Chapter 0-3 : 死線 Bet the real

(投稿者:怨是)


 1938/3/3
 303作戦がついに実行され、開始から程なくしてMAID部隊が壊滅した。
 想定以上の数に戦線が維持しきれず、瓦解してしまった。

 作戦開始直前、私だけが303作戦の本隊から外され……
 それから、万が一戦線が瓦解した場合に備えて後方で待機する様に命ぜられた。
 彼らと一緒に戦う事が出来ない。

 私は恐れた。
 命令だとしても、それは裏切りに値するのでは……と。
 そして、待機命令が下されていた筈の私は、有無を云わさず撤退させられた。
 作戦そのものを歴史から抹消する為に、現場に居た者を含めた関係者全員に緘口令が敷かれた。
 私達が黙っていれば、記録には残らない。
 でも、それは許されてはいけない事じゃないか。

 帰り道でシュナイダー少佐を見掛けた。
 少佐の右目と右腕はGに食いちぎられて、見るも無惨な状態になってしまっていた。
 辛うじて息はしていたけど、あの場に残された仲間達はもっと酷い目に……

 告白する。
 私が急な命令について僅かながら違和感があったにもかかわらず、
 あの中で私だけが生き残って、密かに安堵してしまっている事を。

 出撃前、ヤヌスとオーロックスが終始沈痛な表情を崩さずに居たのを、私は精一杯励まそうとした。
 絆で結ばれた仲間であるなら、本能のみで動く利己的なGが集まっただけの勢力に負ける筈が無いと。
 二人は少しだけ、本当に少しだけ表情を和らげてくれた。

 なのに、なのに……絆だなんて。
 どの口で、私は心にも無い事を云ってしまったのだろう。



 1938/3/7
 生き残ったからには、私はその責務を果たすだけです。
 と、皆の前では確かにそう云った。
 一人だけ逃げおおせた事を恨んで欲しくないからだ。
 挙げればきりがない程の仲間達を、私は見捨ててしまった。
 私がもっと強ければ、私があの場に居たならば、彼らは生きていたかもしれない。
 今は、そう思えてならない。

 それ故に……
 卑怯にも私は、ラジオ越しに私が救出を行なっている事を誰か一人でも知ってくれたら。
 私の裏切りを許して貰えるかもしれない。そんな期待を抱いていた。
 死体が確認されていないなら、生きている筈。そう云い聞かせた。

 無認可出撃をしたいという嘆願書を、作戦司令室に提出し。
 その答えを待たずに私はヴォータンを持って皇室親衛隊本部営舎を抜け出た。
 それから「救助を待っている仲間達に、私が向かっている事を知らせて欲しい」と、放送局に出向き、伝えた。
 後日、私が出撃する度にラジオからは私の救出活動に関する放送をしてくれた。
 残念ながら303作戦はいたずらに国民を不安にさせるから口外できないけれど、それでも彼らなら気付いてくれるだろうと……。
 戦闘車両が幾つか生きていたので、救出活動の傍らにエンジンを掛けて通信機の周波数を放送局に合わせた。
 あれを聴いてくれれば、きっと。

 ……近頃、MAIDの数が一気に増えた。肌の色が私達とは違う。
 その中の一人が片腕を失っていた。
 苦痛に歪められた顔が、あの時のシュナイダー少佐を思わせた。
 見かねて声を掛けたけれども、無視された。
 その件について、技術部の人に訊いたら、彼女達は言葉が話せないらしい。
 意思の疎通はどうするのだろう。



 1938年3月12日。未だ雪解けの訪れぬ、グレートウォール戦線の山岳地帯にて。
 ブリュンヒルデワモン級を退けながら、物思いに耽った。

『……参謀本部だ。MAID部隊の管理権限を巡って、良からぬ動きを進めているらしい』

 303作戦より戻ったブリュンヒルデは茫然自失を脱して直ぐに「まさか」と思ったが、どうやらそれは思い違いであったらしい。303作戦に細工を施したのはヴォストルージアから送られてきた、MAID開発を妨害しようとするスパイの仕業だったという。彼らは翌日を待たずして処断された。303という忌まわしき記憶を撒き散らしながら。

