フランケル文明圏を二分した大戦争。
二分と言っても『シュヴェリンとそれ以外』であり、戦争に参加した国は文明圏の半分にも満たなかった。


昭和17年より数十年ほど前、祖父王がシュヴェリン王国の王位を継いだ当時、シュヴェリン王国は周辺諸国から圧迫され、危機に瀕していた。

王位を継いだ先王は、この地方で始めて常備軍を組織して周辺諸国に対して戦いを挑み、現状打破と王国の地位向上を目指した。

その動員を必要としない即応性の高さと、訓練に専念できることによる錬度の高さから、シュヴェリン王国軍は連戦連勝。見事旧領を回復し、危機から脱することに成功する。

だが、やり過ぎた。

度重なる敗戦は、各国の誇りを傷つけ、大きな恨みを買ったのだ。

やがて周辺諸国は、反シュヴェリン王国の大同盟を締結。シュヴェリン王国は孤立してしまう。

それだけではない、この頃には各国も戦訓から常備軍を導入し、シュヴェリン王国軍の優位性も揺らいできていた。

自分達の優位を確信した反シュヴェリン陣営は軍を起こし、四方からシュヴェリン王国に迫る。兵力比は1対10以上、王国最大の危機であった。
これが30年前のハルマヘラ戦争である。

が、結果はシュヴェリン王国の大勝利で幕を閉じた。

序戦におけるシュヴェリン王国軍のメクレンブルク王(反シュヴェリン陣営盟主)本陣への奇襲攻撃とメクレンブルク王戦死により、その後の戦いはシュヴェリン王国軍が完全に主導権を握ったのだ。

その後、盟主を失い烏合の衆と化した諸王国軍を各個撃破。

止めに弔い合戦に挑む倍近いメクレンブルク王国軍主力をハルマヘラで包囲殲滅し、王太子(昭和17年のメクレンブルク王)を捕虜とすることで戦争は終わりを告げた。

完全に継戦意思を失った反シュヴェリン陣営は空中分解し、和平の席に着く。

この和平会議でシュヴェリン王国国境――それも拡大した――が明確に確定され、バレンバン地方もシュヴェリン王国のものとなったのだ。

この戦い以後、祖父王に戦いを挑む者はいなくなり、シュヴェリン王国は長い平和を謳歌することになる。


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最終更新:2007年01月20日 10:38