Behind 6-2 : 一夜限りの逃避行

(投稿者:怨是)


 蝋燭の火を消すには息を吹きかければいい。
 燃え盛る炎を消すには水を掛ければいい。
 では、町中に広がった大火事を消すには大嵐でも呼べばいいのだろうか。
 もしも、それらが心の中で起きた現象なら、消防隊はどうやって消火活動をすればいいのだろうか。
 私の炎を消そうとした人達に、それを訊こうものなら、きっと私は狂人だと思われるのだろう。

(獄中日記と思われる記述。筆者不明)



 ――1945年8月12日、夜。
 帝都ニーベルンゲ、ニトラスブルク区にて。

シーアさん……もしかして、ベーエルデーの!」

 つい先刻まで絶望に彩られていた胸中は、瞬く間に希望で溢れ返った。

「私をご存知なのか」

「勿論です。同じ炎の能力を持つ者として、尊敬しています」

 プロミナはシーアの問いに、興奮を隠さず答えた。
 シーアと云えばベーエルデー連邦の保有する空戦MAID部隊ルフトヴァッフェのエースであり、戦闘能力に於いて右に出る者は居ない。彼女なら黒旗を打ち破るには充分過ぎる程の力を持っているだろう。色情魔やら何やらと良からぬ噂を耳にする事も多いが、下らぬ嫉妬にしか聞こえない。炎と飛行能力の両方を持ち、ドラゴンフライ級にも屈しない精神力を持っているのだ。プロミナにとって、いつかは辿り着きたい目標とも云えた。

「……嬉しい同胞と知り合えたものだ。さぁ、空へ逃げるぞ」

 そう云って、シーアは翼をはためかせた。炎の翼が一際まばゆく光り、シーアの足と地面が離れる。浮遊感が、まるで自分まで空を飛んでいる様な錯覚を抱かせた。周囲の黒旗兵の多くが手出し出来ずに狼狽する中、ラセスとその教育担当官らしき男だけは冷静だった。互いに目配せしている。

「ラセス、真下から狙え」

「御意」

 ラセスがシーアの先程まで立っていた場所へと滑り込み、そのまま銃を構えた。ざわめきに包まれた公園に金属音が反響するとほぼ同時に、シーアが横へ強く加速する。突風がプロミナの髪を撫で、その横を銃弾が上へと掠めた。眼下のラセスがシーアの動きに追従して走る。

「あまり、若者をいじめないで頂きたい」

「我々の行為を虐待と見做している限り、君達は若者だよ。さぁラセス、火線を絞れ。奴は速いだけで動きそのものは単調だ」

 シーアの回避する先へ、ラセスが銃撃を行う。シーアも何処へ逃げ延びるべきか考えあぐねている様で、しきりに視線を足元と建物の方角とを行き来させている。プロミナは何とか援護したい気持ちは山々だったが、傷のせいなのか両腕に力が全く入らない。炎を放つには、まだ少し回復を待たねばならず、それが歯痒くて仕方がない。

「残る兵も集中砲火だ。的が空中ならば誤射の心配もあるまい。心置きなく引き金を引きたまえ」

「了解!」

 弾幕は一気に数を増し、プロミナとシーアを苦しめた。シーアの額から垂れた汗が、プロミナの胸元に滴り落ちる。

「何の!」

 彼ら黒旗兵達の集中砲火を切り抜けるべく、シーアが急上昇を行う。直後、真下から投げられた手榴弾が撃ち抜かれて炸裂し、プロミナごとシーアが爆風に飛ばされた。幸い、怪我は無い。が、プロミナを抱えるだけで精一杯のシーアはそのリソースを回避に費やさずをえず、プロミナもまた頼りの炎が使えない以上、このままではジリ貧に陥ってしまうだろう。上へ逃げようにも、ラセスがそれを確実に阻んでくる。

