(投稿者:エルス)
攻囲及砲撃ヲ爲スニ當リテハ、宗教、技芸、学術及慈善ノ用ニ供セラルル建物、歴史上ノ記念建造物、病院並病者及傷者ノ収容所ハ、
同時ニ軍事上ノ目的ニ使用セラレサル限、之ヲシテ成ルヘク損害ヲ免レシムル爲、必要ナル一切ノ手段ヲ執ルヘキモノトス。
被囲者ハ、看易キ特別ノ徽章ヲ以テ、右建物又ハ収容所ヲ表示スルノ義務ヲ負フ。右徽章ハ予メ之ヲ攻囲者ニ通告スヘシ。
―――ハーグ陸戦条約第27条より
エントリヒ帝国の南西部に位置するライールブルクという工業都市は、未だ
ルージア大陸戦争の爪痕を、微かにではあるが残していた。
地元住民の精神、身体的な傷もその一つだが、建物にも傷は残っている。
都市中心部から遠く離れた郊外に、廃墟となる前はミサなどが開かれていただろう教会がある。
壮大で、見る人を圧倒するようなステンドガラスが嵌められていただろうと連想させる窓枠だけを残し、
色とりどりのガラスは砕け散り、元々あった筈の物は全て無く、壁にはいくつもの銃痕が見られる。
教会の象徴とも言えただろう鐘も、既に無かった。
その代わりというわけではないが、一体のメードがそこで昼食を取っている。
ライ麦パンをむすっとした表情で頬張る。床に置かれている皿にはソーセージとチーズ、ハムなどが乗せられ、
カップには代用コーヒーと呼ばれるコーヒーのようななにかが入っていた。
代用コーヒーの原料としてはタンポポの根、ゴボウ、ジャガイモ、カボチャの種、ブドウの種、大豆などで、どれもコーヒーとは程遠く、とても上手いとは言えない代物だ。
五分ほどである程度食事を終えたメードは幻滅の溜息を吐き、代用コーヒーの入ったカップをその存在ごと無視すると、
傍らに置いていたスコープ付きのガエターノM1938ライフルを手に持った。かなり使い込んでいるようで、木製部分には幾つか傷がついている。
首からかけている軍用双眼鏡と目立たないようにするための灰色のモックや通信機から分かる通り、彼女は見張りをしていた。
たとえばライールブルクに小部隊が侵入しようとすれば、まず報告を行い、実力行使の手段として狙撃で敵を殲滅する、
といった流れで、大部隊だった場合は報告後に即撤退と決められていた。
しかし頻繁に敵が来る訳でもなく、彼女は暇を持て余し、退屈していた。
何度吐いたか知れない溜息を吐き、双眼鏡で遠くを眺めて、そして―――
眺めていた方向とは逆のほうから轟き始めたエンジン音に目を輝かせる。
まるで玩具を見つけた子供のような目つきだ。恐らく見張りという退屈な仕事のことなど、もう忘れてしまっているのだろう。
にやにやしながら、彼女は教会の裏口にオートバイをとめて、はしごを上ってきた男性型メード―――メールのセレスタンに、フルートのように透き通った声を浴びせかける。
「ねね、セレスはなんで昼食にパスタとワインが出ないのか分かる?わたしは分からないんだけど、セレスなら知ってると思うんだ。
あ、でもこういう無駄なことって雑学の部類に入るのかな?だったら
シリルのほうが知ってるよね。
子供っぽいのに無駄に物知りだし、記憶力良いし。あ、でもセレスに一応聞いとくんだけど、昼食に―――」
「元エテルネ公国軍の俺がそんなこと知ってると思うか?どう思ってんだ?あ?」
長身痩躯にダークスーツを纏い、眼光の鋭い三白眼のメールが苛立たしげにマシンガントークで弾幕を張りつつ迫り寄ってきた彼女―――アンナを押し返す。
「いや、でもシリルが無駄に物知りだから同郷のエテルネどうしで物知りどうしかなって思ったんだよ。
あ、でもセレスってシリルより無駄を嫌うっていうか面倒くさがりだから物知りな訳ないか。ごめんごめんね、はっはっは」
「相変わらずのマシンガントークごくろーさん。ついででいいから死ね。たのむから死ね。死んでくれ。どんな死に方でも良いから死んでくれ」
「あはは、ひっどいなーセレスは。あ、でもこういうのが最近なんていうのかな?ツンドラ?ツィタデレ?ツンゴリ?ツングース?ツァーリ?
