Behind 5-5 : Lost

(投稿者:怨是)


 私が彼と別れてから、幾らか月日が経った。
 彼と交わした約束の半分は、既に果たせている。
 一つの人格を持つ者として、私は漸く“私自身”を見つけることができた。

 あの時私は、彼が正気を取り戻してくれた事を何よりも喜んだ。
 でも、私と彼を汚泥に放り込んだ帝都の罪を、私は絶対に赦さない。
 この胸に穿たれた銃弾の傷痕のように。

 私はまだ軍事正常化委員会――いわゆる黒旗に手を貸している。
 彼らの顔を借りつつも、私のような存在が二度と出て来ないように、外から見張っている。
 あの組織から見れば、私は矛盾した事をしているのだろう。
 だけれども、それを許してくれる人がいる限りは、私は私の遣りたいように遣らせてもらおう。
 皇室親衛隊という名の一匹の化け物を倒すには、少なくとも私独りでは無理だ。
 ジークフリートをそそのかして内側から溶かさせ、私が外側から少しずつ打ち崩す。

 それにしてもアシュレイ。貴方は何処に居るのだろう。
 少しくらい気配を見せてくれてもいいじゃないか。
 そうでないと、まともな話し相手が居なくて私は退屈だよ。
 私はまだ死んでいない。探しに来てくれる事を祈っている。

(1945年8月某日のものと思われる手記。筆者不明)



 1945年8月5日。
 アシュレイ・ゼクスフォルト一等兵はマテウス・フェルザー中佐とザフター・ニルフレート中佐に連れられ、火災の現場へ向かっていた。付近の通りは野次馬で埋め尽くされている。絶対的な秩序に守られていた筈の帝都は、黒旗の武装蜂起以来こういった物騒な事件がしばしば発生する。

「ゼクスフォルト。貴方は火災の中心地であった場所を調査して下さい。消防隊が消化して下さいましたから、安全は確保出来ている筈です」

 所詮は鍍金(メッキ)の平和か。アシュレイはニルフレートの指示に従って路地裏へ足を運びながら、綻びの生じた城壁を嘲った。果たして辿り着いたのは黒々と焦げた壁と、破裂したドラム缶だった。全てが終わった後の残骸でしかない。ここに何があったかは判らない。鼻腔を突き刺す幽かな瘴気の残滓だけが、唯一の手掛かりだ。
 踵を返し、表通りへ戻ろうとした時、背後に気配を感じた。はっとして振り向くと、線の細い、長髪の男が佇んでいた。

「あんた、誰だ?」

 双眸に暗い影を湛えたこの男は、何も答えない。

「クード・ラ……いや、ここに居たプロトファスマを殺したのは、お前の組織か?」

 鉄面皮を動かしもしないまま、質問とは全く別の事を男は訊いてきた。何か名前を云い掛けた所を見るに、彼はそのプロトファスマについて何か知っているのだろう。

「知らないね。むしろ俺はそれを調べる為にここに来たんだ」

 アシュレイが答えると、男は再び黙り込んだ。物憂げな表情から何か考え込んでいる事は伺えるものの、それが何なのかまでは見出せない。見方によっては現状に対して絶望しているようにも見える。
 長い沈黙と、吹き抜ける微風が、周囲の気温を下げていた。本当に夏なのかと疑うほどに、この路地裏は肌寒い。アシュレイは思わず両腕をさすったが、目の前の男が寒がる様子は全く無い。また幻影を見せられているのではないかと、アシュレイは自らの精神を疑う。今まで溜め込んできた鬱屈とした感情が、また妙な幻想を生み出してしまっているのではないか。カール・ヴァトラーとは異なり意思の疎通といったものは出来そうにないが、目の前の男も充分に現実からかけ離れたような風格を纏っている。

「そうか。実はそのプロトファスマは、俺も追っていた。どうやら先を越されたらしい……」

 そんな男が、再び口を開く。随分と長い逡巡だ。まるで、言葉を一つ一つ、吟味していた様な。余程、不器用なのだろう。長考の末に漸く搾り出された言葉にしては、返答に困る内容だ。
 アシュレイはただ一言、「そいつは残念だったな」とかけてやれるのがやっとだ。