「空の覇者を謳うルフトヴァッフェも、手負いを抱えては動きも鈍る。諦めたらどうかね。数の上ではこちらが優勢だぞ、圧倒的にな」

「戦いを数だけで見るのは、君達の悪い癖だな」

「云ってくれる。片翼で守りきるという思考こそ、悪癖に他ならん。それ見た事か。当たったじゃないか」

 プロミナは慌てて視線をシーアに向けると、シーアの右肩から出血しているのが見えた。

「ぐ……」

「シーアさん?!」

「何、この程度……当たった内には入らんさ」

 シーアは明らかに苦悶の表情を浮かべている。かなり抉られたらしい。プロミナのやれる事と云えば、せいぜい抱きかかえられながら傷口を押さえる位の事しか無い。何か思い立ったのかシーアは急降下し、姿勢を低くした。

「しっかり掴まっていてくれよ」

 とシーアは一言だけ残し、凄まじい勢いで加速する。大きく開いた翼が、黒旗兵を次々と薙ぎ倒した。銃弾は皆、プロミナにもシーアにも、掠りはしなかった。そのまま、飛行機が離陸する要領で、プロミナとシーアは再び空へと戻る。

「ベルモスコ中佐、水銀隊の半数がやられました! これ以上の作戦続行は不可能です!」

「案ずる事は無い。奴は加減の出来るMAIDだ。負傷者は衛生兵に任せて、我々は追撃に向かおうじゃないか」

 背後の声が、彼ら黒旗兵がまだ諦めていないという事を知らせて来る。余程こちらが怨めしいのか。

「追い駆けて来ます」

「果たして追い付けるかな、ああいった連中は」

 彼らの姿が見る見るうちに遠くなり、やがては見えなくなった。銃弾も、此処までは届かない。
 何処かの建物の屋根に辿り着いたシーアは、プロミナを降ろし、そのまま右肩を抱えてうずくまった。かなりの無理をしている事は、生後半年にも満たないプロミナから見ても明らかだ。疲労が顔に出ている。

「くそっ、当たり所が悪いとこうも痛むものか……」

「ごめんなさい、私の為に」

 負い目を感じたプロミナは、ドレスの裾を破ってシーアの傷口に巻いた。応急処置の方法については訓練の際に習っている。確か、心臓に近いほうに巻く筈だ。

「いいさ。この傷は私の不手際だ」

「……仲間の方々は、呼べませんか?」

「すまない。生憎と休暇中に通りすがったもので、通信機も持っていないんだ」

 通信手段が無い上に、夜中である。味方の増援は望み薄だ。本来ならば頼るべき筈の皇室親衛隊も、今は敵として立ちはだかるに違いない。プロミナはルフトヴァッフェが恋しくて仕方が無かった。
 地上から眺めたルフトヴァッフェの戦いぶりは、美しく、且つ見る者を圧倒させる。多数の空戦MAID達が次々とフライを倒して行く様は、芸術的とさえ云えた。その彼女らが来ないとあらば、頼れるのはプロミナ自身のみとなる。つい他力本願になってしまいがちな思考を抑え込もうとするが、どうにも心細さまで誤魔化しきる事は出来そうに無い。こちらの戦力は自分を含め、たったの二人。それも両者共に手負いだ。

「これだけの騒ぎになれば、親衛隊や憲兵、警察の類が出て来ても可笑しくはない筈だが……嫌に静かだ。この街には誰も居ないのか?」

「そう云えば……まさか、町全体が包囲されているのでしょうか」

 プロミナは自分で云って、ぞっとした。シーアがもし偶然この場に居なかったとしたら、絶対に逃げ切れなかった。ニトラスブルク区は帝都の中でも有数の大型都市だ。それが全て黒旗、或いは親衛隊の掌中にあるとしたら、やはり逃げ場は何処にも存在しないではないか。
 唯一にして最大の救いは、シーアが傍らに居てくれる事だけだ。

「飛び続けるしかない、という事か。……何処へ送り届けたらいい? 君は帝国の所属だろうから、親衛隊本部へ行くべきかな」

「いえ、親衛隊は……駄目です。きっと私は、彼らからも追われる身ですから」

 あの場所へはきっともう、戻れない。護送されている時に狙撃され、運転手が殺されている。それを彼らがどう捉えるか。運転手を殺害してまで脱走を図り、その道中で黒旗に付け狙われたと見做して来るだろう。

