(投稿者:怨是)
ルージア大陸国際法廷は、数百人余りの人間達で埋め尽くされていた。
その中心で、被告の王立新聞社と原告の
帝都栄光新聞社が向かい合っている。
裁判官や弁護団体が何やら会話をしているが、
マーヴは耳を閉ざしてそれらを弾いた。
――1945年2月14日。
あの黒装束を目にした出撃から丁度一ヶ月が経過し、マーヴは法廷に出向く回数が増えた。
紆余曲折あってマーヴは担当官のジラルド・エヴァンスと共に重要参考人として法廷へ駆り出され、事の成り行きを見守る身となったのだ。
何故かと云えば、
グリーデル王国の王立新聞が帝国側の新聞記事を盗用したのである。
記述の
ジークフリートの部分をマーヴに書き換え、整合性を保つ為に描写もある程度書き換えて発行した新聞。
それぞれの新聞を互いに翻訳すると、見事に文章の構成が見事に一致する。
真似をするにしたって、せめて形容詞の使い方くらいは変えても良かったであろうに。
マーヴは自分自身の基準では至極真面目に戦闘に取り組んだつもりであった。
にも関わらず辿り着いたのがこの仕打ちとは。上層部の無思慮な自己顕示欲が招いた結果ではないか。
傍聴席からフラッシュを焚く音が聞こえてくる。他の新聞記者達だ。
そうして“恥知らずなMAIDが居た”と世界中に報道されるのだろう。
ある角度で考えれば悪い気はしない。技術屋連中の思惑通りに事が進んでいたら、恐らく彼らは有頂天になる。
更なる増長によって二進も三進も行かぬ状況に陥る事を考えると、幾分かマシな展開である。
英才教育と称して様々な知識を注ぎ込まれたマーヴとて、この裁判がこの後どう運ぶかを予想できなかった。
今まで、教育者達は一様に偏向した教育内容を叩き込んできた。関係者ではない人々の話と明らかに食い違うというのが理解できるほどに。
人と人の戦争は今現在に於いても起きている。王国と帝国は今、互いの面子を守るべく戦っている。
その面目を守るべき価値をマーヴは見出せないが、上の身分の人々にとっては死活問題なのだろう。
全く以って退屈だ。早いところ抜け出して、昼寝の一つでも決め込んでしまいたい。
逡巡を終える頃には重要参考人の
一人であるジラルドが、マーヴに代わって弁解を述べていた。
弁護側とも話を合わせていたのだろうか。実にスマートに嘘を吐いているように感じられる。
「今回の件、つまりジークフリートの標的に攻撃を加えたのはやむを得ぬ事情であり……」
「いいえ、我々の指示ではありません」
実の所、この裁判は泥沼化して久しい。別件も絡んでいるのだ。
あと一週間で
EARTHのMAID研究機関主導により、グリーデル王国にて“Frontier of MAID”なる国際MAID展示会が開催される。
その前準備を着々と進めてきた矢先に、この盗作事件が起きてしまった。帝都栄光新聞が王立新聞の盗作をどのようにして嗅ぎ付けたのかは知らない。
が、この事件によって各国の報道機関はざわめき、スポンサー達も手を引いてしまおうかと顔を見合わせているらしいのだ。
「――本日はこれにて閉廷!」
これで何度目の宣言だろう。ほぼ一週間に一度は聞いている。
誰もがこのペースが異常であると知っているが、口に出そうとは考えていない。
皆、Frontier of MAIDの開催日までに何とか決着を付けたいのだ。
マーヴの自室はひんやりとしつつも安心できる空間だった。
裁判で荒んだ気分を少しだけ、気休め程度ではあるが和らげてくれる。
ベッドに腰掛け、溜め息混じりに両手の平を覗き込む。
「……」
再び、そして今度は苛立たしげに短く嘆息する。
誰が為のこの身体か。誰が為のこの両手、両足か。誰が為のこの双眸、誰が為のこの魂か!