「この路地裏一帯に焼け焦げた跡があるが、何か手掛かりになるかもしれん」

「そんな事を俺に教えてどうするんだ?」

「お前に教えないと俺がこの先、後悔する……そう思っただけだ」

 彼の言葉には不可解な点は幾つもあったが、アシュレイは敢えて考えない事にした。この世の関節が外れる音を耳にした者は皆、その精神に亀裂を生じさせる。彼も恐らくはそういった手合いだろう。そういう事にしておかないと、アシュレイは再び狂気の沼に呑み込まれてしまう。

「あぁ、そうかい。親切なんだな。あんたという人間は。それじゃあ、俺はもう行くぜ」

 もうこれ以上の情報はここからは得られないだろう。アシュレイは足早に立ち去らんとする。そういえば、彼の名前を聞いていない。アシュレイは肩越しに、訊ねる。

「そういやあんた、名前は……」

 振り向けば、既に彼は消えていた。気配も、先程のような悪寒も、何もかもが初めから存在しなかったかのように消失している。

「……まぁ、そうだよな。名乗るようなガラじゃないって事くらい、予想は付いてたさ」

 彼が幻でない保障は何処にも無い。否、もしかしたら自分は既に死んでいて、時間の感覚がおかしくなった亡霊なのではないだろうか。逆に生きた人間の気配を上手く感じ取れなくなってしまっているのでは。奇妙な妄想が、アシュレイを(さいな)む。
 一刻も早く、この場所から抜け出さねば。現世と常世の境目が曖昧になる前に。自身の存在の輪郭が崩れるのを抑えるべく、片手で頭を押さえながらアシュレイは路地裏を駆け抜けた。



 あの時の選択が果たして正しかったのか、それは俺には判らない。
 だが、俺は気が付けばアイザック・ヘンラインを殺していた。
 アイザックが、俺のかつての名前を口にする前に。

 罪の意識に苛まれながらも、俺は次なる罪を犯す為にレギオンに身を置いている。
 俺と同じ境遇の連中が、沢山居た。
 考え方こそ違えど、目的は一緒らしい。人類への復讐が、こいつらの行動原理だと、リーダー格のあいつは云った。
 実の所、俺は復讐の事などどうでもよかった。
 俺は、安息を求めているのかもしれない。
 同じ闇を内包する存在と共に居る事で、孤独を和らげようとしているのかもしれない。

 ただ、それだけなのかもしれない。
 これを語れば、人は俺を弱者と嘲うのだろう。だが、俺にはこれしか選択肢が無かった。
 もう一度死ぬのは、怖い。
 一度死んだからこそ、あの身体中から体温が抜け落ちる感覚が、五感が閉ざされ、
 周りの仲間の存在を感じ取れなくなるあの感覚が、怖ろしくて仕方が無いのだ。

 俺は過去を殺せない。
 レギオンに属さないプロトファスマ、
 つまり、俺達の同胞を黒旗のとある女に売る度に、俺は亡霊である事を思い出さずにはいられない。
 二度も死んだ奴はきっと、地獄からも追い出されるのだろう。
 もう一度死ぬのは、怖いに違いない。
 だが、俺は、俺は……

(1945年に書かれたものと思われる走り書き。筆者不明)



 同日。時刻は遡る。
 ……現場へ駆けつけたエーアリヒはすぐに、己の目的の達成を願った。
 眼前にはあのプロミナが居る。現場の付近に住む民間の協力者から電話があった時は間に合うかどうか五分五分の確率だと見積もっていたが、この近辺を巡回していて良かった。
 プロミナは息を切らして緩慢に歩きつつも、何かを成し遂げた様な、そんな達成感に満ちた表情をしていた。つい、先程までは。

「なるほど、貴方達がクード・ラ・クーの眷属ってわけ?」

 プロミナがこちらの仲間達の向こうで周囲に尋ねる。誰も答える筈が無かろう。眷属は一人残らず収容所で治療中だ。状況こそ遅々としているものの、感染者の血液から血清を作り、確実に治りつつある。
 ここに居るのは皆、軍事正常化委員会の人間だ。お前が期待している様な、“悪の手先”などではないのだ。

