Chapter 6-2 : 分厚い壁

(投稿者:怨是)



 エンジン音は雨音にも勝る。ドアの開閉をいつもより慎重に行い、扉の近くまで走りこむ。にもかかわらず。
 数十平方メートルほどはあるであろう敷地内の駐車場にジープを何台か突っ込ませても、軍靴を鳴らして足を進めてみても、自称孤児院からは何も音が漏れてこない。
 粗末でも分厚い煉瓦が、全てを遮断しているようにさえ見える。

「これだけの数で攻め込んでも音沙汰なしとは……警戒しないとな」

 足元の苔が軍靴の音を鈍らせる。この地面を覆う苔の数々が、エンジン音すら吸い込む。
 ダリウス・ヴァン・ベルンは足踏みをしながら、扉を眺めて思案にふけった。
 思えば、この苔もダリウス大隊を取り囲む膨大な闇の数々に似ているのではないだろうか。
 足音をいくら鳴らしてみせても、苔はその多くを吸い取ってしまう。吸い取った苔は段々と磨耗し、潰れて行く。
 苔にも生は存在する。胞子から育った苔達は、すくすくと育って呼吸をしながら大きく育つのだ。
 闇もまた、何らかの理由のもとに存在する。ひと振りの刃や一発の銃弾でそれらを片付けて良いかどうかは、誰にも解らない。
 何が正しいのか決めねばならない境地に立たされた時、人は得てして孤独である。
 例え周りに人がいようと、背中に吹き抜ける風だけは誰も防ぐことはできないのだ。


「あいよ」

「下手に突っ込むなよ。相手はGじゃない。剣で叩き切るのはなるべく避けるんだ」

 作戦はこうだ。
 まず、皇室親衛隊の面々が周辺を取り囲み、非常事態に備える。
 狙撃部隊が他の建物の屋根などに隠れ、待機する。
 ダリウス大隊は勢揃いで正面から突破。

 孤児院の勢力が武装していたならば、ディートリヒの身体能力を生かしてそれらを無力化。
 そうでない場合はきちんとした事情を説明し、平和的に解決する。どちらにせよ紳士的な対応を心がけたい。
 懸念事項があるとすれば、孤児院側がこちらの予想を超えて“まともでない”場合である。
 その場合は徹底抗戦の意志を固めねばならず、またそれによる戦況の混乱も考えられる。
 うまく目標の亜人を救出したら、この駐車場のジープで速やかに撤退せねばならない。

「この人数で攻め込んでおいて云うのも何だが、目的はあくまで亜人を孤児院から連れ出す事。孤児院そのものは殲滅しなくていい。解っているな」

「さっきから耳にタコができるほど聞いてらァ」



 ――扉を開ければ盛り場特有の据えた臭気が充満し、煙草の白い煙や安酒のアルコールの蒸発反応と共に漂って来る。
 嗚呼、これはどうやら“まともでない”面々と紳士的な対話をせねばならない類の状況ではないだろうか。
 どこを見渡しても、明らかに“カタギ”の風貌の人間が一人も居ない。
 各々が酒をあおり、口々に出てくる言葉といえば「あの女は良かった」だの「誰某はいい値段で売れる」だのという言葉ばかりだ。

 これのどこが孤児院なのか。何度脳裏に問いただしても目の前の光景と“孤児院”という言葉は合致しない。
 眉に皺を寄せながら辺りを見回していると、テーブル席で他の仲間と談笑していた男の一人がこちらに気付き、仲間に合図を行う。

「ドンパチの予約なら来週頭まで一杯だぜ」

「そう邪険にしないでくれよ。私たちは旅行でここまできた紳士の集まりさ」

「ハッ、ちゃんちゃらおかしいぜ。どこの紳士が武器担いで大勢お邪魔してくるかってんだ!
 おおかた、武器チラつかせて根こそぎパクろうってハラだろうぜ!」

 まぁまぁ、と両手で被りを振ってそれを制し、ベルンは周囲に合図を送って武器を下ろさせた。
 確かにダリウス大隊の面子は、半分をこの室内に突入させただけだが、この数では“大勢”と云わざるを得ない。
 それに根こそぎではないにせよ、確かに作戦目標である亜人を“パクる”予定ではあったのだ。

「とりあえずは話だけでも聞いてくれんかね。私たちはGが恐くて武装をしているだけなんだ。ここで火遊びする意志は毛頭無いよ」

 もっともらしい理由を付けて、銃のショルダーベルトを斜めがけにしたまま、手を離す。
 周囲の空気が少しだけ和らいだが、まだまだ警戒レベルは下がっていないようである。

