Chapter 8 : HUNCH 《闘》

(投稿者:怨是)



 朝の空気と、霧と雲の間から流れてくる淡い陽光が、二人の人影を照らす。

 未だ、ジークフリートヴォルフ・フォン・シュナイダーの緊張は解けないままでいた。



「やはッ、ジークフリートじゃないか。新顔が三名様ほど来てるよ」

 陽気な呼び声に足を止め、両手に荷物を抱えながら注意を向ける。
 窓から外を覗き見れば、三名のMAIDが兵士の前に並んでいた。 

「訓練を早めに切り上げて、早々に実戦配備なんだとさ。
 ぬいぐるみ抱えた子がベルゼリア。で、あのゴツい手足の子がアイゼナ。そんで……」

 士官が早口に説明していく。
 ジークの表情のかげりを案じて声をかけたものの、少しであっても呼び止めた事に負い目を感じているのか。
 以前までは約一年の訓練期間を設けていたのだが、新種Gの出現により、戦況は緩やかとはいえ悪化の一途を辿っていた。
 そこで司令部は急遽、訓練期間の短縮を要求。
 MAID達は、より短時間で実戦に臨む事となる。
 ふと、10メートルほど先の軍靴の音が止んだ。

「じゃ、呼び止めてごめんよ! いってらっしゃい!」

 士官もそれに気づき、慌てて見送る。あくまで笑顔はジークフリートに向けたまま。

「――ぁ、はい」

 1943年10月18日。
 人員不足も重大な課題となっており、現時点でエントリヒの保有するMAIDは12体。
 つい半年前までは17体。その半年間で既に8体ものMAIDがGの猛攻を前にして戦死しており、それで補填されたのが3名では、訓練期間の短縮も已む無いという上層部の判断は自明の事だった。


「遅れて申し訳ございません、シュナイダー少佐」

 階下で説明を受けているであろう三名の同胞を背にし、ジークはシュナイダーの背中へと足早に駆け寄る。

「……シュナイダー少佐?」

 呼びかけるが、ここ最近はずっとそうだ。
 こちらからいくら呼びかけても、キッと視線を返すだけで言葉は無い。
 分厚い壁に隔てられている感覚に襲われる。
 あの日から、ずっとこの調子だった。
 殴られたあの日からずっとだ。

 今や、数え切れないほどのGを、その剣の一振りで叩き伏せてきた。
 公式スコアにして2000以上。表彰もされた。実働時間3年にして世界にその名を轟かせた。
 それでもまだ、認めてくれないのか。

「少佐……私の事が、お嫌いですか……?」

「……」

 硬く噛み締めた唇は、しかし、ブリーフィングルームに辿り着いてさえ開かれることは無かった。
 気を引けども、引けども。












「――ソレとアレに関しては、“なるはや”で済ませておく。私の人選で進めておくが、問題ないか?」

「ああ、助かるよ。引き続き頼む」

 ブリーフィングルームへ向かう準備を済ませ、ホラーツ・フォン・ヴォルケンは目の前の女性に向き直る。

「任せておけ。ただ、ルーチンワークまでこなすと作業効率が落ちるから、そこは情報の整理がてらお前にやってもらおうか」

 ライサ・バルバラ・ベルンハルト少将。
 ヴォルケンが家庭教師を行った事もあり、もはや腐れ縁の仲である。
 本来の名は、グラーシャ・ゲオルギエヴィッチ・ガザエフ。


「……やれやれ。この構図と来たら、全く変わらん。私はいつも尻拭い役だ」

 面倒を嫌う性分は昔からで、家庭教師をしていた時代も、課題を“お隣のルーカス(仮名)”とやらに全て押し付けていた。
 要領が良いのか、狡賢いのか。
 彼女が大人になった今ではそのサボる大義名分も、より筋の通ったものになっていた。
 つまるところ重労働で細かい判断を要する仕事を積極的にやる代わりに、彼女にとって退屈な仕事をヴォルケンに押し付けているのである。
 結果的として作業効率とやらは順調に伸びているだけに、複雑な心境になってしまう。