「答えなさい! 返答によっては――」

 さて、そろそろ目を覚まさせてやろうか。こちらが通報しなければ、救急車も消防車もやってこなかった。その事に少しは感謝して欲しいものだ。自らの過失で守るべき者を死なせる悲しみは、出来ればプロミナには味わって欲しくない。この先、生まれてくるMAID達にも。

「皇室親衛隊所属、個体番号ESS-45082、個体名称はプロミナ……間違いありませんか」

 本人の反応を確かめる為に名前を呼びはしたが、目の前の赤いドレスとオレンジ色の髪、幼い顔立ちに似つかわしくない豊満な胸周りは、プロミナそのものと見て間違いない。声もグレートウォールで聞いた時と全く同じだ。
 が、彼女は返答を避けたのか、無言のままだ。三秒も待っていられるか。埒の明かない現状に、エーアリヒはプロミナの腕を引いた。

「折り入って話があります。こちらへ」

「いきなり何なの? あんたらに話す事なんて何も無い!」

 反抗的な奴だ。出来れば素直に従って欲しかったが、あろう事か彼女はこちらの腕を引っぱたいてまでして振りほどいて来た。全くもってこの女は冷静ではない。右も左も判らぬ雛鳥であるが故に、口の聞き方を知らないと見える。そこでエーアリヒは、こちらがプロミナに接触した理由の一つを教えてやる事にした。

「ありますとも。市街地の戦闘活動に於ける無思慮な能力行使、及びそれに伴う被害の拡大ですよ」

「プロトファスマを倒すにはそうするしか無かったんだから、仕方ないじゃない! 放っておけば犠牲者がもっと出ていた!」

「迅速を心掛けるのは結構です。けれども、それが常に最善とは限らないでしょう。いつの時代、どのような場合、如何なる場所に於いても、後先を考えない蛮勇というものは社会の秩序を脅かします」

 馬鹿な素人が粋がって勝手に踏み込んだ結果、ろくでもない事態を引き起こした事例をエーアリヒは幾度も目の当たりにしていた。プロミナには同じ轍を踏ませない。看過してしまえば迷惑を被るのは、国民達だ。

「何を勝手な! 私は正義の為に戦ったのに!」

「勝手は貴女です。正義の為なら何をしても良いと? ……後ろを振り向いて御覧なさいな。路地裏は建物が密集している。戦闘の結果、民間人に被害が出るくらいなら、貴女が遣るべきではなかったという事です」

 エーアリヒは煙の上がっている方角を睨んだ。
 現に、プロミナによって被害は出ている。火災は軍事正常化委員会の協力者の家のみならず、無関係な者の住む、ごく普通の民家にまで及んでしまっているのだ。たった一人での銃火器が通用しないなら、応援を呼びさえすれば良かったものを。軍事正常化委員会はプロトファスマも狩りの対象としているのだから、変な意地など捨て置けば良かったものを。これで死人でも出たら、責任は誰が取るというのか!
 呼吸を置いて平静を保ち、エーアリヒは眼鏡のずれを正した。建設的な会話は、まず自己紹介からだったか。

「自己紹介が遅れましたね。私はエーアリヒ。軍事正常化委員会のMAIDです」

 プロミナは呆気にとられている。日頃敵視している組織に目を付けられた事が明確に解ってしまえば、確かに思考も凍り付くだろう。ましてや、プロミナの稼動年数は一年にも満たない。とあらばこちらの組織について偏向した知識を入れ知恵されている可能性もある。彼女が思考を巡らせている間に、エーアリヒは同じ軍事正常化委員会所属のMAID、カレンへと顔を向けた。

「カレン、プロトファスマの死骸の確認を。恐らくは煙の上がっている方角でしょう」

「了解」

 カレンは口答え一つせず、即座に命令に従ってくれた。壁をよじ登り、屋根を伝ってあっという間に現場へと辿り着くだろう。そりは合わないが、仕事は仕事と割り切ってくれる。この信頼関係こそが、エーアリヒの求めている戦場だ。友達感覚、まして“戦友”などという言葉は助ける相手を少なくしてしまうだけの枷でしかない。
 そろそろプロミナも軽度のパニック状態から回復している頃合か。妙な事を思い付かれる前に、エーアリヒは本題を切り出した。

