「にこちゃん。駅前にショッピングモールが新しく出来たんだって」
学校の休み時間に、ひーちゃんはそう言って話題を切り出してきた。
この“清楚”を体現したような可愛らしく小柄な彼女が、なぜ相変わらずこんな私に仲良くしてくれるのだろう。
ショッピングモール、池袋スーサイドパーク。
それは新しい池袋駅前のシンボルとなることを目指し着工が進められ、つい先日オープンしたばかりの商業施設だ。
悲しいかな、紆余曲折ありゴールデンウィークに間に合わなかったせいでツイッターでは早くもネガキャンムードが漂っている。トイレの看板が分かりづらいとかで炎上トレンド入りもしてた。
それでも健全な女子高生の遊び場としては上等な方で、気が付くと吸い込まれてしまうのはこういう場所だ。
「広くて綺麗みたいだよ。想定キャパ人数はなんと10万人以上!」
「すごい。東京ドーム2個分じゃん」
池袋を若者の街に変革してしまおうという気合の入れようが見て取れる。
これからの未来を長く背負っていくつもりなのだろう。どうか不況に負けず頑張って欲しい。
「下は商業エリアから、上は絶景を楽しめるテラスのフードコートまで。15階建てで映画館とかイベントスペースも充実してるらしいよ」
「よく調べてきたねぇ」
同年代の私が言うのも変な話だが、人にプレゼンしようとする時のひーちゃんのリサーチ力はたくましい。
楽しみで仕方なかったのだろう。夜な夜なスマホに向かって目を輝かせている彼女が目に浮かぶ。愛おしすぎるよ。
「あとは警備とかテロ対策も万全で、万が一大きな地震や火災が発生した時も備えが――」
「わかったわかった。今度の週末、一緒に行こうね」
「――うん! 約束だよ!」
明らかに話がボケ方向にそれていくので慌てて打ち切る。
特にバイトもしていないので実際に買えるものは少ないが、こんなに慕ってくれる幼馴染の誘いを断ることなんて私には出来ない。
何を買おうかな、と語尾に音符が付きそうなほど上機嫌でいる彼女をそっと見守っていると、スピーカーからピンポンパンポンと呼び出しチャイムの音が流れ始めた。
教室がしんと静まったかと思えば、耳障りなハウリング音が教室の空気を切り裂き、バカみたいな音量で放送委員の声が響き渡る。
『1年C組、――――さん。保護者の方がお見えです。至急、職員室まで――』
クラスメイトは自分の名前が呼ばれなかったことだけを確認すると、中断していた会話の続きをしはじめ、教室には元の喧騒が帰ってくる。
一方、名前を呼ばれたひーちゃんは楽しげな時間を邪魔され、とても不服そうな顔をしていた。
「ごめん、にこちゃん。私行ってくるね」
「うん。いってらっしゃい」
どこか落ち着かない様子で職員室に向かう彼女を、見えなくなるまで目で追う。
取り残された私は本でも読もうかとカバンに手が伸びかけ、ふと窓の方に振り向いた。
外は厚い雲で覆われ、今にも降り出しそうになっている。
そろそろ梅雨入りの時期も近い。おでかけには最も向いてないシーズンがやってくる。
(どうか週末は奇跡的に晴れてますように――)
そう祈った直後、大きな音を立てながら黒い雨が窓を濡らし始めたのだった。
*
「……はぁ~。何やってんだろ、俺」
テラス席でハンバーガーとコーヒーを味わいながら、今日、何度目か分からない深い溜め息を吐いた。
平日に学校をサボって映画を観に来た――それが学生の衝動的な行動なら若気の至りと思われるだろうが、生憎と私は保険医の立場である。
しかも血の繋がりのない未成年を連れて――。
これが上の立場にバレたら一発懲戒モノだ。
「アハハ、先生。そんなに今日の映画、つまらなかった? 俳優の演技は悪く無かったと思うけど」
「いや面白かったけどさ。主演女優の棒演技にさえ目を瞑れば、漫画家原作のオリジナルストーリーだけあってよく出来ていた……じゃなくて!」
菜食アピールなのかコーンサラダを熱心に食べる、ピンク色の髪をした美形の少年がこちらの心を掻き乱すようなことを言う。
【博しき狂愛】――恋の天使様を自称する彼こそ全ての元凶。彼にお願いされ――もとい、脅されるようにして新しく出来た池袋のシネマに連れて行かれたのだった。
そして今は併設されたショッピングモールのフードコートで昼食を共にしている。本当に何をやっているんだろう。
「それにしても意外だな。お前に映画を嗜む趣味があったなんて。しかも、よりにもよって恋愛映画か」
「心外だなぁ。僕だって天使の端くれ、人間がどういうロマンスを好むのか気になることはあるよ」
「いつも自分本位の恋愛観を押し付けておいてよく言う」
今朝も『今日は池袋まで愛を届けに行くよ。先生もついてくる?』と電話越しに告げられ、問題を起こさないか心配になって仕方なく応じただけだ。
彼が人のロマンスとやらを理解しているとは思えない。あるいは、今までの突飛な行動が恋愛の駆け引きと思っているなら勘違いも甚だしい。
「というか、もどかしくならないか? 流石にスクリーンの中まで能力は及ばないんだろ?」
「だからこそだよ、先生。本来縁が無かったはずの女優と男優が脚本家によって結ばれる――それはまるで、似て非なる僕を見ているような気分だ」
「言われてみればそうか」
そう考えると、彼の行いも映像研が作った三流ホラービデオのように思えてくるから不思議なものだ。
フィクションとノンフィクションで大分差はあるが――そもそも、恋愛とホラーを同じにしたくないが。
ところで、と彼がニヤついた笑みを浮かべながら新たな話題を切り出してきた。
「映画館で僕の隣に座ってたガキのこと、覚えてる?」
「お子さん、な。ポップコーンを大盛りにして上映中もずっとポリポリしていたのは覚えてるが――それがどうした」
彼を挟んで向こう側に座っていたのでほとんど見えていなかったが、何かを食べる音がずっと隣から聞こえていた。
それはポップコーンの咀嚼音だった気がするし、それ以外の音が混じっていた気もする。
「彼、よほどポップコーンが好きだったんだね。上映中すぐに食べ終わったかと思えば、ポップコーンの塩味が残った紙まで口に入れて、しまいには自分の指の骨まで――」
「…………おい」
「やだなぁ、僕は何もしてないのに」
「疑われてると思うならその癖を改めろ」
見ていないところで一体何をやっているんだ。
さっき、彼は自分自身を恋愛映画の脚本家に例えていたが、それは大きな間違いだ。
どこに人と食べ物をくっつけ、あまつさえ純愛と嘯く脚本家が居るものか。
いつの間にかサラダを完食していた彼は爽やかな笑顔で手を合わせると、椅子を引いて立ち上がった。
「今日は付き合ってくれてありがとうね、先生」
「……もう気が済んだのか?」
「うん。元々長居するつもりは無かったよ。今度、友達と会うための場所の下見に来ただけだから」
お前ちゃんと友達が居たのか、という言葉が一瞬口から出そうになる。
こういう性格に限って社交性は良いと聞くし、発言自体が全部嘘というパターンも散々あった。
いずれにせよ大人がいちいち首を突っ込むことではない。
彼がその場から動こうとしないので思わず顔を見上げると、なぜか暗い表情で立ち止まっていた。
「……その友達、先生と同じ名前を名乗りやがったんだ」
「そ、そうか……まぁ、そういうことぐらいあるだろ」
世の中に同姓同名の人物なんて探せば居る。たまたま近くに居ることだってあるはずだ。
ユニセックスな名前だし、ひょっとしたらその友達は女の子かもしれない。
何と言葉をかけるべきか分からず気まずくなっていると、彼は問いかけてきた。
「先生は――“綺麗な嘘”と“汚い本当”、付き合うならどっちが好み?」
「何だいきなり」
「いいから」
あるいは彼にも深い悩みがあるのかもしれない。
だが、ここで問われているのは私自身のことだ。同情や慰めが欲しいわけでは無いのだろう。
だから、ありのままを伝えた。
「ちゃんと付き合うなら、“汚い本当”――かな。俺自身は“綺麗な嘘”で居たいから」
「――――アハッ」
その答えが気に召したのか、彼にいつもの笑顔が戻る。
今まで何人も地獄に突き落としてきた、その顔で。
「良かった。だからオレは先生のことが好きなんだ」
「あ? それはどういう――」
「じゃあね、先生」
「お、おい――!」
急に突き放すような物言いに、思わず名前を呼んで引き留めそうになった。
それから彼は一度も振り返ることなく、ショッピングモールの雑踏に消えていく。
窓の外では大粒の雨が降っているが、厚いガラスに阻まれ音までは聞こえない。
今日は傘を持ってこなかったことを、今更ながらに思い出す。
冷たくなったコーヒーを飲み干す。
能力発動のため、カフェインを摂取している。
だが、いくら頭の中で念じても、私の瞳はそれ以上何も映してはくれなかった。
*
「……よく聞こえなかったが、今、何と?」
「では、何度でも言いましょう。――今回の案件について、警視庁および警察官の介入を取り止めていただきたい。今後の作戦指揮は私一人で行う」
「正気かね、山中くん……?」
民自党の副幹事長――政治界の重鎮として数々の修羅場をくぐり抜けてきた彼でさえ、このような展開になるとは思っていなかったのだろう。
結論から切り出せば、そのような反応になることは明らかだった。
しかし、今回駆除すべき相手に総力戦を仕掛ける試算を行ったところ――99%以上の確率でこちらが敗北する、という結論に達した。
「特に警戒すべき対象はアンバードです。NOVAが公開した殺人鬼ランキングでも3位の実力者――最上級の備えが必要になるでしょう」
「ふむ……こう言っては何だが、よく見かける名前だね。気が抜けそうな相手だ」
私も最初はそのような印象を持っていた。取るに足らない相手だと――初めに資料を受け取った際には目が滑っていた。
だが、それは彼のことをただの個人だと勘違いしていた段階までの話だ。
“アンバード”――。
それはテレビでよく見る天気予報士であり、野球選手であり、俳優である。
与野党の政治家であり、インフルエンサーであり、お笑い芸人である。
請負先の担当者名であり、警察官であり、私の古い友人の名前である。
どこにでも居る、普通の名前――。
そう思わせることが、彼の能力。
「今回は、同じ名前を持つ全員を相手にすることになります」
「な、何を言っている……?」
確固たる事実に、しかし簡単には信じられない真実に、彼は驚いてばかりだ。
私は調査と分析結果の一部を彼に伝える。
アンバードについて、不自然な点はいくつかある。