「早めに問題解決できる手段となりうるなら、私は喜んで押し付けるさ。私も“いじめられっ子”だったからな」

 ヴォルケンの知る範囲での彼女は、5つあるガザエフ分家の一つに属し、幼少期に本家の迫害から一家総出で逃れてこのエントリヒ帝国に亡命してきたらしい。
 今現在の名はニーベルンゲにあるベルンハルト家から買い取ったという。
 形骸化した貴族同士のいざこさ、古い慣習。それに関しては確かにヴォルケンも思うところはあったのだった。
 普段からつい口癖で“貴族たるもの”と云ってしまう彼は、その度にこれらが脳裏に走り、密かに胸を痛める。


「……マイノリティには甘い、か」

 ヴォルケンは窓を眺めながら、遠い眼で嘆息する。
 ベルンハルトも続いて窓の横に立ち、ヴォルケンに目配せする。

「甘くもなるさ。私もマイノリティの端くれだ。ところで、まだ目下の者を“貴様”と呼んでいるのか?」

「ああ。長年続けてきた手前、今更やめるのも何だか気が引けてな」

 これも慣習であり、ある種の意地である。
 理由はあまりない。かつての上官が使っていたからだ。
 その度にやってくる胸の痛みも、わざわざ飲み干してきた。
 それを今更やめるのにも、いささかの抵抗はある。

「“男に二言は無い”っていうやつか。黙って生搾り的用法だな」

「……たまに、お前の云っている事が理解できん時がある。実は重大な事をジョークに織り交ぜているな!」

「まさか」

 わざわざポーズを付けてまで指を突きつけるヴォルケンに、ベルンハルトは微笑で返した。
 本当に、30を超えてしまうと人間というのは年齢的な差を感じないように思えてくる。
 そんな事を思案しながら、ヴォルケンは壁の時計に眼をやった。

「おっと、そろそろ時間だな。もうじき出ねばならん」

 ベルンハルトも続いて腕時計を確認し、また窓側に向き直った。

「もうそんな時間か……私も昼前には予定があるから、会うのはランチタイムになるな」

 扉のほうへ歩きながら、再び腕時計を見やる。
 時刻は8時か。

「何だ、サボるんじゃないのか」

「気が変わった」

 また微笑。
 つい先ほどのジョークとは何かが違う微笑みにヴォルケンは引っかかるような心地を覚えたが、それもまた時間の壁を前にして飲み干す他になかった。

「そうか……じゃあ、気をつけてな」

 もう行かねば。
 親衛隊長官ことベルクマン上級大将によると、今回から20日制を試験的に撤廃するらしい。
 ジークフリート偏重の流れを、これで止める事が出来るのだろうか。

「――む」

 眉を寄せて思案しながら歩いていれば、前方にいらっしゃる二人組みはジークフリートとシュナイダーではないか。
 近頃のあの二人は、特に険悪な雰囲気のように見える。
 シュナイダーがジークを殴った事が広まったせいか、周囲の兵士の彼に向ける視線は心なしか冷ややかなものへと変わって行ったのだ。
 そうか。ジークフリートに危害を加えようものなら、たとえその上官であっても許されざる冒涜行為扱いと来たか。
 確かにシュナイダーも面白くなかろう。

 ここまで来ればもはや滑稽とさえ思えてくる。
 このまま行けば“人道的な観点から鑑みて”左遷するという措置も無くはないかもしれない。


 二人に一足遅れる形でブリーフィングルームに到着する。
 ざわめきは、ドアの開閉音と共に静寂へと変質した。

 既に作戦に参加する全員が、この部屋には集結していた。
 もちろんゼクスフォルトとシュヴェルテの顔ぶれも。

「……お熱が引くのは作戦終了後かな」

 件のゼクスフォルトといえば、しきりにシュナイダーのほうを見ているようだった。
 その表情は硬直し、目つきは鋭さを増している。
 作戦中の内輪揉めの発生だけは、ヴォルケンは何としても防ぎたかった。
 なので彼のほうを睨む。

「作戦の説明を、始めてもよろしいかね?」

 ゼクスフォルトの余所見が止む。

「――よし、全員、注目!」

 視線が一気に、前方の黒板に立つヴォルケンのほうへと集まった。
 場の空気が急激に引き締まる。

「今回から20日制をやめるらしい。
 この制度を導入してからの参加者はまだ見ぬ“従来の制度”を前にしたお出かけになるし、
 そうでない参加者は、懐かしい制度を既に見納めしちゃった、という事になる」