「ほら、これで丸腰だ。紳士の代表としてお訊きしたいのだが、この宿に獣の耳を持つ子はいるかな? お会いしたくてね」

 辺りの男達が俄かにざわつき始める。その中で出て来た「値段」という単語を、ベルンは聞き逃さなかった。
 ほほう、そうか。つまるところ、ここは孤児院を兼ねた売春宿のようなものか。
 まだこういう前近代的な設備があるとは聞いていたが、いざ実際に入ってみれば多くの真っ当な人間にとって気分の良いものではなかった。
 推敲を待たずにこの言葉を選択するのは憚られるものだが、何をしたくなるかと問われれば“殴り倒したい”類のものではないか。
 後ろを見渡せば隊員らもかなり腹に据えかねる思いを必死に押さえ込んでいるようで、拳を硬く握り締めて震わせていた。

「あんたもそいつ目当てか。最近入ってきた子だよ。あの青い髪の妊娠しない女と同じくらいの値段だったっけな」

 青い髪の……女? 妊娠、しない?
 一般的に、MAIDというものは髪が自然では有り得ない色に染まる事がある。
 そしてまた、妊娠をしないという特徴もある。
 突如として浮かび上がってきた謎が、瞬く間にダリウス大隊の前に立ちふさがった。
 男の言葉にベルンがもう一度振り向くや否や、ディートリヒが男との間に割り込む。

「どういう事だよオイ! まさか、その青い髪の女っていうのは、シュヴェルテか! アイツは生きているのか!」

「金欠どころか脳ミソも足りてねェツラだな、兄ィちゃん。俺はただの仲介人さ。そんな、シュ……なんだっけ。とにかく名前は知らないね」

 完全に頭に血を上らせたディートリヒは、その男に一発ほど鉄拳制裁を行い、仲間の男の一人も持ち上げ、両方をテーブルに叩き付ける。
 テーブルは粉々に砕け散り、周囲の人間も流石にその喧騒を見かねたのか、ざわつきが激しくなる。

「ディートリヒ、落ち着け! そうやすやすと挑発に乗るんじゃない!」

 すぐにダリウスは止めに入る。ただし、安全を確認してから。
 ここまで怒り狂った彼を見るのは随分と久しぶりで、無闇に止めようとすれば振り払われて重症を負うリスクもあったのだ。
 ややあって、ディートリヒは我に返る。が、それでも後から後から吹き出てくる怒りは、収まるところを知らないようだった。

「止めてくれるな。俺ァ、イラつきすぎてワケがわかんなくなっちまいそうなんだ」

 ディートリヒは、ひと睨みで殺せるだけの視線を重機関銃が如く周囲に振りまきながら、盛り場の中央へと歩みを進める。
 この空間のこの一瞬だけは、敵と味方の境目すら曖昧になっていた。誰もがその場で立ち尽くし、呆然と眺める事しかできない。
 銃の通用しない相手だと思われているのか、どの銃口も沈黙を守っていた。


 ベルンは眼前で倒れている男に目を遣る。
 それにしても、このざわつく気持ちは何だろう。
 何とかして次の行動へと考えを移そうとしているのにも関わらず、ベルンの意識はこの眼前の男の放っていた言葉へと傾いてしまう。
 青い髪の女と云えば、数は限られてくる。まさかとは思うが、まさかとは思うが。
 まさかシュヴェルテが生きているとは、ベルンは夢にも思っていなかった。

 確かに帝都栄光新聞に載せられていた写真は、よくよく目を凝らせば判別は付くものだった。
 遺品が報告に上がらないのは昔からの慣習だが、これもまた、今にして思えば“そういう事”の為の隠れ蓑になりえたのではないか。
 しかし、考えたくもない。ベルンは、それだけは想像したくなかった。
 それならいっそ死んでしまったほうがどんなに良かっただろうか。
 おそらくはあのアシュレイ・ゼクスフォルトも彼女が死んだものとして考えているのではないだろうか。

「あの突撃馬鹿が……水をかけて起こす手間くらい考えんか」

 まったく、ディートリヒも早まってくれたものだ。
 気絶させずに問い詰めれば、もっと有力な情報だって得られたろうに。その“青い髪の女”がシュヴェルテであるという確証も得られたろうに。




