(投稿者:怨是)
同日午後8時、
軍事正常化委員会アルトメリア支部にて。
海上通信中継部隊からモールス信号による報告を受けた
レイ・ヘンラインは休憩時間を利用し、この支部の統率者であり技術者仲間でもあるジョナンズ・A・ウォンスターの個室へと訪れていた。変人と名高いジョナンズの個室の扉を叩いたのは何もレイの個人的趣味という訳ではなく、自分が報告を受けたからには部下に任せずに、上司へ直接伝達したいというレイなりの律儀さによるものだ。
報告の内容は、
ジークフリートの誕生日である先日に帝都へ向けてV2ロケットと少数のGが放たれ、ジークフリートがGの瘴気よって負傷、医務室へ送られたという事と、その翌日に回復しかけていた彼女が突如として公園へと赴いて演説を行ない、意識不明となった事であった。
その演説の様子は
エントリヒ帝国の主要な新聞である帝都栄光新聞でも語られ、『守護女神は死んだ』というフレーズが同国に於いて瞬く間に広まっていったらしい。
それらを聞いたジョナンズはいつものようにこめかみを薬指で撫で回しながら微笑む。如何様にしてそのような癖が付いたのかは知らないが、レイも別段その事由について問い質す気にもならなかった。
「ふぅん。ジークフリートがねぇ。ルージア大陸本部で幅を利かせてた、かつての皇帝派の連中はどう考えているのかな」
「どう思っていようと、我々には関係のない話でしょう。彼らの殆どは親衛隊に処分された」
今あのルージア大陸本部に居る面子の大半は、帝国の外から流れ込んで来たか、或いはアルトメリア支部からの人材支援で派遣された者らで占められている。ジークフリートが最強であると考えているのは腕力を戦闘力に直結させて考える馬鹿か、帝国の熱心な愛国者達だけだ。
「ヘンライン君。これはあながち無関係とも云い難いんだ。何故ならアルトメリア支部に籍を置く軍人の殆どが、君が英雄であった頃を知っている」
確かに英雄と称えられた日々もあったなと、レイは遠くを仰ぎながら煙草――Dr.ACEに火を灯した。随分と昔の話だ。技術者となってから
ブラックキャップなるMAID部隊の統括を任されたのも、そういった理由だったか。だが、戦場と云うものは時代によって大きく変動する。あの頃の自分の戦い方が、当時の戦場に似合いすぎてしまっていただけに過ぎない。
それを崇めるなどといった行為に、レイは失笑を禁じえなかった。
「彼らの知るヘンライン中尉は死にました。むやみな感傷で軍人としての使命を捨てるのは、幼稚な義種化でしかありません」
「あまり彼らを蔑むものではないよ。彼らはかつての君の行為に、何かしら軍人魂に響くものを見た。だからこそ、感傷を呼び起こしたんだ。一介の知事に過ぎない私でも、それくらいは解る」
「アドレナリンの過剰分泌か何かを錯覚しただけでしょう」
そこまで云って、レイは手付かずだったコーヒーを漸く口へと運んだ。
ジョナンズはその様子をさして気にする風も無く、またいつもの癖でこめかみを撫でながら分析を始める。
「ふむ。見たところ、君は分裂が激しいかもしれない。ロマンチストとしての君と、リアリストとしての君が、君と云う身体の中に同居し、私の前に同時に対峙している気がするよ」
「発言の意図が解りかねますな、ウォンスター知事」
「そうかもしれないね。じゃあ、例え話をしよう。私も、心の中に幾つものコーヒーが並んでいる。どれもブレンドが違う。コーヒーに関心のない人が飲めばどれも同じコーヒーだが、それでも注意深く飲めば味が違う。そして、日によってミルクや砂糖が入っていたりする。どうだい? 人の心の奥底はコーヒーにそっくりだ。特に、飲んだ一口目が苦々しく感じるところもね」
「子供のうちは飲めない……確かに似ていますね。死んだ後も、残り香が人に伝わる」
「ほらね。今喋ったのはロマンチストのほうの君だ。私は今しがた、レイ・ヘンライン・ロマンチストブレンドを一口飲んだというわけさ」
「マッド・ジョンの異名は伊達ではありませんね。常人にはいささか理解に苦しむ表現だ」
レイはジョナンズの突拍子も無い例え話に辟易した。レイが敢えて理解を示さずにある程度まで拒絶の態度を取るのも、彼の大口に付き合う気が無い為である。いたずらに付き合い続けて無為な妄想を延々と垂れ流されるくらいなら、のらりくらりと話を逸らす方がましだ。例えそれが不誠実極まる行為であり、レイの中に幾許か残された良心を苛んだとしても。