 ――あまりにも、報われない。
 あの作戦で、ブリュンヒルデを残して大勢のMAIDが死んだ。しかし“303”は口に出せぬ禁忌と化した。帝国のMAID部隊だけで編成され、先んじて他国に差を付けようとして行なわれた、あの地獄の作戦は。他の何名かのMAIDは諸々の事情で――例えばバルドルはザハーラへ派遣され、テオドリクスは成績が劣ると判断され、あの戦場には居なかった。それでも多くの犠牲を出した惨劇の記憶を、皆は共有している筈だ。誰もが黙っていても、見知った顔が消えたなら。
 ワモン級の一匹が、ギィィと呻いて斃れた。ブリュンヒルデは憎悪の赴くままに愛用の槍(ヴォータン)を逆手に持ち、それの頭を打ち砕く。暫くは節足を動かしていたワモンだったが、やがては身じろぎ一つしなくなった。
 ふと、ブリュンヒルデはそのワモンの死骸の直ぐ近くで、金属製の棒きれが白い地面から顔を覗かせているのを見付けた。気になったので、雪を掻き分けて引きずり出す。

「これは……!」

 埋まっていたのは、拉げた小銃だった。喰えないからという理由でG達に放置されたままだったのであろう。形状からして、グナーが使っていた物だ。MAID専用に火薬の量を増やした弾薬を使用する特別な銃の研究が進められていて、彼女の装備はその試作型だった。そっと、ブリュンヒルデは小銃を肩に掛けた。形見の品を持ち帰るのは禁じられていない。設計図だけでは解らない事も多々ある為、寧ろ現場での使用状況が判断できるこういった装備品の回収は推奨されていた。無論、それだけの理由ではない。少しでも彼女らの存在を身近に感じていたいのがブリュンヒルデの本音だった。
 散らばった鋼材の破片を探せば、近くには搭載されていたロケット砲が何処かへ投げ飛ばされた軍用車両が、横転した状態で雪に覆われていた。中を覗くが、当然ながら誰も居ない。瘴気の影響で著しく錆び付きが進行したドアを、ブリュンヒルデはそっと開き、エンジンを掛ける。ガソリンはまだ残っていた。それから程なくして、車載ラジオが通信を受け取る。多少のノイズはあるものの、ブリュンヒルデにも充分聞き取れた。放送局に周波数を合わせる。

《戦闘中に行方不明になったMAID達は、連日に亘ってブリュンヒルデによる懸命な捜索活動が進められ、また彼女の奮戦により戦線は少しずつ押し留めつつ――》

 この時の為に、放送局に無理を云って救出の報せを広めさせていた。303作戦当日に最前線まで進軍させていた車両は合計で6台。今回見付けた分で丁度、最後の1台だった。後はガソリンとバッテリーが保つ限りは流し続けてくれるだろう。後は生き残りの誰かがこれを聴き取ってくれる事を、祈るだけ。

「今日は此処まで、かしら」

 ラジオ放送を流し続ける軍用車両の残骸を背に、ブリュンヒルデは元来た道を歩いた。足跡を辿りながら、当初はこれを当てにしようと考えていた事を思い返す。しかし3月はまだ雪が降っており、灰色の空を眺めてそれが無駄だと気付いた。鮮血に彩られた傷痕の何もかもを覆い隠してしまっていたのだ。白く柔らかい雪は、子供達に笑顔を運ぶあの雪は。

「……?」

 ふと、付近の何処かで剣戟の音が聞こえる。もしかしたら生き残りだろうか。だいぶ奥地まで進んできたつもりだ。鉄橋を越えたので、此処は山岳地帯の南部――アーカムブルク軍事基地跡の周辺だろう。戦線はMAID部隊の壊滅と共に山岳地帯以北の平原まで後退している為、各国の兵士が此処まで進軍してくる事は無い。淡い期待を抱き、ブリュンヒルデは音を辿った。
 重たい一撃。時折響く、木々をへし折る音。オーロックスかもしれない。彼は持久力に優れていて、それで腕力も強く。そんな彼ならば、或いは……絶望的な苦境に、耐えきってくれているであろう。

