リディア語
文化の漂白
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lidia
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言語と文化は密接に関連しあっている。
日本は稲作文化なため、稲と米を単語レベルで区別する。英語ではどちらもriceである。
日本は儒教の長幼精神があるため、兄と弟を年齢で区別する。英語ではどちらもbrotherである。
逆に英語は牧畜社会なため、cowとoxを区別するが、日本語ではどちらも牛である。
日本は稲作文化なため、稲と米を単語レベルで区別する。英語ではどちらもriceである。
日本は儒教の長幼精神があるため、兄と弟を年齢で区別する。英語ではどちらもbrotherである。
逆に英語は牧畜社会なため、cowとoxを区別するが、日本語ではどちらも牛である。
また、狼は日本では孤高などのイメージがあるが、西洋では残忍で獰猛なイメージである。
言語と文化が密接に結びついているということは、異言語話者間で意思疎通に障害が生じるということである。
芸術言語の場合、固有の文化を持たせることに注力する。
逆に国際補助語の場合文化の影響は邪魔でしかないため、漂白する必要がある。
芸術言語の場合、固有の文化を持たせることに注力する。
逆に国際補助語の場合文化の影響は邪魔でしかないため、漂白する必要がある。
ここがリディア語の工夫のひとつであり、エスペラントが意欲的に行っていない点である。
エスペラントは話者の文化を言語システムが漂白できていない点が、国際補助語として大きな欠点である。
エスペラントは話者の文化を言語システムが漂白できていない点が、国際補助語として大きな欠点である。
例えばアルカにおいて狼は統率された勇敢な者の象徴であるが、このような見方はカルディアの他の言語であるルティア語や凪語では共有されない価値観である。
むろん地球の日本語や英語とも共有されない。
そこでリディア語では文化を漂白し、狼は狼という生物しか意味しない。
獰猛だとか勇敢だということは、それぞれの形容詞を使って表現すればよい。
むろん地球の日本語や英語とも共有されない。
そこでリディア語では文化を漂白し、狼は狼という生物しか意味しない。
獰猛だとか勇敢だということは、それぞれの形容詞を使って表現すればよい。
このような操作により、リディア語は文化を意図的に漂白している。
文化の重要性に目を向けなかったエスペラントでは実装できていない特性である。
文化の重要性に目を向けなかったエスペラントでは実装できていない特性である。