「さて、プロミナ。単刀直入に申し上げますが、貴女は火炎制御能力を封じるべきです。どうせご自身でも、その能力の原理を判っていないのでしょう? だから今回のような失態を」

「嫌だね」

 道具を使う者は皆、事前に分解や試射を行う事でその構造、特性を熟知する。そうする事で初めて、安全かつ効率的にそれらを行使する事を可能とするのだ。が、彼女ら特定MAIDは違う。得体の知れない魔術を、己の感覚のみに頼って使う。そうして、ある者は大きな破壊をもたらし、ある者は力を使い果たして野垂れ死ぬ。MAIDの製造には高額な資金を要するのだから、独断で消耗すれば組織の財政に打撃を与える。
 戦闘とは極めて社会的な行為であり、相手が人ならざるものであろうと本質は変わらない。それを知らないのか、この小娘は。

「ではせめて、火の化学式くらいはご存じないのですか」

「知らないね。生まれた時に、神様から貰った力なんだ。誰かを守る為に使えるなら、私はこれを全力で使い続ける! 例えそれがあんたにとって得体の知れない力であったとしても!」

 プロミナが手をかざし、エーアリヒの後ろに控えていた車へ火炎の塊を放り投げる。エンジンに引火した車は、ボンネットを破裂させ、派手に燃え上がった。

「この……!」

 化学式も知らないくせに、いとも簡単に破壊行為にそれを使うな。そう云おうとしたエーアリヒを、プロミナが遮った。

「どうせここに待ち伏せしていたのも、私を陥れ、能力を使わせないようにする為でしょ?」

 エーアリヒの感情は、およそ背後で燃え盛る車と同程度か、或いはそれ以上の烈火に包まれた。一本気である事は結構。元より互いに相容れる事のない間柄である事くらいは予想の範疇だ。が、陥れるという単語には、我慢ならない。寧ろこちらは社会と云う枠組みの中での道徳というものを教えてやろうと云う心積もりであったのに!
 堪忍袋の緒が切れたエーアリヒは、感情の赴くままに眼鏡を地面に捨て、プロミナの頬を殴った。尻餅を付いたプロミナに、更に一撃、一撃、一撃と、憤怒の限りを拳に込めて殴打し続ける。
 この馬鹿MAIDが泣くまで、エーアリヒは殴る事をやめない。

「痛ッ、やめ……」

「お前は痛みを以って教えないと解らない! 今日の事は繰り返させるな、プロミナ! お前が、お前達不正能力を行使する者らが何も解らず力を使う分、この世の何処かがおかしくなる! 取り返しの付かない事にもなるかもしれない! それを、今! ここで知れ! 手前勝手な正義感を振りかざす責任という奴を、ここで理解しろ!」

「絶対に嫌だ! ぐッ……」

 とどめにエーアリヒは金属製のブーツを、プロミナの腹部にめり込ませた。痛かろう。プロミナは目尻に涙をじわりと浮かべながらも、尚も反抗的な眼差しでこちらを睨み付けて来る。

「あんたら黒旗は没個性で画一的な世界を望んでるんだ! だから、そういう事を平気で云える!」

 もう一撃喰らわせようとしたが、それはプロミナの顔面には届かなかった。彼女に拳を掴まれた。指の第一関節付近に嫌な熱量を感じたエーアリヒは、咄嗟に拳をねじって彼女の手から離し、手袋を脱いで投げ捨てた。案の定、エーアリヒを燃やすつもりであったのだろう炎は、手袋を燃やすだけに終わった。見切ってしまえばその程度だ。
 ――それにしても、没個性で画一的だと?