「お願い。彼であって……」

 ブリュンヒルデは思いを馳せた。自身に深々と絶望を与えた、あの日に……。



 時は遡り、同月3日。同じ、グレートウォール戦線にて。
 303作戦はG達の本拠地とされているグレートウォール以南、アーカムブルク軍事基地跡に潜伏するGを一掃し、そこから戦線の拡大を図るというものだった。
 ブリュンヒルデは平原地帯より北に位置する後方陣地で、長距離支援砲撃部隊である第8砲撃小隊と、副司令官を含む幹部達と共に待機していた。なだらかな丘陵地帯に塹壕を掘って作られた大規模な陣地は、粗末な作りだと周囲の軍人達に眉を顰められながらも、戦場を一望できるという絶好の立地であった。
 進軍を控えたヤヌスがブリュンヒルデの傍らに立ち、顔を覗き込んでくる。

「どうした? 浮かない顔をしちまって」

「ヤヌスこそ、先刻までの表情は人の事をとやかく云えたものでは無かった様に見えましたが」

「うおぉい、云う様になったなぁ! だがまぁ、良かったよ。お前が此処まで成長できたのを見る事が出来てな」

 折角、先程までは僅かに表情を和らげてくれたヤヌスは、眉根を寄せ、その眼差しは再び悲哀を帯び始めた。ブリュンヒルデはヤヌスの袖を掴む。

「止して下さい。そんな、今生の別れみたいな云い方……」

「何ぁに、くたばると決まった訳じゃ無ェさ」

 ヤヌスはそう云って、ブリュンヒルデの後ろに居る誰かに手を振った。オーロックスだった。彼もまた、何処か疲れ切った面持ちで立っている。すぐ近くには、沢山の仲間達が。彼女らも、同じだ。死地を目前に、悲壮感を覚えぬ者は居ない。

「ヤヌス、そろそろだよ」

「おう! じゃ、ちょっくら行ってくるぜ」

 ヤヌス達は去って行く。ブリュンヒルデだけがこの場に取り残された。正確には数十名の隊員達が後ろに控えていたが、彼らとは話をした事が無い。
 ブリュンヒルデは丘に立てられた土嚢の壁を、階段を伝って上る。その上から戦場が一望できた。最初のロケット砲が、防衛戦の向こう側――森林地帯へと放たれる。数十発は飛んで行ったであろうロケットはビュオォと轟音を立てて木々を薙ぎ倒し、着弾地点はたちまち火の海と化した。いよいよ戦闘が始まる。陣地では、通信機がピープ音をひっきりなしに鳴らしていた。

《こちら作戦本部、シュナイダー。第2砲撃小隊及び第3砲撃小隊、応答願う》

《こちら第2砲撃小隊。準備良し》

《第3砲撃小隊、同じく》

《了解。次の砲撃は待て。MAIDによる突撃を優先させろ》

《第2砲撃小隊了解》

《第3砲撃小隊了解。しかし、彼らだけで上手く行くものでしょうか? シュナイダー少佐》

《MAIDは我が国にとって希望の星だ。彼らが全力を出せる環境に置いてやるのが、我々の役目だ》

《……了解。通信を終えます》

 焼夷弾の熱で炙り出されたワモン達が、わらわらと平原に躍り出る。ヤヌスが弾幕を張り、弱ったワモン達にローゼ、フリーダ、マルレーネの三人組が飛び掛かり。そしてまたヤヌスは別方向に弾幕を張り、討ち洩らしをロスヴァイセとグナーが狙撃する。時折現れたシザース級は、オーロックスが身の丈程の大斧(ツヴァイエッケン)を振り下ろして一撃の下に粉砕する。これまで通りの……否、それ以上の成果に、作戦は順調そのものに思えた。が、しかし――。
 平原、森林に続き峠道のGを掃討し終えて山岳地帯へと戦線を押し上げてから、事態は急変する。

