(投稿者:怨是)
1945年、10月1日未明。ルージア海に面した、エストルンブルク東部地区47番倉庫にて。黒旗の支部はこんな辺鄙な倉庫にもあったのか。破損したトラックが何台も、門の内側で放置されている。すっかり闇が引き払った空の、白い月が辺りを照らす。錆び付いたトタン造りの屋根が、如何にも威圧的な雰囲気を醸し出している。こんな場所にずっと拘束させては、
アドレーゼはきっと悪い病を患ってしまうだろう。自然と足は急いだ。
倉庫の扉の前で、信号弾を空へ向けて撃ち、
アースラウグは塀の影へと隠れた。暫くしてから、拠点攻撃用榴弾砲が遠距離から撃ち抜く。扉が木っ端微塵になり、土煙が晴れぬ内にアースラウグは倉庫へと飛び込む。
「まさか君が来るとはな。帝国の看板娘が何をしに来た?」
隊長とおぼしき眼鏡の男性――事前情報では確か、リカルド・デル・ベルモスコ中佐という元連合軍所属の男だ――が銃を構える。程なくして、倉庫内を警備していたであろう兵士達も、一斉に銃を構えた。
「私の大切な仲間を取り返しに来ました。アドレーゼさんはこの先ですね? 通して貰います!」
「君は何か重大な思い違いをしているらしい」
「……? 惑わせようとしたって、そうは行きませんよ」
窓から差し込む光がヴィーザルを照らす。刃の先が煌めく。彼ら黒旗の兵士達は、その威光におののく事は無い。
「胸に手を当てて考えて見たまえ。果たして君の大切な仲間とやらを我々が連れ去ったあの日の戦闘……先に仕掛けたのはどちらだったか?」
「それは! 元はと云えば貴方達が毒ガスを作ろうとしていたから……!」
「毒ガスという確証は取れていたのか?」
「偵察部隊の報告です。皇室親衛隊に、誤りなどありません」
「君達が忌み嫌っている、我々
軍事正常化委員会を生み出したのも、大元は親衛隊の内乱だと聞くが……まぁ、それはいい。君は何も知らないのだろう。あの時研究していたのは、フライ級Gに対処する為の気球式浮遊機雷だ」
「嘘です、そんな兵器が作れる筈が!」
少なくとも人類にとって有益だとしたら、そもそも破壊作戦など誰も考えない。
「嘘だと思うのなら何故、実戦テストまで待たずに破壊した? 私達がそんなに恐いかね?」
「MAIDを根絶しようとする方々が恐くない筈がないでしょう」
「ならばMAIDに頼ってさえいればいいのか? ある日突然、エターナル・コアがGに喰い尽くされ、枯渇してしまったらどうする。人類は根絶やしにされるのを座して待ちながら、MAIDの影に隠れてこそこそと過ごして居るしかないのか?」
「論理が飛躍しすぎています!」
辛抱堪らず飛び出し、一刀両断を試みる。しかし勇み足は銃弾に阻まれ、刃は届かなかった。逆に歩みを進めてくるリカルドから逃げるべく、アースラウグは走り去る。倉庫内という限られた空間では、何処までも逃げられる訳では無い。いずれは追い詰められる。
「君は、話を最後まで聞くという作法を教わっていないのかね。とにかく我々人類は、非力ながらも生き延びる術を探している。あれが完成すれば、人類の未来はそう昏いものでは無くなる筈だ。理解は、してくれたかね?」
コンテナの影から声が反響する。走って逃げている筈なのに、何故一向に距離が離れないのか。
「きっと貴方は逃げている。MAIDに頼りたくないと考えるあまり、現実離れした研究に没頭している!」
「現実の何たるかをしっかり理解していない癖に、背伸びした説教を試みてはいかんよ、アースラウグ君。私が何の為に攻撃の指示を出さずに居たか、その意味を考えなかったのか」
意味なら考えた。相手は余裕を見せ付けたいだけだ。声が近いならば、それを逆手に取る方法も在るだろう。幸い、彼の仲間は命令故か、傍観に徹している。ならばその傲慢を怨んで貰う。此処で無駄な時間を浪費する余裕など、元より無いのだから。
「撃たれる前に斬ればいいだけの事!」
――次の一撃こそは当ててみせる!
