◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――過日。
月明りが叢雲に陰るある夜。
二人の男女が相対している。
彼らは綾目流と呼ばれる古武術を修める武道家の師弟であった。
……この時までは。
「――外道に堕ちたか」
「違うね。――修羅に入ったのさ」
驚愕、焦燥、侮蔑、そして嘲笑。
会話を打ち切るように滲み出す殺気。
そうして呆気なく――二人の関係はこの瞬間に決裂した。
弟子たる娘は凶刃を手に斬りかかり、
師匠たる老父は杖を構え迎え撃つ。
数度の交差を経て、床に倒れていたのは老父の方だった。
まだ息は有る。されどそう長くはもたない。
「ジジイ、最期に聞かせろ」
そのような状態の師にまるで遠慮せず、凶手は声を掛ける。
「“鬼”ってのは誰のコトだ」
「……その名を、何故」
「テメェの弟子からだ。時間も無ぇんだ、さっさと話せ」
そのあまりにも身勝手極まりない言動に、いっそおかしくなったのか老父は、ハ、と緊張の抜けた息を漏らし。
「貴様より八つは年若い娘の話だ。綾目流刀剣術を修めた一人の鬼」
「八歳年下だぁ? おいジジイ、お前さっきオレに今までの門下生の中で一番速く極めたって言ってたのはフカシかよ」
「――間違いなものか」
怪訝な表情をする女。だが老父は触れてはいけないモノに慎重に触るように言葉を選んでいるようだった。
「奴は……極めてなどいない。ただ綾目の……殺めの剣を振るうのみ。殺しの修練のみを得て綾目流から破門された」
女は――曇華院麗華は老父のその表情を見た。
死に瀕してなお自らへと向けることの無かった感情。
畏れ、だった。
「百目の“鬼”――百目鬼孔雀」
その後。師を殺した麗華は全国各地で武芸者や格闘家たちを狙った連続殺人事件を起こし“鬼子”と呼ばれるようになる。
彼女の目的が何であったのか、未だに誰も知らない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――数分前。
雨が、降っていた。
「オレの招待に応じていただき……感謝するぜぇ、『くーちゃん』さん。ハッハァ!」
サンシャインシティB1F。時刻は夕方、黄昏時の一歩手前。
天候のせいか、普段地上を通る人だかりも地下を使っており、幾分人が多く見える。
「へぇ、僕のこと知ってるんだ、『スパイダーマン』さん。一般人をまるで気にしない、むしろ自分からカメラに映りに行くような派手な殺し方。界隈では、人気らしいね」
そんな地下エリアの一画にある噴水広場。
その名の通りに噴水と、さらに大型モニターが設置されており、様々なイベントで利用されている。
そして今は何のイベントでも無いはずなのに、ヒョウ柄のレインコート姿の男と黒いセーラー服の巨乳美少女という妙に目立つ二人が数メートルの距離で向かい合っていた。
周囲の人間は何か出し物でもやるのか、それとも不審者か――はたまたただの変人ならたまに湧き出るか。なんて風に興味を惹かれたりを我関せずと早足だったり。その反応はいくつかのパターンに分かれたが共通しているのは誰もわざわざこの二人に関わろうとはしないということ。
そんな周囲の騒めきを気にも留めず二人は――スパイダーマンと普見者は言葉を交わす。
まるで様子の異なる二人の共通点。それは彼らが殺人中継サイト『NOVA』で開催されている殺人鬼ランキングの参加者だということ。
ヒョウ柄のレインコート姿の男は振入尖々。殺人鬼・スパイダーマンの異名を持ち、殺人鬼ランキングの参加者に「サンシャインシティでの決闘」を呼びかけた人物。
セーラー服の巨乳美少女は百目鬼孔雀。殺人鬼・普見者の異名を持ち、スパイダーマンの呼びかけた「サンシャインシティでの決闘」に応じてやってきた“正義の味方”。
「知ってるかァ? 美少女が無惨に死ぬのは人気コンテンツなんだぜ。――オレの人気の踏み台になってくれよ」
「あはは、美少女なんてそんな照れちゃう。――僕のチャンネルでも『スパイダーマンを殺せ』ってコメントは結構あってさ。悪いけど動画のネタになってくれない?」
詰まる所、話は至極単純で。
これからこのサンシャインシティで二人の殺人鬼による殺し合いが始まるということ。
尖々と孔雀はヘラヘラと軽薄に笑いながら、それぞれの得物を取り出し―――
数分後。
生存者が全員逃げ出して人が誰も居なくなった噴水広場では、大型モニターの画面は粉々に叩き壊され、噴水の水は巻き込まれた通行人の死体で真っ赤に染まっていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――現在。
「ハー! ハーハッハー! ヒャァァァ、ハァァァァ!」
サンシャインシティの地下通りをヒョウ柄の殺人鬼が高笑いながら駆ける。彼は自らの獲物たる鉤縄を道行く人々の身体に引っ掛けて引き寄せ、その反作用で木々を飛び交う猿のように人込みの中を進んでいた。
「ぎゃぁ!」
「痛い!」
「助けてぇ!」
当然鉤縄がかけられた哀れな一般人たちは鉤爪による刺傷と引っ張られたことによる打撲を受け次々と苦しんでいた。それをBGMのように聞きながら尖々は思考する。
(「正義執行ちゃんねる」の「くーちゃん」。悪人を断罪する動画で人気を博している殺人鬼。あるいは『正義の味方』)
この殺人鬼ランキングは相手を殺して勝った方が上位になるのは当然だが、同時に『NOVA』のVIP会員による人気投票でもある。
つまるところ参加者に求められているのは単なる殺人というありきたりなことでなくより劇的でパフォーマンスのような殺し。
(となれば腹の内はともかく『正義の味方』というキャラ付けで人気を稼いでいる「くーちゃん」としては一般人を積極的に巻き込みたくはないんじゃないか?)
