(投稿者:神父)
後方から追随するプロトファスマとの距離はおよそ150m。
ハインツが目を凝らして確認したところ、相手の手にあるのはMP40系の短機関銃らしい。
とすればお互いに有効射程外だが、それでも追跡者は射撃を繰り返して
サバテを怯えさせた。
リアウインドウの残骸を抜けてきた銃弾がセンターパネルの回転計を叩き割り、瞬間的にハンドルがぶれた。
「ひっ……!」
「サバテ、いいか、落ち着くんだ。どうせ当たらんし、当たったところで大した怪我にはならん」
少なくともお前さんだけはな、という一言を飲み下してハインツが言う。
だが、サバテの声の震えは止まらなかった。
「でっ、でも、だって、どうするんですか! こんな……こんな……」
「しっかりしてくれ、わしの頼みの綱はお前さんなんだぞ」
ハインツがリアウインドウ越しに再び三点射した。
一度壊れてしまえば窓を気にする必要はないし、側面窓から身を乗り出して左手で射撃するよりはこちらの方が狙いやすい。
とはいえ相手が150mも先にいてはろくに当たらないのも当然だ。黒々とした石畳に三度、火花が散るのが見えた。
プロトファスマは無表情のまま走り続けており、じりじりと距離を詰めつつあった。
「二分間逃げ切れればわしらの勝ちだ。落ち着いて、しっかりハンドルを握っとれ。怖がる事なんぞ何もありゃせん」
「はっ、は……はい」
ハインツが横目で見ると、サバテの肩は震え、かちかちと不規則に歯が鳴っていた。
なるほど―――と、合点が行った。彼女は今まで誰かを撃った事はあっても、撃たれた事はない。
相手の得物が拳や剣であればまだ余裕を持って対処できただろう。剣戟は銃撃よりも速くはなりえない。
仮に―――途方もないエネルギーの浪費を以って―――剣先が銃弾の速度を超えたとて、腕の長さが有限である限りその軌道は見えるのだ。
だが銃砲の類はそうはいかない。ちっぽけな拳銃ですら大剣の百倍もの距離から致命的な一撃を与えうる。
撃たれた事がわかるのが死んだ後になりかねないという恐怖、対G戦闘とはまた異なるストレスに曝されているのだ。
大抵のMAIDは対人ないし対MAID戦闘を考慮した訓練など受けてはいない。
SS下部の戦技教導学校では対MAID戦闘訓練も行われていると言うが、その訓練を受けたMAIDなど一握りもいるかどうか怪しいものだ。
特務SSに所属するサバテとて例外ではない。そもそも訓練期間自体が不足していたのだから。
「ひゃあ!?」
不意に石畳の段差を踏み、サスペンションが悲鳴を上げた。
瞬間的に後輪が跳ね上がり、ディファレンシャルが空転する。着地と同時に走行姿勢が不安定になり、車体が激しく左右に振られた。
無論、追跡者はこの醜態を見逃しはしなかった。段差の多い石畳は二本の足にしっかりと食いつき、彼の速度を支えていた。
MP40の有効射程はおよそ100m、彼の手にあるM712とほぼ同等か、それ以上だ。
追跡者はついにその射程内に踏み込み、32連装の弾倉を交換して掃射し始めた。
「伏せろ!」
言うが早いかハインツが手を伸ばしてサバテの頭を押さえつけ、自らもシートの裏に身体を引っ込めた。
直後、車内に飛び込んだ一連の銃弾がフロントウインドウを叩き割り、風に流された砕片が二人を襲った。
「は、ハインツさん! 前っ、前が見えません!」
「いいから走らせるんだ! ハンドルを真っ直ぐ握っとれ!」
ハインツはシートに身を隠しながら後方の様子を窺う。
背中の何箇所かに突き刺さったガラスの感触があったが、彼は声を立てなかった。今のサバテに余計な心配事を抱えさせるわけにはいかない。
「節足動物め、人間をなめておると痛い目に遭うぞ」
暗い街道上にぼうっと白い顔が浮かび上がっており、今やその表情―――と言うよりも無表情だが―――がはっきりと見分けられた。
ハインツはその白い標的へ向かって射撃訓練でもするかのように三点射を繰り返し、弾倉の中身をすべて叩き込んだ。
だがプロトファスマはさしてひるんだ様子もなく、凄まじい勢いで駆けながら再び短機関銃を構え直した。彼我の距離はさらに縮まりつつある。