「どうやら私のブレンドは飲む人を選ぶらしいんだ。だが、平凡な味に厭いたのか、時代がこの味を好むようになったのかは判らんが、私は何故か知事と云う椅子を手に入れてしまった。何故だろうね」
「それは、歴史が後々判断する事でしょう」
「そう。歴史、後の人々、未だこの世に生まれていない私達の子孫だ。もうひとつ例え話をさせてくれ」
得意気に人差し指を立てるジョナンズに、レイは眉をひそめた。
「巨大なケーキが……そうだな、この世界のどこか、我々には見えないところに在るとしよう」
「巨大?」
「ああ。
一人で食べきる事なんて一生かかってもできない程に巨大なケーキだよ」
ジョナンズは両手を広げ、“ケーキ”とやらの広大さを伝える。わざわざ椅子から立ち上がって仰け反る程なのだから、余程その大きさを伝えたいのだろう。無表情のまま頷きもしないレイを無視して、ジョナンズは自慢の大演説を繰り広げた。
「そのケーキはいつも何億にも分割され、一人一切れ、手のひらくらいの大きさで手渡されている。後の歴史家と云う客人達をもてなすには、とてもじゃないが数が足りない。死に往く人や、ケーキの代わりに土塊を食べなきゃいけない人達から頂戴するしか、数を揃える方法が無い。しかも! 嘆かわしい事に、君と私とではもてなす相手がそれぞれ違うと来た」
……思想家。ジョナンズ・A・ウォンスターはおおよそ、そういった手合いにも位置付けられる。それも、さる哲学者のように、即時に理解を得られない類の思想家だ。彼が云いたい事は、レイとジョナンズではそれぞれ行動を評価する歴史家が違うという事だろう。もてなすという言葉の意味は、ジョナンズにとっては『良い評価をしてもらうよう取り計らう』という事ではなかろうか。しかし、同じ組織に与する以上、レイもジョナンズも一括りにして評価されると相場が決まっている。故に、レイは反論を述べる。
「違うとは限りませんよ」
「同じ人間でも、面が変われば別人のようなものさ。だから、そう。大変嘆かわしい話だが、私が君からケーキを奪わざるを得ない日が来てしまうかもしれないし、その逆だって当然ながら同じくらいの確率で起こり得る事なんだ」
ジョナンズの言葉から、彼はこちらが一筋縄では行かぬ難物であり、組織に身を置きながらも組織の掲げる理念とこちらの思惑との距離がある事に勘づいていると、レイは悟った。そういう意味では確かに、ジョナンズの『もてなす相手が違う』という話にも合点が行く。
「――もっとも。かつての軍人としての君からなのか、科学者としての君からなのかは、これも後世の段階で初めて判る事かもしれないがね」
「Dr.ACEとやらという、私の肩書きへの当て付けですかな?」
「私は生まれてこの方、当て付けのつもりで他人にものを云った覚えは無いよ。狂人とは、常に正直なものだ」
「正直を嘯く者は、果たして本当に狂人なのでしょうかね」
「私がフリーズ・プランの責任者であったなら、おそらくその全貌をマスコミに公開する位には狂っているだろうね、私は」
「それは実に恐ろしい話で」
コーヒーを飲み干したレイは個室を後にし、廊下を歩いている間、ジークフリートが行った演説について思案する。
MAIDは突き詰めて云えば、ただの死体に宝石を埋めて動かしているだけの人形だ。それを、長期間にわたって執拗に崇め立てる帝国の風習とは何とおぞましいものか。しかし、それが逆にジークフリート以外の帝国製MAIDの抑止力、制御装置として働いていたという考え方も出来る。ジークフリートが守護女神としての役割を放棄したという事実は、とどのつまり他のMAIDの動きがますます読めなくなる事を示していた。
レイは懐中時計を取り出して立ち止まる。
現在、レイ・ヘンラインのラボには多数のMAIDの亡骸と、粉砕されて使い物にならないコアがある。フリーズ・プランなる計画を、レイが主導で進めているのだ。粉々になったコアは計画に用いられた残骸であり、対MAID用兵器へと転用可能とする研究の為に保管されている。全てはこの世から忌まわしき技術――MAIDを根絶する為だ。
MAID保有国家の一つであるエントリヒ帝国の暴走を加速させるであろうジークフリートの一件は、レイにとって致命的な誤算だった。タガの外れた技術者連中が、強力なMAIDを次々と増産する事態にもなりかねない。
「……急がねばならんな」
銀色の懐中時計を握り締め、レイ・ヘンラインは再び歩みを進めた。
最終更新:2010年08月18日 04:20