「了解しました。それでは、そのように―――」
終始よどみなく会話を続けていた赤毛の少女は、手にした受話器を置き、そっと嘆息した。
少し前までは、姿の見えない受話器の先の人間。これから自分が話す相手は、もしかしたら―――という淡い期待を知らずのうちに、ほんの僅かに抱いていた少女であったが、結果は×。
待ち人は来たらず―――今の彼女の心情を言葉で表すとするならば、そんなところだった。
~ルインベルグの乙女たち~
第1話:「ラハール城塞」
ルインベルグ大公国領東端に広がる丘陵地帯。
エントリヒ帝国と
クロッセル連合王国の国境線を成してる、ブロイク川を見下ろすように築かれた《ラハール城塞》。
今や史跡の様相を呈してきているものの、その石造りの城壁に囲まれた中庭は、現役で軍務に用いられていた頃は兵の鍛錬場として使用されていた。
当時は最大で100人程の兵の訓練が行われていたというが、今となっては鍛錬場としての機能は失われ、青々とした芝生が生い茂り、脇には小さな噴水も設けられたこともあって、ここを訪れる客人にとっての憩いの場へとその姿を変えている。
明るい陽射しがさんさんと差し込む中庭に、明るく溌剌とした少女達の声がこだまする。
「
リリーちゃーん! 準備いーいー?」
「いーよー! いつでもオッケー!」
ツインテールの少女の呼びかけに、リリーと呼ばれたショートヘアの少女が手を振って応えた。
リリーは右肩に大きな金色のランスを担いでいる。
一見すると騎兵用のランスに見えないこともないが、問題なのはその太さであった。彼女の胴回りを軽く越えている。
尋常じゃないのは重量もそうであり、一般的な騎兵用のランスの重量が3kg~5kg程度なのに対して、彼女の担いだランスの重さはゆうにその20倍を越えていた。
この槍の名は《グングニール》。
ルインベルグ大公国に属するメード隊、通称《
グラストンMAID's》に与えられた専用装備であった。
およそ普通の人間には扱いきれない規格外のサイズと超重量は、人ならざる膂力を持つMAIDを前提としたものなのだ。
「よーし、それじゃ点火するからねー!」
そう言うとツインテールの少女―――名を
サフランという―――は黒光りする大筒の元に、リボンとゴムで結わえられた髪を揺らしながら、ててて、と駆け寄り、懐から取り出したマッチを擦り始めた。
サフランが点火しようとしているもの、それは大昔にこの城塞で使われていた大砲の導火線だった。
待機時間の暇つぶしにと、2人で城内を探検しているときに、倉庫の奥で埃を被っていた大砲を発見して、それを中庭まで引っ張っり出してきたのである。
底部に自走用の滑車が据え付けられてはいたが、もはや骨董品と言っても差し支えのない車輪が滑らかに回転するはずもなく、ずるずると引き摺ってきたため、中庭の青い芝生には2条の抉り痕が刻まれてしまっている。
「ばっちこーい!」
リリーが巨大なグングニールを両手に握り、中庭の端にいるサフランとその傍らにある大砲を正面に見据える。
足元を蹴ってならし、軽く腰を落とすと、グングニールを握る手に力を込める。視線は真っ直ぐ大砲へ。
身なりこそワインレッドの侍女服を纏ったメードであったが、リリーの取ったその姿勢は、野球のユニフォームに身を包んだ、バッターの打撃体勢そのものだった。
サフランによって火を灯された導火線が、ジジジジジ……という音をたてて、どんどん短くなっていく。
「……バカ」
中庭の端にある木陰で本を読んでいた
タンジーが、小鳥が囀るような小さな声で呟いた。
そう、リリーとサフランはこの古臭い大砲をピッチャーに見立てて、即席のバッティングゲームをおっぱじめようとしているのであった。
リリーの単なる思い付きにサフランが同調し、ここまで準備万端整ったのだが、それはタンジーが言うまでもなく、ひどくバカげた行為だった。
「発射ーーー!」
轟音と白煙を撒き散らして、真っ黒いボーリング玉のような砲弾が大砲から飛び出した。
年代モノだったにも関わらず、大昔の国境戦争で活躍した大砲の照準精度は抜群だ。
狙いを付けた砲弾はまっすぐ、打席で待ち構えるリリーの元へとすっ飛んでいく。
「見えた!」
リリーの双眸が飛来した砲弾を捉える。
グラストンMAID'sの最年少でありながら、こと運動面に関しては、リーダーである
ガーベラにも匹敵、若しくは凌駕すると云われる身体能力を誇るリリーにとって、一直線に飛んでくる砲弾の弾道を見極めることなど造作もないことだった。
そして、バット代わりに振るわれたグングニールが、砲弾の中心を芯で的確に捉えた―――かに見えたが、
「―――おりょ?」
拍手喝采、ブロイク川に池ポチャの、場外大ホームランを確信していたリリーの双眸が見開かれる。
発射された砲弾が、強烈な縦回転を伴っていたことをリリーは考慮に入れていなかった。
加えて、グングニールの滑らかな装甲表面で打ち付けてしまったものだから、砲弾はその上を這うようにして昇っていき、そのまま彼女を通過。
砲弾という名のファールボールは、遙か後方に向かってすっ飛んでいってしまった。
通話を終えて部屋をあとにしたガーベラが、仲間達のもとへと戻るべく廊下をゆく。
