッピングモールから離れたくない愛着」を与えられたかのように。

 禁断症情。
 それは、かねてより説明済みの通り、
 複数人同時を対象に能力を掛けられる。
「アンバード」と指定すれば、アンバード全員に掛けられる。
 対象効果範囲の制約はないのだ。

 一月記あやめが睾丸を握りつぶされた痛みの中で、それでも止まらない寒気に震えた。

 アンバードは、どちらかといえば弱者の集団だ。
 自然動物を含めればもう少し増えるが、2万人がショッピングモールに集めることのできる限界人数だ。彼らは決して一枚岩ではない。
 知能は低いが、個々の考えがあり、希薄ではあるが個性もある。

 アンバードと言えども学校があり、仕事があり、用事がある。趣味もあるし、高齢で寝たきりのアンバードもいるし、介護の必要なアンバード、育児に忙しいアンバードだっているだろう。新婚のアンバードだっているし、家を買う余裕のないアンバードもいる。仕事を探してるアンバードもいる。別に暇ではないのだ。
 アンバードの組合も既に誕生していて既に軋轢を起こしているし、政治家バード達がアンバード保護法を可決すれば、動員はさらに難しくなる。

 それらが総勢14万。すべてショッピングモールに集結している。
 B’zのライブを聞きにきたわけではないのだ。
 いくらなんでも集まり方はおかしい。

「ッヒッヒヒ!!!イッヒヒッヒヒヒ!!!!」

 一月記あやめの前に、黒いフードの小柄な女性が現れる。
 それは、かつて早地にこと呼ばれた少女を手ずから葬った際に現れた女。

「貴方、NOVAのVIP会員の????」
「わっ私の名前は和風鳶子と言います!!!!」

 誰の耳にも聞こえる声で、彼女は叫ぶ。

「私は!!!!『ワープ総本家』というワープ能力持ちの魔人です!!!NOVAのVIP会員でありながら、私は!!!」

 彼女の、和風鳶子の眼は明らかに常軌を逸していた。

「私は!!!【博しき狂愛】様に!!!NOVAに関する情報を全て提供してしまいました!!!!これは許されざる逸脱行為です!!!」
「なにを……」
「殺してください!!早く私を殺してぇぇぇぇ!!!!ひっ」

 和風鳶子は大粒の涙を流しながら、両手を高く掲げる。
 大雨の降りしきる空が、真っ黒なポータルに塗りつぶされる。

「『ワープ総本家』は!雨の日にしか使えない魔人能力です!!」

 雨。

 雨?



 雨ではない。
 それは

「通常は私一人しか移動できませんが、「双方の了解がある」と私が認識していれば!本当は何人でも転送可能です!!だから……」

 空から転送されている。
 なにが?

「あっあの方は無敵です!!私は見ました!!見てしまいました!!!誰もあの方には……【博しき狂愛】様には勝てないんです!!!!私はNOVAを裏切った責任をとって死ななければいけません!!みんな逃げてええええええええええ!!!」

【禁断症情】の効果対象範囲に制約はない。
 誰に対しても……例えばインド人全員に「池袋イルミネへ行くことへの執着」を与えることも……不可能ではない。
 それはあくまで愛を与える能力。
 だが、愛はあらゆる障害を超えて最悪の事態を引き起こす。

 本来は特殊レギュレーション用のトーナメントのために活用される和風鳶子の能力は、14億の人間砲弾を齎す災厄と化した。

 誰も逃げられない。
 アンバードは全員「池袋イルミネへの愛着」を植え付けられている。

 Dr.Carnage、
 外宙躯助、
 燕子花琥珀、
 山中信彦
 彼らにしたって、「池袋のショッピングモールへの愛着」を植え付けられていたから、逃げられなかっただろう。

 一月記あやめの人生全てをあざ笑うがごとく。



 14億人のインド共和国国民全員が、1万分の1の集団にすぎない14万人の頭上に降り注いだ。








2024_06_02_23:50_ショッピングモール池袋イェソラ地下シェルター跡

 おそらくこれは魔人能力による作用だ。
 この患者を助けなければならないという強い想いが、まるで恋愛感情のように頭を暴走させる。
 いつだ?いつ掛けられた?
 考える余裕はない。

 このままでは【ストックホルム】は死ぬ。
 それが正しいのだと、ドクターは理解できている。
 分かっている。悪夢のような外道。例え山中が魔人排斥思想を持たなかったとしても、この【ストックホルム】を助ける理由がどこにもない。
 むしろコイツを助けてしまえばこれ以上の惨劇が起こることは明白だ。
 だが、心は理性を拒絶し、体が勝手に【ストックホルム】を助けようとする。

【ストックホルム】は精神に強く作用する能力。

「悪魔め……」

 山中はひとり呟く。
 幸い、まともな医療器具は殆ど埋もれてしまっている。
 助けようにも、助ける手段がない。
 その事実に安堵する一方で、心から悔いてしまう思いもある。

