籠の中の青い鳥が鳴く夜に 前篇

(投稿者:レナス)


完璧、という言葉が存在する。何一つの欠点を有さず、他者にぐぅの音を吐露する事すらも許さない程に見事である事を示す。
歴史上における偉人、英雄、英傑。それらは伝記として、口伝として後世へと伝えられて行く。
真に偉大なるモノは多くの他者に認められ、囃し立てられ、秩序ある文明の基盤へと組み込まれる。

しかし、それらが必ずしも純粋なる情報として未来へと語り継がれる事はない。
その時代における価値観、人々のエゴ、または不利益を被る存在による都合の良い情報操作によって語られる。完璧という言葉も、始終絶対でなければならない。
常勝不敗たる人物はその生涯を、人生そのもの生まれ落ちたその瞬間より勝ち続けなければならない。そこに誇りが無くば、人生の敗者となる。



ルージア大陸中部に位置する山脈をグレートウォールと呼ぶ。天空を突き、雲海すらも切り裂いて聳え立つ。
北と南を完全に分断し、生物の生活圏すらも二分する山脈。
人々が嘗てから大陸に文明を齎し、繁栄を築きあげる時代には最大の障害とされていた。
しかし現代において、山脈は人類の生存に重要な障害として重宝されているのであった。

遥か南の彼方より現れた未知の生命体「G」。その絶対数は観測する事すらも嘲笑う程の物量で侵略を始めた。
人類の抵抗も虚しく、築き上げ続けた文明は歯止めをくらい、生活圏の半分以上を失った。
隣の大陸でも同様の事態が遂行し、人類の抵抗は滅亡までの刻限をほんの少し延ばすに過ぎなかった。

だが光明は突然であった。M.A.I.D(メード)。体内にエターナルコアなる鉱石を内包した人にして人に在らざる者。
彼らの登場により後退しか許されなかった人類は拮抗する事を許され、やがて反撃の狼煙を上げるまでに至る。
人々は歓喜した。失われたモノを取り戻す為、大切なモノを奪った仇敵を討つ為に。そして何よりも生存を掛けた戦場に漸く足を踏み出せたのだから。

グレートウォール戦線。山脈を背に「G」と戦う最前線。雄大な山脈が天然の城壁と化し、「G」の侵攻を完全に食い止めてくれている。
背後の守りは完璧であり、人類はメードと共に戦線の突破を決して許さない。故に守られる人々は安心し、残された文明を謳歌する。
明確なる犠牲の上に成り立つものであると認知している者が如何ほどかは推し量れるものでは無いが―――。

人類側は常に監視の目を光らせ、「G」の戦線突破を許さない。〝許さない〟。「G」からすれば許される覚えは何一つ存在しない。
彼らは彼らのルールに従っているだけである。コンタクトの取れない種族との話し合いや一方的な意志などで腹が膨れるはずもない。
彼らは人類の戦線などを意識しているか如何かすら不明な存在である。彼らはただ己の有様に従い、生きている。

完璧は、完璧たる所以が存在する。完璧であるが為の努力は人知れず行われている。
完璧なる戦線。グレートウォール戦線より北西の小さな村が、今回の物語の舞台――もしくは喜劇となる。



ある男性の手が食い千切られる。その男性が悲鳴を上げる間もなく、頭が食われた。
子供を抱いた女性が逃げ惑う。否、鬼ごっこにすらならない。その背中より子供ごと串刺しにされてぺろり。
猟銃を持った男達が懸命に応戦する。されど相手には通じない。寧ろ自ら餌になる事を主張するだけだった。

時刻は闇に包まれた夜。月は爛爛と淡く輝き、太陽は漸く深い眠りについたばかり。
逃げる者。抗う者。蹲る者。腰を抜かす者。そして捕食される者。十人十色の阿鼻叫喚を「G」は貪り食らう。
兵士達の間では最も親しみ、最も相対する脅威であるワモン。それらが十数体、何の特徴も無い村に出没した。

グレートウォール戦線は遥か南。決して本物が目の前に現れるはずのない存在が其処に居る。
理由は簡単である。監視を続ける人類の穴を偶然にも突破した「G」がこのワモン達だった話。
そして不運にも彼らの目にこの村が留まった。そして食事を始めたに過ぎない。

最前線に人類の戦力を集中させており、辺境とも言えるこの村に「G」の抗う戦力は存在しない。
馬を使って逃げたとしても、助かるのは数人程度。だが頼みの綱を数体のワモンが既に食い散らかしていた。
馬の嘶きに深夜にも関わらず起こされた人々は不機嫌満面。そしてその表情は絶望へと塗り替えられた。