《こちら第2砲撃小隊、マンティス級の接近により車両を廃棄する! 振り切れない!》

《MAIDマルレーネです、仲間が大怪我を! 誰か、誰か助けて下さい! ローゼ、フリーダが……! このままじゃ、みんな……!》

《落ち着け! 救援要請をする奴は座標を云ってくれ、巻き込まない程度に砲撃支援を行なう!》

《第3砲撃小隊は本拠地アーカムブルクに到着! 害虫共め、V2ロケットを爆破すれば諸共木っ端みじ――ぶ、が――……》

「ひッ……!」

 他にも、聞くに堪えない断末魔も通信には混じっていた。肌寒い筈なのに、汗が止まらない。まるで、骨も肉もドロドロに溶かされたかの様に。耳を塞ぎたくなったが、どうにかしてブリュンヒルデはヴォータンを握り締める事でそれを堪えた。逃げてはいけない。襲い来る死の予感から、目を背けてはいけない。
 緊張で限界まで研ぎ澄まされた聴覚が、後ろで交わされる会話を捉えた。

「クラウス・フォン・バルシュミーデだ。D15地点にて待機中の、第8砲撃小隊は聞こえるか」

 別系統の周波数を使用しているのか、もう一方の通信機はひどく落ち着いている様子だった。わざわざ周波数を分ける理由は、よく解らない。この作戦の現場指揮官がシュナイダー少佐だからだろうか。

《こちらアドルフ・クリューゲル。第8重戦車小隊どうぞ》

「シュナイダー少佐に繋いでくれ」

《それが、先程から行方が解らずでして》

「……逃亡か?」

《お待ちを。確認します》

 暫くして、第8重戦車小隊の代表らしき兵士の困惑混じりの声が聞こえてきた。

《その……前線へ出向いたそうです》

「馬鹿が。死に急いだか」

《追いますか? 大尉》

「発見次第、速やかに保護しろ。負傷で済んでいたなら幸運に感謝しながら、治療に当たれ」

《了解》

 それきり、もう一方の通信機は沈黙した。

「メルヒャルト准尉」

「は」

「私は少佐に代わり、本部に確認を取る。准尉は此処で待機し、ブリュンヒルデの監視を続けろ」

「了解」

 その間も、救援要請の通信が聴覚を埋め尽くさんばかりに鳴り響いた。

《オーロックスの奴を援護してやってくれ! あいつの斧が折れた!》

《空軍の支援は!》

《はなから来ちゃ居ねぇ、此処に居るのは親衛隊とMAID部隊だけだ!》

《第4砲撃小隊、撤退します! MAIDが居たら座標Fの12に撤退支援を寄越してくれ!》

《こちらMAIDグナー! 装備が破損し、戦闘継続は不可能! 囲まれました、誰か援護を!》

《グナー、第2砲撃小隊を頼れ!》

《馬鹿野郎! 連中はとっくに喰われたよ!》

ヴェスペンストが居ない! 誰かあいつを見た奴は居るか!》

《MAIDは半分も通信機を持っていないなんて、よくもこんな体たらくで作戦を始められたもんだ》

《おい、誰かあいつを見た奴は!》

《うるせぇ! どうせみんな死んじまったよ! MAIDディルケ、突貫する!》

 ――もう黙って見てなんて、居られない。
 ブリュンヒルデは気付くと、平原地帯へと飛び降りていた。今からならまだ間に合う。後ろから此方を大声で呼んでいるのが聞こえるが、無視した。足下を銃弾が掠めるが、MAIDの脚力はそれを容易に回避せしめた。

「間に合って……お願い、間に合って……!」

 転倒の危険性を差し引いても、氷の張った高速道路の方があの場所までは早く辿り着けるだろう。しかし、深く積もった雪の向こうから現れた車に、行く手を阻まれた。運転士が、拗ねた様な目つきで此方を一瞥すると、横に車を着けた。

「……撤退だとさ、お嬢様(フロイライン)

 運転士はそれだけ云って、銃座に付いた兵士に合図する。ぎらり。固定銃座に取り付けられた機関銃の黒点が、ブリュンヒルデを睨む。この距離からでは流石に避けられない。ブリュンヒルデはすごすごと、その車に乗せられた。後方陣地へと戻ると、先程までブリュンヒルデの監視を任されていたメルヒャルト准尉が、バルシュミーデ大尉の襟首を掴んでいた。