手持ちの煙幕を発生させ、視界が曇っている間に振り向き、男の喉元へと刃を突き付けて――
「――あッ!」
しかし、何かに弾かれた。
「何、ですか……!」
煙幕が少し晴れて横を見ると、コンテナに丸鋸が刺さっていた。慌ててその向かいのコンテナの上を見上げた。黒旗のMAIDが盾を構えて仁王立ちしている。刺々しいとさえ形容できる短髪に、額にまで達する眉間の皺、旧式の機関銃を改造して作った半自動小銃、杭が二本付いた盾……それらの特徴から察するに、黒旗に所属する下級管理者MAIDの
ラセスだ。
「良く遣った、ラセス。次の攻撃は少し待て」
「御意」
「さて、アースラウグ君。話は最後まで聞けと云っただろう。次は無いぞ」
額に銃を向けられる。ついに、詰んだ。
「くッ……」
「私は君の暴虐を正したい。君は力を持っており、尚且つその使い道を知らぬが故に、誤った道へ進みかねない。だからこそ、私は君と対話する為に攻撃を控えさせた」
「だったら、何故銃を向けるのですか。間違った答えを出したら撃ち殺すのでしょう? それが黒旗の遣り方です」
何かに気付いた様な仕草を見せて、リカルドは銃を懐に仕舞った。彼は銃を向けなくなったが、それでも殺意はこの倉庫に充満している。味方増援の気配は無く、通信機を使う猶予も与えられていない。リカルドは少しだけ腰を落とし、アースラウグに目の高さを合わせてきた。実に癪に障る。
「武力を背景に私の求める答えを無理矢理吐き出させたとて、それが根本的な解決になるか? そんな事をしても君は口では了承し、行動に移さないだろう?」
「当然です」
「だからこそ私には、君が納得出来るまで話す義務がある。暴れない様に監視しつつ、時間が許す限り、君には教えねばならないと思っている」
「時間なんてありませんよ。私は一刻も早く、アドレーゼさんを救い出さなくちゃいけない。貴方に構ってる暇なんて無いんです」
勇ましい言葉で折れそうな心を誤魔化してはみたが、戦況は既に膠着して久しい。
「頼むよ、話を聞き給え。私にこれ以上心苦しい決断をさせるつもりかね」
「知った事ですか! “仲間の窮地には駆け付けろ”それは万人が納得しうる一つの信念……私はこの槍に込め、貴方を退ける!」
「夢物語はその辺で終わりにしてくれ。先程から皆、笑いを堪えるのに手一杯でね」
辺りに耳を澄ませれば、そこかしこから笑いを噛み殺した声が、くつくつと聞こえてきた。何がおかしい。アースラウグは大真面目に、己の信念に忠実に生きてきた。それを嘲笑う権利が、彼らにあってたまるか。黒旗の一人がリカルドに尋ねる。
「中佐、そろそろいいですか?」
「あぁ。笑え。そして撃て」
「貴方達の弾丸は、私の正義までは砕けない! 軍神を継ぐ者、アースラウグ……参ります!!」
さぁ、やってやる。銃口に拘束された先程とは違う。撃たれる事が解っている以上、動くほかに選択肢は存在しない。進め、倒せ、斬れ。ラセスが盾を構えて槍を防ぎ、立ちはだかった。
「――笑止」
「と云う割には、貴女だけは笑いませんね」
この感触、夢と同じだ。が、盾を押す力は夢よりも遙かに重かった。
「……」
「何か云ったらどうなんですか! ラセス! 人形みたいに無表情のまま、何も喋らない……」
「人形は貴様だ、標的」
ついには押し返され、蹴り飛ばされる。槍を杖にして両足で踏ん張ったが、飛来する銃弾が休息を許さなかった。
「……ッ、貴女もそういう事を云うのですね」
「無論」
切っ先と盾がぶつかり合い、その度に腕が軋んだ。身軽そうな見た目に反してラセスの攻撃は、MAIDの中でも非力な部類に入るアースラウグにとって、防ぎきれるものではない。だが、いつまでも負け戦に心が折れる訳にも行かない。