村人たちの抵抗はワモン達の食事の時間に直結する。前菜は既に終え、メインディッシュは残り僅か。
さあ後は村から逃げたデザートだけ。甘い匂いの残り香を嗅ぎ分け、いざ行かん。

一対の触覚をゆらゆらと揺らし、動く食事の香りを堪能する。振れが止まり、ぴくぴく振れる。
周囲のワモン達も、この村に存在するワモン達全てが同様に触覚を揺らし、動きを止めていた。
廃墟となった村に冷たい風が吹く。獲物の香りを運んで来るが一匹とて反応する者は居ない。

建物に当たる音。大地を撫でる音。草木を泳がせる音。日常的な無音の中に、人には捉える事の叶わぬ音が彼らを留めた。
人が捉えているのだとすればそれは『音色』。単なる音もリズムを取れば立派な音楽となる。
それが一体何を意味するのか。それを聞く人間は存在せず、ワモンが答えてくれる筈もない。

緩やかに。そして一斉に彼らは動き出す。南へ。食事をする事をまるで忘れたかの様にワモン達は移動を開始した。
一体何が彼らを動かしたのかは分からない。少なくとも音色が関係しているのだと、人知れず闇へと葬り去られた。



ワモンが襲撃した村の風上の丘。村全体を見渡せる小高い場所に一人の少女が佇んでいた。
外套を羽織り、一対に結った黒髪が微風に靡く。少女はそれを抑える事もせずに静かに歌い続けていた。
手にし、口に添えている楽器より静かな音色が奏でられる。それはハーモニカのようであり、笛とも取れる音色。

ワモン達の奇行の前触れの音が世界へと放たれている。

「―――」

伏せていた瞼を見開き、空を仰ぐ。三日月でも満月でもない十三夜の月。少女はそれを憂いの瞳で見上げた。
冷たい夜風が頬を撫で、先程起きた悲しい出来事を代弁してくれているかの様に少女は感じた。
「そう自分を責めるな。これでも俺達は急いで駆け付けたんだからよ」

少女が振り返った先に佇む大男。身の丈を遥かに超える長く大きな荷物を背負った男が少女の頭に手を載せた。

「でも、もっと早く気が付いていたらあの村の人々があの子達に襲われる事もなかった。
また悲しい出来事が積み重なって分かり合う為の世界が遠のいて行く。やっぱりそれが悲しいよ」

少女は手にしている楽器の肌を撫で、力無く笑う。男は少し乱暴に添えた手で少女の頭を撫でる。

「マヤ」

男は少女に、マヤの名を呼んで振り向かせる。

「今回の事はもう済んだ話だ。ここであーだこーだと考えても答えなんて出やしねぇ。
あいつ等は此処まで来ちまったのが不運で、あの村人達も運が無かっただけの話よ。
それを俺達がどーのこーのと言っても何にもならねぇのさ。だからよ、気を落とすな。今回はこっちも運が無かっただけで道が無い訳じゃねぇ」

「うん、ありがとう。でもやっぱり運が無かったとか仕方が無かったとかで割り切れないんだ。
ううん。割り切りたくないのかな、私。あの村の人達やあの子達の生きる意味そのものを運命だからと終わらせたくない」

「でもよ、それじゃあ――」

男の言葉を「分かってる」とマヤは遮る。星々の煌きを見据え、彼女は楽器を握り締める。

「蟲と人との争いが世界に満ちている。それを私一人で全部如何にか出来るとは思っていないわ。
けれど私は諦めたくないの。私の家族が死んだ事を『仕方がない』で済ませたくないだけかもしれないけど、でもやってみたいの。自分が何処までやれるのか、を」

男は眼下の少女を見る。自身の頭二つ分にも満たない背丈でありながら少女が抱く細やかで、男の言葉を失わせる意志を示す少女の言葉に男は二の句が告げられない。
その想いがどれ程に非現実的であるか、世界の理に背く願いでも、この少女はそれを貫くのではないかと男は思った。だからこそ、護り甲斐がある。男は自身の高揚を認める。

