(投稿者:怨是)
グスタフ・グライヒヴィッツ総統に呼ばれ、フィルトルは向き直った。名前を呼んで直ぐに指令が下ってこない場合、それは此方の返答を待っている合図だ。如何なる場合であろうと必ず現在の作業を即座に中断し、総統へと向き直り、用件をお伺いせねばならない。それは彼女にとって、絶対の礼儀作法だ。
「ご用件をお伺いします」
「大した用事ではない。と、云えば嘘になるか」
「は」
今一つ要領を得ない。いつものグライヒヴィッツ総統であれば、ここで即座にやれ何某をせよと指令が下る筈が、今日に限っては妙に歯切れの悪い口調だった。何かを躊躇している様な、それでいて此方の反応を何処か期待している様な、曖昧な感情が読み取れた。
「お体がすぐれないのでしたら、部屋までお運び致します」
「……部下がな、日記を探し当ててくれたのだ」
「おめでとうございます。しかし、これがご用件ですか?」
「そろそろ、頃合いだと思ってな」
「頃合い、ですか」
フィルトルは眉間を指でなぞりながら両目を閉じ、逡巡する。此処までの話の流れから察するに、つまりはこうだ。順を追って列挙する。総統の部下が、総統の日記を探し当てた。完全なる私事をわざわざこの時間に云った。それも、冗談の類いとは凡そ無縁の筈の総統がだ。そしてもう一点。“頃合い”という言葉からは、日記が発見されてから暫く経過しているという事が推測できる。更には、今この瞬間に総統が日記を、フィルトルの意志で閲覧する事を希望している。歯切れが悪いのは強制したくないのだろう。
数秒で此処までの経緯をまとめ、推測を終えた。フィルトルはそこから導き出された答えを、はっきりと口に出した。
「――これを閲覧しろと」
真っ直ぐに見据えられた視線が頷いた。それは、紛れもなく肯定を示していた。フィルトルは名状しがたい重圧に堪えかねて、頭を垂れた。その拍子に見えたのは、二冊の日記だった。思わず、口元が動く。
「二冊……」
「私の物と、もう一冊は私の娘の物だ。名を、モニカ・グライヒヴィッツと云う」
今までそんな話はつゆにも出なかった。当然と云えば当然だ。仕事以外の会話を一度たりとも交わした事が無かった。グライヒヴィッツ総統は常に寡黙で在り続け、己の考えを口にする時は決まって演説をする時だけだった。組織の意義を総統より聞きこそすれど――これに関しては以前、
軍事正常化委員会は私兵団体ではないと諫められたが――総統自ら何らかの事物に対して彼個人としての私見を挟む事は皆無に等しかった。
「ご令嬢がいらっしゃったとは、初耳です」
「もう随分前に死んでしまったがな――今から六年前になる」
「形見の品ですか」
「そうなる」
敢えて謝罪はしまい。謝罪を望んでなどいないという事は、その眼差しを見れば明らかだ。
だが、この日記は果たして職務に直接の関係性があるのか。総統の言葉に忠実であろうとするのならば、あくまで丁重に、総統の感情を傷付けない様に断る事だって出来る筈だ。何故なら総統閣下は斯く仰せられた。“軍事正常化委員会は私個人の所有物となってはならぬ”と。
――では、職務に差し障りのある余計な情報を頭に入れるくらいなら、それを敢えて拒否しようとも、忠義に反する事ではあるまい。
「ならば私如きが目を通すべき代物では御座いません」
踵を返そうとしたその時、肩を掴まれた。彼の掌から伝わってきた感情は、要求に背いた事に対する怒りではなく、機を逸する事に対する焦りだった。だが、何を焦っているのか迄は読み取る術が無かった。
「――否。それは違う。違うのだ、フィルトル。お前の根幹に関わる秘密がこの日記には記されている。お前が何故
ジークフリートを崇拝するかについても、そして私が何故、お前をいつまでも出撃させず、こんな狭苦しい部屋に置き続けているかも、全てだ……」
「ご命令とあらば、従いますが……」
「フィルトル最高管理者というMAID一体ではなく、フィルトルという、感情を持つ一個人として聞いてくれるか。命令ではなく、あくまで
