刺すような視線に気が付いた
ジークフリートが、豪奢な鎧に包まれた体躯をゆっくりと翻す。
その右手には
エントリヒ皇帝より直接賜ったと云われる宝剣バルムンクが握られており、刀身が照りつける陽光によって鈍い輝きを放っている。
「誰……?」
振り返ったジークフリートの、紺碧の瞳が見つめる先には、赤を纏った人影が一つ。
巨槍グングニールを携えた
ガーベラが、ゆっくりとジークフリートの元へ歩み寄っていく。
村の広場の中央で対峙する両者。
「誰、ですか」
ジークフリートの問いに、ガーベラは鋭い視線を向けた。
その問いは寧ろ自分のものだと思っていたガーベラだったが、ややあって表情を和らげ名乗りを上げる。
「私はガーベラ。
ルインベルグ大公殿下の命により、この村の異変を調査しに来た者です」
ガーベラはスカートの裾をつまみ上げると、王侯貴族に対するのと同じように、恭しい一礼をジークフリートにしてみせた。
「……たしかグラストンMAID'sの」
「エントリヒの守護女神にお見知りおき頂いているとは光栄ですね」
ガーベラには皮肉を言ったつもりは無かったのだが、エントリヒの守護女神、という言葉を聞いたジークフリートの表情が僅かに陰った。
“エントリヒの守護女神”。“鉄壁ジーク”。“グレートウォールのトップエース”。
栄光を称えるそれらの賛辞は、彼女の人付き合いの苦手な性格と相まって、他者との隔たりを作る大きな障壁となっている。
それこそがジークフリートにとってのグレートウォール。望めども超えることのできない大きな壁。
ジークフリートとガーベラに直接の面識はなかったが、互いに
エントリヒ帝国とクロッセル連合諸国が共闘する、
グレートウォール戦線に身を置く者同士。轡を並べる友軍のことは、少なからず耳に入ってくるものである。
もっとも、大々的に戦果が広報される“英雄ジークフリート”は、ガーベラも含めて誰もが見知るものであるのに対して、ジークフリートの彼女に対する認識は、時折戦果を耳にするメード小隊の隊長の名前、という程度の差違はあったが。
「しかし、それなら話は早い」
それまで柔和に口元を綻ばせていたガーベラの表情が、鋭いものに切り替わると同時に、ジークフリートの鼻先にグングニールの矛先が突きつけられた。
ジークフリートは驚愕で目を見開いたが、自身に向けられたグングニール矛先の軌跡を目で追いこそしていたものの、体は微動だにせずにいる。
瞬時の出来事に反応が遅れたのか、はたまた反応はできたが敢えて動かなかったのか―――
恐らくは後者だと判断しながら、ガーベラは言葉を続ける。
「ねぇ、ジークフリート。 なぜ貴女がこの村に居るのかしら? この惨状は一体どういうこと?」
ガーベラは一気に確信を付いた。
凄惨な殺戮行為が行われた現場に、どういうわけか異国の―――エントリヒ帝国最強を謳われたメードが居る。
最初はGの存在を疑っていたガーベラだったが、今のところ村の付近にGの痕跡は見つかっていない―――それなら誰がこの惨劇を引き起こしたのか?