まず、彼らは国籍を越えて同じ名前を持っていること。日本人・在日外国人を問わず。
その名前は10代から50代に多く、その全員が未だ生存していること。その数は全世帯で延べ30万人以上に及ぶ。
次にアンバードの名を持つ人物の犯罪歴を調べた。母数が多い以上、前科持ちも一定の割合で存在する。
殺人については昨年度で853件と、一般人に属する者としては多くも少なくも無い。
それが、4月に入ってからは1件も報告されなくなり――それは複数タレントの改名騒動が始まった時期とも重なる。
つまり、アンバードには特別な意味合い、それも魔人能力の一部が含まれていると仮定出来る。
生きている者の名前をすり替え、記憶を改ざんするような魔人が現れたということだ。
彼らは個人ではなく、全員で一つの群れとして日本を強引に動かそうとしている。
「ここに来てアンバードが“殺人鬼”としてNOVAにマークされたこと――それは一連の答え合わせのようなものです」
「なるほど……恐ろしい話だ。しかし、理に適っているな」
やっとこちらの意図を理解したのか、彼の目の色が落ち着きを取り戻す。
これでようやく話を冒頭に戻せる。
「君の危機感は伝わった。だが、数には数をぶつけるべきでは無いか?」
「ある程度の頭数は必要ですが――敵はどこにでもいる。私が知らない人物に背中を預けることは出来ないという話です」
「そうか――分かった」
それで、と途端に彼は冷たい声音に変わった。
特に悪気があるわけではなく、真面目な話をする時の癖だとは今までの付き合いから分かっている。
「勝算はあるのかね?」
「はい。必ず彼らを駆除して見せましょう」
NOVA経由の情報をどこまで鵜呑みに出来るか分からないが、サイトではアンバードの補足情報として『オリジンを殺せば勝てる!』と書かれてあった。
具体的に誰を指すかは不明だが、オリジンは必ず池袋内に存在するとも書かれている。
指定された戦場から、最も人が集まる場所におびき寄せれば――あるいは、オリジンの正体を暴かずとも、彼らを一掃することは可能だ。
そのためには――少し荒っぽいことをする必要がある。
「作戦実行に辺り、各位に手回しをお願いしたいのですが――よろしいですか、嘉藤さん」
「ああ。――私に出来ることなら、いくらでも協力しよう。で、何をするつもりだ?」
この戦いは人類の存亡をかけた戦いと言っても過言ではない。アンバードを人類の歴史から永久に追放するための戦いだ。
どれだけの予算を使おうと、どれだけの犠牲が出ようと――必ず作戦を成功させる。
目標は、池袋に新設された最も大きなショッピングモール――。
「池袋スーサイドパークを、爆破します」
*
「こんにちは、ドクター・カーネイジ! この前は面白い動画をどうもありがとうございました!」
いつもより往診が早く終わり、水崎医院に戻って日課の血抜きをしていると、場に似つかわしくない元気な少女の声が院内に響き渡った。
声が聞こえた方に思わず目をやると、手術室の隅に黒いフードを被った小柄な少女が立っていた。
初診の患者のようだが、私のことを通り名で呼ぶということは、裏世界の住人ということらしい。
「これは可愛らしいお嬢さん。随分と元気が良いことですが、ここに来たということはどこか具合が悪いのですね?」
「そうなんですよドクター。もう血が見たくて見たくて――あ、無言でメス握るのやめてくださいね。開腹して欲しいという話ではなく」
手術が必要な患者だと思って臨戦態勢に入ったが、すぐにケロッとした様子で診察を拒否されてしまった。
気を取り直して、と少女はコホンと咳払いをしながら続けた。
「私はNOVAのVIP会員でして。先日いただいたムギスケさんの動画のお礼を言いに来たのですよ」
「あぁ、そちらからいらした方でしたか。所詮は拾い物ですので、お気になさらず」
長く非合法総合外科医を続けていると、こうした裏世界の繋がりは珍しい話でもない。
友人に手渡した動画が、意図せずしてNOVAに流されてしまったようだ。彼もVIP会員だったのだろうか。
今後の人付き合いについて考えていると、彼女は気にすることなく本題に入っていた。
「それで、ドクターの腕を見込んでぜひ治療していただきたい殺人鬼が居るのです」
「……ふむ」
「もちろんタダで、なんて水臭いことは言いません。全員治療していただければ、治療費として5億円お支払いしましょう」
「――はぁ」
NOVAのことはよく知らないが、近々そのような催しが開かれるということか。
殺人鬼の巣窟に放り込まれ、最後まで生き残った者に破格の賞金を渡す――いかにも血腥いお祭りだ。
だが、そこが気に入った。
往診受付をキャンセルしてでも引き受ける価値はあるだろう。
「そこまで頼まれたら仕方ありませんね。――その依頼、私が引き受けましょう」
「はい、ありがとうございます! あとの事務手続きとかは私がやっておきますので」
フードの奥で彼女は歯を見せて笑う。
「では、詳しいことはホームページを参照してくださいね! それでは!」
彼女はURLの書かれた紙切れを渡すと、次の瞬間、あっという間に姿を消してしまった。
ゆっくりしていくなら紅茶の一杯でも振る舞おうと思っていたが、声をかける間も無かった。
院内に元の静けさがやってくる。
彼女の怪しさは百も承知だが、やることは依然として変わらない。
人を殺すことにかけて、私の右に出る名医は居ない。
頼まれた仕事は完璧にこなしてみせる。
赤い改造白衣を身に纏い、仕事道具の手入れは欠かさずに。
「始めるとしましょうか――――大虐殺の準備を」
*
池袋の夜景に、冷たい雨が吹き荒れる。
ビルの屋上に立って地上を見下ろすと、街明かりの中、傘も差さずに歩く人達が目立っていた。
どんなに雨風が強くなっても構いやしない。少し見ない間に、随分と逞しく変わったものだ。
人も、世界も、エイリアンも――星の速さと同じように、瞬く間に変化してしまう。
いつまでも変わらないのは、俺とアイツだけだろう。
エイリアンを倒し続ければいつか弟が帰ってくると思い込んでいる――あの朴念仁。
その尻拭いを続けてきた俺自身も、相当な変わり者だ。
だが――全ては来る日のため。気の長い計略に過ぎない。
ああ、夜が明けるのが待ち遠しい。
真実を知った時、アイツは一体どんな表情をするか。
「こんばんは。体の調子はどうですか」
背後から声をかけられ、吊り上がりかけていた口角が元に戻る。
振り返ると、肩までずぶ濡れの小柄な少女が夜を纏って佇んでいた。
右手には折りたたみ傘を持っているようだが、それを自分で広げる気は無いらしい。
「問題無い。――むしろ、明日が楽しみで仕方ないぐらいだ」
「それは何よりです」
それ以上特に言うことも無いのか、少女は俺の隣に立って夜景を見下ろし始める。
通行人がこれだけ居て、誰も傘を差そうとしない光景に彼女は何を思うのか。
都会の濡れ鼠という点では、俺と彼女も同類だった。
屋上には雨が地面を叩く音だけが響き、悪くない沈黙が続く。
「――で、こんなところまで俺の心配をしにきてくれたのか?」
「その通りです。――あなたは大事なお客様なのだから」
「そりゃどうも。随分とお人好しなんだな、あんた」
彼女は猫のように気まぐれで感情に乏しいように見えるが、本心を隠しているようでもあり不気味だった。
思わず眉をひそめると、ポタポタと水滴の垂れる折りたたみ傘が差し出される。
「これは?」
「お近づきの印です。あなたはまだ死んでいない――雨の中、こんなところに居たら風邪を引いてしまいますよ?」
「…………」
無言でそれを受け取ると、水滴を軽く払ってから傘を広げた。花柄の可愛らしいデザインが視界に飛び込んでくる。
趣味では無いが、それも含めて彼女の“らしさ”が伝わるプレゼントだった。
自分だけ濡れないで居るのは居心地が悪いので、広げた傘をそっと彼女の頭上に持っていく。
「……何のつもりですか」
「これは俺が貰った傘だ。どう使おうと勝手だろ?」
「……ふふっ」
やっと彼女の口元に笑みが浮かんだ。
表情まで死んでいる、というわけでは無いようだった。
だが、すぐに元の冷たい表情に戻って――。
「では――用事は済んだので、先に失礼します。
明日は期待してますよ――黒ヶ嶺さん」
彼女が、一歩前に出る。
段差を乗り越えて、ビルの谷間へと吸い込まれるように。
「おい、危ねぇ――!」
静止させる間もなく、彼女は屋上から真っ逆さまに落ちていく。
慌てて階下を覗き込むと、少女の姿は既に無かった。
場違いな花柄の傘だけが残る。
つくづく、分からない奴だった。
「アンバード」
彼女は確か、そう名乗っていたか。
殺人鬼ランキング3位――その一部とはいえ、関係者とこうして接触出来たのはこれ以上無い幸運だった。
死をも超越する彼らの能力を利用すればあるいは、人間とエイリアンの終わりなき戦いに決着がつくかもしれない。
「俺達も変わる時が来たんだ」
傘の下で、赤いサングラスに付いた水滴を拭き取る。
復讐の果てに待つのは幸福な結末ではなく、無間や虚無でも無い。
全ての殺人鬼が堕ちる、等活地獄だ。
お前もすぐに、こちら側の人間になる。
「無意味な人生、そろそろおしまいにしようぜ――なぁ、外宙躯助」
*
「所長、アンバードに関するレポートをこちらに置いておきます」
「あぁ。ご苦労様」
爆破作戦決行当日――。
大学の研究室で、研究員に頼んでいた調査の結果をパラパラとめくる。
これはまだ世間に注目すらされていない、アンバードという新人類の謎を紐解く歴史的資料となるだろう。
幸い、彼らは世の中に腐るほど存在する。研究用のサンプルとして何人か捕獲することは容易いことだった。
名前が割れているホームレスにも何人か声をかけ、多額の報酬と引き換えに仕事を与えた。
――もっとも、無事に帰れたホームレスが居たかどうかは知らない。知ったことではない。
どうすれば、アンバードは殺せるのか。
今回の作戦が無駄ではないことを、データからも裏付けておきたい。
ケース1、ホームレスにアンバードを殺させる。
結果:間もなく死亡を確認。一般的な人間、ないし魔人と耐久力は変わらない。
ケース2、アンバードAにアンバードBを殺させる。
結果:死亡しない。5回ほど実施して結果は変わらないため、魔人能力によるものと断定。
ケース3、アンバードにホームレスを殺させる。
結果:死亡しない。ケース2と類似しているため、アンバードは殺すことを条件に能力を発動していると断定。
(追記:ホームレスの名前もアンバードだった。こちらの手違い?)