「何があったか、教えて貰えるかな」

「放火の罪を着せられて、私はプロトファスマを倒す為に戦ったと主張しても、誰も聞き入れてくれなくて……だから、私はどちらに捕まっても、きっと、処分されてしまいます。シーアさん、私は何処へも行けないんです」

 プロミナは、自分がまた泣きそうな顔になっている事に気付いた。鼻腔に冷たい圧迫感がじわじわと広がっている。両手をしっかりと握って顔を覗き込んでくれるシーアの優しさに、何度も涙腺が悲鳴を上げそうになった。

「なるほど……辛い目に遭ったな。ならば、私達の所へ来ないか」

「ベーエルデーへ、ですか」

 聞いたことはある。行き場を失った者達の多くが、ベーエルデー連邦へと集まるという話を誰かがしてた。ほかの各国で迫害されている亜人も、ベーエルデーでは普通に人権がある。あの国なら、或いは自分の居場所が見つかるかもしれない。

「そうとも。数多の陰謀から、きっと君を守ってみせる。君の勇敢な心を、私達が生かそうじゃないか」

「それが赦されるなら、是非、私は――」

 プロミナが云い掛けた所で、銃弾が二人の間を通り過ぎた。驚いて向き直ると、ラセスが銃を構えて屋根の上に立っていた。相変わらず、殺気を放っている。

「――標的確認。削除開始」

 その一言を合図にするかの様に、ラセスは鬼の形相で駆け寄る。シーアが左手を差し出す。

「えぇい、もう追い付いたというのか! 飛び降りるぞ、掴まれ!」

「はい!」

 落下中に振り向くと、ラセスは壁に盾の先端の杭を押し付けながら、壁を駆け下りていた。銃の反動を利用して、足場となる壁を上手く伝っている。

「――!」

 ラセスに追いつかれる前にシーアが炎の翼を展開し、背後からの銃弾を掻き消した。そのまま落下から飛行へと切り替える。彼女の左手にぶらさがりつつ、プロミナは背後の様子を窺った。ラセスは速度を落とさず、路地裏を走っている。障害物は全て盾の先端の杭を用いて飛び越えている。
 大通りに出ると、弾幕が壁となった。いつの間にか、屋根の上からも黒旗兵達が狙っている。シーアが速度を落とし、曲がろうとした所をすかさず、ラセスが狙い撃った。出力の低下した翼では、空は飛べないらしい。シーアが緩やかに着地しようと努めたにもかかわらず、慣性が邪魔をしてシーアとプロミナはもろとも地面を転げた。
 追いついたラセスが、小銃をこちらに向ける。

「標的……選択せよ。投降か、死か」

 プロミナがシーアを庇おうとすると、逆にシーアがそれを制して前へと立った。

「どちらも選んではやらんよ。選択肢は己で見出すものと心に決めている!」

「……削除する」

 ラセスの正確無比な射撃を、シーアは炎の翼で受け止める。融解した弾丸がそのまま気化して消滅した。これが、レッドバロンの炎か。振り向いたシーアに「あそこで隠れていてくれ。後は私が全て片付ける」と促され、プロミナは放置された車の陰に隠れた。ここなら安全だ。この場に黒旗兵達がやって来くるならば、自分も応戦しよう。そろそろ援護するだけの力は回復して来ている筈だ。
 シーアはラセスの銃を両手で押さえ、彼女の顔を見上げた。

「ラセスと云ったか。機械人形の真似事は止せ! 感情を捨てるべきではない! そんな事では、両手に染み付いた血の臭いを忘れてしまうぞ!」

「拒否する」

 ラセスの盾の杭による刺突をかがんで回避し、シーアは再び距離をとった。

「聞き入れてはくれないか……」

 黒旗兵達が軍靴を鳴らせて続々と現れる。予想よりも随分と早い。やれるだろうかと思案するプロミナとは違い、シーアはあくまで勇敢に立ち向かった。彼女は銃弾を翼で受け流しつつ、腰のサーベルを引き抜いて一喝する。

