我ら死者と共に

(投稿者:神父)


グ・ローズ・ヌイは腕を引き抜き、周囲を見回した。
周囲の人々は皆、絶望に打ちひしがれているに違いなかった―――と言っても、彼にそれを眺めて楽しむような趣味はない。
何かがおかしい事に気付いたのは、その時だった。
周囲の兵士たちや、先ほどまで彼と文字通り刃を交えていたMAIDは、緊張した面持ちこそすれ、絶望の表情を浮かべてなどいなかった。
彼が不安に駆られ、車内を確認しようと振り返った瞬間、炸裂弾を受けて脆くなった脇腹に銃撃が加えられた。
間欠的に八発、威力は微々たるものだが、適切な位置に加えられた打撃は確実なダメージとなる。

「―――、ベルクマン」
「そうだ」

彼とは反対側のドアを開け、ガスマスクをつけたテオバルトが現れた。
シュタイアーを挟んで、雲を突くようなグ・ローズ・ヌイの巨体を臆した風もなく見上げ、その眼前でP38の弾倉を交換する。
その側頭部には爪が突き込まれた時にガラス片によってつけられたと思しき傷があり、血が流れ出していた。
彼は装面を外し、眼前の巨体と比べれば話にならないほど小さな拳銃を突きつけて宣告した。

「プロトファスマ、個体名グ・ローズ・ヌイ……君を捕獲する。抵抗すればただでは済まんぞ」

建物の裏手からサイドカーがやってくる音を、グ・ローズ・ヌイの聴覚が捉えた。
聞き間違えようもないボクサー音に振り向くと、その銃座には果たせるかな、恐るべき骨切り鋸―――MG42-45Vが鎮座していた。
しかも彼らは、建物の左右から彼を追い詰めるように布陣しつつあった。

「おとなしくお前たちに降ると思うのか」
「グ・ローズ・ヌイ……いや、デスモア、君は我々人間( ・・ )の力をよく知っているはずだ」
「……」
「いかに害虫どもが跋扈しようとも、最後に勝つのは我々人類だ」
「……この距離であれば、お前を殺す事ができる。それも難なく、一撃で、だ」

テオバルトが歯をむき、憤怒の形相を呈した。顎をつたう鮮血にもまるで注意を払っていない。
白い手袋に覆われた手に力がこもり、P38の銃把が軋んだ音を立てた。

「化物ごとき( ・・・ )が、人間を舐めるな。来い、戦ってやる」

グ・ローズ・ヌイが身構えた瞬間、横合いから刃が飛んできた。ドルヒが戦闘短剣の刃先を射出したのだ。
巨大なバリスティックナイフの刃先は金属的な音とともに巨体の首筋に突き刺さり、傷口から微かに瘴気が漏れた。

「―――閣下!」

「ドルヒ、待て―――」と言って振り返った時、テオバルトは彼の計画が崩れた事を知った。
正門から何十人もの男たちが突入してきていた。赤い旗を先頭に押し立てて突撃するところを見るに、共産主義者に違いなかった。
グ・ローズ・ヌイはこの機会を逃さなかった。
彼は目の前のシュタイアーを四本の腕で掴むと、突入してくる共産主義者たちの前に放り込んだ。
興奮し、銃口の向けどころを求めていた彼らにとって、それは格好の獲物だった。
エンジンルームに銃弾が飛び込み、瞬く間にシュタイアーは炎上した。

「応戦しろ、撃て!」
「待て、それよりも奴だ!」
「畜生、火炎瓶が―――」

プロトファスマと共産主義者のどちらに銃口を向けるべきか兵士たちが迷った隙を突いて、彼は再び跳躍して壁を越え、敷地外へと逃げ去った。
MG42-45Vの銃声が慌しくその後を追ったが、もはや手遅れだった。

「……失敗か」

テオバルトは立ち尽くしたまま、炎上するシュタイアーと予想外の防御兵力に遭遇して薙ぎ倒される共産主義者たちを眺めた。
言うまでもなく、平時のSS本部がこのような重防御を敷いているわけはない。
プロトファスマによる襲撃があるという情報があったからこそ、防御態勢を整えていたのだ。

「長官閣下、傷の手当を致しませんと」
「……」
「閣下、申し訳ありません、私がいながら傷を負わせるなど」
「……」

ドルヒは流れ弾でテオバルトが傷つかぬよう銃撃戦と彼の間に割り込んだが、彼はもはや何も気にしてはいないようだった。
彼女はテオバルトの反応を待ったが、彼に答える気がないと見るや、額を拭って傷の手当てを始めた。
間もなく襲撃者たちは鎮圧され、死体がまとめて引きずられていった。
生き残りも殴る蹴るの暴行を受けながら引っ立てられていく。これから取調べにかこつけた拷問を受けるのだろう。
やがて物思いから醒めたのか、テオバルトがぽつりと言った。

「人間の脅威となりうるのは人間だけ……か。なるほど、まったくその通りだ。妨害さえなければ……」
「……閣下、ご気分が優れないようでしたら、すぐに医官を」
「なに、この程度はかすり傷だし、防毒装面のおかげで瘴気にも毒されずに済んだ」
「しかし……」
「まったく、君は私の事となると本当に心配性になるな。
 私よりも兵士たちの安否を気遣ってはどうかね? 彼らこそがわが国の明日を決める要素なのだからな」
「……一兵卒よりも閣下の御身の方が大切です」

ドルヒの言葉に、テオバルトは顔をしかめた。

「私は特別な人間などではない……皇帝陛下すら特別な人間ではないのだ。人類は差異を認めながら、なおかつ平等だ。
 この国を司る独裁制も、他民族排斥も、人種差別も、本来ならばあってはならんものだ……」

彼は力なく首を振り、「だが、この帝国主義の時代にあってはな」と呟いた。

「私にできる事といえば、後ろ指を差される事を覚悟した上で、敷かれた軌条の上を進むだけだ」
「閣下、私はそのような事は致しません、誓って……」
「……」

テオバルトは、無表情でありながら今にも涙をこぼしそうな様子のドルヒを茫洋と眺めた。
毎日顔を合わせていれば、いくら無表情でも内心の様子くらいは読み取れるようになる。
―――彼女たちは兵器なのだ、と彼は自らに言い聞かせた。いずれは使い潰される運命にある、ただの消耗品だ。
そう考えられなければ戦争の大局を司る事などできないし、また司るべきでもない。
だが彼の残り少ない良心は、彼女を慰めないという事は人間としての沽券に係わると主張していた。
結局彼は、「ともかく服がひどい状態だから、隠したまえ」と言って自らの上着をかけてやる事で妥協した。
実際、彼女の服はまったく機能を果たしておらず、乙女の柔肌―――と言うべきかどうかはなはだ疑問だが―――が露わになっていたのである。

「……失礼致しました、閣下」

ドルヒは顔を微かに赤らめ、いささか大きすぎるテオバルトの上着の襟をかき合わせた。
それとは対照的にテオバルトは顔を引き締め、「それからもう一つ」と付け足した。

「今言った事は、単なる気の迷いに過ぎない。誰にも口外してはならん。よいな」
「は……無論です」

車両火災は鎮火され、事態はそれほどの時間も置かず、また親衛隊側に死者や重傷者を出す事なく終息した。
……その後、頭に包帯を巻いて帰ってきた主人を見てベルクマン夫人はたいへん嘆き悲しみ、テオバルトは妻と娘から説教責めに遭わされる事となった。
強大な権力を振るう皇室親衛隊全国指導者と言えど、悲しいかな、私生活においてはごく当たり前の中年男なのである。



最終更新:2009年03月05日 02:07
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