Chapter 0-1 : 仮説

(投稿者:怨是)


「――どうしても、駄目だと仰るのですか」

 1945年10月2日。親衛隊本部営舎のヴォーディン宮側に位置する一室の前にて、小鳥のさえずる早朝にはおよそ相応しくない喧噪が繰り広げられていた。
 発端は、アースラウグがこの部屋の奥に眠る日記を閲覧したいと見張りのMAID二人組に申し出て、承伏しかねる理由で却下された事からだ。連日の出来事で苛立っていたアースラウグはすぐさま怒りを露わにし、扉の近くの壁を強く蹴り飛ばす。

「駄目だと、仰るのですか」

「なりません……ならんのです! どうしても……っ! イザベラ助けて」

「あぁ、パウラ。もう一度、理由を教えて差し上げような」

「そう、ですね。えー、な、何度も申し上げた通り、です。この部屋は然るべき時が来るまで、誰であろうと通してはならないと、陛下が仰ったのです!」

 パウラと呼ばれた見張りのMAIDの一人が、必死の形相で扉を守っている。恐怖で引き攣った口元から出て来る言葉は、アースラウグの怒りに更なる火種を放り込んだ。パウラの胸倉を掴み、アースラウグは詰め寄る。

「然るべき時って、今ですよね」

「いいえ、今ではなく、陛下がお決めになられた時でして……」

「私は母様の娘です。親の日記を覗き見する事の何が悪い。通しなさい。通せ。早くしろ!」

 扉に見張りを何度も叩き付ける。もう片方のMAID――イザベラは苦笑いを浮かべたまま、その場を動かなかった。目の前でこれだけ暴れているのに大した度胸だと褒めるべきか、その日和見主義を咎めるべきか。この場で唯一その判断を下せるアースラウグは、敢えて彼女を野放しにして置いた。それよりもパウラだ。何をそこまで頑なに守ろうとするのか。全くもって気に食わない。

「だッ、だ、駄目ですッ!」

「遮られたなら、罷り通るまで」

 パウラの腕を後ろに組み伏せ、鍵を奪おうとする。すると、パウラは手首だけを動かしてイザベラへと鍵を投げた。それまで傍観を決め込んでいたイザベラが、踵を返して走った。

「いぃぃイザベラ! ちょっと鍵持ってあっちまで走って!」

「了解だ! さぁ軍神様、此方へ!」

 アースラウグは、噛み締めた奥歯から鈍い摩擦音を聞き取った。強く噛みすぎて歯軋りにまで至ったのだろう。眼前でパウラが得意気にほくそ笑んでいる。

「アースラウグ様。こんな処で力比べをしても、開きませんよ?」

「解りました」

 “力”か、なるほど。そちらがそのつもりなら、アースラウグにも考えが無い訳ではなかった。

「では、破壊します」

 次の選択肢は強行突破だ。元より御せぬのならば、根本から破壊し尽くし、押し通ってしまえば良い。木と真鍮で出来た扉など、力押しでどうにでもなるだろう。(ヴィーザル)を構え、ドアノブに狙いを定める。すると、小憎らしいパウラのしたり顔は一瞬にして凍り付いた。

「ちょ、ちょ――待っ、それは予想だにしなかった!」

「駄目ですか」

「いや駄目ですよ! 当たり前でしょう! 今まで秘密にしていた事が、秘密の“ひ”の字も無くなってしまいますよ!」

「結構な事ではありませんか。私、ひた隠しにされるのが大嫌いなんです。今日の新聞は読みましたよね?」

「えぇ、まぁ……」

「私の今までの戦績は、実はアドレーゼさんの助力に依る物だったって記事は?」

 今日の帝都栄光新聞は何もかもがおかしい。朝刊が配られたのが今までより一時間も遅くなったせいで、一面に目を通すだけで朝食の時間になってしまった。その軽く目を通した一面も、アースラウグが死地を生き延びたのはアドレーゼの鋼線に依る拘束のお陰などと、挙げ句はアドレーゼの戦績をアースラウグに上乗せしたなどと書かれていた。後者はともかくとして、前者は身に覚えがあるだけに、やるせない気持ちになった。ましてや件のアドレーゼを教育していた担当官、ニルフレートは国防陸軍軍曹婦人との不倫による国民保護法違反と、連続放火事件の自作自演を指揮したという事で情報攪乱と財産破壊の罪に問われ、今や只の無期限労働者だ。それもまた、新聞に載っていた。アドレーゼはその件ですっかり心を病んでしまったという。まだ、直接は会っていないが、さぞや気が滅入っている事だろう。
 そんな苦悩もいざ知らず、パウラは手足をばたつかせながら言葉を捻り出そうとしている。