まあどうでもいいけど人気らしいよ。特に美少女とイケメン。セレスはイケメンだから多分これはモテると思うんだけど、どっちかっていったらわたしはシリルのほうが好みだなぁ」
「ぶち殺すぞ……」
眉間を痙攣させ、懐に収めてあるだろう拳銃に手を伸ばしたセレスタンを制止するべく、アンナが飛びかかったがすんなりとかわされ、彼女は顔面を強打しかけた。
危ない危ないと大げさなリアクションをとっているアンナを冷ややかに見下す傍ら、拳銃を取り出したセレスタンはなにやらぶつぶつと唱えている。
「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」
「って、あっ。ちょっ、まっ、セレス!?」
「……ジョークだ」
「へっ?」
悪魔のような笑みを浮かべて拳銃を懐にしまうセレスタン。
その様子をぼんやりと眺め、一秒ほどの思考時間の後にほっと息をつき、本気で焦ったと口に出したアンナは、セレスタンというメールの性格を思い出していた。
利己主義者―――要はエゴイストで、無駄に演技が上手く、騙してはサディスティックな笑みを浮かべて、楽しむ。
視野が狭いのかと言えばそうでもなく、背伸びしているシリルよりは遠くを見通せている。だからなのかは知らないが、
よくシリルをガキ扱いしてどこから湧いたのかも知れない
エルフィファーレによく脛を蹴られる……。
だからわたしはシリルのほうが好みなんだ、と内心呟きつつ、アンナは手放していたガエターノを握り、双眼鏡で辺りを見回した。
見張りという仕事のことを思い出したのだろう。何時間も変わり映えのない風景に、アンナは溜息を吐いた。
後ろで食器の片付けをしているセレスタンはさきほどのジョークが案外つぼに入ったのか、上機嫌そうに下手糞な鼻歌を歌っている。
「あのさぁ、セレス」
「あ?なんだよ?」
「通信機でチャンネル合わせて、定時報告してくんない?あの~ほら、えっと……とりあえず、第22地区異常無し、って」
「俺は手前の食ったもん片づけに来ただけだ」
「そこをなんとかたのんますよ、セレスお兄ちゃん……」
「きもい。気持ち悪い。寒気がした」
「ああもうひっどいなぁ。シリルならこんなのはきちんとちゃんとこなしてくれるんだよ?なのにセレスはできないの?どうなの?ん?ん?」
「……糞ったれ。やりゃ良いんだな?あ?」
「分かってくれれば良いんだよ。うん」
ふふふ、と笑みを浮かべつつまた双眼鏡を覗き込むアンナ。
リスチア王国陸軍に所属していたころから射撃のセンスを頼りにして生き残ってきた彼女は、これでも稼働年数5年のベテランで、
狙撃兵としてベルサリエリ部隊という軽歩兵部隊に所属していた。頭に被っているヘルメットに付いている羽根飾りが、その名残だ。
セレスタンがなにやらまたぶつぶつと唱え始めたのに少しだけ恐怖を覚えつつ、アンナは今日のシフト表を思い出し、
何でわたしが朝の9時から夜の6時まで見張りをすることになったんだろうかと考えた。色々と理由はありそうだが、
色々を考えるのが面倒なのでこの考えは一秒も持たずに霧散することとなった。
アンナが欠伸を噛み殺し、ぼやけた視界を手で目を擦って解消した時、アンナのすぐ横にある柱の一部が粉塵を上げて砕け散った。
一秒ほど、これはなんという自然現象なのだろうか?と馬鹿な考えをしていたアンナだったが、不思議なことに一秒経てば身を隠すことには成功している。
「軍事目的に使用されていない限り、宗教、技芸、学術、慈善に用いられる建物、歴史上の記念建造物、病院、傷病者の収容所に対し、
なるべく損害を与えないよう、必要な一切の手段を取らなければならない!!
また、攻撃を受ける側は予め容易に識別可能な徽章を掲げ、攻撃側にその存在を通告しなければならない!ハーグ陸戦条約第27条よりぃ~!!」
「それは軍事目的に使用されてる場合は良いってことだろ!?意味ないだろうが!叫ぶなドアホ!!」
「ドアホでもスーパーウルトラアルティメットバカでも良いから助けてよセレスお兄様ぁ~!!」
「少し黙ってろ、気持ち悪いんだよ!糞ったれ、こんなとこまで侵入してくるってこたぁ、相当の手だれだぞ……SSの犬どもか、陸軍の特殊部隊か、、空軍の降下猟兵か……」
「どれにしてもわたしは逃げ出したい……切実に」
「俺だって逃げたいっての。ああ、糞。最悪だぜ。ったくよ」
どこから撃たれているのかも分からないまま、二人は教会の上で身を低くし、銃弾に撃ち抜かれないようにと祈った。
通信機はすでに銃弾に撃ち抜かれてしまい、敵の侵入を知らせる手段は、口頭しかなく、それが出来なければ、30分ごとの定時報告で異常を察知した本部が気づいてくれる。
早く援軍が来ないかと思う傍ら、これから30分、狙撃の恐怖に耐えなければいけないのかと思うと、二人の士気はがくんと下がった。
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最終更新:2010年07月03日 14:11