ケース4、アンバードを自殺させる。
結果:死亡しない。
「アンバードはアンバード以外では死なない……か。予想はしていたが」
実験結果から彼らの本質が見えてきた。
殺害した者を対象に取る蘇生能力――それも強制発動の能力である。
ゾンビに殺された者がゾンビになるように、その能力を殺した者にも植え付けている。
ホームレスにアンバードが混じっていたというのも誤りだ。彼は殺されたことで後天的にアンバードにされたのだろう。
ページをめくっていくと、アンバードに殺された際の副作用について書かれていた。
結論を拾って読んでいくと、アンバードは殺した者を服従させる力を持っていると断定されたらしい。
最初に連れてきた段階に比べ、殺害を経て絶対的な上下関係が見られる――と。
これは予想以上に、厄介な性質かもしれない。
「……はっ」
思考の末、慌てて気付く。
研究員の中にもアンバードという名前が何人か居たが、彼らもどこかでアンバードに殺された者なのではないか。
研究員の一人を呼び止める。
「君、ちょっといいかね」
「はい。何でしょう」
「この研究所にアンバードという名前の研究員は何人居る?」
「えっと……いち、にぃ……三人ですね。彼らは元々その名前だったので――」
私が言わんとしていることを察したのか、彼の声音にも焦りが見え始める。
だが、アンバードを追う者としてこの状況は見過ごせない。
「そいつらをすぐに隔離しろ。最低限の食事と睡眠以外何もさせるな」
「で、ですが彼らは私達の大事な仲間で――!」
「事が済んだら解放させる。彼らが無意識の内に敵と内通している可能性を排除したいだけだ」
「わ……分かりました」
理由まで説明すると納得したようで、渋々と奥へ消えていく。
これで――全ての準備は整った。
誰も見ていないことを確認すると、ショッピングモールの起爆装置を取り出す。
嘉藤さんをはじめとする大勢の協力もあり、爆弾の設置作業はつつがなく完了した。
起爆コードを送信するだけで150箇所の爆弾が同時に作動し、建物内に居る人物を残らず葬るだろう。
昨日、公の場で講演会を開くことを宣言した。
日時は今日のこれから、場所は池袋スーサイドパークである。
私は既に追われる身――殺人鬼ランキングに乗っているのだから、不特定多数の標的になりうる。
そんな中での宣言は、もはや居場所を晒しているも同然だ。
“彼も有名人だから、一般市民は巻き込まないだろう”――という読みの裏を掻く。
私を殺しにきた大勢の殺人鬼を同時にもてなすには、これしかない。
あの場所にこれからどんな物語があり、どんな因縁があり、誰が息巻いているか。
そんなことは、心底どうでも良い。
誰に卑劣と罵られようと、私はいつだって最善策を選ぶ。
勝ち上がるのは、私一人だ。
「さようなら――害獣諸君」
ピロピロピロピロ――。
起爆スイッチを押そうとした瞬間、プライベート用のスマホから気の抜けるような着信音が鳴り始めた。
取材の依頼なら無視しようとかと思いディスプレイを見ると――そこには予想外の人物の名前が映っていた。
「今更何の用だ……」
通話に出るのはこれが終わってからでも良い。
しかし、今回の件の関係者かもしれないと考え始めると、無視出来なくなってくる。
確か専攻は――私と同じ生物の道を進もうとしていたはずだ。
「――っ、そういうことか」
もし仮説が真実なら、関係者どころか最重要人物と言っても過言ではない。
彼女が熱心に研究していたものは――完全に死んだ細胞を再生させるための活性化細胞だったか。
あるいは、アンバードの能力原理にも一枚噛んでいる可能性がある。
息を整えてから通話開始ボタンを押すと、聞き慣れた能天気な声がスピーカーから聞こえ始めた。
『もしもし、ドクター? ご無沙汰だね。講演前のところ悪いけど、今から時間もらえるかな』
「…………あ、ああ、構わないよ」
警戒で声が低くなりそうになるのを必死に抑え、いつもの“優しい教授”を演じる。
彼女がアンバードの関係者なら、オリジンの居場所の手がかりが掴めるかもしれない。
彼女に向かって、一息でまくしたてる。
「知っているかもしれないが、私は池袋スーサイドパークの近くに居るんだ。
機材トラブルがあって講演は夜からになった。それまでで良ければお茶でもどうかな」
『はは、相変わらず緊張したときのドクターは饒舌だね。でも、応じてくれて素直に嬉しいよ。今から向かうね』
それから二言三言挨拶を交わしてから、通話を切る。
彼女はあの頃から何も変わっていなかった。――それでも、疑わない理由にはならない。
あらゆる状況に対し、備えは万全を期すように。
最悪、私は池袋スーサイドパークと心中することになるかもしれない。
それも人類を守るためと考えれば安い犠牲に過ぎないだろう。
外出の準備をしていると、研究員の一人が声をかけてきた。
「ドクター、先程の電話の方は……」
普段であれば答える必要も無い愚問だった。
しかし、今ならば声に出して、彼女がアンバードではないことを証明した方が良いだろう。
「朧形小春――かつての私の教え子だ」
*
かくして、殺人鬼達はそれぞれの理由、事情、思いを胸に、一つ屋根の下に集う――。
キラキラダンゲロス2 一日目
inショッピングモール
ドクター&【博しきの狂愛】&Dr.Carnage&外宙躯助
VSアンバード
*
よいこのみんな、池袋スーサイドパークに来てくれてありがとう!
ボクはマスコットキャラのスーちゃんだよ! 今日も元気に飛び込んでみよう!
今日はどこから回ってみようかと迷っているキミのために、ボクからおすすめのスポットを紹介するね!
まずは定番、3階の大衆ショッピングエリア。
子供から大人まで、今どきの女子中学生から廃病院のお医者さんまで、誰もが楽しめる充実のラインナップ!
友達と一緒だと、つい色んなものを買いたくなっちゃうよね!
次に5階、イベントエリア。
今日はなんと、次期ノーベル賞候補と名高い山中伸彦教授の特別講演が予定されているよ!
恋は盲目、嘘つきは万病の元。不治の病に悩まされている人は観に行ってみるといいかも!
次に7階、大人向けショッピングエリア。
落ち着いた雰囲気でゆったりとした買い物を楽しめる、まさに優雅な大人のために作られたショッピングエリアなんだ!
久しぶりに会った人とショッピングを楽しみたい時は、ここがいいね!
そうそう、8階のフードコートも見逃せないね。
今日もあいにくの雨だけど、窓際のテラス席で食べるハンバーガーは絶品!
池袋の街並みを見下ろしながらだと大事な話も弾んじゃう!
最後に、13階から15階に連なるライブエリアも紹介するね。
5階より更に大きな会場を持つここに、なんとエイリアンの目撃情報があるよ!
一体地球はどうなってしまうの!? 詳しくは店内のポスターを見てね~!
なお、当施設では危険物の持ち込みを堅く禁じております。
不審なものを見かけた場合は絶対に触らず、お近くの警備員まで――。
*
「…………」
モールの入口付近に設置されたディスプレイの向こうで、二次元の美少女が身振り手振りを交えてアナウンスを続けている。
気が付くと、台詞に合わせて動く口やポーズをじっと目で追っている私が居た。
最近Youtubeやツイッターでよく見かけるようになったが、声にイラストが付くだけでどうしてこんなに魅力的に映るのだろう。
その容姿が、人間じゃないから親しみが湧くのだろうか。
その名前に、何も含まれていないから愛せるのだろうか。
変わるもの、変わらないもの――。
その両方を愛することは出来ない。人の心って難しい。
「――、どうしたの?」
「ごめん。ぼーっとしてた」
なかなか奥に進もうとしない私を心配してか、彼女が引き返してきた。
だがその目は、私と同じものに吸い込まれて輝き始める。
「あ、マスコットキャラのスーちゃんだ! これ前から気になってたんだよね。可愛い~!」
有名イラストレーターがデザインを手掛け、人気声優がボイスを提供しただけあって、その魅力は誰が見ても一目瞭然だ。
綺麗な水色の髪にポップなツインテール、ドクロマークの髪飾り、アニメ調の顔立ち、見るものを魅了する和服――。
改めてイラストを眺めていると、彼女は調べてきた知識を披露し始めた。
「プロフィールの一部は公募で決まったんだって。特技はなんと、電車を止めること!」
「腕一本で?」
スーパーヒーローのように、崖から落ちそうになった鉄道を体を張って止めることが出来るのだろうか。
あまり可愛くない特技だが――。
「ううん。駅のホームから飛び降りて止めるの」
「ただの人身事故だよそれ」
予想以上にハタ迷惑な特技だった。何を思って採用したんだ。
前にも感じたことだが、池袋の人のセンスはかなり変わっている。
「…………?」
あれ、前っていつのことだっけ。
つい最近のことだと思ったが、上手く思い出すことが出来ない。
その時は隣に誰かが居たような気がする。
ディスプレイの彼女と同じように、鮮やかな和服を着た少女が――。
「――、顔色が悪いよ? どこか休める場所探す?」
「ううん。……へーき。心配かけてごめん」
幼馴染の彼女が心配そうにこちらを覗き込んできた。
きっと昨日観た深夜アニメがダブったのだろう。
あり得るはずのない光景だ。私にはそんな友達居ないし。
「じゃあ、そろそろ行こっか。会わせたい人がいるの。きっと気が合うよ」
「う、うん……」
彼女が言うその台詞も、どこかで聞いたことがある気がする。
変な夢でも見たのだろうか――。
後ろを振り返ると、叩きつけるような大雨が外で降り続けていた。
誰も傘を差さないので、髪や服が濡れ、水滴が床まで垂れている。
濡れることを気にしなくなったのはいつからだろう。
誰に言われずとも、周りがそうしているから、自然とそうなっていった。
変わっていくのは世界だろう。
私だけは、変わらないつもりだった。
「――もう。にこちゃんってば、またぼーっとしてる」
「ごめん、ひーちゃん。今度こそ行こう」
感傷的な気分は捨て置き、彼女に手を引かれるまま走り出す。
変わらない日常が、いつまでも続きますように。
*
「ドクター、ご無沙汰してます。改めて、お忙しい中ありがとうございます」
「……ああ、本当に久しぶりだね、朧形くん。楽にしてくれて構わないよ」
先回りしてショッピングモールの入り口付近で待っていると、程なくして黒いコートから手を振る彼女と合流した。
10年ぶりに再会した彼女は、心なしか記憶の中よりも大きく背が伸びて見える。
成長したか、靴を変えたか、それとも私の見る目が変わったか――。
最後に見た彼女の表情は、とても辛いものだった。
「……あの時は、君を助けてやれなくてすまなかった」
「いいよ今更。全部過ぎたことなんだから」
彼女のどこか人を食ったような、野心あふれる表情を見るとあの頃を思い出してしまう。
*
10年前――。
私の教え子で医学生だった彼女は、いつも夜遅くまで研究室に残って実験を続け、人一倍熱心に研究に明け暮れる少女だった。
何故そこまでするのかと私が問うと、「世の中にはまだまだ“非可逆”が多すぎる。その常識を医学で変えたい」と語る。
当時の私は若く、教授としても半人前で、彼女に気付かされることも多かった。
医学における『延命』には様々な意見があり、中途半端なものであれば無い方がマシと揶揄されることもある。
だが、彼女の目を見ていると、延命すらも常識に変えてしまうような凄みを感じた。
ある日、彼女が嬉しそうな目で私の元へ駆け込んできた日のことは鮮明に覚えている。
彼女が偶然見つけたのは、完全に死んだ細胞を元の状態のように復元させる万能活性化細胞――もし実用化されれば、世界がひっくり返るほどの大発見だった。
私達はそれから寝食も忘れ、人類のビッグチャンスともなる新しい研究に夢中になっていった。
この細胞を、人類が新たなステージに踏み出す足掛かりとなるように、という願いを込めて『STEP細胞』と名付ける。
当時は理系女子が珍しかったこともあり、彼女のような天才が世に知られる絶好の機会だと思って、これを彼女一人の手柄として世間に公表させることを決めた。
だが――その選択は大きな誤りだった。すぐに彼女は好奇の目で見られ、多くの他の研究者達から睨まれることになる。
論文の穴が発覚すると、すぐにSTEP細胞は無かったものとして扱われるようになった。
曰く、そのような細胞は存在しない方が良い――と、誰もが口を揃える。
曰く、完璧な延命の先に待つのは終わりのない苦痛だけだ――と。
私は学会からの圧に屈し、STEP細胞に関連する研究支援の打ち切りを余儀なくされた。
そのことを彼女に伝えた時の、寂しそうな目は忘れられない。
そして彼女は、全てから逃げるように忽然と姿を消した――。
*
「――それから、研究は続けているのかね?」
「もちろん」
「……そうか」
勇ましい小動物のような印象の彼女はもう居ない。
彼女には誰にも邪魔されず研究を続けられる環境が必要だった。
だから心配はしまいと思っていたが――思ったよりも元気そうだ。
立派になった彼女になんと声をかけたらいいか分からず、気まずい空気が流れる。
思わず遠くの方を見ると、可愛らしいキャラクターが映るディスプレイに釘付けになっている二人組の少女が目に入った。
やがて片方がもう片方に手を引かれ、ショッピングモールの中へと溶け込んでいく。
私達も若さに習うべきだろう。
「……ここで立ち話もいいが、そろそろ移動しようか」
「うん。場所はドクターにお任せするよ」
「では、まずは本屋にでも立ち寄るとしようかな」
最近は忙しくまとまった時間が取れなかったので、知り合いとゆっくり本屋に立ち寄る機会もご無沙汰だった。
案内掲示板を見ると、目当ては7階にあるようだ。無駄に遠くて辟易するが、どのみち8階まで登ることになるなら変わらない。
彼女をエスコートして奥へ進もうとすると、「そういえば」と手を合わせてにっこり笑っていた。
「ドクター、その白衣今日もよく似合ってるね」
「はは、何だね急に。……朧形くんも、大人っぽいコートが似合うようになったね」
思わず相好を崩し、あの頃のように笑い合う。
まるで10年若返ったような気分だった。
どうしても、安易な祈りに縋ってしまう。