「えっと、アレです! 社長が替わった所為で方針が丸ごと変わっちゃって、てんやわんやしているという話なら!」

「社長とか、そんな事はどうでもいいんですよ。ああやって臭い物に蓋をして、今日(こんにち)まで引き摺ってきた結果、私は意図せず色んな人を騙してきてしまった。私自身も騙されて、自分の力で勝利を掴んだと勝手に思い込んで、喜び、踊っていた……今の私は何ですか? プロパガンダの為に生み出された人形ではないですか」

「だ、だから矢継ぎ早に云われましてもっ! あの件は(にわか)には信じられませんよ。突然すぎる。絶対に裏がある筈です、何かの間違いなんですってば!」

 こめかみの奥で、どくどくとぬめりのある何かが脈打った。それが即ち、頭に血が上っているという事くらいは、自分が一番よく理解しているつもりだ。そしてその理由も明白だった。

「間違いも何も、私がこの目で見た事実ですよ。私の言葉よりも、官僚の方々の言葉を信じるんですか!! それこそとんだ笑い話だ! 私は何も語るべきではないという事になるのですから!!」

 それはパウラが、アースラウグが目の当たりにして絶望した真実について、否定的だったからだ。アースラウグとて、本当は否定したかった。もしパウラの言葉をもっと前に聞く事が出来たなら、この悲しみを癒やして貰う事も出来たかもしれなかった。しかし、もう手遅れなのだ。渦巻いた憎悪を、この現実に対する遣り場の無い怒りを鎮めるには。薄っぺらい同情や憐憫など、火に油を注ぐだけでしかない。

「そうは云ってないでしょう、もう、どうしてそんな極端な……」

 まどろっこしさに業を煮やしたアースラウグは、扉の腹に槍を突き刺す。それでも未練がましくドアノブを掴んで離さないパウラの両腕を、アースラウグは握り潰す勢いで再び引っ掴んだ。パウラは自分より数年は年上の筈だが、何と非力な事か。目尻に涙を浮かべてすらいる。

「いいから、退いて。……退け!」

「退、ぎ、ま、ぜ、ん……絶対に、退ぎぃ!」

「くどい!」

 今度は捻ってみる。さぁ、指の力を緩めろ。ドアノブから手を離し、その場に倒れ込めば楽になれる。何故それをしないのか。

「あ、あばば、やばい腕折れる誰か助けて……!」

 彼女の発言は弱音でも誇張でもなく、アースラウグは実際に腕を折るつもりだった。が、それは思わぬ第三者に止められた。羽交い締めにされた為に暫くじたばたと足を動かしていたが、それが無駄だと悟ったアースラウグは暴れるのをやめた。やっと両腕が自由になると、即座に第三者へと向き直った。親衛隊の制服に身を包んだ、金髪碧眼の長身の男……MAIDを押さえ込めるだけの力を有するという事は、彼はMALEだろうか。

「何です? 貴方は」

バルドルと申します。この場でお目に掛かりましたのは、今回が初めてでしたかね」

 聞き覚えがある名前と声は、そうだ。先々月の終わり頃の作戦で、耳にしたものだ。

「……あー。シャルティさんと通信しながら喧嘩してた方ですね」

「喧嘩……ふむ、平易に云い直せば然様な言葉にもなりましょう。思い出して頂けましたか」

「えっと、何とか。面識が無かったので……すみません」

「構いませんよ。それで、貴女はこの部屋に用がお有りと見受けました」

 話が解る人は、嫌いではない。早速、事情を説明せねばなるまい。今までであれば、返答が是であるか非であるかを思い悩み、躊躇っていたかもしれない。だが、眼前のMALEはきっと頷いてくれる。そんな確信があった。

「通してくれないんです。私の、母様の部屋ですよ?」

「それは不憫だ。さぁ、パウラ。開けましょうか」

 それ見た事か! あっさりと承諾してくれた。慈悲深く、紳士的なこの彼に比べ、パウラという奴は何と矮小なのだろう。辺りをせわしなく見回し、口をぱくつかせて。お伽話の小人でも此処まで滑稽な真似はしてくれそうにない。哀れなパウラ!