彼女たちは確か中庭で待機していたはずだ。久しぶりに祖国の地を踏んだというのに、こんな狭い城の中に押し留めておくのは正直忍びなかったが、今の情勢ではそれも仕方がない。
人類種の天敵である「G」との戦闘は、日々激しさを増すばかりだというのに、唯一の対抗手段であるメードの数は限られているのだ。
爆発的な勢いで増殖し続ける「G」に、人類側の駆除スピードは決して追いついていない。
そうなれば、メードに掛かってくる負担は自然と増えてくるし、満足のいく休暇を与えてやることも難しくなってくる。
しかし自分はそれでいいとしても、彼女達にはやはりちゃんとした休みを取らせてあげたい。
「今度、上層部に掛け合ってみようかしら……」
ぼんやりと、そんな考えを頭の中でめぐらせていたガーベラは、轟音と、それに続く奇妙な音を耳にした。
ヒュルルルルルルル―――
やや遅れて、それが戦場で聞き慣れたモノと、ほぼ同種の音と判断するものの時すでに遅し。
激しい揺れ、そして轟音と共に、目の前の廊下の石壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
「な、な……!?」
衝撃で尻餅をついたガーベラは、そのままほふく前進のような姿勢で、大穴の開いた壁から身を乗り出して外を覗き込む。
そして、その鋭い金色の双眸が、中庭でもうもうと煙を上げている大砲と、あたふたとしている約2名の姿を認めたとき、ガーベラの顔はぴくりと引き攣り、こめかみに青筋が浮かび上がった。
「ほんとにもう、貴女たちはなにをやっているの!!」
そのまま中庭に飛び降りたガーベラは、すかさず、今まさに逃げ出そうとしていたリリーとサフランをふん捕まえていた。
並べて正座させられた2人は、揃ってばつの悪そうな表情を浮かべて、うなだれていた。眼前には仁王立ちするガーベラの姿が。
その様子は、さながら奉行所に引っ立てられて、お白州の上で遠山奉行の御裁きを受ける罪人のようであった。
「いや、ほら……ずーっと待ってて暇だったから、つい、さぁ?」
「つい?」
極めて軽率なリリーの弁解に、ガーベラの眉が鋭く吊り上がる。
普段はG相手に向けられている、猛禽のごとき鋭い双眸に、リリーが射抜かれる。
「ひっ」
それだけで、大型の肉食獣に睨まれた非力な草食動物のごとく、リリーは身を縮こませてしまった。
今にもきゅーんとかいう鳴き声が聞こえてきそうだ。
「まぁまぁ、ガーベラちゃん。 リリーちゃんも反省しているから、ね。 許してあげて?」
すっかり小さくなって、震え上がってしまったリリーを抱きかかえながら、サフランがなだめすかしに入った。
いかにもお姉ちゃん的な立ち回りをしているように見えるが、姉妹と言うには、リリーとサフランの体格は逆転しているので、チグハグな感じは拭えない。
それでもって、
「一緒になってバカやってたのはどこの誰ですか!!」
「あぅ、あぅ、あぅ……」
一喝されてしまった。ごもっともな正論である。こうなればもはや立場の逆転はありえない。
もともと小柄なサフランは、リリーよりもさらに小さく縮こまってしまった。
「そもそも、貴女たちには自覚が足りないのではなくて? 私たちは大公陛下の盾であり矛となるべき存在。 祖国に降りかかる火の粉を振り払うために、日々―――」
「なぁ、ガーベラ」
“いつもの”ガーベラお得意の高尚な演説が始まりそうになったとき、それを遮った声が一つ。
「なんですか
ネメシア? 私は今この2人にですね―――」
「アタシら用事があってここに来たんじゃないのか?」
またしてもガーベラの言葉を遮るように、ネメシアは率直に意見した。
決してわざとやってるわけではないのだが、これも思ったことをズバズバと口に出してしまう彼女の成せる技なのだろう。
ネメシアとガーベラは互いに同期ということもあって、自然と他のメンバーよりも一歩踏み込んだ、遠慮呵責なしに意見できる間柄であった。
「ハッ……! 私としたことが、つい忘れてしまっていました」
ガーベラは普段冷静なようでいて、いったん大公陛下やお国が絡んでくると、熱くなって周りが見えなくなりやすい傾向にある。そこを微妙に軌道修正してやるのが、マイペースにモノを言うネメシアの毎度の役回りであった。
「はい、みなさん整列!」
パンパンと、手を叩きガーベラが仲間達に整列を促す。
すると正座していたリリーとサフランがパッと直立し、ネメシアを端に据えて横一列に並び立つ。
いつの間にかタンジーもその列の末席に加わっている。
「今回、私たちが呼び戻されたのは他でもありません」
「うぅぅ……」
「うんうん」
「……」
「休みでもくれるのか?」
いいえ、と即座に否定してからガーベラは一言。
「お仕事です」
一同は、はぁ~、という深い溜め息を漏し、がっくりと肩を落とした。
【おまけ】
ガーベラ:ところでネメシア、貴女なんでグングニールなんて持っているのかしら?
ネメシア:い、いや、ここ鍛錬場だったていうからさ、ちょっとそれっぽく訓練でもしてみるかなって思って、さ。
ガーベラ:ふ~ん、そうですか……。
ネメシア:(2番打者やるつもりだった、なんて言えないよなぁ。)
関連項目
最終更新:2009年02月02日 15:39