 これまで数多の魔人を解体してきた山中は、なんとなく理解していることがある。
 水崎にはあったはずのコアが、コイツにはない。
 つまり、既に自分で摘出して、どこかにコアを隠し持っている。

 だからこそ、理解できる。
 コアを切り離して、どれだけ肉体は維持できるのだ?
 おそらく数時間。
 もしコアを残して肉体全てが消え去れば、【ストックホルム】は思考すらできない、ただ存在するだけのコアの塊になる。

 放置することは、「怪我人の”肉体”を救うことへの愛」を押し付けられた山中伸彦には……どうしてもできない。

「……ひとつだけあるじゃないか。コイツを助ける方法が」

 だが、それだけはやってはいけない。
 それはこの池袋のショッピングモールに畑中が持ってきた。
 愛した我が子の心臓。

 コアの代わりに、自己治癒能力を持つこの心臓を移植すれば、彼の肉体は助かるだろう。

「……助けて」
「お手伝いしますよ、山中教授」

 瓦礫の中から水崎紅人が上半身だけの姿で現れる。

「……は?」

 そのまま、彼は自らの血液を、凶行裁血で、菖蒲の心臓と、開腹されバラバラになった【ストックホルム】に接続しはじめた。

「ああああああああ!なんで!なんでなんで!?相手は魔人だぞ!!嫌だ、止めるんだ水崎!そんなことをすればお前まで死んでしまう!!やめろ!誰か止めろ!!」
「やっと分かったんです。私のやるべきことが。医者として患者を救う。それが私の使命です」
「だっ」

 水崎紅人は聞く耳を持たない。
 彼は人生最後の瞬間に、ただ目の前の患者を救おうとしているだけだ。

「誰か!!誰か助けて!!水崎を止めてくれ!!殺してくれ!!水崎を殺してくれぇぇぇ!!誰かいないのか!?誰かお願いだ!!このままだとこの患者は……この悪魔が助かってしまう!!より大勢の人間が犠牲になるんだ」

 山中伸彦の懇願に、水崎紅人は穏やかな医者の表情で返す。

「教授が言ったんじゃないですか?目の前の患者を助けることに集中しろと。それが医者の本懐ですよ」
「助けてー!誰か助けてー!誰かあー!」

 そして心臓が完全に【博しき狂愛】に収められ、血液操作により丁重に腹部を縫合された。

「教授……ついにやりましたね……菖蒲ちゃんを……」

 水崎は崩れ去り、灰となる。
 すでにコアを破損していた彼は穏やかに散った。

 絶望と歓喜の波がいまだ経験したことのない快楽の波となって、山中伸彦の脳に襲いかかる。

「教授、勃起してる」
「ああ信念……信念……」

 患者が救われたという絶対的な事実を前に、医者としての愛を植え付けられた山中は激しく射精した。








2024_06_02_23:55_ショッピングモール池袋イェソラ跡
 魔人細胞を用いた再生医療で注目を集めていた山中伸彦教授が違法な殺人行為で検体を得ていたことを自ら告白。その後、近くにいた少年を強姦したのち自殺した。
 周辺は壊滅的な被害状況であり、一部始終はビデオ映像を通じてネット公開中。
 山中教授は事件の際に魔人に覚醒したと思われ、再生能力を用いて怪我人を再生しつつ殺害を繰り返した。
 IPs細胞の研究者であり名前が酷似していることで有名な某教授は「とても信じられない」とコメント。周りから風評被害が心配されている。




2024_06_03_00:00_池袋某所
 池袋にて大規模な破壊が多発。
 死者、行方不明者不明。

 駅直結ショッピングモール■■■および×××が周辺を含め壊滅。
 現場に夥しい死体の山。
 建物崩壊により道路を含むすべての交通機関が途絶し救急活動が難航。
 連日の大雨でヘリが出動できず。
 なおも興味本位で近づく見物客により被害拡大中。
 ネットでは池袋の悪夢の再来と呼称される。

 また総理大臣が行方不明。
 国会議員の過半数が行方不明。
 関係閣僚とも連絡が取れない状況。




2024_05_00_00:00_バングラデシュ某所
 バングラデシュ政府がインドの消滅を確認したと発表。
 人口14億人の殆どが死亡したとのこと。
 生存者を捜索中。








 記事をまとめながら、新堂夢朗はノートPCを叩き壊した。

「あんのクソボケ〜!俺をぶっ壊すんじゃなかったのかよ!!俺以外のやつに構ってんじゃねぇぞ!!【博しき狂愛】!!ぶっ殺す!!!」



外宙躯助……死亡。
Dr.Carnage……死亡。
燕子花琥珀……死亡。
一月記あやめ……死亡。本体の死亡によりアンバードは全て消滅。
山中伸彦……死亡。

【博しき狂愛】……エイリアンとなる。コアは後に身体の中に戻した。不定形記憶合金"カルガネ"を奪取。








A:誰も天使を殺せない








※このSSは実在の人物、団体とは一切関係ありません!!
最終更新:2024年06月02日 20:05