Chapter 2 :命短し 恋せよ乙女

(投稿者:Cet)



 命短し 恋せよ乙女 紅き唇 褪せぬ間に 赤き血潮の 冷えぬ間に

 明日の月日の 無ひものを


 ここはルフトバッフェグレートウォール戦線仮設基地。
 独立遊撃空軍という特殊な形態を取るルフトバッフェはここ最近のところ、最前線であるグレートウォール戦線の程近く
 に駐留を続けていた。
 軍隊というものはそもそも、上の命令であちらこちらへと異動せざるを
 得ないという宿命を負っている。となれば当然、それをフォローする役割も欠かせなくなる。
 ここは酒場である。異動の度に作られ、解体される。
 利益を惜しまない地元の酒屋と、ボランティア精神溢れる兵士の両者が揃って、初めて兵士達にとっての
 良心的運営が成立する場所だ。シーアはそんな所にいた。
 がらんとしたカウンター席に座り、ウィスキーのボトルを手に一人でちびちびとやっている。
 屈強な兵士達が互いに飲み交わす中、怪しいサングラスをかけ、小さな身体に気障な白いスーツを纏った彼女の姿は
 非常に浮いていると言って相違ないだろう。
 それにも関わらず、そんな彼女を冷やかす寸足らずは一人もいない。皆が彼女の異名を知っているからだ。
 曰く、小さき赤。
 曰く、赤い悪魔。
 曰く、紅色男爵
 (レッドバロン)。
 曰く、赤の彗星、と。
 彼女がウィスキーグラスに注いだ琥珀色の液体を煽ると、グラスに一つきりの氷塊が崩れ、快い音を響かせた。
 その時だ。来客を知らせる鐘の音が、からんからん、とどこか淑やかに鳴り響いた。
 多くの利用客が酒場の入り口を省みる。
 シーアも同じようにすると、新たな来客である白き乙女、フロイラインの姿を見咎めた。
「あ、怪しいサングラス! シーア発見!」
 向こうもすぐこちらに気付いた。
「ああ乙女さん、こちらだよ。いらっしゃい」
 言いつつ手招きをするシーア。
 するとフロイラインは、まるで好きな男と会うときのように
 足取りも軽く、不自然に空いているカウンター席へと舞い込んだ。
「どーもどーも。で、今宵は何の用でしょ」
「ああ、御伽噺でも一つと思ってね」
「お断りでーす」
 いわゆる隠語である。伽……暇な夜をお喋りして明かす、の意。
「冗談だ、トリアの話は聞いているかな?」
「ああ、なんだか最近貴女にお熱だとか」
 どこか冗談染みた物言い。
「照れるじゃないか」
 対抗意識があるのか、話がどこかへと逸れていく。
「いやまぁ……で、そのトリアちんが何て?」
「ああ、君に彼女の戦闘仕官をお願いしたいのだが」
「うわ、正直それもお断りなんですけど」
 拒否はほとんど反射で行われた。
「どうして?」
 しかしシーアは殊更に気負わずに返答した。
「だって、戦闘とか明らかに向いてないんだもん。あの子。
 それに、今だって十分に助かってるのに、これ以上頑張ってもらうこと
 無いと思うし」
「まあそれは彼女自身にも自覚があるらしい」
 言いつつ、ウィスキーを自分のグラスに注ぐ。
「ああ、これは済まない。マスター、彼女に何でも好きな物を」
 かしこまりました。と粛々と告げるのは、バーテンダーの正装をした兄ちゃんである。
 ただ筋骨隆々の外見に加えスキンヘッドという軍隊丸出しの格好が、ミスマッチ感を禁じえない。
「いぇーい、じゃあバーボン。水で割ってねー」
 かしこまりました、とこれまた兄ちゃん。
「中々どうして慣れている」
「うっふふふ、最近はお酒も教えてくれるのだ」
「誰とは聞くまい」
 えへへー。と笑うフロイライン。
 桜蘭皇国の航空機が、彼女のいる基地に限って高空からやってくる、という事件が多発しているそうだ。
「あれは逢引きとは言うまいよ」
「いいじゃない、度胸があって」
「撃墜されるぞ、度胸も何もあったものか」
 少しむくれた調子のシーアを見て、フロイライン--いい加減名前を出そう、ホルン--は笑う。
「何、妬いてるの?」
「ああ、君の澄んだ瞳で私を見つめてごらん。
 混じりけのない純真がきっと覗えるだろう」
 ごめんねー、と一蹴する。
 シーアは笑った。
「まあとにかく件の話だが」
「うーん、ちょっと考えさせてよ。あの子の真意が知りたいなー」
「何でも皆をもっと守りたいのだそうだ」
「それは嘘」
 即答するホルン。
「根拠は?」
「勘」
「だろうと思った」
 言いつつも今度は笑っていない。
「ねぇシーア」
「何だいホルン」
「貴女は臆病者よ、彼女にそんな献身的に教えるなんて、以前の貴女はそんなことしなかったと
 思うわ」
 ほとんど詰問口調で言う。
「全くだ、君の瞳は実に澄んでいる」
「違うの、貴女がそうなのよ」
 何を見てるの?
 その問いに、シーアはサングラスを僅かに手でずらした。
 露になったサファイアブルーの双眸で、ホルンの目をじっと見つめる。
「未来が見えればいいな、とある悪魔は過去と未来の全てを知っているというよ」
 ホルンは少しためらいがちに返す。
「馬鹿言わないでよ、例え貴女が悪魔って言われてようが元々は人間なのよ?
 ……勘違いしないで」
「ははっ」
 グラスを傾けて笑う彼女に、もはや言葉は通じまい、彼女もバーボンを思いっきり煽った。
 ごく、ごく、ごくん。


