死よりも悪い運命

(投稿者:神父)


夜のニーベルンゲ旧市街を、黒い外套を着込んだ一組の男女が歩いている。
手には揃ってM712自動拳銃が握られている―――木製の着脱銃床も装着済みだ。

「……あの、ハインツさん」
「なんだね」
「その、ごめんなさい……撃てなくて」
「済んだ事は仕方あるまい」

……グ・ローズ・ヌイによる白昼のSS本部襲撃の際、ハインツとサバテは旧市街のとある建物の屋上に陣取っていた。
言うまでもなく、襲撃犯たるプロトファスマの狙撃のためであった。標的との距離はおよそ2000m。
狙撃兵の存在を察知されないためにそれだけの距離を置いたのだが、それは同時にハインツによる狙撃を不可能としていた。
しかし司令部はいまだにハインツがサバテの肩代わりをしている事を知らなかったため、当然、任務の遂行は可能と考えていた。
これが1000m程度であれば、ハインツが狙撃を行っても命中弾を出すことはできただろう。
だがその倍ともなると、7.92mm弾では初速を失ってしまう。どうしても瘴気鋸―――Gew1913YZRが必要だったのだ。
13mm弾は7.92mm弾のおよそ4.4倍の質量を持ち、命中時にも高い存速を保つ事ができる。
しかも、YZRの初速は既存の対戦車銃などとは比較にならないほど高い。感づかれずにプロトファスマを狩るには最適の銃だった。
だが、サバテは失敗した。

「……」
「お前さんが銃爪を引けんだろうという事はわしも予想しておったよ。八対二といったところだ」
「ハインツさん……」
「なに、長官を誤射しなかっただけでもいいとしようじゃないかね」

ガスマスク越しに六段レンズの高倍率双眼鏡で観測していたハインツには、サバテが撃てなかった理由がよく分かった。
標的……グ・ローズ・ヌイというそのプロトファスマは人間にしか見えず、その擬態を解いた後も長官と何らかの会話を交わしていた。
2000mの彼方であろうと、実物を見るのは彼も初めてだった。
その姿は衝撃的だった……話には聞いていたが、本当に人間としての形態とGとしての形態を行き来できるとは信じられなかったのだ。

「そろそろこの街区も終わりだ。次の通りへ移動するぞ」
「はい」

狙撃任務は失敗に終わったが、その代わりにハインツはグ・ローズ・ヌイが手前側……すなわち旧市街へ逃げ込むのを確認していた。
彼らは直ちにその旨を本部へ報告し、狙撃銃や双眼鏡、また狙撃時に発生する瘴気を避ける防毒装面などを預けて旧市街へ取って返した。
旧市街周辺には非常線が展開され、捜索部隊も即座に展開された。
しかしプロトファスマに対して歩兵、しかも市民への配慮から少数で行動せざるを得ない彼らでは遅滞戦闘が手一杯だ。
結果として、本部勤務で手の空いているMAIDに頼らざるを得ない状況となっているのが現状だった。

「奴は負傷している。非常線を突破する危険は冒すまい……が、絶対にとは言えんなあ」
「多分、どこかに隠れているんじゃないでしょうか」
「ま、十中八九はそうだろう。もう七割がたは捜索済みだからな、奥へ奥へと追い込まれているはずだ」
「だといいんですが……」

サバテの口調はいつになく歯切れが悪かった。
彼女はMAIDの成り立ちを知っており、さらにプロトファスマの事も―――おおよそではあったが―――教えられていた。

「……三度も死ななければならないなんて」

ハインツは聞こえない振りをした。
MAIDになる際、あるいはその前に一度。Gに捕食されてもう一度。最後に一度……兵士たちの手にかかってようやく生を終えられる。
いや、さらに悪い事にコアは回収され、休眠の後再び素体に供されるのだ。
プロトファスマ化した際の悪影響があるとも言われるが、ハインツも詳しいところは知らない。