「――大尉、何故ですか! 我々に納得出来る言葉でご説明頂きたい!」

「メルヒャルト准尉。当局は、この作戦を認めないとの見解を示した」

「大尉が怖じ気づいて、そうなる様に取り計らった可能性とて無いとは云えません! 取り消して下さい、今すぐ!」

「異議が有るならば上官に背き、Gの群れに飛び込んで来てもいい。犬死にする奴が増えるだけだ」

 手を払い除けられたメルヒャルトは、手近な機材を蹴飛ばし「畜生、糞ッ垂れ!」と云って当たり散らしていた。彼は顔を真っ赤にして、目尻には涙すら浮かんでいる。

「糞垂れの上層部め! 下手につついて刺激するから戦況が余計に悪化するとも知らずに!」

「想定の数十倍ものGに遭遇したのだ。観測班が腰を抜かして逃げ出すのも無理からぬ話だろうな」

「MAID達はどうなるんです?!」

「確認はしていないが、どうせ壊滅だ。あの群れから探そうなどと、命知らずな命令は下せん」

 他の兵士達も口々に、この決定に異を唱える。当然だ。こんな事、人として許される筈が無い。ブリュンヒルデは車を降りると直ぐさま、過熱した人混みを押し退けてバルシュミーデの眼前へと飛び出した。

「――大尉。私からも」

 兵士達は沈黙した。MAIDは親衛隊によって作られた兵器であり、国家の所有物である。それが物申すとあらば、彼らのぎょっとした表情も仕方の無い事であろう。出過ぎた真似であるのはブリュンヒルデも承知の上だった。バルシュミーデは鷹の様に鋭い両目をぴくりともさせずに、ブリュンヒルデを凝視した。何も云わないという事は、発言を許していると見ても良いのだろうか。が、逡巡する暇など無い。ブリュンヒルデは捲し立てた。

「私達は万一に備えて後方待機の命を受けています。それを放棄すると仰るのですか!」

「双眼鏡を貸してやる。見て来るといい」

 バルシュミーデから双眼鏡を受け取り、土嚢の積まれた高台へと昇る。眼前に広がる光景に、ブリュンヒルデは愕然とした。

「――ッ! これは……!」

 雪で白くなった山肌は、皮肉にもその惨状を明瞭に示していた。白い山肌に点々と連なる、黒く巨大な害虫達。方々で上がっている煙。銃声はまばらで、爆発音すら無い戦場。それらが何を意味しているかは直ぐに理解出来た。その場にへたり込んだブリュンヒルデの左肩に、バルシュミーデの右手が重くのし掛かる。

「お前だけは犬死にさせてはならないと、陛下より仰せつかった。本部営舎へと帰還させる」

「……」

「私も己の裁量で何もかもを決められるのなら、是非ともそうしたいと思っている。乗れ……さもなくば、戦死者の仲間入りだ」

「了解、しました……」

 何名かの兵士に抱えられ、ブリュンヒルデはやっとの思いで車に乗った。茫然自失となったブリュンヒルデは、惨劇に相応しくない青空を見上げる。太陽は輝き続け、その影響で辺りは光を乱反射させていた。頬を伝う涙の感触も、何処か遠くの出来事に感じられた。
 車載通信機のピープ音で、ブリュンヒルデは我に返る。

《こちら第5砲撃小隊、曹長のベルトラム! シュナイダー少佐を保護! 重傷の為、軍医を合流させてくれ! 11号車だ!》

《曹長、場所を云ってくれ! 司令官を死なせる訳には行かん》

《あんたの真後ろだよ、中尉!》

《分散して撤退しろ!》

《あっちの道はGに塞がれちまってますよ!》

《やむを得ん、16号車は停車し、殿(しんがり)を務める》

《……感謝しますよ、中尉殿》

 それから何時間が経過したのであろうか。数分しか経たなかったのかもしれない。とにかく、暫くしてブリュンヒルデの乗っていた車は停車した。残った武器、弾薬が後方部隊から前線の部隊へと分け与えられる。ブリュンヒルデは幾つかの車の内一台に乗っていた“彼”を見て、名状し難い感情に打ち震えた。