「……動くんじゃねぇぜ、クズ野郎」

 暫しの緊迫状態が、ディートリヒのドスの利いた声によって幕を閉じられようとしていた。
 呼び止められて強い痙攣を起こしたバーテンダーに、ディートリヒは追い討ちとしてその胸倉を掴み、居場所を聞き出す。

「ドタマ吹っ飛ばされたくなけりゃあ質問に答えろ。亜人はどこに居るんだ」

「ち、地下室に……」

 バーテンダーは塞がれた気道に喘ぎながら、震える指でホールの奥の階段を指差す。
 銃口の矛先がいくつか向いたのを見るや、ディートリヒはバーテンダーを投げ捨て、指の指された方角へとコア・エネルギー噴射による突進を行う。
 投げ捨てられたバーテンダーや擦り切れる暴風が、周囲のガラス製品を悉く粉砕していった。
 啖呵を切っては、もう仕舞いだ。俄かに銃口はこちらへと向けられ、煙草の白煙は機関銃の硝煙に塗り替えられる。

「全く、もう手が付けられんな」

 その様子を見ていたベルンは呆れ半分、清々しい気分でもあった。
 とりあえずこのまま、力押しで前へ前へと進もう。ディートリヒの力強さが、皆の生きる糧になってくれる。
 鋼の扉とて破れぬ道理はどこにも無いのだ。ならば、煉瓦の壁など、突き崩せぬ道理がどこにあろうか。
 ベルンは先ほどまでバーテンダーのいたカウンターへと飛び込み、通信機のピープ音に耳を傾ける。


《お外の見張りより、隊長へ。観測部隊がGの接近を確認したらしいです。もう時間がありませんよ》

 この通り、戦況は目まぐるしく回転している。
 そして偶然ではあるが、もしかしたらシュヴェルテは生きているかもしれないという情報も得られた。
 まさか、あれからもうすぐ八ヶ月近くの月日を経た今にして、そのような事を知るとは。

「こっちの用事を済ませたら、すぐにディートリヒをそっちに向かわせる」

《頼みますよ。ちゃんとエッケザックスも用意してあるんですから》

「ああ」

 さっさと救出して、あの頼もしい突撃馬鹿をジープの止められた駐車場へと足を急がせよう。
 それを見届け、仲間達と共にGのいる次の戦場へと赴こう。
 障壁を突き崩す一発の砲弾となって、親衛隊連中との間に横たわる膨大な闇を陽光の元に晒してやろう。

「グリム、ハイメ、あいつをフォローできるか。私は支配人連中と“お話”しなくちゃならん」

「やっときましょう」

 騒ぎを聞きつけて、おそらく“本物の従業員”と思しき男達が武器を持ってやってきていた。
 その支配人連中と呼ばれた男達が、なかなかに剣呑な勢いで口々に何かを叫びながらこちらに殺気をぶつけてくる。

「さぁ残りの紳士達。姫君二人をお迎えに上がるまでの時間稼ぎだ。そこで伸びてる仲介人も連れて帰るぞ!」

「了解!」






 抉れて変形した階段を降りるグリムとハイメは、この先に居るであろう亜人の、未来の事を考えていた。
 確かにこんな嫌な世界で育つなら、きっと死んだほうがマシかもしれない。
 しかし死んでもなお、忘却の渦に何もかもを洗い流されてもなお、これから救い出される亜人達は戦禍に身を投じねばならないのだ。
 その運命の残酷さを呪わない者は、どうかしているに違いない。

「なぁ、ハイメ」

「何だよ」

 薄暗い階段を辛うじて照らしていた蛍光灯も、ところどころ叩き割られて暗い影を落としている。
 階段のフェンスも歪められ、赤く熱している。たかだか階層を一つ降りる程度の決して長くは無いこの階段は、無残に叩き割られて慟哭しているようだった。

「あいつって今まで、ここまで怒り狂った事あったか?」

 八ヶ月前の、シュヴェルテが消された時も、怒り狂っていた。
 木々に当り散らし、幹は根元から粉砕され、巨剣エッケザックスの巻き起こす風圧が周囲を圧倒していた。
 あれは自らの無力感に打ちひしがれた類のものではないだろうか。
 涙に濡れた頬を拭いもせず、ただ、ただ、自らの無力を呪う類のものではなかったか。
 確かに、あの時と同じ量の怒気をこの辺りに漂わせている。