「シーアさーん、シーアさん?」
 お互い暇な時間を見て中庭に来るのが定例であったが、今回ばかりは例を見ない。
「こっちこっち、トリアちん、カモン」
 その替わりの例外が彼女だ。ホルンがいた。
「ホルンさん?」
「シーアに言われたの、貴女に教えなさいって」
「シーアさんが?」
「そうよ」
 嘘は吐かないわ、と彼女。
「それじゃあ宜しく」
「宜しく、お願いします」
 流石のトリアも、今回ばかりは事態の流れが読めないようだった。

「という訳で、私が教えるのは緩急でーす」
「緩急ですか?」
「はーい、私の戦いはそれが全て、と言っても過言じゃないかもしれないわね」
 と、言いながらホルンはトリアと目を合わせようとしない。
 それどころか、どことなく刺々しい印象さえ振りまいている。
「遠距離武装の敵に近付くのは、遠くから様子を覗ってから。
 装甲が厚い敵も一緒、一気に飛び掛っても、不意を突かない限り
 相手の牙城は、崩せません。逆に言うと不意を突ければ先手必勝」
「なるほど」
「後は相手の予想の裏を掻くこと、以上」
 もう教えることはないとばかりに言い切ると、今度は空を見上げた。トリアの不安は募る一方だ。
 どこかで、ぴーひょろろろーと鳶が鳴いた。
「……貴女の髪の色、瞳の色と一緒ね」
 ホルンは不意に視線を落とすと言った。
「はい?--ああ、鳶色(reddish brown)ですか」
「うん、だから貴女がもし隊を率いることになったら、茶の部隊って名付けましょう」
 彼女は真顔で言う。どうも冗談っぽくない口調だ。
「……何か地味じゃないですか?」
「だって貴女のトレードカラーよ? まあ自覚があるならよろしい」
 言いつつ白い一対の翼を展開させる。
「実践に移りましょう、飛ぶわよ」
 言った瞬間、彼女はトリアの視界から消える。上空二十メートル。更に加速して
 ぐんぐんとその高度を上げていく。
「……っ」
 負けじとトリアも紅がかった翼を展開させ、飛翔する。
 空が段々と広くなってゆき、あっという間に地上が遥か下に見えるようになった。
 そして眼前では彼女が滞空していた。その表情はどこか精彩を欠いており、考えを伺い知ることはできない。
「……今のが、緩急、ですか?」
「違うわね、今のは瞬発力を最大限に利用しただけ、戦術というものの欠片程度の意味しか持たないわ
 まあ、それでも貴女の補足から逃れるには十分なのだけれど」
 少しばかり見下したような口調に、いよいよトリアは困ってきた。
 一体どうしてシーアの替わりに彼女が教えることになったのか
 そして普段の彼女と違う、どことなく辛辣な態度の理由は一体何なのか。
「今から、緩急を見せるわ」
 彼女はそう言うと、凄まじいスピードでトリアから距離をとった。
 蛇行を繰り返しながら後退し、点になる。
 あっという間に五十メートルを後退したあと、彼女の動きが変化した。
 トリアを中心に旋回する。力強く、かつゆったりとした速度で、上下方向への蛇行を織り交ぜながら。
 次の瞬間急速に下方へと疾る。はっと、トリアの反応が遅れた瞬間、今度は逆へ。
 そのままトリアの視界を斜めに横切るように、元の位置へと戻って来てみせた。
「……んー、上手くできたとは思わないけど、こんなもんかな」
「す、すごいです」
「ありがと」
 応えると、彼女は不機嫌そうに自分の髪先をいじり始めた。
 そうしたまま彼女は一切を喋ろうとしない、トリアにとって居辛いことこの上ない。
「ねぇ」
 そしてホルンは零れるように言った。
 トリアは、はい、と反射的に応える。
「こんなことが、できたとして、嬉しい?」
「え……でもできたらホルンさんみたいに」
「貴女には無理よ、だって、貴女には私みたいに瞬発力がないもの」
 冷淡なまでに事実を突きつけるホルン。
「適材適所よ、……あー、もう! じれったいなあ私はっ」
 そうして唐突に癇癪を起こした。
「アンタ達は! 私達が守る! それが何か不満なの?」
「ち、違います。私はそんな風には」
「だったら何」
 急に嵐が去ったみたいだ。
 トリアはゆっくりと言葉を紡ぎ返す。
「私は、ホルンさん達の代わりになりたいんじゃないんです。
 そもそもなれるなんて、考えてすらいません」
「じゃあ、どうしてよ」
「……私、考えたんです」
 ホルンはむすっ、とした顔で彼女を見つめている。
「このまま、戦争がずっと続いたとします。
 そうしたら、もっと多くのメードが必要とされ、きっとそれらは備品の一部として
 消耗の一途を辿ります」
 分かりますよね、とトリアは笑った。その笑みはどこか人を遠ざける。
「あ、だから。決して私はホルンさん達の代わりになるんじゃ、ないんです。
 ただ、そうならないようにしたいというか、ただ単に今以上に役に立ちたい。
 それだけなんです」
「全然分からないわ」
 言うなり、ひゅおぅ、と風切り音を身に纏って、彼女は上昇し、続けざまに急降下。トリアの目の前から消えた。
 トリアはそこから動くことができず、ただ風の吹くままにその身を任せた。
「……上手くいかないなあ、どうしてなんだろう」
 ポツリと、弱音を吐いた。