と、市内に備えられた拡声器がノイズを吐き出し、二人は報告に備えた。
捜索隊が分散している状況では市内のインフラを利用し、一括で命令を下し、あるいは報告した方が効率的だ。

「……捉! 目標捕捉! 目標は第六街区西、ラインダース通りからグストロフ通りへ横断中( ・・・ )! 警戒!」

グストロフ通りと言えばこのリヒター通りの隣だ。ラインダース通りはそのまた向こう側となる。
だが、この第六街区でグストロフからラインダース、あるいはリヒターへと通じる横丁は東側にしかないはずだ。
横断とはいかなる事かと二人は首を傾げた。

「あのう、どうしますか、ハインツさん」
「少し待って様子を見るぞ。近くに別のMAIDもいたはずだ」
「で、でも早く行かないと、他の人たちが……」

ハインツは落ち着かない様子のサバテを振り返った。

「では聞くがな、お前さん、奴を前にした時に撃てるのかね」

外套の下の骨翼がびくりと跳ね上がるのが、厚いフェルト越しにもはっきりと見て取れた。
サバテは手の中のピストルカービンをそわそわと持ち替え、しばらくして初めてその存在に気付いたかのように見つめた。

「わ……わかりません」
「そう言うと思っとったよ。恐らく、お前さんは誰かが死ぬのを見るまで銃爪は引けまい。
 だが、そういう奴の方が危ないもんだ。一度吹っ切れて、躊躇なく銃爪を引き始めた後がな」
「……」
「お前さんが大丈夫だとはっきり言えるまで、わしは奴との正面戦闘は避けたい」
「そ、それじゃあ、どうして捜索隊に参加なんか……」
「わしらがここで参加しなかったら、奴の仲間だと疑われると思わんかね?」
「あっ……た、確かに」
「奴が来たら、できるだけ兵力の集中した地点に誘い出すぞ。この街区の東側を回って、アイマット通りの方へ出る」
「わかりました」
「見ての通り、奴は人間の武器も扱える。気をつけ―――」

古風な住宅の向こう、グストロフ通りから何かが破裂するような音と銃声、さらには怒号が聞こえてきた。
どうやったのかは不明だが、グ・ローズ・ヌイは横断とやらに成功したのだろう。

「速いな。車へ戻っていつでも走れるようにしておいた方が良さそうだ」

ハインツがサバテに頷きかけ、二人は小走りに灰色のフォルクスヴァーゲンへと急いだ。



グ・ローズ・ヌイは焦っていた。
彼には傷を癒すための時間と滋養が必要だったが、そのどちらも中途半端な状況で官憲に見つかったのだ。
甲殻を破って組織に食い込んだ弾の破片はなんとか取り除いたが、その後がまずかった。
路地裏に住まう浮浪者の内臓を貪り食っているところを見つかれば、いかに上手く人間に擬態していようが関係ない。
もっとも、彼を見つけた憲兵もそのような状況は初めてだったらしく―――生涯に一度もあれば充分だろう―――脱兎のごとく逃げ出したのだが。
結果、その憲兵の代わりに百人そこらの歩兵部隊が出動し、彼は非常線の内側に閉じ込められてしまった。
包囲の輪が狭まり、戦力を集中される前に突破しようとこの第六街区を移動しているのだが、完全な突破には時間がかかりそうだった。

「くそっ……化物め」

目の前に転がる死体の間から、小さな声で毒づくのが聞こえた。
彼が死体から取り上げたMP40でそのあたりを掃射すると、短い断末魔を最後にその声は途絶えた。
ともかく、至近の官憲や軍の兵士はこれで片付いたはずだ。
しかし具合の悪い事にグストロフ通りの両端は軍によって塞がれており、しかも彼らは完全な隊伍を組んで距離を詰めつつある。
厄介だが、もう一度街区を横断( ・ ・ )した方がいいだろう、と彼が死体を物色しつつ今後の行動を考えていると、頭上から小さな声が降ってきた。