「あ、そうそう。ディートリヒもちゃんと私の家族だよ」

と思っていると見事に懐の急所へと届く不意打ちの言葉に男は、ディートリヒは一瞬だけ呆け、そして意味を理解して赤面。表現し難い顔をしてそっぽを剥く。

「い、いきなり何を言い出しやがるっ」

「あれっ? 家族、って口に出して反応が無かったから仲間外れにされて拗ねてるのかと思ったんだけど・・・まさか、照れてる?」

くすくすと笑うマヤ。照れ隠しに彼女の頭に添えている手で乱暴気に撫でるディートリヒ。二人はひと時の小さな幸せを噛み締める。

蟲姫と呼ばれる巫女。笛を用いる事で「G」とのコミュニケーションが可能な少女、マヤ。
エントリヒ帝国のBetrayer. エターナルコアを内包した指名手配される男、ディートリヒ。

小さな願いは背負う大きな肩書きの前に、酷く小さなものに見えてしまう。そう、霞む程に。



それは偶然であった。二人がその場を立ち去ろうと振り返る時にマヤの視界に小さな閃光を捉えたのは。

「・・・何、あれ?」

続いてディートリヒが微かな音を聞き取る。耳を澄まさなければ聞き逃していたであろう銃声を。

「――これは銃声だ。それも猟銃なんかじゃねぇ、軍規の物だ。ちっとばかし距離はあるが間違いねぇ」

再度灯る小さな光。ざっと見で数㎞の彼方。音の大きさからも合致する。それ自体に問題は無い。
問題なのは何故軍が何も無い筈の場所に駐留し、発砲しているのかである。真っ先に気が付いたはマヤ。

「――真逆、あの子達を・・・!?」

「かもしれねぇが、軍が来るには早過ぎる。しかもありゃあ少数だ。追手かもしれないぞ。直ぐに此処を離れた方がいいな」

マズルフラッシュと銃声を統合して出した結論は精々二・三人が何かと戦っているという事。
身体能力を強化したメードたるディートリヒもこの距離では推測するしかない。
況してや二人を追う者達の罠だとすれば、決して近づこうという考えを抱いてはならない。急がば回れ。ディートリヒはマヤを担ぎ上げ、逃走の体勢を整える。

「待って、ディートリヒ」

駆け出す寸前にマヤは静止の声を上げた。

「お願い。あそこに私を連れて行って」

指をさす先には先の光の灯る地点。戦いか、罠か。少なくとも近づくという選択肢は愚かであった。

「マヤ、悪いがそれは無理な相談だぞ。あそこに何があるのか分からねぇ。敵かもしれねぇ」

「無茶なお願いなのは分かってる。でもお願い。あそこにあの子達が居るかもしれない。それに――」

光が点滅する地点を明確なる意思を秘めた対の瞳でマヤは見据える。

「確証はないけど、今あそこにいけば私が求めている答えの一端が見付けられるかもしれないの」

「答え・・・?」

「自分でも良く分からないんだけど・・・・・・今あそこに行かないと私は後悔すると思うの。お願い、ディートリヒ」

力強くディートリヒの肌をマヤは握る。屈強な肉体を有する彼の肌に傷は付かないが、覚悟を決めた少女瞳に自然と笑みが大きくなる。

「おーけぃ! だったら思いっ切り飛ばすぜぃ! マヤ、しっかり俺の体にしがみ付いて振り落とされるなよ!?」

「ええっ!」

一歩。踏み出した第一歩により生じた加速により秒速十mを突破。一陣の風となって世界を駆け抜ける。
丘を越え、草原を抜け、森を突き進む。時間にして数分。一㎞を一分以内に走破して辿り着いた樹林の中は村の再現が成されていた。
違いがあるとすれば残骸が残されている事。半ばよりへし折れた針葉樹林。
その身に銃弾を受け、四散したワモンの膨大な血痕、そして無様な姿を晒す死骸の群れ。
その立役者が、最後まで生き残っていたワモンの頭に銃弾を一発放った。

大きな痙攣を数回。小刻みな手足の動きは最後の反射。事切れたワモンを『彼』は足蹴にして捨て置いた。
姿を隠す事なく現場へと辿り着いたディートリヒに顔が向けられる。月光が差し込む先に映えるその瞳は朱色。
何処までも無類無き赤。鮮血の赤。アルビノやオッドアイですら生み出す事が不可能な程に鮮やかな血の色に染まっていた。

