「軽戦の傑作」九七式戦闘機の後継機として、1937年末に同機を生み出した中島を単独指名で開発指示が出された本機は、「最大速度500キロ以上、行動半径800キロ以上でかつ、九七式戦闘機と同程度の空戦能力」という当時の技術水準では過酷な要求に翻弄され、翌年1938年末に初号機が完成するが、格闘戦性能を満たすため極度に軽量化された機体に高性能を求める事、自体に無理があり中途半端な機体は試験飛行の内容も散々で到底要求を満たすものではなく、開発中止さえ検討された。
しかし開戦が迫る中、他に選択肢が無かった軍部はさらに軽量化し、
二式単座戦闘機に使用された蝶型空戦フラップを装備し空戦能力を向上させた改良型が、1941年に一式戦闘機「隼」としてようやく制式採用となる。
エンジンが「ハ-25」を搭載し七.七ミリ機銃二挺を装備した一型
エンジンを「ハ-115」に換装した上で火力も十二.七ミリ砲二門に強化された二型があり
直轄領防衛任務についているのはこの二型のほうである。
二型甲
最高速度 515キロ
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最終更新:2006年10月20日 14:34