サンシャインシティは人通りが多い。
絶賛始まった殺人鬼バトルによる騒ぎは段々と広がりつつあり、通行人は蜘蛛の子を散らすが如く逃げ出しているがそれでもまだまだ残っている人数は多い。
この環境下であれば相手は十全の力を発揮できないのではないか?
そのように考えを巡らせていた尖々の後方から――凄まじい速度で孔雀の日本刀が突き出された。
「!」
尖々は鉤縄を利用した移動法により幾分か先行していたはず。なのに孔雀はこの人込みの中を縫うように。そして大地を踏み砕かんばかりの踏み込みで一息に距離を詰めてきた。その技量に思わず尖々は目を見開く。
「……すごい」
思わず感嘆を漏らしながら――尖々は鉤縄に引っ掛けた女性の身体を刀身へと目掛けて放り投げた。
「アアァァァァァァァァ!?」
断末魔と共に女性の胸元に日本刀が突き刺さる。
孔雀はそのまま背負い投げのように刀を振るい、女性の肉体を放り捨てた。
「すごいな……!」
尖々はその光景に重ねて感嘆を漏らした。
一見すると力任せの無茶苦茶なようで、しかし孔雀は正面からぶつかって来た女性に対しその勢いを利用することで刀身に必要以上の負担を掛けず、そして足を止められることもなく切り捨てることに成功している。
「うん? 何か言った?」
「いーやぁ? 正義の味方が容赦無いなって言っただけだ!」
わざとらしい笑い声を響かせながら、尖々は少しだけ方針転換。引っ掛けた人間をただ引き寄せるだけではなくできるだけ孔雀へぶつけるように引っ張る。
「そりゃそうだよ。僕は正義の味方じゃない、“正義の味方”は僕のリスナーだからね」
心底どうでもよさそうに孔雀は答える。
答えながら、彼女は自身へと突き出された通行人たちに刃を――向けることなく間をすり抜けるように通った。
孔雀は通行人たちの身を案じて日本刀を振るわなかった、
……というわけではない。
(ああ、わかるよ。普見者。今お前さんが殺さなかったのは慈悲の心でも殺人への忌避でもない)
殺した方が早かったから殺した。
殺さない方が早かったから殺さなかった。
百目鬼孔雀にとって、人を殺すのは別にどうでもいいことだから。
「あなたも僕と同じだよね」
尖々の心を見透かしたように孔雀は言う。その言葉を否定も肯定もせず、“スパイダーマン”は軽薄に笑う。
そう、尖々と孔雀は同類だ。
殺すことに忌避も抵抗もないが、別に殺すことに楽しみも喜びもない。
殺したいわけではないが、殺したくないわけでもない。
必要だったら殺す。必要でなければ殺したり殺さなかったりする。
何故なら――殺人とは別にどうでもいい行為だから。
この僅かな時間、少しのやり取りで尖々と孔雀は分かり合った。
二人は同類であり、互いの気持ちに共感できる存在であるのだと。
だから。
「「殺す」」
だから殺す。
殺す必要もないし殺したいわけでもないし別にどうでもいい。
「「どうでもいいから、死ね」」
宣言と共に、孔雀は大きく踏み込んだ。
何度目かになる尖々の前方への鉤縄の投擲、それを振り被る間隙を突く一歩。
既に鉤縄の長さは見切っている。前方の一般人へと着弾しそれを取っ掛かりにして加速――それまでに斬撃が間に合う算段。
そのつもりで踏み込みを行った剣士は。
「っ、短い!?」
投擲者が鉤縄のロープを先ほどより短く持っていることに気付く。
そして孔雀は見た。
右手で鉤縄を前方に投げようとしていた尖々が、反対の左手でロープを持ち直し姿勢を前後反転しようとているのを。
前方への投擲をフェイクとした後方への振り回し。このタイミングを狙っていたのは孔雀だけでは無かったということ。
「ヒャァァァァハァァァァァ!」
両手で短く持った鉤縄をバットのように振り抜く尖々。
短く、とは言ってもその射程距離は3メートル近い。範囲内に盾にできるような通行人も居ない。
判断は一瞬。
孔雀は跳躍すべく膝を曲げ――そのまま跳ぶことなく前傾姿勢で床に伏した。
「――アァっ!?」
頭上で、ブォンと鉤爪が空振る音が響く。跳躍はフェイント、孔雀の動きに合わせるように攻撃の高さを上へと尖々に調整させてから下へ回避した。
その代わり、床に伏しているも同然のこの姿勢では孔雀は視界がほぼ皆無だが――
(『アルゴスの瞳』)
即座に魔人能力を発動。孔雀の能力は“眼”を自在に生成しその視界を得ることができる。
これにより本人の視野とは無関係に視覚情報を得ることが可能。尖々は――
今の一撃が空振った上に、上方へと振り回した鉤縄が地下通路の天井から吊り下げらている広告に絡まって一瞬動きが止まっている!
(……今!)