彼女が、アンバードの正体ではありませんように――。
後ろめたさを抱えながらも、真実を暴くために立ち止まるわけには行かなかった。
*
「あ、お姉ちゃ~ん! おつぽよー!」
「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃった」
何かすごい人が居るな、というのが第一印象だった。読者モデルのような華がある。
ひーちゃんと他愛もない話をしつつ、エスカレーターを乗り継いだ先で出会ったのはそういう人だった。
スラッと伸びた脚、健康的に焼けた肌、主張しすぎない自然なメイク。
学校指定と思わしきセーラー服を大胆に着崩したスタイルはまさに、テレビや雑誌の世界から飛び出してきたような美人だった。
私なんかと一緒に居るのは場違いでは、と思わず自分を恥じてしまう。
「えっと、ひーちゃん……この人は」
「うん。紹介するね。私の従姉妹の――」
「いかにも、アタシが妹の谷間三奈だよ~! よろしくねぃ!」
ひーちゃんが紹介するよりも早く、オーバーな身振りとともに彼女自身が名乗りを上げた。
3階のショッピングエリアは人が多いので目立ちすぎることは無いが、スタイルの良さと通る声も相まって周囲の視線を集めている。
対する私はというと、その真っ直ぐな瞳が自分に向けられているという事実を直視出来ず目を泳がせていた。
まずい、何て言葉を返せばいいだろう。嫌われないようにするには、嫌われないようにするには――。
「あ、あの、その……!」
「あー! あなたがお姉ちゃんの言ってた『にこちゃん』先輩だね! いつも姉がお世話に――」
「三奈ちゃん、一旦ストップ。にこちゃん処理落ちしちゃった」
*
「落ち着いた?」
「……ごめん」
近くのベンチで休憩して、何とかのぼせた頭を落ち着かせる。
危うく天国に行くところだった。死因がコミュ障なんて笑えない。
隣で座る三奈ちゃんが左の方から申し訳無さそうにこちらを覗き込んでくる。
「ごめん、にこちゃん先輩……アタシ、割と空気とか読まないタイプで」
「待ってこれは本当に私が全面的に悪いから謝らないで本当に」
彼女は本当に悪くない。
というか、さっきから気になっていたが――。
「……先輩?」
「はい! アタシ、来年からここの空池第4高校に通うことが決まったので!」
「ってことは――ええ、年下!?」
彼女は中学3年生だったのか。
立った時の大人顔負けのスタイルの良さを思い出し、再び酸欠気味になりそうだった。
大声を出したので周りの人達からもクスクス笑われている。うぅ……恥ずかしい。
この場でアンケートを取ったら10人中10人が三奈ちゃん、私、ひーちゃんの順で年の離れた姉妹だと答えるだろう。
神様はどうして発育の良し悪しで人を分けようとするのか。とても理不尽。
思わず天を仰いでいると、右隣からひーちゃんの清楚な笑い声が聞こえてきた。
「……ふふっ、良かった。にこちゃんが三奈ちゃんと仲良くやれそうで」
「うん……まぁ、何とか」
明らかに違う世界の人のように感じるが、不思議と嫌な感じはしなかった。
彼女の人柄の良さが所作から分かるからだろう。コミュ力を分けてもらっているような気分だ。
ふと三奈ちゃんの足元を見ると、ローファーの傍に所持品らしい大きく膨れたスクールバッグが置いてあった。
「三奈ちゃん、これは……?」
「あ、にこちゃん先輩気付いちゃった? 興味ある感じ~?」
謎のニヤけ面と共に彼女の指先がスクールバッグに伸びる。
気合の入ったネイルが照明に反射して光り、色気を醸し出していた――。
と、そこに唐突に男性から声をかけられる。
「可愛らしいお嬢ちゃん達、ちょっといいですかねぇ。――この辺りで山中教授を見ませんでしたか?」
顔を上げると、目に悪い真っ赤な上着を羽織った男の人が私達に話かけていた。
いくらコミュ障といえど赤の他人ならば対応は容易い。
人を探しているようだが聞き覚えの無い名前なので、「知りません」と言って軽くあしらうだけだ。
愛想笑いを浮かべながら答えようとしたその時――。
「おじさん、ドクターに会いに来たんだ」
先に答えたのは三奈ちゃんの方だった。
辺りがしんと静まる。
さっきまでの賑わいが嘘のように、フロア全体が静寂に包まれていた。
振り返ると三奈ちゃんとひーちゃんの顔つきも険しくなっている。
見渡すと、通行人も一斉に立ち止まってこちらを見ていた。
三奈ちゃんはこちらを振り向くことも無く、独り言のようにつぶやく。
「――お姉ちゃん。にこちゃん先輩のこと、頼んだよ」
「うん。――三奈ちゃん、後のことはお願いね」
何が起きたか分からず戸惑っていると、ひーちゃんに強く手を引っ張られる。
「にこちゃん、走って――!」
「う、うん! でも三奈ちゃんは――」
状況の整理も追いつかぬまま、彼女に連れていかれるまま走って遠くへと逃げていく。
やがて、遠くで何かが発砲するような音が響き渡った――。
*
「……驚きましたよ。最近の若い子は物騒ですねぇ」
咄嗟に真横に飛んで避けたものの、あと一瞬遅れていたら致命傷になっていただろう。
彼女はおもむろにスクールバッグを開けて、黒い拳銃を取り出していた。
おもちゃのピストルと煽る間もなく、ノータイムでの発砲。容赦の無い一撃だった。
どうしてこんな目に遭うのか。私はただ、山中教授に直接会いに来ただけなのに。
会場に行っても不在だったため探し回っていたが、先に他の殺人鬼と出会うなんて予想外だ。
あるいは――知らずに誘導されていたか。
「あなたも殺人鬼ならば、お互い自己紹介が必要でしょう。
私はドクター・カーネイジ。あなたのような患者を助ける仕事をしています」
こちらの言葉にはあまり興味を示さなかったようだが、彼女は持っていた拳銃を後ろに放り投げた。
何のつもりかと警戒している内に、スクールバッグの中から新しい拳銃が出てくる。
そして、彼女はよく通る声でハッキリと名乗った。
「アンバード」
それが彼女の名前だった。
NOVAの殺人鬼ランキングで見知った通り名である。
プロフィールには「10万人の殺人鬼を操るぞ!」と書かれていたか。
何かの冗談としか思えなかったが、この状況を見れば納得が行く。
先程までただの通行人でしか無かった彼らが、皆一斉に拳銃を構えてこちらを狙っている。
構え方は素人のものであるため恐れる程ではないが、この統率力は間違いなく魔人能力によるものだ。
「おじさん――今度は避けられるかな」
彼女の声を合図に、至る所から発砲音が上がり始める。
精度は悪くとも立ち止まっていてはいずれ蜂の巣にされるため、真上に跳躍して回避する。
そのまま空中で静止すると、背後にある『おかしの国』と看板を掲げている店舗フロア目掛けて勢いよく突っ込んだ。
要はラジコンの原理である。
自分の血が含まれているものなら何でも操作出来る――それこそ私が子供の頃から得意とする能力。
もちろん、自分の身体そのものさえも。
腕の切り傷から鮮血を拭い、手近にある商品棚に付着させる。
操作可能になった棚を入口付近に集め、即席のバリケードをこしらえた。
真っ赤な改造白衣の裾から、あらかじめ自分の血を付着させていたメスを左右5本ずつ飛ばす。
ミサイルのような軌道を描き、これから彼らを一人残らず切り刻んでいくだろう。
今度はこちらが攻める番だ。
「さぁ――大虐殺の時間ですよォ!」
*
ここには本当の愛が存在しない。
本当の愛を届けるために、オレは神様から遣わされてきた。
ショッピングモールですれ違うカップル。あるいは親子。
彼らは自分が普通だと思われるために、その様を見せつけているだけだ。
どこに出しても恥ずかしくない愛。
果たしてそれが、本当の愛だろうか。
身の内に秘められた情欲こそが本当の愛である。
彼らに本当の愛を解放させるために――オレは神様から遣わされてきたのだ。
まぁ全部嘘だけど。
今日は山中教授の特別講演会を観るためショッピングモールの5階まで来たが、機材トラブルにより延期となったそうだ。
入口の案内掲示板にはそんなこと書かれていなかったのに――騙された気分だ。
「はぁ……嘘つかれちゃったな」
ここまでの道のりが徒労で終わったことに溜め息も吐きたくなる。
だが、NOVAが一般公開された日に彼が出てくるということは、オレへの熱いラブ・コールと受け取った。
気を取り直して、ドクターを探しに行こう。
「……ドクターには、会わせない」
鼻歌交じりに動き出そうとしたその時、まるで心を読んだかのように誰かがつぶやく。
行き先を阻むように、赤い唐傘を持った中背の着物女が目の前に立ちはだかっていた。
その整った顔立ちから思わず愛について語りそうになったが、その冷たい眼差しから只者ではないことが分かる。
「えっと……迷子ですか? そこ、退いて欲しいんだけど」
勘違いだったら良くないと思い、まずは交渉を始める。
彼女は眉一つ動かさずガン無視だったので、これは本物だと気付いた。
「じゃあ、横からこっそり――」
「これ以上動かないで」
ほぼ一瞬の動作で、オレの額に唐傘が当てられる。
まるで子供のチャンバラごっこだ。ただし礼儀がなってない。
「お嬢ちゃん、他人にそういうことするなって教わらなかったのかな?」
「……これは警告。これ以上動くなら、すぐに命を落とすことになる」
「――あぁ、そういうこと」
今日がどういう縁日なのか、ようやく理解した。
池袋はあちこちが鮮血で飾り付けられ、太鼓のリズムで殺人鬼も踊る――そういう催しだったか。
山中教授以外の殺人鬼と出くわすことも、大してレアなことでは無かった。
「物騒だなぁ。言っておくけど、オレは一般市民だからね。誰かと間違えているんじゃないかい?」
「…………」
肯定も否定もなし。まるで話が通じない。
せめて彼女を怒らせないように慎重に言葉を選ぶ。
「君、名前は? 通り名でもいいけど――」
「アンバード」
短い口の動きで彼女はぼそりと告げる。
だが――聞き捨てならない名前だった。
「そうか……君が。いや、君たちが……先生の」
よりにもよって、先生と同じ名前の殺人鬼。
彼らだけは確実に仕留めたかった。
「――やれるだけ、やってみようかな」
他愛もない、愛の話を始めよう。
全てが虚しい嘘だとしても。
*
『――なんと、エイリアンの目撃情報があるよ!』
「なにっ、それは本当ですか!? 一体どこに――!」
『――詳しくは店内のポスターを見てね!』
「……なんだ、イベントの宣伝でしたか」
エイリアン出現の噂を聞いてショッピングモールまで駆けつけたが、どうやら今回は空振りに終わりそうだ。
ディスプレイ越しに告げられる真実に、がっくりと項垂れる。
だが――ここまで来たら、せっかくのイベントとやらを観に行きたい気持ちもあった。
もしも脚本家や出演者の身内にエイリアンの関係者が居るなら、弟の手掛かりを掴むきっかけになるかもしれない。
ポスターは探せばすぐに見つかった。
観客参加型のイベントで、特にエイリアンハンターの飛び入りを歓迎する、という一文が書かれていた。
「…………ん?」
エイリアンハンターという肩書きはいつから世間一般に浸透したのだろうか。
いや――そうではない。
「これは……エイリアンから私への挑戦状ですね?」
エイリアンへの怒りが一気に込み上げてくる。
こうしてはいられない。早く会場に飛び込み、一匹残らず殲滅しなくては。
エスカレーターを乗り継ぎ、13階へと上がっていく。
賑やかだった8階までの雰囲気とは異なり、9階から先は店舗が入っていないせいか照明が落とされ、暗い雰囲気を醸し出していた。
10階、11階、12階と進むにつれて周囲から音が消えていく。光が失われていく。
心なしか、次の階までの間隔まで徐々に長くなっていっているように感じた。
そして13階――。
エスカレーターの終点は明かりで照らされていた。
どこか安堵するような気持ちで上がっていくと、その先で信じられない光景が飛び込んでくる。
そこには、溢れんばかりの観客の姿があった。
話で聞いた通り、13階から15階まで吹き抜け構造になっており、その2階席や3階席まで人が詰め込まれている。
足を踏み入れた瞬間、その目が一斉にこちらを向いた。
巨大ディスプレイにはマイクを握ったスーツ姿の女性がアップで映し出されている。
「み、皆様――本日の主役、エイリアンハンターが到着されたようです。盛大な拍手でお迎えください!」
彼女の声に合わせ、会場に万雷の拍手が響き渡る。
これは一体何事かと思い、メインステージへと駆け足で近づく。
ステージの上には、ディスプレイに映っていた女性と、その横に赤いサングラスの男が立っていた。
「よう――相棒。待ちくたびれたぜ」
「その声……まさか、黒ヶ嶺ですか!?」
まさに目を疑うような光景だった。
私が外宙躯助として殺人鬼ランキングに載ったその日、彼は死体となって発見された。
確かにこの目で最期を見届け、この手で墓穴に埋めたはずだが――。
「化けて出てきたのですか――!?」
「あぁそうだ……といつもなら冗談に付き合ってるとこだが、流石に違うな。あれは――俺のクローンの死体なのさ」
「クローン……ですか?」
要するに死を偽装していたということだが、何故そうしたのかが分からない。
未だキョトンとしている私を、彼はフンッと鼻で笑った。
「NOVAがエイリアンによって運営されてるだとか、殺人鬼がエイリアンの尖兵だとか――よくそんな話を信じる気になったよなぁ」
「……一体何の話ですか?」
「お前が単純馬鹿で助かったって話だよ。おかげでまんまと殺人鬼の敵にされて、俺も強い奴らと手が組めるようになったんだからなァ」
呆然とする私をよそに、彼はおもむろに着ていた紺色のジャケットの胸元を大きく開ける。
そこには――大きなガラスケースが埋め込まれていた。
私やエイリアンの尖兵と同じ――“コア”だった。
咄嗟にカルガネを構える。
「――黒ヶ嶺、なぜそれをあなたが……っ!」
「いくら鈍いお前でも気付くよなァ。敵対する者には必ずこれがあるって。エイリアンにも、エイリアン以外にも」
一歩、彼は前に出る。
その口元がぎゅっと歪んだ。
「つまり俺はお前の“敵”だ。……おっと、勝手に被害者ヅラすんなよ。俺の家族を殺したのは誰だと思う?