グスタフ・グライヒヴィッツという一個人として、お前に頼みたいのだ」
「……」
――焦っているのは、寧ろ私の方だったか。
未曾有の事態にフィルトルの頭脳は多大な混乱を強いられた。口を開けては、空転する言語を喉の奥底で押し留め、その繰り返しでぱくつかせた口からは呼吸音以外の一切の音を出せなかった。答えが見付からないのだ。今までなら多少悩みはすれども、優先順位を冷静に整理し、その判断を下に処理すれば良かった。従来ならば自分は己自身を道具と規定し、そう在る事で己の価値を仮定し、組織の大義こそが己の主義であり思想であるとして行動の規範を形作る事が出来たのだ。
しかし、今この瞬間は違う。自分が感情を持つ存在だという前提で誰かに物事を頼まれるなど、一度とて無かったのだ。無論、フィルトルは己が生来の激情家である事は自覚しているが、MAIDという立場上で誰かに――ましてやグライヒヴィッツにその様に扱われる場合は話が別だった。だからこそフィルトルはこの転倒した心を、再び立ち上がらせる事にこの上ない戸惑いを覚えた。実は悪い夢でも見ているのではないかと、現と夢の境界線を疑ってすら居た。
「それとも、命令せねば動けぬか」
「いえ……」
総統の“命令せねば動けぬか”という問い掛けから、その言外に含まれた意味を汲み取る。即ち、自力で判断して読むべきかどうかを決めろという事だ。“頃合い”という言葉があった。つまり、今すぐにでも読むべきなのだろう。残された時間はごく僅かなのかもしれない。何故か、フィルトルはその様に感じた。
「……了解しました」
砂漠の如く潤いを失った感情であっても、己の主が死期を悟った事には敏感であった。静かに二冊の日記を受け取り、グライヒヴィッツに勧められるがままに、椅子に腰掛ける。それから、二冊同時に頁を開いた。同じ日付を辿った方が、彼の伝えたい情報を効率的に読み取る事ができるだろうと判断した為だ。何をするにでも機械的な処理しか出来ない事については、今更苛立たなかった。
25 Jul. '37
父上は相変わらず頭が硬い。MAID運用は最早、Gと渡り合う上で必要不可欠となりつつある。
そんなご時世でも尚、父上は難色を示していた。
あくまでMAIDという存在は、歩兵の延長線上に過ぎない。
私はその観点から、歩兵とMAIDの混成部隊という形での運用を提案したいと考えている。
夢物語で終わる話ではない筈だし、私は必ずこれを成就させてみせる。
私がMAID技師を志したのも、旧態依然なこの国の官僚達に改革を啓蒙する第一人者になりたいからだ。
口を固く閉ざしながらこうして今日まで研究を続けたのも、他でも無い、母の様な犠牲を出したくないからだ。
単に敵を倒すだけでは、駄目だ。
隙間から容赦なく入り込んでくるあの害虫共を防ぐ壁を作らねば。
私の様に、悲しみに満ちた死別を、皆には味わって欲しくない。
私が悪魔に魂を売り渡して、それで不特定多数の国民達を悲しい結末から救えるというのなら、安い犠牲だ。
その為ならば、業の深い仕事だと周囲が眉を顰めようとも、構うものか。
「――現状、我が国でのMAID開発技術は他国より抜きん出てこそ居ますが、それは単に、我が国がいち早く着手したからに他なりません。いずれ主要五カ国が開発、製造に着手し、黎明期を終えて成熟へと向かった時、我々に求められるのはこれを安定して活動できる運用法、そしてその実績を残したという前例です。どのようなMAIDを作るかではない。どのように使うかが我々の課題ではないかと、私は提唱したいのです」
1937年7月25日、帝都中央会議室にて。
黒板に次々と図形を描き、モニカ・グライヒヴィッツは他のMAID技師達に説明を行なっていた。今回の研究では、単体での戦闘能力には敢えて着目せず、歩兵との混成運用に於ける効果を検証したものだった。
「質問を」
「どうぞ。ディーステル技術少尉」