千載一遇の好機。
孔雀は伏した姿勢から跳びかかるように尖々へと斬撃を放った。
深い踏み込みを伴うこの一撃は、仮にバックステップをしても避け切れないものであり。
「―――」
だからこそ。
「おいおい忘れたのか? オレはスパイダーマン、だぜ」
上へと回避したその動きに、孔雀は反応し切れなかった。
「なんで、広告に……!?」
アルゴスの瞳でそれを見ていた孔雀には分かる。尖々は広告に絡まった鉤縄を支えに天井へと跳躍したのだ。
だが問題はその鉤縄が今にも破れそうな布一枚の広告に突き刺さって、しかし裂けることなく彼の体重を支えているということ。
『ロープガン・ジョー』
尖々の魔人能力。彼の手から投げられた鉤縄に掛けられた物体は、例え布一枚であっても破れることなく荷重を支えることができる。
「ハッハッハァー!」
蜥蜴のように天井に張り付いた尖々は新たな鉤縄を振り回す。上方向からの追撃を恐れ孔雀は反射的に一歩身を引く――が、尖々は全く別方向へと鉤縄を放り、それを頼りに孔雀と距離を取った。
「仕切り直しだァ……ついて来いよ、美少女殺人鬼ちゃんよ!」
高笑いながら、殺人鬼は総合案内を横目に1Fへと出るエスカレーターを跳ねるように駆け上がって行った。
「……」
数拍、息を整える。
手短に自己分析をするのなら、先ほどの攻防での孔雀はビビっていたと言える。
(斬撃が回避されて思考が浮ついていた。あの時に追撃していれば、あるいは)
想定外の挙動、有り得ない物理現象、そして魔人能力の示唆。“もしかしたら”が脳裏に過ぎって咄嗟に守りを選んでしまったのが事実だ。
(参ったな……相手、今までみたいなザコじゃないんだ)
正義執行の対象として散々殺してきた悪人とも違う。
綾目流の道場で子供の自分を恐れていた同門とも違う。
倒そうとしても倒せない、殺そうとして殺しきれない、初めての相手。
(……面白いね)
次は踏み込んでやる、と殺意を固めながら孔雀は尖々の後を追った。
(くそぅ、あの女マジかよ。強すぎるだろ)
先んじて地上へと飛び出していた尖々は降りしきる雨の中、肌寒さ以外の理由で震える手を必死に抑えていた。
(後一瞬跳躍が遅れていたら斬られていた。それだけじゃない、もし追撃されていたら防げたかどうか……)
結果的には尖々の余裕綽々とした態度が“もしかしたら”と孔雀の手を止めさせた。
今こうして尖々が生きているのはその紙一重の命拾いの結果だ。
そう、つまり。
「ありがとうスパイダーマン……」
『殺人現場では狂ったように笑い声を上げパフォーマンスのように殺す』
そんな尖々の作ったスパイダーマンのキャラクター性が彼の命を救ったと言っても過言ではない。
そして尖々はスパイダーマンでありスパイダーマンは尖々である。
「ならばヨシ。落ち着いた」
震えは止まった。スパイダーマンはこんなところでビビったりしない。
むしろあの強敵を前に、こう不敵に笑うべきだ。
「……ヒヒッ、面白ぇ」
(さぁ来いよ普見者……!)
――果たして。その心の声に応じたかの如く。
「……っ!」
エスカレーターを駆け上がり孔雀が姿を現し、矢のように尖々へと直進した。
その登場に尖々は少なからず衝撃を受けていた。何故なら。
「ハッハッハァー! 馬鹿正直に来やがったなァ!」
(いや本当に……マジか!)
確かについて来いと挑発したのは尖々の方だ。
だがそれはほとんど建前。後追いの孔雀には経路を選ぶ自由がある。
尖々が逃げた道を追うのではなく遠回りをして違うエスカレーターから登り別方向から奇襲を仕掛けて来るだろうと予測していた。
だからこそ尖々はその間にポジション取りあるいは仕掛けの設置辺りを目論んでいた、のだが。
(確かに一見すると奇襲を狙う方が僕にとって得策のように思える。だけど――)
アルゴスの瞳によって地下に居ながらも地上の尖々を視認できる孔雀は『少なくとも今の尖々に何の備えもできていない』ことが分かっていた。
そこで孔雀は時間という互いに共通のリソースを“使わないことで使わせない”という選択肢を取ることにした。
(先の攻防で直接戦闘力は僕の方が優っていると分かった。だったら時間を与えずに攻める方に賭けるね)
仕掛ける時間を与えぬ突撃。数秒後に日本刀の射程に到達する――前に尖々からロープが投げられた。
(鉤縄――違う、分銅!)
ボーラはロープの先に錘が付けられた投擲武器だ。遠心力によって絡みつくことで相手の身動きを縛る。
切り払おうとすればそのまま刀に絡みつき大きな隙を晒してしまうだろう。
一瞬の逡巡、孔雀はそれをジャンプによって回避する。彼女の足元を狙っていたらしい分銅は空を切って背後へと去って行った。
スピードを落とさないまま尖々を追い詰める最適な動き。孔雀はこのまま標的を逃さずに接近戦に持ち込む算段だ。
問題は。
「――ヒャァ!」
「えっ!?」
ボーラの後を追うように、尖々本人まで突撃してきたということ。
(逃げない!? 鉤縄を利用した機動戦と中距離攻撃がこの人の得意分野のはずなのに……!)
