ヴィーナスの貝がらは病気持ちだった

(投稿者:suzuki)



ここはフロレンツ。人とモノが行き交う商人の街。
ひとたび船を降りれば、競と値切りの喧騒が飛び交い、
エターナルコアに成長性を横取りされた自動車が跳びかい、
路地と水路を照らす街灯は彼らに夜を忘れさせるよう。
フロレンツ、そこは喧しくて明るい街。



巷では「G」がどうとか、軍がどうとか、また違った意味で喧しいようだけれど、この町はそんなの関係ない。
いつだってそうだった、彼女がまだ小さかった頃からずっと。何が変わったかなんていえば、表でちょっと武器の売買が増えたぐらいで、裏でちょっと少女が売買されるようになったくらいだ。
売られたモノがどこに行くのかなんて知ったことではないが、それはともかくとして彼女はそんなこの街が好きだった。

この街に生まれて、本当によかったと思っていた。
いつもよりもずっと簡素で清潔なベッドから周りを見渡せば、目新しい白地の壁と真っ白なシーツ。
所々赤いのは……ああ、私のか。
壁に張り付いた厚手の窓の奥では、あの人の娘が買ってもらったばかりの猫を抱えてべそをかいているのが見える。
今の私では、その子にただ精一杯元気な風を装って見せることしか出来ない。
私は幸せだった。……きっと、あの子はこれからも幸せな人生を送るのだろう。
別に羨ましいわけではない、自分の一生がこんなにもあっけないものなのかと思うと、それだけで悔しかった。

「ねえ、おじさま。私、後どれくらいなのかしら?」

「……そういうのは、私よりも医者に聞いたほうが早い」


残念な事に、奇跡だったのだ。
あの時旅行に言っていたのは彼女と彼女の家族を含めて総勢8名。
その場に居合わせた中で、結核にかかっていたのは彼女ひとりだけだった。

「出来のいいお医者様は患者にはそういう事を教えたがりませんわ。……私、これでも気が短いんです。もしかしたら明日まで待てないくらいですわ。」

彼女は強い、強かった。
言いたいことははっきり言うし、いったことをやって見せるだけの器量も胆力もあった。
そしてこの期に及んでこれだけの事も言うのだから、本当に、この時代に商家の娘として置いておくには惜しいくらいのものだと、一人ユリアンは感心していた。

「参ったな……どちらにせよ、私には先のことなんて分からんよ。ただまあ……恐らく、助かりはしないだろう」


今のところ、この場にいるのは彼女とユリアン、それとその娘のユリアンヌの3人だけだった。
彼女の両親はここのところ気の休まる暇というものがなかったようで、今は逆に彼らが医師の勧めを受けて床に臥しているところだった。
二人とも決して体が弱いわけではなかったが、しかしそれだけ彼女のことを気にかけていたということなのだろう。
これも愛されていたが故というか、期待されていたが故ということか。
実際、彼女は周りにそう思わせるだけのものを持っていたのは確かだった。
それでいて出世に貪欲で、野心もあった。このご時勢、女子供ではさしたる仕事も任されないと若いうちから悟っていたのだろう、たしか13の時から皇族に嫁いで玉の輿に乗るのだとかなんとか言っていたのを、ユリアンは覚えている。
たしか、私が未婚だったら考えないでもないな、みたいなことを言ったら向こうから断られてしまったかな。全く失礼な話だ。

不謹慎にもユリアンがそんな風にして走馬灯を巡らしている間、彼女は病室の天井を見つめたまま、何事かを考えていた。
痛みと苦しみで巧く働いてくれなくなった脳に鞭打たせながら、今後自分が如何にすべきかを考えていた。
正直なところ、彼女の容態に関しては医師もすっかりさじを投げてしまっているのが現状だった。
両親はともかく、彼女自身がそれを察していないという事はなかった。
別に確認が取れて、確信できればそれでよかった。本来自分の編んでいた策なんて殆ど博打みたいなものなのだから、とりあえずは背後を固めて安心するくらいの余裕は欲しい。
そして、既に分かりきっている事に諦めを感じるほど彼女も淑やかではなかった。