「黒旗! 偏見の塊のMAIDを育てて、何とするか!」

 ラセスの教育担当官――ベルモスコ中佐と呼ばれていた男が、拳銃をホルスタから取り出しながら現れた。彼はラセスの傍らに立ち、何処か憐れみを含んだ面持ちで応じる。

「偏見……か。その言葉、そっくりそのままお返ししよう。私はあくまで客観的な見地に基いて、管理をしようと考えている。諸君らは、自身の原理の解らぬ、強大過ぎる力に、一度でも恐怖した事は無いか?」

 シーアも拳銃をホルスタから抜き、ラセスとベルモスコへと向けた。シーアの翼は赤とも金色とも付かない煌々とした色に輝き、辺り一帯をまばゆく照らした。

「原理が不明瞭であろうと、使いこなせばどうという事はない。我々MAIDに教育担当官というものが付いているのも、君達の云う処の強大な力とやらを管理する為だろう。それだけでは足りないとでも云うのか」

 充分に加速したシーアはベルモスコに肉薄し、サーベルを横薙ぎに振り抜いた。それをラセスが盾で防ぐ。サーベルと盾がぶつかり合い、火花が飛び散る。ぎりぎりと軋む音が続いた。ラセスから離れたベルモスコが、手榴弾を放り投げる。

「足りんとも。全く持って不足だ。鎖を付けぬ枷など、枷の意味を為さん」

 シーアがその手榴弾を炎の翼で打ち返し、虚空にて炸裂させた。黒旗兵らが慌てて防御の姿勢を取っていたが、手榴弾の爆発範囲は彼らに全く届いていない。煙を翼で払い、シーアがラセスを蹴ろうと試みる。ラセスは盾でそれを防いだ。

「流石に知識人気取りは難解な例え話を仰る。解り易い言葉でお願いしようか。鎖とは、何だ?」

 戦場は静まり返った。ただ、ただ、燃え滾る炎の翼と、その光を反射する銀色の盾のみが、周囲の視界を彩っていた。プロミナは一歩、身を乗り出して様子を探った。彼ら、彼女らは動かない。その中で、ベルモスコが漸く言葉を纏めたといった風で、一気に、ただしあくまで静かに捲くし立てる。右手の拳銃は決して狙いを解かずに。

「諸君らが日頃“豆鉄砲”などと嘲っているこれでさえ、我々人間というものを殺してしまえる。より強い力であれば、より容易く殺せる。その意味を考えた事はあるか? シーア君。君も見ただろう。あの公園の、焼け落ちた木々を。そして、真っ黒に焦げた死体の数々を。あれらは全て、そこに居るMAIDがやったのだ」

「――ッ」

 指差されたプロミナは、また車の陰へ隠れた。
 それからプロミナは両手で頭を抱え込み、ベルモスコを怨んだ。シーアがプロミナを『守るべき被害者』ではなく、『利己的な殺戮者』として見てしまうではないか。誰が好き好んであんな黒焦げの死体の山を築き上げるものか。背筋が寒い。

「正当防衛でそうせざるを得なかった事くらい、私は知ってるさ」

 シーアがこちらへ振り向き、微笑み掛ける。包囲されている状況下であっても、彼女は余裕であろうとしている。勇敢であろうとしている。あれこそが、エースの風格というものだろうか。それに比べ、自分という存在の何と矮小な事か。

「致命的な甘さだよ、シーア君。正当防衛なら他に幾らでも遣り様があった筈だろうに」

 ベルモスコはますます、憐憫を露わにした。

「まだ諸君らの動力、つまるところエターナル・コアのメカニズムは、未解明な部分も多い。だからこそ、危険な力はルールを設けて制御されねばならない。好き勝手に使い過ぎれば、この世界の半分以上が焦土と化すかもしれないのだ。その様な未来を、君は望むか? 我々の様な脆弱な人間達に、その後始末をさせるつもりか?」

「私も、この子も、人を殺す趣味は無いからな。残念ながらお答えできんよ。同じ力なら、私はこうして誰かを守る為に使う」

 プロミナは黙して成り行きを覗き見ていたが、シーアの言葉に喜びを隠せなかった。彼女は自分と同じ主義を貫いている。暴風雨の如く銃撃を華麗に避けながら、時折こちらへ来る弾丸も炎の翼で掻き消してくれる彼女が、プロミナの目には神々しく映った。自分もああして誰かを守る為に全力を尽くせるなら。

