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ていいちのJAPAN統一記


第三回

建国 トキオ国

当初、TOKYOにて建国。戦闘解除明けに隣の小田原城のようし国に吸収される予定でした。
当初から城壁の高い城と、人口が多い都市の組み合わせが、以後の展開に有利と考えたためです。
ところが開始後7日経過した9/29にいんてふ島に現れた荒しと思われる数名の武将の消去処理過程で誤ってリセットされてしまう。
再度、TOKYOにて建国。ところが隣の小田原城には国が作られず、しかもうれしい誤算で3名もの武将が加わってくれたので、
全体の参加者が少ないこともあり、いきなり4名の大国(というには少人数)の1つになりました。
トキオ国として統一を目指すべき国になったので、進めていく基本方針が必要となり、武将募集のメッセージである
「単純な陣地取りでなく、外交や経済も加味したゲームを目指します。」を国是としました。

戦闘解除明け 関東統一と指示厨国との不可侵

前回のように、いきなり全国制覇に動き出す国は無いと考え、関東7城を占領して開発を進めることとした。
前線拠点とした小田原城は初期城壁が1000あったが連続攻撃で落とすことが出来た。
10/4日には北方の指示厨国より不可侵の申し入れがあり、これを受諾。西方の国々にも目立った動きがないため、
これより1週間余り、小田原城の技術、城壁を中心に、国力増強のため経済建設に注力しました。

第二段階の領土拡張

10/12には、小田原城の技術、城壁、城壁耐久力がほぼ完成し、農業、商業も、小田原城、TOKYO、八犬伝で、充分な生産ができるようになったため、
国土の拡張について議論をしました。結論は北進し東方統一国を作って、西側諸国に対抗することとなった。
10/13午後6時に、指示厨国に不可侵の破棄と、24時間後の10/14午後6時より北進を開始することを通知しました。
10/14午前11時には指示厨国側の南進が始まりましたが、当初の通告を守り午後6時に緩衝地帯であった会津若松を占領。
以後順調に進み、10/15午前1時に東北全部と酪農まで侵攻しました。
ところが同時刻、それまで静観していたKYOTO国が、突如、わが国領土であった納豆を奇襲攻撃。
この為、関東本国防衛のため、建設に着手していたさくらんぼを放棄し、全員、関東本国に集合帰還しました。
10/15午後には、更に衆道会国より小田原城の奇襲攻撃を受け、以後、開始から連続5日間にわたる東方統一戦争が始まりました。

東方統一戦争

この数日は、数多くの城の取り合いと、結果としての国土の荒廃がありました。個々の陣地取りは重要でないと考えますので、
この間、どの様な考え方、外交方針を持って戦ったのかを、基本と時間推移により述べておきます。
基本方針
あくまで宣戦布告した相手である指示厨国の攻略を目指す。
奇襲攻撃をしてきた2国に対しては、これの妨げとなる限りにおいて攻撃する。
各日の行動方針
10/15日 亡国の危機と認識し、衆道会国に対し戦争状態を宣告し、これの攻略を重点として戦ったが完了できず。
10/16日 傭兵としての流星一条さんの加入を受け、本筋である指示厨国攻略を目指した。
10/17日 北進のためには衆道会国を攻略する必要があるとして、これを実行した。
10/18日 既に荒廃した国土の状態から、再建しつつ北進することとして着手したが、突如、指示厨国において大量解雇が起こったので
    蝦夷を除く地域の平定だけを1日かけて行い、ゲームとして壊れかけているので終了を急ぐ方針に切替えた。
10/19日 指示厨国の攻略を完了。東方統一戦争が終了した。

国土の再建整備

10/19日の指示厨国の最終攻略と平行して、対無法国に向かうための最低限の国土整備を行なうことに着手。
期限は、当初は定めなかったが、途中、10/22宣戦布告、10/24戦争開始を目処とした。
整備する城は、関東拠点が、小田原城と八犬伝 前線拠点が、石山本願寺とイルカ 北陸回廊対策が、餃子 北方経済拠点が、五稜郭と試される大地。
建国地であるTOKYOを含め、その他の都市は荒廃のままの堀とすることとした。