「・・・何だお前達は?」

先ず相手からの問い掛け。敵対するでも、警戒するでもない文字通りの問い掛け。ディートリヒはマヤを下ろし、自身の背に隠して答える。

「お前ぇこそ何者だ。こんな森の中で何をしていた?」

「可笑しな事を聞くな。見て分からないのか?」

男は足下の死骸を蹴り上げる。吹き出る血飛沫が辺りに飛び散り、男の服にも付着する。

「敵を殺していた。此処の獲物はもう狩り尽くした。探すなら他を当たれ」

「待って下さい――っ」

そう言って背を向けて立ち去ろうとする男にマヤは声を上げる。
ディートリヒの一歩前に踏み出し、彼女には痛ましい光景を堪えての一声を放った。

「貴方は、何故戦うのですかっ?」

男の足が止まる。そして「・・何故?」と言葉と共に顔だけ振り返る。

「何故、何故だと?――――――決まっている」

銃口が向けられる。放たれた弾丸は死骸の腸を切り裂いた。

「敵だからだ」

言葉だけでなく、行動も加えた答えにマヤは言葉を失う。
人の心を読む力は無いが、少女には他者を認識する優れた直感を有している。故に感じた相手の言葉の真偽が、男の言葉が真実であると理解した。

「・・・逆に聞く」

男が目を細める。深紅の瞳が月の光に反射し、魔性の色に帯びる。

「お前は何だ。人か、それとも―――――「G」か?」

発砲。



「・・・・・・てめぇ、どういうつもりだ?」

深く警戒の色の濃い声色でディートリヒは男に問い掛ける。それは疑問では無く威圧。威圧ではなく最終警告。
彼が今マヤの前に飛び出し、銃弾の軌道を腕で弾き飛ばさなければ確実に彼女の身体を抉っていた。
脆弱な肉体を有する人間が食らえば徒では済まない。正面な医療施設へと容易く駆け込めない身の上もあり、そしてあまりにも軽く大切な人を奪おうとした男の所業に怒り心頭であった。

「貴様こそどういうつもりだ。そいつはただの人間じゃない。
そいつからは濃い『におい』がする。「G」の、敵の臭いが。ならば敵なのは当然だろう」

男の右手に存在する機関銃より連続した光が灯る。秒間数十発の飛来する弾丸に流石のディートリヒも生身で受け続ける訳にはいかない。
故に背負う長大な物に手を掛け、一気に振り回す。それだけで全ての弾が弾き飛ばされた。直撃を受けた棒状の荷物の布が破れる。それを無用とばかりに彼自身が引き千切って投げ捨てた。

露になったでかぶつは鉄の棒。形そのものを表わすのならば剣。だが余りにも大きく幅も厚みもある剣には切れ味など皆無。
ただ目標を粉砕する為の鈍らでしかない。それをディートリヒは片手で振り回した。
斬れずともその大きさと重量による攻撃は脅威である。人間には決して扱える代物では無い。例えディートリヒ程の巨漢でさも。

「貴様もメードであろう、何故その人間を守る? そいつは「G」の、敵側の存在だ。殺さない理由はないだろう」

「ふざけた事をほざくな。マヤは人間だ。少し特別な力を持っているだけの女の子なんだよ。
それだけで敵だと決めつけて、いきなり殺される理由にはならねぇだろうかよ!!!」

次瞬、ディートリヒは男の懐に存在していた。彼が移動したとされる軌跡には光の粒子が舞い、力による加速が見て取れる。
しかし男はそれを認める間もなく巨大な鈍器により薙ぎ払われた。大質量による圧倒的な速度を伴う一撃は人一人を吹き飛ばすには余りにも容易く、只の人間ならば即死しているだろう。

「訂正してもらおうか。マヤは敵じゃねえ。他の誰かより、ほんの少しだけ優しい女の子だとよ・・・!」

大地に突き刺さり、抉り、木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされた男へ向けて巨剣『エッケザックス』で示威する。
粉塵の舞う世界の最中、小さく覗く赤い光。土気色を伴う服装に塗られた男が立ち上がる。
まるで先程の一撃が無かったかの様な佇まい。だが土の霧が晴れた先に覗く左腕は無残に捻じ曲がっていた。

ディートリヒは攻撃した瞬間から解っていた。片腕を犠牲にして最小限の被害に留めていた事を。
ワモンを徒の機関銃で排除出来た事からも判っていた。奴は徒の人間では無い事を。眼前のマヤを殺めようとした男が人間ではない、この程度で終わる程度の相手では無い事を。

