「……ん」
うっすらと目を開けると、目の前に眠たげなククールの顔があって、ゼシカの意識はすぅっと上昇した。
肘をついた手で顔を支えて寝そべりながら、自分の前髪を指先で意味なく弄んでいる手の平が目に入り、
ゼシカはその手を無意識に取る。
「…寝てた…?」
「いや…そんな時間経ってないよ」
ベッドの上で、指をからませ合いながら睦言を交わすこの時間。いつもはだらしなく垂れ下った
ククールの表情が今日はなんだかとても疲れて見えて、ゼシカはシーツで胸を隠しつつ体を起こし、
上からその顔を覗き込んだ。
「どうしたの?疲れた…?」
「…疲れたというか…」
不機嫌とも取れる表情に、ゼシカは途端に身を竦ませる。
性に無知な自分がいつかおかしなことを仕出かさないかと、ゼシカはいつもひそかにビクビクしている…
「ゎ、わたし何かした…?」
「…………んー…」
「ご、ごめんなさい、なに?言って、お願い」
取り乱すゼシカに対して今度こそ呆れたようなため息がつかれると、ゼシカは不安に満たされ泣きそうになった。
ククールは体を起こし、そんなゼシカのおでこをこづく。
「何したってお前…なんつうことをさせるんだって話だろ…このバカ」
「え?…えぇ?な、なに?なんの話?」
「んっとに…ハァ……。どーすんだよ…オレ、アローザさんに殺されたくねぇぞ…」
「へっ?お母さんが、どうし…」
突然ククールがゼシカのお腹にシーツの上からピタリと手の平を当て、
「どうすんだよ、デキてたら」
「―――……え?」
「本気で気づいてねぇの?オレ、お前の中に思いっきり出しちゃったんだけど」
ゼシカはきょとんと自分のお腹を見る。
そしてそのまま、しっかり10秒間。
絶叫しながら思い切りベッドに背をぶつけたと思ったら、今度は顔をリンゴのようにして絶句するゼシカに、
ククールは根の深いため息をハーーーーーーーッとつく。
「マジで無意識かよ…ホント始末におえねぇな…」
「やややややだっ、どうしっ、な、なん…ッ、ば、バカッ!!バカバカ!!なにすんのよ!!バカッ!!」
「ってなぁ…今さら言われても」
「だって!!どうするのよっっ!!ど…っ、どうするのよ…っそんな…っ…ぁ、赤ちゃん、なんて…!」
「いやいや別に、一回出したら一回妊娠するってわけじゃないからな?」
「……………………。……そ、そっか…」
混乱しすぎて涙目になったゼシカだが、冷静に諭され、そうよね、と一瞬落ち着く。そして、
「…っで、でも!!違うわよっそうじゃなくてっ…ど、どうして…。
…ぃ、いつもは、………ッ、外に、…てくれる、じゃない…!!」
「ゼシカのせいだろ。ゼシカがあんなこと言うから」
「あんなことって何よ!!私なんにも言ってな…」
「“抜かないで”って言ったんだよ、お前」
「は?」
「オレが抜こうとしたら、お前泣きながら“抜かないで”っておねだりしたんだよ」
「~~~~~~ッッ!!」
落ち着いて考えると非常に猥褻な話題。ゼシカはこれ以上ないくらい赤面しながら息を詰まらせ反論する。
「ッッ、言ってない!!!!!」
「言った」
「……っだ、だったとしても…!なんでその通りにするのよ…っ、ダメなのわかってたくせに…!」
「いーかげんにしろ。あの状況でンなこと言われてそれでも抜ける男なんてこの世にいない」
反論も思いつかず押し黙るゼシカと、額に手を当ててため息が止まらないククール。
ゼシカが今にも謝りだしそうなのを察して、ククールは不毛な言い合いだと気づく。
「…ごめん、ゼシカは悪くないよな。つーかどう考えてもオレが悪いんだし。気にすんな」
うつむくゼシカを片手で抱きよせ、明るい声で、
「ま、多分大丈夫だろ。大丈夫じゃなかったらその時はその時だ」