生まれてこの方、不自由を感じずに物事を考えられたためしが無い。
思考を回転させるたびにジラルドを含む“家族”の面々が、それも熱の篭った表情が浮かんでくる。
「馬鹿馬鹿しいったらありゃしないよ」
生まれながらのエースである事を望まれ、奇跡を起こす事を義務付けられた。
それを確認させられる度に、胸中に錆びた楔が打ち込まれる。
いつの日からか、戦果を稼ぐために他人を囮にし、物影から獲物を奪うようになった。
ジラルド達はその行為そのものは咎めるどころか口にも出さず「まだ戦果が足りない」と激を飛ばした。
マーヴが周囲から“空のハイエナ”と呼ばれようとも、彼らは弱者の僻みとしてそれを切り捨てているようだった。
彼女に対して聞こえよがしに浴びせられる陰口の数々も、ジラルドはその度に「あれは無視しろ」と視線を寄越した。
『マーヴっていつも男を侍らしてさ、調子に乗ってるよね』
『あんなパッとしない技術者なんて男のうちに入らないじゃん』
『っていうか技術者さん達も可哀相だよ。あいつ人の獲物横取りしてばっかで真面目に戦おうとしないし』
『叩き上げのMAIDとかを馬鹿にしてるらしいよ。あれじゃあ男が寄り付かないとか云って。失礼しちゃうよねー』
などなど。挙げれば枚挙に暇が無い。これで隣を歩く男がもう少しいい男であれば少しは救われた。
しかしながら、ジラルドは確かに容姿端整だが、性格に問題がありすぎるのだ。
マーヴは別に無関係なMAIDを表立って侮辱するような真似はしない。が、ジラルドの場合はそうではなかった。
直接的な表現こそ無いものの、何かと他のMAIDを引き合いに出してはマーヴの優位性を主張する。技術者達も同じく。
周囲のMAIDからは、マーヴがそういう入れ知恵をしたと思っているのだから、自尊心は削れるばかりだ。
そして今回の記事盗用事件である。もはや自尊心は雀の涙程も残ってなど居ない。
「……浮いた話が多いのは否定しないさ」
机の上に置かれた手紙に目を遣る。
かの熱烈な技術者
レイ・ヘンラインが数枚に分けて送った手紙だった。
それぞれの手紙の裏に、アルファベットと数字が書かれている。
1-u |
1-w |
1-y |
2-i |
2-o |
2-s |
3-e |
3-n |
3-u |
4-g |
4-r |
|
下書きの際に使ったページ番号なのだろうか、と手紙を貰った当初は思ったものだ。それにしてはあまりに不自然な文字列だ。
先日、いぶかしげに封筒の裏側を捲ってみると“手紙の内容に沿って並べ替えろ”と書いてあったのを見つけた。
手紙は、よく見ると解りやすい話題をそれぞれの手紙の最初と最後の段落に入れてある。
それで並べ替えたところ“Use your wing”となった事までは覚えていた。
「まぁ、そこまでは解るけどねぇ」
ドア越しに誰も居ない事を確認し、ルーペのように翼を目に当てて読んでみるも、特に変化は無かった。
かといって誰かに相談してよい内容でもない気はしていたのだ。
こういった手の込んだ悪戯というのは、得てして秘密にしておくべき類のものである。
どうやらレイ・ヘンラインはマーヴが誰かの手を借りようとしない、および借りられる状況に無い事を知っているらしい。
なるほど、一流の技術者の観察眼は伊達ではない。少しばかりの苛立ちを感心に含ませる程度には、彼は優れた目をしているようだ。
「炙り出してみ……ァん?」
ビンゴとでも云うべき成果が、そこにはあった。
コアエネルギーに反応したのか、手紙から別の文字が浮かび上がる。
「確かにこれは誰かに相談すべき内容じゃないねぇ」
簡潔に表現すると、いわゆる引き抜きである。
それも、かの黒旗からだ。
こういうお誘いも悪くはない。関係者達との確執に嫌気が差していたマーヴにとってはまさしく渡りに船であり、助け舟だった。
「どのガラスの靴を持って行ってやろうか」
魔女様か誰かは確然としないが、この哀れなシンデレラめを迎えに来てくれる。
焼けた靴を、ジラルドらに履かせてやる事ができる。それを考えるだけで心が躍るというものだ。
ただ、抜け出すにあたって先立つものが必要となる。
金に関しては常に持ち歩いているので問題ない。この場合に持って行くべきガラスの靴とは、武器だ。
使い慣れている武器を持って行かずして、脱走は成り立たぬ。
タイミングに関しては手紙に記されている。
当日の15:00に、花火は打ち鳴らされるらしい。
その際に手紙をチケット代わりにレイに手渡せば、あとは馬車が迎えに来るという算段だ。
予定の前後があったとしても、要するにレイに手紙を渡しさえすれば良い。
彼はアルトメリアからはるばる展示場にやってくる上に、こちらの顔を知っているという。
開催前の下準備、そして従業員の休憩時間を狙って接触すればそう難しい問題ではないのだ。
黒旗の活動内容が本当はどのようなもであるかも、手紙が教えてくれた。
彼らは傲岸不遜な殺戮者ではなく、この世の不正に鉄槌を下す為に戦っているらしい。
こちらが学んできた情報とは随分と内容が違った。
両者の情報のどちらが正しいのかは現時点では判然としない。
が、完全な客観性を持った情報など何処にも存在しない事を、マーヴ自身がよく解っている。
誰かから発信された時点で発信者の意図によって伝えるべき部分とそうでない部分とに、ふるいに掛けられているのだ。
そして受け取り手の側でも、無意識のうちに都合の良い情報だけをうまく切り取って飲み込む。
生けとし生けるものが心を持つ以上、これは必然である。
それらを踏まえつつ、マーヴは胸中でレイ・ヘンラインを品定めする。
全てを鵜呑みにはできないが、嘘をついているとも思えない。
この男となら三日に一度寝るだけの価値はあるのではないだろうか。
再度、ドア越しに誰も居ない事を確認する。
その後の溜め息は、安堵によるものだ。
最終更新:2009年09月14日 12:07