ボーラを避けるための跳躍。それは数秒にも満たない僅かな時間、孔雀の足が地面から離れることを意味する。
つまり刀を振るうには余りにも不安定な状態。迎撃までワンテンポの遅れが生じる。
「白兵戦なら」
ならば鉤縄の予備動作は見逃すまい、と意識を集中した孔雀の視界の中で。
スッ、と尖々の身体が沈んだ。
「負けることはないと」
実際には錯覚なのだろう。
だがその時の孔雀には、本当に尖々の脚が伸びたように見えたのだ。
「――思ったかァ!?」
「ぐぅっ……!?」
反射的に左腕でガードした左わき腹の位置に蹴りが突き刺さる。
体勢が不安定だった孔雀はその衝撃に逆らわず地面を転がり、すぐさま跳び起きた。
そうして跳び起きた孔雀の目の前には、既に追撃の鉤縄が振り下ろされており――
「……流石に」
ガキン、と金属同士がぶつかる鈍い音が響く。
「それは、調子乗り過ぎだね」
日本刀で鉤爪を切り払いながら孔雀はそう吐き捨てる。返す刃で鉤爪をロープから切断することも忘れない。
とはいえ、折角の先制攻撃を潰されてしまったのは事実だ。仕切り直すように彼女は口を開いた。
「今のって躰道だよね。なんか意外なチョイスって感じ」
「ハッハッハ。なんだ詳しいな。オレの側転蹴りの味はどうだったかねぇ」
鉤爪が切り落とされただのロープとなってしまったそれを名残惜しそうに放り捨てながら、尖々はレインコートの下から新たな鉤縄を取り出す。
とはいえ――余裕そうな表情を崩さないまま尖々は内心で冷や汗をかいていた。
(側転蹴りはほぼ奇襲専用の技、見せたからには決めるつもりだったがあっさり防がれた上に鉤縄を一つ失ったのは痛手だ。……「調子乗り過ぎ」だと? このヤロウめ)
一つずつ手札が減っていくのを感じながら尖々は目の動きで周囲を見渡す。
(そこのカフェにあるテーブルやイスに引っ掛ければ武器、あるいは盾代わりに使える。……盾は難しいか? 動画で見た様子だとこいつの剣は人間くらい安々と切断できる)
対して孔雀もまた今の攻防について素早く考察を巡らせている。
(白兵戦もできる……というのは多分ブラフかな。思ったよりできるのは事実だけどこれ以外の引き出しがあるとは思えないね)
時間にして数秒、次の攻防が始まるまでの僅かな幕間。
孔雀の日本刀が、尖々の鉤縄が。まさに次の殺し合いを果たすべく振るわれる瞬間。
先に気付いたのは意外にも尖々の方だった。
「―――」
踏み込んで来る孔雀に対応すべく2F部分の手摺りへと投げようとしていた鉤縄を――咄嗟に違う方向へと投げた。
そしてその行動に驚いたのは孔雀だ。今の尖々の行動は迫り来る孔雀に対して明らかに対応し切れない。
その違和感に思わず足が緩み、そして尖々より遅れてようやくアルゴスの瞳に映ったそれに気付いた。
「……嘘」
二人が見上げた先には――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――数分前。
サンシャイン60ビル、60F展望台。
……の、さらに上。ビルの屋上に彼は立っていた。
「……」
中背中肉。一見してどこにでも居そうな普通の青年。
彼は何をするでもなく屋上の端から見下ろしていた。
眼下、地上1Fで二人の殺人鬼が殺し合っている。とはいえ地上200メートルにもなるこの場所からでははっきりとその人影が見えるわけではないのだが――
「居ることさえ分かればいい。……悪いけど漁夫の利だ。どっちかが先に殺されたら俺の分の経験値が勿体ないからな」
そう言って、青年は――在り得ざる参加者、川神勇馬は両手を中空へと突き出し、口を開いた。
「インベントリ、オープン」
「アイテム、《医療用メス》」
「×、200」
数分後。
二人が見上げた先には今まさに落下してくる百を越える医療用メスがあり。
死の雨となって二人に降り注いだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――???。
殺人中継サイト『NOVA』運営 VIPルーム。
その部屋の中には二人の男女が居た。
一人はスーツ姿の男。
もう一人は給仕服の女。
誰が見ても一目で分かる。男がVIPであり女が使用人であると。
……厳密に言えば少々異なるが女からすれば訂正するほどの大きな違いはない。
男は如何にも上等なソファーに腰掛けモニターの映像を眺めている。
それは今まさにサンシャインシティで繰り広げられる殺人鬼の戦いの光景だ。
本来であれば。
『NOVA』で中継される映像は2時間の遅れがあり、また参加者の顔や音声が加工された物が会員に配信されることになっている。
だが今この男が見ているのは全くの未加工、リアルタイムの映像だ。
『――よく留意しておきなさい』
女は今一度、この男と会う前に上司から言われた言葉を思い返す。
『あなたがこれから世話をする方はただのVIPではありません』
『最上位の対応を。全ての要求に反論は許されません』
『あの方が体を要求するのなら、体を差し出しなさい』
『あの方が命を要求するのなら、命を差し出しなさい』
『努々忘れることのないように――』
詰まる所、テイのいい生贄ということだろう。
「……」
女としても一切納得はしていないが、異議を唱えるつもりもない。
所詮は行き場を失い、『目の前で人間が生きたまま解体される様子を見ても眉一つ動かさなかった』ことを評価されて偶然拾われただけの存在だ。
「あなたはこの戦いをどの程度把握していますか」
なのでそのように気軽に質問されて、一瞬答えに窮した。
殺人鬼ランキング。一応、この狂った企画に関しては会員に説明するためにも必要な内容は一式覚えている。
だからこそ今目の前のモニターに映っている光景の異常な点にも気付いているが……そもそも答えていいものか。
少しだけ考えて、考えるだけ無駄と思い直し素直に答えることにした。
「……“スパイダーマン”振入尖々と“普見者”百目鬼孔雀のマッチアップ。『NOVA』サイトにおいて振入尖々がサンシャインシティでの戦闘を提案し百目鬼孔雀がそれに応じたことで成立しました」
「ほう! いやはや、よく分かっていますね。助かりますよ、優秀だ」
