No.22 Well, that was really good

(投稿者:エルス)



  朝が来るのはこんなに遅かったのかと、カーテンの隙間から入り込んだ光に目を眩ませながら、俺はふと思った。
  ベッドから這い出て、床に転がっている自分の服を拾って身につけ、腰の両側のホルスターにそれぞれマッチ・モデルと骨董品のM1911を収める。
  机の上に転がったブラシで乱れた髪を直そうと頑張ってみたが、そういう髪質なのか、あっちこっちの跳ねた寝癖は直りそうもなかった。
  思わず溜息をつくと、くすくすと笑い声が部屋に響いた。無視していた腰の痛みがぶり返し、嫌な汗が噴き出るのを感じながら、俺はそっと振り返った。

 「おはようございます。シリル
 「ああ、おはよう。エル」

  以前よりずっと明瞭に聞こえるような気がする声に、俺はぶっきらぼうな声で応じ、次いで、顔を逸らした。
  ベッドの上で微笑むエルの裸体を隠すのはシーツだけだったし、なにより、そのまま見続けていて理性を保てるかどうか不安になったからだ。
  もっとも、さっきからずきずきと痛む腰の状態を考えれば、それが一番妥当な判断だと言うほかなかった。物事には、限度というものがあるのだし。

 「ふふっ」
 「ん? なんだ、どうかしたか?」
 「いえ、なんでもありませんよ。ただ、嬉しいだけですよ」
 「……そか」

  俺も嬉しいよと言いたかったが、気恥ずかしさが邪魔をして言えなかった。どこまでも大人になりきれない自分に呆れ、だからエルに弄られるんだろうと考えたりする。
  でも今は、それでも別に良いかと、ぼんやりと納得している自分がいる。エルが楽しんで、笑顔になってくれるのなら、それで良いじゃないか。そんな、強い自分がいる。
  前にこういうシチュエーションがあったなと思う傍ら、外見はそうでも中身が違うだろうと思い、比較するのはちょっと酷だろうと結論を出す。
  酷と言うのは、主に俺がという意味だったりするのだが。

 「はぁ……」

  思わず溜息が零れた。なんというか、自分と言う生き物はミシェルの鏡なんじゃないかと思えてきたのだ。
  鏡……つまりは、真逆と言う意味だ。外見はそっくりでも、中身である心が違う。たった三年の俺と、十六年のミシェルを比べるのはおかしいのかもしれない。
  けれど、十六年の間にミシェルが決めた覚悟と、この三年で俺が決めた覚悟の数を比べたら、きっと俺の方が多い。
  それだけ、俺は変わったという意味だろうか。自分で考えておいて、質問が出てきた。
  どうなんだろうなと自分で自分に相槌を打つと、背中に何か柔らかく、とても気持ちの良い感触があった。

 「──先ほどは、気持ちよくなったのですか?」

  思わず、ぞっとした。それは俺が黒旗で、エルという蟻地獄に嵌った後に問われた台詞だった。
  身も心も凍りつきいた俺を見ておもしろがっているのか、ほどなくしてくすくすと笑い声が背後から上がり、俺は安堵の息を吐く。

 「お前なぁ……」
 「ふふっ、良いじゃないですか。それとも、シリルはボクが嫌いになったんですか?」
 「馬鹿。こんな早々と嫌いになって堪るか。それより、離してくれないか。さすがに同じ部屋から二人一緒に出るのは不味いというか、お前服着てねえし……」
 「どこに行くのか正直に話してくれたら離したげます。良いですか、正直にですよ? 嘘ついたら、分かるんですからね」

  腰に手を回され、後ろから抱き締められるような格好になった。もう一人で行くなと言外に告げられ、信用されてないのかと苦笑が漏れる。

 「嘘だってお前が思ったら、俺は一体どうなるんだ?」

  興味本位にそう聞くと、エルは笑った。

  「その時は、シリルがボクのものになるくらい熱烈に愛してあげます。知ってます? 黒薔薇の花言葉は、貴方はあくまで私のモノ、なんですよ?」
  「冗談にしても笑えないな。ブラックバカラは、お前の事を示してるんじゃない。もうお前は、ただのエルフィファーレだろうが」
  「……そうですね。ごめんなさい、変なこと言っちゃいまいたね」

  エルが急にしおらしくなった気がして、俺は腰の辺りに回された手を握り、ゆっくりと離す。
  振り返って表情を見るより先に、優しく抱きしめてやる。なんだか何時ものエルと違うような気がするのは、気のせいではないだろう。

 「お前を置いて遠くに行くわけないだろうが。大丈夫だって」
 「本当に、信用して良いんですね? 前みたいに、隙を見て気絶させようなんて、考えてないですよね?」
 「今は考えてない。少し前まで考えてたけど、過去は過去だ。今の俺は、そんなことしない」

