Chapter 4-3 : 力への意志

(投稿者:怨是)



 Apr.15/1945


 ……戦いは、もう私の中では当然のものとなって、日常の一つと化している。
 無感動に、無関心に敵を屠り、どれくらい斃したのだろうかと、今ので何匹目になるだろうかと頭の中で計算する。

 そんな私にとって、ザハーラは云わば試練の場だった。
 今まで培ってきた戦闘技術を試す。どれだけ強くなれたか、それだけ冷静になれるか。

 しかし、この試練は殆ど不合格と云っても良いものだった。
 ザハーラで初めてスポーンと呼ばれる変異型Gと戦った時には流石に焦りを覚え、手元を狂わせてしまった。
 その時派遣されてきていた友軍のMAID達の援護が無かったら、私は今頃、重傷を負っていたかもしれない。
 むしろそのほうが良かった。重傷を負っていたなら、己の慢心をその身を以って実感できていただろうから。

 ザハーラという激戦区で戦ってきたMAIDは考え方が大きく変わるのだと、前線で補給を取っていた時に兵士達が話していた。
 では私は、何か一つでも自分を変える事ができたのだろうか。
 答えは否だ。何も変わってはいない。

 帰国して直ぐに読んだ新聞には私を賞賛する言葉がつらつらと書き連ねられていたが、あれを変えられるだけの強さが、まだ私には無い。
 華々しい報道なんて要らない。私はただ平穏に、他のMAID達と肩を並べて戦って、笑い合いたいだけだ。
 どうすればあれを変えられる? 私はあの新聞をどうすればいい?
 新聞社を直接襲うという事も考えたが、仮にも国民的英雄などという肩書きを背負っている以上、そんな乱暴を働けば多くの人が困惑するだろう。
 軽はずみな行動でみんなに迷惑を掛けたくない。
 かといってこれを陛下に相談すればきっと陛下は悲しまれると思い、私は陛下にもこれを伝えずに今まで黙ってきている。
 友人達にも、こればかりはどうすれば良いか解らないから相談していない。

 あの新聞を変えられるだけの何か特別な“力”を手に入れたら、私は他のMAIDを傷つけずに済む筈なのに。




 1945年4月16日、13時過ぎ。
 ジークフリートは自室にて、赤い表紙に銀と黒の箔押しの日記帳を眺めていた。
 一度はペンを握ったが、結局は昨日の分の日記を読むだけに留めた。想像以上にザハーラ遠征での疲れがひどく、思うように筆が進まないためだ。それに、今のこの精神状態で書き連ねれば自己弁護ばかりになってしまうかもしれないという懸念があった。
 己の過失が原因であの新聞をのさばらせたのなら、己の力だけで解決するというのが筋の通し方というものではなかろうか。……という事をうっかり誰かに、特にメディシススィルトネートに口にしようものならきっとまた「少しは頼れ」などと咎められるのだろう。ただ、その言葉も理論的には理解できるが、感情がそれを許さないのだ。

 こうまで自責的な性格を持つに至ったのには理由がある筈だが、ジークにその要因を探るだけの勇気は無い。
 他人に対し責任を求める事がどれ程に恐ろしいか。一度、誰かを責める事を知ってしまえば、その先の生涯も誰かに責任を押し付ける事に慣れてしまい、自らの責任感を放棄し続けてしまうに違いないのだと、胸に鎮座するコアが囁いている。このような複雑にねじれた思考も、結局は己の怠慢が招いたものではないか。

 ジークは、ザハーラの戦場で兵士から貰った金属製のウィスキーボトルを手に取る。涙を流さぬようになって久しいが、今度はこのボトルに映っているように、苦渋に顔を歪ませたような、ひどく険しい表情になる事が多くなった。こんな形相では他者を恐怖させるばかりだ。

「何も変えられていないのか、結局……」

 ボトルを一気にあおり、空になったそのボトルを壁に叩き付けた。わなわなと震える袖で、口から垂れたウィスキーを拭った。
 ――もしかするとこの口からこぼれたウィスキーこそが、私の涙の代わりだろうか。だとすれば随分と荒んでしまったものだ。一年前は社交の席でワインを口にする事も躊躇われたというのに。
 壁を凝視しながら物思いに耽っていると、ノックと共に一人のMAIDが「失礼します」と、遠慮がちにドアを開けて覗き込んできた。