構え( ツィーレン )―――」

はっとして振り返ると、星明りの下、屋根にバイポッドを引っかけた姿勢でMGを構えた兵士たちが視界に入った。
彼はとっさにリヒター通りの側にある建物へと飛び込んだ―――戸口を蹴破って。指揮官と思しき声は即座に反応した。

撃て( フォイア )!」

グ・ローズ・ヌイが古ぼけたチーク材のドアを粉砕した直後、弾雨がその姿を追いかけて屋内へと吸い込まれていった。
耳をつんざくような射撃音と共に玄関先の何か―――と言うよりも何もかも―――を蹂躙し、指揮官の命令までそれが続いた。

「撃ち方やめ! 星弾上げ、突入!」

兵士の一人がLP42信号銃で照明弾を打ち上げ、グ・ローズ・ヌイの飛び込んだ家屋の窓から光が差し込んだ。
家々の屋根を伝って近付きつつあった軽歩兵がロープを投げ、次々と地面に降り立つ。
彼らが手にしたStG45突撃銃が一斉に火を吹き、玄関からその奥へ向かって鉄風が吹き荒れた。
恐らくは階上の寝室にいるはずの住人にとっては、たまったものではないだろう。突然自宅が戦場と化したのだから。

「……」

グ・ローズ・ヌイは姿勢を低くして玄関から応接間への扉を蹴り抜いた。
さらにその正面の壁に向かって応接間にあった錬鉄製のテーブルを叩きつけると、崩落した壁越しに台所が見えた。
台所の裏口を抜ければ隣家の裏面へと出る。幸運な事に、今横断してきた家よりも頑丈という事はなさそうだ。
突入部隊はすぐにでも彼に追いつくだろう。脱出のために、何らかの足が必要だった。



先程よりもさらに大きな破壊音が、彼らに敵の到来を知らせた。
サバテがヴァーゲンのハンドルを握り、ハインツは助手席の窓を開けてM712を油断なく構えている。
骨翼をシートの後ろに押しやり、シフト・レヴァーを握って待っていたサバテが、ダッシュボードに置かれた金属ケースに気付いた。

「あのう、ハインツさん……これ、なんですか?」

ハインツは射撃姿勢を解かず、横目で彼女が指し示しているものを確認した。

「……丸薬だ。少し前から医者から処方されとる」
「身体のどこかが悪いんですか?」

サバテが眉根を寄せ、不安げな顔つきになった。

「人間、六十近くにもなればどこかしら具合が悪くなるのが当たり前というもんだ。心配いらんよ」
「……そうですか」

サバテはその説明で納得したらしく、ハンドルを握り直して、油温を確認してからチョークを戻した。
ハインツは彼女に聞こえないよう、そっと息をついた。……別に嘘を言ったわけではない。意図的に事実を伏せただけだ。
瘴炉を搭載した彼女と日常的に接触している彼は、いくら気をつけていようと瘴気の悪影響を受ける。
しばらく前から瘴気の蓄積が認められたため、彼は瘴気の吸収を阻害し、また排出を助けるための薬を処方されていた。
その副作用でハインツの胃はかなり荒れていたが、それについても彼は黙っていたし、態度にも出ないよう注意していた。

「そう不安がる必要はない。奴は大した駿足だろうが、MAIDが扱う機械類は多かれ少なかれ馬力が上がる。
 お前さんの運転でアウトバーンを走って帰ってきた時も結構な速度が出ただろう。覚えてないかね?」
「え? いえ……そうだったんですか?」

サバテはきょとんとした顔でハインツを振り返った。
無自覚な暴走ドライヴァーの片鱗を見せた彼女の態度に、ハインツは思わず顔をしかめた。
いまだに運転経験が浅く、適切な速度感覚が培われていないのだ。

