雲の上と下

(投稿者:エルス)



 高度8000mの空を俺は飛んでいた。後ろには三機の二式艦戦と三七式自動砲二挺をぶら下げた茜が飛んでいる。
 風防に顔を押し付けて下を見れば、雪で作った絨毯のように白い雲が一面に広がっている。
 十分程前まで飛んでいた雲の下は酷いものだったというのに、ここは何もかもが関係ないらしい。
 前線空域の偵察飛行なんて下らない任務だなと思う気持ちも、空を飛べればそれで良いと思う気持ちに打ち負かされる。
 目の前に広がるのは青と白、回るプロペラ、唸るエンジン。
 たったそれだけだ。無駄な物は何も無い。有るとすれば機首に付いてるションベン20mmくらいなもんだろう。
 少しにやけると、何かが前方やや下でキラリと光った。それだけじゃない、黒い点が六個ほど。
 フライじゃない、戦闘機だ。ならおかしい、ここらの空域は俺達の基地の飛行隊が受け持ってる。
 今飛んでるのは、俺達だけのはずだ。
 横を見れば、茜が直ぐ横に付いて「行っても良いか?」と視線を送っている。
 すかさず、交戦と認識した場合トップアタックの命令を出し、OKサインを作った。
 茜がコクリと頷き、急上昇し、点になった。
 操縦桿を軽く左右に振り、各機に付いて来いと指令を出す。
 雲の上ギリギリまで急降下し、徐々に近づく黒点に目を凝らす。
 回るプロペラ、デカイ翼、Fw209だろうか?歳もあってか中々に見づらい。
 機首を少し下げ、雲の中に入る。水滴が風防に付着し、機体が少し揺れる。
 視界が真っ白になるが、大した事じゃない。
 タイミングは十分だ。操縦桿を引き、急上昇。
 翼が雲を引き、雲を切る。
 青空が見えたところで反転。
 少し下がれば、所属不明編隊の真後ろに出た。

「シュヴァルムねぇ・・・機種はFw209か」

 俺が呟くと同時に所属不明編隊はシュヴァルムを解き、各機が鳳仙花の種のように散った。
 さっきとは逆に翼を振り、各機散開の指令を出し、右に逃げた一機を追った。
 右へ左へと蛇行するが、とくに何の技も見せてこない。
 狙いをつけようとするが、後ろから攻撃。
 まだまだ遠い所で撃ってる。無視。
 敵を捉えた。
 トリガーを引く。撃つ。
 フラップ、操縦桿を引き、翼に風を当てる。
 機首が上がり、速度が下がる。
 直ぐ横を敵が通過。
 機首を戻す。
 狙いを定める。
 捉えた。
 引く、撃つ。
 離脱。
 状況確認。二機撃墜。
 乗ってた奴は二度と下には立てないだろう。
 他は?あと二機居た筈だ。
 機体を左旋回させ、水平に戻す。
 丁度黒煙が雲に吸い込まれる所だった。
 どっちだ。どっちが堕ちた?
 まだ飛んでいる二機を見ると、人間のシルエットがその横についていた。
 どうやら、全員生き残ってるらしい。
 基地の方向に機首を向ける。
 茜と二式は後ろに付いてくる。
 また翼を左右に振ってやる。付いて来い、家に帰るぞ。
 酒に酔った気分だ。血が温まり、感情が暖かくなる。
 燃料を見る。余裕ってなほど、残ってはいないが、まぁ大丈夫だ。





 着陸態勢に入ると、また緊張しなければならなかった。
 何せ、大雨なもんだから、色々と大変だ。
 滑走路との距離を大体合わせで着陸すると、タイヤが地面を擦れあうゴロゴロと言う震動が身体に伝わった。
 格納庫前まで移動させ、開けたくも無い風防を開け、否応無しに振ってくる雨に追われるように搭乗席から出て、風防を閉めて、屋根のある所に走った。
 と言っても、格納庫前まで来て何処行くんだと言うわけで、否応無しに格納庫に走りこむ。
 そこで煙草を吹かしている整備士の榎本と会った。何時もと変わらずオイルで汚れた灰色のツナギを着ていて、整備帽の横から長めの茶髪がはみ出ている。
 目は赤く充血していて、坂井よりも坂井の二式の方を気にしているようで、じろじろと嘗め回すように見ている。

「俺の二式に何か用か?」
「ん?あ、いや。うん、エンジンの部品を少し弄ったんだけどさ、どうだった」

 紫煙を吸い込むでもなく、ただ火の点いた煙草を咥えているだけの榎本はやる気無さそうに聞いてきた。
 そんなに疲れてるんならさっさと寝ればいいじゃないかと俺は思った。
 そして自分の機体を勝手に弄られていた事に腹が立った。
 でも質問にはちゃんと答える。

「少し回転の最大値が上がってる、気がした」

 でも俺は計器なんて見てないから、実際回転数が上がってるのか下がってるのか分からない。
 命を掛け合った戦いの中でよそ見する馬鹿な奴は、俺の小隊にはいない筈だ。
 俺がそうなんだ。他の奴だってそうだろう。

「そうか、なら良いや」
「で、エンジンの何処を弄った」
「エンジン」

 全く返答になってない。俺は顔をしかめ、煙草を咥える。
 滑走路のほうでは僚機の二式が全部着陸したようで、ジャンパーを着た整備員が次々と雨に打たれに行く。
 榎本を見ると、目を閉じる寸前で、首をコクリコクリと上下させている。
 しょうがないから奥で予備機を整備している整備員を呼んで、榎本の私室と貸している工作室に連れて行くように言った。
 咥えていた煙草に火を点け、ふと不思議に思った。
 茜がまだ降りてきていないのだ。まだ空の上で楽しんでいるのだろうかと思ったが、三七式を二挺もぶら下げたまま飛び回る奴でもない。
 紫煙と空気を吸い込み、溜息と共に紫煙を吐き出すと、茜が格納庫に文字通りに滑り込んだ。
 地上すれすれで翼を羽ばたかせ、綺麗な着地を見せた茜は三七式をその場に置くと、翼を収めず、逆に自分を覆うかのように翼を動かした。
 不思議だ。一体どんな意味があると言うのか。

