Chapter 7-5 : 皇帝演説

(投稿者:怨是)





『諸君! 我は――このマクシムム・ジ・ヴィクトリア・ヴォーダント・フォン・エントリヒは激怒している!』


 1944年7月10日。
 皇室親衛隊、国防三軍を集結しての演説が開かれていた。
 ここに集いしは全て、エントリヒ皇帝の「全軍集うべし」という鬼気迫る一声によるものである。
 人口の何割を超えるかを数える気にもさせぬ程、人で埋め尽くされている。
 突発的に集められ、兵士達は何事かと顔を見合わせていた。
 一体、何が陛下を激昂させたのだろうか。人々は耳を傾け目を向けて、その一句の発音に至るまで分析する。

『――以上のMAIDが何者かの陰謀の下に暗殺されていた事が、公安部隊や有志達の報告により明らかとなった。
 斯くの如き陰湿にして、幼稚な暴挙に至るとは! 我は怒りに打ち震えた! 己が無力さに気付き、涙した!』



「しっかし、いくら何でも直球すぎませんかね。まるで“これからはもっと巧妙にやれ”と云ってるようなものじゃないですか」

 演説を遠巻きから眺め、ドルヒは二日酔いの鈍痛に苛まれながら一言そう呟く。
 傍らにはテオバルト・ベルクマン。皇室親衛隊の長官を務める彼も、眉間の皺を深めながら演説を眺めている。

『そも、直接的な暴力に訴えてまで己の主張を通すとは何事か! 何ゆえにして戦力を減らし、人類の未来を閉ざさんとするか!
 周囲を巻き込まずに、平和的な方法で、且つ正々堂々とした行動に移れぬのか! 叱責を恐れる主張ならば、持たずとも良い!』

 演説は更なる過熱を迎え、マイクのハウリングが、周囲の空気に楔となって打ち込まれる。
 嗚呼、この位置からでは兵士の表情を見ることも叶わないが、さぞや沈痛な面持ちであるに違いない。
 気だるげな視線を皇帝に送りつつ、もう一度ベルクマンのほうへ目を遣る。

『他者の足を引っ張る前に、己が夢想を押し付けんとする前に、各々の戦場に於いて自らの実力で示さんか!
 さすれば有意義かつ説得力に満ちたものとなろうに! そうであったなら、安寧は確固たるものとなろうに!』

 ベルクマンのほうは、別の意味で沈痛な面持ちであった。苦虫を噛み潰したような表情と形容すべきか。
 おそらくは長子のギーレン・ジ・エントリヒ宰相の頭髪の後退を憂いての事だろうが、他にも複雑なものが渦巻いているようだった。

「……長官?」

「何、こうなる前に片付けたかったと思っただけだ」

 ははぁ。それもそうだ。確かにこの演説はヒドい。
 ひとつの見解を示すなら、つまるところただの愚痴である。公然と吐き出される、数多の愚痴の詰め合わせである。

 ベルクマンも常々悩んでいたようだ。
 いたずらに戦力を削られて窮地に陥っては、国家の存亡に関わる。
 “皇帝派”を名乗る派閥の暗躍によって已む無く潰した計画もあった。
 彼らの軽はずみな正義感か、または腹黒い欲求かによって、辛酸を舐める思いであったに違いない。

 皇帝の一喝によって、調査は再び暗礁に乗り上げるのだろう。
 今までとて、彼らは陰に隠れて妨害活動を行ってきたのだ。いよいよ強硬手段に出る他、道は無いのか。


『冷笑する者らよ! 他者を侮蔑する暇があるのなら己を省みるか、他者の利点に目を向けよ!
 このエントリヒ皇帝は斯くの如き暗闘の調停よりも、MAID達の武勇伝に耳を傾けるほうが心が休まるわァ! うつけ者共め!』

 ドルヒは“冷笑”という単語に若干の胸の痛みを覚えたが、敢えて飲み込むことにした。
 冷笑せずしてやっていけたものではない。現実の重みを知るが故に、皇帝の語るあまりに直情的な訴えが、どこか空虚なものに思えてならないのだ。

『諸君らの不毛な真似により、ジークは深く傷ついた……我の愛娘の一人を、その心を!
 諸君らはいたずらに穢し、傷つけたのだ! 多くの戦友達の死の真相に、彼女は深く涙した! 我もまた、深々と!』

 得てして説教と云うものは、多くの人々の眼前で行われる。
 それのもたらす効果として期待されているのが「私も気をつけよう」という自戒の心を喚起させるというものである。
 皇帝が国防三軍までもを集結した理由は、対象が特定できない以外に、そういった事を考えても居るのかもしれなかった。
 無論、先のダリウス大隊壊滅も大きく関係している。

『故に我は、ここで怒りの矢を放たねばならぬ!』

 しかし敢えて叱責ではなく“怒り”と表現したのは、皇帝と云う身分からではなく、マクシムム・ジ・エントリヒという一人の人間の言葉として伝えたかったからか。
 皇帝が――否、マクシムムが拳を高らかに掲げる。