「何も変わらんのか、結局……この問いかけに、多くのMAIDは君と同じ返答をした。それでは駄目だ、シーア君。人類共通の敵であるGが消えればいずれ、否応無く、国家の看板を嘯いて人を殺さねばならない時代がやってくる」

 対するベルモスコは、何時かのエーアリヒと同じ事を云っていた。黒旗が特殊能力を持ったMAIDを目の敵にしている理由は、国家同士の戦争を危惧しての事なのだろうか。

「君がかつて、君の母親をその手で殺した様に、人が人を殺す事が当たり前の通過儀礼となる時がやってくる。その時になっても尚、君は同じ事を云うのか!」

 今まで冷静そのものであったベルモスコの声音が、徐々に荒くなって行く。それまで恐れる仕草を見せなかったシーアが珍しく、動きが鈍って来ている。

「――敵国の兵士達を平然と殺しながら!」

 ベルモスコの叫びにも近い怒声と共に放たれた銃弾に、ラセスや、黒旗兵達の銃弾も加わる。7.65mm口径のライフル弾の数々が、次々とシーアの肉体の至る所に喰らい付いた。

「うぐ、おぉ……!」

 致命傷こそ免れたものの、かなりの数が命中し、シーアは傷に伴う大量出血に耐え切れずにその場に倒れこんだ。プロミナは己の臆病さを何よりも呪った。あの時、穴の開いた片足に鞭打ってでも飛び出していれば。プロミナは今更ながら、シーアの傍へ駆け寄る。彼女が起き上がろうとして膝を付いたのを、プロミナは片足を引き摺りながら介抱した。

「シーアさん、しっかり!」

「……すまん、私の力が及ばないばかりに」

 深手を負ったシーアは、それでも拳銃とサーベルを手放さなかった。初めて出会っただけのMAIDに、しかもこちらはまだ名も名乗っていないというのに、どうしてここまで尽くしてくれるのか。命を掛けてくれるのか。プロミナはもう、泣く事を我慢出来なかった。

「いいんです、ありがとう……ありがとう、シーアさん、私は貴女に会えただけで、それだけで幸せです、だから、もういいんです、逃げて下さい!」

 涙が止まらないプロミナの頬を、シーアが拳銃をホルスタに収め、その左手で拭った。

「逃げるものか……エースが同胞一人守れずに逃げれたとあらば、それは死んだも同然だ」

「でも、こんな私の為に貴女が死んだら、ルフトヴァッフェの仲間達が悲しみます!」

 名も知らぬMAIDの為に掛け替えのないエースを失った時、ルフトヴァッフェの仲間達はきっとそこに居合わせた不幸を呪うだろう。もう、立ち向かっても勝てない。シーアはこんな自分の為に充分戦ってくれた。もう、これ以上傷付いて欲しくない。
 少し前まで彼女を頼り切っておいて今更勝手な事をと、プロミナの胸中を知る者は糾弾するだろう。

「君は、私の友人に、死んだ友人に、よく似ているんだ。だから、私は逃げない。同じ悲しみなら、私は誇りある悲しみを選ぶ!」

「シーアさん!」

 シーアは力を振り絞り、炎の翼を展開した。弱々しくも力一杯に炎上する一対の翼は、不退転の意志を貫く彼女の決意を言葉よりも雄弁に物語っている。ベルモスコも、ラセスに手振りで戦闘を再開させる旨を伝え、彼自身は一歩引いた。他の黒旗兵らにも、銃を下げさせている。とどのつまり、重傷で機動力の低下した相手に無駄弾は撃たないという事なのだろう。

「シーア君。ロマンスはそろそろ終わりにしよう。時間は無限ではない」

「子供じみているだろう? 何、解っているさ。勝利の栄光は、私が掴んでみせる……」

「栄光は己の手で掴むものではない。第三者が評価する事で初めて得られる。最期まで履き違えたままだったな。愚かしい限りだよ、シーア君……君達の様な無知蒙昧な輩が戦場を跋扈している限り、戦乱の未来は免れ得ない」