「何やってんだ茜」
「あのさ坂井、バスタオル持ってない?」
「持ってるわけ無いだろ」
「なら、取ってきてくれないかな?」
「面倒だな、どうしてだ?」
「えぇと、シャツが濡れてさ・・・」

 追憶すると、今日茜が来ていたのは何時もの白いワイシャツだった。
 出撃時には晴れていたのだが、途中から天気が悪くなり、大雨になった所で雲の上に出たのだ。
 つまりだ。茜の今の格好は一部のそういった性癖を持った人間が非常に興奮するような格好になっている、と思われる。
 翼で自分の体を隠そうとしているのも、それで理由が付いた。
 俺は理由も無く恥ずかしくなり、茜から視線を外して相槌を打った。

「あぁ、なるほどな」
「分かってくれたかい?」
「大体分かった。そうだな、俺がお前を負ぶって部屋まで連れてくってのはどうだ」

 少し間があって、茜が渋々と言った調子で了承した。

「それで良いよ」
「了解」

 俺が茜に近づくと、暗褐色の翼を収め、その姿を現した。
 予想通り、白いワイシャツが芯の細い体に張り付いていて、おまけで所々透けている。
 見ているこっちとしても恥ずかしいし、そんな格好になってる方も恥ずかしいだろう。
 出来るだけ茜を見ないようにして、俺は雨の中走る事になった。
 煙草をまた最後まで吸えなかった。


 兵舎にある茜の部屋まで走った俺は部屋の前で茜を降ろし、とりあえず俺の部屋で服を着替えて一服した。
 三本ほど煙草を吸った後、俺は自分の部屋から出て、茜の部屋のドアをノックした。
 四本目の煙草に火を点けながら、俺が言う。

「着替え、終ったか?」

 答えが帰ってくる前にドアが開き、何時もの格好をした茜が出てきた。
 頭の上に白いタオルを乗せている。
 まだ濡れている髪を乾かそうとしているらしい。

「とっくの昔に終った」
「そうか、今から車で出かける。来るか?」
「行く。あと煙草頂戴、切らしてた」

 俺が煙草をやると、図々しくもライターも貸せと言い、茜は煙草を吸い始めた。
 それを見る気も無く、俺は傘二本と車の鍵を貸し出し、基地近くの店に向かって車を走らせた。
 近くと言っても、軽く1時間は掛かる。
 15分もすると、車内には紫煙が立ちこめ、健康に五月蝿い輩なら全力で乗車を拒否するような空間になった。
 車内は雨がガラスを打つ音とエンジン音、そしてタイヤが地面と擦れる音が音楽のように流れている。
 俺が運転をして、茜が隣で暇そうに煙草を吸っていた。
 そこから更に15分が経過すると、煙草を吸い終わった茜が寝息をたて始め、俺も睡魔と闘う事になった。
 規則的に寝息をたてる茜の寝顔は、何時ものものではなく、もっと穏やかで、疲労感がなかった。
 素直に言えば、寝ているときの茜と空を飛んでいるときの茜は、普段とは見違えるくらい、何と言うか、可愛い。
 これは俺だけではなく、俺の小隊員一同共通の意見である。
 目的の店に着いた。
 周りには少数だが民家があり、規模的には村である。
 茜を起こし、店に入ると、何時ものマスターが汚れてもいないコーヒーカップを磨いていた。
 カウンターの前の席に座り、熱いブラックコーヒーとビスケットを注文した。
 まだ眠そうな茜が目を擦りながら俺に聞いてくる。

「そういえば、坂井の二式さ、エンジン音が何時もと違ってたけど」

 なるほど、自分より他人の方が違いに気付くのが早いな。

「あぁ、そうか、それは榎本がエンジンを弄ったから・・・・・・だと思う」
「最後、弱気になってた」
「しょうがないだろ、自覚が無い」
「自分の物なのに」
「そんなもんだ」
「そんなものなの?」
「そんなもんなんだ」

 注文していたコーヒーが出てきた。
 一口飲むと、熱くて苦いのか何なんだか、全然分からなかった。
 熱湯を飲んでいるのと、何ら変わりない。

「とりあえず、今日のFw209だ。エンブレムを見たか?」
「見た」
「編隊は?」
「エントリヒ空軍のシュヴァルム」
「ご名答」

 そこで俺は煙草を咥え、火を点けた。
 茜にも一本やって、その煙草にも火を点けてやった。
 紫煙を吐き、そしてコーヒーを飲む。

「つまりは黒旗、だな」
「僕を狙ってたのかな」
「かもしれん、それかお前の教育担当官の俺かもな」
「どっちにしろ、僕達には関係ない」
「?」俺は意味が分からず首を捻る。「どういう意味だ?」

 そこで茜は此方を見ず、そしてそれが当然の事のように、サラっと言った。

「僕と坂井が堕ちる訳無い」
「あぁ・・・」

 思わず納得してしまった。
 が、間違いは無い。
 俺と茜は堕ちない。
 飛行気乗りはどんな奴でも、大抵自信家だ。
 紫煙を吐き出してから、少し冷めたコーヒーを飲む。


「・・・」



 予想以上に苦かった。
 雲の下で振り続ける雨は当分上がりそうに無かった。



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最終更新:2009年03月23日 00:59
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