帝國統治下の国々を指す。

統治下といっても基本的に自治が認められており(内政に関し無関心ではないが無干渉)、その支配者層も基本的に邦国以前に治めていた王族が占めている事が多い
そして、帝國の邦国になった国の王には帝國貴族階級制度に基づく帝國の爵位が送られる。

上記の事から立場的には邦国の王は帝國が王に封じた帝國の臣、よって帝國爵位を持つ。彼等は領地を持つ帝國貴族、帝國人として外様ではあるが認められる。それに対して同盟諸国の王は立場の上下こそあれ独立国家の王、外国人という扱いになる。


また基本的な条約として

1 自治権はあっても外交権は邦国には無い
2 いざという時には帝國軍と共に戦う義務がある
3 税収の一割を帝國に納めなくてはいけない

また特記事項として『今後新たに見つかった資源に関しては、帝國が採掘権を有する』という項目があったが、多くの邦國は『自分達には関係無い』と考えていた。

これらの条約の結果、帝國税については、大抵の場合地域全てが邦国となるので平和になった事による軍事費の縮小を考えれば『お釣り』が来るし、帝國軍が邦國までを動員する可能性は甚だ低い。外交権の喪失についても、周囲の国々までも帝國の邦となった以上、実質的な意味をなさないだろう。

むしろ、小国にとって帝國という巨大な後ろ盾が出来たことに対する利点と、絶え間ない紛争からの脱却の方が、遥かに大きなことだったのである。

…ただ、『外交』『軍事』という国家の二大負担から開放された―切り離されたともいう―これ等邦國の多くが、その後急速に自立力を物心両面ともに失っていったということは付け加えておく必要があるだろう。

彼等は、邦國同士の政治闘争という狭いコップの中での争いや帝國主催の宴等に熱中し、『帝國諸侯』と化していったのだ。




『帝國の二大邦国』と呼称される場合それはスコットランド王国マケドニア王国を指す。この二国は他の邦国とは全くの別格であり、帝國から様々な恩恵を溢れんばかりに与えられている。(帝國兵器の供与等はその最たる物である)



レムリア王国併合後の昭和18年末にはその数は800を超え、帝國本土の新聞には『邦国一千』などと過剰気味に報じられている。

しかし邦国が増えた結果、その国々の中にも『派閥』が出来てきたのである。旧レムリア諸侯からなる邦国とロッシェル王国を始めとする邦国に二分されている。まあ旧レムリア諸侯からなる邦国とて、地域別に分かれて睨み合っているが。

しかし、レムリア諸侯領の邦国化は、帝國の対外制度のみならず国内制度すら揺さぶる事になった。

従来、帝國は邦国となった国々の王に爵位を与える際、人口が百万以上ならば帝國伯爵位、十万以上ならば帝國子爵位、十万未満ならば帝國男爵位としてきた。これに様々な要因を吟味して爵位を特例として上げたり下げたりしていたのだ。

しかしレムリア諸侯の参加により邦国の数は一気に増え、到底現在のような大雑把な制度では対応出来なくなった為、帝國貴族階級制度の見直しが図られる事になり、新爵位制度が制定されたのである。


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最終更新:2007年01月18日 19:09