「私は自分の意志で此処まで来た。誰のどんな思惑があっても、私は誰にも動かされない。私は私の信念を貫く!」
「母親という偶像のか。標的、貴様の矜持は借り物だ」
ラセスの瞳がぎらりと睨む。彼女の太刀筋からは何ら感情を読み取る事が出来ない。Gを相手取った時でさえ、多くの人々は憎しみを拳に込めるというのに、このMAIDは、机上に散らばった書類を束ねる所作の如く、淡々としている。踏み躙られるのには、いい加減うんざりだ。アースラウグはがむしゃらに槍を振り回した。ラセスの小銃が火を噴き、鎧を銃弾が掠めるが、今この瞬間だけは不思議とその銃弾にも恐怖は湧かなかった。
「母様は偶像なんかじゃない。母様は仲間達の、私の記憶の中で、伝説として生き続けている! 貴女が偶像と笑ったそれは、私達にとって掛け替えのない記憶……! 貴女達に、それを笑い飛ばす権利なんて無い!」
「黙れ、標的」
盾を用いた殴打に、頬を打たれた。左耳から異音がする。耳鳴りだ。馬鹿にしている。同じ近接武器で刃を交える事すら、彼女は拒んだという事だ。初撃に比べて気の抜けた一撃である事も気に食わない。この盾程の重量なら気絶させるだけの威力は出せるだろうに。
「黙るものですか!」
「ならば失せろ」
「嫌です!」
怒りに任せて振り下ろした刃はしかし、ラセスの居た床を数ミリ程度抉っただけだった。宙返りで飛び退いたラセスが、丸鋸を投げる。アースラウグは、それを槍で弾き返した。
「標的……」
「ラセス、射線を確保しろ。一斉掃射で片付けるぞ」
「御意」
ラセスは頷くと、コンテナを蹴って昇り、恐るべき脚力で飛び上がった後、天井に盾の杭を突き刺す。
「天井に?!」
視線を降ろすとリカルドが兵を率いて近くまで来ていた。
「訓練し、軽装であれば或いは君でも出来る。鎧の時代は終わりだ。銃弾を防ぐ繊維の研究がされている昨今、その役割を担うのは戦車かトーチカだ。時代錯誤が過ぎるのだよ、親衛隊の諸君は」
辺りを見回す。完全に遣られた。ラセスと戦っている最中は気付かなかったが、進行方向とは反対の、しかも行き止まりまで追い詰められている。
「死人は口を噤みたがるものかな。第一班、掃射開始」
「了解」
コンテナに未練が無いのか、そもそも重要な物資が中に入ってないのか、兵士達は一切の遠慮会釈無く、短機関銃の弾幕を張った。
「弾丸の雨は気に入って貰えたかね、アースラウグ君。第二班、掃射開始」
「敵軍、増援無し。範囲Aクリア。目標へ接近。第一班は散弾銃へ持ち替えろ。第三班は手榴弾をいつでも投げられる様に。周辺の遮蔽物はラセス、君が手榴弾を撃ち抜いて破壊するんだ」
「御意」
「く……ッ」
何か、打開策は無いものか。刻一刻と、死の壁は迫ってきている。
「範囲B到達。第三班、手榴弾投擲」
「発破!」
目の前で手榴弾が壁に反射し、それを弾丸が破壊する。吹き飛ばされた木箱やコンテナの破片をまともに浴び、鎧の奥底で鈍い痛みがじわじわと広がる。
「ぐぅ、あッ!」
「破片が鎧を貫き、肌に刺さるのはさぞや痛かろう。私も心が痛むよ。もっと密に対話をしていたなら、流す筈の無かった血税だ」
「心にも無い事を!」
「心なら在る。今は君に、憐憫の情を抱いている。範囲Bクリア。各員、範囲Cへ進め。第三班は“首輪”を用意しろ」
「了解」
「第三班了解」
こんな所で倒れたくない。倒れたくないのに。
「範囲C到達、チェックメイトだ。アースラウグ君」
現実という物は斯くも無情だというのか。ライトがアースラウグの顔を照らした。撃鉄を起こす音が次々と聞こえてくる。
「君は、母親は偶像ではないと云ったな」
「それが何か?」
「――ッ! それは……」