当然ながら疑いの目は、その場にいた異国のメード、ジークフリートに向けられる。
「……国境を……越えたことは知らなかった」
「どういう意味?」
「私達は……エントリヒ国内に出現した大型のGを追討するために……ここまでやってきた」
ガーベラから向けられる怪訝な眼差しに耐えながらも、ジークフリートはカタコトな小声を絞り出し、自分に掛けられた嫌疑を振り払った。
「なるほど……」
ガーベラはジークフリートに突きつけていたグングニールをそっと下ろした。
彼女とて最初からジークフリートが、意味もなく人間を傷つけるなどとは思っていないのだ。
だからジークフリートの説明は、自分が望んでいたものと一致していたと言っても良い。
「―――けれど、それではあまり説得力がありませんね」
しかしガーベラの思考の論理的な部分は、ジークフリートの説明を否定していた。
期待していた答えが、必ずしも理に適った答えとは限らないからだ。
「確かに、微かに漂う瘴気は私も感じています。 大型のGが出現したのであれば、これほどの破壊規模も説明が付きましょう。
……ですが、貴女の言うような大型のGの姿は、どこにも見あたりません。
今、私の仲間達が森中に散って捜索を行っていますが、そんなGを発見したという報告は入ってきていません。
森の外周に展開しているルインベルグ軍からもです。 この点について納得のいく説明ができるのかしら?」
「……あのGは地中を潜って移動する。 ……姿が見当たらないのなら―――」
「土の中に潜っているから、だとでも?」
「恐らく……」
ガーベラは溜め息をついた。ジークフリートの話はどうにも都合が良すぎる。
ジークフリートが嘘をついているとは思えないが、彼女の話には現状の嫌疑を覆すだけの材料がない。
「―――残念ですが、貴女の話には確たる証拠がありませんね。 私が疑うのも仕方がないとは思いませんか?」
「ここに漂う瘴気は……Gが居る証拠にならないか?」
瘴気とはGが撒き散らす一種の毒のようなものだ。
人類のテリトリーを、人の住めない不毛な土地へと変えていってしまう。普通の人間であれば、瘴気を纏ったGには近づくことすら適わない。メードが対G戦の切り札と目される理由もそこにある。
瘴気の正体については病原菌とも未知の元素とも言われているが、それがG特有のモノであると言うこと以外何も分かっていない。
―――そう、G特有の瘴気。
しかし、何事にも例外はある。
「こんな噂を耳にしたことがあります。 なんでも、エントリヒでは瘴気を利用したMAIDの研究をしているとか」
「!? それは……」
「私とて共に戦う同胞を疑うようなことはしたくありません。 ……けれど、この惨状はそれを許さない」
バッと振るわれたガーベラの腕が、壊滅した村の惨状に向けられる。
きつく噛み締められる奥歯。彼女の瞳には明らかな怒りの色が渦巻いていた。犠牲になった人々の無念を思えば、ここで理路整然としないジークフリートの話を鵜呑みにすることは、断じてあり得ないことであった。
「申し訳ありませんがジークフリート。 エントリヒ側からG追討任務の事実確認が取れるまでの間、貴女の身柄を拘束させてもらいます。 私と一緒に軍令部まで来て下さい」
「……それは……できない」
「―――なんですって?」
ぴくっとガーベラの眉がつり上がった。
この期に及んでジークフリートは何を言っているのか、という不満が一気に表情に表れている。
「……飛び出していった仲間がまだ戻ってきていない。 あの2人を置いて行くことはできない ……」
そうしてジークフリートは歩き始めた。居なくなった仲間を探しに行くために森の方へと向かっていく。
しかし、ジークフリートがガーベラの横を通り過ぎようとしたとき、水平に突き出されたグングニールによって彼女の行く手は遮られた。
「……頼む、行かせてほしい」
「できない相談ですね」
「……どうしても、か?」
「どうしても、です」
グングニールを握る手に一層力がこもる。
ガーベラは本気だ。立ちはだかる彼女の意志に、一分の揺らぎも無いことを確信したジークフリートだったが、それでも尚立ち止まるわけにはいかなかった。
己が歩を進める覚悟を決めたジークフリートもまた、バルムンクの柄を強く握りしめる。
鼻をつく瘴気を運ぶ風に木々が揺られざわめく。互いの得物が、互いを有効射程距離内に納めている。
張り詰める緊張。場を支配する沈黙が引力を伴い、永遠の静寂に変わるとも思われた刹那―――重い金属音が空間を震撼させた。
交差する大剣と巨槍。睨み合う2人のメード。
互いに望まなかった戦いの火蓋は、ついに切って開かれた。
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最終更新:2009年02月02日 15:42