「いささか微笑ましくない勘違いですね、プロミナ!」

 プロミナに次の手を考えられる前に、エーアリヒはプロミナの胸を蹴り飛ばし、プロミナはついに仰向けになって倒れた。後頭部を強打した様子だが、これで少しは頭の血の巡りが良くなってくれる事を祈るべきか。
 否、この程度で心を改めるなら苦労はしない。エーアリヒは偽りの正義で塗り固められた輩の“修正”が如何に難しいかを、改めて思い知らされた。胸中で炎上する激情を鎮める術が、今のエーアリヒには無い。

「お前達はこんな能力が個性とでも思っているらしい。戦いの場でしか個性が出ないと! 実にお目出度い頭だ! 少し風通しを良くしてやろうか! 空気が抜ければ少しは考えも改まるだろう! どうだ! 能力の行使をやめるか! やめずに鼻の穴を増やすか! 選べ!」

 プロミナの右目に、拳銃を突き付ける。薬室(チャンバー)に弾は装填されている。(ハンマー)撃鉄も起こした。あとは引金(トリガー)を引けば、即座に弾丸がプロミナの頭蓋骨を穿つだろう。
 が、そこまでするつもりは無い。あくまで威嚇だ。死を覚悟する程の恐怖が伴わねば、こちらの考えは伝わらないと判断したからこうさせて貰ったまでだ。実際に殺してしまえば組織のルールに違反する。
 ――身内がそこまで察してくれれば有り難かったのだが、流石にカレンでは無理か!
 急ぎ足で駆け戻ってきたカレンに後ろから羽交い絞めにされ、エーアリヒは胸中で落胆した。

「エーアリヒさん、抑えてください!」

「止めるな、カレン! こいつは私が修正する!」

 手元が狂い、弾丸が虚空へ放たれてしまう。幸い、ガラスの割れる音が聞こえて来ないので流れ弾が民家に当たっていない様だが、これで民間人に誤射してみろ。少しはそういった危険性を考えてみたらどうだ、単細胞め!
 カレンもカレンで大概だが、さらに性質(たち)の悪い事に、柳鶴とイレーネまで現れた。拙い。段取りが、計算が、何もかもが崩れてしまうではないか。プロミナを更生させる前に、こちらの肝が潰れかねない。やめてくれ!

「あら、楽しく遣ってるみたいね」

「柳鶴、イレーネ……! これのどこが楽しげに見えるというのですか!」

「主張が支離滅裂になるくらい楽しんでるように見えるけど? どれくらい理解してるのでしょうね、この小娘は」

 柳鶴がプロミナを指差し、プロミナはそれに応じるかのように立ち上がった。ふざけるな、もう回復したとでも云うのか。だとすれば、不正者共の回復力は、我ら軍事正常化委員会の推奨する標準型MAIDとほぼ同等という事になってしまう。
 立ち上がったプロミナが、真っ直ぐにこちらを見据える。

「残念ながら、さっぱりだよ。私達、特殊能力(レアスキル)持ちは、他のMAIDに比べて腕っ節が弱いんだ。私達からそれを取ったら、今ある戦線は確実に崩壊する。そしたらあんたらはどう責任を取るの?」

 民家に火災まで発生させておきながら、それを棚に上げるつもりか。しかも、こちらの指摘を全て無視していたのか。せめて『あんたの云い分も理解できない訳ではない』と云って欲しかった。そんな一縷の望みも、潰えるというのか。やめてくれ……プロミナ。
 いや、まだだ。まだ絶望したくはない。眼鏡を外していたせいで距離が離れると途端に見え辛くなるので、カレンから漸く解放されたエーアリヒは、眼鏡を掛け直し、こいつの顔をもっとよく見るべく近付いた。

「そもそも異能に頼り切った戦い方を選んだ貴女方に、責任が無いとでも?」

 云い方をまずったか。プロミナの顔色は微塵も変わらなかった。

「ある訳が無い。大体、使っちゃいけないって誰が決めたの? 決めたとして、何故私達特殊能力を持つMAIDは生まれてきたの?」

「それは、特殊能力がそもそもイレギュラーなもので、だから“珍しい(レア)”と付きます。ですから……」

 相手の理解力に合わせて、最初から説明しないと理解して貰えそうに無い。一つ一つ順を追って説得しようとした所を、プロミナが痺れを切らせて掴み掛かって来た。

「やっぱり、勝手にあんた達が決めた事じゃないか!」

 一触即発とはまさにこの状況を云うのだろう。こいつはまた炎を飛ばすに違いない。周りも巻き込まれるのは嫌なのか、手出しひとつしようとしない。それもそうか。取り押さえようと皆で取り囲んだ所で燃やされでもしたら、こちらの損害が増えるばかりだ。味方は多いが、実質エーアリヒは孤立していると云って差し支えない。
 こうなれば、頼れるのは己の身体だけだ。勝利を確信していたであろうプロミナに、頭突きを見舞ってやる。鼻の奥の方に響かせたか、プロミナは鼻血を垂らしながらよろけた。