――お前ら、エイリアンハンターなんだよ」
「…………っ」
「すぐにでもお前を殺したかった。……でも、俺は弱い。だからずっと、チャンスが訪れんのを待ってたんだ」
ステージの横に居るスーツ姿の女性の方に向き直る。
彼は大仰な動作で手を広げると、彼女に指示を飛ばした。
「さァ姉ちゃん――俺を殺してくれ」
「黒ヶ嶺、何を……っ!?」
女性は驚きもせず、それが当然の段取りであるように、近くに置いてあった鉈のような鈍器を振りかぶる。
無駄のない動きで彼のコアが破壊されるのを、ただ見ていることしか出来なかった。
ガラスの破片が、ステージに散らばる。
彼は仰向けのまま、背中から倒れるようにして眠った。
「あなたは一体……何を考えて……」
脳が理解を拒む。彼の言動が分からない。
戸惑っていると――やがて、死んだはずの彼が蘇る。
胸元のコアには、傷一つ残っていなかった。
「よう相棒――今度こそ、地獄の底から這い上がってきたぜ」
その瞬間、彼の本当の名前を思い出す。
これから倒すべき、殺人鬼の名前を――。
「アンバード……!」
*
「朧形くん、君はアンバードについてどう考える」
8階フードコートの窓際テラス席に座り、向かいに座る彼女に対してこう切り出した。
夕暮れのフードコートは主に親子連れで賑わっていた。
元教え子とのショッピングを満喫し、目的も終わりに近づいている。
その締めくくりとして――どうしても、彼女の疑いを白黒ハッキリさせる必要があった。
あるいは、これで私達の関係を永遠に断ち切ることになるかもしれない。
当の彼女は突然の問いかけに目をパチパチとさせていた。
警戒の色も浮かんでいる。
「はは、何だい急に……そういえば最近、よく耳にするね」
「あぁ。君はよくテレビを見ているようだ。多くの芸能人がこの名前に改名したことについて、君の意見が知りたい」
答えを待つ間、窓の外から雨が滴る池袋の街並みを見下ろす。
ここと同じかそれ以上に高い建物もたくさん見える。――いざという時には、一発で彼女を仕留める準備は出来ていた。
「私には、最近の人の考えは分からないよ。その名前がニューノーマルになるなら、同じ名前を名乗りたがるのは人の性では無いかい?」
「ふむ。私と同じ意見だね」
彼らのことを念入りに調べるまでは、彼女と同じような結論を出すのが精一杯だった。
だが、この世の怪奇や超常現象と呼ばれるものは、多かれ少なかれ魔人能力に通じっていく。
「――では、次に殺人鬼としてのアンバードについて質問しよう」
「……はぁ。同じ名前の母数が増えれば、その中で悪いことをする統計も増えると思うけど」
「そうだな」
何も彼女は間違ったことを言っていない。実際のデータを見なければ誰でも同じように考えるだろう。
「――だが、逆なんだ。ある日を境に、アンバードという名前の人物が殺人を犯したという統計が一斉に途絶えた」
「それは奇妙な話だね。名前が殺人の免罪符になっているのかな」
「…………」
彼女らしからぬ的外れな推測に少し困惑する。
科学や生物ではなく、道徳または哲学的な話と解釈したか。
この情報は彼女の口から引き出したかったが、やむを得まい。
「アンバードは殺した人物を再生させる能力を持っている。記憶を操る能力もセットになっているのだろう」
「なるほど、死体も被害を受けた記憶も残らないなら殺人罪は立証出来ないね」
「ああ。――ここまでの情報を整理して、君はアンバードについてどう考える」
これで彼女も無関係ではいられなくなった。
アンバードの人口増加、殺人鬼としてのアンバード、殺人件数の激減――これらの超常現象について、彼女の見解が知りたい。
あるいは、彼らのやっていることを彼女は善と見るか、悪と見るか。
「もしもアンバードが魔人なら、という前提になるけど」
神妙な顔つきになって、彼女は結論を下す。
「彼らがやっていることは正しい」
「…………。そうか」
やはり彼女の目には一連の行いは善と映るだろう。
アンバードになった者は、自由に殺す権利と死ぬ権利を奪われる。
おそらく彼らの狙いは、誰も死なない世界を作ること。
それは奇しくも――あの日、STEP細胞で私達が夢見た世界と同じだ。
これで覚悟は決まった。
「朧形くん――私は一度もアンバードが群体だと言った覚えは無い。なぜ彼らと決めつけた?」
「あ――――――――」
彼女の目が驚愕で見開かれる。
認めたくないが、やはり彼女は――最初からあちら側の人物だった。
心底可笑しそうに、彼女は笑う。
「あはは、ドクター。やっぱり私のこと疑ってたんだね。――じゃあ、私からも一つ質問していいかな」
「……何だね?」
彼女もアンバードの一部、あるいは張本人である。
そう考えると――ある矛盾を避けては通れない。
「どうして私の名前は、アンバードじゃないのかな?」
朧形小春――その名前は誰に聞いたわけでもなく、私自らで思い出したもの。
彼女がアンバードではない証拠だった。
考えられる彼女の立場は二つ。
一つは、アンバードに協力の立場を取っている第三者。
元々アンバードでは無いが、理由があってアンバードを名乗っている人物という説。
普通であればそう結論付けたいが、アンバードの思想はあまりにも彼女にとって都合が良すぎる。
つまり――アンバードであって、アンバードではない名前を持っているというのが、第二の説。
彼らの能力はおそらく、殺した人物の名前と能力を変えてしまうもの。そこに例外は生じない。
だが――最初にこの能力を手にした人物なら、その限りではない。
「朧形くん。君が――オリジンだろう?」
「…………さあね」
はぐらかされたが、既に答えを認めたようなものだった。
彼女に逃げられる前に仕上げの準備を進める。
緊張で心拍数が上がっているのを感じる。
対する彼女は至って冷静なようだった。
「ドクターはわざと、私を窓際に座らせたんだよね。外から狙いやすいように」
「……っ」
作戦は始めからバレていた。
この雨天の中、SAT所属のスナイパーを付近のビルで待機させている。
いざとなれば信号一つで彼女の頭を吹き飛ばすつもりだった。
逃げられると一瞬身構えたが、そうではないようだ。
「もしもスナイパーがアンバードだったら、誤ってドクターに当たるかもしれないのに」
「――ふんっ」
安い挑発だと思った。
こんなこともあろうかと、私自らで選抜したスナイパーは事前にアンバードではないことを確認している。
入れ替わるタイミングがあるとすれば、ビルで待機中のところを襲われるぐらいだろう。
決して私も絶対安全ではない。ただし――最悪の時は、それまでという話。
「朧形くん……残念だ。君の才能を失うのはとても惜しい」
スナイパーに向けて、合図を飛ばす。
アンバードもSTEP細胞も、存在するべきではなかった。
「――人類のために、死んでくれ」
程なくして、遠くで窓ガラスの割れる音が響いた。
何度も轟音が聞こえて、辺りが暗闇に包まれる――。
*
対戦カード発表
3階・ショッピングエリア
Dr.Carnage VS アンバード
5階・イベントエリア
【博しき狂愛】 VS アンバード
13階・ライブエリア
外宙躯助 VS アンバード
8階・フードコート
ドクター VS ドクター
*
「さて、どうしたものか……」
アンバードを名乗る着物女に傘一本で動きを縛られ、膠着状態が続いていた。
睨み合っているだけで日が暮れそうだ。
イベントエリアは人の行き来もあり、ある者は奇異の目で、ある者は素通りでこちらを横切っていく。
それでも声をかけてくる者が現れないのは、単にオレ達がじゃれているだけと思われているのだろうか。
まぁ、当たらずとも遠からずだ。
状況を一転させるカードを切りたいが、オレの能力は愛を届けるためのもので、基本的に戦闘向きでは無い。
彼女のような冷たい戦闘民族に使おうものなら、すぐに手痛い反撃が飛んでくるだろう。
とはいえやれるだけはやってみるか――。
その冷たい表情がどんな風に乱れるか、少し興味が湧いてきたし。
「その傘、よく似合ってるね。盗られないように、大事にしないとね」
にっこりと微笑み、彼女に強烈な執着心を植え付ける。
これで、こちらから手を伸ばすだけで彼女は傘を独占したくてたまらなくなるはずだ。
その恋が辿り着く先にある悲劇までは指定出来ないが、いずれ再起不能になる未来は確定した。
「…………」
「……どうしたの? 早く動かないと傘、盗られちゃうよ?」
ゆっくりと手を伸ばしてみるが、全く反応が無い。
すぐに効果が現れないことはこれまでにもあったが、表情一つ変わらないのはおかしい。
あるいは目を開けたまま意識を失ったのかと思い、先へ進んでみると――。
「……ドクターには会わせない」
「おいおい」
変わらず、頭部に傘の先端を押し付けられる。地味に痛いからやめてほしい。
だが――全くの不発に終わるなんてことがあるだろうか。
例えば、彼女は既に死んでいるとか。
“人の心が無い”なんて例えられる人にはよく効く能力だが、動かない死体には当然効果が無い。
また、手足を完全に縛られている人にも効果は無い。
いくら恋が芽生えても身動きが取れなければ行動に変化が起きるはずが無い。
――彼女の場合は、後者のようだ。
おそらく何らかの魔人能力により自由を奪われている。
または、最優先の命令に従うしか能が無い。
「はー、そういうこと……つまんね~」
どうやらあらかじめ対策されていたらしい。
メタゲームほど興醒めなことは無い。こちらは思う存分プロレスがしたかっただけなのに。
ただ、彼女自身に干渉出来ずとも、他にやりようはある。
彼女のことは――よく分かった。
「恋よりも命令の方が大事だなんて、なんて健気――そうは思いませんか、皆さん!」
突然の大声に彼女はピクッと反応する。
そして、周囲を行き交う人達が一斉にこちらを見――彼女の方に釘付けとなった。
「何あの可愛い子!」
「俺、あんな美人初めて見たよ!」
「結婚してくれー!」
彼女が動かないなら、彼女以外を動かすまで。
周囲の無差別な対象に、彼女への強烈な恋心を植え付けた。
これで誰もが彼女を奪い合うことになるだろう。文字通り、食べ始めてしまうかもしれないが――結末は知ったことではない。
あっという間に彼女の周りに人が集まり始め、人々の勢いに飲まれるまま奥へと消えていく。
「ま、待って……道を開けて……ドクター……!」
消えるような声を最期に、オレの邪魔をする者は消えていった。
「まずは一人目――っと」
相手は曲りなりにも対策を講じていたようだが、ツメが甘かったようだ。
気を取り直して、山中教授に会いに行こう。
だが、周囲を見渡すと今度はオレを取り囲むように人々が密集していた。
さっきまでの一般人とは違い、目は虚ろで、全員が着物女のような固い表情をしている。
そして皆、一様に「ドクターには会わせない」と告げていた。
「随分と念入りにオレの邪魔してくれるじゃないか、アンバードさんたち……!」
キューピッドの仕事は、まだまだ終わりそうに無い――。
*
「ぜぇ……流石にこの量の患者は……治療が追いつきませんねぇ……!」
押し寄せる人の群れと銃弾をかいくぐること数十分、店内の商品棚をバリケードのようにして操り一進一退の攻防を繰り広げていた。
さながらゾンビ映画の中盤のようだ。終わりが見えない。