対無法国最終戦の開戦

国土の再建整備の半ば、10/20日夜に、新規加入者であるくうさんが、無法国との間で暗黙の緩衝地としていた姫路城に突然無断出兵。
仕方なく、くうさんを解雇し、無法国に釈明の文書を出したが、これに反応してか、10/21日午前より無法国から侵攻が始まった。
この為止むを得ず、10/21午後3時に戦争状態である旨を宣告し、応戦を開始した。
開始直後、被占領地を取り返した後、それまで自粛していた無法国、KYOTO国の全土にわたる偵察を10/21一杯実施した。

対無法国戦の3日間

10/22日 KYOTO国が開発していた石見銀山を攻略し、これを拠点としてくまもんを攻略
10/23日 琉球王国を除く他の無法国領、KYOTO国の残領地、空白地である上田城を攻略し、くまもんを最前線拠点に包囲網を完成。
10/24日 早朝より隣接地に進んだ部隊により琉球王国を間断なく攻撃し、数度の守備切れを利して城壁を攻撃
    17:46占領した。
これにより、全土を統一し、第三回JAPAN統一の覇者にトキオ国がなった。

感想

奇襲攻撃が一般化している中、24時間以上の間隔をおいての宣戦布告を原則とすることは、余り不利とは感じませんでした。
攻略方法を議論したうえで始める戦争は、相互の意思疎通が明確で、連携が取り易かったです。
ただ、当初の加入武将である絶無さん、揖斐さん、堀田さんの3人だけでなく、
後で参加してもらった衆道騎士さん、悪代官さんの2人も加えて、全員が優秀であったこともあると思います。
忘れてならないのは、途中傭兵参加してもらった流星一条さんです。9:4という厳しい戦いに加わった+1ですが、
それ以上の働きをして貰ったと思います。最後の琉球王国攻略に2日を要した原因の一端でもあるのですが。

残念だったのは、当初の再スタートで参加人数が20人を超えなかったこと、もっと四国の亡国消滅バグでみかんさんが参加できなくなったこと、
本来軍師任命で引退すべき状況で全員解雇をした指示厨国の行動の3点です。


第一回

ミレニアム戦争後、海戦α海域では大きな動きが無く中だるみ状態で、暇なので様子見で参加。
いろいろ試してみたかったので、バランス官でスタート。既に三国時代になっていたので、九州の小国に仕官。
直に滅ぼされたので、全国を移動して2日ほど掛けて各城のデータを収集。最終的に3人から登用の誘いを受けた姥捨てに再仕官。
「三国志NET解体新書」を読みながら、内政や戦闘をしているうちに、IN率が高いせいか案外活躍できる。
敗戦国になりましたが、はまってしまって、第二回は最初から参加しようと決意。

第二回

建国

当初、琉球王国に仕官。再度バランス官になるつもりだったが、君主が武官だったので、やや知力を高めにする。
スタートでトラブルがありリセットされてしまったため、弾みで中州に建国してしまう。
能力バランスは25/75/50と仕官時と同じ。
サタカさんに仕官していただいて2人となりましたが、武官が居ない苦しいスタートとなりました。

滅亡&新庄剛志国に

開戦早々、早朝に毘沙門天より宣戦布告、1時間後に戦闘開始という奇襲により、起きた時には既に中州を占領されており、なすすべも無く滅亡。
展開の速さに驚くと共に、このままでは短期間で毘沙門天が統一してしまう面白くない結果になりそうなので、対抗馬を検討する。
登用が来たのは、螺鈿と新庄剛志の2国。他は動きが悪く望みは無いと考えた。
初心者仲間が多そうな新庄剛志に仕官することとしたが、登用に応じると「寝返り」と表示されるのがいやなので、りんごまで移動して仕官。
仕官当時は、五稜郭に拠点を移動したばかりで、収入が足りず、技術力は試される大地だけが500超え、という状態で開発が急がれる状態でした。

ハメ天国の併合

開始2日半という早い段階でしたが、既に毘沙門天の脅威は国民の中で共有されており、螺鈿との軍事同盟は意識されていました。
ハメ天、螺鈿との外交交渉の結果、ハメ天さんの降伏、螺鈿との不可侵という成果を得て毘沙門天迎撃の態勢が固まる。
五稜郭を生産拠点、さくらんぼ、牛乳を前線拠点として、前線拠点の技術501超えを契機に南進を開始することに決定。

