Chapter 1 :シュワルベ

(投稿者:Cet)



シュワルベの調子はどうだ」
「飛行開始から一時間、まだいけそうです」
 丘陵地帯の斜面に白衣を着た十人程の男達がいた。各々が望遠鏡やら無線やら筆記用具やらといった観測用具を手にしており、手持ち無沙汰の者もいた。
 男達の背後には真っ白な施設がある。精妙な立方体は研究所をにおわせる。
 ふと、無精髭を生やした四十歳程度の男が斜面の下に目を遣った。
 何やら俊敏に飛び跳ねてこちらへと一目散に向かう影を視認する。男が手をやると、俄かにどよめいて、各々が銃器を取り出した。
 接近する影がおよそ三十メートル前方で大きく跳躍する、とてもではないが人間の所業ではない。
 どしん、と男達の中心に降り立った。あらゆる方向から銃口が向けられる。
「待った」
 影は言った。二メートル以上の異形である。人間の形はしているも、スーツからはみ出す地肌はすべからく体毛に覆われており、頭部はと言えばまんま猫、それも獰猛な肉食類のそれだった。
「私の名前はブロッケン・チターマン。ただの特使よ、そんないきり立たないで」
 しかも妙な女口調に、周囲の人間は辟易した表情で銃を下げる。
「特使が何の用だ」
 ただ一人四十歳程度の男が自動拳銃を突きつけたままに言う。
「お宅の空戦メード、元々私達ベーエルデー連邦のものでしてね、返していただけないかと」
「クロッセルのお偉いさんに言うんだな、金と引き換えに嬉々として供与してくれたよ」
「ホント、身内と言えども信用がおけないようね。なぁにが研究に有効利用させてもらう、よ。全くふざけるのもいい加減にしてほしいね。
 まあベーエルデーも管理体制をもっと強化しなくちゃいけないけど」
 チターマンは心底呆れているようだった。周囲の男達が彼の立場を理解しかねて戸惑う中、四十代の男はただ一人態度を崩さない。
「なるほど、ところでこちらも自己紹介が遅れるところだった。我々はペーパープレーン、少年達だ。
 そして私の名前はジャック、ジャック・ノルデンロープ。よろしく。
 ところでチターマンといえば確か、大陸戦争後の分裂したベーエルデーで勇名を馳せた戦士じゃないか。現在はその功績もあり国政議員の一人だとか」
「お見知りおき有難う」
 おどけた仕草で礼をするチターマン。そこでようやく男が銃を降ろす。
「というより我々にとっては近しい存在だ、月刊ルフトバッフェ、購読させて貰っている」
 チターマンの目が光る。そこでようやく周囲の白衣連中も、ああ例の変態共か、と納得するに至っていた。
「十二月号?」
「十二月号」
 こくり、と頷き合う二人。
「ご心配なさるな紳士殿。シュワルベ君はお返ししよう、ただし幾つか条件を付けさせてもらうがね。予算にも限りがある」
「了解しました髭の紳士殿。ところでその代償は如何程か」
「そうだな、お宅のノウハウを分けてほしい。我ら研究者におあつらえ向きのやつだ」
「かしこまりました。ところでシュワルベ本人は今どこに?」
 実験飛行中だ、とジャック。
「割りに喜ぶんだな、あんな顔するとは思わなかったよ」
「風を得た鳥よ、それだけの話」
「あるべき場所に」
 紳士二人はこくりと頷き合う、それからジャックは無線を持った男を呼び寄せる。
「あー、シュワルベ君、戻ってきて構わないぞ。重要な報せがある」
 了解しましたっ、と短い返事のあった後、無線は閉ざされた。

「ただいま帰りましたっ、で、その人は」
 幾らか頬を紅潮させたシュワルベが問う。
 あー、とジャックがぽりぽり後頭部を掻いた。
「君をあるべき場所に戻してくれる存在、とでも言おうか。こんなしがない研究所よりもっと奔放な飛行を許容してくれる人々、ベーエルデーの使者だ」
「よろしく」
 手を差し出すチターマンに、戸惑いを示しつつもよろしくと囁く少女。
「私をお払い箱にするつもりですか?」
「ノン、そんなこと言わないでくれシュワルベ君。実験飛行なんて名目で飛び続けるのが喜ばしいかい?」
「そういう問題では、ありません」
 今顔を赤くしているのは、怒りの所為だ。
「まあいいです、ジャックの言うことに従わないわけにもいきませんし」
「ああ、戻って来たくなったら言うといい、多分その通りにしてくれる」
 だろう? と視線だけをチターマンに遣るジャック。亜人の彼は頷く。
「オーケー、話は決まったみたいね」
「ああ、ところで出迎えの方はいつ来るんだい」
 少女は表情を一転させて、つまらなそうに佇んでいた。失望の色。
「三日待ってくれる?」
「それは、お願いかな」
「ええ」
 チターマンは頷いた。それじゃあ、と振り向くと一目散に山を駆け下りていった。それを少女を含めた全員が感服した様子で見送った。