たくさん持ってきていたメスも残り少なく、いよいよ万事休すだった。
持ち手に付着した血液が落ちるまで操作は持続可能……のはずだが、なぜか彼らに刺さったメスは精度が悪くなり、最後はコントロールを失ってしまう。
店中の鋭利なものをかき集めても大した武器にならず、外に落ちたメスを拾うことも――難しいだろう。
せめて、敵将の首さえ討ち取れば――。
確証は無いが、あの制服を着た少女が全体の指揮を取っているならば、彼女を倒すことで活路は開けないだろうか。
バッグから自分の血がパンパンに詰まった輸血パックを取り出す。
あくまで血が足りなくなった時の最終兵器だったが、この際出し惜しみをしている場合ではない。
「ここからが――本当の大虐殺ですよォ!!」
輸血パック自体を操作し、店外上空に飛ばす。
パックは空中で膨張を続け――そして、勢いよく炸裂した。
「な、何っ……!?」
外から心地よいアンバードの悲鳴が聞こえる。
大量の血液が辺りに撒き散らされ、周囲に居た人間や物を染め上げる。
更には視界を奪う効果もあり、敵がパニックに陥った隙に乗じて一気に攻めるという作戦だ。
血が付着したことを確認しないと能力が発動しないため、バリケードの隙間から外の様子を伺う。
だが――血はどこにも付着していなかった。
「――す、全て洗い流されているッ!?」
原因は――そうだ、妙に床が濡れていた。今に始まったことではなく、最初からずっと。
外は雨が降っている。傘から滴り落ちた水滴が床に垂れたのだろうか。
いや、その比ではない。
まるで彼らが傘を差さずに雨を被りながら外を出歩きでもしない限り、ここまで床が濡れることは無いだろう。
よく見ると、誰も彼もがずぶ濡れで、髪の先からポタポタと水滴を溢していた。
「あなた方……まさか、今までずっと水を被って――」
そういえば今日も外を出歩いた時、傘を差さない人が目立っていた。
てっきり馬鹿の流行りかとばかり思って見過ごしていたが、こんな形で能力が封じられるなんて。
落胆していると、場違いに明るい少女の声が響く。
「――分かった! おじさん、水に濡れると弱いんでしょ!」
「……くっ、今更気付いたのですか」
まぐれで弱点を晒した屈辱に唇を震わせつつ、再びバリケードの隙間から店外を見渡す。
まだ血が付着していて使えそうなものは――。
(――占めた!)
彼女が持っているスクールバッグの中身は雨に濡れていなかったため、血液がべったりと付着していた。
拳銃一丁を操作し、彼女に狙いを定める。
「――死ねぇ!」
力を込めて発射すると、彼女の身体が大きく跳ねる。
程なくして、大きな血溜まりを作りながら床に倒れる様を確認した。
「はぁはぁ……随分と手こずらせてくれましたね」
ようやく状況が好転した。
バリケードを片付けて外に出ようとすると――。
「うおおおおお! よくも三奈ちゃんをおおおおお!!」
「みんなー! やっちまえー!」
「悪者を取っ捕まえろー!」
周囲の人々は銃を捨て、やみくもにこちらに向かって突撃してきた。
バリケードを張り直すが、これではキリが無い。
「くっ……私一人ではこれが限界ですか……」
ついに使えるものも無くなり、貧血で頭もボーっとする。
彼らの手でバリケードが破壊される様子を他人事のように見届け、次の一手を考え始めた。
「まだ……私の手術を待つ大勢の患者が――」
気が付くと彼らに取り囲まれながら、徐々に意識が薄れていく――。
*
「ひーちゃん、そろそろ説明して」
「…………」
「――ひーちゃんってば!」
「ごめん、にこちゃん……巻き込んじゃって」
女子トイレ近くの人通りの少ない通路で、私とひーちゃんは息を潜めるようにして隠れていた。
かれこれ数十分はこうしているだろうか。
三奈ちゃんを置いてきた理由も、ショッピングモールの中で人目を避ける理由もよく分からない。
対してひーちゃんはずっとスマホを見つめ、時折何か文字を打っているようだった。
こちらから話しかけても、空返事ばかりだ。
手持ち無沙汰に待機していると、カバンの中でスマホが振動しているのに気付いた。
滅多に鳴らない着信の合図だ。慌てて取り出す。
ディスプレイの文字を見ると、『一月記あやめ』と書かれていた。
いつから電話帳に登録していたのだろう。見覚えのない名前だった。
知らない番号では無いと自分に言い聞かせ、恐る恐る、着信に応じる。
「はい、早地ですが……」
『……にこ。良かった……無事で……』
スマホの先で、くぐもったような少女の声がする。
息も荒く、何を伝えたいかもハッキリしない。
イタズラ電話でも無さそうだが。
「すみません、ちょっと電波が悪いみたいで――」
『……ドクターが、本当に辛くなったらこれを押せって。……押したら、本当に……にこの声が聞こえてきた』
「えっと……」
『ごめん……憶えてない、よね。私が……忘れさせちゃったから……』
短い嗚咽のような声が聞こえてくる。
まさか――泣いているのだろうか。
『……うん。にこの声聞けて……安心した』
ずっと聞いていると、何かを思い出すような――。
その時、横からひーちゃんが「ちょっと貸して」とスマホを要求してきたので思わず渡した。
「もしもし、にこちゃんの友達? ……うん、私達今、ショッピングモールの3階に居るんだけど……うん、近くに居るなら来て欲しいな」
慣れた口ぶりで会話を続けると、最後に「それじゃ」と言いながら通話を切った。
すると彼女は女子トイレに入り、水の入ったバケツを持って出てくる。
「ごめんにこちゃん、ちょっと用事出来たから! そこで待ってて! ――絶対に動かないでね!」
まるで何かに焦っているような様子だった。
言われるがまま、「いってらっしゃい」と手を振って見送る。
一人きりになって、電話のことを思い出す。
「……彼女、優しそうだったな」
いつかどこか、ちゃんとした形で会えれば、きっと良い関係になれる気がした。
*
「…………生きなくちゃ」
ぱきり。
軽く握っただけで、誰かの首の骨が折れる音がした。
「…………にこに、会いたい」
ぱきり。ぱきり。
手当たり次第に、周りでぐったりと倒れている人の首を手折る。
「…………生きるために、協力して」
ぱきり。ぱきり。ぱきり。
最初は情熱的に襲いかかってきた彼らも、疲弊して、ただの肉の壁と化していた。
抵抗しなければ押し潰されていたかもしれないが、所詮は一般人だ。
「…………ドクターのために、協力して」
殺して、殺して、殺した。
彼らに新しい生命を与えるために。
彼らに新しい規則を与えるために。
彼らに新しい名前を与えるために。
彼らに新しい世界を与えるために。
やがて、肉の壁がゆっくりと動き出す。
アンバードが生まれ、隣に居た者を殺し、その繰り返し――。
私を囲っていた全ての人々が、あっという間に生まれ変わる。
ドクターに言われた通り、彼らに命令を与える。
生きること。そのために協力すること――。
今は非常時のため戦うことも必要にはなるが。
命令を与えると、彼らは元の日常に戻っていった。
ドクターに会いたがっていた少年を探してみたが、どうやら場所を離されてしまったようだ。
彼のことは最優先で警戒が必要――だが、今は他のアンバードに任せることにしよう。
にこ達は――3階のショッピングエリアに居ると言っていたか。
慌てた様子だったので、殺人鬼が近くに居るかもしれない。
「…………待ってて、助けに行くから」
*
「――三奈ちゃんっ!」
連絡があったので急いで駆けつけると、彼女は血溜まりの中で仰向けに倒れていた。
周囲を見て危険が無いことを確認してから、スクールバッグに入っている血がついた拳銃を水で洗い流す。
店先ではアンバード達が今も戦闘を続けているようだ。
脈拍を確かめようと耳を近づけると、「うっ」と彼女の呻く声が聞こえてきた。
「お姉ちゃんごめん……しくじっちゃった」
「良かった……まだ生きてる」
何にせよ、彼女を失わずに済んで良かった。
拳銃を一丁手に持ち、マガジンに弾が入っていることを確認する。
天を仰ぎ、彼女は諦めにも近い笑みを浮かべていた。
「私、ここで死んじゃうのかな……お姉ちゃんと同じ学校に、行きたかったな……」
「三奈……」
「にこちゃん先輩とも……仲良くなれそうだったのに。それに――」
放っておけばずっと続けそうな勢いだった。
彼女の額に拳銃を押し当てる。
「死んでいいなんて、命令してないよね?」
引き金は軽く、発砲音と共に彼女の身体がビクンと跳ねた。
生きてさえいれば――それでいい。
私が三奈ちゃんを殺すことで、再びアンバードとして回生できる。
私達の日常を――終わらせない。
*
「…………くっ」
意識が半覚醒していく。
気が付くと私は、集団に押さえつけられ、身体のあちこちにメスで刺されていた。
血が、流れていく――。それをぼんやりと見つめることしか出来なかった。
血の流れが、とても悪い。
手足のあちこちが痺れ、上手く動かなくなっていた。
(血の流れ――そうか)
思考もまとまらないまま、すがるような思いでそれを実行に移した。
自分自身を操作する。
身体ではなく――血の流れを。
血の通う場所、つまり全身のあらゆる器官を総動員させ、血液ポンプを活性化させる。
意識が急速に回復していった。
「はぁぁぁあああ……うおおおおぉぉぉおおお!!」
彼らの動きが止まっていように見える。
素早くメスを奪い取ると、払いのける動きで彼らを壁まで弾き飛ばした。
今の私は、無敵だった。
「アンバードおおおおおおお!!」
その勢いのまま、店外へと飛び出す。
殺したはずの少女と、最初に逃げた少女が目に入ってきた。
「おじさん――なかなかしぶといね。その身体で、まだやれるんだ」
「その言葉……そっくりそのまま返しましょうか」
自分の手足を見ると、血管から血が吹き出ている。
限界が近い――それでも、彼女を殺したい一心で、血液を再び沸騰させた。
力がみなぎってくる――。
「今度こそ、本当の大虐殺を――!」
その時、少女は水の入ったバケツを手に持ったかと思えば、こちらに向かってひっくり返してきた。
咄嗟のことで反応出来ず、頭から被ってしまう。
「今よ!」
大きな雷が落ちるような衝撃と共に、そのまま世界が横転する。
最後の力を振り絞って首を動かすと、傘を構えた着物姿の女が遠くからこちらを狙っていた。
「……この距離だと殺しきれない。ドクターに報告しないと」
動けなくなった私に対し、セーラー服の彼女がゆっくりと近づいてくる。
「おじさん――これでおしまいだね。少しは楽しめたよ」
「ま、待ちなさい! 分かりました。私の負けでいいでしょう。ですから命だけは――!」
無常にも、彼女の手には見慣れた拳銃が握られていた。
口を無理やり開かされ、銃口を噛まされる。
「じゃあね――おじさん。アンバードに生まれ変わったら、また遊ぼうね」
錆びついた鉄の味と共に、大虐殺は幕を閉じた。
*
「――なぁ相棒、お前の力はこんなもんじゃねぇよなァ!」
剣と剣がぶつかり合い、激しい火花が散った。
カルガネの形状を変化させ、彼の死角を狙った一撃を繰り出すも、まるで心を読まれているかのように対応されてしまう。
まるで体力比べとも言えるような死合を延々と続けさせられていた。
「くっ……アンバード、まさか貴方がこんなに強かったとは」
「おらおらァ、休んでる暇なんて無ぇぞ!」
彼の武器が一瞬にして巨大な斧のように変化すると、横薙ぎでこちらを狙ってきた。