 それからというもの、トリアは暇を見て中庭に通った。果たしてどんな時もホルンはそこにいた。
 一日目より雰囲気は更に悪い。行くわよ、とただ一言告げて空高く飛翔、それに何とか縋りつくトリア。
 彼女の課す訓練は、単純かつ過酷であった。
「私を惑わせる飛行をするのよ、できるまで何度も。継続して幾つか成功例が出るまでやるわ」
「は、はい」
「五十メートルの距離から接近ね、前私がやってみせたことをイメージして。
 でも実践ではもっと大きくて、広い荒野があるかもしれない、尋常ではない感知能力を持つGがいるかもしれない。
 それを忘れないで」
「分かりました」
 まずは、後退から。
「全然駄目」
 何度も何度も繰り返す。
「全く駄目ね、じゃあまた今度」
 言いながら彼女は急降下する。
 汗をとめどなく流し、今にも嘔吐しそうなくらい息急いている彼女には目もくれない。

「うん、回避と後退は様になってきたわね」
 訓練を始めて一週間が経って、ホルンは言った。
「あ、ありがとうございますっ」
 五十メートルの距離から、暴れる息を押さえつけて叫ぶ。
「こっちにいらっしゃいなっ!」
 ホルンが、訓練を始めて以来、初めての笑みを見せた。
 トリアはそれをどこか不安に思いながら、ゆっくりと彼女との距離を縮めていく。
 近付いていくにつれ、彼女の表情がつぶさに見て取れるようになる。
 どこか満足げに、頷く。
「うん、あのね、貴女にはもう教えることはないの。正直ね」
「えぇ!?」
 トリアは考える。だって、私はまだホルンさんの動きの百分の一すら再現できていない!
「貴女は近接戦闘に向いてないの、貴女の適材適所は、中距離戦闘。それを維持し続けるのが、貴女への課題だったの。
 まあ、それでも私にはまだ敵わないでしょーけどねー」
 いたずらに笑う、というよりちょっと憎たらしく。
「そんな……」
「ん、でも一週間でこんなに上手に後退できるようになったなんて、凄いじゃない」
「あまり誉められている気がしません……」
「そんなことないよ?」
 彼女はあっけらかんと笑った。
「トリアちんには笑っててほしーなー。皆を助けるとか言ってないでさ」
「うーん……私、一人で笑っているのは辛いです」
 それはそうか、とホルンは一つ納得する。
「だったら、二人で」
「えぇ」
「誰かと逃げちゃいなさいよ、You!
 貴女可愛いんだから、大抵の男はコロって、
 Gなんかよりよっぽど楽勝、楽勝!」
「可愛いだなんてそんな、そ、それにそんな酷いことできませんっ」
「っかぁ~、可愛いなあこいつぅ」
「ひゃあ!」
 ホルンはトリアを抱きすくめる。後ろから。
 それから、歌った。大声で。