「恐縮です。……ですが」
「――彼のことは知らない、と?」
先んじて言われた言葉に、女は黙って頷いた。
そうだ。殺人鬼ランキングについて事前の調査をしていたはずの彼女にもサンシャイン60ビルの屋上に突如出現したあの青年の正体が分からない。
不勉強で申し訳ございません、と謝罪する女を、男はいやいやと手を振って留めた。
「頭を上げてください。彼……川神勇馬のことを知らないのは当然、何せ私の権限で参加した推薦枠ですからね」
「推薦、枠……?」
確かにそのような参加者は居る。それこそ百目鬼孔雀は彼女の活躍に目を付けたVIP会員の推薦によって決まったはずだ。
だが、だからこそ推薦枠の参加者を女が把握していないのがおかしい。
「ああ、VIP推薦ではありませんよ。スポンサー推薦です」
混乱する女に掛けられた言葉に、さらに混乱する。
スポンサー。確かに今回の企画では優勝賞金として5億円が用意されている。だがそれが特定のスポンサーから提供されているなんて話は聞いていない―――
「……え?」
突如。女の肩に男の左手が置かれ、ぐいと引き寄せられた。
二人の距離がキスでもできそうなくらい近付き――
唇の代わりに、拳銃の銃口が突き付けられた。
え、と理解が追い付く前に。
「三秒後撃ちます。頑張ってください」
そんな意味不明の言葉が聞こえた。
「ちょ、ちょっと待……」
「一、二、――」
無慈悲なカウントダウン、そして。
荒い息のまま、女は床に膝を着いていた。
汗が止まらない。戯れのように、悪趣味な冗談のように、命が失われる直前だった。
「どうして……?」
恐る恐る女が口を開く。
『どうして』の後に続く言葉は『どうしてこんなことを』、ではない。
「どうして生きているの……?」
バラバラに引き裂かれた拳銃と無傷の男を交互に見比べながら、女は呟いた。
『逆転裁断』。それが女の持つ魔人能力だ。
その効果は女の身に危機が及ぶ時、その原因に対して斬撃による反撃を行う。
斬撃の威力は危機の度合いに応じて変わり、命の危機に対しては相手を殺害するほどの威力となる。
「驚かせてしまってすみません。こうするのが一番手っ取り早いと思いまして」
男は苦笑しながらへたり込む女へと手を差し出す。
「私の名前は鏡助。この戦いの優勝賞品【転校生になる権利】を提供するスポンサー側の人間」
「つまり、転校生です」
「そして川神勇馬もまた私と同じスポンサー側の人間――転校生です」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――現在。
サンシャインシティ60ビル、1F。
「はぁ、はぁ……」
死の雨から生き延びた孔雀は命からがら屋内へと逃げ込むことができた。傷口を庇いながら一息をつく。
(ギリギリで気付けて良かった。なんとか対応して致命傷は避けることができた)
降り注いだメスの数は200本。多少の被害は諦めて急所に当たりそうな物だけ回避と迎撃を試みたおかげで軽傷で済んだ。
……もっとも、その様子を目の前で見ていた尖々からすると「防ぎ方がバケモノ過ぎる、なんで生きてるんだよ」といっそドン引きするような高等技術だったのだが。
(スパイダーマンは……鉤縄で引っ掛けたカフェテーブルを引き寄せて盾にして防御してたね。あっちも無傷ってわけじゃなさそうだけど)
第三者の闖入。それも圧倒的に有利なポジションを取られた状態で。
流石にそんな状況下で決闘を続けられるほど二人も暢気ではなかった。
孔雀と尖々はそれぞれ一時撤退。打ち合わせをしたわけではないが、それぞれ別ルートでこのビルの屋上に居るらしき闖入者を迎撃しに向かっている。
「まぁ、僕は“眼”であっちの動きもなんとなく分かるんだけど」
そう、“眼”。今考えるべきはアルゴスの瞳のことだ。
孔雀のこの能力は非常に便利で自由自在に展開することで圧倒的な情報アドバンテージを得ることができる。
だが一方で戦闘中に考え無しに使い過ぎると情報量の多さを処理し切れずに逆に目の前の相手がおろそかになってしまう恐れもある。
故に先ほど孔雀が尖々と戦っていた際は戦闘を俯瞰できる位置や周囲からの奇襲を警戒するような配置に留めておいた。
――そう、周囲からの奇襲・乱入に対して警戒をしていたはずなのに。
(どうしてあの屋上の奴には気付けなかった? それに、そもそも)
先ほどから屋上の人物を探ろうと能力を発動しているのに一向に情報が入ってこない。
より正確に言うならば展開したそばから“眼”が潰されているのだ。
まるで“眼”の存在を最初から把握しているかのように。
(いったい、何が起こっている……?)
「キラキラダンゲロス2は登場キャラに医者が多い」
勇馬はゲームとしてプレイしていた頃の記憶を思い返しながら、このフィールドにおける戦いのチャートを再確認する。
「だからか、消耗品扱いの武器として《医療用メス》が手に入る機会が多い。投擲スキルは無いから対面で使うには微妙だけど、インベントリにはいくらでも入るしさっきみたいに罠として使えれば」
サンシャイン60ビル内を駆け下りながら、ふと何かに気付いた勇馬は足を止め、インベントリから取り出したメスを投擲した。
タンッ、ブチッ
曲がり角の先に展開されていた“眼”がメスに貫かれ消滅した。
「……普見者のスキルは最初の頃は死ぬほど苦戦させられたっけ。何か分からないままこっちの動き全部先回りされてたもんな」
気付かないうちに死角からこちらを探る“眼”。余りにも初見殺しでゲームの頃は散々苦労させられたが、現在の川神勇馬は初見ではない。
アルゴスの瞳という能力の存在を事前に知っており、熟練された観察スキルを持っている勇馬にとって普見者は“多少厄介”の領域を越えない。
熟練。そう熟練だ。
既に勇馬のレベルは50を越えており、観察スキルの熟練度は100%に達している。
体力は実に226、初期レベルの15倍だ。驚くことに多少斬られた程度ではビクともしない。
「いや本当に今回は神乱数だよ。まさかアンバードがあんなに増殖しているなんて、おかげで経験値稼ぎ放題だった」
アンバード。それはキラキラダンゲロス2の登場殺人鬼であり、殺した相手を自らの眷属にして無限に増殖する恐ろしい存在――
