(投稿者:神父)
G-GHQ直属の研究機関、
EARTHの機関長を務めるコリバ・ベグレブは、小さな動物の骨をいくつか取り上げ、広いデスクの上に転がした。
散らばった骨を眺め、「ふむ」と呟き、元の位置へ骨を戻す。
そして背後の窓を振り返って霧に煙るセントグラールの街並みを見下ろし、天候の回復を祈る呪文を低く唱えた。
デスクには整頓された報告書が数点、先ほどの骨と同様に謎めいた樹皮や小石、何かの動物の頭蓋骨……そして永核が鎮座している。
が、彼はそれらには眼も向けようとしなかった。何がどこにあるかはよく知っている───この世界で何が起こっているかを知っているのと同じ程度に。
報告書は主にザハーラ戦線でのMAIDの活動に関するもので、楼蘭から派遣されたMAIDが後天的な異能を発現しているというものだった。
書き手は努めて冷静にタイプライタを叩いたようだが、それでもその内容は、極めて強力な能力を発揮している云々と興奮気味の調子で綴られていた。
「……」
所詮MAIDは戦術単位に過ぎない。いかに強力な異能を得ようとも、その効力は己に把握できる範囲でなければ発揮し得ないからだ。
軍人に「最も強力な兵器、または兵士とは何か」と聞いてみればよい。
最前線の歩兵はMAIDと答えるだろう。
MAIDの立場は基本的に彼らと変わらず、それでいて恐るべき白兵戦能力を発揮する。
一歩下がった戦隊指揮官は「戦力と戦闘単位の比において」との但し書きをつけてMAIDと答えるだろう。
彼らは火砲や爆撃の威力を知っており、そしてそのために必要とされる人員についても理解している。
では、さらにその上に立つ者はなんと考えるか───彼らは恐らくこう言うだろう。「最大かつ最強の兵器とは、国力である」と。
つまるところ、対G戦争とはそのようなものなのだ。MAIDが存在しようとすまいと、人類はGに対して充分に抗しうる。
いや、そうでなければ戦線は成立すらしなかったはずだ。総延長一万kmを下らない前線を、たかだか一千名にも満たぬMAIDが抑えられるわけがない。
MAIDが存在しようとすまいと───いや、そうではない。
MAIDを存在させたがために、Gが存在するのだ。コリバは暗澹たる思いで俯いた。
そして、MAIDの本領は対G戦ではなく対人戦、それも群集に紛れ込む事で成立する不正規戦にある。それゆえに、彼らの存在はただ危険なだけなのだ。
人類の愚行には際限がない。だがそれこそが人類の人類たる所以だ。
「ベグレブ機関長」
コリバが振り向くと、案内役らしき職員が戸口を細く開けて立っていた。
「おや、どうしたのかな」
「ノックをしてもお返事がなかったものですから……失礼しました。例のMAID二名と担当官が到着しております」
「通しなさい」
「はい」
職員がドアを押すと、その後ろから四名の男女が現れた───四者四様と言うべきか、まるで異なる表情をしている。
「遠路はるばるよく来てくれた。カトー少佐と凍月嬢は知っておるが……わしはコリバ・ベグレブ、ここの
祈祷師だ」
「
やあ、
賢老。元気そうで何よりだ。冗談はほどほどにな」
「君も変わらぬようで結構だ。……そちらのSS中尉は、そう、ヘルメスベルガー中尉だったかな。それから
サバテ嬢」
「初めましてと言うべきでしょうな、ベグレブ機関長。……サバテ、何を固まっとるんだ」
「へ? あ、いえ、大丈夫です、はい」
「なるほど、君はアムリア人を見るのは初めてかな? 驚くのも無理はあるまいよ」
コリバの肌はあくまで黒く、この寒々とした都会にはひどく不釣合いに見えた。
実際、ルージア大陸で黒人を見る事はまずない───貧しく移動手段に乏しかった彼らの大半は、押し寄せたGの群れに圧殺されたのだ。
5G各国はそれぞれに戦線を抱えていたために彼らに救いの手を差し伸べる事はできなかった。
……いや、例え余裕があったとしても、亜人にも劣る奴隷階級として認識されていた黒人のために手間をかける事などなかったろうが。
ともかく、彼はギサニ族最後の生き残りとなった───そして、ギサニ族としては恐らく最初で最後であろう、EARTH機関長という大役を担った。
「実のところ、わしもアムリアの方とお会いするのは初めてでしてな。紙の上の知識としては知っておったのですが」
「寂しい事だ。だが、それでよいのかも知れない。この地では部族の誇りを持って生きる事がとても難しい……」
「すまないが、ムゼー、そろそろ本題に入ってはいかがかな」
保憲が穏やかに、しかし刃物のようにきっぱりと割って入った。
対してコリバは仰々しく両手を振り上げ、恐ろしげな声で言い放った。
「ムンドゥムグの話を妨げるものには恐ろしい呪いが降りかかるのだぞ」
「それは失礼した、ムゼー」
「初対面の二人に免じて許してやろう、カトー少佐」
二人は揃ってにやりと笑みを浮かべた。ハインツとサバテは呆気に取られていた───一方、凍月はただ無表情で立ち尽くすばかりであった。
見る人が見れば蝋人形と間違えた事だろう。
「あの」
ようやっと回復したサバテが手を上げた。