  囁くようにそう言うと、エルはまたくすくす笑い始めた。
  なんとなく大丈夫そうだと思ったので離すと、エルがシーツも何も身体に纏っていないことに気づき、慌てて後ろを向いた。
  エルを相手にクールに決めようと考えた俺が馬鹿だった。こいつの前じゃ、俺は俺でしかない。演じることなんか、できっこないのだ。

 「なら、良いです。いってらっしゃい、シリル。お昼頃、また会いましょう」
 「あ、ああ……昼、食堂でな」

  赤くなった顔を見られまいと振り返りもせずにドアを開け、後ろ手に閉めた後、周りを確認し、誰もいない事にほっと息をつく。
  俺の使ってる部屋は男性の来賓用の部屋で、個室であると同時に防音されているのだが、ドアからちらりと中を見られれば終わりだ。
  あと、エルが俺の部屋から出た時に目撃されるってこともあるが、それは大丈夫だろう。
  だってあいつ、前っから度々俺の部屋に潜入しては如何わしい本がないかチェックして、あったらあったで尽く燃やしてたんだから。



  ずきずき痛む腰を抑えつつ、射撃場に辿り着く。
  射撃場と言っても、きちんとした設備があるわけでもなく、連隊の連中の日曜大工が生み出したなんちゃって射撃場といったほうが正しいだろう。
  一応ヤード表記で5ヤードごとに標的を設置するための四角い金属製の穴が埋め込まれていて、それが120ヤード先まで続いている。
  どこかの馬鹿が射線上に入ってこないようにと現在壁を製作中とのことだが、一向に進んでいないというのが現状で、途中で作業を投げ出した後が散見した。

 「うお、シリルじゃねえか。珍しいな、お前がここに来るなんてよ」
 「暇を暇で過ごすのは無駄だと知ったからな。少しでも為になることをしなきゃ駄目だって思ったんだよ」

  ブローニグ・ハイパワーを片手に笑って話しかけてきたスピアーズに応答しつつ、ベニヤ板で分けられた射撃位置のどこで撃とうかと考える。
  最終的に別にどこでも良いだろうという考えの下、スピアーズが使っている第一レーンの隣、第二レーンで撃つことにした。理由は10ヤードのところに的が刺さっていたからだ。
  的を設置する手間が省けて良いもんだと思いつつ、コルクの耳栓をつけ、マッチモデルと骨董品、それからポケットにつっこんできたマガジン七つを台の上に置く。
  さてやるかとマッチモデルにマガジンを装填し、スライドを引き、初弾をチャンバーに送り込み、グリップを両手で持ち、人差指をぴんと伸ばす。
  深呼吸してリラックスしながらゆっくりと狙いを定めていると、隣のレーンからスピアーズが話しかけてきた。

 「つーかよぉ、お前今までどこ行ってたんだよ。エルフィファーレな、あれ結構心配してたんだぞ?」
 「ちょっと厄介事があってな。こっちに戻ってこれなかったんだ」

  パンと9ミリパラベラム弾の発砲音が響く。続いて俺が引金を引き、ドンという45口径の銃声と共に、反動が腕を突きぬける。

 「その厄介事ってのは、女を置いてけぼりにするほどの意味があることなんだろうな」
 「あったと思いたいな。なにせ、女を守ろうとした結果がそれなんだから」

  今度は逆に、さきに俺が撃ち、その後にスピアーズが撃った。
  お互いどこに当たったかよりも、銃を撃つ感覚を身体に覚えさせるような感じだった。

 「なら許してやるよ。あんまり込み入った話はしたくねえし、それに話せって言われて話せるような内容じゃねえんだろ?
  だったら良いよ、話さなくたってさ。てめえがてめえのために女を置き去りにしたってんなら、ぶっ殺してでも女の大切さってのを教えてやろうかとも思ったけど、
  女の為に女を置き去りにしたなら、納得いくもんだ。ただ、今度はちゃんと連絡してから出てけよな。エルフィファーレが可哀想だ」
 「ああ、そうするよ」
 「クール気取ってんじゃねえよ、この馬鹿野郎」
 「そっちこそ悟った気でいるんじゃねえぞ、畜生め」

  銃声が重なり合い、その後に笑い声が重なった。スピアーズが思った事がなんであれ、感じたことがなんであれ、俺は良い戦友を持ったなと思うしかなかった。
  顔も見会わずに仲直りを果たした俺とスピアーズは、その後もお互いに気に入った拳銃を撃ち続けた。ハイパワーとマッチモデル。どちらもブローニグが手掛けた銃だ。
  そう思うと、釣り好きで目つきは鋭いが意外と優しいあの老人の顔が目に浮かぶ。そろそろぽっくり逝きそうな年齢だったが、今も生きてるだろうか……。