思い出してしまう。ブリュンヒルデの事を云う度に、ジークフリートが哀しげに顔を背けるのは、認めたくないが、事実だ。
『遠くを、見ているのか』
『私の目を通して、ブリュンヒルデを見ているように感じたんだ』
生まれてまだ間もない頃、ジークフリートと訓練していた折、彼女が述べていたではないか。
「云わないだろうな。彼女は嘘は苦手だが、正直な見解を述べて君を傷付ける訳にも行かなかった筈だ」
「そんな事、貴方なんかに解る筈が無い!」
「彼女自身が我々に伝えてくれたと云ったら? 心当たりは無いかね。8月26日、当局の管理する空戦MAIDを捕獲する作戦に君が参加した折、車輪33号と名乗った男が君に話していただろう。覚えていないのか?」
気味が悪かった。どんなに分析しようと、対象の記憶まで把握出来るとしたら、それは悪魔の所業だ。しかも彼は具体的な日時まで指定してくる。確かに、衝撃的な記憶だったから覚えては居た。ただ、思い出す度に胸が痛み、疑心に苛まれるから思い出したくなかっただけだったのだ。
『……忘れざるを得なかった。何故なら、そいつがまやかしである事に気付いちまったからな。結局ブリュンヒルデは死ぬまで、いや、死んでも利用され続けた。救われない話だよなぁ……お前はその利用されたブリュンヒルデの代わりさ。偶像なんだよ、お前は』
『おぉ、恐い恐い! ジークフリートが俺にそれを吹き込んだと知っても、俺にその刃を振り下ろせるのかい? ちなみに一週間くらい前だったかな』
『嘘なんかじゃねぇさ。お生憎様。お前は生まれたその日から、見捨てられ――』
姉が、ジークが黒旗にそんな事を吹き込んだなどとは考えたくも無かった。ここ最近の冷徹な反応は、単に不甲斐ないアースラウグを咎めるものだとばかり考えていた。否、そういう事にしておきたかった。
「何故、それを貴方が知って……!」
故に、半ば八つ当たり近い形でリカルドを糾弾する。そうでもせねば、ぐらついた足下から転げ落ち、猜疑の海に溺れてしまうかもしれなかった。
「通信機の回線が開いたままでね。会話の内容は全て記録され、磁気テープに残っている。機会があれば委員会本部の資料室を漁るといい。辿り着ければ、の話だが」
記憶ではなく、記録から相手の心を分析していたのだ。そんな絡繰りがあったのか。アースラウグは言葉を失った。あの会話が筒抜けになっていたという事は、もしかしたら他にも彼は様々な情報を握っているのではないか。
「……」
「いずれにせよ、道は閉ざされた。戦った末の敗北か、武器を降ろして降伏するか、選べ。私は後者を薦める。何故なら戦闘という行為は実に不毛な対話手段であり、テーブルを挟み、互いの思想を認め合う過程がそこには存在し得ないからだ。牢獄でも語らう事は出来る。一方が生命を失えば、その機会も永遠に失われる」
「選択肢を限定されるのは嫌いです。どっちも嫌だと云ったら?」
せめてもの反抗だ。奇跡を信じて悪足掻きをし、赤っ恥をかいて貰おう。アースラウグが挑発するも、リカルドは眼鏡を掛け直しただけだった。
「……。第二班、散弾銃構え。ラセス、初撃は君がやり給え」
「御意」
首を掴まれ、地面に捨てられる。
「うあッ!」
仰向けに倒れたアースラウグに、ラセスは少しずつ近寄ってくる。起き上がる頃には、既に杭の付いた盾が眼前に差し向けられていた。
「聞き分けの無い交渉相手ほど気分を害するものは無い。アースラウグ君、血税を支払って貰うぞ」
「――標的、覚悟」
二本の杭は間もなくアースラウグの心臓を穿つだろう。風圧が、アースラウグの髪を撫でた。いよいよ年貢の納め時か。目を瞑り、咄嗟に槍を斜めに構えて防ごうとする。
「――ッ!」
