Chapter 1 :鐘の音

(投稿者:Cet)



 ……世暦1947年のことである。
 アルトメリア連邦東部の小村で、一人の男性が死亡しているのが見つけられた。
 彼は身分証明にIDを所持しており、その身元はすぐに知れた。
『ジェームズ・ヴァン・フォッカー』と呼ばれる人物は、エントリヒ軍に所属する諜報員であり、その一年程前から行方知れずとなっていた。
 エントリヒ皇室親衛隊は、彼の除籍理由を死亡とだけ定め、処理した。

 情報戦略課は既に無くなってしまった、私は以前と変わらず情報の処理、収集を続けている。それがいなくなってしまった彼らの理由を、突き止める手段になるはずだと、そう思っている。
 しかしここ一年というものはそれどころではなく、とにかく身を潜める場所を探すことに追われた。そうして私は今とあるオフィスの一室でタイプライターを打っている。
 一体何が起こったのか、私には想像が付かない。
 しかしそれは今からの調査や、回想録にまとめたところの情報を参照し続けることで、明らかになっていくはずだ。
 しかし集められる情報というものは非常に限られている。
 何故なら、私たちは人々の記憶に存在してはいけない者なのだから。



「情報戦略課って、何の為に作られたんですか?」
 ファイルヘンは袖のボタンを留めながら言った。ん? と気だるげに声をあげるのはクナーベだ。
「さあね……、課長の提案が元になったとは聞いているけど」
「元々はただの皇室親衛隊員であった彼が、創設のきっかけを作った」
「まあ俺に分かるのはそれくらいだよ」
 彼は新聞を折りたたみながら、背後に立つファイルヘンに声をかけた。
「何か釈然としませんけど」
「そうは言ってもなあ、何だかんだで俺たちはやっていけてるんだから、別に構わないんじゃないの?」
「それが情報員たる人間の言葉と思うと、落胆してしまいます……」
 はあ、と溜息を吐くファイルヘンに。クナーベは笑いかける。
「まあ、全くなんだけど。俺もそのことが気にならないことはなかった、ただ従属するようにこの課に入れられて……、それでも自分の存在する意義については考えたさ」
「それで、何か結論を得たんですか?」
「俺は、とりあえずここに居続けるのが一番ってこと」
「もう」
 はは、と笑いながら振り返るクナーベが、ファイルヘンの手を取り、軽くキスをする。ファイルヘンの白い頬に朱が差す。
「悪くないよ」
「いたずらっ子……」
 困ったように、ファイルヘンはソファに座る彼の背中に寄りかかった。
 その時、ノックの音色が響いた。ファイルヘンが慌てて立ちあがる。クナーベが落ち着いた様子ドアの方を見遣って、少しすると立ちあがった。
 歩いて行くと、ドアノブを捻り、開ける。視線の先には、茶色の髪を肩程までに延ばした男が立っていた。クナーベよりも随分と長身である。
「ローテさん、何です?」
「やあいい御身分だね、と。昼間っから何やってるんだい?」
「野暮なことを聞きなさる」
 パスカル・ローテがニヤリと笑う。
「課長がお呼びだよ」
「了解」
 ローテは部屋の中に佇む、ファイルヘンの姿を一瞥した。彼女は部屋の隅へと、落ち着かないように視線を遣っていた。
「可愛いのを捕まえたもんだ」
「私たちはお互いに仲が良いんです、猟で捕えた関係じゃない」
「なるほど」
 口笛を一つ吹いて、ローテはようやく歩み去っていった。
 やれやれ、とクナーベが呆れを示す。振り返るとファイルヘンを見遣った。
「という訳で俺は課長のところに行ってくるけど、ファイルヘンは?」
「……私室に戻って、休みます」
「それがいい、じゃあ鍵を閉めるから、こっちに」
 クナーベの言葉に、ファイルヘンは頷いてこちらへと歩み寄る。どこか覚束ない足取りだった。
 クナーベが笑いかけると、ファイルヘンも、照れたように微笑んだ。

「失礼します」
 クナーベがフォッカーの仕事部屋に入ると、そこには何時もどおり窓はなく、そして二人の女性が傍らに付き従っているのが覗えた。
「やあクナーベ、座って」
「はい、課長……いや椅子が無いんですって」
「引っかかったね」
 にこり、と表情を崩す。
「久しぶりだったもので」
「仕事が務まらないよ」
「はは」
 割に一本取られた形で、クナーベは笑った。苦笑といってもいいだろう。
 それからフォッカーは視線を下にやって、少しの間黙っていた。
「さて、今回の件は他でもない。君に知らせることから始まるんだ」
「というと、課長の発案なんですか?」
「いや、正確には、フレデリカのね」
「彼女が」
 意外そうな表情で言うクナーベに、フォッカーは頷く。
「そしてこれは、十年以上前にあった発案なんだ。聞いてくれないか」
「え、ええ」
 クナーベは珍しく堅い表情をして、頷く。
「情報戦略課を解体する」
「……して、どうするんですか?」
「私たちは国外に逃亡する。どうだい」
「本気で言っているのなら、私は反対しますが……」
「そう言うだろうと思った」
 クナーベはフォッカーの両隣に立ち竦んでいる、表情の茫洋とした二人の少女に目を遣った。彼女らの役割は、フォッカーの護衛である。どれほどの権限があるのかは知れないが、少なくとも今から彼女らが何をしようが、それをクナーベが対処することは難しそうだった。
「私にはね、一つ願いがあるんだ」
「課長」
「それは、まあ私の身近な人物が健やかで居続ける、そういうことなんだよ。その為には、この世界で居続けるという訳にはいかない。そうは思わないかい?」
「何を言っているのか……さっぱり」
 事実上の謀反を訴えるフォッカーに、クナーベは表情を凍らせていた。
「そして、今がその時なんだ」
「……国外逃亡」
「そう、ただ一部の人間はここに残り、皆が一緒にいるということは叶わないだろうけど。それでも私はこのことには大きな意味があると思う」
 目を微かに閉じて、フォッカーは語った。
「……フレデリカがそれを言ったんですか?」
「そうだよ」
 フォッカーはこともなげに言う。
「情報戦略課は、その為に作られたんだ」


最終更新:2009年07月26日 15:19
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