彼女の出した提案は生きるためのものでもなければ、死ぬためのものでもなかった。



ユリアンヌが疲れて眠ってしまうのを待ってから、彼女はその話を切り出すことにした。
正直なところ、自分も眠くて仕方ないのだが、今眠ってしまうと後が怖い。

「……おじさま、最後に一つだけ……いえ、二つか三つほどお願いがあるのですけど」

彼女が願い事をすることなんて……いやあったかもしれないが、ともかくこれほど真剣そうな顔で願い事をしたことなど記憶になかったので、ユリアンは身構えざるを得なかった。

「……大丈夫ですわ。最後と言っても、私も簡単に死ぬ気はありませんもの。ただ、少しだけ早く……私を死んだ事にはして頂けないでしょうか」



全く呆れたものだった。いや、呆れるを通り越して末恐ろしいものだとも思った。
彼女はどうやら周りの思っているそれより、さらに優秀だったらしい。今になって分かるというのも皮肉なものだが。
簡潔に言い表すならこうだ。



自分を死んだ事にして、エターナルコアを与えMAIDとして転生させて欲しい、と。



まさか商家の娘ごときに国家機密を握られていたとは思わなんだ。
MAID開発研究の一環として、ザハーラ辺りから少女を秘密裏に「輸入」していたのを独自に調査していたらしい。
そしてエントリヒ帝国と言えば、社会学上では、所謂法治国家に分類される国家である。
法による統制が成されていると言えば聞こえはいいが、現状では法によって人権への干渉すらすら可能になってしまっているのが正直なところである。
事実、秘密警察のようなものが存在するのだから、一部の学者からそのようなレッテルを貼られて非難を受けるのもまた致し方ないといったところか。
ともあれ、法に優しく人に厳しいこの国だ。法律上「いなくなった」事にしてしまえば後のことなどどうとでもなる。

統治する側の人間が言うのも何だが、なんとも非道い話だ。ユリアンはそう思った。



「……全く、大した娘だな。」

「本当は皇室の方々とお付き合いするための交渉材料にでもしようかとでも考えてたんですけどね。……ふふ、なんとも皮肉なものです。もしかしたら、秘密警察に毒でも盛られていたのかもしれませんわ」

「しかし……本当にいいのかい?」

エターナルコアを埋め込まれてMAIDとして生まれ変わった場合、転生以前の記憶は殆どなくなると聞く。

「構いませんわ、どうせ死んでしまえば記憶なんてあってもなくても同じですもの。……死にきれずに化けて出るよりマシでしょう? それにねおじさま、私一つ夢がありましたの」

「はは……全くだな、それでなんだい?」

「一度でいいからね、あのジークフリートと一緒にお仕事をしてみたかったの。色々と黒い噂も絶えないけど、きっと彼女は本物だわ。それに素敵じゃないですか、単純に」



自分の計画が功を成すと分かった途端に少しだけ元気になったのを見ると、相変わらずの彼女の現金さがよく分かる。
ただ、別に悪い気はしなかった。



一応計画が露呈したときのことも考えて、遺書と誓約書を用意する事を取り付けた後、ユリアンも今日のところは退散させていただくにした。



まったく、面倒な仕事を背負い込まされたものだ。
猫と一緒に寝息を立てている娘を執事に任せて帰りの車に乗り込んだ後で、彼は一つ大きな溜息をつく。
正直なところ、本人が協力してさえくれれば個人を死んだ事にするなんて事はそう難しくはない。
どうせ遺体も見つかりはしないのだから、後は彼女の遺書の出来次第といったところか。




さて、記憶はともかく容姿の方はどうだろうか。生前知人だった者に変に勘づかれたりはしないか?

……背が高くて黒髪の綺麗な子だったな。











新聞紙で机を叩く、若干小気味のいい炸裂音が響く。
今日の一面は何だったかな……そこまで思い出して、ユリアンには音の主が誰なのか、すぐに察しが付いた。



「またッ……ジーク……!」

やはりな、とユリアンは軽く鼻で笑う。
そこにいたのは新聞紙を相手に顔を赤くしたメディシスだった。
新聞記事ごときにそこまで熱くなれるものかと、毎度感心せざるを得ない。
ただ、今回はいつもと違って、メディシスの顔はそんなに怒りを現している風には見えなかった。

「どうしたんだいメディ、またいつもの嫉妬かな?」

「違いますわ、まずは記事を見てからものを言ってくださいな」

そう言って投げられた新聞紙を手にとって、ユリアンは軽く目を通すふりをする。
記事の内容は、新聞が出る前から知っていることだ。
……はて、メディは知らないことだったかな?