「へ? 何を仰るかと思ったら、お生憎様。鍵はイザベラが持ってますよ。私がイザベラに投げて寄越したの、どうせ見てましたよね?」

「本物の鍵は貴女がお持ちでしょう。管理表の名前を見れば一目瞭然です」

「いやいや……ご冗談でしょ、バルドル先生……」

「私の主張が嘘だと思うのなら、今私がさり気なく貴女から拝借しているこの鍵を、実際に使ってみましょうか」

 バルドルはいつの間にか、右手に鍵の束を持っていた。彼は幾つもある鍵から、この扉に合う大きさのものを丁寧に選別する。

「ちょっと! 何処から取ったんですか! このスケベ! 軍法会議に掛けて貰いますよ!」

 顔を赤らめて喚き散らすパウラを余所に、バルドルは慣れた手付きで鍵を鍵穴に差し込み、指先の動きだけで解錠して見せた。それから鍵を引き抜き、パウラの眼前へと差し出す。

「開きましたので、鍵をお返ししましょう」

 飲み物のボトルを戦友に返すかの様に、バルドルはパウラに鍵を投げ返した。パウラは危うくそれを取り落としそうになりながらも何とか引っ掴み、口先を尖らせてぶつくさと愚痴を零しつつ、右脚のポーチに仕舞い込む。

「アースラウグ、どうぞお入りなさい。これで満足でしょう?」

「何考えてるんですか! 国家的機密の範疇ですよこの部屋! いくらアースラウグ様とはいえど、こんな易々と入れてしまって……!」

「本当に国家機密なら、貴女の様な間抜けに鍵を預けたりはしませんよ。陛下は恐らく、わざと抜け道を用意なさった。……否、杜撰さの散見される昨今に於いては定かではありませんが……まぁ、良いでしょう。錆び付いた言霊に踊らされるのは、これで仕舞いにすべきという事です」

「いや意味解らないし」

「然様で。では私は“喧嘩の仲裁”も終わったので、帰ります。皆様、仲良くしましょうね」

 バルドルは踵を返し、視界の外へと消えた。事の成り行きを見守る時間が些か長すぎた為にすっかり硬直してしまった首を、バルドルの方へと向けたが、彼はもう気配を残しては居なかった。

「はい、そうですね、そうですとも! もう知らない!」

 パウラは両肩を怒らせて、バルドルとは正反対の――先程イザベラが走っていった方角へと足早に向かう。その途中で、一度だけ此方に振り向いた。目尻には涙が浮かんでおり、ひどく恨めしげな表情だった。だが、構うものか。パウラがそのまま何処かへ行ってしまったのを一瞥すると、アースラウグは開けっ放しの扉を通って部屋へ入る。

「……ふぅん」

 ブリュンヒルデの個室は片付いていたと云うよりも、がらんとしていた。窓からは陽の光こそ差しているものの、只の陽光ごときでは物寂しい雰囲気は払拭されない。私物は殆ど無く、全く手入れがされていないベッドと、埃の被った机と、その上に日記帳があるだけだ。アースラウグは埃を取り払い、日記を手に取った。

「これが、母様の日記……やっと見られるんだ」

 これが、最後の希望だ。彼女の戦績が、人格が、評価が、そして人望が本物でさえあればいい。姉のジークフリートも、先輩のシャルティも、他にも何名ものMAIDが母ブリュンヒルデの教えを受けたのだ。今や敵となった、あのテオドリクスでさえも。強き力を持ち、誰からも慕われる人格者でなければ、何もかもが嘘になるではないか。人望や評価が無ければ、成し得ない事ではないか。

「……」

 アースラウグはただ、ただ、食い入る様に読んだ。そこに救いがあるかもしれないと信じて。願わくば、母の、膝の上に抱かれてこの日記を読みたかった。頭を撫でて貰いながら、ブリュンヒルデがまだ現役だった頃の思い出話を聞きながら。だがそれは、永遠に叶わない。愛すべき母は死んだのだ。アースラウグが生まれるずっと以前に。埃の積もった机の上が、憂鬱さに拍車を掛けた。



 1938/1/16
 陛下より授かった日記帳に記録する。漸くだ。
 1ヶ月弱。まともに書けるまでにこれだけの日数を要した。同期達はもっと早くに読み書きを覚えたというのに。

 何をやっても中途半端な私を、誰が評価などしてくれようものか。

 ……実のところ、まずは何から書くべきなのか決めかねている。
 誰かが日記を読む時に備えて、自分について簡単に書き連ねてみるべきだろうか。

 少し間が空いた。
 休憩を挟むと頭もすっきりするらしい。
 そう云えば、私は息切れしやすいと、ヤヌスが云っていたな。
 全くもってその通りで、生まれたばかりの頃は碌に訓練もままならないくらい、私は体力が無かった。