「もう一回来るぞ、しっかり伏せとれ!」
「ま、ま、またですかあ!?」
「さっさと伏せんか!」
ハインツが再びサバテの頭を押さえつけるのと同時に、再度の掃射が彼らを襲った。
何発もの弾丸がシートの厚いクッションを抜け、サバテの身体にあざを作る。
これが銃創にならなかったのは、ひとえに強化されたクッションの抵抗によるものに他ならない。
「痛ぁっ!」
「痛いで済んだだけありがたいと思わ、ん……」
唸る風の中、ハインツの叱咤が尻切れとんぼに終わった。
何事かと振り向くサバテの首根っこを押さえつけ、ハインツは彼女に前を向かせた。
「は、ハインツさん、どうしたんですか!?」
「わしの事なんぞ気にせんで前向いとれ!」
サバテはダッシュボードの天板すれすれの位置から前を覗き込むような姿勢でハンドルを握っていた。
前を向いていろと言われたが、やはり気になるものは気になる。彼女にとっては育ての親である、大切な教育担当官の事だ。
顔だけは前を向いたまま、そっと横目でハインツの様子を伺った。無論、街道を真っ直ぐ走っている事は言うまでもない。
「奴が……それほど大量に、弾倉を持っているはずはない。……弾が尽きるまでの、辛抱だぞ」
ハインツはシートに寄りかかるようにしてうずくまり、何故か左手だけでM712の弾倉を交換しようとしていた。
何がどうなっているのか、車内灯がついていないために一見しただけではわからない。
前を向いていろと言われた手前、どうしたんですかと聞くわけにもいかない。仕方なく、彼女は路上に意識を向け直した。
「……掃射がないな。さしもの奴も弾切れか?」
四苦八苦して弾倉を交換したハインツが目を上げ、またしても左手でM712を持ち上げた。その瞬間だった。
「っ!?」
彼の持ち上げた左腕が着脱銃床ごと撃ち抜かれ、鮮血が車内に飛び散った。
銃床は真っ二つに割れ、銃そのものも衝撃でハインツの手から車外へと転げ落ちた。
時速60kmで放り出された機関拳銃は断続的に暴発を起こしながら石畳の上を跳ね、瞬く間に後方へと消え去っていった。
「ハインツさん!」
とっさに、サバテが撃たれたハインツに手を差し伸べた。何ができるわけでもなく、ただの反射的な行動だが、そのタイミングは最悪だった。
街道は緩やかな右カーヴに差し掛かっており、そして彼女が目を離した隙に車は路肩に乗り上げ、フェンダーを街灯に激突させた。
小型車は対処する暇もなく制御不能のスピンに入り、50m近い旋転の後、中央分離帯に車体の右側面をめり込ませる形でようやく停止した。
「う……あ、……ハインツさん……?」
街灯の光がわずかに差し込んではいるが、車内はひどく暗かった。
展開された非常線まではあと1km近くあり、空冷エンジンが立てる金属的な収縮音の他には何も聞こえない。
サバテはハンドルに叩きつけられた額をさすりながらハインツの姿を求めた。
ハインツは両腕から血を流し、瞑目して座席に沈み込んでいた。
「え……? あ……は、ハインツさん!?」
声をかけても、肩を揺すぶっても返事はない。一体どうしたらいいのか、彼女は何も知らなかった。
そして動揺したサバテの背後に、ブーツが石畳を叩く音が近付いてきた。
彼女が振り向くと、果たせるかな、そこにはコントラストの強い、モノクロの人影が街灯の光を浴びて立っていた。
「っ―――」
M712に手を伸ばした瞬間、銃弾がホルスターを撃ち抜き、その中の銃身を叩いた。
「その車を渡せ。抵抗は無意味だ」
その男―――プロトファスマは、抑揚のない声でそれだけ告げると、照準をサバテの額に定めた。
「だ……だめです、わ、私の、仕事は、あ……あなたを止める、事、です」
喉に物がつっかえたような感覚がサバテを襲ったが、彼女はどうにか言葉を継いだ。
男が銃口をわずかに下げ、呟いた。
「仕事というだけで、お前たちは殺し合いができるのか」
「ち―――違います! わ、私は、そんな、殺し合いなんて……」
サバテの声が尻すぼみに小さくなり、そして消えた。