「果たしてそうかな……人類同士の戦争を防ぐ手立てを今の内に考え、手を取り合う時代へ導く事を、君達は諦めるのか」

 ラセスの投擲した丸鋸を、シーアはサーベルで弾いた。勢いを失った丸鋸はそのまま石畳を転がる。プロミナは恐る恐る、地面に寝そべったそれを拾い上げ、石畳を強く掻き切った。今のシーア程の火力も無いが、それでも何も使えないよりは望みがある。
 プロミナがまだ戦える事を察したベルモスコが、奥に控えていた黒旗兵に合図した。

「人が人である限り、戦争は不可避な政治的手段として存在する。7年も生きて、その程度の真理にも辿り着けないか、シーア君!」

「暴力的解決に頼らざるを得ない状況を回避する、或いは武器に頼らずに人を救う方法がある筈だ! 何故、それを探そうとしない!」

「紀元前よりそれを探す者は数え切れぬほど居た筈だ。しかし、現にこうして戦いは存在する。この事実が全ての答えではないのか?」

 シーアの翼に守られながら、プロミナは炎を無作為に何発か放ったが、ラセスが走り回りながら全て振り払った。これだけ動き回って一発も誤射が発生しない事に、プロミナは思わず頭を抱えそうになった。

「それにだ、シーア君。君自身も未だに見付けられていないのだろう? その“方法”とやらを。幻想はあくまで、幻想に過ぎない」

 シーアが拳銃を構え、空から攻撃を加えるべく飛び立ったその刹那だった。シーアの腹部が、ラセスの盾の杭に貫かれ、鮮血がプロミナの顔まで届いた。

「がッ、あ……」

 翼は消え失せ、今度こそシーアは武器を手放して倒れた。その勢いに乗じてプロミナの両腕も小銃で撃たれ、激痛がプロミナを襲った。これではもう、能力も使えない。プロミナはずっと立っているのがやっとだ。目の前が真っ暗になり、頭の奥で鐘を鳴らした様な痛みが何度も響く。

「レッドバロンも、地に落ちたものだ。もっと聡明な返答を期待していたのだが……生まれて間もないその子ならともかく、君ほどの稼動年数を持つMAIDなら、それが可能であったというのに。……ふむ、もはや聞く耳を持つ余裕も無いか。まぁ構わんよ。死に体に愚痴を零すのも野暮というものだ」

 ――終わった。
 プロミナは半ば自暴自棄になりながら、ラセスとベルモスコを睨み続けた。内臓が生きているなら、会話をする時間くらいはあるかもしれない。命は残り僅かだ。

「よし、ラセス。彼女の勇気に免じて、シーアはそっとしてやれ。仲間が助けに来る可能性は五分五分だが、即死よりはロマンスを嗜む時間もあろう」

「御意」

 ラセスは横たわるシーアを見る事をやめた。そして思い出したかのようにこちらへ視線を移した。

「残るはプロミナ君だけか。ラセス、可及的速やかに捕縛したまえ」

「御意」

 捕縛という単語に幽かな引っ掛かりを覚えるが、ここまで敵対行動を続けた手前、黒旗も只では済ませないだろう。彼らに捕まれば最後、拷問の末に精神を破壊し尽くされるに違いない。Frontier of MAIDの会場に乗り込み、展示品のMAIDを皆殺しにした彼らなら絶対にそうする。いずれにせよ五体満足では返さないという確信がある。
 プロミナはシーアのホルスタから拳銃を借りた。幸い、エントリヒ帝国でも生産されていた拳銃とよく似ている。模型だけなら触った事がある。傷だらけの両腕でも、それなりに狙えるかもしれない。
 ラセスが盾を構えながら、ぽつりと口を開く。

