魔術師たちの東洋

(投稿者:神父)


篠原航空機の工場くらいしか見るべきもののない裏野洲( ウラヤス )駅前の立ち食い蕎麦屋で、軍服姿の大男が今しがた食し終えた丼を置いた。

「勘定を」
「へい」

その背後に影のごとく控えていた和装の娘が小袖からがま口を取り出し、十鈴アルミ貨を二つ、卓上にきっちりと重ねる。

「毎度」

塩辛い声の主人が湯気の向こうから不審げな視線をよこすのも構わず男と娘は暖簾をくぐり、街道沿いに歩き始めた。
この時代、楼蘭人男性の平均身長は160cm足らずである。190cm近くに達するこの男、嘉藤保憲が怪人か何かのように思われるのも無理はない。
もっとも、異常な長身を差し引いても保憲は印象的過ぎる風貌をしている。ある種の妖怪のような、西洋風に言えば悪魔的な顔つきをしているのだ。
一方、その背後に付き従う娘───侍女兵( M A I D )、凍月は比較的無難な外見である。和装に釣り合わない黒い手袋と靴下を除けば、だが。
空っ風が吹き渡る冬の裏野洲はひどく寒く、ちらほらと見える農作業中の人々も縮こまって見える。

「今年は冷えるな」
「……はい」
「これほど冷えるとなれば、義肢にも悪かろう。久月の屋敷で火鉢を頼むとしよう」
「ありがとうございます、保憲様」

時折、彼らの存在に気付いた農民たちが卑屈な笑みを浮かべ、あるいは顔を引きつらせつつ頭を下げてよこす。
軍人、それもMAIDを引き連れているとなれば下手に出るのは当然だろう。保憲も慣れたもので、鷹揚に頷き、時には軽く手を挙げて挨拶を返す。

「保憲様」

街道の向こうから一散に駆けてくる人影を認め、凍月が警戒の声を発した。
が、保憲は気にする風もない。
やむなく凍月が短刀を構えようと袖に手をやると、彼はさりげなくそれを制した。

「案ずるな。あれは使いの式だ」

その人影は、文字通り人影としか言いようのないものであり───その異様さにも関わらず存在感が希薄であった。
保憲は堂々と、凍月はやや警戒しつつその式に従って再び歩き出した。その式は、久月の屋敷までの案内役だった。



久月家当主、久月深悟の待つ座敷へ通された保憲は、かすかに眉をひそめ、盾のように扇子をかざした彼女の姿を認めた。

「久しぶりですね」
「いつ会ったのが最後だったか、久月の。まずは凍月に代わって火鉢の礼を述べたい」
「二年三ヶ月と少し。あなたの記憶によれば、その程度になるようです。……それよりも、少しばかり頭の中を整理してはいかがですか」
「読まれては都合の悪いものもある。この程度はちょうどよい目くらましだ」
「先ほど食べた蕎麦と……亜国のどこかの基地?……の事を同時に考えるのは結構ですが、あまり度が過ぎると後で混乱しますよ」
「案ずる事はない。他にもザハーラ戦線への侍女兵供給の件とクロッセルからの永核輸入の件と、それぞれの対価の事を考えている」
「呆れた人。それで一体、何をしに来られたのです?」

保憲が訪ねてくると聞いて深悟が眉をひそめたのも無理はない。
彼は意図的に複数の思考を走らせる事ができた───
有能な外交官であれば必ず会得している技術であるが、度の過ぎた分割思考は彼女にとって実に厄介な効果を生み出した。
つまり、彼女が彼の思考を読もうとした場合、大量かつ雑多な思考の断片が頭の中にどっと流れ込む事になる。
いかに彼女が訓練された異能の持ち主であっても、これには辟易せざるを得ない。結果、彼との意思疎通はいささか円滑さを欠いてしまう。

「何をしにきたかなど、私の心に聞いてみればよい」

前述の事実にもかかわらず、保憲は表情ひとつ動かさずにそう言ってのけた。

「それが出来れば口頭でなど聞くものですか。時間と言葉の無駄は慎まれたい」
「然様か、では単刀直入に言う。……近々、バストン大陸へ赴く事になったのだが、何か役に立ちそうな知識を持ってはいまいか」
「あの野蛮な地について、私が何か知っているとでも?」
「では、我が国の原生種についてはどうか」
「彼らについてならば、それなり以上の資料を蒐集しておりますが」
「その資料を見せてもらいたい。無論、無償でとは言わぬ」
「あなたほどの人であれば、原生種についてなど知り尽くしているものと思っていましたが」
「私の興味は外へと向いている。その事は私自身がよく知っている……それゆえ、時として足元をすくわれかねないという事も」
「因果な事」
「それが人間というものだ。……む」

