事の始まり

(投稿者:エルス)





糞ったれ(シャイセ)と吐き捨てるように言った曹長の階級章を付けた男は、スコープ付きカラビナー98クルツのボルト・ハンドルを引き、
薬莢を排出し終えると、すぐさま2発目の弾丸を放った。それを横で見ているツィツェーリアは一秒ほど間をおいて、どうだ? と尋ねる。

「1発目は風の読み間違えで外しましたが、2発目で通信機を破壊しました」
「そうか。命中率50パーセントでは、この先苦しいな」
「申し訳ありません。中尉。次で75パーセントに上げて見せます」
「そうしてくれ、曹長殿」

 できるだけ身体を動かさないよう気づかいながら、ツィツェーリアは寄ってくる羽虫を鬱陶しそうに手で払う。
迷彩服の効果が発揮される森から出ず、見張りを釘づけにするという方法は正しいのかもしれないが、この羽虫たちがいるのだけは許せない、
とツィツェーリアは下品な四文字の瑛語で現状を罵った。そしてやや後ろで待機中の八人には酷い命令を出してしまったかと思い、
曹長に気付かれぬよう溜息を吐く。そして、ことの始まりである1週間前―――7月12日のことを、ふと思い出し、記憶の流れに思考を(ゆだ)ねた。


―――1週間前


「ゴリラの演説に豚が反応したよ」
「え? どういうことですか、大佐?」

帝都ニーベルンゲン。空軍総司令部に数多くあるオフィスの一つの主であるベルナー・フォン・バルシュミーデ大佐が眠たげな半開きの目を窓の外に向けつつ、
とても詰まらなそうに、まるで猫に引っかかれたとでも言うのと同じように呟くのと、ツィツェーリアが疑問に首を傾げるのは殆ど同時に近かった。
ただのパイロットから戦闘航空師団司令まで登り詰めたが、視力の低下や後進の薦めもあり、この空軍総司令部にいるベルナーは、
口で物を言うより動作で指示をするタイプであるので日頃から神経をベルナーに傾けているツィツェーリアならではの、素早い反応だった。

「MAIDを不幸にする者に、ジークを愛する資格など無い! だったかな? 皇帝の演説に、陸軍参謀本部がキれたのか、
 グライヒヴィッツの演説の後に離反。帝都はさながら世紀末だよ」
「……興味なさそうですね」
「ないよ。俺は俺の上に降ってくる火の球を撃ち落とすだけで手一杯だから」
「私を使ってくだされば―――」
「戦場神経症を患っていた君を出す訳にはいかないよ」
「あ……」

言い返そうとして開いた口をそのまま閉じて、ツィツェーリアは口を真一文字に結ぶ。
顔を俯けると、プラチナブロンドのセミショートが影になった。ベルナーは暫くぼうっとそれを見ていたが、彼女が肩を震わせ始めると、溜息にも似た息を吐いた。

「黙ってようかと思ったんだが、こんな機会だ。ツィツェーリア」
「は、はい」
「ほら、ハンカチだ。それで涙を拭け。……実はな、君を戦線復帰させようと俺は考えていたんだ。ずっと前からなんだがね」
「本当ですか? 前線に、戻れるんですか?」
「まず話を落ち着いて聞け。今のこの状況だ。前線は難しいが、恐らく例の軍正への攻撃に使われるだろう。
 ……ここからは俺の勝手でやってしまったことだが、君は復帰後、中尉として活動してもらう。部下はこちらで選定した9人だ」
「私が……メードの私が、中尉ですか?」
ルミス連邦アルヴィトに対抗して、と言い訳も考えておいた。君はリハビリの傍ら、色々な専門書を読み漁っていたらしいじゃないか。
 それも戦術論ばかり。この前の机上演習。あれは君の力量を測る為にやったんだよ」
「で、でもあれは……私の陣営が比較的有利な想定から始まったので―――」
「俺の師団がA地点、標高190メートルの山を占領してからも、君は有利だったか?」
「…………」
「そういうことだ」

無表情を顔に張り付かせたまま、ベルナーは窓の向こうで黒煙を上げる帝都を眺め始める。
これが自分の祖国の首都だというのに、その目はまるでパン屋の行列を眺めるように物憂げだ。
ツィツェーリアは心の動揺をなだめるのに一時専念し、それが終わると、ベルナーに微笑みかける。
やわらかな、それでいて暖かい微笑みに、ベルナーの目が1ミリほど見開かれる。なかなか笑うことのない彼女の微笑みには、流石の彼も驚いたようだ。

「ありがとうございます。ベルナー教官」
「俺は出来ることをやった、それだけだ。君も君が出来ることをやればいい」
「はい。この命に換えてでも、必ず朗報を―――」
「そんな朗報、いらないな」
「あ……」
「ここにこうして居る君が、このまま戻ってきてくれれば俺は喜ぶだろう。命を掛けるほどの事ではない。どうせ人間と言うやつは、そのうち飽きがくるのだからね」

嘲笑するでもなくベルナーは呟く。彼はどんな強大なことでも些細なもののように言って除けてしまうのだと、ツィツェーリアには分かっていた。
分かっていたからこそ、彼女は嬉しかった。一度、メードとして致命的な病に陥った自分を見捨てなかった彼に恩返しがしたいと思い続け、
そしてようやくそのチャンスを得ることが出来たのだ。

「この国を変えようとしても無理なんだよ。必要なのはやる気なんだ」

独り言。誰に対する言葉でもない、ただのぼやき。
その些細な独り言に彼の本音が描かれていると知ったのは、意外にもごく最近だった。
雨音にも負ける小さな、そして低く、不安定な声を聞くのは難しいことだと、彼女は知っている。

「誰も確信なんて持ってない。あるのは嘘と矛盾だけ」
「何時も言っていますね。それ」
「どこにも飛ばせない苦情のようなものだよ。聞き苦しいかな?」
「いいえ。ずっと聞いていたいです」
「君の好きにすると良い。今日は空軍の管轄外だからね」

電話に繋がっている線を引き抜きながらそう告げたベルナーは、何を考えているのか分からないぼんやりとした目をツィツェーリアに向けると、眠たそうに呟いた。

「俺には手遅れだと思うけどね」

その時はまだ、彼がなんのことを言っているのか彼女には分からなかった。
1週間後、彼女はことの流れに巻き込まれているということを、1つの命令書によって認識することとなった。



関連項目

  • ベルナー・フォン・バルシュミーデ
  • ツィツェーリア
最終更新:2010年07月08日 00:39
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