迂闊に避けると観客を巻き込んでしまうため、こちらも大盾の形で受け止める。
「くうっ……!」
重い一撃を受け止め、身体が折れそうになる。
エイリアン以外を殺さないよう配慮して戦う私とは異なり、彼は観客が巻き込まれるのもお構いなしだった。
どうしても力量差で押し負けてしまう。
しかも彼は私と同じ武器――不定形記憶合金“カルガネ”を操っていた。
曰く、“クロガネ”という名前らしい。
かなりの強敵だが――易易と負けるつもりはない。
「貴方を倒して、弟の居場所を話してもらいますよ――!」
そう意気込んで構え直すと、彼は堪えきれなくなったというようにギヒヒと笑っていた。
「――お前まさか、まだ弟が生きているとでも思ってんのか? 本気で?」
「くっ……精神攻撃のつもりですか」
「これを見ても――同じことが言えるかな?」
そう言って、彼は赤いサングラスを外す。
その下にある素顔は――忘れもしない、大事な弟と同じものだった。
「そんな、まさか……!」
「やあ、兄さん――――なんちゃって。俺達エイリアンは地球人のボディなんて持ってねぇよ。
それでも見た目がそっくりに擬態出来るのは――お前の弟が犠牲になって、地球人モデルXが完成したおかげなんだぜ」
「くっ……なんて卑劣な……っ!」
あまりの衝撃に、脳が理解を阻んだ。
弟が既に死んでいる――その上エイリアンの擬態になっている。
そんなのデタラメだ。惑わされてはいけない。
「すぐに弟の元に送ってやるよ――地球人モデルYとしてなァ!」
彼は叫ぶと、クロガネを無数の触手状に伸ばした。
私ではなく――背後に居る、観客達めがけて一斉に。
「くっ……アンバード、一体何を!?」
あまりの暴挙に彼らを守ることすら追いつかない。
観客席から次々と悲鳴が上がった。
容赦の無い連撃に、フロア全体が真っ赤に染まっていく。
「や、やめなさい――! 彼らは無関係です!」
あまりの酷い光景に思わず観客席を振り返る。
その時――背後から、コアを刺し貫かれた。
ほんの一瞬の隙だ。
「関係あるね――お前の注意を逸らすための犠牲さ」
「……そんな」
アンバードがニヤリと笑う。
直後、まるで全身の血を抜かれたように、意識がブラックアウトしていった。
*
真っ黒な空間に立ち尽くしていた。
「兄さん――今までボクを探してくれてありがとう」
頭上から優しげな声がする。
顔を上げると、そこには柔和な笑みを湛えた弟の姿があった。
その華奢な身体を――忘れたことなんて一度も無い。
「やっと……また暮らせるようになるんだね」
その笑顔のまま、手が差し伸べられる。
随分と遠回りになってしまったが――この瞬間を、どれだけ待ちわびたことか。
手を伸ばそうとして――自分の手が赤黒く染まっていることに気付いた。
慌てて身なりを確かめると、腕や足、服の裾にまでべったりと人間の血がこびりついている。
「ち、違うんだ……これは……!」
「酷い――兄さんはそんなことしないって、信じてたのに」
「これはお前のために――」
「ボクはそんなこと頼んでない!」
血を見るなり、弟は化け物を見るような目で私の前から走り去ってしまった。
かける言葉もなく、絶望して、ただその場で崩れ落ちる。
「もし、私が人殺しなら……一体これから」
何のために、
誰のために、生きれば良いのだろう――。
*
「うおおおおおおおおお!!」
「――やっと目ぇ覚ましたか、相棒」
気が付くと、元のステージに戻っていた。
胸元のコアも完全復活している。
もはや私は――全てを失った。
捜していた弟の行方も、信じていたパートナーの正体も、私が行ってきたことの真実も――何もかも、最悪だ。
これ以上、何を躊躇う必要があるだろう。
「私が人を殺してきたことは……認めましょう」
全てを受け入れて、前に進むしかない。
「これからは、人間もエイリアンも――私の前に立ちはだかる限り、容赦なく殺します」
「……良い目をするようになったじゃねぇか、相棒」
まずは、弟を殺したエイリアンに復讐しなければ気が済まない。
カルガネを構えると、細長い槍状に変化させる。そのままアンバードを観客席ごと刺し貫く――。
虚を突かれた形となった彼のコアは、あっさりと破壊された。
「他愛も無いですね……」
今度こそ彼が死亡したことを確認すると、その場を立ち去ろうとして――。
「……おいおい、まさか一回殺した程度で満足してないよな?」
「――っ!」
振り返ると、彼のコアは何事も無かったように再生していた。
まるでゾンビのようにしぶとい男だ。
「お前にいいことを教えてやろう。――俺の名前はアンバード。そして、お前の名前もアンバードだ」
「……ん? それがどうかしました?」
確かに同じ名前だが、そこに何の意味があるだろうか。
分からずに首をかしげていると、彼は意地悪そうにギヒヒと笑った。
「お互い、気が済むまで弔い合戦を続けようぜェ――相棒!」
そして、剣と剣がぶつかり合い、激しい火花が散る。
誰も死なない空間の中で、私達はいつまでも死合を続けていた――。
*
恋の天使は今日も大忙し。
バレンタインやクリスマスの比では無いが、ショッピングモールは愛を求める子羊で溢れている。
貪欲なことに、彼らは愛が足りなければオレを襲ってこようとするだろう。
もはや制約だのと言っている場合ではない。命の危機は何よりも優先されて当然だ。
「君にはこれを、そっちの君にはそれを――」
彼らに最適なパートナーを手当たり次第に紹介してあげると、満足してどこかへと消えていく。
着物女のような鉄仮面ばかりだったらどうしようかと思っていたが、他の奴らは防御が甘いようで助かった。
代わりに数が異常なんだが。
どれだけ相手してもキリが無い。
まとめて恋心を植え付けておしまい、と高を括っていたのに一向に減る様子が見当たらない。
「まさか本当に10万人の相手を……?」
消耗系の能力じゃないだけマシだが、連続して使うたびに心のMPのようなものが激しくすり減っていくような気がした。
だが――理論上は、どこまで相手が増えようと無意味だ。最後には愛が勝つ。
たった一人の、例外を除けば。
そして最悪の想像とは、いつだって的中するものだ。
神様はオレと比べ物にならないほど、残酷な性格らしい。
「少年、こんなところで何をしている」
彼らの合間を縫うようにして、見知った顔が現れる。
こんな時に――一番会いたくなかった人だった。
「……先生」
思えば、最初から変だった。
先生と同じ名前の殺人鬼だなんて――あり得ない話だ。
だって、先生はオレが須藤久比人と名乗った際、名字にムンク美術館のあるオスロを付け加えて返してくれたじゃないか。
記憶が――矛盾している。
それはおそらく、先生が敵に堕ちてしまったということ。
ならば――心は既に決まっている。
「だから言ったじゃないですか――先生にはオレの能力は使わない、って」
もうお手上げだった。
どれだけ敵が増えても相手にするつもりだったが――この恋心にだけは、嘘は吐けない。
先生はオレと同じ悩みを抱える人なのだから。
“綺麗な嘘”で自分をごまかし、“汚い本当”を隠さずにはいられない人だ。
一歩、先生が前に出る。
黙っていれば女性とも見間違う、美しい人だった。
柔らかい肌に、抱きしめられる。
「久比人――もう君を離さない」
「――アハッ」
やっと、オレのことを名前で呼んでくれた。
だけどそれだけでは、心に響かない。
「違いますよ、先生。オレの本当の名前は――」
言いかけて、床に赤い血が流れていることに気付いた。
先生がナイフを持って、オレの腹を一刺しにしたのだ。
自分が消えていく。きっと先生と同じ名前を授かるのだろう。
ああ――幸せで満たされてしまう。
だから、最期に嘘を吐いた。
やがて真実になる――偽りの名前を。
「アンバード」
*
「これは――どういうことだ」
SATのスナイパーに射殺要請を出した次の瞬間、フードコート全体が暗闇と静寂に包まれた。
夕暮れの池袋を映していた窓が白で塗りつぶされたかと思えば、轟音と共に床に吸い込まれていく。
しばらくして明かりが戻ったので辺りを見渡す。
私の周囲を大勢の人々が虚ろな目で取り囲んでいた。
数百人――あるいはそれ以上の大勢。子供から大人まで。
やられた――と思った。
窓際の席に座ったと思ったのは大きな間違いで、最初から中央の席に座らされていたらしい。
「……朧形くん。私を欺くのが上手くなったようだね。一体、窓の外に今まで何を映していた?」
「巨大なスクリーンだよ。外側をパノラマカメラで映したものを投影していただけ」
「では、窓の外に出した指示が伝わったことはどう説明する」
「反対に、外側からは内側の映像を見せていたからね。その隙間に距離があることは誰にも分からない」
「……そうか」
随分と大掛かりな仕掛けを用意してくれたものだ。
まるでこちらの手の内を読んでいるような――いや、実際読んでいるのだろう。
「やはり君は――」
アンバード――10万人の殺人鬼を従える一人の指導者。
オリジンだったのか。
やがて人混みからウェイター姿の女性が近づいていくる。
彼女は私と朧形くんの前に一つずつ、透明な液体の入ったグラスを置いた。
一礼して、無言のまま去っていく。
「ドクター、アンバード一同を代表して貴方を歓迎するよ。これは歓迎の証と思ってくれていい」
目の前に座る彼女はそう煽ると、おもむろに液体を一気飲みした。
見た目は水のように見えるが――毒薬か睡眠薬か。こんな罠に引っ掛かると思われているなら心外だ。
「これからの計画には――ドクター、貴方の力添えも必要なんだ。どうかこれを飲んで、私達と一緒に――」
「――ふざけるなッ!」
グラスを手で払いのける。
液体の入ったそれはテーブルの下に落下すると、ガシャンと大きな音を立てた。
世間体もある手前、自らの手で彼女を殺すようなことはしたくなかった。
だが――今この場で使える手札は限られている。
私は白衣の下から“切り札”を取り出した。
「私が丸腰だと思ったか――これで形勢逆転だな」
拳銃を彼女の額に押し付ける。
その表情は何も変わらない。
初めて会った時と同じ、人を食ったような笑みを浮かべていた。
「――ドクター」
「殺人鬼の話に耳を傾けるつもりは無い」
引き金は重く、しかし既に覚悟は決まっていた。
爆ぜるような音と共に、彼女の頭に大きな風穴が空く。
こうしてオリジンは死んだ。
呆気ない幕引きだった。
周囲の人々は変わらずこちらを取り囲んでいる。
オリジンを殺せば何かが変わるかと思ったが、期待外れだった。
報復されるようなこともなく、彼らも物言わぬ傍観者を貫いている。
「何も変わらずか……」
仕方なく席を立ち上がろうとして――視界の端で、彼女が笑っていた。
「オリジンはまだ死んでいないからね」
「ば、馬鹿な……!」
撃ち抜いたはずの頭の傷が、まるで何も無かったかのように塞がっていた。
この現象はまるで――。
「STEP細胞――完成していたのか」
「そう。さっき私達が目の前にした液体の正体は、STEP細胞を水で溶かしたもの。
飲むことで、短期間の完全再生能力として機能するようにしたんだ」
「…………ああ、君は本当に素晴らしい才能の持ち主だ」
医学の限界を感じ――いつからか私は、他人の魔人能力を借りて医学を発展させようとしていた。