「ジークフリート、スパイを断罪! か。ちょっと大げさだけど君が嫉妬するような事でないんじゃないか?」

「だから違うと……! ……ごほん、それはともかく、いくらなんでも扇動的過ぎではありません?
 見る人が見ればすぐに気付きますわ」

「まあ……否定はしないね。ただ、気付く人は別に煽られずとも今の事態を理解できている人だろうしねえ」

「それはそうですが……プロパガンダに利用されるジーク自身の事は……」

東のほうには、干支によって性格がわかる、みたいな話があったが、彼女の場合は……巳年かな。割とらしいじゃないか。
だのに時折こうやって相手のことを心配したりだとか、一応は同属、同族……仲間としての経緯や信頼といったものはあるのか。
それともただ単に好きの裏返しなのかな?
たまにこういうことを言い出すものだから分からないと言うか、面白い。

「はは、メディは優しいな」

「そんなんじゃありませんわ。こうやって持て囃されるだけ持て囃されていくのが哀れなだけです
 ……私だったらもっと上手くやってみせますのに」

「はは、君みたいな優秀な人材は私のほうでとっておきたいからそれは勘弁願いたいなあ」



恐らく、お互いここでの会話は何の意味も成さないと言う事ぐらいわかっているだろう。
メディシスの言葉がどこまで真実かは分からないが、ユリアンにしてみればまあだからどうしたと言ったところだ。
寧ろ、こう言うことに対してこうやって人間味のある答えを返してくれると言うのは、それだけで嬉しいものだ。
別にユリアン自身はMAIDに対する権利や人間性を否定したいタイプの人間ではなかったし、むしろ彼自身MAIDに兵器以外の有用性というものを見出したがっていた。
そういうことを加味した場合、実はユリアンはこういった記事に対してそこまで好感を抱くわけではなかったのだが……恐らく現状ではこうするしかないのだろう。脅威とか功とか、そういうのを前にした人間というものはいつだって卑怯で悪辣だ。
とりあえず、こう言う事は目前の脅威が去った後で考えるのが得だ。彼は少なくともそう思っていた。



「ところでメディ、明日の事だけど……」

「明日の予定ですか?
 明日は昼から市の自治会の方々との食事の後そのまま会議を、その後自由時間を挟んで……
 ……こう言うことって、普通は秘書に頼むことではありませんか?」

「別に私は何も言ってないんだけどなあ……そうじゃなくて、君の休暇の事だよ」

「ぐっ……まあ、お休みを頂く分には問題ないのですけど……特に何か特別なことでもありましたかしら?
 ユリアン様も普通ならこんな時間に自由時間なんて挟まないではないですか」

MAIDって言うのはワーカホリックの気でもあるのかな、とユリアンは苦笑を堪えた。
まあ、こう言うところで思慮深いのは彼女らしいと言えばらしいか。
ただこれは、今は彼女に語るべきことではなかった。

「君の誕生日と私の知人の命日がちょうど重なっているものでね、別にそれは不思議じゃあないだろう?」

「そうですが……MAIDの誕生日に休みをやるなんて聞いた事がありませんわ、
 そもそも誕生日という概念がどうも……」

「私は人権を尊重したい人間なんだ、どうしてもって言うなら一日ユリアンヌの相手でもしていておくれよ
 最近はシーザーの相手なんてとてもじゃないけど出来ないからね」



言うだけ言ってユリアンは部屋を出た。
実際シーザーの相手をしてくれるのは有り難い。
始めは猫だと思って買ってやったのが実は虎だった、なんてにわかには信じがたいが、かと言って懐いてしまったものを引きはがすのもどうだろう。
それよりも彼は明日の自分の予定のことを考えようと思った。



この日になると、あのときのことを思い出す。
柄にもなく真剣になってしまった気がするな、高々商家の娘一人のことだったと言うのに。

病を患った身を素体にする事は、結果的には問題なかったらしい。
綺麗な黒髪はそのままだ。
性格は……まあ、おかしなところは変わりあるまい。



「ジークフリートに関しては……まあ、同じかな?」



少し思い出し笑いをした後で、ユリアンは送迎の車に乗り込んだ。



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最終更新:2009年01月21日 23:08
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