「それとも何か、メードになってその程度の分別すらつかなくなったのかよ?!」

男の左腕より流血するは茶色。透明度の高い紅茶の色。赤褐色が基本の、人の血では無い。人の腕を模した偽物、義手。
良く見れば右腕も左と同じく人ではあり得ない光沢を放っている。「G」との戦いによって四肢を失う兵士達の為に仮初の四肢技術が著しく発達している。
しかし戦闘に耐え得るまでには至っていない。況してやディートリヒの一撃に耐える技術など本来の用途に反している。となれば逆説的に答えは求められる。

先の一撃を耐えられるまでも強化されている。エターナルコアによる恩恵によって。

「敵に優しいも分別も必要は、ない」

男からの返答は再度の発砲と共に。

「ああ、そうかい!!」

ディートリヒはマヤへと飛来する銃弾のみを弾き、他は回避する。一挙手一投足により生じる光の粒子。
彼の能力が身体機能を強化し、その副作用として生じている。男にそれを察知するだけの頭や時間は無く、瞬く間に距離を詰められて機関銃が粉砕された。
互いの視線が交わる。巨体であるにも関わらず高い機動性を有するディートリヒ。何一つ成す術が通じず、懐への進入を許してしまった男。
互いにメードでありながらも圧倒的なまでの戦闘能力の差。その答えがディートリヒの左拳。鼻っ面を捉え、男は大きく回転をして吹き飛ばされた。

「だったらてめぇは俺の敵だって事だよな!」

「それで構わん!!」

口の中を切り、吐血をそのままに男がディートリヒを肉薄する。貰った拳を受け流し、完全に敵と認識した男の行動に躊躇は無かった。
火器を失い、武器による戦う術を失った男が取った行動は肉弾戦。

「遅ぇ!!」ディートリヒの眼前に迫る左足。それを受け止め、剣で薙ぐ。男は拉げた左腕を差し出して直撃を防ぐ。

「答えろ! てめぇはエントリヒの回しの者か?!」開いた距離をディートリヒが詰める。剣の一撃は流石に避けられた。カウンターの拳が顔面に迫る。

「それとも――黒旗か!?」首を捻る事で躱し、お返しに頭突きを食らわせる。男も同様の事を行い、鈍く甲高い音が響く。エターナルコアの性能の差か、それとも純粋なる肉付きの違いによって男の方が怯む。

「答えろ!!!」

剣を手放し、空いた右手から繰り出されるストレート。男のストマックへと吸い込まれ、深く抉り込んだ。
胃液を撒き散らし、近くの樹木へとめり込んで墜落する。四肢が痙攣を起こし、男は呼吸もままならない。
ディートリヒは目の前の敗者を見下ろし、剣を構える。この男の生死は完全に彼が握っていた。

「――答えろ。貴様は何者だ。何故こんな所に居た」

「・・・・・・「G」と戦うのに場所が必要だとでも言うつもりか? 奴等は何処にでも居る。何処からでも来る。
俺は奴等が此処に居るのを知った。だから殺しに来た。当然の事だろう?」

無様に口から数多の液体を垂れ流し、さも当然とばかりに、そして常識を知らぬ者を馬鹿にする物言いで返した。

「メードであるなら尚更だ。貴様は敵側のメードの様だがな」

「勝手に人を測るな。此処は最前線から離れた北にある辺鄙な所だ。メードが単独で如何こう出来る所でも、気が付く所でもねぇ。初めから知ってなきゃ出来ねぇ芸当だ」

「それがどうした。メードが「G」を殺す。人が「G」を殺す。敵を殺すのに理由が必要ない」

「質問してんのは俺の方だ。答えろ、誰の入れ知恵で此処に来た」

剣を振り上げる。次の返答次第で男の末路が決まる。だが既に初めからどうなるかは明白。
今にも殺され様としている男の眼光は変わらず、自身の終わりを恐れている様子は無い。それは自信か、壊れているからか。
それを推し量る術をディートリヒは持ち合わせてはいない。未来は決まっていた。彼女の介入がなければ。

「ディートリヒ、待って」

「下がってな、マヤ。こんななりでもこいつは簡単にとんでもない事をしちまうタイプだ」

「話をさせて、お願い。その為に私は彼に会いに来たのだもの」

ディートリヒは視線だけを彼女に向ける。決意を秘めた瞳。彼女は自身を傷つける事を承知していた。

「・・・わかったよ。だがあんまり近づくなよ。何を仕出かすか分かんねぇからよ」

マヤは「ありがとう」と小さく微笑み、彼の横に立つ。目の前の男は人として見るならば事切れる寸前の屍。
メードだからこそ今でも無事で居る。あと半刻もしない内に再び動ける様になるだろう。それ程までに人間とメードは違う。

