このページでは、「もし城山ダムが建設されず、荒川地区などが水没しなかったとしたら」を妄想しています。
妄想始
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▲荒川地区
■『城山バイパス』の建設
相模川に隣接する荒川・下中沢地区に存在する急カーブ・勾配、狭隘区間を解消するため、県により1989年(平成元年)、『城山バイパス』が建設される。
▲『城山バイパス』概略図
▲荒川地区周辺俯瞰
▲『太井交差点』
▲『新荒川橋』
▲『荒川橋』と『新荒川橋』
▲小倉橋・新小倉橋のようにライトアップされる『荒川橋』と『新荒川橋』
『荒川橋』『新荒川橋』ともに
1990年(平成2年)、かながわの名橋200選に選定される。
■『路線バス』の経路新設
『城山バイパス』の開通により、
『橋本駅~(城山バイパス経由)~三ケ木』の路線が新設される。
従来の路線は『橋本駅~(荒川経由)~三ケ木』となる。
●荒川経由
- (都井沢)
- 城山
- 下中沢
- 荒川
- 大曲坂上
- (太井)
●城山バイパス経由
▲『荒川』停留所
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妄想終
城山ダムの完成から約半世紀が経ちます。
現実として、もし実際に城山ダムが建設されることがなかったら、
- 当然ながら、移転することなく継続されていた暮らしがそこに存在していただろう
- 神奈川県内では渇水期には毎年のように取水制限などの節水施策が繰り返されるような事態に陥っていたかも
- 多雨時には下流域を含め洪水に悩まされ続けていたかも
- 別のダムが他の代替地区に建設されていたかも
- 宮ヶ瀬ダムが県により建設され、その完成時期も早まっていたかも
- ダム建設に伴う補償モデルも構築されなかったかも
改めて考えてみれば様々なことが頭を過ります。
「現実」が存在することは明白であって、動かしたり変えたりすることが出来ない既成の事実ではあります。
(ダム建設の是非を問う意図ではなく)、城山ダムが現実に存在することと、もしそれが存在しなかった場合を思い描くことは、
「今」を再考する上で極めて有意義なことなのではないかと感じます。
参考文献:『荒川 湖底のふるさと わが故郷 荒川の記録』 八木孝雄著 2001年
※フィクションです
最終更新:2014年06月08日 22:45