 ――1938年1月16日。この日、グレートウォール戦線には雪が降っていた。
 ブリュンヒルデは冷えた鎧が皮膚を刺す様な感覚に辟易しつつも、付近にまだ敵が残っていないかどうかを確かめねばならなかった。我が身は未だ戦場に在り。勝利の余韻に浸るには足りぬ。

「……」

 周辺に転がっているワモン級を次々と(ヴォータン)でつつく。傍目には間抜けな光景に見えるが、まだ生きていたら厄介な事態になると考えれば、必然的にそうせざるを得ないものだ。連中に死んだふりなどという高等技術が在ろう筈も無く、つついて脚が動かなければ、とどのつまり仕留めた事と同義として良い。かれこれ十数分ほどこの作業を続け、最後の一匹が例に漏れず死骸であった事を確認すると、ブリュンヒルデは漸く肩の力を抜いた。

「これで、漸く終わったのね」

「ご苦労さん。俺の担当分も終わったぜ」

「――ヤヌス」

「ったく。毎日毎日、冷えちまって仕方が無ぇ。さっさと帰ってホットジンでもカッ喰らいたいもんだ」

 このMAID部隊の隊長であるヤヌスは、緑色の虹彩をきょろきょろと泳がせて辺りを眺めつつ、両腕をさすった。誰かの視線を気に掛けているのか。

「酒は程々にしておかないと、任務に差し支えますよ」

「お気遣いどうも。だが俺はザルだ」

「……然様ですか。他の方々は? 姿が見えませんが」

 残存する敵勢力を警戒していた他のMAID達が、視界から残さず消えていた。雪は小降りで、吹雪いてはいない。なので、見失う筈が無いのだ。ヤヌスは悪戯っぽく笑う。

「あぁ、先に休ませてるぜ。こんなご時世だ。余計な仕事を増やす訳には行かねぇだろ。休める時に休ませてやらなきゃ、身が持たねぇ。まぁ、視察といちゃもんしか能の無いお偉方には、しっかりと言い訳しといたからよ。お前も休め。な?」

 肩に手を置かれる。これが言外の強制力を伴っている事は、ブリュンヒルデにはよく解っていた。ヤヌスがこれをしてきた時は、決まって周囲への根回しも済ませ、まだ伝えてない者らに“さぁ、後はお前達だけだ”と云う時だった。これを拒めば彼はひどく機嫌を損ね、暫く立ち直ってくれない。面倒な上司だと感じつつも、一方ではその欠点から感じさせる人間臭さに一種の興味も抱いている。実のところ、ブリュンヒルデは仲間から「何処か冷たい」と云われる事が多い。理由は大凡把握している。MAIDの消耗率の高さ故に、あまり近い距離感を持っても、いざ失った時の喪失感が大きい為だ。愛故に苦しむというのなら、任務に差し障る感情は可能な限り排除すべきだ。なのに、彼は部下達に慕われている。
 ――感情を廃すべきだと考えるのは、私だけなのだろうか。

「……その、ではお言葉に甘えさせて頂きます」

「今日は、やけに素直だな。いつもならすぐには引き下がらねぇってのに。アレか? 心境の変化って奴か?」

「関係性の維持を考慮した上で、この場は素直に好意を受け取るべきだと判断したまでです」

「お、おう……」

 少し云い方に問題があっただろうか。ヤヌスは面食らった表情で、後頭部を掻き毟る。人は――少なくともエントリヒ及びグリーデルの人間は――何か困った事が有った場合の反応として、そういう仕草を行なう。つまり、ヤヌスは此方の返答について納得出来ない部分があると見なすべきだ。

「ヤヌス。何か問題でも? それとも、やはり“隊長”とお呼びすべきですか」

「いや、俺はみんなを兄弟みたいなもんだと思ってるから、俺の事ぁヤヌスって呼んでくれて問題は無い。寧ろ、ヤヌスって呼んでくれなきゃ寂しい。泣く。そうじゃなくてだな、その……」

「どうぞ、はっきりお申し付け下さい。家族ならば悩みを打ち明けるべきだと心得ております」

「そう、それだ!」

 いかにも“我が意を得たり”と表情を綻ばせるヤヌスだったが、すぐにまた黙り込み、口を“へ”の字に曲げて考え込んでしまった。どうも、家族間であろうと超えては成らない一線があるという事らしい。云うべきか、云わざるべきか。古代悲劇の主人公が如く眉間に皺を寄せて唸り続けるヤヌスを見て、ブリュンヒルデは彼の肩に手を置くことにした。