その間にも彼女は、自らの手でSTEP細胞の研究を進めていたのだろう。
ああ――なんて眩しい才能だ。
この才能を潰すことになってしまうのが、とても惜しい。
周囲を取り囲む人々が、いつの間にか銃を構えていた。
皆一斉に私を狙っている。
「ドクター、もう逃げ場は無いよ。そろそろ観念して――」
「……はは、そのようだね」
これが最後の手札だ。
最善手どころか最悪手だが――彼らの手に落ちるぐらいなら。
ポケットに入れていた起爆装置に、起爆コードを入力する。
そして躊躇うことなく、スイッチを押した。
「さようなら――害獣諸君」
四秒、五秒――。
しばらく待って、何も起きない。膠着状態が続く。
偽の起爆コードを掴まされたとは――思いたくなかった。
「ドクター、悪あがきは済んだ?」
「ま、待て……お願いだ……見逃してくれ……!」
すがるような思いでスマホから警察への緊急支援を要請した。
しかし――もはや全てが手遅れだった。
手札は全て出し尽くした。
腰が抜けて、這いつくばるようにしてその場から逃げようとする。
絶えず、銃口はこちらを追従するように動いていた。
やがて、彼女に足首を掴まれる。
振り返ると、純粋な笑みを浮かべていた。
「ドクター、また今度一緒に研究しようね」
偽りの功績と、本物の才能――。
私は彼女のように、なりたかった。
私は彼女のように、なれなかった。
そして――命の灯火が消える音を聞いた。
*
「これで私の仕事はおしまい――っと」
床に横たわる恩師の白衣から起爆装置を回収し、まだ電源が入っていることを確認する。
一時はどうなることかとひやひやしたが、無事にアンバードの末端構成員らしい働きは出来た。
というか、私は未だアンバードですら無い。
ただのしがないドクターである。
アンバード以外に誰も見ていないので、黒いコートと上着を脱ぎ捨ていつもの下着姿になった。
やっぱりこの格好が一番落ち着く。
「あ、君たちは解散していいよ。撤収~」
パンパンと手を叩いて周囲の彼らに指示を飛ばす。
しかし、私の指示は聞き入れられないようで全員その場に立ち尽くしていた。
「……なんだ、融通の利かない連中め」
オリジンに連絡し、全てが無事に完了したと報告する。
程なくしてパラパラと彼らも元の日常に戻っていく。
下着姿の私にノーリアクションなのは、そういう“命令”が下されたからだろうか。
戦況を確認すべく、スマホからアンバード.comにアクセスし各地の情報をチェックする。
私自らが徹夜して構築したBBSに、彼らの行動がリアルタイムで記録されていた。
3階、5階はターゲットの死亡を確認。
13階はターゲットの回生後、今も戦い続けているが特に問題なし――と。
私達の完全勝利と言っていい大戦果だった。
「――ドクター!」
スマホを眺めていると、遠くから二人の少女が駆け寄ってきた。
あやめと――にこだった。
「あやめ、無事だったんだね。にこくんとも合流出来たのか」
「……うん。ドクターこそ、怪我無くて良かった」
相変わらず表情に乏しい少女だが、心なしか笑っているように見える。
隣に友達が居るからだろう。
にこは記憶を処理したはずだが、結局元に戻してしまったらしい。
ふと彼女を見ると顔を真っ赤にしていた。
「――だから、ちゃんと服を着てください、って言ってるじゃないですかー!」
「おや、見られて減るものじゃないだろう」
何だかこのやり取りも久しぶりに感じる。
「あやめさんからも何とか言ってください!」
「……ドクター」
「ん?」
「……外ではちゃんと服を着て」
「…………はい」
あやめに言われて渋々、黒いコートを上に羽織る。
却って変態チックな格好になってしまった。
ふと気付いたように、あやめの視線が下を向く。
「……ドクター、そこで倒れている人は?」
「ああ、私の恩師だよ」
「…………そっか」
肩書きは連綿と受け継がれる――。
今の私とあやめの関係も、彼を真似たかっただけなのかもしれない。
気を取り直して、仕上げに取り掛かろう。
「――さて、と。あやめ、君に最後の大仕事を頼みたい」
「……うん」
起爆装置に本当の起爆コードを入力すると、それをあやめに手渡す。
にこは状況が飲み込めないていないようだった。
「えっと……ドクターさん、これで一体何を……?」
「結論から言うと、今からこのショッピングモールをこれで爆破するよ」
「えっ――」
何も知らなければそのような反応になるのも当然だろう。順を追って説明することにした。
まず――今回の目的はNOVAに乗じて、戦力を増やすこと。
手っ取り早い方法として、山中教授が池袋スーサイドパークに殺人鬼を集め、爆破する計画があったのでこれを間借りすることにした。
とはいえ他の殺人鬼に対象を殺されては意味が無いので、彼らを分断させる必要があった。
にこ達はDr.Carnageを、あやめは【博しき狂愛】を。
私が山中教授を、そしてオリジンが外宙躯助を――それぞれ誘導し足止めさせることが作戦の第一段階。
作戦立案こそ私が務めていたが、彼らを実際に操っていたのはオリジンを始めとするアンバード達。
私は山中教授の気を引くためにオリジンの影武者を演じていたが、本当はアンバードですら無い。
「……あの、質問いいですか?」
「何だね、にこくん」
「ドクターがアンバードじゃないなら――あやめさんを操れているのは、どうしてですか?」
「うん。良い質問だね」
これはオリジンに直接聞いた話だが、アンバードに命令する能力は無く、実際には「自分を殺した者の命令を聞く」能力らしい。
そのため、元々アンバードだった少女を殺し、STEP細胞を改良して作った薬を飲ませ、生き返らせることで命令権を得た。
それこそが一月記あやめ、という存在である。
「無茶苦茶やってますね」
「常識を変えるのが私の目指す医学だからね」
「はぁ……」
アンバードになりたくなかった理由は、単に山中教授のような賢い人からミスリードを誘い、オリジンと誤解されたかっただけである。
当のオリジンも今はアンバードになっている以上、つまらない駆け引きはやめて能力持ちになった方がこれからは都合が良さそうだ。
「これで理解出来たかな?」
「まあ、大体は……」
今はあくまで作戦の第二段階で、四人の殺人鬼を無力化したに過ぎない。
最終段階はここから。彼が用意してくれた150個の爆弾を起爆させ、建物内外に居る全員をまとめてアンバードにさせる計画だ。
重要なのは、スイッチを押すのはアンバードの役目――つまりあやめで無ければいけないということ。私が押しては計画は水の泡だ。
「……ドクター、本当にいいの?」
「ん、どうした急に」
「……死ぬの、怖くない?」
「怖いもんか。むしろ嬉しいぐらいだよ」
人はいずれ死ぬ。誰だって生きている内に、死ぬことを恐れるようになる。
だから誰もが延命を考え、生まれ変わりや死後の世界があることを想像する。
まさに今、目の前に居るのは一度死んで生まれ変わった者ばかり。
ここでどうして――死ぬのが怖いなんて、思うものか。
「あやめ、これでようやくお前と同じ目線で立てる」
「……ドクター」
「これからは私に命令してもいいからな」
「……じゃあ、風呂上がりに全裸でうろつかないで。せめて下着はつけてから出てきて」
「うぐぅ」
彼女となら、これからも良い関係が続けられそうだ。
スマホが鳴ったので確認すると、1階から警察が突入したという連絡が入った。
「あやめ、そろそろ頼めるか」
「……うん。その前に――」
あやめが、にこの方に向けてそっと手を差し出す。
「……手、握ってほしい。ちょっと怖いから」
「う、うん……」
「……ドクターも」
「ああ。――いつも嫌な役ばかり押し付けて、ごめんな」
こうして、三人で手を合わせる。
彼女達の手は温かかった。確かに生きている証だ。
「……ドクター、最後に何て言って押したらいい?」
「んー……あやめが決めていいぞ」
「じゃあ――」
短い掛け声の後、彼女は起爆装置のスイッチを押した。
「また明日」
そして、長い一日目の締めくくりに相応しい、盛大な祝砲が打ち上がる。
*
2024/06/■■_18:20_都内某所
池袋スーサイドパークにて大規模な爆破テロが発生。
同建物内外および周辺の建物を巻き込み、延べ10万人以上が重軽傷の被害に遭う。
奇跡的に死者数は少なかったが、理由は不明。何らかの魔人能力によるものと断定される。
警察はテロ容疑の疑いでアンバードを指名手配しようとしたが、被害者の殆どが同じ名前だったため訴えの声が相次ぎ、間もなく撤回となった。
当時ここで講演会を開く予定だったアンバード教授がテロに巻き込まれ、死亡したと報じられる。
○×△症候群など多くの難病治療に貢献を果たし、現代医学の偉大な父として次期ノーベル賞候補とも噂されていた人物である。
彼にノーベル賞が手渡されることは無いまま、この世を去った。
*
キラキラダンゲロス2 一日目
inショッピングモール 戦闘結果
ドクター 死亡
【博しき狂愛】 死亡
Dr.Carnage 死亡
外宙躯助 死亡
アンバード 死亡
追記:アンバードの生存報告が確認されたため、自動的に二日目進出とする。
*
放送委員に呼ばれ、廊下を渡って職員室へと向かう途中。
私は日々、考える。
どうしてこの世界から苦しみが無くならないのだろうと。
どうしてこの世界から不平等が無くならないのだろうと。
にこちゃんのように、優しい人物がいつも損をしなければならないのはどうしてだろう――と。
人生が短ければ短いほど、生き急ぐ人間は多くを従えようと必死になる。
ならば――誰も死ぬことも殺すことも無い世界に書き換えてしまえば、あるいは。
誰もが幸せになれるんじゃないかと。
誰もが平等になれるんじゃないかと。
「――よう、ひーちゃん」
誰かからあだ名で呼ばれ、思わず立ち止まる。
黒いコートを羽織った長身の女性だった。
「……どなたですか?」
「私はドクター。訳あってアンバードを追っている者だ。
結論から言うと、私はアンバードになった人間を元に戻したい。そのために協力して欲しいんだ」
「……はぁ?」
いきなり現れて何を言っているんだろう。
無視して通り過ぎようとすると、ぐいっと手を掴まれ引き留められる。
「何ですかもう!」
「まぁ待てって。お前はアンバードについてどう思う?」
「どうって何も……」
何故、よりにもよって私なのか。
不意に彼女を見ると――その目は恐ろしいほどに、鋭かった。
「知らないってことは無いだろ。最近よく耳にするアンバードという名前について、どう思う?」
「えっと……バードだから、鳥?」
「多分な。アンは否定形を意味する接頭詞、バードはそのまま鳥を意味する名詞だ。
繋げて読むと『非鳥』――これがアンバードの意味するところだろう」
彼女は淀みなく、自己解釈を語る。
思わずこちらまで気圧されそうだった。
だから、どうしたというのだ。
愛想笑いを浮かべてその場を乗り切ろうとする。
「よく耳にするのに『一人』なんて、何だか不思議なお名前ですね」
「実際にそういう意味合いもあるだろうが――これ以上、とぼけるのはやめてもらおうか」
ああ――既にそこまで気付いた上で辿り着いていたのか。
私を訪ねてきた理由が、ようやく分かった。
「なあ、だってお前は――」
何故なら私は――。
「山乃端一人」
アンバードの、産みの親なのだから。