「……何の御用でしょうか」

 視線をそちらに遣るや否や、MAIDの両肩がビクリと跳ね上がった。ジークはまたも自分が“あの顔”をしているという実感に、心中で驚嘆した。
 MAIDはジークの足元に転がったボトルに目を遣って、「いえ、大きな音がしたので、何事かと……」と愛想笑いを浮かべた。

「心配は要りません……ご迷惑をお掛けしました」

 ジークは急いで顔を逸らし、MAIDの緊張を和らげようと努めるが、

「ひっ、いえ、こちらこそ、出過ぎた真似をお詫びせねばなりません! 嗚呼、どうか、どうかお許しください、私はただ――……」

 逆に彼女はこの様子を見て『自分の言動がジークフリートの気に障った』と思ったらしい。しきりに何か謝罪の言葉を羅列している。こういう時、どういった表情をすれば良いかは解っている。笑えば良い。が、固く結んだこの口元は、はたしてどのように綻ばせていたのだろうか。

「私は、大丈夫。気にしていません」

 結局は無表情のまま、MAIDを慰める。が、この顔もまた、目の前の彼女にとっては畏怖すべきものに見えてしまっているのだろう。

「寛大な御心、何とお答えすべきか……!」

「いつも通り、この部屋に入ってくる前にしようとしていた別の事を、やればいいと思います」

「は、では、ジークフリート様のお部屋の前の廊下を綺麗にしようとしていたところでしたので、これにて失礼いたします! ジークハイル、ハイル・エントリヒ!」

 そう云って、MAIDは敬礼した後にそそくさと立ち去ってしまった。
 こんな事ばかりだ。誰もがこちらの機嫌を伺い、こちらの顔を見る度に慌てふためき、ご機嫌取りに躍起になる。誰もが、ジークを『畏怖の対象』と認識している。個々人の意識レベルならまだ良かった。絶望すべきは、一部の構成員達がそのご機嫌取りを他者に強制しているという状況だ。不機嫌には相違ないが、それも自分のせいであって、誰かに嫌な仕打ちを受けたわけではない。

「……」

 鏡の前に立ち、両手で口元をどうにか上へと上げようと試みるも、手を離した途端に口はいつもの形へと戻り、眉間の皺が再び深々と刻まれるだけだった。
 考えてみれば、それは当然の事だ。心の底で笑えていた時間は、概算で一年分にも満たない。「忘れた」などと云う以前に、殆ど知らないも同然だったのだ。酒の勢いを借りたところで、既に土台から破綻しているのだから、無理なものは無理だ。

「この顔のせいで、私は……」

 陰鬱な眼差しで鏡を見据え、拳で叩き割る。飛び散ったガラスの破片が手の甲に刺さるが、知った事か。どうせこの鏡は自分以外の誰も見ず、この部屋も誰かが足を踏み入れる事など無いのだ。もう二度と、鏡など見てやるものか。
 そんな事よりもっと大切な問題が目の前に立ち塞がっているのだから、今はそれだけを考えていれば良い筈なのだ。後は、いかにしてその解決方法を他者――特にスィルトネートとメディシスに悟られぬよう考え付き、実行するか。それに掛かっている。アルコールが神経を掻き乱している間だからこそ、何か面白い奇策が思い付くかもしれない。




 同時刻、メディシスは先日の公約どおりスィルトネートを買い物に連れて行き、その帰路についていた。
 メディシスは疲弊しきった表情を浮かべ、片やスィルトネートは時折所在なさげな眼差しでこちらを伺う。

「見通しが甘かった。あの店員め……結局三着も買わされた。わたくしの分は別に要らないのに」

「完全にジークの誕生日プレゼントを買うという前提で接客されましたね。折半で買ったから、そこまで痛い出費じゃなかったけど」

「というかあの店員、何故ジークのスリーサイズをご存知なのか」

 メディシスとしては、ふと浮かんだ素朴な疑問を口にしただけだったが、比較的ウブな部類のスィルトネートにはそれをいかがわしい何かだと感じたらしい。彼女は赤面しながら、もじもじとした仕草で両手の人差し指を付けたり離したりしていた。