「俺と戦いたくなければ、車を渡せばいい。だがお前は抵抗する気でいる。違うか」
男の声には嘲るような調子すらなく、ただ事実を述べるように淡々としていた。
「だ、だって……そんな、あなたを逃がしたら、また誰かを殺すんでしょう……?」
「ならば、お前は仲間のMAIDを『将来誰かを殺すかもしれない』と言って射殺できるのか」
「で、でも、あなたはMAIDじゃない!」
「お前も人間ではないだろう」
したたかに殴りつけられたかのように、サバテの頭が揺れた。
人間ではない。残酷な、たった一言の事実が彼女の心を抉った。
彼女は形だけの反撃でもしなければと、言葉を必死に組み立てた。
「に……人間じゃなくたって、MAIDは、Gとは違います。私たちは……人間のために存在するはずです」
「お前は、俺が何者か知っているのか」
「MAIDを、その、た……食べてしまったGでしょう?」
「違う」
男は彼女の、いわば教科書通りの答えを一言で切って捨て、微かに自嘲的な調子を滲ませて続けた。
「俺たちはGでもなければMAIDでもない。その中間のどこかに存在する、半端者だ」
「……」
「俺たちには帰るべき場所がない。だから
レギオンなどという寄り合い所帯をでっち上げて、途方もない目的を作り上げる。
人類の根絶が不可能な事くらい、
カ・ガノ・ヴィヂもわかっているはずだ。俺たちは結束のために三文芝居を続けているだけに過ぎない。
……俺たちはか弱い、それのみでは生きてゆけないただのキメラだ。だから、あまりいじめてくれるな」
「だ、だったら、どうして、今日……長官を暗殺しようとなんてしたんですか」
男はやれやれとでも言うように首を振った。
「いい加減な芝居をすれば怪しまれる。馬鹿げた話だが、もはや俺たちは本当に危険を冒さなければ結束を保てない状態にある」
「結束……そんな、そんな事のために、あなたたちは何人殺してきたんですか!?」
「人間も、民族主義と称して同じ事をしている」
「……!」
サバテの脳裏に、いつかのハインツの言葉が蘇った。この国は、移民や少数民族を排斥しているという……。
それが必要な政策だとも知っていたが、結束を保つという彼らの目的と何が違うのかと聞かれても彼女には答えられなかった。
彼女が逡巡している間に、男が銃口を持ち上げた。
「では、車を渡してもらおう。走れないほど壊れてはいまい。……お前より、後ろの人間を狙った方がいいか?」
「え……だ、だめです! ハインツさんは……!」
「よほど親しいらしいな。……その男の命が惜しければ車を渡せ」
「……うう……」
男が銃爪を引いた。銃弾はサイドミラーを撃ち抜き、サバテの動悸に拍車をかけた。
「ひっ……! や……やめてください……」
「もう一度言う、車を渡せ。……無駄話をしたおかげで時間がない。早く渡さなければ二人とも撃ち殺す事になる」
「わ、わかりました、だから、ハインツさんは……」
「その男を早く降ろして、銃を捨てろ」
「は……はい」
渋々、サバテが男の方をしきりに気にしながらハインツの身体を助手席から引っ張り出した。
車体側面が潰れかけているおかげで厄介な作業だったが、それよりも彼の身体が予想よりもかなり軽い事に彼女は驚いた。
腕の出血はほとんど止まっていたが、皺の刻まれた顔は色を失って彼をひどく老け込ませて見せた。
ハインツの肩に腕を回してサバテが車から降りると、男は彼女の背中の骨翼を見て目をすがめた。
「珍しいな、瘴炉か。俺よりもお前の方がよほど化物らしく見える」
「……」
サバテは俯いて答えず、ただホルスターを外してM712を足元に置いた。震える声で訊ねる。
「これで……満足ですか」
「ああ」
男はサバテの胸の真ん中に狙いをつけたまま答えた。
「だが、お前を撃たないとは言わなかった」
サバテが目を見開いてその言葉に反応する前に、男は銃爪を引き絞っていた。
黒いネクタイの中心に穴が開き、サバテはハインツに肩を貸した姿勢のまま、ゆっくりと、仰向けに倒れた。
最終更新:2009年03月15日 02:18