――という触れ込みだが、通常プレイでは精々増えて10人程度。個々の戦闘力が高いわけでもないしゲーム後半には潰し合いで勝手に消えていることが多かった。
だが弱いとは言っても低レベルではあっさり殺されるのでただイライラさせられるだけの地味な癖に面倒臭い敵キャラだったのだが。
「一般人を殺しても得られる経験値はほぼ皆無だけどアンバード化していれば話は別、アンバード化したキャラクターは経験値が再計算される。増殖したアンバードを千体倒しただけで経験値と熟練度が大量ゲットできた。『アンバード養殖稼ぎ』、これは戻ったら攻略wikiに書いておくべきかも」
さらにゲーム序盤から高いステータスを手にしたことで安全にフィールド探索、アイテム稼ぎをすることができた。大量の《医療用メス》もその産物だ。
「めちゃくちゃ調子良いぞ……! このまま普見者とスパイダーマンを殺してさらに経験値をゲットすれば無双状態も夢じゃない……!」
ずっと攻略できなかったキラキラダンゲロス2のクリアにようやく手が届く。それも高難易度のdangerousモードで。
期待と不安、そして緊張と高揚。様々な感情が勇馬の心中に渦巻く。
焦ってはいけないと油断すると浮足立ちそうな自らを戒めながら、勇馬は曲がり角を曲がった。
百目鬼孔雀が日本刀を構えて立っていた。
「―――」
馬鹿な、ここに“眼”は無かったはず―――
そう思いながら、勇馬は振るわれる斬撃を呆然と見ていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――???。
殺人中継サイト『NOVA』運営 VIPルーム。
「先程お見せしたように、転校生には無限の防御力と攻撃力が有ります。少なくとも単純な物理的干渉では非転校生からは傷付けることもできないでしょう」
例外もありはしますけれど、と中継を眺めながら男――鏡助が言った。
確かに先ほど逆転裁断による致死量の斬撃を浴びたはずの鏡助が、しかし傷一つ付いていないのをはっきりと目撃した。理解は追い付かないが“そういうもの”なのだろうと女はひとまず飲み込んだ。
「ですが、その……川神勇馬は……」
だが女はその鏡助の言葉が自分に対する“ツッコミ待ち”であることを理解して恐る恐る口を開いた。
モニターの中継映像では百目鬼孔雀の奇襲を受けた川神勇馬の左腕が切断され切り飛ばされた瞬間が映し出されている。
「そう、まさかにそこなんですよ。川神くんの物好きっぷりはね」
何が楽しいのか、あるいは呆れているのか。よく分からない口調で鏡助は解説を続ける。
「彼はね、わざわざこの世界に遊びに来たのです。わざわざ自らの記憶と能力を封じ込めて!」
「記憶と……能力を……」
「厳密に言うと記憶と能力、ではなく『認識』をですが。ええ、細かい部分は割愛しますが転校生は『私は無敵だ』と認識することによって無敵の力を得ます。ですから川神くんはまず自分が無敵であるという認識を封じることで転校生の無敵性を失いました。そして」
それに加えて。
「彼の脳内ではレベルアップという概念が認識されています。敵を倒せば強くなるという奴ですね。――本当は全て逆、無敵の力を持つ転校生が無数の枷によって縛られた状態をレベル1と認識し、そこから本来の力を一つずつ取り戻してくことをレベルアップと認識しているのです。言ってしまえばあれはただの思い込みに過ぎません」
そうただの思い込み――ただし無敵だと認識することで本当に無敵になれる転校生による思い込みだ。
「……何故あの人はそのようなことを」
「言ったでしょう? 遊びですよ。――リアル脱出ゲームならぬ、リアルロールプレイングデスゲーム。転校生としていくつもの世界を攻略してきた彼は縛りプレイでもしないと楽しめないそうです」
やれやれと大げさに身振りをしながら、それでも鏡助は興味津々のようだ。
「まぁ折角だから応援してあげようじゃないですか。川神勇馬の『dangerousモードのレベル1雑魚キャラが無意味スキル《観察》で天下無双』を、ね」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――現在。
サンシャインシティビル。
「……どうやってたのかは知らないけど、確かに僕の“眼”は潰されてあなたを直接“視る”ことはできなかった」
切断された左腕を抑えて苦し気な表情で壁にもたれかかる勇馬に日本刀を突き付けながら、孔雀は自分がここに居る理由を答えた。
「だけどさ。ビル全体を“視て”、“視えない”所があったならそれはもう“視えている”のと同じだよね」
それはメモ用紙を黒く塗ることで残された筆跡を浮かび上がらせるのと同じ。
見える物だけを頼りにするのは二流。見えない物から“視る”ことこそ普見者の真骨頂。
「……」
勇馬は苦々し気に孔雀を睨み付けるだけで動かない。
孔雀は今すぐにでも追撃しトドメを刺したいところではあるが。
(……さっきの手応え。人間の肉体ではあったけど微妙に斬った感触に違和感があった。身体強化能力?)
勇馬からすれば、それはレベルアップによって体力が増加して耐久性が伸びているから。
鏡助からすれば、それは転校生の無敵性を少しずつ取り戻しているから。
(次は踏み込んでやる。そう決めたばっかりでしょ!)
決意と共に孔雀が踏み込むのと。
「――インベントリオープン!」
勇馬が叫びながら無事な右腕を振るうのは同時だった。
鈍い金属音が響く。
「――!?」
日本刀が受け止められている。
勇馬の右手には、先ほどまでどこにも無かったはずの鎖鎌が握られていた。
(忍者軍団ハットリサスケ組の怪人を倒すことでドロップする武器……《魔鎌チャラチャラデスサイズ》!)
鎌で刀を受け止めると同時、単分子ワイヤーの鎖が刀身に絡み付く――のを嫌った孔雀がバックステップで距離を取った。油断無く構えるその表情には困惑が伺える。
(ハットリサスケ組の怪人はサムライセイバーのやられ役。だからチャラチャラデスサイズはサムライセイバーのメイン武器であるエネルギー属性に対して非常に弱く設定されているけど、その代わり物理耐性は強い!)