「ほら、その……下着のお店ですし」

「何を今更恥らってる。どんだけ免疫無いんだ全く。そもそもですね、既に買ってあるとでも云っておけばあんな接客はされなかったでしょうが」

 件の店員の接客態度も、「出来れば買って頂けると」などといった生易しいものではなく、「もちろん買いますよね」という言外の強制を伴っていた。流石にジークとお揃いの下着を買わされる事だけはやんわりと拒否した――表面上は「ジークとお揃いだなんてわたくし達のような卑しいMAIDにはおこがましい行為ですわ」と、この上ない笑顔で繕ったものの、メディの本心はもちろん違う――が、あの店員があれで納得するとは思えない。買うのが当然という考えが帝都全域にまかり通っているのだ。
 スィルトはその酷い接客の憂き目に遭ってもなお、ばつの悪いといった風の曖昧な笑みで遠くを見ている。

「だって正直に云わないと悪いかなって思って……あはは」

「ああいうのは適当にあしらっておくのが定石ですわ」

「無理ですよ、どんな店員でも、私にとっては大切な国民です。彼女達だって生活がかかっているわけですし」

「ふーん。殊勝な心がけ、恐れ入りますわ」

 どこまでが心にも無い言葉なのか当ててやろうか、この馬鹿騎士め。

「ひょっとして私のことバカにしてるでしょ」

「考え過ぎではありませんこと? わたくしは別に――」

 と云いかけたところで、自転車のブレーキ音と同時に、中年男性のものと思われる野太い罵声がメディシス達の背を冷やした。

「オイこら! お前ェら、そこをどけ!」

「あら、ごめんあそばせ」

 驚いて振り向くと、口ひげと赤いハットの目立つ、そこそこ横幅の広い中年男性がこちらを睨んでおり、その隣には二十代後半と思しき男性が無表情なまま遠くを見ていた。若い男の無表情の理由をメディは知る由も無いが、赤ハットの中年のほうはひどく機嫌を損ねているようで、自転車の上からこちらを指差して怒鳴り散らす。

「MAIDだからって調子こきやがって。俺達ゃ急いでんだ。横に並んで歩かれると邪魔で邪魔で仕方ねぇ!」

「ですけど、縦に並んでおしゃべりというのも何だかおかしな光景ではありません?」

「知らねぇよ! ちったぁ後ろから来る人の事を考えやがれ! ここは道が狭いんだからよ、下手こいてテメーのそのバカでけぇ髪の毛に引っ掛けたら大惨事だろうがよ!」

 女の命とも云える髪をそんな粗末な自転車に引っ掛けられるのは、確かに大事故だ。だが、ベルを鳴らすなりしてくれれば避けようはあるのだから、そこまで怒鳴らなくても良いではないか。……などとメディが顔をしかめていると、先程まで遠くを見ていた若い男のほうがようやく口を開く。

「ミスター、その辺にしてやってくれ。ところで君達はMAIDだな?」

 おもむろに質問され、メディはスィルトと顔を見合わせる。少し間を置いてから、スィルトが応じた。

「え、えぇ、そうです」

「そうか! なら、この写真の女を知らないか? クロッセル連合空軍に所属していた、マーヴという名前の空戦MAIDなんだが」

 突如として若い男の表情が生気を帯び、懐から写真を取り出してスィルトとメディに交互に見せる。この男が虚ろな態度をとっていたのは、マーヴとやらについて考え事をしていたせいだろう。しかし、残念ながら隣に立つスィルトは知らないようで、しきりに首をかしげている。

「うーん……ごめんなさい。会った事はないです」

 青年はその言葉を聞いて、ひどく落胆した。
 さて、ここからがマルチタレントの本領発揮だ。前座の不備を本命が補う。これぞメディシス流。メディシスは(ねぎら)いの意味を込めてスィルトの肩を軽く叩き、口を挟む。

「新聞に載っていたMAIDですわね。確か、タイフーン計画の? 一時期よく耳にしましたわ」

 メディシスはこのマーヴやタイフーン計画について、戦果の横取りや記事盗用問題などの噂を、フロレンツ領事館へ訪れた客から山ほど聞いている。メディは彼女についてあまり良い話を聞かなかったが、それでもこの男は多少なりともタイフーン計画について知っている事が嬉しいようで、目を輝かせて食いついてきた。