 「ところでシリル。俺はこの連隊の中じゃ下っ端の方なんだが、幅広く仲が良いんで色んな情報が耳に入ってくるんだ」
 「それがどうかしたのか? まさか、マクスウェル中佐と仲良くなったとか、そう言うんじゃないだろうな?」
 「誰があの切れ者と仲良くできるっつんだよ。まあ、戦車中隊長のフィーライン大尉は仲良いみたいだけど」
 「確か……肌が黒い人だったっけか。戦車中隊は格納庫から出てこないからよく分からないんだ」
 「格納庫の中に風呂作ったって話だしな。ま、その肌黒い人は置いといて、情報の話だ。お前に関する話なんだけどな」
 「俺に関する話か……」

  なんだか嫌な予感がするなぁと思いつつも、マガジンを交換して射撃訓練を続ける。45口径の反動に慣れるまで、撃ち続ける。

 「昨日の七時くらいの話だな。ガルニアのやつが兵舎に忘れ物したんで部屋に入って、忘れ物を取った後、廊下に出ようとドアを開けようとしたんだ」
 「………それで?」
 「なんだかエルフィファーレの声とお前の声がしたんでドアを少し開けて、状況を見守ることにした」
 「……で?」
 「そしたらお前はエルフィファーレを部屋に引き入れ、それっきり部屋のドアは閉ざされたままだった……これ、マジな話なのか?」
 「……?」
 「おい、返事くらいしろよ。いくら俺でも無言の返答ってのは流石にカチンとくるぞ」

  どうするべきか、俺は撃ちながら考える。言ってしまうべきか、それとも隠すべきか。
  でも考えても見ろ。エルフィファーレが素人の盗み見に気づかないなんてこと……いや、あんだけ泣いたんだ。ありえないということはない。
  だが、誤魔化すにしてもどうする。気の利いた言い訳なんか思いつかないぞ。さあ、考えろ、なんとかしろ、俺……。

 「その、なんだ……マジな話だ」
 「ほうほう。で、ヤったのか? ヤってないのか?」
 「……ヤって、ない」

  そう言った瞬間、ベニヤ板の一部が木片となって俺の顔に打ち当たり、思わず顔をしかめた。
  なにが起こったのか理解するまで二秒ほど要したが、なんてことない、スピアーズが仕切りのベニヤ板を撃ち抜いただけだ。
  ……いや、全然なんてことなくない。当たってたら運が良くて軽傷、運が悪くて死亡だ。馬鹿野郎と怒鳴りつけてやりたかったが、銃を突き付けられた状態で言える言葉ではなかった。

 「なに考えてんだ。おい、スピアーズ」
 「好きな女抱いてなにが悪い。お前さ、そうやって自分に殻被せんの止めろよな。うぜぇんだよ、マジで」

  ばれてたのかと思う一方、どうしてスピアーズがここまで怒るのか分からず、俺は混乱した。
  組み伏せようとか、手に持ったマッチモデルで無力化しようとか、そういう考えが起きないほど、頭の中がこんがらがっている。

 「おい、落ち着けって。嘘をついたのは謝る。だから……」
 「だからじゃねえんだよ! 嘘ついたの謝るとかそんなんじゃねえんだよ! なあ、俺たち戦友だろ? 命預け合って、笑い合った、戦友なんだろ?」
 「あ、ああ……」
 「じゃあさ、同じ女を好きになって、でも女はお前を選んで、一緒に寝たって俺は知ってんのに、目の前でその事実を隠されて、俺が黙っていられると思うか?」
 「……思わないな。お前は口は悪いけど、素直で良い奴だ。でも、同時に……」
 「そうさ、誤魔化されるのが一番嫌なんだ。筋の通った理由があるなら別に構いやしねえさ。でもな、今のお前は恥ずかしさ逃れに嘘をついた。違うか?」

  ちらりとハイパワーの引金を見ると、人差指はかかっておらず、発砲時以外はそうであるようにピンと伸ばされている。
  その瞬間、銃口を眼前に突き付け、怒りに震えた低い声を吐きだすスピアーズは、俺を殺す気なんてないのだと分かった。もしかしてってのもあるかもしれないが、その時はその時だ。

 「……そうだ」
 「そうだじゃねえだろうがっ! お前に気絶させられたエルフィファーレを最初に見つけたのは俺だった! その後に、シリルがって言った彼女のためにお前を探したよ。
  その時の俺に気持ちと言ったら……もう、最悪だ。なんで俺が、俺を好きって思ってくれない女のために、女の好きな男を捜してんだよ……」
 「すまなかったな、本当に」

  ぐいっと銃口を喉元に押し付けられ、皮膚の焼けた音と痛みで、俺は顔をしかめ、反射的にスピアーズを睨みつけた。
  何十発と発砲し終えた銃口は熱せられた鉄そのものだ。皮膚を焼くくらい、造作もない。後に残るかもしれないなと思うが、今はそんなことどうでもよかった。