「ある。皇室親衛隊のシュヴェルテ暗殺の時……つぅても、さっきのアイツの言葉が気になったけどな」


 仲介人の言葉を思い出す。青い髪の女性で、妊娠しない。
 エントリヒ帝国の所属のMAIDで髪の青い者は一握りでしかない。しかもつい最近姿を消したのは。
 あの話が真実であるとして推測するならば、多くの良識的な人間は口の中を酸味で満たすのではないか。

「……あれが本当だとしたら……まともじゃないよな。人間ってどこまで腐れば気が済むんだ?」

「そりゃあ云わない約束よぅ。根元が狂ってても枝がまともなら、それでいいじゃねぇか。さ、ディー坊ちゃんとこに行くぞ」

 この角を曲がれば、彼らにとっての戦場はすぐそこだ。粉々になった扉の陰から、男達の悲鳴が聞こえてくる。
 これはまたディー坊ちゃんは激しくやらかしているなと、突入の遅れを今更ながら後悔する。
 が、きっとすぐに突入しても止められる類のものではないかもしれない。
 突き当たりから血の海がどろりと出て来た時には、その一瞬の後悔は吹き飛んでしまった。

「……おェっ、こいつァひでェや」

 喧騒が止み、恐る恐るその先を覗き込めば、案の定目を覆いたくなる景色が広がっていた。
 部屋一面が血の海になり、黒々とした肉塊がそこかしこに散らばっている。
 Gに喰われて人生を終えた骸と比べると、この部屋のそれは心なしかもっと陰惨なものを感じさせた。

 真っ赤な部屋の中央に、ガタガタと震える二人の亜人らしき少女らと、それを抱えるディートリヒの姿が見えた。
 二人の亜人は黒い毛並みの耳を伏せ、尻尾を縮め、焦点の定まらぬ目でこちらに目を遣る。
 見知らぬ敵に怯える顔だなと、すぐに理解できた。

「グリム、ハイメ……すまねぇ……」

 階段の上から響いていた銃声もひと段落ついたらしく、ベルンも断続的に足音を響かせ、二人の後ろに立つ。
 やはり、グリムとハイメに同じくダリウス・ヴァン・ベルンも呆然とした表情で呼び止めていた。

「……ディートリヒ」

「すまねェ……気がついたら拳が前に出ちまってた」

 まさかとは思っていたが、といった風である。
 自己嫌悪に陥り涙ぐむディートリヒの肩に手を置き、亜人の片割れを抱き起こす。


「反省会は帰ってからやろう。とにかく今は、親衛隊側に合図を出すぞ。
 さぁお嬢さん、私達が来たからにはもう安心だ。色々と納得の行かない部分があるかもしれんが、そこは追々説明しよう」

 耳に入っているかどうかは別として、とにかく気休めの言葉の一つでもかけてやらないと気が済まない。
 かといって、筋の通った説明をするのは至難の業だった。
 グリムとハイメも、どうやら事が終わってからこの惨状を見たようであるのだ。






 階段を上れば、先ほどとはまったく姿を変えた元孤児院が、沈黙に包まれている。
 ぼろぼろになったテーブルにカウンター、ガラスらしきものは全て粉々になり、足を一歩踏み出すごとに甲高い破裂音が小さく響く。
 外では雨が降っているらしく、分厚い煉瓦の壁越しでも雨音が耳に入ってきた。

 願わくばこの雨が、我らの罪を洗い流す、冷雨の罰たらん事を。
 通信機の電源を入れ、皇室親衛隊の面々に内容を伝える。

「こちらダリウス大隊。目標の亜人の保護に成功。二人とも無事だ」

《な、なんだって! YaァーHaァーッ! ダリウスおじさま、僕を抱いてもいいですよ!》

「ふざけるな!」

 辺りが静まり返る。亜人の二人も目をつぶり、これから訪れるであろう雷鳴に身を伏せていた。
 嵐の前の静けさと形容するには少しばかり音が大きいが、その分、嵐がより激しいものになるのではないだろうか。

「確かに孤児院の連中は救いようのない悪だった。だが、だからといってその生死を無視するもんじゃない。
 シュバルツ君。私は断固、亜人のMAID化に反対する。命は君の玩具じゃないんだ!」

《何を勘違いしていらっしゃるのか、皆目見当がつきませんがね……
 このご時勢にそういう陳腐なお説教を頂いても、僕ァ別に有難くも何ともありませんよ。ダリウス殿。
 ん? 何……あいつら離反してたの?! ホントに?! いや、まさかとは思ってたけど》

 どうやら通信機越しに何か会話を二、三ほど交わしているようだった。
 ほどなくして外の殺気が爆発し、銃撃戦の音が雨音に混ざり始める。
 ベルンは無言のうちに状況を整理し、周囲への目配せで同じように整理させる。