「おや、何かな、サバテ」
「先ほどからよくわからない単語が混じっているのですが」
「君たちにもわかるよう標準斗語で喋っていたのだが───ああ、そうか。
「ムンドゥムグ」は祈祷師や呪術師の事、「ジャンボ」はこんにちは、「ムゼー」は老人、「サフ」は呪いの事……すべてギサニの言葉だ」
「ええと……ギサニというのは?」
「アムリア人の一種族だ。いや、一種族だったと言うべきだろうな。もう滅んでしまったのだから」
「ムゼー、あなたは相変わらず自分をギサニの最後の生き残りとは思っていないのか」
「カトー少佐、その議論はもう終わったのではないかな。わしは黒いクロッセル人になってしまったのだ。もはやギサニではない」
「ムンドゥムグがそう言うのなら、そうなのだろう」
保憲の言葉には微かな皮肉が混じっていたが、コリバはあえて指摘しようとはしなかった。
彼はデスクの前に用意されたテーブルにつくよう四人を促し、本題へ入った。
「さて、諸君に集まってもらったのは他でもない、バストン大陸へ行ってもらうためだ」
机上にはまさしくバストン大陸の大判地図が広げられており、所々にピンが打たれていた。
「つまりカーリダーサ落着後のバストン原生種における影響を観測せよ、という事ですか」
「おや、凍月、君はカンニングをしたのかな」
「申し訳ありません……しかし、大まかな話はすでに聞き及んでおりましたので」
「構うまい。しかしそれではエントリヒから来てもらった二人にはまるでわからんだろうな……説明を続けよう。さて、ここに───」
コリバはひょいと細長い木の枝を取り上げ、デスク越しに赤いピンの頭を叩いた。
「───二週間後、我々がカーリダーサと名付けた隕石が落ちてくる」
「隕石って何ですか?」
サバテが無邪気に尋ねると、間髪入れずにハインツが深い溜息をついた。
「お前さんは話の腰を折るのが本当に得意だな」
「ヘルメスベルガー中尉、そうかりかりするものではないぞ。サバテ、わからない言葉については後で詳しく説明してあげよう。心配する事はない。
……今のところは、そうだな、大きな岩の塊だと考えてくれればいい」
「はあ」
「直径22m、それなりに密度のある石質隕石で……質量はおおむね十二万トンほどだそうだ。
これが直撃すると直径1.5から2kmほどのクレーターができる。
無論、我々の足元にある直径四千kmの泥玉にとってこんなものは痛くもかゆくもない。
が、その泥玉の表面にへばりついているちょっとした埃───我々や他の生物たちの事だ───にとってはとんでもない事態だ」
「粉塵ですかな」
「その影響はあまり深刻ではない───粉塵は赤道付近をベルト状に覆うだろうが、そこは現在我々の土地ではない。ほとんどは、だが。
むしろ我々EARTHが心配しているのはGへの影響だ。君たちにはカーリダーサ落着後のあそこの様子を見てきてもらいたい。
何事もなかったのならばそれでも構わんよ……実際のところ、G-GHQは渋ったのだが、我々は多少の浪費も仕事のうちだ」
「
軍事正常化委員会が動いているという情報があるが、ムゼー、それについてはどうするつもりか?」
「カトー少佐、わかっていて聞いているとしたら、それは実に愚かしい行いだ」
「では、先の計画通りでよいのか」
「ご自慢の犬狼隊については多少知っているが……わしは戦争屋ではない。そのあたりは君たち軍人に一任するより他にないのだ」
「承知した。我々は予定通りに事を運ばせてもらうとしよう」
「結構。では凍月、サバテ、君たちはカトー少佐の指揮下にある犬狼隊の支援の下、カーリダーサ落着直後を狙ってこの地点に───」
コリバの手にある枝が赤いピンの東、バストン大陸中央のくびれ状になった部分の東岸に立てられた黄色いピンを差した。
「───降下してもらう。風下側のため相当な視界の悪化が懸念されるが、ここが最寄りかつ最も安全なのだ」
「降下ですと? あいにくとわしはサバテに空挺降下を教え込んだ覚えはありませんな」
「あ、いえ、似たような事なら……」
「何?」
「……な、なんでもありません」
高高度を巡航する爆撃機から飛び立つ事もある意味では緩慢な空挺降下と言える───が、その任務についてハインツは知らなかった。
幾分ぎくしゃくした雰囲気を察知しつつ、コリバは話を続けた。
「移動には輸送機か、手配が間に合わなければ爆撃機を使ってもらう。離陸はザハーラのどこか……というところまでしか決まっておらん。
組織というものは規模が大きくなるとその分動きが緩慢になるものだ。とはいえこれは我々の怠慢を糾弾されてもやむを得んが……」
コリバはデスクの上から素朴な木製の器を取り上げ、正体不明の液体を一口すすって息をついた。
「ともかく、二週間後、君たちは今言った内容の重要任務に就く。詳細は追って、口頭ないし書面によって指示する。よろしいかな?」
「諒解しました」
「……は、はい、わかりました!」
「職員に部屋を用意させてある。ひとまず休んでくれたまえ。以上、解散」
最終更新:2010年05月17日 01:49