 「すまなかったで済ませるつもりかよ、てめえは……」
 「じゃあ、なにをして済ませれば良いんだ」
 「っ……!?」
 「俺はお前を殺して、全部なかったことにすれば良いのか? それとも、お前が俺を殺すまでじっと待っていれば良いのか?」
 「てめえ……ふざけてんじゃねえぞ……」
 「ふざけてるって言うのは、真面目にやってない奴に言う言葉だ。俺は至極真面目だぜ、スピアーズ」

  引金を引きかねないほど怒り浸透と言ったスピアーズを見て、俺は即座に喉元のハイパワーの撃鉄と撃針の間に親指を入れ、右足で彼の両足を薙ぎ払った。
  親指の皮膚を撃鉄が潰す感覚があったが、喉元に9ミリの鉛弾を食らうよりはマシだ。地面に倒れたスピアーズにマッチモデルを突き付け、俺は続けた。

 「お前がエルを好きだったっていうのは理解できた。だけど、エルは俺を選んでくれた。それだけのことだ。分かったか、戦友?」
 「この野郎……っ!!」
 「怨むなら怨んでくれて構わない。俺はもう、エルだけで良い。エルを守る為ならなんだってしてやる。お前が敵になったとしても、俺は寸分違わずに急所を撃ち抜いてやる。
  女だろうと、子供だろうと、そんなの全部同じ事だ。同じように殺してやる。お前はそんな覚悟を挫こうとしてるんだ。だったらもちろん、それ以上の覚悟を持ってるんだろうな?」
 「くっ……」

  俺が低くそう言うと、スピアーズは急に黙った。なぜか腹立たしく、ふつふつと怒りが湧き上がっていたが、今はそんな感情に流されていい時ではない。
  ハイパワーをもぎ取り、適当に投げ捨て、俺は銃口をスピアーズに向けたまま立ち上がった。もちろん、撃鉄は上がっているし、引金に指をかけてある。
  狙いは胴体やや右寄りの、心臓だ。
  おかしなことをしたら殺してやると目で告げ、両手でマッチモデルを構えた俺を見て、スピアーズは少し思案顔になった後、諦めたように溜息をついた。

 「お前、どっかいかれちまったんじゃないか?」
 「そうかもな。本当にいかれちまってるのかもしれない。でも、俺は俺だよ」
 「そうそう、クソ野郎はクソ野郎のままってな。ったく、殺し屋みたいな目ぇしやがってよ……。覚悟だって? あるわきゃねえだろ。俺みたいな小せえ男に」
 「………」
 「お前みたいなことを言うだけなら簡単だよ。でもよ、マジでやる奴なんて殆どいねえんだ。我が身可愛さで、愛人さえ他人になっちまう。なのに、お前って言う奴は……」

  ゆっくりと立ち上がった後、服についた土を払い落しながら、スピアーズは俺から目を逸らして続けた。
  その声と肩が震えていたのも、手が拳を作っていたのも、ぽつぽつと透明な液体が地面に落ちていくのも、俺は見なかったことにした。
  見たということにするには、辛すぎた。俺は知らなかったんだと、その言い訳を突き通すなら話は別だったが、俺はそこまで強情じゃない。

 「良いよなあ、好きな女に命張って、ちゃんと守ってやれるんだ。俺には出来ねえよ、んな理想」
 「スピアーズ……」
 「良いさ。俺は好きだったってことを忘れれば良い。それだけだ。だからその代わり、お前はこれから、エルフィファーレを幸せにしてやるんだ。彼女が死ぬまで、一生ずっとだ」

  人を好きになったことを忘れることなんてできるわけがないだろうと、言いたかった。だが言ってしまえば、その先の言葉が聞けなくなるような気がした。

 「約束しろ、シリル。なにがあっても、彼女を守るって。そして、ずっと幸せにしてやるって」
 「ああ、分かった。エルは俺が守って、ずっと幸せにする」
 「言ったなこの色男。俺は確かに聞いたからな、お前が分かったって言ったのを。男と男の約束だぞ! 破ったら手榴弾飲んで爆発しろよ!」
 「……なんでそこまで爆発に拘んだよ。まったく」
 「へへっ……。良いじゃねえか、別に」

  マッチモデルを下ろし、空を眺めるスピアーズの背中を見ることしかできずに、俺は立ちつくした。
  離反前から知ってる戦友の姿はそこになかった。ただ俺に勝てなかったと、破れてしまったのだと嘆く一人の青年がぽつんといるだけだった。





関連項目
シリルエルフィファーレ
ヴィクター・スピアーズ

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最終更新:2011年05月19日 00:02
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