「――少佐! シュナイダー少佐ッ!」

 ブリュンヒルデは迷わず、その車へと向かった。ヴォルフ・フォン・シュナイダーは右の二の腕から先を失い、車中にて弱々しく息をしていた。肘だった部位は包帯が巻かれている。軍医と合流出来たのだろう。しかしながら、包帯はそこだけではなかった。よく見ると右目も包帯に覆われ、赤黒い染みを作っていた。
 その車のドアを開こうとした所で、横合いからやってきた兵士達に羽交い締めにされた。

「ブリュンヒルデ、待て! 瘴気を除去する迄は、まだ触るな!」

「……」

「戻れ。此処も、あまり長居は出来ない」

 その後の記憶はひどく曖昧だったが、感情だけは忘れられなかった。



 追憶を振り解く。或る時までブリュンヒルデは、記憶とは経験を論理的に紐解いて確固たるものにする為の機能とばかり思っていた。だが違う。感情を知った今、記憶という存在はその意味合いを大きく変えていた。理屈とは程遠い、流動的なものへと。
 過去の悪夢に襟首を掴まれてはならない。眼前の今を、掴み取るべきではないか。

 ――オーロックスが生きていた……。
 雪が飛沫となって視界を遮っているが、その輪郭は見紛う筈も無く。頭の両側から生えた一対の角。振り回す斧。間違いなく彼である。付近のGは、あの一匹で最後だろう。ブリュンヒルデはひたすら、まっしぐらに駆け付けた。

「オーロックス!」

 これ程までに待ち侘びた再会は無い。十日間余りの救助活動で、漸く見付けた生存者。それが見知った仲間、オーロックスであるなら……!

「貴公……そうか、貴公も」

 ……しかし、そこに居たのはオーロックスではなかった。青銅色の鎧に身を包み、顔まで覆う兜を被った彼は。
 確か陸軍に貸与されているMALE、テオドリクスだ。面識はそれなりにあったが、会話は一度も交わしていない。戦場でも演習場でも、彼は黙々と斧を振り続けていた様に思えた。寡黙なる偉丈夫。それがブリュンヒルデの抱いた、テオドリクスに対する印象だ。奇妙なのは、記憶にあったテオドリクスは兜に角など付けていなかった事だが。
 それはさておいた。テオドリクスにとって、ブリュンヒルデはさぞや滑稽に映ったに違いない。ブリュンヒルデは赤面した己を誤魔化す様にして、咳払いをした。

「テオドリクス、でしたね? どうして此方に?」

「貴公が名を呼んでいたオーロックスは、俺の友だった。せめて骨だけでも拾えぬものかと、この地まで」

「では、兜に付けたその角は、やはり……」

「オーロックスを偲んで付けた。何度か作り直したが、多少は見せられる出来になったと思っている」

「然様でしたか……」

 ブリュンヒルデは俯いた。あのMAID達が生きているなどと、誰も思うまい。テオドリクスの兜に付いた角が、それを雄弁に語っていた。ブリュンヒルデとて、頭では理解出来た。303に限らず、命を散らした兵士は何度も見掛けた。MAID達が死ななかったのはヤヌスの天才的な指揮によるものだと、ヴェスペンストは云っていた。そんなヴェスペンストも、何処かへ消えてしまった。
 テオドリクスの言葉の通りだ。せめて、形見になる物を見つけ出す事が出来たなら。Gは捕食対象である自分達を装備ごと喰らい尽くしてしまうが、例外はあった。身に着けているのでなければ、何処かに置き去りにしているのであれば、先刻の小銃の様に形を残しているかもしれないのだ。逆に云えば、最期まで抵抗できるだけの武器の無い者だけが形見を残しているという事になる。

「数日間、探してはいるのですが……見当たらないのです。誰も」

 やっと見付けたのは一丁の小銃だけ。
 それでもブリュンヒルデの心は、諦める事を許さなかった。認めたくなどない。まだ何処かに逃げ延びているかもしれない。奇跡が彼らに味方して、Gから守ってくれているかもしれない。