9/9毘沙門天の関東侵攻

9/9 19時、予想を超えるスピードで毘沙門天が関東侵攻開始。早速、君主宛に挑発と取れる文書が届く。
「そろそろ国境を接するかと思いまする故ご挨拶に参りました、毘沙門天国の軍神でござる。 よろしくお願い申し上げる。」
螺鈿との軍事同盟を追及するも、螺鈿と毘沙門天の間で不可侵が結ばれている模様で、交渉は進まなかった。
座して死を待つことになることは明らかなので、反攻することを決定、10日朝より関東に侵攻した。

9/10螺鈿の参戦、外交交渉、螺鈿から宣戦される

緒戦は奇襲でTOKYOまで攻め上るが、直ちに反攻され東北に押し戻される。武官の数の差は明らかで敗色濃厚となる。
さくらんぼ手前まで攻め込まれた時に、漸く螺鈿が参戦し、毘沙門天の進撃が止まった。
この後、3国の君主による外交交渉が行われ、対毘沙門天2:1の構図が、対新庄剛志2:1の構図に替わり、9月10日の長い一日が終わった。
この間の経緯については、君主だけでなく、多くの参戦者の意見を待ちたいと思います。

9/11,9/12一進一退の2日間、徐々に劣勢に

11日、12日は、夜半から昼にかけて侵攻、夕方から夜にかけて後退を繰り返し、徐々に押されて行きました。
11日は、さくらんぼを一瞬取られたが、直ちに奪還して維持。
12日は、一旦五稜郭・牛乳2まで後退。
ただ、螺鈿、毘沙門天共に、攻撃参加人数が少なく、押し切られることはありませんでした。
この間、相手の攻撃の薄い昼間に、私は資金の乏しさもあって、諸国を巡回し情報収集に努めました。
本願寺はこの段階で、城壁 1982/2000 城壁耐久力 441/999 と硬く、攻撃の困難さが予想されました。
(15日最終攻撃前には、いずれもMAXになっていました)

9/13マゾ攻撃から螺鈿滅亡

個宛文書によるやり取り、攻撃参加人数の少なさから、マゾを落とせると確信し、13日には攻撃主力を毘沙門天から螺鈿に変更。
一度は取り返されるも、二度目には100万石、能登まで直ちに侵攻し、主力都市を全て手中にし、実質勝利。
引き続き、残り6都市を制圧し、螺鈿はあっけなく滅亡。
入れ替わりに、毘沙門天が故国北海道を制圧していましたので、紙一重での攻防でした。
この間に、螺鈿の軍師解雇というハプニングも有って、螺鈿の武将の過半が新庄剛志に仕官してくれました。

9/14周辺国の制圧から、北海道、本願寺での攻防

私を含めて3人が、東北南部、関東、中洲までの西国を制圧し、本願寺の隣接都市まで迫った時に、マゾの最後の攻防戦が行われ、辛くも守ってくれました。
ここで毘沙門天の君主が降伏宣言を出したのですが、まだ優勢とは考えていませんでした。
本願寺が包囲している人数では落ちないのがはっきりしたので、私はマゾに集合で移動したのですが、この時、五稜郭が陥落し勝利が見えました。

9/15姫路などに主力が集合し、最後の本願寺攻防

朝までに姫路に集合して最後の攻撃。逆転はもはや無いと考え気楽でした。
それでも、文官の資金が尽きてしまったので、半日かかりました。

感想

最初から最後まで全力でゲームにのめり込めました。とても楽しかったです。
9/10の外交交渉についてですが、表面的には新庄剛志側の外交的敗北でしたが、結果的には我々の勝利の原因かも知れない。
交渉後の相手2国の武将の士気低下、我々側の士気上昇が、その後の戦闘に如実に現れていました。
もし、2国で毘沙門天を攻めていれば、終戦後に毘沙門天の主力が螺鈿に移り、第1回の第3区と同じようになった気もします。

追伸

申し遅れましたが、私は、海戦では桃太郎、JAPAN統一では森蘭丸又はらんまると名乗っています。

  • おお、名前が出てるw -- くう (2017-10-25 21:17:05)
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最終更新:2017年10月25日 21:17