「我が国では、MAIDが製造及び起動に成功した例は二割にも満たない。歩兵の数に対しての絶対数が少なすぎる。軍部の要求を満たせるだけの総数を起動に至らしめるには、現状に於ける我が国の技術水準は著しく不足している。この点を、貴殿は如何に解決するつもりか?」
「随時、追加製造を行なえば良いだけの事です。我が国が
ルージア大陸戦争の敗北によって戦勝国への賠償金を支払わねばならない問題について、
EARTHは一先ず棚上げし、Gとの戦いを乗り切るべきだとの見解を示しています。ならば、これを機にMAIDの生産数を増大させるべきかと」
経済学の専門家を招致して試算表も作成した。MAIDの製造開始から僅か半年という期間では、信頼性の観点から満足な統計は取れなかった。確かに半年間での起動成功個体数は右肩上がりに上昇しているが……数年後にそれを保っているかどうかは定かではないのだ。が、それは一先ず差し置いた方が良いだろう。如何せん、MAID産業自体が前例の無いものである。希望的観測を述べた方が、他の技師達からの心証も良い。
「資料をご覧頂いた通り、製造開始以来、我が国の登録MAID数は上昇の一途を辿っています。従来まで施行されていた単独運用ではなく、歩兵と随伴させる事によって生存率は大きく上がります。消耗率に対して生産率が大幅に上回っていれば、数の問題は簡単に解決されます」
「Gの出現数増加などといった不確定要素は考慮に入れないのか?」
「歩兵の補助として運用してはMAIDの性能を活かしきれないだろうに。こんなものは机上の空論に過ぎん」
「お言葉ですが。前例が無い以上、机上の空論となってしまうのはやむを得ません。私の受け持つ参謀本部直属研究室もまた、他の皆様とは異なり、研究設備は充実しているとは云い難い。ですが――」
「――さっきから聞いていると、君の発言は予測と推測しか無いじゃないか。我々が求めるのは実証した結果だ。君は、君が提唱した通りにMAIDを複数体起動させて歩兵と運用して、結果を得たのか?」
始まった。所詮は貧乏技術屋。起動に成功したのは現時点で一体だけだというのは、彼らもよく知っている筈なのに、わざわざ聞こえよがしに質問していびり倒すに違いないのだ。
「まだ、一体です」
「それも、出来損ないだろうが」
「若いのに無茶をするからこうなる。今から書類を投げ捨てて、花嫁でも目指したらどうかね!」
「馬鹿を云え。こいつでは嫁の貰い手が居ない。尼寺にでも行けばいいのさ」
「そいつは傑作だ! 誰彼構わず股を開けばいい! 営みを繰り返して産んだ子供をMAIDにでもすればいいだろう! 素体は無尽蔵だ。十数年は掛かるがな!」
口を開けば低俗な野次ばかり。議論後進国たる
楼蘭皇国でも、此処まで間の抜けた惨状を目の当たりにする事は無かろうに。モニカはこれ見よがしに頭を抱えて見せ、それを以て無言の抗議とした。幸いにも、口汚い連中は全体の二割程度だった。他は、口を閉ざして嵐が過ぎ去るのを待っている。
「――待ち給え諸君!」
「マイネッケ技術中尉……」
「この錚々たる面子を取り纏めるに相応しい大人物ことオスカー・マガト技術少佐は本日、生憎ながら別件にて席を外しておいでだ。諸君等が好き勝手に所見を述べるのは私にとって些事にも成らぬ。が、しかしだ。この件に関する追求は、技術中佐のお言葉を待つべきではなかろうかと、私は考えたい」
「大尉、しかしこれは討論ですぞ。彼女の理論に穴がある以上、それを埋めるのが我々の務め。彼女が弁明できないならば、やはり実用には至らなかった、単なる机上の空論でしか――」
「――机上の空論? 大いに結構! 技術者の戦場は何処だ? 机上にて書類と睨み合い、検証し、そして戦地での実証は実験部隊に任せる。彼らが実証するに足る理論を組み上げる事こそ技術者の本分。議論に値しないと判断したら、議論に足る記録へと昇華されるまで待てば良いのだ。違うかね? そも、うら若き乙女に、やれ“股を開け”だのと罵るそれが、穴埋めだと? 笑わせるな! 淑女の秘めたる穴にその粗末な棒を埋めるなどと抜かした奴は今すぐ私が去勢してやる! 我々は何かね? 技術者だ! 数枚の紙と一本のペン、そして莫大な記録こそが我等の妻であり彼女にとっての夫だ! 研究室こそが子育ての部屋だろう! そこに男女の別は無い。心得ておき給え諸君。私はご覧の通り、虚弱体質だ。大演説などという肉体労働をやらせないで頂きたい!」