――川神勇馬は転校生である。
そして転校生とは魔人を越えた魔人のことであり、つまり川神勇馬は魔人なのだ。
認識をいじったことで自分をゲームの世界に異世界転生したと思い込んでいる勇馬は、自身に与えられたスキルがただの《観察》だと思っている。
彼の本当の魔人能力は『増殖バグ通』。
川神勇馬が“アイテム”だと認識する物体を勇馬だけが干渉できる特殊空間・インベントリ内に複製し取り出す能力であり、その副産物として複製対象となる物体を観察・解析することができる。
この世界はゲーム・キラキラダンゲロス2の中であり自分はそのプレイヤーだと認識する川神勇馬の意識。
魔人能力の発動と認識の操作によってこの世界がゲームの中であるように自己暗示している川神勇馬の無意識。
それらが混ざった存在こそ、この殺人鬼ランキングに参加している殺人鬼・“プレイヤー”川神勇馬の正体だった。
(なんだ、なんだこいつは!)
そして川神勇馬に相対する孔雀の心境はグチャグチャだった。
アルゴスの瞳を完璧に見抜いていたこと。
斬撃した際に肉体が強化されていたこと。
何も無い空間から突如鎖鎌を取り出したこと。
勇馬にとっては「ゲームだから」で済むこれらの要素が、外からの視点では一本に繋がらない。
目の前の時が得体の知れない化け物のようにさえ見えてくる。
(……いいや)
日本刀を握り直す。分からないことだらけだが、一人の武人として分かることが一つあった。
(この男は――決して戦士ではない)
武器として鎖鎌を取り出したが、その構えは不格好だ。鉤縄を自在に操っていたスパイダーマンとは似ても似つかない。
そもそも鎖鎌は片手で扱う武器ではない。他に選択肢が無かったのかもしれないが、そうでなければここで選ぶのは悪手。
「……僕は正義執行ちゃんねるのくーちゃん」
――能力任せの三流悪党なんてこれまでいくつも斬り捨てた。
「君も、惨たらしく殺してあげるよ!」
「惨たらしく死ぬのはお前だ!」
勇馬は鎖鎌の鎖分銅を真っ直ぐ投擲した。それは先ほどの尖々のボーラを思い出させるが――
「残念だけど、縄の扱いじゃスパイダーマンとは格が違うね!」
武器に絡み付かせようとしたであろう鎖を、孔雀はあえて自ら刀身に絡ませた。
自殺行為にも見えるそれを、しかし孔雀は即座に刀を引く。
「う、わぁ!?」
鎖を引っ張られ、勇馬は持っていた鎌をあっさりと取り落とした。
鎖分銅が相手の武器を捕縛できるのはそれができる腕力が前提だ。片手では効果が薄いのは自明。
さらに孔雀は自ら鎖を絡ませたことで勇馬の想定よりもワンテンポずらし引っ張り合いにすら持ち込ませなかった。
一振りで絡まった鎖を払いながら、徒手となった勇馬に狙いを付ける。
孔雀の実力ならばあと一歩で殺せる。如何に得体の知れない強力な能力であろうと使う前に殺めてしまえば意味はない。
(殺った)
一歩踏み込み、
カランッ
――蓋の空いた薬瓶が床に転がっている。
(薬――毒――? 中身は――いや、それよりも――斬―――――――――)
百目鬼孔雀は物心つく前には独りぼっちだった。
「ねぇこの娘、私達で育てましょうよ」
ある日から大勢の人に守られるようになった。そこは道場と呼ばれる場所だった。
「この家で育てるのであれば、綾目流を学ばせねばならぬ。」
やがて門下生に混ざって修練を行うようになった。
「構えは甘い、型は滅茶苦茶。こいつに剣の才能は無いな」
ずっと見ていた。一生懸命に剣を振った。
「構えは甘い、型は滅茶苦茶。――なのにどうして殺めの技ばかり熟達する」
ずっと見ていた。どうすればこの技で、この剣で、相手を殺すことができるか。
「見ている……ずっと、ずっと! 相手の殺し方を、死ぬ所を! この娘は!」
同門だった人達の見る目が変わった。誰もが孔雀を恐れるようになった。
――彼女を通じて、自らの死を見せられているようで。
「鬼だ……この娘の中には、死の鬼がいる……!」
最後の方はよく覚えていない。
少なくとも道場に居た頃は実際に誰かを殺したことはなかった。
道場を出てからは、たくさん殺した。
そういえば。
「最初にくーちゃんって呼んでくれたの、誰だったかな」
その薬瓶は勇馬が私立弧夜見学園で“入手”した物。
その中身は本来魔人能力『銀波暁露に立つ』によって生成される未知の物質。
《オラクリン》
摂取した場合、非常に短い時間ではあるが過去に囚われて行動を停止する効能を有する。
孔雀が意識を取り戻した時、目の前にはどこからか取り出した日本刀を振り下ろす勇馬の姿があった。
「―――」
迫り来る死の刃。だが孔雀の本能はそれを防ぐべく反射的に体を動かす。
振り下ろされる刃に対し、孔雀は自らの刀を横薙ぎする。相手の刀身を横から叩き、逸らす目的だ。
孔雀の刀が、勇馬の刀身に接触し。
水を叩いたように、すり抜けた。
「……え」
比喩ではなく刀身が水のように波打ったのだ。
そして孔雀の刀をすり抜けた直後、映像を逆再生するかのように元の刀身の形へと戻っていく。
もう勇馬の斬撃を阻むものは何もない。
ぐしゃり
「あ……」
肩口から深々と刀が侵入し、孔雀の肉体を容赦なく破壊していく。
「……エイリアンハンターとの遭遇イベントで入手可能な、ユニーク武器」
最後に。生命活動を停止し、崩れ落ちる孔雀の死体に向けて。
「――《不定形記憶合金“カルガネ”》」
勇馬は勝鬨のように、その武器の銘を告げた。
『“普見者”百目鬼孔雀を殺害しました』
『経験値を獲得します』
『レベルアップ!』
見慣れたメッセージと共に、勇馬の身体に力がみなぎる。
そして孔雀に切断されたはずの左腕も、何事も無かったかのように本来の位置に収まっていた。
「流石……上位殺人鬼は経験値がダンチだな」
現在の川神勇馬は理解していないが、このレベルアップに伴う全回復にも勿論カラクリはある。
『プレイヤーキャラクター・川神勇馬の肉体』という“アイテム”として事前にレベルアップの回数分インベントリに複製を用意しておき、適切なタイミングで予備の肉体と入れ替えているのだ。
それは“人間のパーツを集めて自分だけの世界を作る”という“転校生の世界”に触れることで川神勇馬の認識に拡張された新たな能力の使い方であったが――今の勇馬には関係の無い事情だ。
「……さっき、普見者がわざとらしく大声を上げていたのは」
呟きながら、勇馬は立ち位置を横にずらした。
「お前に位置を教えてるためだろう? ――スパイダーマン」
その直後、先ほどまでの位置を鉤縄が横切った。ずれていなければ当たっていただろう。
「ヒッヒッヒ……」
怪しげな声を漏らしながら、鉤縄を投げた尖々は相手の様子を伺っていた。
決着の直前からだが孔雀と勇馬の戦いは見ていた。武器の取り出し、身体の修復。尖々から見ても勇馬の得体はまるで掴めなかった。
「……インベントリ、オープン」
そうしていると勇馬は再び虚空から何かを取り出した。一見すると武器には見えないそれは。
(なんだあれは。通信機? いや、リモコン……?)