「ラジオは、聴いてくれましたか?」

「ああ。あれなら気付いてくれるやもしれん」

「そうである事を願いたいものです」

 寧ろ、そうでなくてはいけない。斃れていった仲間達の中にはもしかしたら、ブリュンヒルデを裏切り者だと誹る者も居るかもしれない。ヤヌスが皆を取り纏めていたので表沙汰にはなっておらず、それで彼女らの敵意がブリュンヒルデの耳に届いていないだけかもしれないし、303作戦開始直前での急な配置変更に疑問を覚え、最終的には「ブリュンヒルデの裏切り者」と呪詛を残して力尽きた者も居るだろう。
 それらの仮説に基づいて見れば、ブリュンヒルデの救出活動は実に打算的ではあった。だが感情を知れば知る程に、ブリュンヒルデはありとあらゆる言葉、行動、それらの裏に潜む意味というものが恐ろしくて仕方が無かった。
 思考がどつぼに嵌まる前に、ブリュンヒルデは首を振った。迷宮に足を踏み入れるのは、今でなくてもいい筈だ。

「罪悪感、なのでしょうね……私の場合は」

 それでも口を突いて、そんな言葉を呟いてしまった。
 ――馬鹿。そんな事を云っても、誰かが戻る事などありはしないのに。

「貴公が気に病む事でもあるまい。俺達は敵を倒し続ける。それだけの事よ」

 慰めるつもりで云ってくれたのであろうテオドリクスの声音もまた、やはり何処か物憂げだった。
 此処からの帰り道は長い。日暮れまでの時間を計算すると、今日は此処までが限界だろう。夜になればGだけでなく、遭難の危険もある。視界が悪くなった為に足を滑らせて転落、打ち所が悪ければそのままGの餌食という最期を迎えてしまう者も多かった。テオドリクスはまだ戦うつもりで居たらしいが、ブリュンヒルデが踵を返したのを見て察したのか、何も云わずに付いてきてくれた。

 帰り道でもGと遭遇した為、何度か戦闘になった。テオドリクスの動きを注意深く観察してみると、その戦い方にはオーロックスとの微妙な差異が見られた。オーロックスがその場に留まってから斧を振り下ろすといった方式を主とするのに対し、テオドリクスは突進しながら振り下ろしたり、体重を生かした体当たりをしたりと、動き回る事を前提としている。後は振り下ろし方が、オーロックスは一直線に真上からで、テオドリクスはやや斜めに振り下ろす。最も目立ったのがそれらの違いで、他は微々たるものであった。
 ブリュンヒルデが明日はアーカムブルクまで進んでみたいと提案すると、テオドリクスは静かに首を振った。どうしても陸軍所属である為に自由には動けず、明日以降はまた平原地帯にて歩兵戦力の支援を行なわねばならないという。なので、今日が最後だったらしい。テオドリクスは「オーロックスの形見を拾ったら、俺に報せてくれ」とだけ云うと、陸軍の部隊に合流した。
 ブリュンヒルデは夕暮れの道を歩いて帰る。活動内容はラジオを通して他の兵士達も知っている様で、時折通り掛かった任務帰りの車から挨拶が聞こえてきた。初めの内は反対されていた捜索活動だが、やはり彼らにも思うところがあったのだろう。今日に至るまで、誰にも阻まれなかった。



 1938/3/28
 あれから数週間、必死の捜索も虚しく、生存者は誰一人として見当たらなかった。
 EARTHから知らされた「生き残りが居る」という話は、私の聞き間違いだったのか?
 このままでは、私への怨みが晴れてくれない。
 弁解は無理だろう。死人は聞く耳を持ってくれる筈も無い。
 消沈した心持ちで、私は活動を断念した。

 帰り際、車から大衆テレビ放送を垣間見ると、私の戦いぶりを讃える報道がされていた。
 いつの間にか私には“軍神”という二つ名が付いていた。
 帝国の守り手である最強のMAID、軍神ブリュンヒルデ。
 その看板を掲げている限り、私は咎人にはならない。

 居なくなったみんなの分も、私が戦わないと。
 この帝国に仇を為す悪い人が、もう二度と現れない為にも。


最終更新:2013年09月07日 16:11
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