「……ごめんなさい」
「あーだから謝るなって。悪いのは確実にオレだから」
そもそも、ゼシカとの大切なセックスをどうしても無粋な薄ゴム一枚で邪魔されたくないという
ただの子供じみたワガママで、最初から付けようともしなかった自分が悪いのだ。いずれこうなることは
目に見えていたのに。でもゼシカはククールが最も安全な選択肢を最初から捨てていたという事実に
気づいていないので納得できない。ククールの胸に顔を埋めて、小さく首を振る。
「……でも、…もし、大丈夫じゃなかったら…わたし」
「だからそれは」
「わたし、…ククールの邪魔になるわ…」
「バカなこと言うな。…謝るのはオレだよ。アルバート家の大切な後継ぎのお前に、
取り返しのつかないことをしでかしたことになる」
「それなら一緒よ。…私は、ククールの自由な未来を…奪いたくないもの…」
「別に、オレの方はノープロブレムだぜ?子供ができたって旅は続けられる」
ゼシカが少し驚いて顔を上げると、ククールは片目をつむって見せた。
「2人旅が3人旅になるのも、悪くないだろ?」
目を丸くして少し困った顔になる。それから小さく笑って「バカ」と付け足し、ゼシカの方からククールに口付けた。
「…本気で言ってくれてるの?」
「じゃなかったら最初から絶対中になんか出さねぇよ。だから多分本当は、…それを望んでたんだ」
「……私も…ククールの赤ちゃん、ほしい……――んっ」
口唇から滑り落ちるように告げられたお互いの情熱的な告白に煽られ、触れ合うだけのキスが
すぐに深いものに変わる。夢中でお互いの身体に腕を回して、貪り合った。
ゼシカがキスに酔いしれているうちに、ククールの指先が背中をゆっくりと辿り、徐々に下降していく。
お尻の割れ目をぬるりとなぞられて、ゼシカは一瞬にして我に返った。
「…ッなにしてんのよ」
「だってお前が赤ちゃん欲しいって言うから、さっそく子作りの続きを」
「誰が“今の”話してるのよバカッッ!!!」
思い切り突き飛ばされてもヘラヘラしたままのバカをふくれっ面で睨みつけ、
そしてそんな風に開き直れない自分を少しだけ恨んだりもする。
…自分達はたった今、永遠の愛の誓いを交わしたも同じだというのに。
それを認められない、どこまでも素直じゃない自分が憎い。
そしてそれをすっかり認めてご満悦なこの男が、憎らしい。子供みたいに喜んで。…バカ。
自嘲気味なため息はただの照れ隠しだと、ゼシカも、ククールもわかっている。
ゼシカは虚勢を張るのを諦める。明日になればどうせ自分はまた素直じゃない可愛くないコに
戻ってしまうだろうけれど、今は意地を張ることがとてもバカらしく感じた。
ホントに、バカみたい。私たち。
また抱き合って、飽きずにキスして、肌のあたたかさを全身で交わし合う。
こんなにもお互いが好きで、嬉しくて、楽しくて、みっともないほどに溺れて、もうどうしようもない。
でもこれが「しあわせ」だと言うのなら、そうなんだろう。
だってそれ以外にこの気持ちを表す言葉が思い浮かばないもの。
「…バカ」
「うん」
「バカ……」
「ゼシカ、愛してる」
「……わたしも」
「私も、なに?」
「………。…なんでアンタっていつもいつもそう…」
見つめてくるククールの真摯な蒼い瞳に、ゼシカは魅入られた。
そして最後の羞恥心と強情を、諦めたようにあっさりと捨て去る。
「―――愛してるわ、ククール。…だいすきよ…」
言い終えないうちに口唇をふさがれ、シーツの海に倒れこむ。ククールの心底嬉しそうな顔に、ゼシカは苦笑した。
ふと思い出し、重なった2人の身体の間に手を滑り込ませ自分のお腹に手を当てると、ククールが小首を傾げる。