結論から言えば尖々の予想は当たっていた。勇馬が取り出したのはリモコンだ。
――池袋中に仕掛けられた、超々極小型遠隔操作爆弾を起動するためのリモートコントローラー。
「《八百万虚無》」
炸裂した。
「なっ――!?」
突如何もないように見えるところが爆発し、尖々は無防備にそれを受ける。
とはいえ八百万虚無は飽く迄も発火能力に偽装するために作られた爆弾であるため直接の殺傷能力はさほど高くない。
問題はここが地上200メートルの高さの、ビルの窓際だったということで。
「悪いけどこれで終わりだ、スパイダーマン」
ダメ押しの連続起爆。
ガラスの破砕音と共に尖々の身体は窓の外に投げ出され。
「う、ぐ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
断末魔を響かせてスパイダーマンは落下していった。
「終わった……勝った、勝ったぞ俺。上位二人相手に……やった!」
緊張の糸が解けたのか、思わずガッツポーズをして勝ち誇る。
地道にレベルを上げて、武器を集めて、作戦を考えて。それらが結実した勝利。ゲームの頃でもこれほどの達成感は得られなかった。
「できる! 今の俺なら、『dangerousモードのレベル1雑魚キャラが無意味スキル《観察》で天下無双』を―――」
グサリ
腕に鋭い痛みが走った。
「……?」
一瞬フリーズする脳。そして次の瞬間。
勇馬の身体が、すごい力で窓へと引っ張られた。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
突然の事態に混乱しながら、勇馬は咄嗟に痛んだ腕を見た。
腕に鎌が突き刺さっていた。
見覚えがある。《魔鎌チャラチャラデスサイズ》だ。
そしてその鎖鎌の鎖部分には、鉤爪が引っ掛けられていた。
「あ」
勇馬は尖々からの鉤縄による攻撃を回避していた。
だが回避された後も尖々が鉤縄を回収している様子はなかった。
「ああ、あ……」
最初から狙っていたのか。
勇馬に回避されて外れた後に、床に落ちている鎖鎌の鎖に鉤爪を引っ掛けることを。
「ああああ……あああああ……!」
尖々が落下したことで鉤縄が引っ張られ、それに引っ掛けられた鎖鎌の刃が――勇馬の身体に突き刺さることを。
『ロープガン・ジョー』
尖々の魔人能力。彼の手から投げられた鉤縄に掛けられた物体は、例え布一枚であっても破れることなく荷重を支えることができる。
本来ならとっくに腕が千切れるほどの荷重がかけられている勇馬の肉体は、尖々の能力により破れることなく支えてしまう―――
「―――あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
絶叫と共に窓から放り出される勇馬の肉体。
空中で必死にもがきながら、彼は見た。
先に窓から投げ出されていたはずの尖々が新たな鉤縄を使って既に安全地帯に掴まっていたのを。
ロープを使い空中を自在に機動する。
殺人鬼として彼に付けられた異名は、
「――スパイダーマァァァァァァァァァァ!!」
今度こそ、クリアできると思ったのに。
怒りか、憎しみか、はたまた悔しさか。
敵の名を叫びながら200メートルの高さから叩き付けられた川神勇馬の肉体は風船のように砕け散った。
「ハーハッハ! ハッハッハァ! そうだ! このオレがスパイダーマンだ! よーく覚えておきな!」
この場にいる全てに聞こえるように、殺人鬼は勝利を宣言する。
そして地面の染みとなった勇馬の死体に視線を向けて。
「……で、結局アイツは誰だったんだ?」
誰にも聞こえないように呟いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――???。
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「あぁ……川神くん、惜しいところまで行ったのに」
勇馬の最期を見届けた鏡助は残念そうに肩を落とした。
「その、大丈夫ですか? 鏡助様」
「ああ、うん。心配してくださってありがとうございます。まぁ彼も覚悟していたでしょうし、こういうこともありますよ」
そう言って苦笑する鏡助の姿は、女の目にはショックを受けているのは事実のようだがその程度はさほど重くないように思える。
「鏡助様は……川神勇馬が脱落してこれから如何されるのでしょうか」
「スポンサーですからね。最後まで見守りますよ」
それに、と鏡助はまるで女を安心させるかのように朗らかに笑う。
「この企画のスポンサーをするにあたって……ちゃんと転校生にも報酬がありますからね」
『あの方が体を要求するのなら、体を差し出しなさい』
『あの方が命を要求するのなら、命を差し出しなさい』
『努々忘れることのないように――』
女はまだその警告の真意を知らず――
雨は未だ止まない。