技師達はすっかり黙りこくって、彼に従うほか無かった。一先ず、追求は免れた。が、この
ブルクハルト・マイネッケという男は実に油断ならぬ危険人物でもあった。MAIDを増やすという点では一見すると、MAIDに関する彼の認識は共通している様にも見えた。しかしながら、彼はコア活用基礎理論を“大いなる平和の為に”と謳っており、強大な力を持つMAIDによる他国に対する制圧をも目論んでいる。それでは駄目だ。敗戦国たる
エントリヒ帝国は、今や他国との協調路線を貫き通さねばならないし、MAID対MAIDの国家間戦争など有っては成らぬ事態だ。彼の云う所の最大の平和など、肥大した自己顕示欲の実行に他ならぬ。
「感謝します、中尉」
「何。前途洋々な若者である君を救えと、私の技術者魂が叫んだまでだ。今後も研究に励み給え、モニカ君」
ブルクハルトの痩せこけた頬が笑みを形作ったが、モニカはどうにもそれに応えられなかった。彼は既に多くの人が知る通り、SS技術部の大半を牛耳る、中々に喰えない人物だ。のらりくらりと追及を躱し、冷徹さを見せるかと思えば温和な側面も垣間見せる……まるで“
オスカー・マガト”を名乗る複数の人物が居るかの如く、彼に対する周囲の評価は一貫していない。それでいて、或る方面からは優秀さ故にその実力を買われ、また或る方面からは義理堅い好人物として慕われている。彼の底知れぬ深謀遠慮に、モニカは戦慄を禁じ得なかった。
――この男は何を考えている?
下手に心を開けば、上手く丸め込まれて使い捨てられるに違いないのだ。彼の目的意識は、あらゆる手段の善悪を超越している。そこから導き出された結論は、この討論会には誰一人として真に味方と呼べる者など居ないという事だ。モニカは、己の神経が火花を散らし、脳内にて小爆発を繰り返した末に得体の知れぬ空洞を空けられた気分になった。その後、種々の運用法が提示されるも、どれもがモニカを満足させるには至らなかった。予定調和の退屈で腹立たしい談合、としか形容出来ない。
ブルクハルトはあれ以来何も語らず、じっと彼らの発言の数々を品定めしていた。この場では最年長である彼の事だ。可愛い後輩共の他愛の無い青春を眺める教師が如く、成り行きを見守っているのだろう。さもなくば或いは、彼の息の掛かった技術者が己の意図した内容通りに発言しているかどうかを注意深く観察しているか。
往々にして我々は捻くれている。こういう穿った見解に至るのは無理からぬ事だと、モニカは胸中にて自己弁護を行なった。
July 25 / 1937
娘は会議へ出席してきた後、消沈していた。
怪訝に思った私はその理由を尋ねるも、娘は答えてはくれなかった。
それも道理だ。数年間も疎遠だった私に打ち明ける程に、娘は私を信頼してなど居まい。
“歳月”と名乗る悪魔達は、私と娘との間に、星まで届く壁を築き上げてしまった。
今更その壁を突き崩そうにも、私の手元に残されたのは同じ国防陸軍参謀本部の屋根と、娘がまだ幼かった頃に残してきた、なけなしの思い出しか無い。
今更、誰が私を助けてくれようものか。
妻は他界して久しく、また当時を知る友人達も、声が届かぬ程の遠方へと旅立ってしまった。
たとえ涙無き慟哭を胸中にて繰り返そうが、戦場というものは今日も明日も足音を立てて私を迎えに来る。
そうして、私が望んで止まぬ安寧を、根こそぎ持ち去って消えてしまう。沈黙だけを残して……
故に私は只、祈る。
娘が汚濁と恥辱に喰い殺されぬ様に。
彼女が積み重ねてきた努力が、踏み躙られぬ様に。
歯痒い事だが、今は唯一、私が娘に出来る愛情の形。
堪え忍ぶ他に、道は無い。
最終更新:2013年08月03日 06:10