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国際補助語のスコープと、語彙数でなく概念数を減らすことについて

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前項で述べたとおり、語彙数を減らしても概念数が減るわけではないので意味がない。
むしろ減らすのは定義すべき概念数である。

ここで国際補助語のスコープについて考える。
どうして国際補助語が実用されないかというとそれは経済力と軍事力と人口に欠けるからだが、それ以外に理由がある。
それは高望みしすぎだということである。

あらゆる人間は母語を持ち、異言語など勉学や商売や隣人との付き合い程度にしか用いない。
異言語を日常的に恒常的に用いる機会は少ない。ゆえに国際補助語の必要性もない。
仮に異言語を日常的かつ恒常的に用いたとしても、その言語にどっぷり漬かって生活することは移住でもしないかぎりない。
移住したならそこの現地語を学べばよく、そこに国際補助語の必要性はない。
結局人は異言語をそこまで深く必要としないし、したとしたら当該言語を学ぶのが最も現実的かつ合理的なのである。
そこに人工言語が介在する余地はない。

国際補助語は母語や国際語の代わりを目指そうとするから余計受け入れられない。高望みしすぎである。
国際補助語が仮に受け入れられるのだとしたらグロービッシュのような機能や用途を限定したものである。
複数の母語話者間で意思疎通を図る場合、細かい感情の機微まで伝えたり、複雑な専門用語を用いることはない。
たいていの場合日常会話や買い物や共同作業に必要な程度の意思疎通しか必要とされない。
ということは国際補助語はその程度のことができることをスコープとすればよく、その言語であらゆる命題や感情の機微を表現できる必要はない。

つまり、国際補助語は表現できる範囲を制限してしまったほうが良いのである。
そうすることで定義しなければならない概念数は減り、学習効率は向上する。
語彙数を減らしても学習効率は向上しないが、概念数を減らすと学習効率は向上する。

実際複数の母語話者間で意思疎通を図る場合、使われるのはブロークンイングリッシュである。
ここでも人工言語の出番はない。
しかし仮に人工言語が国際補助語として食い込んでいけるとしたら、こういう場面しかありえない。
そこでブロークンイングリッシュ同様、表現すべき内容を制限してしまうのである。

私は知っている。仮に国際補助語が本来の目的を満たそうとするなら、国際語である英語を簡略化し、用途を制限したブロークンイングリッシュであると。
だから、広めるのが目的ならそのようなアポステリオリな国際補助語を作るべきである。

リディア語はこの現実を踏まえている。
しかしリディア語はカルディアの中で「テレビの中のテレビ」というメタな存在である必要があるため、英語を参照にするわけにはいかない。
つまり始めから普及目的を放棄しているといえる。

しかしリディア語はカルディアの中ではアポステリオリの国際補助語で、普及意欲もある。
そこでカルディアで英語に当たるアルカを参照にし、アルカの機能を制限し、概念数を減らし、ブロークンアルカという位置付けにしてある。
ただ自然発生したブロークンアルカとは異なり、人為的に対語表などを作って語彙圧縮を試みている点で人工言語的である。
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