「……標的」

「何? どうやって殺すか訊ねでもするの? 穴開きチーズにするのがお望み? そのあと、仲間達と仲良く食べたり、毛皮を剥いだりするわけ?」

「……」

「その前に、私がお前を焼き殺してやる。絶対に!」

「……」

 強がりを云ってみた。返答は無いものの、ほんの僅かではあったがラセスの眉間の皺が減った。プロミナはまだ感情の機微を読み取れる程に成熟していないとはいえ、彼女のこの反応は実に判り易かった。
 ――侮蔑だ。
 彼女にとってプロミナはもはや、一匹の獲物ではなく、路傍の石でしかない。警戒も、威圧も、何ら必要の無い、踏めば潰れるだけの存在なのだ。その担当官らしきベルモスコもまた、こちらの健闘を無駄な足掻きと見るような目で、諭して来る。

「プロミナ君。反抗はもはや無意味だ。君の運命は決まっている」

「馬鹿にしないで!」

 銃で狙うのは苦手だ。が、盾さえ無ければ確実に頭に命中したであろう箇所を、プロミナは撃った。意思表示の為に放った銃弾は、空しく盾に弾かれた。知った事か。プロミナは、そのまま吼え続けた。

「あんたらはそうやって、私達MAIDを性能とかだけで見てるけど、私達には心がある! 感情が、魂がある! 誰かの為に涙を流せる! それでも、あんたらは数値でしか物を見ないのか!」

 弾切れになるまで撃ち尽くし、尚もプロミナは構えを解かない。いつか奇跡が起きて、この銃口から炎が出てくれるかもしれないのだ。

「熱っぽく語ってくれるな……社会の歯車を機能させるには、感情を押し殺す必要がある。少しは理解する器量を持ちたまえよ」

「詭弁だよ、そんな話は!」

「一人前の口を利くには、君はまだ早すぎた。大人しく従いたまえ。私とて、引き金を引くのは辛いんだ。君は生まれてそこまで月日を経ていない。今のうちに荒波に揉まれるしかないという事を理解したまえ。これらの経験は無駄ではない筈だよ」

 ラセスを押し退けて、ベルモスコはこちらに駆け寄って首を掴んで来た。プロミナはMAIDだが、鋼の身体ではない。十代半ばに見える身体は、成人した男性が持ち上げるには軽いものなのだろう。片手で持ち上げられている。彼は、こちらがもう炎の能力を使えるだけの体力が無い事を知っているのか。薄れ行く意識の中で、プロミナは自身でも驚くほどに冷静にそう分析した。

「黒旗、そこで何をしている!」

 男の、鋭い、突き刺すような声音に、プロミナは意識を取り戻した。

「この件は貴様らの領分ではない! 余計な横槍は控えてもらおうか! 今なら見逃してやる! 三分以内に片付けを済ませて本拠地にでも帰るがいい! さもなくば、いつぞやの様にライールブルクを火の海にするぞ!」

 ベルモスコにゆっくりと降ろされ、振り向いた。案の定、皇室親衛隊の面々だ。彼らは日が暮れて随分と経った今頃に、漸く遣ってきたのだ。遅すぎる。

「親衛隊、やけに早いな……! 時間切れだ。撤退するぞ!」

「了解!」

「御意」

 プロミナの心境に反して、ベルモスコらはまだ時間が欲しかった事を毒づきながらばらばらと去って行く。
 結局は囚われの身となる事に変わりは無い。それが黒旗か、親衛隊かのどちらかという違いだけだ。プロミナの主な負傷箇所は両腕、脇腹、右足の膝。親衛隊なら無傷で捕まえただろうか。自分の事にも関わらず、プロミナは何処か他人事だった。
 肩に手を置かれ、意識をそちらへ向ける。

「プロミナ。命令無しでの殺傷は許可されていない。お前は逃亡罪、命令違反、謹慎期間無視、時間外交戦、あらゆる罪を犯したな。反省の意図が見られないならば、お前は黒旗に売られる前に消し炭にされるかもしれないぞ。それでもいいのか……」

「こうせざるを得ない状況に追い込んだのは、貴方達じゃないですか……」

 そもそも彼らが、プロミナがプロトファスマと戦った事を信じて、証拠品を掴んでさえくれればこのような憂き目に遭う事も無かったというのに。だが男はふてぶてしくも、その怨み言を一蹴した。