「その通り。私は彼女が消息を絶った責任を取らされ、計画から外されて以来こんな職業に身をやつしている。ずっと探しているのだが、彼女は中々見つからなくてね」

 端正な容姿の割にいまいち器量に欠けているように見えるこの男は、どうやら大層な御身分であったらしい。それを抜け抜けと他人に語って良いかどうかはさておく。男が語り終えると、赤ハットの中年が彼の肩を掴んだ。

「“こんな職業”で悪かったな、ジラルドよぅ」

「言葉のあやだ。許してくれ」

「だいたい別れた女をいつまでも探してんじゃねぇよ、未練ったらしい。そら、早く行くぞ!」

 赤ハットの中年は己の自転車のペダルを何度か蹴り、ジラルドと呼ばれたこの青年を急かす。対するジラルドは、中年に敢然と立ち向かった。彼の自信に満ち溢れた態度が、メディシスの神経を少しだけ逆撫でする。

「彼女は恋人ではない。そんなものよりも高次の存在であり、あらゆる英知の結晶、そして最強の空戦MAIDなのだ。故に私は何としてでも彼女を見つけねばならない……これは私の使命である」

「あのなぁジラルド、時間が無いっつってんだよ! あと五分でこいつを届けにゃならねぇの! お前、元軍人だろうが! 仕事に遅刻したらどういうお小言を頂戴するかぐらい解ってんだろ? おい!」

「私の人生は、私の為にあるのだ」

「あぁそうかい! なんだったらテメーのために今すぐにでも首にしてやろうか! そのタイフーン計画とやらの時みてぇによ! そうすりゃ責任を取るのは俺一人、テメーは晴れて自由の身って寸法さ。今までの分の給料は全部パーだがな! 退職金なんて親切なもんは砂金一粒も出してやらん! いいのかそれで?」

「それは、その、困る……」

 自らの首がかかった途端、ジラルドの表情が曇る。大方、この男は計画から外されて当ても無く彷徨っていた所を、この赤ハットの中年に拾われたのだろう。どんな職業なのかは想像が付かないが、ろくなものではないという事は誰の目にも明らかだ。
 隣で呆気に取られるスィルトに、メディは目配せした。

「これ以上関わらないほうがいいかしら」

「……かも」

 二人のMAIDは間近の角を曲がり、別ルートからの帰宅を試みる。この近辺は区画整理が進んでいるので、左に曲がっても右に曲がっても、然るべき場所でもう一度曲がればすぐにでも大通りに出られる。振り返ると、ジラルドが赤ハットに腕を掴まれたまま必死にこちらを求めて手を振り、追いすがるような声で懇願していた。

「待ってくれ君達! おい、もしもし! ……ああ、ミスター、余計な事をしなければ聞き出せたかもしれないのに」

「さっきの反応からして面識が無いって事くらい解んだろ、こン馬鹿たれ! ほら、さっさと行くぞ!」

「ああ解ったよミスター。それと、君達! ジークフリートによろしく!」


 ……。
 メディシスは少し足が疲れてきたので、スィルトネートと共に手近な広場のベンチに座る。傍らのスィルトネートは、懐中時計を握りながら溜め息をついていた。メディは、先程の二人組みとのやりとりを回想する。
 とある情報筋によれば、空戦MAIDのマーヴは黒旗へと寝返ったらしい。だからなのか、あのジラルドという男は帝国のMAIDである自分達に写真を見せて訊いて来たのだろう。交戦していたらある程度の情報は得られると踏んだ、という事か。ただ彼の“こんな職業”という発言から推測するに、情報を仕入れたとしても会いに行くのは十中八九無理だろう。
 それよりも気になるのは、あの恰幅の良い男といい、どういう職業なのか。ジラルドは最後に何故、ジークフリートによろしくなどと云ったのか。誕生日プレゼントの配達中だったのか。考えてみれば、彼らも営舎へ向かっていたように見えた。

「……何だったのかしらね、あれ」

「恰幅の良いほうの御仁は、随分と派手なお洋服でしたけど」

「まぁ、忘れましょ。あまり関わるとロクな事が無さそうだ」

 それにしても、同僚の下着を一着だけ購入するという、たかだか買い物程度にこれほどの神経を使うとは。メディシスは改めて、この帝都が嫌いになった。いっそ財力を以って改革を推し進め、帝都を取巻く面倒な思想の尽くをとっとと切り捨ててはしまえないだろうか。



最終更新:2010年03月01日 05:43
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