 ふるふるとシュワルベは身を震わせて、ばかっ、と一つ叫ぶと翼を広げそこから飛び立っていった。
 ジャックはやれやれと呟く。飯ができたらここに運んでくれ、と言った。
 シュワルベ君の分もな。


 三日後、チターマンは再び着の身着のまま一人で現れた。神父のような威厳を漂わせる彼の元へ少女は初め毅然とした様子で歩み寄ったが、暫しの逡巡の末、踵を返した。丘陵の上に陣取った十人程の研究者たちが皆して手を振っており、その中には激励の言葉を記した用紙を数人で広げている者もいた。シュワルベがヤケクソっぽく手を振るのに、その中の一人が小さく手を振り返す。無精髭をさんざっぱら生やした男だった。
「ちょっと失礼」
 返事を聞かぬまま、え、と戸惑う少女の身体をチターマンが抱き上げる。およそ滅茶苦茶なブーイングが起こり、こちらに数人の男が駆け寄って来るところでチターマンも走り出す。全速力で斜面を下っていく。やっぱ軽いねと呟いた。
「大丈夫、貴女は必ず自分の選択に誇りを持てるようになるから」
 不意にチターマンが言うのに、少女は自分が不安そうな表情をしていただろうことに気付いた。暫く呆けた顔をしていたものの、結局視線を逸らすだけ。
「すぐ輸送車のところに着くからね」
 チターマンは少し困ったように笑った。


「で、それがこの子なのね」
 カラヤ・U・ペーシュは言った。隣で頷くのはチターマン。
 少女は正面にいる老婆と決して視線を合わせようとしない。それに対し老婆は呆れを示すでもなく、にっこりと笑った。
「貴女はここに貴女の意思で来たんでしょう?」
「半分くらいはそうかもしれませんね」
 少女は依然目を逸らしたままに言う。老婆はそりゃ困ったね。と本当に困ったような表情をする。
「少なくとも無理矢理じゃないんだろう?」
「少なくともそうでしたけど、一緒です、結局は」
「貴女はよっぽどのろくでなしと一緒だったのかい、なら仕方ないけどね」
 少女は一時黙り込む。
「そうかもしれません」
 老婆がチターマンを一瞥すると、彼は肩を竦めた。
「まあ、そのろくでなしがどんなものかをこの老婆に語るといいよ、暫くはそれでいこう」
「暫く?」
 すると老婆は驚いて、知らなかったのかい、とのたまった。
「私が貴女の担当教育官を務めさせてもらうのさ、まあ短い間だろうけどね、よろしくお願いするよ」
 少女は僅かに顔を引きつらせる。いわく複雑な表情。
「よろしく」
 結局、この日少女が老婆と視線を交わしたのは一回きりであった。
 驚いて問い返した時のソレ。


 まるで介護人のようにむっつりと老婆の車椅子を押す少女に、カラカラと笑う老婆の姿が、暫くの間ルフトバッフェの中に見られたりした。
 例えばこんな具合に。
「可愛いねの一言くらい言えばいいのに、ろくでなしめ」
 少女は黙っている。
「案外そういうのが好かれるものだけどねえ」
「好いてませんから」
 老婆はカラカラと笑う。
「貴女の言う通りさね」
「本気で言ってないでしょうソレ」
「本気も本気、あいやシュワルベは嘘つきなのかい?」
 だから違う--、少女は怒りを滲ませる。
「カラヤ・U・ペーシュ、貴女いい加減」
「年寄りらしくしろと? やなこったね、誰かの恋模様をいつまでもからかって過ごしたいものよ」
 そこでようやくシュワルベは沈黙する。
「もういいです」
「それでいい、--素直になるのが一番さね」


最終更新:2009年03月04日 04:10
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