「G-GHQの公式見解です! 勉強しろ!」

「Gの危険に脅かされている時に、そんなのは関係ない!」

「Gがこの世から消えた後はどうするつもりですか!」

「その時が来るまでは判らない。けれども、そしたら私はこれを封印して静かに暮らす。或いは、使い切って戦場で死ぬ! その覚悟は出来ている!」

 そう云って、プロミナが抜刀の姿勢をとった。あくまで彼女は己を曲げないつもりだ。
 ――何故、これだけの人数を相手取って強気で居られる? 何故、これだけ云い続けて、その全てを一方的に切り捨てる? 生まれて数ヶ月だからか。それならもっと柔軟な筈だ。恐怖や痛みに屈して、己を偽ってでも「はい」と頷く筈だ。こうも頑固な態度を取るとは。私達が軍事正常化委員会だからか?
 折れそうになる心を必死に保ち、エーアリヒは解りやすい例えを記憶から探り当てた。

「もしも人を殺すような戦場でその能力を使うとしたらという事を考えろ! お前の意思など、戦場は汲もうとはしない! 殺さざるを得ない状況になれば、お前は迷わずそれを使う事になる! その意味がお前には――」

「――エーアリヒ、本部から帰還命令が来ている。帰るぞ」

 仲間の耳打ちに遮られたが、従わざるを得ない。MAIDは人間には逆らってはならない。まして、本部の命令とあらば尚更だ。振り上げた感情という名の拳を何処へ降ろすべきか。
 己の心から熱量が出尽くしてしまった事をエーアリヒは悟りながらも、まだ諦めきれない自分を手懐ける方法を探した。

「タイムリミットですか……カレン、帰りますよ……柳鶴とイレーネは?」

「先に帰ってしまったようです」

「然様で」

 あの二人には別段、興味も無い。本部へ帰ったら面倒な絡み方をされるのだろうか。如何にして避けるかは、帰った時にでも考えよう。それよりも……

「プロミナ!」

「残念だけど、この件は親衛隊に報告させてもらうから」

「その程度、何ら痛手にはなりませんがね。それよりも、私の言葉を、貴女はそう遠くないうちに理解する事でしょう」

 その力さえ無ければ、プロミナ。お前は私には無い部分を補ってくれる良い友になっていたかもしれなかったのに。この歴史にも残らぬあまりに小さな戦場で、一体私は、何を掴んだというのか。
 車に乗り終え、帰路に着いたエーアリヒは、頭を抱えて思いを巡らせた。車通りが少ない事だけが唯一の救いだ。本部へ報告を行った後に自室で物思いに浸る時間が増える。対向車も少ないのでこちらの表情を見られる回数もそれほど多くは無いだろう。
 だが、ふと擦れ違った一台の黒塗りの車の光沢に、自身の物憂げな表情が移り込んでいる気がして、エーアリヒはそっと顔を俯けた。

「戦場は私達の意志など、汲んではくれないというのに……」



 オーロックスは生きていた。
 泣ける話だ。あいつはザハーラという新しい場所で、新しい仲間と、新しい人生を歩んでいる。
 見捨てられた事の憎しみさえ、あいつは決別してやがった。

 俺は最初、あいつを偶然見つけたついでにレギオンに引き入れようと思ったんだ。
 穏やかな性格のあいつの事だから元から期待しちゃいなかったんだが……
 それどころか、ザハーラに来ないかって誘われちまった。
 あいつらしいと云えば、あいつらしいんだろうな。

 まぁ、ビジネスをやるなら石油は必要だから、拠点のひとつにはしたいがね。
 とりあえずその日は帰ったよ。新品の黒い車でな。俺は盲目んで色は解らねぇが、仲間が選んでくれたから、きっと黒なんだろうよ。

(議事録の写し。後半焼失)


最終更新:2010年11月18日 15:35
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