背後に開いたわずかな襖の隙間に感づき、保憲が視線をめぐらせた。殺意……ではないが、それに近いものを感ずる。

「何者か───」

保憲が誰何しようと立ち上がりかけるより先に、襖の向こうで、微かな、しかし確実に殺気を帯びた金属音が響いた。

「おやめなさい、ホムラ」

深悟が一言だけ呟くと、背後の殺気は途端に薄れた。

「……ホムラか。ふむ、顔くらい出してもよかろうものを、何ゆえ背後に潜むか」
「潜在的脅威を排除するも、武人の務め」

襖が開き、続いて不満げな表情をした赤銅色の顔が覗いた。ホムラ───ホムラノカガチメだ。
首から下は保憲と同じ陸軍の制服を寸分の乱れもなく着込んでいる。今日のホムラは「軍人」状態に自らを置いているのだろうか。
そしてその後ろには冬寂( ウィンターミュート )───刃長三寸の短刀を握った凍月が控えている。ホムラと同じくらい不満げな表情だ。

「凍月、貴様から仕掛けたのか。粗相をするなといつも言っているはずだ」
「お言葉ですが、保憲様。この蛮人が今にも保憲様の身を脅かさんとしていましたので……」
「背後からドスをブチ込もうとする方が蛮人だろうがヨ」

ホムラがぼそりと呟いた瞬間、凍月が短刀を閃かせた。体格で優るホムラは苦もなく独鈷杵───燦祐鄭炎烙( サンユウテイエンラク )で刃を受け止め、弾き返す。

「やめよ、凍月。よしんば私が許可したとて、貴様に勝ち目はあるまい」
「……は」

渋々ながら、凍月が冬寂を鞘に収め、袖の中へ仕舞う。ホムラはその様子を横目で眺め、鼻を鳴らした。
硬派な軍人の仮面を被り直し、保憲と凍月の両方に聞かせるように言う。

「嘉藤少佐。部下も抑制できぬとは、軍人として恥とは思われますまいか」
「貴様の言い分はもっともだ。だが、あまり誤解を招くような言動は慎むべきだ、とも言える」
「下がりなさい、ホムラ。あなたがいなくとも、少佐が私に害をなすような事はありません」
「……あいヨ」
「貴様も下がれ、凍月。私はここに戦争を起こしに来たわけではない」
「承知致しました、保憲様」

互いを視線で牽制しつつ、ホムラと凍月は廊下を退却していった。
二人はこれまでにも何度か顔を合わせた事はあるのだが、そのたびに何かと理由をつけて衝突を繰り返す。
困った事だと深悟は扇子の裏で嘆息した。

「さて。原生種の資料を求めるという事は、バストン固有種と対峙する事を想定していると」
「察しがいい、その通りだ。もっとも私が直接樹海へ足を踏み入れるつもりはない。情報が必要なのは凍月の方だ」
「彼女一人で行かせ───いや、そのつもりではないようですね」
「読んだか」
「今、わずかに綻びが見えましたので」
「……その通り、単独ではない。いくら凍月が重戦闘を得意としていようと、あまりに危険すぎる。
 その上、この任務は陸軍ではなく統合司令部から回ってきたものと聞く。すでに別の侍女兵が手配されているようだ」
「我々の存在を世に広めるのはいかがなものかと思いますが」
「私はあくまで皇国陸軍の一士官として任務を受諾した。だが、自らの伝手を用いて情報を集めるのは勝手だろう」
「なるほど。では、彼女を少し預からせて頂きたい。文字だけでは伝わらぬものもありますゆえ」
「承知した。その間私は倭都に留まる……用件が終わり次第、適当な式を飛ばして知らせられたい」
「いいでしょう。他には?」
「以上だ。陸軍を代表し、貴殿の協力に感謝する」

言うが早いか保憲は立ち上がり、目顔のみで挨拶を済ませて梁をくぐって出て行った。
深悟は思案げに座っていたが、ややあって、誰にともなく呟いた。

「……統合司令部絡みの、それもバストン行きの任務とは。彼女には原生種云々以上の事を教える必要がありそうね」



最終更新:2009年12月07日 01:53
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