 黒板に文字と図形を書き込んで行く。
 進路と作戦時間、当日の天気予報、予想される敵戦力の規模、詳細な数の予想。

「流石に10月も“いい具合”になってきた頃合だ。霧も雨も酷い。日によって雪も降るという予測も出ているから、各自体調管理は怠らないこと。
 下手を打って風邪でも引こうものなら、尻を叩いてでも体温を保持してもらう羽目になるので、注意したまえ。
 Gの数はこの黒板に示した通り。冬場になろうというのに随分と“ゴキ”ゲンだな。Gなだけに」

 割り当てられる中隊ごとのメンツ。
 説明を終えた箇所を消し、新たに書き込む。

「我々エントリヒ帝国に足りないものはただ一つ。ユーモアである。皇帝陛下を見習って、こちらも勉学を怠らないように。
 はい注目。今回の割り当てはこういった具合にやってみようと思う。
 3ヶ月前と殆ど同じ構成だが、これが一番戦績がいいという判断が出てな。様々な条件を考慮すると一概には云えないが、そこは臨機応変に対応してくれると助かる」

 それに加え……今回の作戦における未確定情報。

「ああ、それと。偵察部隊やお隣さんのβチームの報告によれば、未確認のGが合流してきたという。
 どういう事かは不明だが、用心に越したことは無いな。ここまでで質問は?」

「よろしいでしょうか」

 士官の一人が立ち上がる。
 あまり親しくない者だが、割と利発そうな男だ。他の将校が担当する部門の人間か。

「ニルフレート大尉か。質問を許可する」

「つい本日訓練期間を終えたばかりのMAIDが居たでしょう。彼女らは参加しないのですか?」

 そういえばそうだった。
 ヴォルケンは、技術部のほうから話を聞かされたのを思い出す。

「あぁ……あの新米ちゃん方か。今回は不参加だそうだ。早く戦いぶりを見たいし、居たほうがマシかもしれんが、これも一つワケありらしくてな」

 黒板に描かれた部分のうち、不必要と思われる部分を消す。
 そこに、新たに三名のMAIDの名前が書き連ねられた。

「この三名はまだ細かい調整が必要らしく、今すぐに出しても足手纏いにしかならんそうだ。
 訓練期間を短くしたのが仇となったかな? 専門分野外なので私も実情は知らんが、とにかくワケありらしい」

 実際“ワケあり”のMAIDなのだが、今回の作戦とはまた別問題となってしまう上に、ヴォルケンの与り知るところではない。
 そういった問題までは手出しすべきではない。
 深く追求すれば、今求めようとしている答えがブレてしまう。

「……ただ、その分、近隣諸国からの支援はあるとも聞いているがな。あまりアテにしてサボるのもよろしくない。そこは上手くやってくれ。ご理解いただけたかな?」

「は、失礼いたしました」

「よろしい。他には! 無いなら締め切るぞ」

 他の質問を求めるも、静寂が進行を促すだけだった。
 ヴォルケンは最後の締めくくりに入るべく、手元に用意された水を一気に飲み干す。


「ン。よろしい。何かあったら司令部に連絡を寄越す事。これも私は白髪が増えるくらいジックリ話し合って作った作戦だからな。
 くれぐれも迷子にならんように。おうちに帰るまでが戦争! 解ったら返事! はい、それでは皆さんご一緒に!」

『ジークハイル! ハイル・エントリヒ!』

「よろしい、全員に合格点勲章を作ってやろう……ダンボールで」

 空気が固まる。
 緊張を和らげるためのクールダウンと云うには、少しお粗末なジョークだった。
 ゲンナリした表情がところどころで眼に留まる。
 耐え切れないので、号令をかけることにした。

「……それはさておき出発!」

 椅子を引く音が一斉に響き渡る。
 慌ただしく軍靴が交差し、一列ないし二列に並ぶ屈強な兵士達は廊下へと流れて行った。
 しんがりを務めるヴォルケンは最後尾の兵がドアをくぐるのを見届けると、静かに溜め息をつく。
 吐き出された二酸化炭素は、急激に白濁して酸素に溶け込んだ。
 意外と寒かったのだ。このブリーフィングルームは。



最終更新:2008年12月18日 02:56
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