 命短し 恋せよ乙女 紅き唇 褪せぬ間に 赤き血潮の 冷えぬ間に
 明日の月日の 無ひものを

 どこか懐かしくある、異国の言葉。トリアは身じろぎ一つせず、ぼんやりと、ホルンを見返した。
「あの人が教えてくれた歌」
 ちょっと、照れた様子で言う。
「どういう意味なんですか?」
「ん?……教えないよ」
「何でですかっ」
 ホルンはトリアを抱えたまま、まるで子供をあやすかのように。緩やかな軌道を描きながら降下していく。
「それは、貴女が自分自身で知ること、さ」
 ちょっと格好いい、少年が年上の女性を口説く勇気、といったら分かるだろうか。
 そんな調子で囁いた。トリアにはそれがよく分からなかった。

「あ、そーだ」
 地上に降下してから、暫くホルンはトリアを抱きしめたままだった。
「チュリちゃんのこと、よろしくね」
「どういうことですか?」
「んー、あの子が一番長生きしそう、貴女以上にね」
 突然の話に、トリアは押し黙らざるを得ないが、それでも何とか聞き返した。
「……その根拠は?」
「勘」
 やっぱりと、トリアは笑った。
「分かりました、決して、隊長を悲しませるようなことはしません。
 できるだけ傍にいようと思います」
「でしょう? あの子きっと寂しがりやだからさー。私いっつも心配で心配で!」
「分かります! 隊長ってどこか危なっかしいところがあるんですよね」
「でしょー!」
 そんな調子で暫く喋り続けた、日が暮れてから二人は別れた。


 そしてトリアが自室に戻ると、ミテアが立ち尽くしてこちらを見ていた。
「ミテアさん……?」
「トリアちゃんっ」
 そしてがばーっと抱き倒す。
「ちょ、ちょっとミテアさん!?」
「うあーん! どこにも行っちゃだめっすよぉー!」
「話の流れが分からないーっ」
 そんなこんなでミテアが泣き止むのに暫くの時間を要した。

 それから更に暫くして、ミテアがようやく普段の調子を取り戻してきたころになって
 ようやくこのような行動に至った理由を説明してくれた。
 トリアがその要領を得ない説明を要約するに、すなわちここ最近どこか思いつめた(トリア本人は全く意識していなかった)
 表情をするようになった彼女の、ルフトバッフェを代表するエースの面々に指導を受ける姿を
 見るにつけ、彼女がどこか遠くへ行ってしまうのではないか、というような印象を抱いたのだそうな。
「本当に、本当にどこにも行かないッスか?」
「本当に、本当にいつまでも、ミテアさんの傍にいますよ」
 よかったぁ、と。ほっと胸をなでおろすミテア。
「ただ、恋人ができちゃった時は分からないですけど」
「えぇー!? トリアちゃんいつのまにそんなこと言う子になっちゃったッスか!?」
「あははは、冗談ですよ、冗談」
 むーっ、とミテアは疑念覚めやらぬ視線を送り続けている。

「トリアちゃん、一つお願いがあるんスけど……」
「? なんですか? 私にできることなら」
 ミテアは頬を朱に染めて、言葉を探す、えーと、えーと。
「お姉ちゃん、って呼んでくれる?」
 予想だにしなかった言葉に、トリアは固まる。
「……お姉ちゃん?」
「あぁもぉーっ、可愛いなぁこんちくしょー!」
「きゃぁーっ!?」
 少女の悲鳴が、兵営に木霊する。


 ……

 命短し 恋せよ乙女

 黒髪のいろ 褪せぬ間に

 心の炎 消えぬ間に


 今日は再び 来ぬものを












ホルンさんの戦術移動は全てAC4参照(ぉ
最終更新:2008年12月05日 20:53
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