「――!」

「ヤヌス。貴方の真似をしてみました。私のこの行動に如何なる意味を有するか、貴方自身が誰よりもよくご存じの筈です」

「やれやれ。SF小説に出て来るロボットみてぇな奴だと思ってたのに、何時の間にそんな芸当――」

 云い掛けて、ヤヌスは「しまった」と小さく呟いた。反応を鑑みるに、これがヤヌスの云いたくても云えなかった事だろうと、予想が付いた。とはいえ、当人たるブリュンヒルデにとっては、それほど傷付く言葉ではなかった。人間に従属し、戦闘という作業に従事する存在という定義に於いて、MAIDとロボットは数多くの共通項が見出せる。皇帝陛下はそれを否定しておられたが、そも心というものは人間にのみ重宝されるべきだ。

「構いません。ロボットであろうと、家族であろうと」

「すまねぇな、ブリュンヒルデ。そうは行かねぇんだ。そうであってほしくない(・・・・・・・・・・・)のさ。コーヒーが冷めちまうが、溜まり場で話す訳にも行かねぇな。付き合えよ。俺には、お前を説得する義務がある。俺が決めた。今、決めた」

「発言の意図が理解出来ません。貴方の認識がどうあれ、私達は消耗品。安易な馴れ合いは、刃を鈍らせる錆となります」

「俺はそうは思わん。さる科学者が研究したデータに依るとだな」

 ヤヌスは悲しげに眼を伏せる。その理由だけは解らなかった。研究の結果を話の引き合いに出すだけで、此処まで悲しげに俯く必要など、何処にあるのか。

「そのデータに依ると、仲間同士の思い出があるMAIDってのは、そうでない奴に比べると生存率が高いらしい。生存本能が働いて、長生きする様に動くんだとさ。幾ら消耗品ったって、長く使えた方がお偉方にとっても好都合だろ。俺達に掛けた金だって馬鹿にならねぇんだからよ。まぁ……あんまり、こういう説得の仕方は気が進まねぇけどな」

「そんなものの有無が、戦局を左右するとは思えませんが……」

「するのさ。するとも。俺はな、ブリュンヒルデ。他の仲間は勿論、お前にも死んで欲しくないんだ。戦って、生き残って、馬鹿やって、泣いたり、笑ったり、そうしているのが幸せなんだ。それとも、俺が“そうしろ”って命令した方がいいのか?」

 苦笑いするヤヌスの表情とは裏腹に、その双眸は僅かばかり潤んでいた。どうやら、彼にとっては悪い事をしてしまったらしい。具体的にはどの発言が彼を傷付けてしまったのかは判然としなかった。しかしながら、悪しき振る舞いを行なったと周囲が認識した以上、罪を犯した当人がそれを自覚するかしないかに関わらず、謝罪が必要だ。上官に殴り倒されながら謝罪する兵士達を見れば、そんな常識はすぐに理解できるというものだ。

「ごめんなさい。慎むべきでした」

「気にするなよ。俺の個人的な感情だ。俺も少し、疲れてるみたいだな。さて! コーヒーでも呑むか。それともホットジンのがいいか?」

「お酒は、苦手なので……」

「1ヶ月足らずじゃ、まだ早ぇか」

 その後、他の部下に集合が遅れた理由を「クリスマスツリーの後片付けをしていた」と説明したヤヌスは、仲間達から口々に野次を飛ばされていた。聞くに堪えかねる罵詈雑言も耳に入ったが、そのどれもが失笑に混じった愛情に近い響きを持ち合わせていた。
 すっかり温くなったコーヒーを飲み干し、ブリュンヒルデは休憩がてらに報告書を手に取り、寒さでインクが凍っていないかを確かめた。



 この日、私の前でヤヌスは目に涙を滲ませながら、私を説得しようとした。
 私には、感情らしいものがどうも希薄だという。
 正直な所、私はまだ、彼の言葉には興味以上に疑問を抱いている。
 私達MAIDが人の姿を真似て作られたのは、あくまで守るべき国民からの理解と共感を得る為であって、MAID同士が馴れ合う為のものではない。
 記憶とは、戦場での経験を学ぶ為のものだ。
 表情とは、意思疎通に於ける一つの道具だ。
 なのに何故、私は憧れに近い感情を彼に抱いたのか。
 否定したくても否定できない、この感情の正体が私には掴めない。
 少なくとも、現時点では。


最終更新:2013年08月02日 22:57
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