2012年8月31日〆 図書紹介文
201114030北尾渉
- 図書名:竹島は日韓どちらのものか
- 著 者:下條 正男
- 出版年:2004年4月20日
- 出版社:文藝春秋
- 要約
竹島問題は、1953年1月18日韓国政府が、海上に「李承晩ライン」を宣言し、そのライン内に竹島を含めたことが発端。1954年9月2日、韓国政府は竹島の武力占拠を決定すると、9月15日、灯台を設置。一方で日本は9月25日に竹島問題に関して国際司法裁判所へ提訴を韓国政府に打診したが、韓国政府は、10月28日にこれを拒否した。 (150字)
第2章 舞台は朝鮮に―誤解の始まり
1693年11月2日、釜山の倭館に入った使臣、多田與左衛門は、朝鮮政府に宛てた対馬藩主宗義倫の書翰を携えていた。そこには安龍福の証言と大谷家の漁師たちの証言をもとに作成、竹島(鬱陵島)侵犯の状況と経緯が記されていた。貫域瀕海の漁民たちは、日本国の竹嶋(鬱陵島)に至り、ひそかに漁採をなしている。日本の漁民が此処は日本領だと警告。しかし、朝鮮人40人余りが侵入。そこで日本の漁民は2人を生き証人として鳥取藩に訴え出た。
(203字)
第3章 その後の経緯―二つ異なる歴史確認
日本と朝鮮では、過去の歴史に対する考え方、記録に残す際の姿勢が違った。それは、鬱陵島問題を記録した対馬藩と朝鮮側の文献においても指摘することができる。対馬藩では、1726年、越克明に『竹嶋(鬱陵島)紀事』の編纂を命じた。越は関連する文献を時間の経過に従って配置するというやり方で、問題の顚末を記録に留めている。 (152字)
第4章 現代の竹島―対話の拒否と事なかれ主義
1945年8月15日の日本の敗戦は、朝鮮半島にとっては植民地支配の桎梏からの解放だった。しかし、独立はすぐには訪れず、12月26日から戦後処理問題を米・英・ソ連・中国の4か国による最高5年間の信託統治が行われることが決定した。反対の声も上がったが、米ソ対立で、朝鮮半島も38度を境に2分され、朝鮮半島の南を米国の、北をソ連の軍政下に置かれた。 (164字)
第5章 争点の整理―何をどうくいちがっているのか
鬱陵島の帰属問題以来、約300年ぶりに及ぶ日韓の歴史には、誤解と誤謬が錯綜しており、竹島問題一筋縄ではいかないことを痛感させられる。また1面、過去の歴史を通観することで明らかになったのは、日韓の間に殆ど対話らしいものがなく、そのため歴史の理解が一方的になり、その独善的な歴史理解がされに客観性を欠いた歴史認識を再生してきたということである。 (168字)
- まとめ
この本は、少し古めなため、最近のことは記されていない。最近は、ロンドン五輪中に韓国の李明博大統領が島根県竹島へ上陸というニュースがあった。また、韓流スターたちが島根県竹島へ泳いでいった。日本政府はこれに対し、再び国際司法裁判所へ提訴するも、韓国はこれを拒否。しかし、日本は単独提訴に踏み切る姿勢である。いち早く話し合いをし、領土問題が解決される日を願っている。(409文字)
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