「そのくだりは我々が判断し、処理する。お前は我々、皇室親衛隊の財産だ。帰るぞ、プロミナ」

「待って下さい」

 手を引かれるのを強引に振り解いた。エーアリヒと出合ったあの日がフラッシュバックするのを、プロミナは首を振って否定した。親衛隊の男は怪訝そうな面持ちだ。

「何だ。異議を唱える権利は、今のお前には無いが」

「シーアさんは、どうするつもりですか。このまま放って置く訳には行かないじゃないですか」

「……既に救急隊がこの場所に向かっている。本来ならば、勝手に戦闘に参加して負傷したという事で、我々は責任を負いかねるが、こうして結果的には協力してくれたからな。思った程に傷は深くないから、応急処置は不要だ。さて、私は返答の義務を果たしたよ。これで満足か? プロミナ」

「そうですね」

 果たして本当に深くないかどうか、怪しい所だ。プロミナはもう、アースラウグと待ち合わせをしていた頃の様な、無垢に人々を信じる心を捨ててしまっていた。

「では、一夜限りの逃避行はこれにて閉幕だ。皇室親衛隊は、お前を守る為にこうして出向いた。大切な財産であるお前が黒旗の陰謀に曝されては、我々も気が気ではない。頼むから悪さはこれっきりにしてくれよ」

「そう、ですか……ご迷惑をお掛けして、どうもすみませんね」

 プロミナは薄ら笑いを浮かべてみせ、自分の感情を掻き消した。
 雨が、降り始めていた。



 プロミナは込み上げる吐き気に、意識を現実へと引き戻され、跳ね起きた。記憶がそのまま夢となって、脳裏をずっと流れていたらしい。まだあの時の感覚が、抜け切っていない。初めて人を殺したあの夜を、どうして忘れる事が出来ようか。
 辺りを見回す。コンクリートの壁と鉄の扉が見える。朦朧とした頭は、暫くして回転を始めた。

 ここは皇室親衛隊公安部隊管轄下の、小規模な収容所だ。家畜の餌の方がまだマシかもしれない程に不味い食事を腹に掻き込んだせいか、昨夜から気分が良くない。スープの玉葱が腐っていたのだろうか。頭を軽く振り、こめかみの痛みと嘔吐感をどうにか払う。
 今日が何月何日であるかを知ろうとする前に今日の取調べの内容が気になったプロミナは、鉛の様に重たい身体を起こし、分厚い鉄扉越しに看守に問い掛ける。

「看守さん、看守さん」

「何だ」

「取調べは、何時から?」

 看守は、腕時計と黒板を何度か見比べ、首を捻った。どうやら、何も知らないらしい。机の上の分厚いノートも捲っていたが、やはり看守は釈然としない表情だ。

「残念だが、判らん。予定表には何も書かれてないぜ」

「意外と、杜撰なんですね……」

「仕方ないよ。何せ、ここ最近はえらい立て込んでるみたいだからね」

「へぇ」

 それきり、看守とは口を利かない事にした。これ以上、話す内容も無ければ、彼への興味も無い。鉄パイプに木の板を乗せ、安物のシーツを被せただけの粗末なベッドに再び寝そべり、プロミナは天井を見上げた。此処に光は差し込まない。蛾が集っている小さな蛍光灯が、この独房の唯一の灯りだ。

「一夜限りの逃避行、か……」

 プロミナは差し入れの煙草に、ライターで着火する。制御装置を体内に打ち込まれ、能力を封じられている今、指から炎は出せない。いつかは解放してくれるのだろうと投げ遣りな皮算用をしながら、あの時と同じ薄ら笑いをした。
 シーアがこの様子を見れば、ひどく悲しむに違いない。故に、プロミナは祈った。

「結果はどうあれ、全力を尽くして守ってくれた。だからシーアさんには、悲しんで欲しくないなぁ」

 ――あわよくば記憶していてくれれば。プロミナ自身の魂も救われるのだろうか。
 初めて吸った煙草の味は、人から聞くほど美味くは無かった。


最終更新:2011年02月05日 11:53
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