目を開けると、ラセスがそのままの格好で硬直していた。顔には困惑と焦燥が浮かんでいる。見れば、リカルドも額に汗を滲ませながらしきりにがなり立てていた。
「どうした、ラセス。動け!」
「否……! 何故……!」
――この感じ……行ける。
「道は閉ざされてなんかいない。いつだって、私は挫けずにやってきたんだ。こんな所で、膝を折ってたまるものですか。生き延びて、アドレーゼさんを助ける」
体勢を立て直し、闘志を再び燃やす。
「そして、貴方達を倒して、真実を確かめる!」
「ちょっと戦況が良くなったからって、糞ガキが!」
黒旗兵の一人が暴走して乱射するのを、リカルドが制する。
「まだ撃つな! まずは目標へ接近しろ! この際、射殺しても構わん。何としてでも食い止めるんだ!」
「了解!」
動かないラセスを追い越して、黒旗兵が接近してくる。背後に障害物は無い。逃げ道もまた、同じく。
「さぁ観念しやがれ。両手を挙げな」
「嫌です」
「てめぇ……何だ、動かない! くそ、身体まで、畜生! どうなってやがる!」
兵士達もまた、動かなくなった。その場に身体を固定されたまま、狼狽えている。やるなら今しか無い。この場で最も倒さねばならないのはラセスか。ただ、槍でG以外の誰かを殺すのはこれが初めてだった。いよいよ殺すとなると、急に息が苦しくなる。だが、それでも倒さねば。倒して、前へ進まねば、明日は無い。
「貴方達は帝国の……即ち私の敵。私の敵は私が倒す。ラセス! 貴女は最期まで人形で在り続けた哀しい存在……私は出来れば貴女を救いたかった。でも、私の言葉では貴女の銃を下ろす事は出来ない。ならばせめて、私を怨みながら此処で果てて下さい……それが私の唯一の、償い!」
殺しに対する責任を負うのは、きっとこれが初めてだ。奥歯が揺れて、言葉がこれ以上出て来ない。
「戯言を……!」
「私が嘘や冗談が苦手なMAIDだって、見れば解るじゃないですか……いつだって私は本気です」
意を決して、ヴィーザルをラセスの心臓に突き立てた。布の弱点は、刃を防げない事だ。動く事が出来ないならば、軽装を生かした回避力も意味を為さない。鮮血が顔に掛かる。生温い感触と、名状しがたい味とが、アースラウグから一瞬だけ現実感を喪失させた。
「――ッ! ぐ、ぉぉ……標、的……! 貴様……――!」
噛み殺しても尚押さえきれぬ怨嗟か。食い縛った歯から、低い声が漏れ出た。訳の解らない奇跡に負けた事を、さぞや悔やんでいるだろう。だが、生憎とアースラウグもまた、この相手の動きを止める能力がどの様な状況で発動するのか解明できずに居た。原理の解らない力を平然と行使するのは、確かに理不尽に映るだろう。それでも現実というものは、ラセスにとってもまた無情なのだ。槍を抜き取ると、ラセスは力無く倒れ込んだ。夢で見た光景と全く同じだ。鮮血が、金属製の靴を赤く染める。沈黙が倉庫を支配して数秒、その後に、リカルドの怒号が響き渡る。
「ラセス!! そんな……有り得ん、何故だ!! 起き上がってくれ、ラセス!!」
「覚悟の差です。私は国家を背負ってここに居る! 手前勝手な理想を振りかざす貴方達とは、決定的に違う!」
初めてMAIDを殺した感触は、思ったよりもずっとどす黒く、重くのし掛かった。如何なる言葉で誤魔化そうとも、両手の震えが収まる事は無い。そんなアースラウグの葛藤をよそに、リカルドはひたすらに激昂していた。
「ほざくな……理論を奇跡や力押しやらで打ち破る、常識知らずの小娘が! どのような小細工を弄した! 答えろアースラウグ!」
「小細工なんて一つもありません。私の怒りが、正義の心が、ラセスや貴方の部下達の動きを止めた!」