『MAIDを不幸にする者に、ジークを愛する資格など無い!
 もっと他者を労わり、表現方法を変えよ! 場の空気に気を配らんか!
 我も、そしてジークもそれを望む! 強く、強く切望しているのだ!』


 数々の暗殺事件が“皇帝派”の手によるものなら、皇帝が直々に「止めよ!」と叫べば即座に改めるという魂胆か。
 確かにこの演説は帝国内のテレビ局でも大々的に放送され、どのチャンネルを見ようと、同じものが映される。
 皇帝の持つ絶大なカリスマ性により、世論は瞬く間に「暗殺などとんでもない」と声を大にするだろう。
 帝都栄光新聞社もこの演説を受け、陰惨な暗殺に異を唱えるだろう。
 単純な力押しなら、確かに岩をも動かせるのは道理であった。

 また軍部の反対を押し切ってまで白竜工業を誘致し、鶴の一声で帝都防空飛行隊を新設し、つい先日にパーティの開催にまで積極的に臨む皇帝である。
 このような寛大な人柄が、今まで行われてきた数多の暴挙を許す筈も無い。
 事実、温和でユーモラスな人物として知られる彼が、ここまで声を大にして訴えかけてはいるが……

 真に皇帝に――そしてジークフリートに心酔する者はこれで悔い改めるのだろうか。
 どれだけの者が悔い改め、どれだけの者が自らの愚行に気付いて肩を抱くのか。

『今この瞬間も、Gの進軍に怯える民がいる。目先の感情よりもまず、己が使命をもう一度思い出さんか。
 我ら帝国が守るべきは、彼らではないのか。卑下し、中傷する不毛な心ではなく……日々を強く生きんとする、前向きな心こそが!
 我々の守るべき大切な宝ではなかったか! 冷笑する者らよ! 忘れたか!
 うぬらがGに立ち向かう事こそが、彼らの温かい笑顔を生み出す原動力の一つである事を、忘れたのか!』

 会場から、すすり泣く声さえ聞こえてくる。
 ドルヒは「大の大人が大人気ないと」胸中で嗤う前に、彼らの涙の理由でも推測してみる事にした。
 単純に剣幕に恐怖したのか。真相を知った感激か。自らの罪の重さに打ち震えているのか。それとも自分達の与り知らぬ所で行われていた事に恐怖したのか。

「何と云いましょう。これは、もう……」

「それだけお怒りという事だ。ドルヒ、忘れるな。ここは“そういう国”として成り立っている」

「はぁ……」


『――うぬらが誇りを取り戻すその日まで、我は笑顔を見せぬつもりである。
 異を唱えたくば今この場で名乗りを挙げよ! 我が直々に話に応じる! さぁ挙げるか! それとも挙げぬか!』


 会場全体が沈黙に包まれる。
 もはや一言も言葉は発せられず、ただ、ただ、すすり泣く声と風の流れる音だけが支配する。
 悲喜交々の想いが交錯しているであろうこの会場に於いて、ドルヒは目を閉じて彼らの胸中を予想した。
 ある者は後悔し、ある者は冷笑し、またある者は皇帝と共に怒りの炎を灯すのか。
 そしてある者は「私は違うぞ」と憤慨し、ある者は「そのような事が行われてきたのか!」と驚愕するのか。
 更に、ある者は「誰がやりよるか、しかと見届けてやる」と眼を光らせ、またある者は「嗚呼、痛ましい」と涙しているに違いないのだ。
 多くが他人事ではないか。
 人間などもとよりそういう生き物であるという事を、ドルヒは知っている。

 やはり何者とて口を開くことは無かったが、ここには様々な想いが渦巻いている。
 四分三十三秒の間を置いて、いよいよ締め括りの言葉が会場に響き渡ろうとしていた。


『……良かろう。諸君らが悔い改めるその日を、いつまでも待とう。このマクシムム・ジ・エントリヒは諸君らを敬愛しておるぞ!』

 演説と名付けるにはいささか愚直すぎるそれは、とうとう幕を閉じた。
 普段ならば締めくくりの挨拶に「ジーク・ハイル」と付けられるものだが、今回はそれが無い。
 しかし、それでも怒りを共有したのか、そこかしこから「ジーク・ハイル、ハイル・エントリヒ!」という声がぽつぽつと現れる。
 はじめは小さな声で。それが段々と大きくなり、会場全体に響き渡るようになる。




 ――演説は瞬く間に波紋を広げ、少しもせぬ内に方々で物議を醸した。
 犯人探しに売名行為、責任の擦り付け合いから暗黙のうちに交わされた密約など。
 逐次報告を耳にする度にドルヒの表情が陰りを帯びる。ほら云わんこっちゃない。
 そう長くない時間の後、緊急会議が開かれる。これまでの皇室親衛隊の状況、そして問題が起きていた理由など。
 謝罪会見の様相を呈するものでもないが、対策などが練られるのだろう。忙しくなる。

 思えば、この時点で気付くべきだった。
 珍しく全員出席かと思われていたその会議において、あの“彼”は出席していなかったのだ。



最終更新:2009年02月17日 01:49
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