ゼシカはふわりと微笑む。告白大会の延長のつもりで、ちょっぴり頬を染め、勇気を出して言ってみる。
「……………またいつか、たくさん出して、…ね?」
もちろんそれは、大胆な愛の告白以外のなにものでもなかった。
それ以外に意味を持たせたつもりは、とりあえずゼシカにはない。
ククールの下半身がどう受け取ったかは別として、だ。
今日何度目か知れない強烈な誘惑スキルパンチを受け、ククールは無言で身悶える。
「……~~~ッお前なぁ」
「なぁに?…ふぁ…あぁ疲れた…なんだか一気に眠気が…」
「いやいやお前、今のはさすがに」
「ホントにいきなり来た…ダメ、もう寝ちゃう…」
「ちょ、お前、待て待てコラ…」
ごそごそと身体を丸めはじめたゼシカに、ククールはなぜか焦って声をかける、が。
「――クク!」
「はいっ」
「…………寒い」
「…はい」
お姫様のご指名が飛ぶとククールは条件反射でピシッと返事を返し、
言われるままに剥き出しの冷えた肩に手を回して胸の中に納めてやった。
そしてまもなくゼシカからは穏やかな呼吸が聞こえ始める。
取り残されるのは途方に暮れた紳士ひとり。
腕の中でスヤスヤ眠っているこの子供がさっきまでベッドの中で男を煽りまくっていた
天下のお色気誘惑マスターだなどとは、すでに信じられないような幼女の寝顔だった。
ククールはため息をつく。そして、かすかに隆起する彼女の薄いお腹にそっと手を当てた。
……どんな未来がそこにあったとしても、オレはもう何一つ後悔しないだろう、と。
後悔と、惰性と、諦観だけで紡いできたこれまでの人生を、すでに懐かしく振り返ることができそうなほどの充足感。
乾いた心を外側から包み込み、内側から満たしてくれたこの存在を、死ぬまでこの腕から手放さないと、誓った。
そしてゼシカも、オレとの未来を望んでくれた。
この現実を「しあわせ」だとしか言い表せない。願わくば彼女もそう思っていてほしい。
「――――…ありがとう、ゼシカ」
明日もあさってもその先もずっと、貴方がしあわせでありますように。
ゼシカの額に口づけを落として、ククールも安らぎに満ちた眠りについた。
*
「いい加減に起きなさいよこの寝ぼすけ!!もうお昼になるわよ!?」
「んんん…あー…もういいじゃんもうちょっと寝かせろよ…」
「もう十分すぎるほど寝てるでしょうが!情けないわね」
「…お前がこんだけ疲れさせたんだろー…」
「は?なによそれ」
「昨日お前が無駄にエロいから、オレもエッチ頑張っちゃたんだろ…あ痛っ」
「自分のスケベを棚にあげて勝手なこと言ってるんじゃないわよっ!バカッ!」
確かに、すでに身支度をしっかり整えて毅然としているゼシカからは、
昨夜の妖艶で乱れた姿など想像もつかない。
太陽が昇っている間のゼシカには、月を背負うククールは絶対にかなわないのだ。ククールに反撃が
許されるのは夜の帳が降りてから…自分達は、そういう風にできているらしい。ならば逆らうのも無駄というもの。
ククールは怠惰に起き上がり、プリプリしながらコーヒーを淹れているゼシカに後ろから抱きついた。
「おはようございます」
「…オソよう」
カップを受け取りながら、もう片方の手でゼシカのお腹に手を当てる。
「…膨らんでないな」
「当たり前でしょ!」
「まだしばらくは、2人旅、楽しもうな」
ククールはそっと耳元に囁く。ゼシカはうつむき、頬を赤くして、バカ、とだけ。
そして肩越しに振り返り、怒ったような表情のままククールを見上げた。
ククールは速やかにご要望に応じ、そっとおはようのキスを交わす。
今日も2人だけの旅がはじまる。誰にも邪魔されない、しあわせに満ちた一日が。
最終更新:2010年05月10日 03:35