「後生だからこの狭苦しい旧市街を走る時は周りに気をつけてくれ。奴に殺されるのは不愉快だが、事故死はもっと笑えん」
「はあ……」

二人が噛み合いの悪い会話をしていると、一際大きな破壊音が夜気を震わせた。
ハインツは窓から身を乗り出し、物音のした方向へと銃口を向けた。

「来たか。わしが出せと言ったらすぐに発進させるんだぞ。奴が追ってくるかどうかはわからんが、不用意に近付くのは御免被るからな」

さらにもう一度、木材を叩き割る耳障りな音が響き渡り、彼らの100mほど後方で粉塵が舞い上がった。

「は、ハインツさん……」
「待て。逃げ出すのは奴の顔を拝んでからだ」

音もなく粉塵の中から人影が現れ、青白い顔を左右に向けた。
ハインツは助手席から後ろを振り返った姿勢のまま銃床を左肩に押しつけ、右手で銃を構えられないこの状況を呪った。
ウィークハンドでの射撃は不可能ではないにしろ、特殊な訓練を受けていない彼にはなじみがない。
と、周囲を見回していた人影が彼らの方を向いた。わずかに首を傾げ、それから手に提げた短機関銃を持ち上げる。

「サバテ、出せ!」

プロトファスマと目が合った瞬間、ほとんど反射的にハインツが叫んだ。
指切りバーストで正確に三発ずつ、二度の射撃を行ってから顔を引っ込める。当たったかどうかは問題ではない。
怪物はすでにバイアスタイヤを軋らせて急発進する灰色の小型車を追って走り出している。逃げなければ命はあるまい。
サバテが必死にクラッチを操ってギアを上げながら、涙声で問うた。

「な……なんでいきなり追いかけてくるんですか!」
「検問を突破するのに車が必要なんだろうよ。畜生め、もっと早く気がつくべきだった……通りに一台も車がないんだからな」

民間車の多くは軍に徴用され、また残り少ない車も盗難を避けるため路上駐車はされない。
恐らく、リヒター通りに停車していた彼らのフォルクスヴァーゲンは、あのプロトファスマが逃走中に初めて見つけた車だったのだろう。
手には銃があり、相手はわずか二人、となれば奪取しようとする事に何の不思議もない。

「ともかく、奴が食いついたのは確かだ。次の角を右折して新市街方面へ誘導す……うおっ!」

リアウインドウを粉砕し、何発かの弾丸が車内に飛び込んだ。ハインツがシートから振り返り、応射する。

「おい、無事か!?」
「な、何とか……」
「くそ、奴め、エンジンを壊したら使えなくなる事もわかっていないのか?」

だが、幸運にも車体後部に備えられた空冷水平対向四気筒エンジンには一発の被弾もなかった。
あるいは、目下彼らに追いすがるプロトファスマにはそれだけの射撃制御能力があるのかもしれない。

「と……ともかく、新市街へ向かいます! 掴まってください!」
「頼む!」

サバテは侘しげに灯る赤信号を無視して交差点へ車を突入させ、広いシュタルカート街道の四車線を目一杯に使ってカーヴを切った。
右折のタイミングに合わせてハインツは十連マガジンに残った一発を追跡者に撃ちかけ、ポーチから二十連マガジンを取り出して装填した。
JaG40か40k、あるいはStG45が欲しいところだが、彼は車に銃を積むような用意などしていなかった。
そもそもプロトファスマなどという超希少種相手にカーチェイスをやるような状況を想定できるわけがない。
いや、それどころか、と彼は苦いパニックの味を噛み締めた。あんな化物が実在する事すら本当に信じていたとは言えない。
旧市街と新市街を区切り、非常線が展開されているアイマット通りまであと2kmある。
状態の悪い石畳の街道では時速60km以上を出すのは難しい……とすれば、安全圏までおよそ二分かかる計算だ。

この先の二分は、彼らにとって最も長い二分間になりそうだった。



最終更新:2009年03月05日 02:06
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