「私はマヤと申します。私の部族は、貴方がたの言う「G」と会話の出来る存在でした」

男が反応する。目を細め、マヤの言葉の真偽を定めるかの如く鋭くなった。

「そうした立場から、私はあの子達と話をする事が出来ます。だからこそ分かるんです。
あの子達も闇雲に人を襲っているのではありません。そうであると確信を私は抱いています。
分かり合える。分かり合えない筈がありません。私は探しています。人と「G」とが共に生きる道を」

「―――分かり合う、だと・・・?」

男の呟きにマヤは頷く。

「そうです。決して不可能ではな――」

爆笑。男は盛大に笑う。酷く損傷した傷が更に大きく開く事すらも構わないとばかりに。

「あり得ない。ああ、あり得ない!! 奴等と分かり合うだと? あの災厄と? 敵と?」

「・・・どうして、そう思うのですか?」

初めから分かっていた。この男が彼女の言葉を全否定する事を。この先の言葉を紡ぐ為に歯を食い縛る。

「あの子達と人は傷つけ合いました。これ以上傷を深めれば、どちらかが倒れるまで戦うしかない。もしくは――」

「どっちも滅びれば良い」

絶句。この男はその言葉に意味を、行く末の理解しているのか。それとも正気を逸しているのか。

「どっちかが滅びれば生き残った方が勝つ。どちらも滅びればそれまでの話だ。女、奴等と話せるらしいな。
だったら分かるだろ? 奴等が何を考えているのかを。俺は知っている。奴等は俺達を餌としか見ていない。
餌として喰らう為に俺達を襲う。喰らう為に襲いに来る。餌が命乞いをしたから見逃して、それで腹が膨れるか?
況してやそんな事を考えるだけの頭が奴等には無い。だから戦う。どちらかが滅びるまで」

「貴方はそれで構わないのですか、自身の命が食われても?」

「構わない」即答であった。

「ああ、構わない。奴等を一匹でも道連れに出来るのならばこの命、惜しくは無い。
元より奴等を一匹でも多く殺す為にこの身は存在する。その為の力を俺は手にしている。
貴様が奴等と慣れ合うのならば好きにすればいい。だがな、」

殺意を伴う瞳。爛爛と輝く必殺の眼光に一般人と差異のないマヤが耐えられる筈も無く、立ち竦む。

「邪魔をすれば殺す」

男の体が跳ね上がる。四肢による動きでは無い。瞬時にディートリヒですら見上げる程に高く、そして一瞬だった
。男は幹を蹴り、ディートリヒへと襲い掛かる。マヤを狙っても阻止される。それは既に先程証明されている。
だからこそ男は先に障害の排除を優先した。例えその奇襲が容易く迎撃されたとしても。男の拳は受け止められ、掴まれた末に眼前の幹へと叩きつけられた。

無駄な抵抗。悪足掻き。ディートリヒはそう考えようとして否定する。
男は掴まれている腕をそのまま掴み返す。強く掴み、引き寄せる。滞空している男の力など高が知れているはずが引き寄せられる。
思いの他強い力にディートリヒは驚愕しつつも踏ん張る。男の何かしらの能力かと思うも束の間、男が口を大きく開いた瞬間に背筋に走る寒気が走った。

「てめぇ・・・っ!」

剣の刃に男の牙が挟まっている。咄嗟に刃を突き出し、意図的に噛ませた。その瞬間刃と歯の交差する点で火花が生じた。
振り解こうにも男の顎の力は凄まじく、微動だにしない。これが男の狙い通りにディートリヒの腕に食い込んでいれば大怪我では済まなかっただろう。
もしかすればワモンの殻を食い破るだけの顎の力を有しているのかもしれない。故に気が付く。この男の言葉の意味を、この男の言葉の重みを。

「てめぇは一体何者だ!?」

剣を大地に叩きつける。男はその前に噛み付きを解き、着地と同時に加速。再度ディートリヒを肉薄する。
迎撃は容易い。本当に容易い。本当にメードであるのかと疑いたくなる程に。そして同時に焦りも感じていた。
今はただ予感でしかない。しかしそれが真実となれば覚悟をする必要がある。

殺す覚悟が。絶対的に殺す意思が。


ルーリエという、ディートリヒとマヤが名を知らぬ男のメードを葬る未来を背負う覚悟が。




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最終更新:2009年04月02日 21:47
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