 ――まず、ダリウス大隊は亜人救出作戦に、皇室親衛隊と共にリスチア南部へと出向いた。
 次にその南部の集落の一つに存在する孤児院、つまりこの売春宿へと足を踏み入れ、作戦目標である亜人の二人を確保した。
 売春宿での戦闘は終えている。先ほどの仲介人も確保している。

 それを狙い済ましたかのように、皇室親衛隊はダリウス大隊を離反者として排除しようとしている。
 シュバルツ・フォン・ディートリッヒ少佐殿は先ほどまでそれを知らされていなかった。
 ただ、予想だけはしていたらしく、おそらくは何らかの手立ても打っているのではないか。

 つまるところ、離反させられたダリウス大隊、それを排除せむとする皇室親衛隊、あくまで亜人を目的としてるであろうシュバルツ。
 これらの三つの勢力がこの地に集結している事になる。

《とにかく。やるのは勝手だけど亜人だけはこっちに下さいよ。持ち逃げなんてされたらどうなることやら解ったもんじゃないや》

「断る。君に渡すわけにはいかないよ」


《……僕ァね。SSの権限の範囲内で好きな事してるんだ。何か文句でもあるのかい?》

「あるとも。君だけじゃあなくて、あらゆる陰謀に文句があるんだ」

 あまり時間は残されていない。外に待機させたダリウス大隊の半分は、今この瞬間も戦っているのだ。
 こちらの、いや……巨漢のMALE、ディートリヒの到着を待っている。

《僕ァそういうのは門外漢なんです。勝手にやりゃあいいじゃないですか。
 嗚呼もう! やっぱ何か怪しいと思ってたんだ! じゃあさようなら! バイバイ!》

「ダリウス隊長……」

「ああ……どうやら袋小路に投げ込まれたかな」

 シュバルツが一方的に通信機を切る頃には、周囲の決意は固まっていた。
 さぁ、立ち上がろう。ダリウス・ヴァン・ベルンは戦友達と共に先ほどくぐってきた出入り口の扉へと向かう。

 どんなに階級が高かろうと、与えられた任務への拒否権は無い。
 しかも表向きには人道的なこの作戦に、何ら嫌疑をかける事など出来ようもないのだ。

 道理で出来すぎているわけであったが、気付いた時にはもう遅い。
 もはや切られたトカゲの尻尾のごとく、ダリウス大隊は砂中に置き去りにされたのだ。
 かつて協力してくれた、皇室親衛隊ホラーツ・フォン・ヴォルケン中将の顔さえ拝む事などできようものか。
 グレートウォール戦線に彼が出向くことは無い。同時に、彼と思想を共にする者をどのようにして探せるか。
 よしんば探して見つけたとしても、Gと共に殲滅されるのが関の山ではないのか。

 裏切り者の烙印は、おそらくはこの白黒チェック柄の床の、黒の部分よりも濃厚にその存在感を主張する。
 その事はシュヴェルテが、かつて悲惨で凄絶な死を遂げた数々のMAID達が、あまりにも明確に証明してきた。
 それでもこの恐怖に震える亜人らを置いていくという冷徹な判断だけは、ベルンは下したくないのだ。

「あまり時間が無い。思慮の浅い隊長だったかもしれんが、私を許してくれるだろうか」

「俺達はいつでもダリウス隊長の味方ですよ」

 心臓がまだ飛び出しそうな勢いでのたうちまわっている。
 これからやろうとしている事が本当に正しいのかは誰にも解らなかった。
 それでも、ベルンの肩に手を置くハイメと、その傍らでディートリヒと共に亜人を抱きかかえるグリムが、そんなものが杞憂であると教えてくれる。

「ありがとう……」

 ――闇もまた、何らかの理由のもとに存在する。
 ひと振りの刃や一発の銃弾でそれらを片付けて良いかどうかは、誰にも解らない。
 床に視線を移せば、この白と黒のチェッカーの床が、本当に白であるかという保障はどこにも無かった。
 灯りを消せば一瞬にしてこの白が黒へと姿を変えてしまうのではないだろうか。
 だが、個人個人でそれを決める権利くらいはあるのではないかと、この時ベルンは決意していた。
 突き進めば手に入れられる境地は、必ずある。


「レジスタンス部隊の隊長として最初の命令だ。みんな、必ず生き残れ」





最終更新:2009年02月08日 00:30
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