「馬鹿げたオカルトだ! 稼働年数一年未満の貴様に其の様な芸当を可能とするか! 役立たずの芥虫共め、その武器を寄越せ! あれは私がやる!」
リカルドが動けないままの部下の短機関銃を奪い取り、アースラウグへ向けて浴びせ掛けて来た。
「くッ――!」
何発か鎧を掠め、破片に遣られた箇所が痛む。それよりも、怒りを乗算させた弾丸が心を抉る痛みの方が余程辛かった。殺すべきでは、無かったのだろうか。だが、そうせねば殺されていた。どの道、彼らは殺す気で居た筈だ。自分は悪くないと云い聞かせる事が、今できる最大限の慰みだ。
「第二班、第三班! 構えろ、追え! 徹底的に追い詰めて射殺だ! 失う者の悲しみを、芝居じみた戯れ言で踏み躙りおって……グラムドゥッケの小劇場に死体を吊してやる!」
誰か、誰か助けてはくれないか。息を切らせるのも忘れて、アースラウグは走って逃げた。兵士達の会話が聞こえる。何やら、リカルドの大声に紛れて談笑しているらしい。
「珍しいね。理論派で知られるベルモスコ中佐がオカンムリだ」
「手持ちのMAIDをやられたら、そりゃあ誰だって冷静じゃ居られなくなるものさ。ギーレン宰相がそうであった様に」
「インテリがメガネを外すのは火遊びと喧嘩をする時だって、諺もあるしな」
「ん、居たぞ!」
見付かってしまった。こんな近くに居たとは、考えもしなかった。
「おっと、お嬢さん。此処は通さねぇぜ。ボス! とどめですよ!」
「よくやった。狙いは定めたまま、そいつを逃がすな!」
短機関銃を撃ち尽くしたのか、リカルドは再び拳銃に持ち替えていた。今までとは違う。躊躇いなく撃ってしまう、そんな予感をさせる気迫が感じられた。足音が迫り来る。
「軍神……いや、アースラウグ! 貴様は欲望が生み出した虚像だ! 煌びやかな宝箱を開けて覗き込めば、空虚ばかりが指をすり抜けた! 挙句、傍らに主義も主張も思想も立ち並んでなど居なかった! ただ、ただ、正義と悪だけがそこに横たわっていた!」
胸に銃を押し当てられる。
「貴様は生まれるべきではなかった……! 薔薇園へ還れ! もはや何人も踏み込むことの叶わぬあの薔薇園へ!」
銃声は鳴り響かない。
「――あ、れ?」
「何だ、この現象は。引き金が、否、それどころか銃が空間に固定されたが如く動かん!」
両手で銃をその場からどかそうと奮闘する姿は、ともすれば滑稽に映ったかもしれない。が、此処はコメディ映画のスクリーンの中では無い。あの引き金が引ける様になれば、間もなくアースラウグはコアを撃ち抜かれ、絶命するだろう。そうなる前に片を付けねば。だが、足がすくんで動けない。無感情な殺人機械などよりも、剥き出しの怒りの方が余程恐怖を沸き立てさせた。
「くそ、動かん! こんな事があってたまるか! 夢物語が現実を侵食し、科学の価値を貶め、人類は中世の時代にまで後退せねばならんとでも云うのか! 一発の弾丸と、それを撃ち出す銃さえあればいい! 貴様の脳髄に穴を開け、ふざけた幻想を二度と語れぬ身体にしてやれば良かったというのに! 最早、銃までもが私に反逆する等と! あまねく不幸は、私を何処まで翻弄すれば気が済むというのか! 王を守る騎士達の時代は終わった! 組織と組織が権謀術数で蹴落とし合う、布と鉛と火薬の時代だ! 城は官邸と指令本部と要塞に取って代わられ、馬は騎兵の物では無くなった! 舗装された道路を戦車が闊歩し、空は飛竜ではなく爆撃機と戦闘機が飛び交う、此処が現実だ! 夢物語は書物の中で生きているだけで良かった! 貴様の罪はただ一つ! 夢見心地で剣を振るう、その一点だ! 消え失せろ! 高官共に媚びへつらう売女め!!」
慟哭じみた怒声に混じり、銃声が倉庫に響き渡る。
最終更新:2011年12月28日 08:06